第十五話 ~王都の夜~

《第十五話 ~王都の夜~》


 夜。

 目を覚ますとそこは夜想亭の自室で、傍らにはルピナが沈痛な面持ちで椅子に座っていた。


 ぎょっと身を震わせるとベッドが軋み、その音で気付いたのかルピナが泣き顔を浮かべる。


「良かった……本当に……」

 人差し指でそれを掬うと足早に部屋から出て行き、暫くするとリリリと共に現れた。


 二人の表情は似たりよったりで、泣いていたかと思えばすぐに影を落として俯いている。

 拘束されていた一件を反省しているのか、もじもじと話しにくそうにしているので


(傷は大丈夫なのか?)

 と、自分の頬を指して尋ねてみる。


「うん、あーしは大丈夫……幽霊とかそーいうのは怖いけどさ、自分の体を張るのはよゆーだもん」

 少し元気な声が返って来るのを見て安心する。


(ルピナは……ありがとう、ここまで運んでくれて)

 頭を下げるとルピナは無言のまま首を振り、気にしているのか表情は暗いままだ。


(……ああいった状況でどういう行動を取るか、二人とは話していなかったからな。俺の詰めの甘さも有る……すまなかった)

 再度頭を下げ二人に謝罪する。


 顔を上げると二人も頭を下げており

「指示に従えなくてすみません」

「あーしも……勝手に解いたりして、ごめんなさい」


 迂闊な行動を後悔しているのか、未だ暗いままの表情で俯いている。

 そんな二人に対しふっと笑顔を作り、軋む体をなんとか動かしてベッドの上に立つと


(あまり無茶をするな……ルピナも、そんなに自分を責めなくて良い)

 二人の頭を撫で、ゆっくりと頷く。


 こうしてみると二人ともまだ子供なのだと改めて思い知らされ、純粋な瞳は直視するのが憚られる程今の自分には眩しいものだ。


 あの後の顛末を二人に尋ね、ギルドから報奨が出るので明日の朝に三人で訪ねるようにと言われたらしい。


 未発見の場所、盗賊団の検分、イレギュラーな怪物の魔石など、雑事は全てギルドが受け持ってくれたようだ。


 場所を食堂へと移し、食べ損ねた夕食を用意してもらう。夜更けだと言うにも関わらず快諾してもらい

「子供がそんな心配しなさんな!」

 と、豪快に笑い飛ばされる。有難い限りだ。


 ルピナとリリリの二人も着席し、夕食を共に摂る事に。律儀に待っていなくて良いと伝え、これからはこのような事が起こったとしても気にせず食べるようにと釘を刺す。


「それならもう倒れたりしないで下さい……」

 心配そうなルピナの声に、それは尤もだと思い苦笑してしまう。


 相変わらず燃費が悪いというか何というか……すぐに昏倒してしまう原因は、一重に自分が臆病なせいでも有るのだが……それを正直に話すのは弱さを晒すようで恥ずかしい。


 何より日を追う毎に上がっていく魔力の強度に、自分自身が追いついていない未熟さも有るのだ。

 小言のようなグラムの言葉が不意に甦り、ぶんぶんと頭を振ってそれを掻き消す。


 食事を済ませるとルピナ達の部屋の浴室を借り、身綺麗にすると自室で水薬作りを試してみる事にした。


 迷宮で爆裂水薬を使用してしまったのでその補充も兼ねて、放置していた製作道具一式を引っ張り出す。


 水と小さい魔石とナオリ草を机に置き、両手を翳して念じてみる。すると両手の間に有った材料達が歪み、混ざり合い、次の瞬間には瓶に詰められた水薬がことりと音を立てて出現する。


(えぇ……)

 あまりの出来事に閉口してしまう。


 リリリからこういうものだと聞いていたが、目の前で見ていてもどういう理屈で作られているのか全く理解が出来なかった。


(瓶は……どこから出てきたんだ?)

 それらしい材料が消費された形跡も見当たらず、軽く握ってみても強度に問題は無さそうだった。


 擦ると発火するモエ草と魔石、水の三種類だけで念じてみても何も起こらず、硝子蜻蛉の羽とオークの油を追加して念じる。


 どうやら正しい材料と認識が重要なのだと、完成した中級の爆裂水薬を眺めて理解した。モエ草と魔石だけなら初級の物が製作されていてもおかしくは無い。


 初級の各種回復薬を製作して飲んでみると味や効能に違いは無さそうで、不具合は今のところ感じられない。


 あちこち軋んでいた体の痛みや不具合も完治し、明日の朝まで時間が出来てしまった事を幸いに出掛けてみようかと窓の外を見て画策する。


 明日にはそれなりの大金が手に入るようで、資金の不安は解消された……とすればやはり今日くらいしか無いのではないだろうか。


「ゼロさん、起きてますか?」

 そんな考えを見透かしてか、ノックの音に心臓が飛び出そうになる。

 扉を開ける前に胸を叩き、平常心を取り戻すとルピナを出迎える。


(どうした?)

 一応の問い掛けをしてみるものの、訪れた用事はその表情を見れば一目瞭然だ。先の戦闘の事を気にしているのだろう、一先ず部屋へと招き入れる。


 ローブ姿ではないルピナは模擬戦の時と同じ格好をしており、見慣れない洋服姿に少し肌寒そうだなと感じてしまう。


 椅子を譲り自身は傍らのベッドへ腰を下ろすと、しばし無言の時間が流れる。

 どうやら先程の悪巧みがバレたようでは無いので安心したが、長い沈黙は時としてどんなものよりも威圧感が有るのだと知った。


 ルピナの表情からしてそういう事は無いと思うのだが、何時また怒りが爆発するか―――


「そんなに怒ってばかりじゃありません!」

 と、見事に見破られ怒られる。


 その声にたじろぎ、両腕を顔の前に構えて怯える素振りを見せると

「ゼロさんは……怖くないんですか?」

 と、ルピナが俯きながら問い掛ける。


「私は怖かったです……初めて人の命を奪うかも知れないと思った時、本当に怖かったんです」

 部屋を火の海にしておいて、何を今更と冗談めかして思うと


「あれはその、後で治療すれば良いかなって思って……」

 ルピナの言葉に尤もだと頷く。そうでなければいくら作戦だとは言えルピナの性格上、あそこまで派手にぶちかましたりはしないだろう。


「同じくらい、ゼロさんにもそういう事をしてほしくなかった……」

 男達に囚われた時、ルピナが叫んだ理由は理解していた。

 自身の一手が相手の生命を奪う事になると、あの時の殺気をルピナは気付いていたのだ。


「結果としてあの人達はこの世から去り、私達は生き残りました―――」

 話を片手で遮り、自身の考えをルピナに告げる事にする。


(言わんとする事は分かった。だが約束は出来ない……出発前にも話したように、俺の目的はグラムの奪還とリュカの蘇生だ。ルピナの故郷の情報も、当然その中に入っている)

 黙ったまま頷くルピナ。


(その全ての事柄に対して、障害になるものは全て排除すると決めている)

「だったら―――」

(そうだな、他にやり方は有ったと思う……だが殺した。それはこの先の怨恨や柵、そういったものを断ち切るのに一番確実だと思っているからだ)

 どの道恨まれるのだとしたら、数は減らしておくに限る。


(俺もルピナもまだまだ弱い……取れる選択肢を増やして、誰も死なないように出来ると良いな)

 そんな物は世界最強にでもならない限り不可能だが、皮肉交じりに自身とルピナへ言い捨てる。


「リリさんから聞きました……ゼロさんも元は、魔法も魔獣も居ないとても平和な世界から来たんだって」

 今はもう遠い昔の故郷を思い出し頷く。


「私はゼロさんの強くても、優しい所が好きです。でも、人を殺めてしまったら……その優しさが無くなってしまうんじゃないかって……」

 ルピナの目から涙が流れる。


「だから、ゼロさんにはそうなってほしくないんです!」

 互いに同じ事を思っていたのだと気付き、ふっと笑みを溢す。だがその願いは既に手遅れで、この世界にやってきた時点で潰えている事をルピナは未だ知らない。


「あーしも同じだよ!」

 勢い良く部屋の扉が開け放たれ、仁王立ちのリリリが鼻息荒く現れる。


 私服姿のリリリは胸元の大きく開いた黒のジャケットと、短いスカート姿でベッドへ腰を下ろし

「二人にはそんな事させたくない……ついてくってワガママ言ってるのは分かってるけど、誰か一人に辛い思いはさせたくない!」


 何時になく真剣な表情に気圧され、戸惑いながらも頷く。ルピナに手を繋いでもらい、やり取りの準備が出来ると落とし所を模索する。


(そうだな……確実にってのは難しいけど、善処するよう心掛ける。子供を守るのは大人の役目なんだと、少し先走り過ぎたようだ)


「はァ? あーし、もうそんなに子供じゃないし!」

「私も、子供じゃないです!」

 幽霊に怯えていた子供と子供姿になる子供に反論され頭が痛くなる。


「それは、確かに怖いけど……でもでも、身体はもう立派な大人だし!」

 そう言って胸を寄せ、見せ付けるように蠱惑的な笑みを浮かべるリリリ。


「ほらほら、これでも子どもだってゆーのか!」

 挑発の言葉にそれを一頻り眺め、呆れたように鼻で笑って見せる。

 誘惑するならリズやルカくらいの色気が欲しいものだと思ってしまった。


「……誰よその女?」

 定番の台詞を自分に向けられる日が来るとは思わず、ルピナがリリリの耳元で説明を始める。


「ゼロさんの……」

 全てを聞き終え顔を真っ赤にするリリリ。


「ふ、ふーん。そういう事ね……ふーん、そうなんだ……」

 真っ赤なまま明後日の方向を向いて、どこか上の空で言葉を発するリリリ。


 それほど衝撃的な内容だったのか……実年齢の話はもうしたはずなのでおかしい事も無いと思うのだが、外見が外見だけに問題視されても仕方が無いのかも知れない。


 丁度良く話も逸れたところで二人を部屋へと帰し、今後の事について一人思案する。

 話すべきか否か……いずれ機会があれば、打ち明けるのも良いだろう。聞いても面白く無い話など、自ら進んでする気にはなれない。


 嫌な事を思い出してしまったせいか酒を飲みに行く気にもなれず、どうせならと嫌な気分のままで済ませられる事を実行するべく、勘付かれないように準備を進めた。


(……大丈夫っぽいな)

 夜想亭から脱出し、大通りまで出ると安堵する。万が一の為に書き置きを残し、とある場所へと一人で向かう。


 王都の中でも有数の大店……エバンズの商会へと辿り着くと、夜中だと言うのに建物内は賑わっていた。


 この世界の住人達は早寝早起きが基本で、そんな習慣の世界だからこそ飲み屋以外で人がごった返している光景は商人ならではという事だろうか。


「どうしたのボクー? 迷子かなー?」

 人懐っこい笑顔で身を屈め、目線の高さを合わせた女性が話し掛けて来る。


 金色のくるくるとしたくせっ毛から兎耳が飛び出しており、左右両頬から長い髭が三本ずつ伸びていた。


 鼻と口元が兎のそれに酷似しており、人と亜人どちらなのか半々くらいの割合なので少し混乱する。

 腰のポーチから名刺を取り出し手渡すと、それをまじまじと見詰める女性。


「エバンズ様のお知り合いなの?」

 その問いに頷き、どうにか取り次いでもらえないかと身振り手振りで頼んでみる。


「うーん、そうは言っても……あ、しゅにーん!」

 そう言って兎の店員は少し離れた位置に立っていた、丸耳の女性の元へと走って行ってしまう。

 一人取り残され、改めて商会内を見渡し暇を潰す。


 最初はどこぞの神殿かと思うような外観だったが、中もそれに見合った広さで入り口から受付までは赤い絨毯が敷かれていた。


 どこか貴族の屋敷……宵闇の拠点のような華美さが随所に見られ、大きな商会だからこそ見掛けの派手さも必要なのかなと推察する。


「お待たせしました。どうぞこちらへ」

 声の方に振り返ると先程の丸耳女性が立っており、亜人という種族を知らなければ取り乱していたところだろう。


 目の周りが黒く、口周りは人のそれと同じであるものの動物っぽさは見られない。

 フレームの無い眼鏡ときっちり整えられた長髪から、厳しそうな印象を受けるが目元の模様がそれを緩和している。


 案内されるがままに後を付いて行き、道中で丸耳の女性が

「本来であれば会長は御就寝のお時間です……こんな夜更けに訪ねて来られて、無作法だとは思いませんでしたか?」

 と、棘だらけの言葉で訪問を咎めて来る。


 言い分は尤もで、日を改めるのが本来なら正解だろう……が、流石に一言言わずにはいられなかったのでこうして一人でやってきたのだが、それを説明する術を持ち合わせていない。


 加えて人の命が掛かっているのだ。一刻の猶予も無い……とは程遠いだろうが、手早く済ませておくのが得策だと思っていた。

 腕を組んだり頭を抱えたり、思い悩むさまを見て優しく微笑まれる。


「ごめんなさい、責めている訳では無いのです……私達は会長に拾われた身だからこそ、その御身を一番に考えてしまうのです。それだけは知っておいて下さい」

 そう告げられ、約束すると頷く。


 通された応接室は先の豪華な宿の一室のようで、白を基調とした部屋は全体的に眩しく落ち着かない。


「おお、これはこれはゼロさん……ようこそお越し下さいました」

 ソファーに座っていたエバンズが立ち上がり歩み寄ると、片手を差し出してくるので握り返す。

 座るように促され腰を下ろすと、テーブル脇でさきほどの女性がカップに飲み物を注ぐ。


「こんな夜更けにいかがされましたかな?」

 エバンズの言葉にポーチから紙とメモ帳を取り出し、そこに一言だけ書いて手渡す。


(上級か特級の解呪水薬生成法が記された本と、その材料を用意してもらいたい)

 メモを読んだエバンズが小さく頷く。


「困ったら訪ねてもらうようにと言ったのは私ですからな……ですが―――」

 エバンズの言葉を片手で遮り、再びペンを走らせる。エバンズの言いたいことは分かっていた……訪ねるならばここより先に、魔道具店に行くべきだろうと。

 だがすでに確信を持っている今、これ以上の問答は不要だと思っていた。


(そっちの狙いが何かは知らないが興味も無い。詮索はしない。安くしてもらえると助かる)


 あの日、王都で冒険者証を出したのは入国の際と、冒険者ギルドで換金をした時の二回だけだ。

 最初は衛兵から情報が渡ったのかと思ったが、冷静になって考えてみれば奴隷商とエバンズの二人は容姿がよく似ており、兄弟と言われても納得出来る程なのだ。


 そして何より直感……よりは確実な、匂いとでも言うべきその人物特有の物が酷似していた。


「ほっほっほっ、これはこれは……ゼロさんは中々に観察眼が鋭いようですな。かしこまりました」

 そういうとエバンズは先程の丸耳女性から一冊の本を受け取り、それをテーブルに置いてそっと差し出す。

 青いハードカバーの表紙には【特級水薬製作集】と書かれていた。


「御所望の本です。お受け取り下さい」

 好々爺のようなエバンズの表情に変わりは無く、本当に良いのだろうかと戸惑いながらも受け取り中を検める。


 件の解呪水薬の頁はあっさりと見付かり、何時もの水と魔石に加え一角獣の角を一欠片と世界樹の雫、人魚の鱗などが書かれていた。


 正直な話どれがどこに生息しているかも分からず、またこんな怪物というか獣というか……そういう生物が実在するのかも疑わしい。


「手前どもで用意出来る材料は二つ……一角獣の角と、世界樹の雫になります。合わせてそうですな……金貨五十枚でいかがでしょう?」

 大金貨十枚分の値段に目が眩むものの、それが適正な価格なのだろう……自分が甘いのかも知れないが、目の前の商人が嬉々として人を騙すような人物には見えないのだ。


 提示された値段に頷くと

「最後の人魚の鱗ですが……伝手は有るのですが日が悪いと言いますか……」

 言い淀むエバンズに首を傾げて見せる。


「人魚の鱗はこの街の貴族家が所有しているのですが、そこの当主が出掛けておりましてな……あと数日もすればお戻りになられるそうなので、その時に訪ねるのが宜しいかと」

 歯切れの悪い物言いに勘付き、小さく頷くと立ち上がる。


(分かった。世話になったな)

 と、エバンズに礼を述べる。

 早々に話を切り上げた事で気取られ、小さな溜息を吐かれる。


「夜も更けてまいりました……私の名刺を出せばお会いになる事は可能でしょうが、くれぐれも無茶をなさいませんよう、宜しく御願い致します」

 人の名を出してまで暴れようとは思っていない……その辺りは心得ているとしっかり頷き、エバンズの商会を後にした。


 冒険者ギルドから北の貴族街で、衛兵や門番に教えてもらいつつ目的の家を目指す。

 どこの屋敷も一様に高い塀が建てられており、鉄の門扉の前には四六時中なのだろうか両脇に門番が立っていた。


 気が重い……そう感じたのは何時ぶりだろうか、足取りにもそれがよく表れていた。

 目的のルペニ伯爵家にも同様に門番が立っており、訪ねてきた旨を書き記したメモと名刺を手渡す。


「……分かった、少し待っていろ」

 門番は口数少なくそう言うと屋敷へと走り、暫くすると金髪キノコと共に戻って来る。

 名前は確かアルフレッドだったか、こちらの姿を認めると顔を紅潮させ


「貴様……何の用だ!」

 と、夜中だと言うのに大声で怒鳴り付けて来る。


 その形相は凄まじく、怒髪天を衝くとはこの事なのかと思わせる様相に、当然だなと観念してペンを走らせる。


(解呪水薬用の材料を譲り受けたい)

 メモと共に本を手渡し、中を見る事無く門番へそれを預けるアルフレッド。


「……着いて来い」

 そう言って踵を返すアルフレッドの背中から不穏な気配が漂い、これから先の事を考えるだけで憂鬱になる。


 譲って貰える確証も無いのに馬鹿な事をしているという自覚は有るが、偉そうに言った手前引き下がる事は出来なかった。


 長い庭園を歩いて屋敷へ入ると、室内の眩しさが目に刺さる。広い玄関ホールは華美な調度品で溢れ、大理石調の床は入口部分のみ少し下がっていた。


「おい」

 短いアルフレッドの一言で、待ち構えていた使用人達は即座にゼロを取り押さえる。

 外套、武器、防具を全て剥がされてしまい、抵抗する事なく事の成り行きを見届ける。


「跪け」

 どういう姿勢が良いのか分からず、とりあえず正座をしてそのまま頭を下げてみる。


 後頭部に衝撃を受け、空けていた隙間のせいで額が床にぶつかる。足でも乗せているのだろうか……普段ならばこれほどの重さは何てこと無いのだが、門扉を潜ってからというものやけに体が重い。


「以後、動く事を禁ずる」

「坊ちゃま……」

「うるさい! 早くしろ!」

 年老いた使用人の言葉に耳を貸さず、アルフレッドが叫び命令する。手押し車によって運ばれてきた物を手に持ち、見慣れた笑みを浮かべると


「これに耐えられたなら、これまでの事を水に流そう」

 そう言って床を鞭で叩いた。


 リリリの持っていたような短い物とは違い、長く靭やかな一本の鞭は太く、先端に威力が凝縮されるような凝った作りになっていた。


(ああ、またか……)


 体の痛みは構わない。喉元過ぎれば熱さを忘れる……とは違うが、他の事柄へと意識を飛ばしてしまえば、どうせすぐに終わるのだから。

 こういった事が役に立ったのは何度目か……思い返せば長いような短いような、かといって忘れられない痛みや恨みは確実に自分の心を蝕み、それを払拭させられる方法は終ぞ見付かりはしなかった。例えばそれが普通の人間であれば恋人や結婚、子供、そういった他者に寄り添う事で互いに分かち合い、乗り越えたりするのであろうが自身の境遇がそれを許さない。泣き言は許されない。そういう環境で育ってしまったからこそ、自衛の為に心に蓋をしてしまうのは当然の事なのかも知れない。しかしこんな世界に来てまでもこんなモノが役に立つ日が来るとは思わず、本当に人生というのは何が有るのか分からないものだとも思う。原因となった人間の顔を思い浮かべ、一瞬だけ殺気が漏れるがそれもすぐに収まり、今は守るべき者達の顔を思い出して嵐が過ぎ去るのを只管に待った。


(あいつらじゃなくて本当に良かった……)


 ルピナとリリリがこんな目に遭いでもしたらと思うとぞっとする。先の野盗の件でもそうだろう……やはり自分にとって無関係、無価値なモノにとって、人はどこまでも残酷になれるのだ。それが例えば大切な物を守る為だったり、国を守る為だったりすれば尚更の事、大義名分という旗を掲げて悪逆無道に突き進める。相手も同じだと言う頭はそこに無い。先の一件に限って見れば、やってきた事、やられた事を鑑みても自身の行動に悔いは無い。無抵抗で得られる物など何も無いのだから―――。


 背中に伝わる衝撃が無くなり、仰向けに転がされると再度眩しさが目に突き刺さる。


 どれほどの時間が経ったのだろうか、アルフレッドが息を切らして玉のような汗を噴き出しているところを見ると、相当な時間が経っていたのだろう……次第に痛みが波のように押し寄せ、それは際限無く増幅させていく。


「……もういい。消えろ」

 肩で息をするアルフレッドはそう吐き捨て、靴の先で頬を蹴り付けて来る。

 頬と背中と首の後ろが痛い。


 とりわけ背中はずきずきと、やがて激しい痛みとなって激痛に顔を歪ませる。

 立ち上がろうと身を捩るとそれだけで背中から伝播し、駆け巡った痛みが行動を鈍らせる。


 なんとか立ち上がる事に成功すると、床の血の跡に傷の深さを想像するが今は考えたくも無く、ここへ来た目的のため無言のまま片手を差し出した。


「ふざけるな!」

 手を払われ、アルフレッドが激昂する。


「私は付いて来いと言っただけだ。貴様のような下賤の者に、与える物など何も無い!」

 青筋を立てながらアルフレッドが凄んで来る。


「坊ちゃまそれは……」

「早くこいつをつまみ出せ!」

 使用人の言葉に耳を貸さず、アルフレッドが怒号を飛ばす。


 眉毛で目元が隠れた使用人は深々と主人に頭を下げ、若い使用人が装備の一式を両手に持ち運んで来る。

 全ての装備はきちんと折り畳まれ、外套、鎧、武器とバランス良く積まれていた。


「どうぞ、こちらでございます」

 そのまま手渡されるのかと思いきや運んでくれるようで、老齢の使用人が玄関の扉を開ける。


 促されるまま屋敷から出ると、門までの距離が途方もなく感じられた。

 一歩進む毎に背中の痛みに顔を歪め、まるで重い荷物でも引きずっているかの如く、その足取りは非常に重い。


「治療する事も出来ず、誠に申し訳御座いません」

 前を向いたままの謝罪に、それが彼に許されたぎりぎりの範囲なのだと理解する。


「回復薬はそのままにしてあります。ですが、すぐに腕の良い魔術士の治療を受けられるた方が良いでしょう」

 その言葉に頷き、心当たりの顔を思い浮かべるがこの惨状……誰か他の人間に頼む方が良いかも知れない。


 屋敷の門扉を出る前に装備を袋に詰めてもらい、それを受け取ると

「それでは、お気を付けて……」

 と、身を案じる使用人の言葉に頷き外へ出る。


 重い足取りのまま袋を引き摺り、貴族街と市街地を繋ぐ橋まで来ると漸く薄紅色の水薬に口を付ける。何か細工をしているとも思えないが、万が一が有った時の備えは必要だろう。


 屋敷を出てから背中の痛みも徐々に引いて行き、相変わらずの不思議体質に今回ばかりは助けられたと言っても過言では無い。


(意外と優しかったな)

 そう呟いて外套を取り出し羽織ると、水薬のおかげか痛みはほとんど消えていた。跡が残らないようにと願い、元の持ち主へ深く謝罪する。

 そうして橋の中腹まで来ると、対岸に二人の人物を見掛けた。


(ルピナか……って、おい!)

 ルピナとリリリはこちらの姿を認めると途端に駆け出し、外套をめくり上げその凄惨な傷跡を目にする。


「ひどい……」

 そう呟いたかと思うと二人で顔を見合わせ、互いが頷くとルピナはゼロを。リリリは袋を持ち上げ徐ろに駆け出す。


(なんだってんだ一体……)

「喋らないで下さい! それ以上喋ったら、本当にもう……」

 抱えられながら見上げるルピナの顔は今までのどれとも合致せず、怒りなのか悲しみなのか……複雑な表情を切らせる事は無かった。


 背中に添えられた手から治癒魔法でも掛けているのだろうか、走りながらだと言うのに器用な事をやってのけるなと関心する。

 傷口に温かな優しさを感じた。


 自室に着くなり外套を脱がされ、ベッドに俯せになると洋服を切られる。

 背中がごわごわとしていたが血が乾いた所為だったのか、想像よりも大分重傷だったのだと切られた衣服を眺めて再確認する。


 時間が経つ程に痛みは薄れて行き、ルピナの必死の治療は尚も続けられる。

 傍らではリリリが外套を拭いており、付着した汚れを丁寧に取り除いていた。


「先程、エバンズ商会の方がお見えになりました」

 絞り出すようなルピナの声は何も知らなかった自分への怒りか、それとも黙って出ていった事への怒りか……。


「理由を聞かせて下さい」

 どうやら後者だったようで、治療が終わるとルピナはベッド脇に膝立ちのままで詰問する。

 起き上がり、軽く肩を回してから縁に腰を掛けると用意されていた着替えに袖を通しながら


(理由って……そりゃあ材料を手に入れる為だろ?)

 着替えが終わりそう答えると頬を打たれる。それがルピナからのものだと気付く迄に時間が掛かり、予想外の攻撃に動揺した。


「ふざけないで下さい!」

 見れば目に涙を浮かべており、口はへの字に曲がっている。今まで我慢していたのか、肩が小刻みに震えていた。


 突然の事にリリリも目を丸くしており手が止まる。殴られた頬を軽く擦り、視線を落とすと

(……悪かった)

 そう呟いて頭を下げる。


 するとルピナはがばりと抱き着き肩口に顔を当てながら、声を殺して泣き始める。

 肩越しにリリリと目が合うと肩を竦ませており、泣き止むまでルピナの背中を優しく叩き続けた。


「よっし、かんせー!」

 ルピナの鳴き声が収まり出した頃、見計らったようにリリリが声を上げる。外套の汚れは全て落ち、それを誇らしげに見せ付けて来る。


 掃除の礼を告げるとリリリは首を振り

「あんまり無茶すんなよ?」

 と言って、額を小突いて来る。

 一連の行動が済むと笑顔を見せてくれたので、どうやらルピナ程は怒っていないようだ。


(そろそろ大丈夫か?)

 その言葉に微かな揺れを感じ、引き剥がすと未だ引きずっているルピナの顔が有った。


 肩口はルピナの涙でぐっしょりと濡れており、せっかく着替えたばかりだと言うのにじっとりと重くなっている。


(さて、説明だったな……)

 ベッドに三人で腰を掛け、事の顛末を掻い摘んで話すと


「どうして言ってくれなかったんですか?」

 と、ルピナに問われる。

 理由は沢山有り、思いつく限りをそのまま伝えた。しかしその最大の意図は素直に話せない。


(危ない事はさせられないさ。リックやみんなから、無事に送り届けるように―――)

「嘘……ですよね?」

 昼間に見せた真っ直ぐな瞳に気圧され、観念したように小さな溜息を吐く。


「迷宮で水薬を使ったのも、盗賊達を殺してしまったのも、そして今回の事も全部……全部、私達の所為なんですね?」

 逡巡した挙げ句、小さく頷くとリリリがどういう事かと説明を求める。


「ゼロさんは優しいですから……あまり教えてはくれないですけど、無意味な事はしないって分かってます」

 いざ一から十まで説明されると座りが悪く、気付いて貰えればとは思っていたが解説は頼んでいない。


 幽霊のような怪物に襲われた際、背中のリリリを傷付けずに脱出する方法など他にも有った……が、それをせずに爆裂水薬を使ったのはリリリの為だ。

 震えて縮こまっていただけでは、何も打開は出来ないのだと……少しでも勇気を奮い立たせられればと思った。


 盗賊に関してはあれで良かった筈だ……後悔は無い。これ以上疲弊するのは旅に支障を来す。これは予感というよりも確信、信念に近い自分の我侭だ。


「私達は頼り無いですか?」

 そう問われ、首を縦にも横にも振らず曖昧な表情を浮かべる。


(頼りにはしている。ただ、それ以上に二人には……まだ不要だと思っただけだ)


 人や、人の世の汚い部分を見せずに済むならそれに越した事は無い。だがそれこそが二人の成長を阻害しているのだと理解しているからこそ、矛盾した考えに悩み続けてしまう。


「私もリリリさんも同じです……出来る事ならゼロさんには、傷付いて欲しくないんです」

 横を見れば二人は満足気に頷き、少しだけ笑顔が戻っている。


(そうだな……そうかも知れない)

 言わんとする事は分かったつもりだが、絶対の約束は出来ない。それが二人を悲しませる事になったとしても、きっと同じ事の繰り返しになるだろうと予感していた。


「大体ゼロさんは、私が怒ってそのお屋敷に魔法を放つとは思わなかったんですか?」

 中々の過激な発言に冷や汗が流れる。本当にそうならなくて何よりだと思うが


(……そうなればこの旅はそこで終わりだ。ルピナは頭が良いからな……俺みたいに短慮じゃないさ)

 そう切り替えして事無きを得る。


「いーや、ピナっちも怒るとけっこー怖いかんね……さっきも商会の人? が帰った後、ほんっとーにやりそうな顔してたもん」

 リリリの言葉によって、ルピナがどれほどの怒りを秘めていたかが判明する。本当に、手短に終わってくれて何よりだと思った。


 命までは取られないだろうと高を括っていた訳では無いが、そうするつもりならばとっくに襲撃に来ていても可怪しく無い筈なのだ。

 だとすれば気の済むよう、詫びなり折檻なりで溜飲を下げれば目的は達成出来る……と思ったのだが、この日に材料が貰えないのは手痛い誤算だった。


 そうこうして考え込んでいると次第に眠気が訪れ、もぞもぞとベッドへ横たわる。横で言い合いをしているルピナとリリリがそれに気付き


「もうお休みになりますか?」

 と、ルピナが問い掛けて来るので頷く。とりあえず金銭面の目標はクリアしているのだから、それを済ませてからエバンズに相談しに行くのも良いかと思った。


 その後はどうにかして残りの材料を揃え、水薬を作る……のは一瞬で終わるので、新しい伝手を探すかどうかなのだが、果たして上手くいくだろうか。


 様々な疑問符を頭に浮かべるとルピナ達が退室した事にも気付かず、暫くすると再び部屋に現れたルピナは部屋着を纏っていた。


(どうした、忘れ物か?)

「今日は私も一緒に寝ます!」

 両腕を腰に当て、ふんぞり返って宣言するルピナ。どういう意図が有るのか不明だが、勢いからして断るのは難しそうだと思った。


「傷の具合も有りますし、何より心配です!」

 また無茶をするとでも思われているのだろうか、明るいだけでは無い表情に口を噤んでしまう。


(傷は問題無い。馬鹿な事を言ってないでさっさと―――)

 両手を後ろにルピナが近付いて来る段階で気付くべきだった。追い返そうとした矢先に、隠し持たれていた魔法が目の前で炸裂する。


(なに、を……)

「ゼロさん、最近はあまり眠れていませんよね? 先日の昏倒は間違いなく、魔力不足に因るものですよ?」

 薄れゆく意識の中でルピナが解説する。


 リアモを出て数日、確かに気を張っていた事は認める。その結果睡眠が十分に取れていなかった事も事実だが、体力的には十分でも魔力的には不十分だったらしい。


「っと……掛けた魔法は強制的に眠らせる物です。明日の朝まではぐっすり眠ってもらいますね」

 倒れかけた体を支えられながら、今はもう暗闇の中でルピナの優しげな声が耳に届く。


 抗うことの出来ない魔法に懐かしさを覚えつつ、互いが互いを監視している状況は好都合かとも思う。


 ルピナの事だから無いとは言え、絶対はこの世に存在しない。だとしたら僅かにでも確率が高い方へ身を寄せておくのが無難だろう。


「おやすみなさい」

 優しく微笑むルピナへ釘を刺し、その日は大人しく目を閉じた。

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