第8話 カップルDtuber『そまりんカップル』爆誕
「あっ、そういえば蒼真様」
「……何だよ」
何かを尋ねようと声をかけてきた果凛に、俺はむすっとした顔を向けてやる。
さすがにあれだけ弄ばれて、不機嫌にならない方がおかしい。
「もう。いい加減機嫌を直して下さいまし。そこまで意固地になられては、わたくしも困ってしまいますわ」
「ふん。あれだけ恥部を弄ばれてへらへら笑ってろって方が無理ってもんだ」
俺は不機嫌さを隠さず、顔を背けてやる。
実際はもう別に許してはいるのだけれど、眉をハの字に曲げて困っている果凛の顔が可愛いというのもあって、拗ねたふりをしていた。もちろん、それはここだけの話である。
果凛は果凛でむっとした顔をしたかと思えば、俺の後ろに回り込んで、覆い被さるように抱き着いてくる。そして、耳元でこう囁いた。
「では……その冊子の四ページくらいまでの事をしたら、許して頂けますの? それで蒼真様の機嫌が直るのなら、わたくしも頑張ってみますけれど」
「──ッ⁉」
艶やかな話し方と耳に掛かった吐息、そして背中に柔らかな、それでいて確かな存在感を示す二つの膨らみの感触を同時に感じてしまい、俺の脳は再びショートする。反射的に果凛を突き飛ばして、部屋の壁の隅っこまで退避した。
「だだだだ、だから! そういうところだぞ⁉ 全然反省してないだろ!」
びしっと指を差して注意をしているつもりだが、めちゃくちゃ声が震えてしまっているし顔も熱い。さぞかし滑稽な男に見えるだろう。自分でも何となくそれは察しているが、女慣れしていない俺にはこれが限界なのだ。
というか、さっきのはめちゃくちゃ危なかった。果凛の誘惑に負けて理性がポッキリと折れてしまう寸前……って、あれ? 誘惑に負けたら何がダメなんだっけ? 色々あり過ぎて正常な思考回路が働かなくなってしまっていた。
果凛は力なく笑うと、俺の前まで来て両膝を突いた。
「ふふっ……申し訳ありません、蒼真様。緊張をほぐすだけのつもりだったのですけれど、少し調子に乗り過ぎてしまいましたわ」
「……緊張? お前が緊張してるのか?」
意外な言葉だった。
てっきり、終始俺で遊んでいるのかと思っていた。
「するに決まっていますわ。意中の殿方にようやく会えて、気持ちを伝えられて……そこから、初めて密室でふたりきりになっていますのよ? 平然としている方が無理ですわ」
果凛は少し呆れているような、怒っているような、それでいて照れているような顔をして言った。
よく見てみれば、彼女の頬は赤く、普段は自信に満ち溢れているその黄金色の瞳も震えている。どうやら、緊張していたのは俺だけではなかったらしい。
「なんだ……果凛も緊張してたのか」
「はい。とっても」
そこで可笑しくなって、二人して微笑みを交わす。
部屋全体に、柔らかい空気が満ちた気がした。
「あー、それでさっき何か言おうとしてたよな。何だったんだ?」
果凛が何か質問しようとしていたのを思い出して、質問を促した。妙な甘酸っぱい空気に耐えられなかった、というのもある。
すると、果凛は机の上にあるデスクトップパソコンの方をちらりと見た。
「ああ……あれですわ」
「パソコン?」
「ええ。あのパソコンやインターネット、というものがよくわかりませんの。知識としてはもうある程度わかっているのですけれど、概念がわからないといいますか……」
「なるほど」
確かに、異世界テンブルクの概念や常識のままパソコンやインターネットを理解するのは無理かもしれない。乗り物や電気、ガスなどこちらの世界が科学で発展させたものについては魔法でも代替が利くものが多いので、何となくニュアンスなどはわかるのだろう。
しかし、インターネットだけは完全に別物だ。少なくとも、テンブルクの世界ではネットに代替するものはなかった。〈
「パソコンはちょっと難しいかもしれないけど、こっちの方がわかりやすいかもよ」
俺はそう言って、ベッドの下で充電したままだったタブレットを果凛に渡した。俺個人の私物なので、特にパスワード設定等もしていない。
「……何ですの? この板は」
果凛は俺からタブレットを受け取ると、怪訝そうに首を傾げる。
「表面触れてみ」
言われた通りに果凛が液晶画面に触れると、ぱっと光ってホーム画面を映し出した。
「あっ、光りましたわ!」
液晶が点灯した拍子に果凛も少し驚いたのか、その綺麗な黄金色の瞳が見開かれていて可愛かった。
「皆さんが持っているスマートフォン、というやつでしょうか? 少しサイズが大きいようですが……」
「まあ、似たようなもんだよ。原理はタブレットもパソコンも同じだから」
隣に座って実際にタブレットの操作をしてみせることで、彼女に使用方法を教えていく。
実際、俺もインターネットやパソコンの概念を説明しろと言われても上手く言葉にできない。多分それは他の大半の人達も同じなのではないかと思う。彼女が〈
ならば、実際に使って何となくこんなもんだよ、と理解してもらった方が早い。というか、大抵の人がそのくらいの解像度でスマートフォンやインターネットを使っていると思う。
「ああ、ようやく皆さんが何をやってらっしゃったかわかりましたわ。こういう事でしたのね」
ほんの一時間程操作方法を教えただけで、果凛はタブレットの使い方を理解してしまった。
もともとある程度の知識を〈
起動から始まり、フリック入力にメッセージアプリ、ブラウザや動画アプリの閲覧方法なども思いのほか簡単に習得していく。あまりに覚えが良いので、俺の教え方がそんなに上手いのかと錯覚してしまったが、もちろんそういうわけではない。果凛はおそらく、もともと地頭が良いのだ。
今はもう動画サイトをUtube内を徘徊して色々な動画を視聴している。この動画という概念はまさしく異世界にはないものなので、果凛にとっても新鮮なのだろう。一番驚いていたし、また熱心に見ている。
「蒼真様」
ベッドで寝転がりながらぼんやりとタブレット操作を楽しむ果凛を眺めていると、彼女は唐突に顔を上げた。
「ん?」
「こちらの戦っている動画は何なんですの? 何だかテンブルクにいそうな魔物ですけれども」
そう言って、こちらにタブレットの画面を見せてきた。
画面をのぞき込んでみると、彼女が見ているのはとある有名
ダンジョン配信者自らが行っている例は少なく、大体が有志によって切り抜かれた動画が転載されている事の方が多い。
「……それはダンジョン配信の戦闘シーンだけを集めた動画だよ」
俺もやってるけど、とは言えなかった。
何たってチャンネル登録者数〇だし、いるのかいないのかもわからないDtuber。もはやこれは言うのが恥ずかしいレベルだ。
「ダンジョン? ダンジョンって、あのダンジョンですの? あちらで言う地下迷宮みたいな?」
「そうそう。俺が異世界に行く前はこんなのなかったんだけど、ここ数か月の間にダンジョンなんてものがこっちの世界にできたみたいでさ。で、そのダンジョンで探索してる姿を配信するのが今世界的に流行ってんの」
「ダンジョン探索を配信……面白い事を考えますのね、こちらの方々は」
果凛は面白そうに動画を見て、関連動画をさーっと見ている時に、ふと手が止まった。
「……このカップル配信、というのは?」
どうやら、カップルという単語に惹かれたらしい。そういえば、今日学校でもカップル宣言をしてくれたっけ。ネカフェでは雑誌等も女性向けのものを好んで読んでいたのかもしれない。
「付き合っている恋人同士で一緒にダンジョン配信する事だよ。中にはビジネスカップルとかもいるらしいけど、大体は本当に付き合ってるんじゃないかな」
今果凛が見ているカップル配信の動画は、あまり危険な探索はしていないようだ。
ダンジョンの上層部をカップルで面白おかしく紹介しているだけで、ダンジョン探索というよりダンジョンの中でのカップルの掛け合いなどをメインコンテンツとしているのだろう。色々な配信者がいるものである。
まあ、実際に探索は危険も伴うし、ダンジョンでカップル配信を行う人がほとんどいないので、今だと何をやっても新しいと言われるのだろうけども。
「本当に色々な方がいらっしゃるんですのね。とても興味深いですわ」
果凛はそんな事を言いながらいくつかのカップル配信動画を見ていたかと思うと、「そうですわ!」と何かを思いついたかのように声を上げて、こちらを振り向いた。
その黄金色の瞳が、いつも以上にキラキラと輝いている。
「蒼真様……!」
「お、おお? どうした?」
なんだろう。その瞳の輝きと嬉々とした声に、俺はとんでもなく嫌な予感を感じた。
そして、その予感は案の定外れる事はなかった。果凛は言った。
「これをやってみたいですわ!」
「……はい?」
ああ、もちろん何となく言いたい事はわかっている。何がやりたいのか、そして何にワクワクしているのかも十分に承知している。だが、俺は敢えて気付かないふりをした。
だって、そうだろう? 今の俺は、ただでさえ大変な状況だ。ほんの少し前に死闘を繰り広げた異世界の魔王と何故かこっちの世界で付き合う事になって、そしてどういうわけか一緒に住む事になって、これから一緒に通学しないといけないのだ。正直、もうダンジョン配信も引退するつもりでいた。それどころではないと思ったからだ。
だが、果凛は俺のそんなささやかな願いなど簡単に粉砕するかのように、こう続けた。
「わたくし、蒼真様とカップル配信がしてみたいですわ!」
果凛のこの勢いを俺に止められるはずもなく、この数分後には新たなダンジョン配信チャンネルが立ち上がっていた。
チャンネル名は『元勇者&元魔王のそまりんカップル』。
どうやら俺は、元魔王のカノジョと一緒にカップルダンジョン配信をしなければならないらしい。
──……え? カップルでダンジョン配信って何すんの? 俺、普通のカップルチャンネルすらほとんど見た事ないんだけど。
前途多難な未来しか見えず、どうしようもない頭痛に襲われたのは言うまでもない。
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