第48話 妖怪・血骨鬼
男が完全に姿を現すと、その瞬間、闇が彼を染めていたかのような威圧感が広がった。配信で顔バレを恐れたのか、目元以外顔を覆ってるが、彼の顔は陰影に描かれており、目は微笑みを宿した不気味な輝きを放っていた。
〝
会うのは数日ぶりだろうか。先日、大正フラミンゴの撮影でカメラマンを務めておいて、自身の使役する魔物に二人を襲わせた男に他ならない。
松本は祠の後ろから静かに姿を現し、その拍手がいっそう響きを増す。その顔は、影に隠れて不気味さを増幅させていた。彼の目には挑発的な光が宿っており、この洞窟全体を見下ろしているかのようだった。
松本の不気味な拍手は、まるで神々しい儀式を進行させるかのようにも感じた。その視線は洞窟の奥深くまで届き、まるで洞窟の主であるかのような存在感を放っている。
祠の影から登場した松本の存在は、不気味さを増すばかりではなく、一段と緊張感を高めていた。その登場が洞窟全体を支配すると、それまでの静けさは完全に覆され、新たな恐怖と期待が空間に広がる。
──それにしても……こいつ、本当に日本人かよ?
松本の纏う雰囲気から、彼が俺と同じ文化圏・世界を生きてきた人間だとは到底思えなかった。
狂気というか、何かしら頭の飛んでいるオーラを感じる。日本よりも異世界から来たと言われた方がまだ納得がいく。
松本は拍手を止めると、じっくりとこちらを見つめた。
彼の微笑は一層深まり、その存在が全ての注意を集める。彼の登場は、まるで劇場のカーテンコールのように、次の一幕を引き立てる役割を果たしていた。
「やあやあ、いらっしゃい。そまりんカップルのお二人さん。思ったよりずっと早かったよ。僕がここに辿り着く半分くらいの時間だ。さすがだよ」
松本は覆面のまま喋った。
変声機を使っており、やや機械的な声だ。おそらく顔バレ・身バレを恐れているのだろう。俺達を倒した後は、ダンジョンから出て行方をくらます気なのかもしれない。
「あらあら、今宵は仮面舞踏会だったんですの? わたくし達、仮面を持っておりませんわよ?」
果凛が嗜虐に酔いしれた笑みを浮かべて松本に言った。
「そいつは失礼。だが、僕は君達みたいに若くもなければ容姿が整っているわけでもないのでね。画面映えがしないのだよ。そちらの視聴者の気を悪くさせない為にも、このままでいさせてくれ」
「よく言うよ。身バレしたくないからだろうが。海外にでも高跳びでもする気なんだろ?」
「それはノーコメントとさせて頂こうか。なに、どうせ君達は知る必要はないよ。知ったところで何もならないのだから」
松本は身体を揺らして答えた。
数日前に彼のお気に入りだったはずのミノタウロス・リーダーを屠ったにも関わらず、随分と余裕がある。彼が新たに手に入れた魔物に余程自信があるのだろう。
「釣れませんわね。で~もォ……」
果凛は目を見開いて口角を上げ、悪魔の哄笑を浮かべて続けた。
「それはルール違反ですわ。あなたのペットを屠った暁には、その布を皮膚ごと剥がして白日の元に晒上げて差し上げましょう。どうかご覚悟下さいましね?」
愛らしい容姿から想像もつかない果凛の歪んだ笑みに、松本が一瞬息を呑んだのがわかった。
松本がどれだけ狂気を纏ったとは言え、凶悪っぷりならこっちの方が上手だ。何だって果凛は──元魔王なのだから。
「ふ、ふふっ。さすがは元魔王設定。なかなか迫力があるじゃないか。まあ、こちらも勝った暁には君達が喰われる様をしっかりと撮らせて頂くつもりだから、そのぐらいは覚悟しないとね。恋人が喰われる様の絶望的な表情を撮るのが今から楽しみだよ」
「ド畜生……キモいにも程があるぜ」
松本の趣味の悪さに不快を覚え、唾を吐く。その不快さはまさしく寝床に忍び込んだ蛇蝎そのもの。もし配信がされていなかったら、俺が手に掛けてしまいそうだ。
「さあさあ、松本さん。御託はもう十分ですわ。さっさと御自慢のペットを見せて下さいまし。わたくし、あなたの無礼には少々気が立っていますのよ? このまま焦らされたら……うっかり首を飛ばしてしまうかもしれませんわ」
果凛の瞳に、殺意が籠る。
彼女の不機嫌さが最高潮に達している気がした。少なくとも、これほど苛立っている果凛を見たのはこれが初めてだ。
炉心融解を起こした原子炉に居合わせた作業員というのは、きっとこんな気分なのかもしれない。不可視無臭の放射能があたり一面を満たす恐怖感と言おうか。とにかくやばい雰囲気と気配だけが横から伝わってくる。
「それは失礼。このくらいの煽り合いも、配信の演出には必要かと思ってね。では、そろそろ今宵の宴を始めよう──」
松本は芝居掛かった様子で、ばっと両手を広げた。
「出でよ我が友・
〝
揺れ動く地面、空気が震え、そしてその震源から放たれる異様な赤光。その光はダンジョンの壁を照らし、まるで血が滴るような雰囲気を醸し出している。
心臓の鼓動が騒がしい。嫌な気配しかしなかった。
「なんだ、こいつ……?」
声にならないつぶやきが、唇から零れる。
果凛と俺は戸惑いながらも、その異様な赤光を求めて目を凝らす。
すると、そこには身の丈四~五メートルにも及ぶ、赤く巨大な人型の魔物の姿があった。いや、魔物というよりこれは日本古来の妖怪の出で立ちだ。
その身に着けているのは、褌と両足首に巻いた布切れだけで、首からは人間の頭蓋骨を首飾りのように提げている。頭頂部を除く部分には、長めのざんばら髪が乱れており、月代を剃って髷を結んでいたものが解けたかのような髪型だ。
果凛もその薄気味悪い容姿と大きさに驚いているのか、目を見開いている。
「美味ぞう、美味ぞう。おなご、ずんげぇ、美味ぞう……!」
血骨鬼と呼ばれた魔物が、果凛を見るなり明らかにテンションが上がっているのが見て取れた。
どうやら、本当に食人をするタイプの魔物らしい。
「随分と気味が悪くて大きな敵ですわね。血骨鬼、と仰っていましたかしら? こんな魔物、見た事がありませんわ。蒼真様は御存知で?」
「いや、俺も初めてみたよ。魔物っていうより、雰囲気的には日本の妖怪って感じだな。誰か、知ってるか?」
俺が視聴者に問い掛けると、その瞬間、視聴者からのコメントが流れ始めた。
『俺、そいつ知ってるわ。妖怪辞典で子供の頃見た事ある』
『え? ダンジョンって妖怪でんの?』
『さっきの階層の敵も妖怪っぽかったもんな』
『血骨鬼、今調べてきた。戦国時代だか江戸時代だかの妖怪っぽくて、もともと人間だったらしい。人間ばっか喰ってたら妖怪になる呪いに掛かったって書いてある』
やっぱり妖怪か。
俺の予想通り、この世界に生じるダンジョンのボスキャラはその地域性なんかが強く影響されるのかもしれない。
「びっくりしただろう? ダンジョンに実在する妖怪が出るなんてさ。ほんと、一体何の為にこんなものができたんだろうねぇ」
松本は言いながら、一眼レフカメラを手に下卑た笑みを浮かべた。
「さあ、始めて下さい蒼真さん、果凛さん。血骨鬼を倒せなければ、お二人の食べられる様が世界に発信されてしまいますよ! せいぜい足掻いて、最高の絵を撮らせて下さい!」
松本は一部始終をカメラに収め、全景をパンニング──カメラを水平方向に移動させて広範囲の風景や情景を捉える撮影技法──した後、俺達に向けてカメラを向けて高らかに宣言する。
この戦いは、ただのダンジョンのボス戦ではなく、視聴者達の前でのサバイバルゲーム。負ければ喰われ、その様を撮影されるときたもんだ。
「へっ……誰がテメェの性癖の為になんて戦ってやるかってんだ。なあ、果凛?」
「ええ、蒼真様。妖怪だか何だか知りませんが、わたくしを食べていいのは蒼真様だけでしてよ?」
「……そういう冗談は、控えるように」
何とも緊張感の欠ける会話を交わした後に、俺達と古の妖怪・血骨鬼との戦闘が始まったのだった。
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