第五十一話 ~日頃の行い~
《第五十一話 ~日頃の行い~》
運動場に続く大扉を開いて目に飛び込んで来たのは記憶の中に有るグラウンドと良く似ており、一通りの運動器具に陸上競技用のコース、見慣れない浮遊物等が有った。
(授業で使うのかな……?)
「でござるな。飛行魔法を習得する際には決められた経路に沿って移動したりするのでござるよ」
そう言って前を歩く龍一がゲームの中の知識を披露する。
「あら、本当にお詳しいのですわね。飛行魔法は高等部になってからが推奨されておりますのに……」
聞き耳を立てていたアリーゼにツッコまれれば冷や汗を掻きながら必死に誤魔化す龍一。
そうしたやり取りを経て学園の運動場を再び見渡し、全面が壁に覆われている所を除けば前世の物と大差は無い。
朝礼台らしき高台の前に一人の男性が立っており、軽快な拍子の笛の音を聞き皆が走り出した。
それにつられて整列をすれば予鈴が鳴り、ジャージ姿の教員の前で皆が規則正しく直立していた。
「気を付けえええ、礼!」
例のクワガタ男子が威勢良く号令を掛け、休めとの声に両手を後ろにして軽く胸を張る。
「うん! みんな、おはよう!」
これまでイザベルの授業が淡々としていたせいか、突然の大声に思わず面喰らってしまう。
「君達が連絡の有ったゼロとリュウだな! 色々と大変な事も多いと思うが、共に青春の汗を流そう!!」
そう言って親指を立てては片目を瞑り、無精髭と角刈りのこの世界には珍しい男性教諭が授業を開始する。
(これは……何をするんだ?)
「基礎体力の向上、魔法学園流の体育にござるよ……」
先程から顔色が悪い龍一の原因はこれだったかと得心し、両手を広げて場所を確保すればラジオ体操が始まった。
(これ考えたやつ絶対に日本人だろ……)
「アズワルドは、元々、国産のVRMMOに、ござれば、それも納得でござる、な……」
体操だけで龍一は既に息切れを起こしており、この後の内容如何で死にかねないのでは無いかと心配になる。
「よーし、それじゃ今日は長距離走からだな」
角刈り教員の言葉に生徒達からは不満の声が上がり、それを聞いた途端に声を大にして悲しみを訴え出す。
「どうしたんだお前達、俺は悲しいぞ! 強く、美しい身体を育むには運動だ! 彼を見ろ!!」
そうして指差した先に居たのは―――自分だった。
「流石は冒険者だな。身体に刻まれた戦士の証……見たところ、相当な手練れだろう?」
どうなんだとの視線に首を振り、階級はEだと丁寧に口を動かして伝える。
「駆け出しだと? おいおい、冗談が過ぎるぜ」
そう言って笑みを浮かべる教員の反応とは裏腹に、周りの生徒達がひそひそと小声でざわつき出す。
かろうじて聞き取れたのは先にも触れた体の傷痕についてで、半袖半ズボンではそれが所々に見えてしまっている。
処置の方法によってはそういう物も残らないらしいが、この方が色々とハッタリが利くのでそのままにしてある。
水薬を自由に製作出来るようになってからはそれが常となっており、残すか残さないかはリュカ自身が決めれば良い―――その為の物は製作済みだ。
「気を抜くなよー……それっ!」
教員の言葉によって光球が頭上へ生み出されれば、それが分裂し生徒達の体へと降り注ぐ。
光は手足に這い進み、輪っかのようになって装着された。
「強化魔法を使えよー! じゃないと走る事も出来ないぞー!」
そう言うと再び軽快な笛の音が響き、教員が走り出すとそれに続いて前から順に後を追う。
しかしその足取りは酷くゆっくりで、前を走る教員もそれを分かっているのか全速力には程遠い。
「おっ! やっぱりやるじゃないか!」
気付けば先頭に出てしまい、ちらりと後ろを振り返れば他の生徒達とは開きが出来てしまい、その群れの更に奥で龍一を見付ける。
「もっと行けるか!?」
先を行く教員の声に頷き、徐々にペースが上がって行くので付いて行く。
正直なところ皆が何にそんなに苦労しているのか分からず、身体強化魔法の事を言っていたのでこの輪っかが重り的な役割をしている事は推測出来た。
しかし依然として負荷は与えられておらず、魔法が失敗しているとさえ思ったのだが……自分ではあるまいしそれは絶対に無いだろうと鼻で笑った。
「よーし、終了ー! 戻ってこーい!」
教員の声に再び朝礼台の前へと集合し、少しの休憩を挟んで次の種目へと移るらしい。
用意されていたタオルや飲み物をもらい、ぜえぜえと息を荒げる皆の中で平然と準備を進めていると
「おーっほっほっほ! ゼロ、貴方、中々やりますわね」
息も絶え絶えになりながらアリーゼが褒めてくれる。
自分としては何をしたつもりもなく、後半は皆の邪魔にならないように外側を軽く流していただけだ。
それでも何週と差を付けられればプライドが刺激されたのか、歯を喰いしばって髪を振り乱して、それでもなんとか追い付こうと必死に走る姿は鬼気迫るものが有った。
専ら自分の興味はそれでも崩れない髪型に有るのだが、話すのが辛そうなので礼を残して龍一へ飲み物を持って行く。
「ありが、とうでござ……」
どうやら休憩中も輪っかは付けたままにしなくてはならないらしく、受け取るために手を上げるのも辛そうだった。
(この魔法はなんなんだ?)
「これは、重りでござるよ。自身の、魔力に比例して……訓練用の……」
やはりそうかと納得すれば、話すのが辛そうなのでそれ以上の追求は止めておいた。
(あれは逆効果だったか……)
龍一を追い抜く度に激励の言葉を掛け続けていたのだが、カルーアの名を出した途端駆け足になるのが面白く何度も繰り返した結果がこれだ……反省せざるを得ない。
「……なに?」
(別に)
委員長の名は伊達では無く、こういう場面でも優等生っぷりを発揮していたエリーゼ。
辛そうなのは他と同様だったが、だらしなく地面に座り込んだりはしていない。
滴る汗をタオルで拭き取り、無造作に髪を掻き上げた仕草に少し見惚れていただけだ。
(いやいや、俺は少女趣味じゃない。断じて違う筈だ……そうだろ?)
学生達に囲まれていればそういう昔の事と混同しているのか、思えば初恋もそんな真面目な女の子だったなと面影を重ねた。
数分の休憩の後、次の課題へと移る。
握力や懸垂、鉄球投げなどどこか前世を彷彿とさせる内容を次々とこなし、平均的な回数を記録していたのだが……種目が腕立てに移ってから事件は起こった。
「おいおい、長距離走の時の威勢はどうした?」
(ぐ、ぎぎぎ……)
相変わらず十回を過ぎれば背中の荷重は極端に上がり、それでも無理やり二回ほど追加で成功させると
(ぐえっ)
潰れた蛙のような悲鳴を上げて地面に倒れ込んだ。
続く腹筋、上体起こしも普段はバルムンクが居る場所に龍一が座り足を支えてくれるのだが……結果は先程と同じく十二回で止まる。
「うーん、持久力は凄いみたいだけどな……」
長距離は化け物。瞬発力や腕力は人並。純粋な筋力に至ってはそれ以下と、評価としてはそんな所だろう。
日課の筋トレと同じ項目はすこぶる成績が悪く、解除の仕方も分からなければ特別困ることも無いかと諦めた。
「おーっほっほっほ! 総合力では私の勝ちのようですわね!」
アリーゼの高笑いが聞こえ、その声に少し落ち込む。
「……無様ね」
エリーゼに至っては一層侮蔑の念が強くなり、多少は見直されるかもと思っていただけに追い打ちを掛けられた。そして―――
「だ、大丈夫でござるよ! ゼロ殿は少し要領が悪いだけにござる!」
悪意の無い一撃に止めを刺された。
教室に戻って着替えを済ませれば昼休み―――昼食の時間となり、こういう場合はどうするのかと教室を見回す。
エリーゼを含めた数人の生徒は教室から出て行き、アリーゼやクワガタ髪の男子生徒は後ろの空いている長机を占拠し、使用人らしき者に料理を並べさせていた。
弁当の類を持参している生徒はその二人以外には皆無で、そう言えばそういった物は日本独自の文化だったかと朧気な記憶を辿る。
アリーゼの側に付いているのは勿論あの時の執事風の男で、一瞬だけ敵意の籠もった眼差しが向けられたのでひょいと躱しておいた。
(こえー……)
従者としてはそれで正解なのかも知れないが、仮にも同級生にそれは如何なものかと思ってしまう。無駄に敵を作り兼ねない。
「拙者達も行くでござるよ」
龍一に促されれば教室を後にし、向かった先は大きな食堂だった。
生徒達が吸い込まれるように入って行くそこは自分の知ってるものと随分掛け離れており、広い室内には巨大なテーブルが理路整然と並べられていた。
椅子やテーブル、無意味そうな巨大な柱さえも外観だけ見れば記憶に無く、かろうじて似ているとすれば海外の食堂くらいか……大聖堂を思わせる造りに感嘆の溜め息が漏れる。
「生徒や職員は無料でござるからな。人気なのも頷けるでござるよ」
そう説明する合間にも入り口からの列は次々と流れて行き、注文から提供までのスピードが異常だ。
それもその筈……厨房では料理人達が一斉にその腕を奮っており、刻まれた食材はアーチを描いて鍋に入れられ、連なった鍋を振り、調味料が宙を舞い踊りながら料理が次々に完成されて行く。
料理のメニューも豊富らしく、願えばどんな料理でも出来るとの事らしい。
(滅茶苦茶大変な料理を選んだらどうなるんだろう……)
不意にそんな悪戯心が顔を覗かせるものの、列を出るころ自分の手に持たれていたのはカレーライスだった。
食に無頓着なのが災いしたとは言え、亜人領特産の物がふんだんに使用されたそれは見た目から香りから美味しさが伝わって来る。
(微妙に味も違うだろうしな……)
家のカレーも好きだが専門店、売店、果ては蕎麦屋のカレーも嫌いでは無かった。
「好き嫌いが無いのは結構な事でござるよ」
龍一のトレーの上には上品に盛られた厚切りの肉とパン、サラダにスープとこの世界で一般的な料理が乗せられていた。
空いているテーブルを見付ければそこに腰を下ろし、二人並んで昼食を摂る。
望めば外で食べる事も出来るらしく、その際に携帯に不向きな料理は却下となるらしいが大抵は許可されるようだ。
赤、黄、緑と様々な外套の花が咲き乱れる食堂内で、先に出たはずのエリーゼの姿は見付けられなかった。
そんな中―――料理を食べ進めていると目の前の席に着く二人の人物。
一人は獣人の女の子で、もう一人は仏頂面をした獣人の男の子だった。
一目で兄妹と分かったのは亜人獣の特徴でも有る顔や耳の模様で、茶と白の不思議な絵柄が綺麗な顔を一層引き立たせている。
(美犬……いや、狐か?)
自身と同じ橙色のローブには同学年を示す校章下の二本線が刺繍されており、それにより漸く同級生だという事を思い出した。
そんな風に観察を続けていると目が合ってしまい、ひそひそと隣の兄に何かを耳打ちしては優しく微笑んだ。
何か狙いが有るのか……昨夜とエリーゼの事も有りそんな風に疑ってしまうが食事は粛々と進められ、思い過ごしかと思っていた矢先に隣の椅子にどかどかと数人の生徒が腰を下ろした。
「おーい、ここ空いてるぞー! って、げっ! 亜人かよ……」
そう言って露骨に嫌そうな顔を浮かべる隣人は赤いローブの二本線……どうやら自分達の組よりも階級が上の生徒らしい。
「なんだその面ァ……亜人如きが一丁前に歯向かうってのか?」
彼等の言葉に怯えた妹が兄に身を寄せ、優しく肩を抱いてやれば発信源の生徒へ厳しい目を向けていた。
(……こういった発言はご法度なんじゃなかったか?)
「左様にござる……が、理想と現実は往々にして乖離しているものでござるよ」
権力者の子供という事も有るのだろうが、職員が注意をしないのなら自分達で解決する他無いではないかと憤る。
少し仕返ししても良いかと尋ねれば、バレないようにという事なので思案する。
魔法は死人が出るかも知れないし直接殴るのは不味い。だとすれば丁度途切れている長椅子の脚を、脚力のみで壊す事くらいしか出来ず均衡を失った片側へ赤ローブの生徒達が雪崩のように滑って来た。
「熱っちゃあああ!!」
手に持っていたスープ皿を芸術的に頭へあしらい、そう叫びながら立ち上がると直ぐさま事件の犯人へと詰め寄った。
「貴様、どういうつもりだ!!」
そう言って指差す方へ視線を向ければ未だ三人程が床で蠢いており、ローブや床に手に持たれていたであろう食器や料理が散乱していた。
訳が分からない。料理は勿体ないと反省すれば首を傾げ、素知らぬ顔で白を切り通す。
「貴様でなければ誰がやったと言うのだ!!」
尚も激昂する生徒を前にどうやら地に突っ伏していないのが気に食わなかったかと思い、大仰に後ろへ倒れ込めばそのまま床に落ちた。
両手を広げ天井を眺めていれば、なるほど細部まで凝っているのだなと変な所に感心し、周囲から次第に笑い声が起こり始める。
「馬鹿にしているのか……ふざけるなよ……!」
どうやらそれが更に怒りを助長する形になってしまい、自分としては穏便に済ませたかっただけに残念でならない。
「待つでござる待つでござる。拙者も見ていたでござるが、何か証拠は有るのでござるか?」
男子生徒に胸倉を掴まれ吊るし上げられると、そこへすかさず龍一の助け舟が出された。
「証拠って……そんなもの誰が見ても明らかだろうが!」
声を荒げる男子生徒を前につかつかと椅子へ歩み寄り、壊された脚を拾って大袈裟に頷く龍一。
「やっぱりそうでござったか……この断面を見れば分かって頂けるでござろう」
そう言って手に持った脚を見せ付けるように説明を始める。
「老朽化。それが拙者の見解にござれば、この不揃いの断面もそれを物語っているでござる。こちらは二人、そちらは四人……脆くなっていた所に大人数で座り、その重みに耐えきれなかったのでござる。現に魔力も全く感じなかったでござろう?」
「そこ! 何をしている!」
龍一の説明が終わった所でイザベルが声を上げると、件の男子生徒は舌打ちを鳴らし漸く体を下ろしてくれた。
汚れた衣服を嘆く生徒達に厳しい説教をし、さっさと洗ってこいと退室させると自分と龍一の肩を抱き
「この施設の全ては魔法によって補強されている。経年劣化の心配は無用……次から気を付けるように」
置かれた手と右耳から冷やりと怒りが伝わって来るのを感じ、引き攣った表情のまま素直に頷いた。
イザベル達が床の掃除に追われているなか周囲に目をやれば背けられてしまい、どうやら悪目立ちしすぎたなと反省する。
自分が犯人では無いと主張した手前手伝う訳にも行かず、今度はもっと上手くやろうと心に誓った。
件の兄妹と目が合えばゆっくりと目が閉じられ、再び開かれたその瞳に真っ直ぐな意志を感じる。
その視線がどうにもむず痒く、残りを急いで口に詰めてそそくさとその場を後にした。
逃げるように食堂を後にすれば龍一も後から合流し、先程の反省点を述べながら廊下を歩く。
二人の結論としてはイザベルに逆らうのは止めよう。そういうものだった。
それから一週間が過ぎ、日を追う毎にぼろぼろになっていくカルーアを見てはこんな惨状をあの二人に見られでもしたらどうなってしまうのか……そんな事を思っていた。
学業の方はと言うと同様にぼろぼろのままだったが、何時も後少しという所で教師陣を落胆させたのは言う迄も無い。
魔法の発動自体に問題は無くなってきたが、操作や造形を最小出力でこなすのは中々に難しい。
バルムンクに滅茶苦茶魔力を制限してもらう等の方法を考えてみるも、何時も通りの沈黙に助力は期待できそうに無かった。
授業内容も徐々に難しくなって行き、攻撃、回復、防御魔法や珍しい物では召喚や付与、生活魔法なんてのも有った。
無論その全てを覚えられる訳も無く、毎度頭がパンクしそうになれば隣の席の龍一やエリーゼが助けてくれた。
自分の為―――彼女がそう言った意味を知ったのは更に先で、何て事は無い……ただ単に内申の為だったと分かった時には納得も出来た。
組毎の成績は殊更に重要で日々の授業やテスト等、そういった物は逐一成績として反映されるらしい。
「……聞いてる?」
訝しむエリーゼに慌てて頷きノートにペンを走らせる。
聞けば生徒達は皆メモ代わりの魔法というものを習得しているらしく、そうであれば膨大な用語を一語一句違わず、淀み無く発せられるのも納得だった。
当然そんな物を知らない自分は地道にノートを取るくらいしか方法が無いので、学園内の売店へ走ったのは苦い思い出だ。
授業終了の鐘が鳴れば漸く放課となり、ぞろぞろと教室を出て行く生徒達。
あれから特に目立った嫌がらせやちょっかいを掛けてこられる事も無く、前に座っている獣人の兄妹も過度に接触して来る事は無い。
「それじゃ、明日はお昼からだから」
短く吐き捨てるとエリーゼはそのまま去ってしまい、そう言えばそんな事を言っていたなとイザベルの言葉を思い出す。
なんでも明日は組別対抗戦という物があるらしく、通常の授業よりも開始が遅いらしい。
遅れないようにとの事なのでしっかりと準備をし、くれぐれもイザベルの機嫌を損ねないようにしよう……そう意気込んでいたのだが―――
(うるせえええ!!)
途端に響くバルムンクからの警戒音。
目が覚めればそこは宿の自室で、日課終わりに本を読み早目の昼食を摂り終えてついうたた寝をしてしまったようだ。
時計に目をやれば昼を少し過ぎており、慌てて飛び起きては制服に袖を通した。
(分かってんならもう少し早く起こしてくれよ……)
そう文句をぶつけるものの相変わらずのだんまりで、外套を巻き付けると肩に担いで学園へ急ぐ。
流石に一週間も通っていれば慣れたもので、教室への道のりは迷うこと無く進む事が出来た。
何時もと変わらない筈の扉を前に、自身の失態から来るやましさがそれを重々しく見せどうにも勇気が出ない。
(絶対に怒ってるよなぁ……)
しかしそうだとしてもここでまごついてる訳にも行かず、意を決して扉を開けるとそこには―――誰も居なかった。
しんとした教室には文字通り人の気配が無く、巨大な二面の黒板へ目をやれば漸く目的地が間違っていた事に気が付く。
『九時、第一実習場』
簡素に書かれた文字はイザベルのもので、何時もより早い開始時刻は自分を動揺させるのに十分な物だった。
(どういう事だ?)
考え込みそうになる頭を振って切り替えると、今はそれどころじゃないと思い直す。
第一実習場……そう言われてもそんな場所は知らない訳で、この学園で把握している場所と言えば食堂に売店、体育の授業で向かった運動場くらいなものだ。
龍一の部屋へ呼びに言っても反応が無かった事から、どうやら裏で自分の知らない何かが動いている……そんな不快感を薄っすらと感じていた。
(えっ!?)
突然響いた声に驚愕し、きょろきょろと周囲を確認するが誰も居ない……不意に頭に流れ込んだ声は無機質で、導かれるままに声の方へと走り出した。
教室を出て廊下を進み、階段を登り渡り廊下へ……何度かの間違いを繰り返し足を動かし続けた結果、漸く目的地へと辿り着く事が出来た。
扉を開けて通路を進み、視界が開けるとそこは嘗て自分がウェルと戦った場所……ここがそうだったのかと思い至る前に、舞台上では生徒同士の戦いが行われていた。
赤いローブと橙のローブが互いを狙って魔法を撃ち合う……それは紛れもない魔法戦で、様々な魔法弾がぶつかり合っては激しい音を響かせ散って行った。
事情を把握する前に歩を進め、入場口から先には両脇に生徒達が控えていた。
ある者は傷付き、ある者は誇らしく胸を張り、ある者は観戦を続けている。
「遅いですよ。何をしていたのですか?」
厳しく咎めるイザベルの言葉に慌ててしまい、急いで筆談を開始すれば暫く顎に手を当て何かを考え込んでいるようだった。
「まあいいでしょう。見る事も大事な勉強……それを肝に銘じて大人しく観戦してなさい」
煮えきらない返答に素直に頷けば地面へ座り込んでいる龍一を見付け、どういう事だと激しく抗議した。
「落ち着くでござる。これはエリーゼ殿から頼まれた事なのでござるよ」
(エリーゼから?)
疑問の声に頷かれ、聞けば今回の対抗戦に自分を出したく無いとの事だった。
「戦闘はご覧の通り苛烈でござれば、ゼロ殿が出てもやられるだけ……それならばいっそ、不戦敗という扱いにしたかったようでござるな」
そういえば龍一にも進捗は報告していなかったかと思い至り、日頃の行いを鑑みればこうなるのは当然の結果……とはならないのが自分である。
沸々と湧き上がる怒りは当然龍一や戦闘中のエリーゼへと向けられ、勝手に決めるなと怒鳴りたい気持ちで一杯だった。
「怒るのも当然でござるが、そうであれば身を以て示すのが一番……なのでバルムンク殿にはこうして目覚まし時計代わりをしてもらったのでござる」
あのけたたましい音はそういう事だったのかと得心すれば、ここまでの道のりを順序よく教えてくれて助かったとも思う。
自分をハメた首謀者は武舞台で善戦を続けており、上空から飛来する多数の魔法弾を同様の魔法で撃ち落としている。
次第に押され始めた展開になるとそれも追い付かず、恐らく相手の得意魔法なのだろう……今までよりも巨大な龍を模した炎がエリーゼの近くへ着弾すると、その爆発と衝撃で場外へと吹き飛ばされた。
イザベルと相手の組の職員が手を上げてそこで試合は終了となり、二人が視線を送った先には観客席に腰掛けた老人が居た。
その脇には多数の職員や保護者……だろうか、ウェルやカルーアの姿も見える。
二人の戦いを称えるように拍手が送られ、温かい声援の中エリーゼが戻って来る。
「すみません。負けてしまいました……」
「いいのよ。良く頑張ったわ」
今の戦闘内容に労いの言葉を贈り、イザベルはそう言うと回復魔法の詠唱を始めて治療を施す。
「いやぁ、これで試合は全て終了……今回もA組の勝ちという事で、次の対抗戦まで絶対服従―――それをお忘れなく」
イザベルの背に向かってそう吐き捨てる男はどうやらA組の担任らしく、気障ったらしい前髪を靡かせ自慢気にそう言った。
終了の言葉に龍一へ目を向ければ目立った外傷等は無く、治療をしたのかと思うもののそれは無いかと安心する。
「拙者達は転入生でござるからな……そもそも年齢が違う上、出場する事は不可能にござるよ」
仮に出場出来たとしても龍一の場合は相手を攻撃出来ないだろう……カルーアの命でも賭かっていれば話は別だろうが、そうでなければ何の因縁も無い相手では分が悪い。
「今年もまたうちの特待生一人にやられてしまいましたね……本当に、残念ですねぇ」
厭味ったらしく語尾を伸ばし、受け持ちの生徒と共に笑い声を上げる教員。
舞台上に居るのは何時ぞやスープ皿をあしらっていたあの時の生徒で、エリーゼに勝つくらいなのだから相当な実力者なのだろう。
何やらスムーズに話が進んでしまい、置いてけぼりを喰らった感が半端では無い。
とにかく文句の一つも言ってやろうと治療の終わったエリーゼの元へ向かえば、どういうつもりだと紙に書いて尋ねる。
「……ごめん」
何時もの厳しい態度は鳴りを潜め、途端にしおらしくなったかと思えば俯いてしまう。
「これで賭けは俺の勝ち……あの話、忘れて無いよな?」
振り返り、先程の対戦相手がエリーゼへ語り掛けていた。
あの時とは違い逆立った頭髪を揺らし、自信満々な態度にこんなのが本当に特待生なのかと訝しむ。
二人にしか分からない会話の内容を知る術は無く、困惑した表情のまま交互に二人の顔を眺め続けた。
エリーゼは無言のまま頷き、特待生のスープ男子は微笑み頷いている……そして―――
「あっ! 手前ぇ!!」
漸くこちらの存在に気付いたのか、件の生徒が指を向け叫ぶ。
「何だ?」
担任の言葉に耳打ちをし、それが済むと歪んだ笑みを浮かべる男。
「そうだ、こうしましょう。自分も常々この学園に転入して来た生徒に興味が有りましてね……何でもそれは、マクスウェル教授の一存で決められたとか……」
そう言って観客席のウェルへ視線を送るA組の担任。
「流石は英雄パーティの一員。この由緒正しき崇高な魔法学園に、どこの馬の骨とも分からない子供を独断で入れてしまえるそのご慧眼……実に恐れ入ります」
言い回しがねちっこく、厭味ったらしい抑揚が耳障りだった。
「例えばそこの獣人……それもウェル教授のご提案だとか? 実に馬鹿馬鹿しい……魔法とは才能であり、素質の無い無駄は徹底的に排除するべきなのですよ」
規約とは何だったのかとウェルに目を向ければ、やれやれと言った感じで首を振り溜め息を吐いていた。
「そこで! 特別に我が魔法学園にふさわしいかどうか……どうでしょう、うちのエンギルと手合わせというのは―――」
「駄目!」
担任の言葉を遮るようにエリーゼが叫び、皆と同様に面喰らってしまう。
「駄目も何も、君に決定権が有るのかな?」
「それは……」
「この場には魔法帝もいらっしゃる……先の決断がどうか、見定めてもらえる良い機会でしょう」
「でも駄目! 危険過ぎます!」
A組の担任の言葉であの白髪の老人が魔法帝なのかと知る事が出来、そうであればウェルやカルーアが大人しく口を噤んでいるのも納得だろう。
確かに言われてみればどこか温かい全体を包むような不思議な違和感は、観客席の中央……かつてジャックが鎮座していたその場所から波となって漂い、まるで全てを見通すようなゆったりとしたリズムは特徴的な物だった。
「でも―――!!」
そうしたよそ見の最中にも言い合いは続いており、終わりの無い応酬に段々とむかっ腹が立ってくる。
勝手に決められ勝手に進められ、この話の内容が一向に見えない事も踏まえてエリーゼへ歩み寄ると、ローブの裾を持ってそのまま上へ―――
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