第十四話 ~王都のD迷宮~
《第十四話 ~王都のD迷宮~》
「ごめんなさい……」
朝。何時もの日課を済ませて食堂で朝食を食べていると、ルピナと降りて来たリリリが頭を下げて来る。
何の事かと訝しんでいると、どうやら昨夜に事情を説明されたらしい。
「子供だと思ってたから、その……」
言い淀むリリリにフォークを置き
(こっちこそ説明が不十分だったな。すまない)
と、頭を下げ返す。
少し赤くなっているのはやり過ぎたと自覚しているのか……ある程度の説明はしておいてくれとルピナに頼んだが、この様子だと大凡の事は分かっているのだろう。
しょげたような表情が、ルピナと似ていて笑ってしまう。
「それで、昨日の夜にピナっちに聞いたんだけどさ……お金に困ってるんだよね?」
リリリの言葉にルピナへ視線を移せば、昨日と同様にそっぽを向かれてしまう。
怒りがぶり返したのか、女心は難しいと思った。
「違います!」
それを読み取られ否定される。
もうこれは完全にお手上げ状態だろう。
(……まあいい。何か良案が有るのか?)
横に座っているルピナから伝えてもらい、真剣な面持ちで頷くリリリ。
聞けばリリリの能力である異世界案内人のタマちゃんに相談をした所、D等級の迷宮へ行くのが吉だと言う。
元よりそのつもりだったので問題は無いが、リリリの戦闘能力には不安が残る。
「あーしはその……そんなに強くない、かな……」
目を逸らし、乾いた笑いを発するリリリ。よくそれで無事に辿り着けたなと思うが、それはタマちゃんの優秀さの裏付けにもなるのだろうか……。
(迷宮は初めてなのか?)
「めいきゅ……初めてかって? ううん。何度か行ったけど、戦闘は他の子がやってたし、貰った能力も服飾製作だったし……」
リリリが身に着けている物は全て自身の能力で製作したものだと言われ、それならばと納得出来る部分が有った。
前髪に付いている装飾品や髪留めの飾り等、どこか地球風……とでも言うのだろうか、あまり見掛けない意匠はリリリのリリリによるリリリの為の物なのだ。
「中級までだからそんなに凝った物は作れないけど、材料さえあれば一瞬だから二人も作って欲しい服が有ったら言ってよね」
自分と同じような能力だろうか。しかし中級までという言葉が引っ掛かり、あの羊皮紙に書かれていただろうかとぼんやり思い返す。
(そう言えばルピナは何を貰ったんだ?)
迷宮踏破報酬の事をすっかり忘れており、ルピナにそう尋ねると
「私は何も……起こらなかったんです……」
と、暗い面持ちで呟く。
「もしかしたら記憶が無くなる前に来た事が有るのかも知れません」
普段から普通に接しているだけに、そういえば記憶喪失だったなと思う。だとしてもルピナの優秀さに変わりは無い訳なのだが、気にしている様子なので
(それなら魔法庫を貰ったとでも思えば良い。そんなに気を落とす必要は無い)
そう励ます。
顔を上げて元気に返事をする様を見て、残りの朝食を平らげた。
リリリの提案で冒険者ギルドへ到着すると依頼書の壁へと向かう。
リアモよりも大きく長い掲示板には様々な内容の紙が貼られており、中には金貨二百枚、三百枚の物も確かに存在している。
しかしその全てがB等級以上の依頼書に限られ、自分達が受けられる最高のD等級依頼書は、せいぜい三十枚程度が限界だろう。
「タマちゃん、お願いね」
そう言うと肩の上の小人は両手を合わせ、目を閉じると眉間に皺を寄せ何かを念じる。
びしっと指差した方向の依頼書には『迷宮の盗賊退治』と書かれていた。肝心の報酬額は金貨十枚で、とてもじゃないが目標額に遠く及ばない。
(間違いじゃないのか?)
疑念の眼差しをリリリに向けると
「だ、だいじょーぶだいじょーぶ! ……たぶん」
と、少し不安になりながらも依頼書を剥がし取る。
受付へ行き、黒猫っぽい見知った受付嬢へそれを提出すると
「こちら、ですか……」
手渡した依頼書をまじまじと見詰め、鎮痛な面持ちで考え込まれてしまう。
(何か問題が有るのか?)
口を動かして伝えてみると読み取れたのか、ゆっくりと頷く受付嬢。
「もう何ヶ月も前の事なのですが、王都周辺を荒らしていた野盗の集団が衛兵の目を掻い潜り迷宮へ侵入してしまったんです」
訥々と話し始めるが、その表情は暗いままだ。
「現在D等級の迷宮は全十階層となっておりまして、改変が起きれば出てくるだろうと監視しては居たのですが……」
(まだ改変は起こっていない、か)
ゼロの言葉に頷く受付嬢。
「討伐隊を送り込んだりもしていたのですが、隈なく探してみても痕跡すら見付ける事は出来ませんでした……」
居るか居ないか分からない者にそこまでの費用は掛けられないという事だろう。
しかし受付嬢の顔を見れば、それが悩みの種である事は話さずとも容易に想像出来る。
「ですので、もしもD等級の迷宮へ行かれるのであれば十分に注意していただきたいのです」
受付嬢の言葉に頷き礼を述べると、ぼんやりとした確信を胸に出口へ向かった。
「なんだか不思議な話ですねぇ……」
ルピナの言葉に頷く。
(不思議だが……現状を打開する為には必要らしいからな。とりあえず行ってみるか)
「はい!」
痕跡すら見付けられないという事は何かしら絡繰りが有ると思うのだが、それなりの時間が経過しているのであればギルドでそれを入手する事は難しいだろう。
であれば自ら赴き、目で、耳で、確かめてみる他ない。
少しは機嫌が直ったのか、元気に返事をするルピナを見て少し安堵した。
「ちょ、ちょっと! もう行くの? 準備とかしないの!?」
慌てるリリリに頷き返し、当然のように歩き出す。
「盗賊だよ? 人だよ? 迷宮もD等級だし、本当に大丈夫なの?」
歩きながら矢継ぎ早に質問するリリリに向き直り、ルピナと手を繋ぐ。
意図を察したルピナがリリリと手を繋ぎそれを伝える。
(確証は無いがそれ以上に時間が無い。もしかしたら明日には解呪が間に合わなくなるかも知れない……だとしたら、やる事は一つだ)
真剣な面持ちにたじろぐリリリ。
『それはその……そうなんだけど……』
そう呟き口を尖らせる。
(不安に思う気持ちも分からなくは無いが安心しろ……全滅するくらいなら、死んでも逃してやる)
そんなつもりは微塵も無いが、そう吐き捨てると
『絶対に大丈夫ですよ!』
と、ルピナが援護する。昨日の戦闘内容を見ても、並大抵の事で窮地に陥る事は無いだろう。
王都の南西、D等級の迷宮へ到着すると衛兵が二人立っており、それぞれの冒険者証を手渡す。
シェールの言葉に嘘は無かったようで、神聖国の冒険者証でも問題無く使用出来るようだ。
「最近はあまり聞かなくなったが野盗や冒険者崩れの荒くれ者が根城にしているという情報が有る……危なくなったら無理せず、帰還するだけの力は残しておくんだぞ」
心配性な衛兵の言葉に頷き、迷宮へと進む一同。
薄明かりの中、入り口からの光が途切れる辺りに来ると三つの分岐路に出る。
壁は岩肌が剥き出しになっており、どうやらこの迷宮は自然がふんだんな感じに造られているのだなと感じた。
(さて、それじゃ案内を頼めるか?)
リリリの肩に乗っているタマちゃんを見詰めると、むむむと念じた後に真ん中の道を指し示してくれる。
朝食の時に気付いた事だが、どうやらこちらの考えている事がある程度分かるようだ。
タマちゃんに礼を言い、真ん中の道に足を踏み入れる。
前の迷宮とは違い通路は暗く、光源無しでは自身の姿さえ見えないだろう。
「明かりを点けますね」
そう言うとルピナは呪文を呟き光の球を生み出す。淡く輝く光球は優しく周囲を照らし、多少先までなら問題無く見通せそうだ。
「やるねピナっち」
肘で小突くリリリに胸を張るルピナ。そんなやり取りをしていると暗闇の奥から
「ォォォオオ……」
と、暗く不気味な声が聞こえて来る。
何かに苦しむような、絞り出した声は三人に平等な恐怖を与えた。
「ななな何今の……」
「怪物……でしょうか?」
二人の言葉に頷き、どうやらここからは冗談を抜きに真剣に進んだほうが良いと改めて気を引き締める。
F迷宮の時のように大胆不敵には進めず、慎重を期して安全を確認する。周囲に何も気配が無いとは言え、罠やその類は看破出来ないのだ。
リリリが逐一タマちゃんに訪ねてくれて居るのだが、指し示すだけでは簡単に見付かる訳も無く、一つ発見するのにそれなりの時間を要する。
それでも安全に進めるというのは有難く、余計な心配をしなくて済む点だけでも疲労度は段違いだ。
「順調ですね」
ルピナの言葉に頷いたのも束の間、後方から大きな叫び声が上がる。
何事かと振り返れば視界は暗闇に閉ざされ、新手の攻撃かと思ったものの
「おば、お、お、おば……」
と、要領を得ないリリリの言葉が頭上から聞こえる。
思いの外柔らかい感触を悠長に堪能する訳にもいかず、急いで引き剥がして再び振り返ると、そこには半透明な怪物の姿が有った。
髑髏の顔と、ボロボロのローブ姿には両足が無く、これで鎌でも持っていれば間違いなく死神だと錯覚した事だろう。
全身が青白く発光し、宙に浮かび、背後の壁が透けて見えていた。
「いやあああ! こっち来ないでえええ!」
背後のリリリが強く抱き着いて来ると動きに制限が掛かる。無理やりにでも抜刀すれば恐らく傷付けてしまうだろう事は明白だが、目の前の怪物はお構いなしに距離を詰めて来る。
「ゼロさん!」
怪物を挟んでルピナが叫ぶ。射線上に居るためか手が出せないのだろう……そうと決まれば腹も括られ、多少の痛みを覚悟で水薬を取り出す。
突き出した右手を思い切り握り締め、砕け散った瞬間轟音が鳴り響いた。
飛び回れる程の広さが有るとは言えその音は凄まじく、耳鳴り以外一切の音が消失する。
『なんて無茶を……酷い……』
右手は初級の爆裂水薬によって血だらけになっており、怪我の深さがひと目で分かる。
それを見たルピナは手を取り嘆き、直ぐ様回復の呪文を唱え出した。
治療が完了すると手の平は元通りに治り、これならグラムの回復魔法にも引けを取らないなと思っていると
「二度と自分の体を、粗末に扱わないで下さい!」
と、何時になく真剣な表情で咎められる。耳鳴りは治まったが、その大声で再び耳が聞こえなくなってしまうかと思うほど、ルピナの声は怒りで震えていた。
「あの、ごめんね……」
リリリの声に振り返れば顔に精気は無く、申し訳無さそうに肩を落としている。
「あーし、オバケとかそういうのホントに苦手で……」
今にも泣き出しそうなリリリに言葉を伝えるようルピナに頼む。
先程気付いた事だが伝えるだけならゼロに触れている必要は無く、受信したルピナがリリリの手を取りそこから流し込むような形で送信出来るらしい。
(誰にでも苦手な物は有る。気にするな)
「うん……ごめんねゼロっち……」
肩の上のタマちゃんもおろおろと右往左往しており、しょげたままのリリリを引き連れ第一階層の主の部屋へと辿り着く。
幸いにして幽霊のようなホラー系の怪物にはあれから遭遇する事なく、重厚な扉を前に息を呑む三人。
しかし神聖国の勇者が悪霊っぽい怪物を退治出来ないで大丈夫なのだろうかと思うが、リリリの扱いがどのように行われていたのか少し心配になってしまう。
扉を開けて中に入ると見慣れた戦闘部屋が存在しており、多少材質は違うものの広さ等はそっくりそのまま造られていた。
今までと違うのは部屋の主の存在が見受けられず、数歩進んだ瞬間に現れた事だろう。
これまでのように扉を少し開けて、何が待ち構えているのか確認するのは不可能……ここからが本当の迷宮だとでも言わんばかりに、現れた巨大なスケルトンは不敵な笑みを浮かべ、こちらを睨め付けるように見下ろしていた。
(でかすぎだろ……)
圧倒的な体格差に思わず呆けてしまう。四、五階建ての建物のような大きさはそれだけで迫力が有り、そういえばと後方に目を向けると
「リリさん!」
声を発する事も無くリリリが気絶していた。
「ゼロさん! リリさんが!」
(……寝かせておけ。防御は任せる)
溜息混じりに吐き捨て大剣を引き抜く。軟体生物や半透明野郎よりも、こういう方がよほど楽だと思った。
巨大髑髏の攻撃は案の定、その巨体を生かした力任せな攻撃だけで助かった。動きもそこまで素早い訳では無く、打ち下ろされる拳を石板剣の腹で殴り返す。
その攻撃は予想外だったのか、無いはずの表情に焦りの色が見えた気がした。
打ち返された拳は後方へと弾かれ、その勢いで体勢を崩したのを勝機と見て
(ルピナ!)
と、後方に控えていたルピナへ援護を要請する。
待ち侘びていたと言わんばかりに既に完成された魔法が放たれ、巨大髑髏の足元が爆ぜる。
後方へ倒れ込む標的を追い掛け、追撃を仕掛けるべく地を駆け飛び上がる。
しかしそこは階層主……それを許すまいと、およそ人の限界を超えた可動域は倒れ込みながらも右手をゼロへと突き出す。
眼前の巨大な手の平を避けるべきか否か―――刹那の判断は突如現れた巨岩によって中断され、音も無く現れた岩の塊が迫り来る脅威を弾き飛ばした。
宙を蹴り、更に加速を付けて髑髏の頭部へと斬り込む。
一太刀……また一太刀と確かめるように斬り付け、叩き、壊し、頭部を貫通すると一足早くゼロが地面へ着地する。
まるで水中に居るかのような緩慢とした時間の流れの中で、ゼロは再び両手に力を込めた。
いつか見たあの時の剣筋をなぞるように……思い出し、記憶の中の技を宙空に描く。落下する巨大髑髏の後頭部目掛け、思い付くままに剣を振るう。
剣閃は鋭く、その衝撃で次々と粉砕されていく。まるで刀身が何倍にも伸びたかのように、暴風のような攻撃は全てを粉砕するまで続いた。
頭部が消失した階層主は倒れ込んだまま動かず、懸念していた核の場所は頭部に有ったと見て良いのだろう。
暫くすると他の怪物と同様に淡く光り、その姿が消失するとこぶし大の魔石を残して戦闘が終了した。
肩で息をするゼロへルピナが駆け寄る。
「すごい、凄いですゼロさん!」
入れ込んでいた気持ちがゆっくりと戻ると心を落ち着かせ、剣を肩に担ぐとゆっくりと頷き薄く微笑む。
「今のはゼロさんの能力なんですか?」
魔石を拾いがてら歩いていると、ルピナが尋ねて来る。
(あれはグラムの置き土産……って言っても、絶対に駄目出しされるような不出来なものだけどな。毎日の素振りが役に立った)
あれから幾度と無く模倣してきた動きは、最近になって漸く形になってきたと思う。
あの頃とは違う魔力の扱いに慣れた結果だろうが……きっと不機嫌な声で諫める姿が容易に想像出来た。
リリリの元に戻ると毛布の上に寝かされており、半透明なドーム状の結界が他者の侵入を拒んでいた。
老木の杖を持ち、ルピナが何かを呟きその先端で結界を軽く叩く。すると結界は音もなく解除され、その中ですうすうと寝息を立てているリリリ。
(……少し休憩するか)
「そうですね。リリさんも目を覚まさないですし」
リリリを毛布ごと両手で持ち上げると部屋の入り口へと戻る。
扉の前は通路よりも幾分広いので邪魔にならないよう、先駆者達の野営跡で休息を取る。
「お疲れ様でした、ゼロさん」
そう言って木製のカップを手渡すルピナ。中は例の如く透明な液体で満たされ、からからに乾いた喉を潤す。
(……これは、気に入ってるのか?)
「えっ、お口に合いませんでしたか?」
果実水……なのだろうが、檸檬のような酸味とほのかな甘味が口に残る。似たような物は知っているが、そのどれとも合致はしない。
「リモモの実はそのまま食べても美味しいんですけど、飲み物として愛飲する方は多いんですよ? それにお肌に良いんです!」
名前は桃っぽかった。
そう言い放ったルピナは誇らしげで、満足気に胸を張っている。久方ぶりに見る上機嫌な表情にほっとしていると
「なんで笑ってるんですか?」
そう言い、自分の飲み物を持ったルピナが横に座る。
(……さっきの連携は見事だった。助かった)
再度ぶり返すのを恐れ、話題を逸らす。
「ゼロさんの考えている事はお見通しですから」
そう言って微笑むルピナは誇らしげで、互いに視線を交わして微笑むと
「あのー……起きたんですけど……」
と、申し訳無さそうにリリリが片手を上げて申告する。
「もーすこし寝てた方が良かったかな?」
冗談めかした言葉に首を振り、大丈夫なのかと尋ねると
「うん……身体はだいじょぶ。二人がここまで運んでくれたんだよね……ありがとう……」
と、表情に影を落としたリリリが礼を述べる。声にもそれが表れており、昨日のような明るさは微塵も無い。
「リリさんもどうぞ。落ち着きますよ」
そう言ってリリリの飲み物を用意し、それを手渡すルピナ。リリというのは愛称なのか、先程から気になっているがタイミングを逃し続けている。
「ですです。昨日寝る前に少しお話して、愛称で呼んでほしいと言われたので―――」
と、頭の中を覗き込んだルピナが疑問を解決した。その言葉で互いに顔を突き合わせ、確認するように頷き合っている。
どうやら同室にしたのは正解だったようで、意外と馬が合うのかも知れないと思った。
「ホントにごめんね……こんなんじゃダメだよね……」
暗い顔のまま呟くリリリ。重い空気が流れると残りを飲み干し口を開く。
(……そうだな。このままじゃ連れていけないだろうな)
「ゼロさん!」
率直な物言いを咎めるようにルピナが叫ぶ。
「ううん、いーのピナっち……あーしが悪いのは分かってるから……」
「でも……」
互いに庇い合う様子を見て、本当に気が合うなと驚く。一晩で急速に仲良くなる所を見ると、やはり女性同士のそういった事柄は不思議な事で一杯だと深く納得した。
(ここへ来る前に、躊躇っていた理由は分かった……が、この先も危険な事は沢山有る)
気を取り直して再度話を進める。ルピナはリリリに寄り添い、丸まった背中を優しく撫でていた。
(逃がす事は出来ると思う……だけどそれは、自分自身がある程度戦えるという前提が有っての話だ)
ゼロの言葉に頷くリリリ。ゆっくりと自身の置かれた現状について、淡々と説明を続ける。
(気持ちは分からなくも無いけどな……平和な日本で生まれたなら、何かと戦うなんて―――)
「えっ」
驚きの声を上げ、リリリが固まっていた。
「今、日本って……?」
確認するように震える声でリリリが聞き返すので、素直にそのまま頷く。
「ゼロっちは日本人だったの?」
横のルピナを見ると小さく頷いており、どうやら出自に関してはまだまだ説明していない事の方が多いようだと悟る。
(生粋の日本人だ……今は訳あって、この少年の体を借りている)
立ち上がり、話が長くなりそうだったのでルピナへカップを手渡す。再度なみなみと飲み物が注がれ、再び元の位置へ腰を下ろす。
「借りているって事は、いずれ返すの?」
リリリの疑問に頷くゼロ。本来はそれが目的で旅に出ようと思っていた所、様々な出来事が重なり今に至ると説明する。
「辛いことが多かったんだね……」
(そうだな……だからこそ、そういう時の為にやれる事はやっておきたいと思ってる)
自分なりに模索し、最善を導き出そうと毎日が必死の連続だ。
「あーし、二人は戦うのが好きなんだって思ってた……」
そう言って俯いたまま言葉を漏らすリリリ。そうだったらどれほど楽だったろうかと思うのだが、否定できない部分も有るので何とも言えない表情を作ってしまう。
「二人は怖くないの?」
リリリの問い掛けに同時に頷く。
「私は少し怖いですけど……でも、それでも前に進みたいと思っています」
決意の火が灯ったルピナの瞳は、真っ直ぐにリリリを見据える。
(同感だ。一瞬の躊躇で死なれても困る……後悔は終わった後にすれば良い)
突き放すような言葉にリリリが怯む。
(見た目とは違って随分と優しい性格だな……皮肉っぽく聞こえるかも知れないけど、出来れば子供には子供らしく居て欲しいとも思っている)
そう言ってフォロー混じりに微笑んで見せた。
(だけど状況がそれを許さない……それは分かってるんだろ?)
無言のまま頷くリリリ。
(それに今は無関係の人間を助けようとしてるんだ……協力しなかったとしても、誰に恨まれる事も無いさ)
タマちゃんの案内は確かに偉大だが、それでも元は無かった事なのだ……誰に頼る事も無く、独力で攻略するのも一興だと思っていた。
(決めるなら今、この瞬間に決断してくれ。帰るなら入り口まで送ろう)
カップの中身を再度飲み干すと、指先から水を出して濯ごうと思ったのだが勢いが良すぎて飛び散り跳ね回る。
両手をばたばたとさせて慌てる様を見て、リリリが漸く笑顔になった。
「ゼロっちって、魔法が苦手なの?」
そう言って歩み寄られ、手に持たれたハンカチで顔を拭かれる。それが終わると直立し、両手で思い切り自身の頬を叩くリリリ。
「よし、決めた! がんばる!」
遠くを見詰め、決意を宣言する。その言葉に満足気に頷くと、立ち上がり出発の準備を進めた。
階層主の部屋へ戻って来ると、やはり魔石や遺留品などが鍵となっているのか……再度戦う必要は無さそうだと胸を撫で下ろす。
両腕に少し痺れが残っており、また同じ事をやれと言われるのは少々しんどいと感じていた。
(そう言えば、自衛の手段は有るのか?)
無ければ腰の戦鎚でも渡そうかと思っていたが、徐ろにローブの中から一振りの鞭を取り出すリリリ。
持ち手から先が幾重にも分かれたそれはバラ鞭……だっただろうか。悪友の得意気な顔が脳裏にチラつく。
だらりと垂れた平たい九本の紐部分は黒く、聞けば長さや硬度の調節、魔法の付与などが可能な歴とした魔導具だと言った。
銘はローズウィップ……ツッコミどころが満載の武器だが、これを作った人物が日本人だという事は間違い無いだろう。
だがリリリはそれに気付いていないのか
「さっきも使えば良かったよね……ごめん……」
そう言って申し訳無さそうに俯かれる。
「って言っても、魔法もそんなに得意な訳じゃないからさ……」
先程の問い掛けは親近感を湧かせるのに一役買ったという事だろうか……そういう事にしておこうと思った。
そうして戦闘場の出口へ差し掛かると
「ォォォオオ……」
と、何処からとも無く声が聞こえる。入口付近で聞こえた時よりもはっきりと聞こえ、発生源が近い事が分かる。
「けて……たすけ、て……」
蚊の鳴くようなか細い声に、音の出処を探る。
試しに出口の扉を開けてみるものの声は聞こえず、地下へ続く階段だけが暗闇を湛えて口を開けていた。
(どういう事だ……?)
戦闘場へ戻ると腕を組み、首を傾げる。この部屋の中に居るという事なのか、助けを求める呻き声は尚も続いている。
「ややややっぱり幽霊なのかな……」
先程の決意を揺るがすのに十分な恐怖は容赦なくリリリの声を震わせる。
(あっ、そうか!)
得心したように手の平を叩くと、同じタイミングでルピナも閃いたのか既にタマちゃんに発生源を尋ねていた。
「この声がどこから聞こえるか分かりますか?」
と―――。
暫く待つとお馴染みのポーズを取り、部屋の角を指し示すタマちゃん。一見すると何の変哲もない場所だが……
「ありました!」
何かの拍子に埋まってしまったのか、なんとか人が通れそうな穴を発見する。
近付いて耳を澄ますと穴の向こうから助けを求める声が、先程よりも鮮明に聞こえた。
複数の低い声は男のものだろうか……弱々しい声は今にも息絶えそうな程、その声に力は無い。
(……この迷宮に隠れている盗賊達はこの先に居るのか?)
タマちゃんへ尋ねると直立のまま、力強く頷くのを見てこうすれば手っ取り早かったと手際の悪さを反省した。
「驚きましたね……まさか、第一階層に居るなんて」
ルピナの声に自分も同じ意見だと頷く。
隠れ潜んでいると聞いて、どこか最下層付近を拠点にしていると思っていたのだが……まさかこんな場所に隠れているなど露ほども思わなかった。
しかし証拠を前にすると途端に得心が行き、生活するには入り口に近い場所の方が何かと都合も良かったのだろう。だとすると残るは―――
「なんで苦しそうなんですかね?」
ルピナの疑問に頷き、それはこの先で起こるであろう戦闘を予感させた。
(場所が分かれば話は早い……俺が先に行く)
そう言って装備を外すと収納してもらい、四つん這いになって穴へと侵入する。
中は暗く、一切の光が無いので光魔法で照らしてみる。ルピナのように周囲を飛び交う便利なものとは違い、ヘッドライトのように額から明かりが拡散される。
「どうですかー?」
暫く進むと後方からルピナが問い掛けてくるので、大丈夫そうだと伝える。
到着を待ち三人一列で進んでいくと、元の場所に戻ってしまったのかと錯覚するような場所へと這い出る。
階層主との戦闘場に酷似していたが規模はひと回り小さく、辺りには鼻を衝く異臭が立ち込めていた。
(これは……)
「う、ううぅ……」
頭上からの声に目を向けると、繭のような物体を発見する。
白い糸が幾重にも巻かれたそれは天井から吊るされており、人の頭部のみが露わになっていた。
繭はパッと見ただけでも十数個……依頼書の人数には足りないようだが、その残りは床に落ちた繭という事なのだろうか。
「酷い臭いですね……」
ルピナが部屋の惨状を嘆いた瞬間
「誰か、誰か居るのか!?」
と、繭の中の人物が叫ぶ。それは周囲に伝播し、次々と口を開き助けを求める声が溢れ返った。
「頼む、頼むから助けてくれ!」
「早くここから出してくれ!」
「早く早く早く……そうしないとあいつが―――ぐううっ」
突然途切れた言葉の方に視線を向けると、巨大な蜘蛛が繭に包まれた男の頭部を丸かじりにしていた。
「あはッ……ははァ……」
半分程になった頭部は口から恍惚の言葉を漏らし、それが終わると力無く項垂れる。
「なななな何あれ……」
体表は黒く、赤い複数の眼が妖しく輝き、八本の足は忙しそうに食事を続ける。
(ルピナ!)
「いきます!」
作戦内容を伝え、ルピナがそれに呼応するかのように魔法を展開する。
周囲に火球が出現すると地面、宙空、天井へとそれぞれ放たれ
「エクスラ!」
爆ぜろとの命令で瞬く間に部屋中が火の海に包まれる。
爆発と同時にきらきらと焼け落ちるワイヤーのような糸を確認すると、ゼロは大剣を片手に繭を切り落とし、リリリも鞭を駆使して繭を引きずり降ろしていた。
(なめやがって……)
部屋に入った瞬間、違和感には気付いていた。足元や部屋中に無数の糸が張り巡らされ、部屋の主も侵入者達に気付いていただろう。
食事中もこちらに視線を送り、次はお前たちの番だとばかりに薄ら笑いを浮かべていた。そう感じられた。
だとすれば人質の生死など今はどうでもよく、この怪物に一泡吹かせるだけが最優先となり、先のような強硬策を実行させた。
蜘蛛型の怪物が奇声を発し、地面へと降下する。餌を取られた怒りからか、その矛先はルピナ達に向いたようだ。
(お前の相手は……俺だろうが!)
最後の繭を切り終え、蜘蛛を目掛けて急降下するゼロ。
落下中に身を捩り回転させると、接地と同時に大剣を叩き込める……筈だった。
巨大蜘蛛はその巨体に見合わず素早く、八本の足は困難な回避を難無く間に合わせる。
地上で対峙する蜘蛛は予想以上に大きく、その威圧感はまるで王都の外壁が迫ってくるようだった。
再び金切り声を発すると蜘蛛は猛然と駆け出し、それを大剣で受け止めるゼロ。背後にはルピナとリリリ、助け出した男達の姿が有る。
両足に力を込めて踏み止まるが、蜘蛛の突進は尚も力強く続けられる。
「避けて下さい!」
ルピナの声に上空へ飛び上がると、蜘蛛の顔面へ巨岩が放たれる。一瞬でも遅れていれば共に潰されていただろう……肝が冷える。
ルピナの魔法によって作られた好機に大剣を投げ付け、蜘蛛の腹部を突き破り体液を噴出させると戦斧を足元から抜き出す。
柄を握り、空を駆け、二度目の急降下を頭部目掛けて繰り出すと
(これで、終わりだ!)
幾度と無く繰り返した、真っ直ぐな刃筋が蜘蛛の頭を両断した。
歪み、逸れ、曲がる事無く綺麗に割られた頭からは紫色の体液が流れ、痙攣していた手足が動かなくなると戦闘の終了を告げる。
気付けば部屋の中は霧のような水気に満たされており、燃え盛っていた炎はルピナの魔法によって沈静化していた。
「きゃあっ!」
「ちょっと、何すんのよ!」
背後の悲鳴に振り返れば男達の拘束は解かれており、十数人は居るであろうか……その全てがルピナとリリリを取り囲んでいた。
男の一人はルピナを背後から羽交い締めにし、リリリも同様に後ろ手に囚われている。
あまり考えたくない事だが、助け出してすぐに解放したのか……詰めの甘さと人の良さに辟易し、片手で顔を覆うと深い落胆の表情を浮かべる。
(捨て置けば良いものを)
多少荒目に場の制圧を指示したのは、その命が己にとって無価値で有るからこそ出来たものだ。
囚われていた割に血色の良い男達は二人の女性を盾に出入り口を塞ぐと
「へへへ……形勢逆転だなぁ……」
と、薄汚い笑みを浮かべる。
全く本当に、この世はクソだらけだと自分の甘さにも、二人の甘さにも怒りが込み上げて来る。
「武器を捨てろ!」
手に持っていた戦斧を手放し次の指示を待つ。
「よしよし……いいぞ、そのまま動くなよ……」
視線を出入り口へと向ければ男達が次々に入って行き、なるほど時間を稼ぐ為なのかと理解する。
どうやら命までは取る気が無いようで、囚われていたのだから武器なども無いせいか、この場から逃げる事を最善手としたようだ。
「駄目です!」
思考を読み取ったルピナが叫ぶ。その声に驚いた男が振り返り、拳を振り上げた瞬間
「ピナっち!」
拘束を振りほどき、リリリが駆け出した。
「勝手に喋るんじゃねえ!」
男の拳はルピナに当たる寸前で、走り込んで来たリリリによって阻止される。
殴られた衝撃で体制を崩し、リリリが地面に倒れ込む。
全員の目が事の顛末を見届けていると、一人跳んでいたゼロが男達を強襲する。
上空からナイフを投げ付け、目、手、足と刺さり悲鳴を上げさせる。尚も攻撃は続けられ、長剣による一撃は敵を簡単に死に至らしめた。
(リリリを頼む)
出入り口に身を屈めた状態で突っ込み、暗闇の中全力で駆ける。前に突き出した腕に何かが当たると
「おい! 押すんじゃねえ!」
「やめろ! それ以上やったら―――」
次の瞬間には男達の絶叫が木霊し、狭い通路は何かが砕ける音で満たされた。
階層主の戦闘場へ押し出すと、四人の男達は全員が手足をひん曲げておりその姿は糸が切れた操り人形のようであった。
躊躇う事なく胸に長剣を突き刺すと、戦闘場の扉から出ていく残党を見付け、その全ての首を、一刀のもとに跳ね飛ばした。
その瞳に昏さを宿し、淡々と機械的に首を麻袋へ放り込んでいると
「ゼロさん!」
ルピナとリリリが駆け寄って来る。何事かと振り返るとそのまま膝を折って抱き着かれ
「ごめんなさい。もう大丈夫……大丈夫ですから……」
と、涙声で謝罪を述べて来る。何が大丈夫だと言うのか、また敵が襲い掛かって来るかも分からないと言うのに―――
「ゼロさん!」
再度名を呼ばれ、泣き顔のまま顔を突き合わせると
「もう敵は居ません。だから、元のゼロさんに戻って下さい……」
そう言われ、優しく頬を撫でられる。
すると先程まで森狼のように尖っていた頭髪は次第に落ち着いていき、ふわりと元の柔らかさへと落ち着く。
(……そうか。そうだったな)
そうとだけ呟き取り出した布で血糊を拭うと納刀し、惨状を報告するべくギルドへ向かおうとすると足がもつれその場に倒れ込んでしまう。
「はい。後は任せて下さい」
薄れゆく意識の中でルピナの声が聞こえた。
ああそうだ、今日は二回も全力で戦ってしまったのだとぼんやりと思い出し、力の配分はぴったりだった等と馬鹿な考えをしていると、ルピナの腕の中で心地良い眠りに包まれた。
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