第27話 元魔王のカノジョと過ごす放課後

 ──放課後。

 陽が傾き、空が橙色に染まりつつある中、俺は教室にいた。蜩が中庭にある木でけたたましく鳴いていて、遠くの方から吹奏楽部の練習音や運動部の掛け声が聞こえてくる。本来ならとっくに帰宅している時間だ。

 そんな中、俺は教室で何をしているのかというと……教室に残され、補習のプリントと向き合っていた。

 異世界転移の弊害で中間・期末を受けられなかった分の補習は夏休みに行われるので、この補習はもちろんそれに起因しているものではない。この補習プリントは果凛に起因したものだった。

 あの後、目ざとく授業中に俺と果凛が手を繋いでいるのを発見してきたクラスの男子が「せんせー、冴木くんが転校生の女の子と手を繋いで授業を受けていまーす、よくないと思いまーす」と皆さんの前で報告してくれやがった御蔭で、まず一回目の警告を食らった。

 教師も教師である。朝は「さすがは私のクラスの生徒です!」だなんて言っていたくせに、手のひら返しが早すぎる。いや、一夜にして有名人になった二人が授業中に手を繋いでいれば問題視するのは教師としては当たり前であると思うし、悪いのはどう考えても果凛から握られた手を振り払うなりしなかった俺なのだけれど……だが、補習を言い渡された直接的な原因はこれではない。この時点ではまた警告一でセーフだったのだ。

 そう、果凛が攻撃を仕掛けてきたのは、朝の手繋ぎだけではなかった。むしろあれだけなら皆から冷やかされた、というだけで済んでいた。

 問題はその後だ。机をくっつけているせいで隣から漂う果凛の良い香りにドキドキしてしまって、そうなると自然と昨夜のリビングでの出来事を思い出してしまう。彼女の瑞々しい唇に自然と視線が奪われてしまうので、俺は恥ずかしくなって窓の外へと視線を逃していた。

 そこで……この元魔王のカノジョは気配を殺して俺の耳まで顔を寄せると、艶やかな吐息を耳に吹き掛けてきたのだ。予想していなかった耳への刺激に「うひひゃう!」という何ともへんてこな声を授業中に上げてしまい、さすがに教師も立て続けのお遊び──俺はただの被害者なのだけれど──は見過ごせなかったようで、補習を命じられたのだ。

 ちくしょうめ……何が「〈破壊不可アンブレイカブル〉の弱点を見つけましたわ」だ。楽しげに言いやがって。あんなん誰だってびっくりするに決まっているだろうに。

 まあ、そんなこんなで補習は仕方ない。俺が教師の立場なら同じ判断を下すだろう。でも、それでも気に食わないのは、補習を課されたのが俺だけだった、という点だ。

 俺、手を握られた側なんですけど? どちらかというと戦犯は果凛じゃないですか? 昨今の男性差別はあまりに酷い。もう男性側も声を上げるべきではないだろうか。


「蒼真様?」


 果凛が俺の名を呼んだ。

 そう、彼女は何故か彼女は教室に残っていた。補習でもないのに、である。

 だが、俺は彼女の声を無視して補習のプリントと向き合う。

 俺を補習へと陥れた魔性の女・風祭果凛。これ以上こいつに場を乱されてはならない。


「……? ねえ、蒼真様?」


 何となく眉を顰めて納得のいっていなさそうな顔をしているんだろうなと想像しつつも、無視。

 ここで果凛の相手をしているといつまで経っても帰れない。


「もう……蒼真様ったら」


 果凛は果凛で引き下がる気がないらしい。

 このままずっと邪魔をされてもそれはそれで面倒だ。相手をした方がいいのかもしれない。


「何──」


 振り返って言葉を言い終える前に、俺の頬に果凛の細くしなやかな指がぷすっと突き刺さった。それと同時に、果凛の嬉しそうな声が聞こえてきて、満面笑顔の彼女が視界に入ってくる。


「引っ掛かりましたわっ」

「……どういうつもりだ?」

「どうもこうもありませんわ。ずっとわたくしの呼び掛けに答えて下さらないので、その仕返しですわ」

「いや、仕返しって……」

「ふふっ」


 果凛は笑みを零しながら、俺の頬を指でぐりぐりする。

 ああもう、ちくしょうめ。これは何をやっても無駄なやつだ。完全に弄ばれている。

 どうしてこうも、俺ってやつはこの元魔王に対して弱いんだろうか。こんなんでほんとによく勝てたよな。


「……さっき補習を早く終わらせましょうとか言ってなかったっけか?」


 俺だけ補習を言い渡され、教室でふたり残った際に彼女が言った言葉がそれだった。

 果凛はふむ、と納得した表情で言った。


「確かに、言いましたわ」

「じゃあ何で邪魔するんだよ」


 彼女は顎にそのしなやかな人差し指を当てて、小首を傾げて少しだけ考える仕草をする。そして、悩ましい顔でこう答えた。


「退屈だから、でしょうか?」

「おいテメェ……」


 ここがダンジョンの中か異世界テンブルクだったならば今すぐに決闘を申し込んでいるところだ。とはいえ、そんな事をすればこちらも甚大な被害を負うのでやらないけれど。

 俺のツッコミに、元魔王のカノジョは喜色をその顔に広げてくすくす笑う。


「はああ……可愛いですわ」

「可愛いって、どこが⁉」

「やっぱり、蒼真様と一緒に過ごすのは楽しいですわ。ずっとこうしていられたら幸せですのに」

「そしたら俺の補習一生終わりませんけどね⁉」

「では、わたくしは蒼真様とこの教室で添い遂げてみせますわ」

「こんなところで一生を過ごしたくないんですけど⁉」


 俺の素早いツッコミが楽しいのか、果凛はずっところころと笑いっぱなしだ。

 いや、笑わせる為にツッコミ入れてるわけじゃなくて心からのツッコミなんですけどね⁉


「冗談ですわ。今のは無視をされた仕返し。ちゃんと補習を終わらせられるよう協力いたしますので、安心して下さいまし」


 笑いが収まると、果凛は穏やかな笑みを浮かべて言った。

 本当かよ。もう全然信用できないんだけど。

 とかなんとか言いつつ……別に、こうして果凛からからかわれるのは嫌いではなかった。少なくとも、こうして笑い合ったり時には怒ったりするのも俺にとっては随分と久しぶりで。彼女が隣にいて、彼女からいじられるのが、妙に心地良い。俺ってもしかしてMだったんだろうか?

 でも……異世界で死闘を繰り広げた相手とこうして平和に学校生活を送れて、家でも一緒に過ごして、ダンジョンで一緒に探索できて、配信までして……この奇跡みたいな一コマ一コマが凄く大切なように思えてならなかった。どれもこれも、果凛が俺を追い掛けてきてくれなければ、叶わなかった事なのだから。

 それから、俺は果凛に教わりながら補習課題を進めた。


「あっ……そこの計算、違いますわよ?」

「え? マジか」

「そちらの数式もですわ」

「……おおぅ、ほんとだ」


 こんなやり取りが続く。

 どうして異世界にいたはずの果凛がそんなに勉強もできるんだよとツッコミたくなるが、彼女は〈魔眼ディストート・アイ〉の使い手。おそらくクラスの秀才くんか教師の頭の中を覗いて、既に学校授業の知識を備えているのだろう。絶対に俺よりもチートだ。


「ほら、猫背になっておりますわよ。もっと背筋をぴんと伸ばして下さいまし」

「それは課題関係なくない……?」


 こうして俺は、なんだか充実した補習時間を過ごしたのだった。

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