第4話 魔王転校生に睨まれた元勇者?

 ──魔王ですのよ?


 風祭果凛と名乗った少女の言った言葉に、思わず俺は背筋を凍り付かせた。

 もう夏だというのに、まるで真冬の雪原の中にいるみたいに身体が冷え切ってしまって、背中に冷たい汗が流れている。

 おいおいおい、冗談だろう? あの時、確かに倒したよな? というか、倒せてないなら俺戻って来れてないよな? 一体どういう事なんだ!

 頭の中で、疑問符がこれでもかというくらい溢れ出てくる。俺が現世に戻ってこれたという事は、魔王を倒しているはずだ。だが、彼女はここにいる。意味がわからなかった。

 どうする、戦うか? と思ってからすぐに、いや待て待て、と自らを制止する。

 異世界でどんな戦いを三日三晩も繰り広げたのか、思い出せ。こんなところで戦ってしまったら、学校に隕石が落ちてきてクラスどころか漏れなく全校生徒の死亡が確定する。ここで戦うのだけは避けたかった。

 俺の気など露知らず、少女は艶やかな微笑をこちらに向けたままだった。


「え、えーっと……趣きがある自己紹介ですね! では、風祭さん、空いている席に座って下さい」


 担任は空いている席──即ち、俺の隣の席を指差して言った。転校生の痛い中二病発言に空気が凍り付いた事を何とか挽回しようとしているところを見ると、相当に人が良い担任なのだろう。実際に俺の単位についても学校側に掛け合ってくれたらしいし……って、今はそんな事はどうでもいい。この魔王だ。

 彼女は担任の言葉に「ええ」と頷くと、まるで舞踏会に参加するかのような優雅な足取りで俺の隣の席に向かった──のかと思っていたら、俺の席の前で立ち止まった。教室の皆の視線が、一気にこっちに集まる。

 彼女は妖艶な笑みを頬に携えたまま、俺にこう問いかけた。


「わたくし、この学校……いいえ、についてまだ詳しくありませんの。よかったら、後で案内して下さいませんこと? 様?」

「え⁉ あっ……えっと……」


 初めて教室に現れた美少女転校生が、三か月程入院していて学校にいなかった生徒の前で立ち止まって、親しげに挨拶をする──この異様な空間に、クラス中の視線が俺に集まっていた。これがただの可愛い転校生であったならば、ご都合主義ラブコメとしてきっと俺も鼻の下を伸ばしていたのだろうが、彼女はもちろんただのラブコメ的な美少女転校生ではない。

 蛇に睨まれた蛙とはまさしくこの事を言うのだろう。首筋に嫌な汗がどんどん流れてくる。

 どうして俺の名前を、なんて今更聞く意味もない。彼女は俺を知っていて、俺も彼女を知っているのだから。

 どうする、どうする、どうする、やばい、やばい、やばい、とそれしか思い浮かばなかった。異世界でも散々ヤバい状況には陥ったが、そのどれよりも今の状況はヤバい気がする。

 というのも、一般市民の前にこうして魔王自ら躍り出てくる事などなかったし、自分の一挙手一投足で皆が死んでしまうような状況もなかった。俺は絶対に死なないスキル〈破壊不可アンブレイカブル〉能力の保持者なので、ひとりで戦っていれば誰も傷つかないからだ。常にソロで行動してさえいれば、誰かの犠牲を恐れる事もなかった。兎も角自分さえ敵陣に乗り込んでひたすら攻撃していれば全て解決したのである。

 だが、さすがに今回はそれも難しい。俺のせいでクラスメイトを死なせるわけにもいかないし、かといって何か変な答えを返してしまった時には学校の敷地にぼっこりとクレーターができるのは間違いない。

 どう答えればいいんだよ、マジで。おい、女神様! 助けてくれって! 応答してくれよ!

 もちろん、俺の懇願は女神様に届かない。マジで異世界を救った後はどうでもいいらしい。いや、勘弁してくれよ。


「……ダメ、ですの?」


 俺が黙り込んでいると、魔王の少女は悲しげな表情でそう訊いた。今にも泣き出してしまいそうな顔だ。


「うっ……」


 その顔はずるい。何だか嫌でもドキドキしてしまう。女の子からこんなに物欲しげな視線で見つめられた事などないのだから、当然だ。


「ねえ、蒼真様……?」

「ああ、わかった、わかったから! 案内するから、そっちもちゃんとを話してくれよ!」


 俺は彼女の瞳を見ていられず、ふいっと視線を逸らして言った。

 背中は冷たいのに顔は熱い。新陳代謝がぶっ壊れているぞ、俺の身体!


「ええ、もちろんですわ!」


 少女は元気な声で返事すると、そのまま俺の隣の席まで移動して、ふわりと腰掛ける。

 どんな顔をしているのかと思ってちらりと横目で彼女を見ると、そこには満面の笑みを浮かべた少女がいた。きっと誰もがこの少女が魔王などと言われても絶対に信用できない──そんなあどけない笑顔だった。


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