第十七話 ~真夜中の迷宮~

《第十七話 ~真夜中の迷宮~》


 夕方。


 奴隷少女の呪いを解呪し終え、黒猫の夜想亭に戻ると明日出発する事を提案して快諾される。


 元々資金繰りの為に寄っただけの王都は、その代名詞でもある迷宮へは結局数える程しか挑戦しなかったなと思ったりもしたが、この旅の目的はあくまで別……ルピナとグラムの事が最優先なのだから仕方が無い。


 そうして各々が準備をし、自室の片付けをしていると扉が叩かれた。誰かと思い開けると、そこには一人の少女が立っていた。


 深い緑色のケープを羽織り、それと一体になったフードで顔を隠し、頬のあたりから束になった銀色の髪が二つ……嫌な予感を感じつつ、無言のまま一枚の紙を差し出して来る。


 背丈は自分よりもやや高いくらいか、華奢な腕と細い肩が僅かに震えていた。

 二つに折り畳まれた便箋に目を通すと、案の定それは奴隷商人からの手紙だった。


「拝啓―――ゼロ様、ルピナ様。この度は誠に申し訳御座いませんでした。御二人に隠し立てをしていた事、今はただただ悔恨の念にかられております」

 丁寧な謝罪文の後に本題へと入る。


「御二人の事、新しく加わった御仲間の事、約束通り墓場まで持って行く事を誓いましょう。ですが、ゼロ様が御救い下さった少女……その子は私達にとって、とても大切な人物で有る事に代わりは無く、御慧眼あらせられるゼロ様ならばきっと御理解いただける事と存じます」

 ここまで読んでも未だ背筋に這い寄るモノは拭えない。


「奴隷から解放された少女……名を【カルーア】と言い、目覚めた後に事情を説明したところ、どうしても一度だけ御話をしたいとせがまれ、宿の場所を伝えてさせていただきました」

 約束即破りについては何も思っていないが、この後の文章に目を通すのが怖かった。


「仲間にするも別れるも全てはゼロ様次第で御座います。せめて御話だけでも聞いて下さいますよう、伏して御願い申し上げます―――敬具」


 要は好きにしてくれと言う事なのだろうか……最後まで目を通し、手紙を返すとそのままそっと、自室の扉を閉めた。


(ふぅ……)

 部屋の片付けに戻ろうと踵を返すと


「なんで閉めるのよ!!」

 勢い良く扉が開け放たれ、元奴隷の少女カルーアが叫ぶ。


 その声音は予想外というか何と言うか……一言では表しにくい濁声のような、鼻が詰まったような音色に驚いてしまう。


「……なによ?」

 そう問われた筈なのに声色のせいで「あによ?」と聞こえてしまい、少し舌っ足らずな所も有るのかも知れない……そんな事を思っていると


「どうしたんですか?」

 何時の間にか部屋の外にはルピナとリリリの二人が立っており、心配そうにこちらの様子を窺っていた。


「あ、さっきの子じゃーん! 来てくれたのー?」

 リリリはカルーアの姿を認めると嬉しそうに尋ね、小さい子をあやすように膝を曲げて覗き込んでいる。


「誰? あんたの仲間?」

 寝ていた時とは打って変わってその目は三白眼のようにじとりと開かれ、疑念の眼差しを向けて来る。

 そのまま頷くと先程の手紙を二人に渡し、読み終わるまで待つと


「えっと、どうしましょう……」

 そう言ってルピナが助け舟を求める。


(どうもこうも無い。明日には王都を出るんだ……放っておけばそのうち収まるだろ?)

「放っておけ……ですか?」

「えー、ゼロっちひどーい! こんなに可愛いのに!」

 そう言ってリリリは膝立ちになり、カルーアを抱きかかえる。


 美人……というよりは確かに愛嬌の有る顔立ちだとは思うが、それとこれとは話が別だ。

 例え相手が捨てられた子犬だとしても、今の自分にはそれより大事な事が有る。


「気安く触らないで! ほんっと人族って勝手よね……こんなのに助けられたりして、自分で自分が許せないわ」

 リリリの拘束を振り解き、高圧的に吐き捨てると片手で後ろ髪を靡かせるカルーア。ふんと鼻を鳴らして腕を組み、仁王立ちのまま睨み付けて来る。


「……でも、もう駄目かも……」

 そのまま後方へ倒れ込むのをリリリが受け止め、心配そうに顔を覗き込むと


「お腹、減った……」

 と、既視感を感じる言葉を発した。


「どうするんですか?」

 答えは決まっているとばかりにルピナは微笑み、その返事を待っている。リリリは目を回しているカルーアを心配そうに眺め、懇願するような眼を向けて来る。


(……食堂に行くか)

「はいっ!」

 一際良い返事をしてルピナとリリリが食堂へ駆けて行く。声が出たならば確実に舌打ちが出ただろう……が、腹を空かせているのもまた別問題なのだ。


 一階へ降りると既に注文は済ませたらしく、四人掛けのテーブルに着席しているルピナ達を見付ける。

 カルーアはまだ目を回しているのか、テーブルの上に上半身を預けて突っ伏していた。


 不機嫌そうに腰を下ろし、頬杖を突いて隣のルピナに背を向ける。横目でちらりとリリリを見れば、きっとルピナもこういう顔をしているのだろう……ニヤニヤと薄笑いを浮かべていた。


(なんだよ……)

「いいえ、別に」

 そう言ってルピナの手が頭の上に置かれ、一回、二回と優しく撫でられる。


「おや、お友達には会えたみたいだね。良かった良かった」

 テーブルに置かれる料理にがばりとカルーアが起き上がり、前のリリリと同じような反応で目の前の料理達を見詰めている。


「さ、たんとお食べ!」

 女将の言葉に居住まいを正し、目をつぶって食前の挨拶を済ませるゼロ。

 皿の上の肉にフォークを突き立てるとカルーアは未だ手を付けておらず、ルピナに促させて食事を始める。


「いいの!?」

 三人の顔を順番に眺め、本当に良いのかと眼で訴えるカルーア。その様子に優しく微笑み返し、ルピナとリリリが頷くとカルーアの瞳が最後の一人を捉える。

 しかしそれには目を合わさず箸を進め、淡々と食事を進めながら小さく頷く。


「気にしないで食べて下さいね」

「やったー! いただきます!」

 嬉しそうにナイフとフォークを高々と掲げ食べ始めるカルーア。

 しかし、その食事風景はリリリすらも足元に及ばない壮絶なものだった……。


 目の前に置かれた料理を平らげると傍らの葡萄酒を飲み干し、中央に置かれていた山盛りの麺料理を半分以上自身の取皿へと移す。


 一息で飲み込んだかと思えばそれは再び繰り返され、脇に置いてあったサラダやパンも瞬く間に消えて行った。

 そうした光景を見張っていたのか、女将が


「追加はするのかい?」

 と、すかさず売り込みに来るのでなるべく早く用意してやってくれと頼む。両頬をぱんぱんに膨らませたカルーアは幸せそうに咀嚼を繰り返していた。


「あー美味しかった!」

 食事が終わり、積み上げられた皿を見て絶句する。リリリも食べる方だと思っていたがそんなものは比べ物にならず、何十人前食べたのかすら見当が付かない。


 口元に食べかすを付け、上下に別れた若草色の衣服から丸々とした腹が飛び出ているのを見て、この後の支払いが怖くなった。


「本当に大丈夫かい?」

 女将の持ってきた伝票を見て再び絶句する。細かく記載された伝票は長く、最後に書かれた金額を見て戦慄した。


(金貨十五枚……だと……)

 夜想亭の料理は大変素晴らしく、値段もそこまで高い訳では無い。無いのにも関わらずこの値段なのだ……腹の中に魔法鞄でも入っているのでは無いか、そんな馬鹿な事を考えてしまうほどその金額は破壊力が有った。


「ま、まあまあ……ほら、四人での金額だし……」

 見れば食後のデザートまで頼んでおり、可愛らしい容器の上にはプリンや果物、生クリーム等がふんだんに搭載されている。


(まだ食うのか……)

 日々の食費が心配になるほどカルーアは幸せそうな表情のままスプーンを操り、目の前のプリンへ取り掛かっている。当然自分もそれを頼んでは居るのだが、それにしてもこの金額は……。


 何時までも女将に心配させる訳にも行かないので立ち上がり、カウンターへ行くと支払い用に冒険者証を手渡す。


「毎度あり! しっかしよく食べる子だね……見ていてこっちまで嬉しくなっちまったよ!」

 食べ過ぎだとも思うが再度伝票を確認し、一人で金貨十枚以上を平らげているのを見て再び戦慄した。


 席へ戻ると三人は食事を済ませており、優雅に茶を啜っていた。

 リリリはカルーアの髪を弄っており、ヘアゴムで前髪を結いて額を丸出しにして遊んでいる。


 幼い顔つきが一層幼くなってしまい、つるんとしたおでこが少し可愛らしい。

 物欲しそうにカルーアは残っていたデザートを見詰めていたがそれを無視し、一息で食べ終えると片手を差し出す。


(金貨十枚だ)

 用意されていた熱いお茶を飲みながら、ぶっきらぼうにそう告げた。


「お金、だよね。今は無い……」

 先程までの表情から一転して、口ごもりながら俯くカルーア。


「えっ、いーよいーよ! お金ならあーしが―――」

 そこまで言うとルピナがそれを遮り、口元に人差し指を当てて片目をつぶる。心を読まれるというのは本当に、こうした時に不便だと思った。

 湯呑を置き、カルーアに向き直ると


(なら稼げ。C等級の冒険者なんだろ?)

 その言葉を聞いてカルーアに笑顔が戻ると


「うん!」

 そう言って満面の笑みを浮かべる。先程までの剣幕は鳴りを潜めており、そういった素直な態度は好感が持てるものだった。


 場所をルピナ達の部屋へと移し、互いの自己紹介を始める。各々好き勝手に座っており、改めて各人の役割や出来る事、出来ない事の把握をする。


「ゼロが前衛、ルピナが魔術師、リリリも魔術師寄りの中衛……ね?」

 一人ひとりの名を呼び確認すると、それに応えて頷き返す。それが終わるとカルーアが立ち上がり


「先ずはご飯をありがとう」

 そう言って深々と頭を下げて来る。髪型も体型も元通りになっており、粛々と自己紹介が始まった。


「私の名前はカルーア。人族風に言うならダークエルフのC級冒険者よ」

 ふふんと鼻を鳴らし、髪を靡かせる。腹が膨れて調子を取り戻したのか、誇らしげに言い放つ様はなんとも高圧的で少し鼻につく。


(なんでも良いさ。金を返すアテは有るのか?)

 それを伝えようとルピナがカルーアの手を取ると


「だから気安く触らないでよ! 何なのほんとに、もう!」

 と一蹴されてしまう。触れられるのが嫌なのか、誤解を解こうと説明すると


「ああ、そういう事ね……って、だったらそれよりも良い方法を教えてあげるわ」

 そう言って目をつぶり、腕を組んでは何やら頷き始めるカルーア。


 悪戯心でも芽生えたのか、リリリはその隙にカルーアの前髪を再び縛り上げ、つるんとしたおでこと皺の作られた眉間が露わになる。


『やめんか!』

 突然頭の中にカルーアの声が響いたかと思うと、怒りのままヘアゴムを床に叩き付ける。


(凄いな……これがお前の魔法か?)

「魔法……ね」

 質問を溜息混じりに返され、何やら含みを持たせるカルーア。


「これは私の魔法じゃないわよ。そこのもじもじ女、ルピナの魔法でしょ? 私が教えたのはもっと基本的な事よ」

 何て事は無いと言わんばかりにカルーアが説明すると、要は肉体で触れる代わりに魔力で触れているのだと言う。


 もっと扱いを覚えれば視界に捉える必要すら無く、直ぐにでも意のままに操れるようになるべきだと忠告された。


「あんた達の事は分かったけど、そんなんじゃみんな死ぬわね」

 どこぞの占い師みたいな事を言い出すカルーアだが、その言葉には不思議と説得力が有った。


「私達エルフは皆、魔力を視る眼が有る。それで大体の強さや、次の行動を予測出来たりするんだけど……」

 そう言って皆の顔を見回すカルーア。


「もじもじ女は合格ね。私と同じ、C級くらいにはすぐになれるわ」

 そう言われて嬉しそうに笑顔を向けるルピナ。


「あんたは……なんか良く分からない」

(分からない?)

 頷くカルーアが言葉を続ける。


「魔力っていうのは生まれつき変わらないから、里の長老連中は人を色で見たりしてるの。でも、あんたの場合はなんだろう……部分部分で違うのよね」

 そう言われ、それと同時に胸の辺りが少しだけ温かくなる。


「纏められれば凄いとは思うけど……だから分からない」

 そう吐き捨て、くるりとリリリに向き直ると


「あんたは駄目。まるで話にならない……どこか平和な世界からでも来たの?」

 と、厳しく言い渡した。


 互いの素性や王都での出来事を話し、それについて腕を組みながらうんうんと頷くカルーア。


「勇聖教の人間がこの場に居るって事が怖すぎるんだけど……本当に大丈夫なんでしょうね?」

 先程まで強気だったカルーアが少し怯えており、勇聖教と聞いただけで緊張感が増した気がする。


 しかしそこはルピナの事を信用してもらうしか無いだろう。確証だけで言うのならばその一点しか無いのだ。


「それにしても異世界人と転生者か……不思議な事も有るもんね」

 再び納得したようにうんうんと頷くカルーアの側で、沈み込んでいるリリリに気付く。


(気にしてるのか?)

「うん……弱いのは分かってるけど、今まではっきりとは言われなかったから……」

 自覚しているだけまだマシだと思うのだが、話を聞く限り戦闘を他人任せにしていては伸びる部分も妨げられるのは仕方の無い事だと思う。


 上司や先輩に恵まれなかったと諦め、切り替えてからやれる事を増やせれば良いとは思っていた。


 時間は掛かるだろうが、一人で行きていく……にはタマちゃんの助けが有るので問題無さそうだが、居ない時の状況も踏まえてそれなりの戦闘は経験しておくべきだろう。


「ゼロっち……普段は何も言ってくれないのにそんな風に考えてくれてたの?」

 まだ思考が繋がったままだったのかと迂闊な自分を戒めた。


「ゼロっちー!」

 飛び掛かるリリリの顔を片手で受け止め、そのままベッドへ放り投げる。その様子を微笑ましく見守っているルピナを睨み付け、普段は筒抜けにしないでくれと頼む。


「ま、そんな訳だから私を仲間にすれば色々とお得って事。亜人領もある程度なら分かるし、そこのミノ乳女が力を付ける迄でも良いわ」

 ミノ乳……きっと何かの比喩だろうが、深く考えないようにしよう。


 カルーアの提案は魅力的なもので有る事は間違い無い。自分達と同等、もしくはそれ以上の戦力を加えられれば今以上に懸念する材料は減るのだろう。


 しかしそれ以上に危惧しているのは目の前の少女……カルーアの目的だ。


「目的ね……一番は強くなる事よ」

(強く?)

 ゼロの言葉に頷くカルーア。


「強くなって、私から姉様を奪った人間を探し出す……それが目的」

 その眼には固い決意が見られ、めらめらと怒りの炎が具現化する。


「幸せなら良い……でも、もしも不幸せだと言わせたなら―――」

(言わせたなら?)

「必ず殺すわ」


 どれほど憎んでいるというのか、部屋の温度が急激に下がるほどの殺意を間近で感じ、そこに恨みの深さが窺い知れる。


(拐われでもしたのか?)

 ゼロの言葉に首を振るカルーア。


「冒険者で同じパーティだったから普通に求婚されて、普通に結婚したらしいわ。私も風の噂程度しか知らないけど、魔王はとっくに倒されたって言うのにね……」

 その言葉にリリリが飛び起きる。


「魔王って倒されちゃったの!?」

 素っ頓狂な声を上げ、カルーアからの言葉を息を呑んで見守るリリリ。


「倒されたって言っても代替わりするだけよ。今はもう違う魔王が統治してるんじゃない?」

 魔族領についても見識が有るのか、何でも無い事のように吐き捨てる。


「良かった……それじゃーまだ地球に帰る希望は残ってるんだ……」

 その言葉を聞いてがばりと立ち上がる。


(帰れるって、地球に……? 本当なのか!?)

 リリリの肩を掴み激しく揺さぶる


「ちょっ、痛いってゼロっち」

 その言葉にハッとし、掴んでいた肩を放すと謝罪の言葉を述べる。


「良いけどさ、女の子はもっと大事に扱わないとだよ?」

 あくまで子供扱いのスタンスは崩さないつもりか、年上ぶった口調でリリリが咎めて来る。


「勇聖教の偉い人に言われたんだよね……私達が強くなる目的、それは魔王を倒す為だって」


 リリリの話によれば魔王を倒せば地球に帰せるだけの準備が整うらしく、勇者召喚によって招かれた異世界人達は皆、それを最終目標と見据えて研鑽を積んでいるらしい。


「盛り上がってるところ悪いけど、魔王を倒したのは異世界人じゃないわよ。あいつらぐらいじゃ、魔族領にすら辿り着けないでしょうね」

 対峙した経験があるような口振りのカルーアに驚く。


 考えてみれば見た目で分かりやすい亜人なのだから当然かとも思うが、今ここにこうして無事で居られるという事は相応の強さを兼ね備えているのだろう。


「ま、そんなつよつよな私でも? 単独B迷宮攻略はちょっとやり過ぎだったかもね……」

 呪いの事を言っているのか、俯いて自身の行いを嘆く。


「それで、返答は?」

 腰に手を当て、前屈みになると覗き込むような姿勢で挑発的な視線を投げ付けて来る。


 ルピナとリリリは一人の少年を見詰め、その先の言葉をじっと待っている。深い溜息と共に、厄介事を増やす事と戦力の増強を秤に掛けた。


 亜人領に無事辿り着けたとして、そのままルピナの故郷の情報やリリリの定住先が確定した場合、当初の予定通り自分一人の行動になるだろう。


 魔法帝国の人物に会う条件が何なのか、それは未だに不明なままだがルピナは頼み込めば教えてくれるだろう。先日の剣幕から見ても、むざむざと見殺しにはしない筈だ。


 タマちゃんですら分からない事を探し出すのは至難の業だが、もしかしたら質問の仕方が悪かったのかも知れないと思い、辿り着くまでには手掛かりだけでも入手しておきたいところだ。


 カルーアが居れば多少はそれも楽になるのだろう。亜人領に留まらず魔族領や他国の事、魔法や戦闘経験についても豊富そうだと窺える事から、もしかしたら年齢は見た目よりも大分上なのかも知れない。が、しかし―――


(却下だな)

「なんでよ!」

 テーブルを叩き立ち上がるカルーア。その表情は怒りと驚きが混じったような、何とも言い難いものをしていた。


 これほどの好条件ならば絶対に承諾してくれる、そう高を括っている奴の鼻っ柱をへし折るのは痛快で、予想通りの反応で笑いそうになってしまった。


(理由は二つ……一つは目的が曖昧過ぎる事。強くなりたいならなれば良いし、復讐とやらも勝手にやってくれれば良い。俺達には関係無い)

 一切の慈悲が無い、無情な言葉が流れ続ける。


(もう一つは強さ……本当ならそれで良い。が、嘘だった場合は不利にしかならないって事だ。大体子供の冒険者でC等級なんて―――)

「ゼロさん!」


 呆れたような口調で淡々と話すゼロをルピナの声が遮った。驚き目を見開くと更に驚きの光景が展開されている。


 両手をぐっと握り締め、直立不動のまま俯いたカルーアが涙を流していた。唇をぎゅっと結び、ぷるぷると肩を震わせている。


「ゼロっち!」

 その様子にリリリも責めるように睨み付け、得意気に御高説を垂れ流した自分を後悔する。


(泣くのは、反則だろ……)

「泣いてない!」

 そう言いながらも未だぽたぽたと床に落ちる雫たちを眺め、再度大きな溜息を吐く。

 徐に後頭部をがしがしと掻き、諦めたように両手を挙げた。


(分かった、俺の負けで良い)

 そう言うとルピナとリリリに漸く笑顔が戻り、カルーアに向けて良かった良かったと言葉を掛ける。


 先程まで泣いていた烏が涙を残して笑っていたが、すかさずそれに水を差す。


(喜ぶのはまだ早い。さっきの話に戻る事になるが、二つばかり聞きたい事が有る)


 はしゃぐのをぴたりと止め、示した二本の指を凝視するカルーア。どんと来いとばかりに目に力を入れ、少し上目遣いに次の言葉を待っている。


(一つはそうだな……例えば仲間が賞金首の盗賊に襲われていたとして、それを助けるには相手を殺すしか無い……そんな状況だったら、お前はどうするんだ?)

「殺すわよ」


 間髪入れずに即答するカルーア。その答えはそうであれば頼もしいと思う反面、この世界の過酷さを如実に表しており悲しくもなる。


「違うの? だってそれしか無いんでしょ?」

 その言葉に首を振り、何も違わないと返す。


 亜人種であればリアモで聞いたような亜人狩りや、種族に依る迫害なども有るのだろう……そういった命の危険という点では、自分達よりも遥かに苦労が多かったのだと……その一言は余りにも大きい。


(二つ目は強さの証明……手合わせでも何でも良いが、何か案は有るか?)

 その言葉に耳をぴんと立て、嬉しそうに笑顔を作るカルーア。


「そういう事なら迷宮ね! そこで見せてあげる!」

 意気揚々と言い放つ様によほどの自信が垣間見える。時刻は九時を少し回り、次第に夜も深まるというのにカルーアは腰の後ろの魔法鞄から武器を取り出し、粛々と準備を進める。


 取り出した武器は長剣と手甲。長剣は自分が身に付けている物よりも細身で、鍔の部分に飴細工のような装飾が施されていた。


 手甲は上半分を覆った金属製の物で、どうやら肉弾戦用の物では無さそうだと思う。両端には木の枝が取り付けられ、中央に宝石が埋め込まれていた。


「今から行くんですか?」

(……らしいな。残っていても良いんだぞ?)

 危なくなったら帰ってくると付け加え、自身も準備に取り掛かる。


「行くに決まってます! 今日のゼロさんは……なんだか少し、意地悪です」

 ふくれっ面のルピナはそう言うと、頭から湯気でも出す勢いで魔法庫から道具を取り出し準備を始める。


 リリリに目を向ければ覚悟を決めた表情で頷き、同様に準備を始めた。


(準備が出来たら宿の入口に。先に行って食堂で何か作っておいてもらうから、ルピナは補充を頼む)

 分かりましたと元気な声を背に受け、自室に戻ると装備を整えた。


 夜の王都はそれなりに寒く、着の身着のままだと体が冷えて行くだろう。

 季節は冬……万年春のような陽気のこの世界では気温の変化もあまり無いのだが、流石にこの時期に外套無しでは出歩く気にならない。


 夜空を見上げ、そこに浮かぶ二つの月を見ていると少しだけ、ほんの少しだけリアモの街を懐かしく想った。


「お待たせしました」

 声に振り返ればそこに佇む三人の冒険者。


 ルピナとリリリはローブを着込み、カルーアは動きやすさ重視の為か先程迄の服装と変わりは無い。


 素肌の上には黒い薄手のインナーと、深緑のケープコート。胸当ては革製で、丈の短いズボンには腰帯が二重に巻かれている。


 コートと同じ色のブーツは膝下までと長く、そこから上に膝当て兼用の厚手の布が、腰からのガーターで留められていた。


(行くとするか……)

 ほぼほぼ自分のせいなのだが、昼間の騒動で感情の昂りを自覚していた為、夜中に抜け出してでも発散するべきだとは考えていた。


 それが酒なのか娼館なのか、はたまた迷宮なのかは決めていなかっただけに、この提案は渡りに船と言えるだろう。


 合流するとカルーアは少し駆け、先頭を歩き出す。軽快な足取りが王都の夜を踊り、辿り着いた先は王都のC迷宮だった。


 衛兵に各々の冒険者証を提示すると居れてくれるか不安だったが、攻略済みの引率者が一名という事ですんなりと入場出来た。


 そういう経緯も有ってカルーアは何時もの調子で鼻を高くしていたが、攻略したのは別の迷宮……油断はするなと注意する。


「うるさいなぁ……別に平気よ。私はあんた達みたいに、群れるだけの人族とは違うんだから」


 この起伏の激しささえ無ければ好感が持てるのだが、それもまた持ち味だろうか……大言壮語にならなければ文句は無い。それに―――


「人族はミノ乳女だけなの……?」

 迷宮の通路を進む中、互いの種族について説明すると


「ま、亜人なんて結局両親どっちかの特徴が出る訳だし? あんた達は偶々、人族の方が強く出たんでしょうね」

 それが当然とばかりに平然と言ってのける。


 そうなるとリュカはどちらなのだろうか……魔法の素養は有ったと思うが、外見は人族のそれと変わりはしない。


 強いて言うなら多少顔付きが幼かったくらいだろうか……常に若々しく有る、この世界のエルフという種族の特徴は出ている気がした。


「それじゃ、ちゃっちゃと進むわよ……のんびりしてたら夜が明けちゃうからね」

 そう言うとカルーアは片手を胸の前で軽く握り、何かを念じるように詠唱を始めた。


 短く呟かれたそれは歌うように、今まで聞いたどの言語とも合致しない。強いて言うならば魔道具屋の店主の呪文に似ていたが、調子や音階が付くと別物に聞こえた。

 不思議と懐かしい音色に心が落ち着き、それが終わると


「あんた達に今、補助魔法を掛けたから有難く思いなさい」

 そう言って鼻を鳴らすカルーア。

 別段変化が感じられない事に怪訝な表情を浮かべていると


「あんただけは別。理由は分からないけど、精霊が怯えてるから自力でどうにかしなさいよね」

 と、どうやら意地悪でという事は無く原因不明の現象が起こってしまったらしい。

 あれほど呼ばれていたかつての名に、嫌われてしまうのは少し悲しい気分になった。


 王都のC迷宮はこれまでの構造とそこまで違いが有る訳でも無く、見慣れた薄暗い通路を只管に走る。

 これまでと違うのはそれぞれ一足飛びで、飛ぶように駆けていられるという事だろう。


 補助魔法の威力は罠や怪物の攻撃をものともせず、多少の攻撃なら全て弾き、無効化してしまう。


「前方に敵、複数です!」

「ぅ分かってるっての!」


 ルピナの言葉にカルーアが吼える。床、壁、天井と縦横無尽に駆け、敵陣のど真ん中に突っ込むと小型の尖兵達をなぎ倒した。


 流れるような剣技と周囲に巻き起こる爆発は見事な物で、後詰めが迫り来ると躊躇う事無く一瞬で離脱する。

 まるでそこを攻撃するのが視えていたかのように、後方からルピナとリリリの魔法が炸裂した。


 全身に満遍なく魔法を浴びせられた大型の怪物が怯むと、そこに大剣を叩き込み後方の怪物を諸共、巻き込みながら弾き飛ばす。

 通路の奥に消えたかと思うと直ぐ様爆発音が鳴り響き、暗闇の中から生温い風が突風となって全身に降り掛かった。


 ルピナがやったのかと振り向くと首を振っており、隣に着地したカルーアが自信満々に笑顔を作っていた。


 確かに言うだけは有る……それは認める。だがしかし、それ以上にこの戦闘力ならば別の懸念が生まれるのは必然だった。


「どう? 少しは認めてくれたかしら?」

 お決まりのポーズで髪を靡かせ、本当に忙しい奴だと理解に苦しむ。


 先程から既視感に苛まれていた訳だが、何度目かの同じやり取りに漸くリナリーと似ている事に気付いて吹き出しそうになった。


「なによ?」

 後ろを見ればルピナも笑うのを我慢しており、どうにか平静を装って返事をする。


「ま、良いけどね」

 不思議顔のカルーアを筆頭に、再び進軍を開始する。


 順調に各階層主を撃破し続け時間が過ぎていくと、今までと異なる雰囲気の階層へ降り立つ一行。


 第八階層へ続く階段も終わりに近付くと靴の裏にじゃりじゃりと、砂を踏む感触が増えて行く。それもその筈、第八階層は灼熱地獄……今までの階層とは異なり、F迷宮で降り立った階層と同様の構造をしていた。


 眼前には広大な砂漠がどこまでも続き、頭上には太陽が燦々と輝いている。砂山は隆起に富み、植物の類は一切生えていない。


 灼けた砂の上に一歩を踏み出せば熱気が立ち昇り、これまで快適に過ごして来た体には少々酷だった。


「あっつーい!」

 そう言うとリリリはローブを脱ぎ、中に着ていた上着類も放り投げる。


 その尽くを回収すると、ルピナも同様にローブを脱いでおり軽装へと着替えていた。


「これは……少し予想外だったわね……」

 強化魔法を使用していても堪える物が有り、ここまで息切れ一つしていないカルーアですら片手で顔を扇いでいる。


「ゼロさんは大丈夫ですか?」

 ルピナの声に頷き、外套を脱がずに歩を進める。


 見た目は暑苦しいだろうがそこまで辛くは無く、頭部はじりじりと熱くなっていたが外套の中は終始風が通り抜けており見た目よりも大分涼しいのだ。


 加えて口元を余った布で覆えば、急に吹いた砂嵐にも難無く対応出来る。


「いいなー……あーしも今度作る時は、絶対に、そういうのにするんだ……」

 目の前の砂丘を息も絶え絶えに登りきり、登頂に成功すると眼下には円形に窪んだ戦闘場が用意されていた。


「ボスの場所……ですよね?」

 あからさまな形状にルピナが呟き、ここまで怪物に襲われないところを見ると相当な大きさだろうと予測出来た。


 巨大スライムですらあの大きさ、あの人数で取り掛かるべき怪物だという事はここの階層主は―――


「来る!」

 カルーアが短く叫ぶと音を立てて砂漠が動いた。

 窪みに飲み込まれるように遠方の砂丘は形を崩し、直後に巨大な蠍の怪物が姿を現す。


 体表は赤黒く両手に大きな鋏。尾は天に向かって聳えており、埋まっていた深さを物語る大量の砂粒が体から滑り落ちていた。


 それはこれまで戦ったどの怪物よりも大きく、離れて見ているからこそ全貌が視認出来るもので、まるで一つの小山が動くかの如く地響きと轟音を響かせながら一歩……また一歩と歩を進めていた。


 未だ戦闘状態になっていないからこそ呑気に砂丘の上から観察を続けていられるが、不意に階層主の尾が天に向かってぴんと伸びると足元に大きな影が出来る。


(逃げろ!)

 頭上に突如出現する巨大な岩の塊。音も無く落下して来るそれは数秒後にはここへ落下し、砂丘ごと自分達を押し潰そうとしていた。


「うわっ、うわわわっ!」

 先程の一言でルピナとカルーアは撤退しており、逃げ遅れたリリリを抱えて空を蹴る。


「あ、ありがとーゼロっちぃ」

 半泣きの顔で礼を述べられ、両腕に力を込めてしっかり掴まれと伝える。

 ちらりと後方を確認すると幾らか余裕は有りそうなので、着地後に身を屈めると衝撃に備える。


 巨岩の落下が終わるとその衝撃波が砂を巻き上げ周囲に広がり、熱波と砂の暴風が襲い掛かる。


 フードを被り砂丘の影に身を隠し、薄着のリリリを外套の中に匿い嵐をやり過ごすと、暫くしてルピナとカルーアの二人が合流する。


「うえー、まだじゃりじゃりするー」

 舌を出し、先程の攻撃のせいかリリリは口中の砂を何度も吐き出していた。


 二人とも上手いこと回避出来たようで、同様に頭から砂を被ってはいたが目立った傷は見受けられない。


「一旦引きませんか?」

 ルピナの提案に意義が有る訳も無く、入り口の階段まで戻る一行。階段を半分ほど進めば暑さも収まり、休憩がてらこの後の行動を考える。


「どうぞ」

 木製のコップに飲み物を注ぎ、ルピナが各人に配って回る。それを飲みながらどうするべきか考えるが、正直な話まともにやりあいたくは無いと思っていた。


 そもそもこの人数で挑む事が間違いなのだ……流石はC等級、規模が段違いだ等と考えていると


「あら、随分と弱気なのね?」

 そう言ってカルーアが挑戦的な視線を向けて来る。


(別にそういう訳じゃない。お前の強さはここに来るまでで把握出来たんだ……無理をして倒す必要は無いって事を言っている)


 何でも無い風に言ったつもりだったが語気が荒くなってしまい、その様子を眺めていたルピナが声を殺して笑っていた。

 どうにもカルーアと話すと調子が狂ってしまい、子供染みた口論をしてしまうのを自覚していた。


「そう。それならそこで指を咥えて見てると良いわ……私は、こんな所で止まってられないもの」

 飲み物の礼を告げ、カルーアが歩き出す。


 激戦は必至になるであろう相手に立ち向かう様は勇敢だとも取れるが、勝算が無い戦いをする程の馬鹿では無い筈だ。

 何か奥の手や、そういった物が有るのか……思案していると心配顔のルピナが


「どうしましょう……」

 と、心配そうに呟いた。


(……帰るか)

「ゼロっち!」

 本気で言っているのか……まるで責めるような目をリリリに向けられ、予想通りの反応に溜息を吐く。


(冗談だ……けど、そう言うからにはきっちり働いてもらうぞ?)

 覚悟の大きさを推し量るように視線を向けると、緊張した面持ちで唾を飲み込むリリリ。


 カルーアの後を追って再び砂漠へと降り立つと既に戦闘は開始されており、遠方から剣戟の音が聞こえて来る。

 砂丘の上から見渡せばカルーアは上下左右に疾走し、その体の周りは緑色の靄で覆われていた。


 何かしらの魔法なのだろうが、この場合は機動力の増幅……そう言った物なのだろう。解説役が欲しい所だと思った。


 暫く観戦していたがカルーアの狙いは両手の鋏のようで、右鋏に狙いを絞って同じ箇所に刺突を繰り返していた。


 近付けば剣技、離れれば魔法と言動からは考えられない丁寧な戦い方に、見守りながらも勉強になるなと感じていた。


 一方の階層主は的が小さい為かまだ余裕が有り、蚊に刺された程度のダメージでは怯みもしない。攻撃は大振りで単調……付け入る隙が有るとすれば、そこしか無いだろう。


(我慢しろ。どうしようも無くなったら助けに入る)

 ルピナとリリリがまだなのかと目で訴えて来るのでそう返す。

 そして転機は訪れた―――。


 何度目かの刺突を関節の隙間に差し込み、そこへ至近距離から魔法を流し込むと漸く分断されるのを確認し


「やった!」

 と、小さく喜びの声を上げるカルーア。


 落下の衝撃で巻き上がる砂埃が周囲に立ち込めると、それを掻き分けて残りの鋏が襲い掛かる。

 絶体絶命の窮地に立たされ、一撃を覚悟して防御態勢を取ると轟音と共に鋏が吹き飛んだ。


 目の前には件の少年。襤褸の外套を身に纏い、片手に大剣を携えて佇む様はあの日のあいつと―――


(大丈夫か?)

 肩越しに問われ、ハッとして頷くカルーア。


 先程とは違い力強さが増している……見た目にもそれは現れ、幾重にも重なった魔力の渦が混沌としながらも燦然と輝いている……そんな矛盾だらけの美しさに、カルーアは思わず見惚れてしまった。


(最後は任せるぞ)

 そう言われ無造作に水薬の瓶を投げ渡される。階層主が奇声を発し、地中へ逃げ込む素振りを見せると忙しなく動いていた脚を複数の黒い鞭が縛り付けた。


「ゼロっち、早くー!」

 見ればそれはリリリの手から伸びており、ぴんと張っている帯には大量の魔力が含まれていた。


 それに抗うように階層主も負けじと脚を動かすが、次第にその動きが鈍くなって行く。

 遂には業を煮やし、尻尾を高く翳すとそこを待っていたかのようにゼロが飛び上がった。


 空中で鋭角に曲がると尻尾の中程を目掛けて跳んで行く。出鱈目な魔力が大剣に集まり、自身の使っている魔法と酷似した物が再現されると一切の抵抗なく尻尾が切り落とされた。

 その瞬間、皆の視線が一箇所に集まりそれを受け取ったカルーアが飛び上がる。


「言われなくても……やってやるわよ!」

 張り切り勇み、上昇中に最大の一撃を放つべく徐々に魔力を解放する。


 死の大地に深緑の香りが立ち込めると、突如として右手に現れる巨大な弓。腕部の枝が変化し、それは捻れて纏まりそこへ自身の細剣を番える。


 上昇が終わり、僅かな滞空時間に狙いを研ぎ澄ますカルーア。肉眼で確認できる程の魔力は今にも弾けそうにぎちぎちと音を立て、どうにかそれを必死に抑え込む。


(駄目……狙えない……!)

 そんなカルーアの思惑を察知したのか、残った鋏で頭部を守る階層主。放つべきか否か……二の矢が無い事を残りの魔力から感じ取り、これで決めなければ後がない……そう思っていると、突如として鋏が切り落とされた。


 後方からの攻撃に視線を向ければ少年は微笑み、握り拳を突き出している。その思いを受け取り、階層主の脳天へ残りの魔力を注ぎ込んだ一矢を射出した。


「いっけぇぇぇ!!」

 皆の声が重なり、その想いに呼応するかの如く放たれた矢が虹色に輝く。


「貫け、天星弓!」

 迫り来る頭上からの攻撃に逃げようと足掻くものの、それをさせまいと最後の踏ん張りをみせるルピナとリリリ。


 煌めく矢が脳天を貫通すると音も無く消失し、接地の直後に天へと昇る光の柱を出現させる。それは暫くの間続き、光が収まると蠍の怪物も同様に消失した。


「終わっ、たぁ……」

 それを見届け力無く落下すると受ける筈の衝撃は訪れず、代わりに少し頼りないが優しい腕に抱かれ、遠いあの日を思い出して眠りに就いた。


 王都C迷宮攻略後、迷宮核のフロアへと進むと案の定特典は受け取れず、また不思議な光に包まれる事も無かった。

 その代わりという事なのか、部屋の奥には赤い宝箱が置かれており硬貨がぎっしりと詰め込まれていた。


 帰り道は案の定階層主との戦闘は無く、タマちゃんのナビゲートやルピナの魔法のお陰で難無く帰る事が出来た。

 先の戦闘で分かった事だがリリリも腕力や持久力が等級以下という事も無く、帰り道の間ずっとカルーアの事を抱え続けていてくれて助かった。


 夜想亭に帰ると時刻は午前二時を回っていたが、各々が順番にシャワーを浴びカルーアの処遇に悩む。

 とりあえず一晩寝かせる事で女将にも了承を得たのだが、どこに寝かせるかが問題になってしまう。


(床に寝かせておくか……)

 厚手の布でも敷いておけば良いかと思ったのだが、女性陣から非難の嵐を受ける。


「ゼロさん、それは幾ら何でも酷すぎますよ?」

「そーだよゼロっち。カルちゃんすっごく頑張ったのに……」

 冒険者なのだからそれぐらいで問題無いと思うのだが、一旦カルーアはリリリ達の部屋に寝かせると言う。


 就寝の挨拶を交わして自室に戻ると装備の手入れをし、漸く心を落ち着かせるとベッドに潜り込む。


 明かりを落とすと窓からの月明かりのみになり、薄暗い部屋で寝返りを打つ。

 王都に来てからどうにも問題が多く、この街は自分には合わないなと早々に出て行く事を望んでいた。


 人との関わりは大事だ。それは分かっている。しかしそれ以上に不安は募り、何時しか自分の手に負えない事が出来てしまうのでは無いか……そんな先の見えない不安に苛まれるのだ。


 なるようにしかならないのは分かっていても、就寝前の時間はどうしても考えてしまう。そんな不安をせいぜいルピナに悟られぬよう、気持ちを落ち着け目を閉じた。

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