第十六話 ~奴隷契約~

《第十六話 ~奴隷契約~》


 声が聞こえた。

 懐かしくも有り、悲しくも有る悲痛な声は、ただ只管に助けを求めている。

 まるでこの世界に始めて来た時のような、そんな一時に意識を向けてしまい眠りから覚醒する。


(……暗い?)

 眼前に広がる暗闇に顔を離して確認すれば、そこには二つの双丘が置かれていた。


 呑気に寝息を立てるルピナを眺め、もう少しだけ微睡みを楽しむべく寝返りを打つと

(ん?)


 背中に違和感を感じながら無理やり確認すれば、そこにもリリリの胸がでんと置かれている。

 今にも衣服からはだけそうな大きさのそれは、ルピナの物よりも幾らか大きい。


「ん、んん……」

 扇情的な声色で寝言を漏らしながら、口元からだらしなく涎を垂らしているところを見ると食べ物の夢でも見ているのだろうか……平和な光景にすっかり毒気を抜かれ、怒りのままに二人の胸を鷲掴みにして起き上がる。


「いた、痛いです……」

「あにするのぉ……」

 流石に起きたかと思いきや、むにゃむにゃと口篭らせては再び眠りに落ちて行く二人。

 大きな溜息を吐き、静かにベッドから脱出すると薄い毛布を掛け直してやる。


「ゼロしゃん……」

「ゼロっちぃ……」

 今まで寝ていた場所に向かって二人が唇を突き出し、本当に何もなかったのだろうかと不安になる光景を前に頭を痛める。


(……よし)

 毛布越しに体を寄せてやれば眠ったまま獲物を求め、互いの腕が互いの体をまさぐり出していた。


「あっ、ちょっ……」

「ん、ああっ……」

 盛り上がってきたのか、次第に寝言が官能的になったので外に出る。やはり寝床や寝具は別々にした方が良さそうだと思った。


 今日も今日とて王都の外を走り、人目に付かない場所で筋トレや素振りを行う。

 昨日の傷は跡形も無く、鏡で確認はしていないが調子を見て安堵する。


 宿に戻ると二人は既に自室から姿を消しており、無事に起床できたのか静けさを取り戻している。

 浴室を借りるためルピナ達の部屋を訪ねると、もじもじと居心地が悪そうに顔を背けられた。


 そうして朝の準備を全て整え、朝食の際にも二人は気不味そうにしていたが特に何を言うでも無く放置を決め込む。

 何が有ったのかは、二人の顔から推して知るべしという所だろう。


「さて、呼び出して悪かったな」

 冒険者ギルドを訪ねるとシェールの部屋へと通され、背の低いテーブルを挟み対峙する四人。

 シェールは相変わらず凛としており、盗賊団の事について淡々と文書を読み上げる。


「―――よって、ここに功績を称して金貨三百枚を支払うものとする」

 読み上げは聞き飛ばしていたが最後の文面だけはそういう訳にもいかず、驚き目を丸くしてしまう。


「どうした? 不服か?」

 シェールの言葉に首をぶんぶんと振り、不服も何も釣りが出来てしまう事に喜ぶ。


「首は全部で十二……そのどれもが平均で金貨十枚程だ。それに加えて未発見の場所や、怪物の魔石……あれはB等級の物に相当する」


 疑う訳では無いが、あれでB等級なのだとすれば今回は助かったと言うべきだろうか。

 グラムの話ではその辺りから怪物にも変化が見られ、えげつない攻撃を使用するらしい事は頭の片隅に置いてある。


 今回は単純に力押しで向かって来たから良いようなものの、それ以外の対抗手段はそろそろ用意しておいた方が良いのかも知れない。


「さて、それでは報酬だな……三等分で良いのか?」

 シェールの言葉に頷くと

「えっ、あーしはいいよ! 今回はその、二人に迷惑掛けてばっかだったし……」

 そう言って口を尖らせ、視線を横に泳がせるリリリ。


「駄目ですよリリさん! これはみんなで受け取らなくちゃなんです!」

 ですよね。そう言ってルピナが微笑み、説得役を渡して来る。終わった事を後悔しても何もならず、それならばその業も等しく負うべきだと伝える。


「……ほんとーに良いの?」

 伺うような上目遣いに頷き

(勿論だ。誰が欠けても成し得なかったものだし、何より食費くらいは自分で稼いでくれ)


 毎食三人前くらいは食べそうなリリリにそう告げると、むきになって怒るあたり自覚は有るのだろう。

 冒険者証をシェールに手渡し入金を済ませると、残高を確認し大きな前進を果たす。


「次からはあまり無茶をするな……逃げ帰って報告する事も、冒険者としては大事な事だぞ?」

 退室の間際に釘を刺され、それと同時に頭を撫でられる。その言葉に頷き、礼を述べて冒険者ギルドから出ると、建物の前に停められた豪華な馬車から一人の老人が降りる。


「お知り合いですか?」

(……ああ、昨日の夜にな)

 その一言で緊張が高まり、歩み寄ってくる執事に対し敵意を剥き出しにするルピナ。眼光は鋭く牙を剥き出しにし、およそ普段のルピナからは考えられない形相に尻を叩く。


「なにするんですか!」

(大人しくしてろ。今日は平和な話し合いらしい)

 昨夜のような不穏な空気は一切感じられず、恭しい態度に事の成り行きを見守る三人。


 目の前まで歩いて来ると再び頭を下げ、老執事が顔を上げる。相変わらずの眉毛の長さで目元は隠れ、蓄えられた口髭も相まって表情が読み取り難い。


「ゼロ様、ルピナ様、我が主ルペニ伯爵の命によりお迎えに上がりました」

 老執事の言葉に不快感を露わにするルピナ。


「……まだ殴り足りないんですか?」

 我慢出来なかったのか、表情はそのままに厳しく言い放つ。


「滅相も御座いません。昨夜は大変失礼致しました……お望みであれば、私の首など幾らでも差し上げましょう。ですから、何卒御足労賜りたく平に伏して御願い申し上げます」

 予想外の反応に困ったのか、ルピナがどうするのかと目で訴えて来る。


「エバンズ様も既に御待ちで御座います。どうか―――」

 老執事の言葉に僅かに眉が上がり、どうやら危険は無さそうなので頷く。


 二人には先に宿に戻るよう伝えると

「絶対駄目です! 私も行きます!」

「そーだそーだ! あーしの名前が無いけど付いて行くぞー!」

 と、勝手に決定されてしまい観念して馬車へ乗り込む。


 馬車の中は六人程が座れそうな広さで、金と赤を基調とした凝った内装をしていた。外観からも分かる程の豪奢な造りは、無意識にどこかを汚してしまいそうで落ち着かない。

 老執事は御者と共に御者台へ座っており、時折覗き窓から不便は無いかと問われるが問題は無い。


 リリリは初めての馬車だったのか、窓の外を子供のように目を輝かせ眺めている。ルピナは終始不安そうにしており、背負鞄を膝の上で抱えていた。


「一体どういう事なんでしょう……」

(さあな。ただ、エバンズが居るって事は悪くない話だと思ってる。昨夜みたいな事が起こらないとも限らないが……今回は大人しくやられるつもりは無い。だからそんな顔をするな)

 そう言って微笑むとルピナの顔にも笑顔が戻り、何時も通りの元気な表情を取り戻す。


 そうしてルペニ伯爵邸へ馬車が到着し、広い庭を悠然と一台の馬車が駆ける。

 玄関前に到着した馬車から降りると昨日とは違う心持ちのせいか、静かで厳かな空気が漂っている気さえしてしまう。


「どうぞ、お入り下さい」

 両開きの扉を御者の男と共に開き、最初に飛び込んできたのは赤い絨毯の両脇に控える使用人達と、その奥に佇む二人の男性だ。


 一人はエバンズ……そしてもう一人は、呼び付けた張本人のルペニ伯爵だろうか。白髪の頭髪を後ろで縛り、服装も貴族然としている事から間違いは無さそうだ。


 鞭打ちが行われた場所まで歩を進めると、こちらへ駆け寄ってくるルペニ伯爵。その形相に一瞬で身構え、戦闘態勢を取ると

「済まなかったあああ!!」

 と大声を上げ、滑り込みながら寝そべるように頭を下げられる。


 数歩分は有ったかと思われる滑走距離に、焦げ跡が出来ているのでは無いかと思うほど勢いのある土下座に、困惑の表情を浮かべる三人。


「ほっほっほっ……伯爵、それでは何も伝わりませんぞ」

 エバンズは愉快そうにそう言うと、こちらに向かって恭しく頭を下げる。


「許して、許してくれるのか?」

 顔を上げて懇願するように問われるものの、どうすれば良いか分からずにとりあえず頷いてみる。


「そうか、そうか……ありがとう。本当にありがとう……」

 そうして涙を流し、両手を合わせて跪くように泣き崩れる伯爵。自分達の知らない所で話が進んでいた為か、どうしても置き去りにされている気分になってしまう。


「それでは話し合いを始めましょうか。ほら、伯爵も立って下さい」

 ゆっくり到着したエバンズが場を仕切り、泣き崩れている伯爵を立たせて導く。

 後方を振り返るなり繰り出されるお馴染みの仕草は、この場が安全だと告げているように見えた。


 通された部屋は先程まで居たギルド長の部屋のように応接セットが置かれていたが、そことの違いは豪華さだろう。

 馬車の内装と同じような金と赤を基調とした室内は華々しく、壁や天井に至るまで繊細な細工が施されている。


 ソファーに三人で腰を下ろすと目の前にエバンズが座り、少し遅れて伯爵とその息子……アルフレッドが共に室内へ現れる。

 昨夜のような邪悪な笑みは浮かべておらず、頬や額に治療の跡が見られた。目には青痣、頭に包帯、頬には湿布が貼られていた。


 どういう事なのかと不思議そうに眺めていると、こちらに歩み寄るなり親子で頭を下げて来る。


「本当に、申し訳なかった!」

 再びの謝罪に手の平を向け、それを止めさせると要件を聞きたいと説明を求める。


「ああ、そうだな……そうだった……」

 憔悴しているのか伯爵の目に隈が薄っすらと見え、表情もそれに伴って随分と弱々しく感じた。


 エバンズを挟みソファーに腰掛ける伯爵親子。それが合図かのように先程の老執事が現れ、人数分の飲み物を用意し始める。


「ゼロさんは紅茶がお嫌いですかな?」

 昨夜、商会で出された物に口を付けなかった事を言っているのだろうか……用心していた為だとは言い出せず、エバンズの言葉に仕方なく頷く。


「そうでしたか、それでしたら別の物を用意させましょう」


 別の物と聞いて紅茶以外だと珈琲になるのだろうかと思ったが、そもそもこの世界に存在するのか疑問では有った。リアモでも王都でも、露店やその辺の店で見掛けた試しが無い。

 紅茶にも同じ事が言えるがやはり嗜好品なのだろうか、酒とは違い遭遇率は皆無だった。


 がしかし、その予想は見事に裏切られカップに注がれる琥珀色の液体に心が弾む。珈琲特有の痺れるような香りと、その奥に感じる一摘みの酸味。目の前に置かれても未だに信じられず思わず凝視してしまう。


 商会でこれを出されていたら、自身で決めたルールを破ってでも飲み干していた事だろう。匂いだけでも美味いと分かってしまうのは反則だ。


「どうぞお召し上がり下さい。お気に召しましたら幾つかお譲りしましょう」

 伯爵の言葉にカップから視線を移し、困惑の表情を浮かべながらも各人の顔に次々と視線を移すと、皆一様にアルフレッド以外は微笑んでおり、その行く末を優しく見守っていた。


 高価そうなティーカップを持ち、恐る恐る口を付けると口の中に広がる熱さと鼻に抜ける珈琲の香り。その全てが待ち侘びていたとばかりに体が震え、全身の細胞が喜び身悶えしてしまう。


 素晴らしい本を、映画を、絵画を見終わった後のような多幸感に包まれ、だらし無く頬が緩んでいるのは気付いていたが、それでも制止する事は出来ない。


 食べ物に好き嫌いは無い……が、飲み物にはそれが有ったようで、当たり前のように飲んでいた頃には気付かなかった自身の一面に、カップを眺めて溜息を落とす。


「ご満足いただけて何よりです。さて、早速ですが……」

「待って下さい」

 呆けて余韻に浸っている中、話を進めようとする伯爵をルピナの声が咎める。


 目に怒りを宿し、声こそ荒らげていないものの普段と調子の違う声色は、秘めている怒りの大きさを物語っていた。


「昨夜の件、それについてはどうお考えですか?」

 思い出しでもしているのだろうか、次第に膨れ上がる怒りが右隣からひしひしと伝わる。


「それはその、本当に申し訳ないと思っている……」

「思っている?」

「いえ、思っています! ……お願いします。母を、母様を助けて下さい!」

 ルピナの圧に屈して言い直すなり、立ち上がったアルフレッドは姿勢正して頭を下げる。


(ルピナ、その辺で許してやってくれ。そもそも先に手を出したのは俺達で、昨日の事はそんなに怒っていない)

「でも……」

 頼む。そう目で訴え、渋々と引き下がるルピナ。


「本日こうして出向いてもらったのは、この子の母親……私の妻の事についてです」

 アルフレッドの肩を抱き起こすと、伯爵は説明を始める。


 聞けばアルフレッドの母、伯爵夫人は呪いによって数年も寝て起きてを繰り返している状態だと言う。

 中級までの解呪水薬では完治に至らず、少し良くなってはまた病床に伏せってしまう……そういう類の呪いに掛かっているらしい。


「上級以上の水薬を製作するには専用の魔道具が必要でして……時間も掛かり、作り手も少ないのが現状です」


 確かに最上級用の本に書かれていたものは、それこそ一つの村くらいの大きさの建物が必要になると記されており、そんな物がどこにどうやって、誰が作ったのか甚だ疑問では有った。


 伯爵の言うように製作には途方も無い時間が掛かり、まず年単位から入るのだから今回の特典とやらは破格と言って差し支え無いだろう。


「魔法帝国領に水薬を専門に研究している方がいらっしゃると聞いて出向いていたのですが……昨日の夜、エバンズから連絡を貰い早馬で王都へ戻って参りました」


 何もかもがこの商人の手の平の上という事か……優雅に茶を啜る様を見て、本当に食えない人物だと思う。

 だからこそ商会のトップに居られるのだろうが、欺くような容姿もそれに一役買っている気がしてならない。


 この世界で出会った中で毛色は違えど、一番警戒しなくてはならないのは目の前のずんぐりむっくりとした商人なのかも知れない。


「皆さんの事はエバンズから聞いております。材料もこちらで用意させていただくので、どうか妻を助けては貰えないでしょうか?」

 悲痛な願いを無碍にする事は出来ず、微笑んで頷くと伯爵は涙を流して喜んだ。


「ありがとうございます……ありがとうございます……!」

 繰り返される感謝の言葉にどれほどこの瞬間を待ち望んだのか、最愛の人を失うかも知れない恐怖はそれこそ心身ともに蝕んでいたのだろう。


 暫くするとテーブルの上に材料が用意される。

 輪切りになった白い角、視認困難な透明の液体、薄く七色に光る鱗……そのどれもが初めて見る物で、本当にこれで合っているのかは確かめようが無い。


「合ってるよ。うん、大丈夫」

 何の根拠が有って言うのか、断言するリリリに問い掛けると


「え、だって鑑定すればいーじゃん?」

 と、あたかも当然のように言い放つ。


「えっ、鑑定ってみんな持ってるんじゃないの!?」

 聞けば召喚された勇者達は皆、固有の能力として【鑑定】や【翻訳】等の便利な能力を授かって居るらしい。


 短期間でこの世界の言語を覚えられるのだから自頭は悪くないと思っていたが、どうやらそういう絡繰りが有ったようで肩透かしを食らった格好になってしまった。


 口を滑らせないようにリリリに釘を刺しつつ、ルピナに水を出してもらい空中で留めてもらう。

 その中に用意した材料と、エバンズが持ってきた魔石を投入して手の平を翳す。


 水球の中が光り始め、段々と光が強くなると何も見えなくなり、次の瞬間テーブルにことんと音を立てて水薬が現れる。


 小瓶の中の液体は乳白色に輝き、手に持っただけでそれが清浄な効果を湛えていると分かるほど、どこか神聖性を感じる物体に見惚れてしまう。


「うんうん、だいじょぶっぽいね!」

 リリリのお墨付きも貰い、出来上がった水薬を伯爵へ手渡すと再度礼を告げられ、急ぎ足で部屋を出て行く。


 後に付いて行く形でアルフレッドも立ち上がり、扉の前へ行くとくるりと振り向き

「その、本当に悪かったと思ってる……正式に謝罪する」

 胸に片手を当て、礼儀正しく頭を下げるのを見て小さく頷いた。


「坊っちゃんも母君が元気な頃は、それはそれは誰にでも優しく、好かれる好青年でした……」

 部屋から出ていったアルフレッドを見送りエバンズが話し始める。


「ですが、政敵の雇った呪術士が亜人だったせいか……酷く亜人を嫌うようになり、また一向に快復しない事から次第に心が荒んでしまわれた」


 経緯については同情出来る所も有るだろう。しかし、だからと言って八つ当たりの免罪符にはならない……そう責める目でエバンズを見ると苦笑し、小さく頷いた。


「そうですな。しかしそれもまた若さ……更生する機会を下さり、友人に代わって厚く御礼申し上げます」

 罪を憎んで人を憎まず、だろうか……それで良いかとルピナに問うと、少しの葛藤の後に漸く頷いた。


「これにて一件落着だね!」

 リリリの嬉しそうな声に場の空気が和み、どうやらそういう事で事態は収束へと落ち着いた。


(しかし随分と大胆な賭けに出たもんだな。俺が水薬を作れるようになれる確証でも有ったのか?)

 溜息混じりにエバンズに訪ねるとゆっくり頷く。


「眼、ですかな。初めてお会いした時、とても懐かしい気持ちにさせられました」

 眼というとても曖昧な答えに、本当に大胆な賭けだったのだと知らされる。そんな不確かな物で目の前の商人は、二人の人生を決する事をしたというのだろうか。


「私は商人としての才能というものが有りません……ですが、過去に一度だけ……そう、一度だけ全てを賭けた事が御座います」

 カップをソーサーに置き、こちらを見詰めながら語り掛けるエバンズ。


「その方は軽薄で、お調子者で、ゼロさんとは正反対の性格をしておられました。しかし一度戦いとなれば誰よりも先陣を切り、勇猛果敢に駆けて行く姿を今でもはっきりと覚えております」

 遠い昔を懐かしむように、宙空に視線を投げると感慨深く頷く。


「そうして今の私が有る訳ですが、その方とよく似ていらっしゃる……不可能を可能にする、どうにかしてくれる……そう思わせる眼が、今回の確証ですかな」


 だとすればやはり勘のようなものなのだろうか……エバンズは才能が無いと言ったが、ここぞと言う場面で一歩前に進める人間はそう多くは無い。

 大半が尻込みする中、自分を、相手を信じて全てを賭けるなど天才か狂人のどちらかに他ならない。


「とても強く、誰にでも分け隔てなく優しい方でした……」

 カップに視線を落とし、惜しむような声で絞り出すエバンズ。


 そう言われてしまっては期待に沿わない訳にも行かず、ぬるくなった珈琲を飲み干すと残りの仕事に取り掛かる。

 話し込んでいたおかげで多少は魔力も回復したのだ……もう一つ分くらいの製作は問題無い筈だ。


 水薬製作に関してまだまだ知らない事が多く、初級や中級では感じられなかった魔力減少に依る疲労感は、先程の解呪水薬で漸く実感出来るものだった。

 急激な疲労感に体が重く、昨夜ここを訪れた際に感じたあの症状とよく似ていた。


「本当に大丈夫ですか?」

 そんな心の機微を察してか、ルピナが心配そうに尋ねるので確りと頷いて見せる。エバンズに再び材料を用意してもらい、もう一度水薬の製作を行った。


 体から何かが抜けていくような脱力感を感じると、目の前の水球に変化が起こる。先程と同様に光を発し、暫くすると小瓶がテーブルへと落ちる。


(よし……!)

「凄まじい技術ですな……このような作り方は初めて見ました」

 やはり工程はすっ飛ばされているのだろう。本に書かれた説明通りならば、こんな室内で行えるものでは無い筈なのだ。


 テーブルの上の小瓶をポーチにしまうと視界が歪み、ぐるぐるとゆっくり回り始める。これが魔力欠乏状態なのかと得心し、体をルピナに預ける。


(ぎりぎり成功だったな……)

「もう、だから言ったじゃないですか!」

 ぷりぷりと怒るルピナを見て笑顔を作ると、面倒ついでに奴隷商の所へ連れてってくれと頼む。


 日を改めるべきだと提案されるが、一刻を争うかも知れないのだ……不安の種は早急に摘み取っておきたかった。


 そんなやり取りをしていると部屋に伯爵親子が現れ、夫人の解呪は成功したと報せが入る。元通りになるにはまだまだ時間を要するが、意識もはっきりしており心配は無いと言った。


「ですが……大丈夫なのですか?」

 伯爵の心配そうな顔に弱々しく頷いて見せる。


「水薬製作に依る魔力不足です。回復薬は有るのでお気になさらず」

 そう言い捨てゼロを抱え上げると、昨夜と同じように運ぶルピナ。


「私、本当はまだ怒ってます……今回の事も、前回の事も……」

 部屋の扉の前に立ち、ルピナが独白する。


「ゼロさんにもしもの事が有ったら私は―――」

(ルピナ)

 弱々しく名を呼び、その辺りで許してやってくれと再度頼み込む。


「だって―――はい、分かりました。ツレが悪かった。製作の礼は要らない。それでも気が済まないなら貸しにしておくから、困った時に返してくれ……以上です」

 振り返り、商人と伯爵へ向けてルピナが伝える。


 これ以上権力者達と関わっていても碌な事にならないのは明白で、何よりもそういう柵を嫌うゼロは一刻も早くこの場を去りたかった。

 商人と伯爵は腕の中で青ざめた表情を浮かべる少年へ、確かに約束したとばかりに大きく頷いた。


 それを確認して笑みを浮かべるとアルフレッドを指差し、無言のまま見詰める。先日とは違う意志の宿った瞳を信じ、胸をとんとんと叩いて親指を上げる。

 父親同様に頷くのを見て、伯爵邸を後にした。


「リリさん、お願いします」

「あ、うん。任せて!」

 昨夜出会った橋の所で、漸く水薬を取り出すルピナ。早くしてくれとせがんでも出してもらえず、暫く歩いてからの出来事だった。


「だって、ゼロさんを抱っこ出来る事なんてあまり無いですし……」

 言葉に出されると何とも気恥ずかしく、自分としては一刻も早く打開しなくてはならない状況だと思っていた。


 両手の塞がっているルピナに代わり、リリリが水薬を受け取り栓を外すと小瓶を口元まで運んでくれる。

 ルピナに抱かれ、リリリに小瓶を咥えさせられると妙な気分になってしまい、その様子を不敵な笑みを浮かべた二人が眺めている。


(すごく、嫌な気分だな……)

 グラムが居れば間違いなく茶化されていただろう。ツッコミ役が不在というのは何とも場が締まらないものだと痛感した。

 程なくして気怠さや目眩が収まると、市街地へ入る前に降ろしてくれと頼む。


「駄目ですよ。奴隷商さんの所に着くまで大人しくして下さい」

 そうしたいのは山々だがそんな事が出来る筈も無く


(はよ離せ)

「何を―――きゃあああっ!!」

 胸を鷲掴みにして落とさせる。


 華麗な着地を決め、軽く身を捩り衣服や鎧のずれを直す。

 軽く飛び跳ね問題が無い事を確認すると、ルピナに片手を差し出し大剣と戦斧を出してくれと頼む。


 涙目のまましゃがみ込み、こちらを睨み付けるルピナは少し唸っており、言う事を聞かないのが悪いだろうと反論する。


「だからって気軽に触らないで下さい!」

 そう言われるものだから真剣に触れば良いのかと馬鹿な事を考えてしまう。


「それはまあ、その……って、駄目に決まってます!」

 何日か前の状態に戻ってしまったので歩み寄り、そのまま頭に片手を置くと


(怒ってくれて、我慢してくれてありがとう。感謝してる)

 そう言って笑顔を作って見せる。


「……ゼロさんはずるいですよ」

 未だ涙目のルピナは立ち上がると渋々武器を取り出し、それを手渡した。


「いやー、青春ってやつですねぇ」

 薄目になったリリリが片手で口元を押さえ、何時の間にか現れた肩口のタマちゃんもそれに倣っている。


 そんなやり取りを交えつつ奴隷商と出会った路地へ着くと、その不穏な空気にリリリが怯え出す。


「ほほほ、本当に大丈夫なのかな?」

 薄暗い路地を一列で歩き、最後尾は嫌だというリリリが背中に手を置いて来る。こんな昼間から幽霊だの何だのも出ないと思うが、怖がりなのはそう簡単に克服出来ないようだ。


「でたあああ!」

 リリリの言葉に驚き路地の奥へ目を向けると、そこには奴隷商の男が立っていた。


(落ち着け。普通の人間だ)

 普通とは言ったものの本当に普通かと問われれば自信が無く、まるで亡霊のように現れて次第に輪郭を帯びていく様は、確かに声を上げてしまうのも納得の出来事だった。


 ポーチから小瓶を取り出し、それを軽く振って見せると満足そうに頷き、奴隷商が恭しく頭を垂れる。


 先日と同じ部屋へ案内され、あの時から時間が経っていないのでは無いかと思うほど代わり映えは無く、カビ臭い室内は相変わらずでベッドの上の少女は今も尚苦しみ続けていた。


「F迷宮の踏破、並びに盗賊団の壊滅、未踏区域の発見、誠に御目出度う御座います。やはり私の眼に、狂いは無かったようですね?」

 口角を上げ、微笑みながら賛辞を述べる奴隷商。それを遮るように冒険者証を手渡し


(謝辞は不要だ。さっさとしろ)

 と、不遜な態度で高圧的に命じる。今回の事で頭に来ているのはルピナだけでは無いのだ。


「おお怖い怖い……ですが、お支払いは既にルペニ伯爵様からいただいております。今この瞬間から、こちらの商品はゼロ様……貴方様の物で御座います」

 不敵な笑みを浮かべ、してやったりとばかりに奴隷商が微笑む。その言葉に別段驚きもせず、そういう事ならとベッドの上の少女へ水薬を投与する。


 薄い唇に瓶を当てるとゆっくり流し込み、喉の動きを見ながら静かに飲ませる。

 空になった瓶を確認するとリリリに視線を送り、状態の把握を頼むとぐっと親指を上げるのを見て一安心する。


「さて、それでは奴隷契約ですが……所有者はどなたに?」

 そう問われて二人を見ると、ルピナは笑顔で頷きリリリはぶんぶんと首を振る。

 恐らくこの後の顛末に気付いているのだろう、委ねるような表情に笑顔を返す。


 取り出された羊皮紙には中央に大きく魔法陣が描かれ、四隅につらつらと契約の内容が書かれていた。


 一、奴隷は主人に危害を加えてはならない事。

 二、奴隷は主人の命令に絶対服従である事。

 三、奴隷は自身の身を適切に守る事。

 四、主人は奴隷に衣食住を適切に与える事。


 適切にという部分が曖昧だと思って眺めていたが、がちがちに縛ると何かしらの問題が有るのだろうか……興味が無いので読み飛ばし、奴隷商の指示通りに親指の腹を犬歯で噛み千切ると血を垂らす。


 羊皮紙が淡く光ると少女に取り付けられた首輪も同様に光り、それが収まると小さな拍手が聞こえた。


「これにて奴隷契約は完了と相成りました。何か質問等は御座いますか?」

 待ってましたとばかりにうんうんと頷き


(この戦闘奴隷の装備は有るのか?)

「勿論御座います。大切に保管しておりますので、初期投資は不要です」


(この戦闘奴隷はC等級冒険者だと言ったな?)

「その通りで御座います。例え装備が無くとも、単独での迷宮踏破は低級に限りますが可能でしょう」


(奴隷の解放は契約書の破壊で間違い無いか?)

「はい。ですのでお渡しした契約書は大切に保管されるのが―――」

 意気揚々と言葉を返す奴隷商の目の前で、羊皮紙を力任せに引き千切る。


(なら解放する。これで良いんだな?)

「そんな……何故……」

 突然の事態に青褪める奴隷商。


 その顔を見て満足そうに邪悪な笑みを湛え、ここからはなるべく強い言葉で相手に伝えるようルピナに指示する。


「二つばかり、良い事を教えておいてやる……俺が今回大人しく動いてやったのはお前達も知ってる通り、偶さか旅の目的と合致する所が有ったからだ」

 ゆっくりと、悠然とした歩調で奴隷商へ歩み寄るゼロ。


「俺がこの世で最も嫌いなのは何も考えない馬鹿で、その次に嫌いなのは人の事を意のままに操れると高を括っている馬鹿だ」

「ヒッ!」

 今にも襲い掛かりそうな表情のゼロに、短く悲鳴を上げる奴隷商。


「もう一度だけ忠告しておく……お前達の考えに興味は無い。だがこの先、もしも集めた情報によって不利益が生じたと判明した時、この街全ての人間を相手にしてでも殺してやる……情報の扱いには細心の注意を払え」


 屈み、覗き込んだゼロの顔に無言のまま縦に首を振る奴隷商。

 その表情は顔面蒼白……血の気は完全に引いており、額から玉のような汗が噴き出している。

 暫くすると部屋の外から足音が聞こえ、強く扉を叩く音がした。


「大丈夫ですか!?」

 なるべく抑えたつもりだったが無駄だったようで、主を心配する男の声が聞こえる。

 閉め切ったままでは踏み込まれるのは時間の問題だと思い、扉を開けて退室する。


「約束は守れよ?」

 最後にそう残し、用心棒達に無言のまま道を開けさせる。


 眼光鋭く髪は針のように尖り、先程の形相とは大分様変わりした少年を見て息を呑む男達。

 退店し、路地を抜けると迷宮へ続く道へと戻り、そこで大きな伸びをすると漸く笑顔を取り戻す。


(はー、つっかれたー)

 振り返り二人を安心させる為に笑顔を作ると、それを見てルピナが微笑む。


「最初からああするつもりだったんですか?」

 そう問われると少し怪しい部分も有るのだが、ルピナの要望とこの先の事を踏まえてだと説明する。


 意図に気付いてからは暫く傍観していたが、それが善意でも悪意でも誰かの手の平で転がされるのは耐え難い程の侮辱と感じていた。


 何か困っているのなら素直に頼めば良いのだ……それなのに裏でこそこそと嗅ぎ回るように、企み画策するからこそ今回の怒りに繋がったのだと説明する。


「でも、ゼロさんはあまり人と関わりたがらないじゃないですか」

 そう言われてしまうと反論も出来ず、確かにそうだと思うのだが面倒事は避けるのが吉だとも思うのだ。


「全く……」

 ルピナの困ったような表情にわっはっはと豪快に笑っていると、暗い表情を浮かべているリリリに気付く。


(どうした?)

 先程のやり取りに怖がらせてしまったか、幾ら釘を刺す為とは言えやり過ぎたかと思っていると


「ほんとーに良かったの?」

 と、問い掛けるリリリ。


「あの子すっごい美人だったよ? もったいなくない?」

 上がり調子に責められてしまい言葉を詰まらせる。


 例えば羅列する数字を見てその先に規則性を見出すように、寝顔だけでも相当な美人だという事はリリリも気付いていたようだ。


 切れ長の目、長いまつ毛、整った眉にふっくらとした頬。そこに幻想的な長い耳が加わり、鮮やかな銀色の髪が神秘的な印象を増幅させる。


 線の細さはリュカの母とは違い、容易く折れてしまいそうな儚さも相まって、庇護欲を掻き立てられる……そんな所だろうか。


「ゼロさん……?」

 その考えを見透かされ、ルピナが静かな声で名を呼ぶ。その静けさが逆に怖くなり、まともに目を合わせられなかった。


「知りませんっ!」

 何時ぞやのようにまた頬を膨らませる様を見て、今度は長引かないと良いなと思っているとまだ何か有るのだろうか、リリリの顔は暗いままだった。


「その、あーしもゼロっちが嫌いなバカだから……」

 そう言って視線を落とし、胸の前で人差し指をつんつんと突いている。

 肩の上のタマちゃんも心配そうに頬を撫で、励ますように何度も擦り続けていた。


 その様子に大きな溜息を吐くと、どう説明したものかと逡巡する。それこそ馬鹿正直に思っている事を伝えるべきなのか、はたまた一緒に旅をする事を決めた理由を話すべきか考えていると、リリリの顔が途端に紅潮した。


 見ればルピナとリリリがこっそりと手を繋いでおり、思った全ての事はどうやらそのまま伝わってしまったらしい。

 先程の仕返しとばかりにルピナが微笑み、してやったりと小悪魔的な笑みを浮かべていた。


「ゼロっち……そんな風に考えてくれてたの!?」

 嬉しさの余り身を捩り、恥ずかしそうにもじもじし始めるリリリ。急にしおらしくなってしまい、この状況をどう打開するべきか悩んでしまう。


「ゼロっちぃ」

 そう叫んで抱き着こうとするので、避けようとすると両足が見えない何かに引っ掛かる。


 ルピナの魔法はゼロをその場に留め、リリリはその一瞬の遅れを見逃さず両腕で頭を抱え込んだ。


「ありがとーゼロっち! あーし、ほんっとーに頑張るから!」

(……好きにしてくれ。それと、街中で魔法を使うな……)

 観念したように呟き、ぐにぐにと柔らかい感触が顔を包み込んでいる。


 そうして一連の悩みは終わりを告げ、明日の出立に向けて宿へと戻る。

 資金も潤沢に用意出来、水薬の製作に関しても問題無く、全てが順調に進んでいた矢先に事件は起こった。


 新たな仲間が増える事……それを喜ぶべきなのかどうするべきなのか、一人訪ねてきたエルフの少女を見てゼロはこの日、何度目かの溜息を吐いた。

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