第十三話 ~迷宮核と逃亡者~

《第十三話 ~迷宮核と逃亡者~》


 巨大扉を再び開けるとそこは先程と同じく静寂に包まれており、再度怪物が出現する事は無かった。


 戦闘が行われた広場の奥には同様の大きさの扉が在り、ゆっくり押し開けると薄暗い通路が続いていた。


「ここが最下層だったみたいですね……」

 機嫌が直ったのかはたまた独り言なのか、ルピナがそう呟く。


 周囲に気配が感じられない事から危険は無いだろうと思うものの、先の一件で神経が過敏になっているのを自覚した。


 進み始めて二、三分くらいだろうか……通路の先に微かな明かりが見えた。それは歩みを進めると同時に近付き、歩く度に違和感が募る。


 こちらの歩行速度が一定なのにも関わらず、光がまるでこちらへ襲い掛かって来るように視界を―――


「ゼロさ―――」

 身構え、叫ぶルピナの声が途切れて光に飲み込まれる。視認する全てが光に覆われ、あまりの眩しさに両手を顔の前で広げる。


 指の隙間から突き刺さるような光の奔流が終わると周囲に人影は無く、ただただ真っ白な空間に立たされている事を認識した。


 足元には靄のような煙が立ち込め、自身の体を確認する。見覚えのある景色に深呼吸をし、右の拳に全力を込めると


「やあ、久しぶりだね」

 背後から掛けられた声に飛び掛かり、溜め込んでいた一撃を少年神の顔へと叩き付ける。


 しかし握り固められた拳は寸前で見えない何かに阻まれ、一瞬だけ明滅する透明な障壁がそれを受け止めていた。


「うんうん、なかなか良い研鑽を積んでいるようだね……でも、まだまだかな……」

 そう言うと少年神は人差し指を親指に引っ掛け、弾く力でゼロを攻撃する。


 大きな破裂音とともに後方へと吹き飛ばすが殺傷能力は無く、空中で翻り着地と同時に走り出す。


「まあ落ち着きなって」

 少年神が指を鳴らすとその場に停止するゼロ。まるで言葉が意志を持っているように、その一文字一文字が体の自由を奪った。


「久しぶりの再開だっていうのに酷くないかい?」

 両手を腰に当て、困ったように眉を寄せる少年神。


(……転生とやらは良い、代償もどうでも良い! でもな、あいつらが死ぬ必要は無かっただろ!)

 今にも飛び掛かりそうな姿勢のまま、空間に固定されたゼロが牙を剥き出しにして吠える。


 その形相をまじまじと観察するように歩み寄り、少年神が少し身を屈めて目線を合わせる。


「うんうん、君の言い分は尤もだよ。でも―――それを受け入れたのはお前だろ? 甘えるなよ」

 数瞬前の子供らしい表情は消え失せ、その眼の奥に確固たる何かが有るのだと静かな口調が訴えて来る。


 初めて見せた少年神の真剣な面持ちに少しだけ頭を冷やし

(……何を企んでいる?)

 と、兼ねてからの疑問を投げ掛ける。


「うんうん、やっぱり君は頭が良いね……一言で全てを解決出来るかも知れない、良い質問だと思うよ」

 少年神は再び笑顔を作り指を鳴らす。すると途端に拘束が解かれ、よろけながらも体勢を整えるゼロ。


「でも、その質問には答えられない。君を転生させてから状況が目まぐるしく変わって来てね……でもそうだな、助言くらいならあげても良いのかな?」

 この状況を楽しむように、少年神はそう呟く。


「君の辿っている道は間違いじゃない。正解でも無いけど……って、ところかな?」

 要するに何も分からないままだという事だろう、再びゼロの拳に力が込められる。


「待った待った! あまり時間が無いんだから、無駄な事は止めよう? ここに来たのは解呪の為なんだろ?」

 少年神の言葉に力を抜き、無言のまま頷く。


「全く喧嘩っ早いんだから……異世界に来てまで人の為に奔走するとか、本当に君をこの世界に呼んで良かったと思っているよ」

 皮肉と溜息混じりにどこからともなく羊皮紙を取り出し、それを眺めて筆を走らせる少年神。


「随分と成長したね……師匠が良かったのかな?」

 今までの全てを見ていたとでもいうのか、含みの有る言葉にふっと鼻で笑ってしまう。


(……解呪用の水薬とか、そういった物を貰う事は出来ないのか?)

 その言葉に気付き目を見開くと、羊皮紙から視線をゼロへ移す。


「出来なくは無いけど、それだと一回きりで終わっちゃうじゃないか……本気で言ってるのかい?」

 それが可能なら是非も無い。身元を引き受けるかどうかの話は一旦置いて、助けられる事は確実になるのだ。


「うーん、でももう書いちゃったから……」

 そう言って羊皮紙を見せて来る少年神。技能の欄に【水薬製作】の文字が追加されていた。


 その他にも色々と書かれており、取得した順番で並んでいるのか、あまり効果を実感した事の無い隠遁の他にも、剣術系や無詠唱魔法の文字が並んでいた。


「お望みだったらもっと詳細に出せるけど?」

 その言葉に首を振り、どうせならルピナと共に王都で確認すると伝えた。


「うんうん、それが良いかもね。技能は意識して使わないと効果が薄いから、その辺はもっと勉強したら良いと思うよ」

 それは流石に説明不足だろうと思うが、前にも似たような事を言われていたなと思い出す。


「でも君の場合は……あっ、まずいもう時間切れだ。新しい技能は簡単だから、水薬を作れば分か―――」

 慌てた様子の言葉が途切れ、視界が再び白に染まると元の迷宮へと戻される。


 意識だけ飛んでいたという事なのだろうか、気が付くとあの空間へ飛ばされる前の格好で体が固まっており、一拍の間の後に自由を取り戻す。


「うわぁ……びっくりしましたねゼロさん。……ゼロさん?」

 固まったままのゼロへ声を掛けるルピナ。不思議そうに周囲を見渡し、何かを確認するようにあちこちに視線を送っている。


「何かあったんですか?」

 その様子が気になってしまい問い掛けると、何かを悟らせまいと思考に壁を感じた。


(ルピナはその、何も無かったのか?)

 その言葉に頷き、つまりそれはゼロの身に何かが有ったという事なのだが、ルピナは深く追求しなかった。


 こういう時に問い詰めたとしても困らせるだけだと言う事は、短い付き合いながらも心得ていたし、優しさに付け込み無理やり聞き出してしまうのは嫌だった。


(そうか……なら行くか。奥の部屋までは安全みたいだ)

 光の溢れている通路の先まで来ると、そこは小さな広場になっていた。正方形の小さな部屋は石煉瓦の壁から光が漏れ、部屋全体が淡く発光している。


 部屋の中央には正方形の台座が設置してあり、その上に黒く、一切の光を反射しない球体がふわふわと浮かんでいた。


 室内に足を踏み入れると背後の入り口が音を立てて閉じられ、耳鳴りのような高音が鳴ったかと思うと不思議な感覚を覚えた。


 目の前の球体は迷宮核……全ての迷宮を管理し、その全てを統括するものなのだと……そう理解させられた。


「ゼロさん、これって……」

(ああ、これで間違い無いみたいだな)

 すると再び高音が鳴り響き、訓戒のような意志が流れ込んで来る。


 初めて迷宮の踏破を完了した者に報酬を与える事。

 全ての冒険者はそれを足掛かりに鍛錬を積む事。

 来たる日に備え、驕る事無く、争う事無く、手を取り、尊重し、助け合ってほしいという事。


 最後だけ妙に説教臭いというか、くどい感じだったのが気になったが色々と考えさせられる言葉だった。


 返答は? 音だけの言葉が頭に流れ込んで来る。甲高いだけの筈なのに、言葉が直接流れ込んで来る感覚には一切馴れる事が無い。


(問題無い。相手が誰であろうと、敵意が無い限り自分から何かをしようとは思っていない)

 その言葉にルピナも頷き、迷宮核の返事を待つ。


「心優しき冒険者よ、汝らの行く末に幸あれ―――」

 迷宮核はその音を最後に沈黙し、球体が黒から白……目も眩む程の光を放ち始める。


(またこれかよ!)

「ゼロさん!」

 片手は顔の前に。もう片方の手はルピナを探し、掴んだ物を握る。


 再び意識が飛ばされるのかと肝を冷やしたが閃光は瞬く間に終わり、背後の扉が開く音がした。


「ゼロさん―――」

(ん?)

 隣を見ると目を閉じ、少し怒ったような困ったような何とも表し難い表情をしたルピナが、肩を戦慄かせ立っていた。


「どこを触ってるんですか……」

 ルピナの言葉に自身の手を見れば、そこには力強く握られた胸が有った。ローブ越しでも分かる確かな感触……そして次の瞬間、頭上からの気配を察知して飛び退く。


「なんで毎回胸ばっかり触るんですか! そして避けないで下さい!」

 さっきまで立っていた場所を見ればそこに大型の木槌が振り下ろされており、まともに受けていたら今よりも身長が縮んでいた事だろう。地面は少し砕かれていた。


(……よし、報酬も貰ったし帰るか)

「少しは謝って下さいよ!」

 落としていた腰を元に戻し、出入り口へと歩を進める。態とでは無いのだ、謝る必要は無いと思っていた。


 謝ってしまったら何だか狙ってやっているようで、その業が後々まで続くような気がしていたし、何よりこういう場合は自分に得しか無いのだからどうせ言うなら―――


「お礼なんて言ったら本当に怒りますよ……」

 ……つまりそういう事らしい。


 ルピナに読まれないように感謝しつつ地上を目指した。


 帰り道は静かなもので、怪物達もそれなりに襲って来てはくれたが階層主の姿は無く、何か条件が有るのか……姿を現す事は無かった。


 無事に地上へと帰還すると昨日と同じくらいの時刻になっており、それなりに長い時間を迷宮内で過ごしていたのだと気付かされる。

 初日程の疲れは無く、心地良い疲労感が全身を包んでいた。


(まだむくれてるのか?)

「知りませんっ」

 前を歩くルピナは終始機嫌が悪く、何を聞いてもつんけんした態度のままだった。


 何か名案は無いものだろうか……こういう時にグラムや生前の悪友達でも居れば話は違うのだろうが、それが閃く事は迷宮を出てからも終ぞ無かった。


 南東区画を中程まで歩いていると、道の向こうから誰かが駆けて来る。

 真っ白いフードローブ姿はあの日のルピナと重なり、そういえばそんな事も有ったなと苦笑する。


 あまり見掛けない意匠のローブが珍しく、所々に綺羅びやかな装飾が施されていた。

 こちらの姿を認めるとフードローブの人物は周囲をきょろきょろと見回し、二軒先の路地へと駆け込んで行く。そして―――


(なんだ……?)

 後に続くように灰色のローブを着た男が二人、先程の路地へと駆け込んで行くのが見えた。


「ゼロさん!」

 ルピナの声につられて駆け出し、見覚えの有るローブに沸々と怒りが湧いて来る。


 体の中央部分に帯状の意匠が施され、神聖国か勇聖教のシンボルマークだろうか……翼と剣と瞳が重なったような刺繍が入っていた。


「勇聖教の物ですね。それぞれが自由や威厳、尊重を表しているそうです」

 頭の中の疑問を横のルピナが解説する。マーク一つで苛々させてくれるのだから、勇聖教は神経を逆撫でする名人の集まりかと馬鹿な事を考えてしまう。


(先に行く。こいつらを頼む)

 走りながら戦斧と大剣を地面に落とすと、それは倒れる事無くルピナによって収納される。建物の壁や二階の手摺りを使って屋根へ上がると、件の人物達を追跡した。


 初めて上から見る王都は本当に広く、地平線の少し手前まで街が広がっていた。

 夕暮れに目を眩ませながら感心していても、三人の足取りを見失う事は無い……足元の路地は薄暗いが、気配は一定の速度で動き続けている。


 少し離れた位置にルピナが居るのだろう。あまり感じ取れないが、どうやら気付かれないよう慎重に進んでいるらしい。


(あっ……)

 そう思ったのも束の間……分かれ道の選択を誤り、袋小路へと追い詰められる白ローブの人物。


 壁を背に男達に向き直ると

「いーかげんにしてよ! あーしはあーしのやりたいようにやるって言ってんの!」

 酷く個性の強い言葉が男達を拒絶する。


 フードローブの人物は女性だったのか、ルピナと違い少しだけハスキーな声色は意志の強さを感じさせた。


「いえ、貴女には勇聖教より捕獲の命令が出ています。勇者様が教義に反するなど、あってはならないのです……」

「どうかもう一度、考え直してはいただけませんか?」

 男達の言葉に腕を組み、そっぽを向いて反抗する人物。勇者という事は同郷の人物という事だろうか……どうするべきか悩んでいると


「ならば仕方が有りません……」

 腰元から細身の剣を抜き、男達が戦闘態勢に入る。

 じりじりとにじり寄る男達……すると突然、ルピナが物陰から飛び出し背後から強襲する。


「がっ―――」

 大型の木槌を振り下ろし、轟音の後にうめき声が聞こえた。それを合図に屋根から飛び降り、もう片方の男の頭上へと着地するゼロ。


「ぐっ―――」

 同様にうめき声を上げさせ、一瞬で勝敗が決する。


(勝手に飛び出さないでくれ。俺が来なかったらどうするつもりだったんだ?)

「……ゼロさんは、私を見捨てたりしないです」

 収納されていた大剣と戦斧を手渡しながら、そう答えるルピナ。


 その顔には薄っすらと笑みが戻っており、どうやら機嫌は少しだけ直っ―――

「でも、まだ許してませんからね?」

 ……そういう事らしかった。


 気絶している男達を縛り、ぱんぱんと両手を叩く。ロープの端を持ち、片手を上げ、この場から立ち去ろうとすると


「ちょ、ちょっと待ってよ! キミの事でしょ、魔剣の冒険者って?」

 背後からの声に振り返り、フードの奥を睨み付ける。誰から聞いたのか、今はもう背負っていないその二つ名に不快感を露わにする。


「そんなに怒んないでよ。別にあやしーもんじゃないし」

 そう言ってフードを外すと、中から現れたのは派手なメイクをした女性だった。


 日に焼けた肌に長い手足。髪は金銀黒色が左、右、前と割り振られており、二つの明るい色が頭頂部の後ろの方で束ねられていた。


 目の周りは白い線で縁取られており、眉やまつげは黒い。目元や耳に何か付けているのか、夕焼けに照らされきらきらと光を反射していた。


「あーしの名前はリリリ……【白鳥 璃々璃】ってゆーの。よろしくね!」

 そう言うとフードローブの女性は腰に手を当て、人差し指を上げると片目を閉じ、前屈みになって念押しして来る。


 なにかそういうのが流行りなのだろうか……一連の自己紹介を眺め終わったあとに、再び片手を挙げ(それじゃ)とこの場を立ち去る。


「だから待ってってば!」

 滑り込むように行く手を阻み、両手を広げて道を遮るリリリ。


「二人とも亜人領に行くんでしょ? あーしも連れてってほしいの!」

 最近は耳の早い人物が多すぎて多少の事では驚かなくなってしまった。どこから聞き付けたのか、目の前の人物は事もなげにそう言い放ったのだ。


(どうなんだ?)

 隣のルピナに視線を送り、相手の真意について尋ねる。


『言葉に嘘は無いみたいです。ただ、どうやって私達の事を知ったのかまでは……』

 力無くそう告げてくるルピナに頷き返し、再びリリリと名乗る人物に向き直る。先程までの剣幕と違い、まだあどけなさが残る表情はこちらの出方を窺っているのか……少し懇願するような眼差しが返答を待ち侘びていた。


(……やってくれ)

『本当に良いんですか?』

 ルピナの言葉にこくんと頷き、ロープを持って男達を背負うとルピナが足元に何かを投げる仕草を行う。


 手に持たれていた灰色の玉が地面に叩き付けられると、それは瞬く間に広がり視界を遮る煙幕を作り出した。


 何事かと入り口に集まった群衆を飛び越え、飛ぶように駆けるもそれに難なく追従するルピナ。

 件の人物は未だ煙の中だろうか、後を追っては来ていない。


 ルピナの事、エルフの少女の事、グラムの事や神聖国に勇聖教……自身も爆弾を抱えている身として、これ以上の問題は頭の方が先に破裂すること請け合いだ。


 冒険者ギルドに滑り込むと男達を受付の前に落とし、その様子に周囲がざわついた。


「ギルド長のシェールさんはいらっしゃいますか? お話したい事が有るのですが……」

「しょ、少々お待ちください」

 応対をルピナに任せ男達の所持品を調べる。


 どうやら武器以外に物騒な物は見当たらず、先程の首飾りが無い所を見ると本当に捕獲だけが目的だったのか……それはこれからの尋問で判明する事だろう。


「ちょっと……酷くない?」

 背後からの声に目をやれば、そこには肩で息をするリリリが立っていた。


 人目に付かないように再びフードを被っており、一応は追われている身としての自覚が有るのか小声で話し掛けてくる。


 なるべく悟られないように移動したつもりだったが、何か絡繰りが有るのだろうか……詰め所の方に行かなかったのなら見事と言わざるを得ない。


「ゼロさん、こっちです!」

 ルピナの呼び掛けに再び男達を背負って向かうと、当然のように後を付いてくるリリリ。


 振り返ればローブの奥で笑顔を作り、にこにことそれを絶やさないで居る様子を見て大きな溜息を吐く。


(被害者の証言も必要か……)

『ですね』

 諦めたように再び歩を進めギルド長の部屋へと向かう。


 扉の脇には先程の受付嬢が立っており、シェールはこちらの姿を認めると椅子から立ち上がり

「随分と早い再開だったな」

 そう言って突然の来訪にも関わらず、昨日と同じにこやかな笑顔で出迎えてくれた。


 片手で座るよう促されるが、その前に男達を床へ落とし

(神聖国の冒険者が暴れてたんで捕獲しておいた。襲われてた奴は後ろに居る)

 そう伝えるとシェールは男達の前で屈み、何かを調べるようにじっと見詰めていた。


「どうやら間違い無いようだな。迷宮内で凶行に及んだ話も聞いている……良ければ事の顛末を教えてもらえるかな?」

 その言葉に頷くとシェールは目配せし、案内してくれた受付嬢が二人の男を背負い退室した。


 再び座るように促され、先日と同様に装備を外して着席する。

 一組のソファーの片方にシェールが座り、反対側にゼロ、ルピナ、リリリの三名が座る。


 説明はルピナに任せ、出された紅茶風の飲み物を啜りながら返答を待つ。


「なるほど……だとすれば神聖国に話をしてみよう。流石に今回ばかりは知らぬ存ぜぬが通らないという所を見せてやらんとな」

 言葉に怒気が含まれている所を見ると、過去に何かが有ったのは言うまでも無いだろう。神聖国―――延いては勇聖教の事だ、そういう感情が有るのも無理は無い。


「ご苦労だったな。報酬を……と言ってやりたいところだが、賞金首でも無い限りはそういう訳にもいかないのでな。数週間、数ヶ月後に返答次第では恩賞も有るかも知れんが、今日の所は私からの賛辞だけで許してくれないか?」

 シェールの少し困ったような表情に頷くと、笑顔を作り頭を撫でて来る。


「すまんな。助かるよ」

 美味い茶も出して貰ったのだ、これ以上を望めば罰が当たりそうだ。


 それに助けただけで金は二の次……と、虚勢を張るにはいささか懐事情が寒いのだが、勇聖教を野放しにしないだけでも有難いと思うべきだろう。


「話は以上かな?」

 横目でちらりとリリリを眺め、問い掛けるシェールに頷き返すと


「ちょっとちょっと! まだあーしの話が終わってないんだって!」

 と、勢い良く立ち上がるリリリ。


「やっとガナティアから逃げられたんだから、少しくらい一緒に連れてってくれてもよくない?」

 両手を広げて詰め寄るリリリに対し、どうしたものかと思案する。


 ガナティア……確か神聖国の首都がそのような名称だった気がする。古めの本で読んだだけだったが、その名称は未だ現役のようだ。


(……だとすれば質問は二つ有る。どうして亜人領に行きたいのか、どうしてそれを俺達に頼みたいのか、だ)

 ルピナがそれをリリリに伝えると


「えっとぉ、それは……ヒ・ミ・ツ」

(……話にならないな。帰るぞ)

 そう言って立ち上がり身支度を整えだすと


「じょーだんだってば! ちょっと待ってよ!」

 と、必死に縋り付いて来るリリリ。


 涙目で懇願する様を見て何度目かの溜息を吐くと、シェールが声を殺して笑っている事に気が付いた。


「気に障ったなら謝罪しよう。いやなに……あいつもそんな感じで仲間を増やしていたなと思ってな」

 何時ぞや言っていた自分と似た冒険者の事だろうか、その瞳は少しだけ憂いを帯びているような気がした。


「そうですよゼロさん、可哀想じゃないですか」

(そうは言ってもこれ以上厄介事が増えるのは―――)

「あ、酷いです。私の事を厄介だと思ってたんですか? それに、断るならどうして助けたりしたんですか?」

「そーだそーだ!」


 言葉の選択を見事に誤り、そこを一気呵成に畳み掛けてくるルピナ。それに乗じて囃し立て、笑顔で片手を挙げながら飛び跳ねるリリリ。


「貴女も貴女です。一緒に行きたいと言うのなら、せめて理由くらいは教えてもらえないと許可出来ません。貴女は知り合って間もない相手をすぐに信用できるんですか?」

 リリリに向き直り詰問するルピナ。


「あーしは初対面でも別に……」

「そうですか。それなら当然私の事も信用していますね? 信用している相手には理由くらい訳無く話せますよね?」


 リリリの言葉に再度高圧的に食って掛かるルピナ。その言葉にはどこか棘が有り、これは十中八九とばっちりだろうと思うと、少しだけリリリに同情した。


 これ以上内輪揉めの醜態を晒すのは如何なものかと思い、場所を移そうと提案すると

「それが良い。三名以上で活動するなら、パーティ名でも考えておく事をお勧めするよ」

 と、去り際にシェールが独り言のように助言を述べて来る。


 そんな未来は可能性が低そうだが、一通りの事柄に対して礼を言ってからその場を後にした。


 ルピナの提案で場所を宿の自室へと移し、そこで改めて話を聞く事にする。道すがら先頭を歩くルピナを見ていたが、笑顔の中に少しだけ怒りが混じっているような気がしてならなかった。


 それはリリリも感じているのか先程の威勢は鳴りを潜め、少しだけ怯えているようにも見えた。


「どうぞ」

 扉を開けて部屋へ招くと、入り口で直立不動のまま動かないリリリ。

 上半身はゆらゆらと揺れており、その不審な動きに思わず身構えてしまう。


「もぅマヂ無理……」

 そう呟いたかと思うと前のめりに倒れ込み、どうにか受け止めるのが間に合うと


「お腹……減った……」

 と、頭上で発したかと思えば盛大に腹の虫が鳴り響いた。


 目を回しているリリリを椅子に座らせ、ルピナがテーブルに食べ物を置くとがばりと飛び起きる。


 すぐにでも飛び付くのかと思いきや、寸前でかぶり付くのを我慢するリリリ。皿の上のサンドイッチを見詰め、両手を膝の上でぎゅっと握り耐えていた。


「我慢我慢……まだ仲間じゃないから我慢……」

 言葉とは裏腹にかっと見開かれた両目は皿の上の料理を補足し続けており、口元からは今にも涎が溢れそうになっている。


(食べないのか?)

「えっ、いーの!?」

 唇が読めたのか、はたまたこういう状況からの推察だろうか……リリリは二人の顔を見比べ驚きの声を発する。


 その言葉にこくりと頷くと、食事の挨拶もそこそこに口いっぱい頬張るリリリ。

 ルピナは傍らでコップに飲み物を注いでおり、それを受け取り一口飲むとリリリの食事が終了していた。


(……凄い速さだな)

「足りましたか?」

 ルピナからの問いに、受け取ったコップを空にしたあと


「うん! 少しだけね!」

 と、満面の笑みを返す。どうやら満腹には程遠いらしく、そういう事ならと夕食ついでに食堂へ向かう。


 宿の女将に三人分の食事を頼んだのだが、運ばれてくる料理を次々と平らげるリリリを見てすかさず追加の注文をする。


「あーおいしかったー!」

 食事が済むとそう言って、満足したのか椅子の上で腹を叩いている。食事の事で子供が悩むなど、あってはならない事だ。


「ごめんね……まだ、仲間になってないのに……」

 仲間になるのは決定事項とでも言わんばかりに、そう言って肩を落とすリリリ。


(気にするな。詳しい話を聞かせてくれればそれで良い)

 その言葉にルピナも頷き、騒がしくなってきた食堂から再度自室へと場所を移す。


 椅子にはルピナとリリリが座り、ゼロはテーブル脇のルピナのベッドへ腰を下ろす。

 テーブルの上には先程と同様にコップが三つ置かれており、中は果実水で満たされている。

 それを二口、三口と飲んでいると、ぽつぽつとリリリが語り始めた。


「あーしがこの世界? に来たのは二年前……いつもどーりに寝て起きたら、この世界に召喚? されてたの」

 リリリの言葉に頷く。驚きは無い。


 神聖国の名字持ち……ましてや白鳥なんて珍しい名字は、地球人以外にあり得ないだろう。


「目が覚めたら見た事も無い服を着せられてて、魔法陣ってゆーの? それの周りに沢山の人が居たんだよね」

 自分とは違う過程を経てこの世界に生まれたリリリの言葉に少しだけ動揺する。


「勇者召喚って言ってたかな? あーしの他に三人居たんだけど、みんなちやほやしてくれるし、悪い気はしなかったよね」

 腕を組み、思い出すようにうんうんと頷くリリリ。


(それがどうして追われる事になる?)

 これ以上好き勝手に喋られると長くなりそうだったので、要点を聞き出すようにルピナに伝える。


「二人とも、奴隷って知ってる?」

 リリリの言葉に再び頷く。つい最近その事で問題が一つ増えたばかりだ。


「あーしは知らなかった。勇者としてちやほやされて、その裏であんなに貧しい思いをしている人達が居るって事を……」

 俯き、唇をぎゅっと結び沸々と怒りを湧き上がらせるリリリ。


「あーしバカだからさ……次の日からみんなに言って回ったよ。こんなのおかしいって。でも、誰も耳を貸さなかった……これが当然で、亜人の人達は純人族に仕える事が至上の喜びなんだ、って」

 耳の奥で何かが擦れる音が鳴り、それが自身の歯軋りだと自覚するとルピナがそっと手を重ねて来る。


「あーしは凄い怖かった……あーしと一緒に来た子達も、最初はそんなんじゃなかったのに、段々と別人みたいになって……」


 置かれた環境によって性格が変化する事があると何かで読んだが、リリリがそう感じるという事は急激なものだったのだろうか……洗脳やそれに類するものを行っているとしても何ら不思議では無いの。だとすると―――


「貴女は平気だったんですか?」

 ルピナの言葉に頷くリリリ。


「さっきはあー言ったけど、あんま知られたくないからさ……」

 そう言ってリリリはテーブルの上をとんとんと叩き、暫くすると何もない空間から小人が現れる。


「紹介するね、これがあーしの能力……【異世界案内人:ワールドナビゲーター】のタマちゃん」

 手の平に小人を乗せ、顔の近くに持ってくると微笑むリリリ。


 タマちゃんと紹介された小人に玉っぽさは無く、どちらかと言えば水滴のような特徴的な頭部をしている。

 顔も丸と長方形だけの無機質な感じなので、生物よりももっと別の枠組みの何かなのだという印象を受ける。


「タマちゃんは優秀だから、聞いたら大体の事は教えてくれる……って言っても、喋れないから雰囲気だけなんだけどね」

 凄いのか凄くないのか分からない能力だが、訳の分からない世界では心の支えになるのだろうと思った。数ヶ月前の自分と重ねてしまいそうになる。


「タマちゃん」

 リリリはそう言ってテーブルの上に紙とペンを置くと


「二人の名前を教えて」

 そう言うと覚束ない足取りでペンを持ち、よろよろとしながらも必死に名前を書き始めるタマちゃん。


 書き終えると額を手で拭う動作をし、合っているかと首を傾げる仕草が愛らしく目を奪われてしまう。

 再びリリリの手に戻ると肩へと移動し、誇らしげに紙を摘み上げるリリリ。


「これが答え。ゼロっちに、ピナっち」

 ドヤ顔のリリリは不可解なあだ名で二人の名を呼び指を差す。


(長くなっとるがな……)

 困惑するゼロの意志を読み取り、ルピナがくすりと笑った。


「他の国に行きたいってタマちゃんに相談してたんだけど、ずっとダメだったんだよね……でも諦めないで相談してたら、やっと違う答えが返ってきたの」


 聞けば能力の発現は一年前で、そこからの付き合いだとリリリは言った。

 まるで自分とグラムのようだと思ったが、あいつにもこのくらいの愛嬌があればと苦々しく思ってしまう。


「ほとんど諦めてたし突然だったけど、とりあえずタマちゃんが居れば何とかなるかなって思って……」

 そう言ってリリリは肩の上の小人を優しく撫でる。


「不思議だったなー。教会で大きな爆発が起こって真っ暗になって、頭の中に声が聞こえてさ」

 そう語るリリリは少し興奮しているのか、当時を思い返しながらも鼻息荒く語る。


「真っ暗だったけどタマちゃんやその声のお陰でガナティアから逃げ出して、リアモを目指したんだけど……ゼロっちはどんどん南に行っちゃうから大変だったよ」

 その爆発とやらの原因に何となく心当たりが有るのだが、今は深く考えないようにしようと思った。


 リリリを助けたという事は共に行けという事なのだろうが、グラムが何を考えて寄越したのか知る術は無い。


 矢継ぎ早に増えていく疑問や問題に頭が破裂しそうだったが、とりあえず現状をどうするかが一番の問題だろう。


(ルピナはどう思う?)

『私……ですか?』

 触れた手の平からルピナの声が流れ込んで来る。その声に小さく頷き


(このあけすけな性格だ……間者や密偵って可能性は低いと思うが、共に行動する以上これから更に危険が増えると思う)

 緊張した面持ちでルピナが頷く。


(だとすれば全ての日程に調整が必要で、予定よりも時間が掛かるという事になる……ルピナはそれで構わないのか?)

 真剣な面持ちで話しかけるゼロに、ルピナは優しく微笑む。


『それでもゼロさんは助けたいと思ってるんですよね? そういうのは相談じゃなくて、事後承諾ですよ?』

(む、まあそうなんだが……)

 困り顔のゼロを見て再度微笑むと


『大丈夫です。亜人領という共通の目的が有りますし、ゼロさんの身体は私が調整します……神聖国のグラムさんは気になりますけど、話の内容からしてお元気そうですし』

 元気過ぎる気もするのだが、グラムに関しては微塵も心配などしていなかった。

 あの魔剣が誰かに平伏す様など、天地がひっくり返っても想像出来やしない。


「もしもーし、聞こえますかー? じっと見詰め合っちゃってさ……あ、もしかして二人って付き合ってたりするの?」

 リリリの言葉にルピナが置いていた手を慌てて離し、真っ赤な顔のまま抗議する。


「私とゼロさんはそういうのじゃありません!」

「あはは、ジョーダンだってジョーダン」

 けたけたと笑うリリリを睨みつけ、少し間をおいた後にルピナが小さく咳払いをする。


「こほん。それでは御手を……」

 かしこまり、恭しく両手をテーブルの上に置くルピナ。手の平に重ねろという事なのか、二人の顔を一瞥する。


 左手にゼロ、右手にリリリが触れると頭の中に声が響く。


『―――ますか? 聞こえますか? 聞こえたらお返事をお願いします』

 握った手から聞こえるルピナの声に驚き、その顔を見るとしてやったりとばかりに笑みを浮かべている。

 際限無くその有能さに拍車を掛けるルピナを見て、これならば単独での旅も可能ではないのかと思ってしまう。


『えー、なにこれすっごーい。てか、ゼロっちの声ってこんな感じだったんだね……落ち着いてる感じ?』

 驚くリリリにこくりと頷くゼロ。


『リリリさん、貴女のお話は分かりました。これから一緒に亜人領を目指しましょう』

『ホントに!?』

 ルピナの言葉に喜ぶリリリ。


『ですが、共に行動する以上こちらもお話しなければならない事が有ります』

 そう言うとルピナは自身の出自、亜人領を目指す目的、最果ての街が襲撃された事などを掻い摘んで話す。


『じゃああの声ってその剣の……グラムって人の声だったのかな?』

(恐らくそうだろう。誰かが逆鱗に触れたのか、それともリリリを逃がす為にやったのかは不明だが……)

 ゼロの言葉に押し黙り、何かを考え込むリリリ。


(そういう訳で俺達も安全な旅をしている訳じゃない。必要になれば相手を殺す……そういった覚悟だけは常に持っていてくれ)

 まるで試すようにリリリに向けて言葉を発するゼロ。一瞬の躊躇で全滅しましたでは目も当てられない。


『それでもゼロさんは優しい人ですから、そんなに緊張しなくても大丈夫です。優しくて、ちょっとエッチです』

 含みのある笑顔のルピナ。これだけ話した後だと言うのに、未だ機嫌は直らないらしい。そして、追手達への手加減もお見通しのようだった。


『……本当に付き合ってないの?』

 二人の様子を見て、再度尋ねるリリリ。


 同じように否定するルピナを後目にタマちゃんを肩に乗せたまま、突如としてローブを脱ぎ出す。


「ここで脱がないで下さい!」

「えー、だって良いって言ったじゃーん」

 何時の間にかそういうやり取りが有ったのか、小器用にするすると着ているものを床へ落として行く。


 突然の奇行かと思ったがあれだけの空腹だったのだ、風呂にも入りたいと思うのが当然なのかも知れない。


「それにもう仲間なんだし、裸くらいどうってことないって」

 下着姿で仁王立ちのまま、豪快に笑うリリリ。


 そう言えば先程の話の中で自身の出自を説明していなかったなと、失念していた事を後悔するゼロ。


「なになにー? おねーさんの身体に興奮しちゃった?」

 髪をまとめ上げていたリリリが蠱惑的な笑みを浮かべゼロに迫る。


 前屈みになり、両腕に押し上げられた大きな胸が下着から零れそうになるほど、その肢体は凶悪なものがあった。

 大きな溜息を吐き、立ち上がると入り口へ向かう。


『何処に行くんですか?』

(部屋を追加してもらってくる。流石に三人は手狭だろう)

 そう言い残し、部屋を後にした。


 受付の女将に相談すると真向かい部屋が空いているというのでそこを借り、リリリが不在の間に引っ越しを済ませる。


 一人部屋は金熊亭と似たような間取りで部屋に浴室は無く、二人部屋の半額以下なのだから妥当かとも思う。


 手伝ってくれたルピナを労い見送ると、何日かぶりの静寂が小さな部屋に訪れる。


 ベッド脇の椅子に腰を下ろすと窓の外を眺め、奥まった立地のせいか見晴らしは良くないが静かな夜の風に揺れる木々や、擦れる葉音が心地良かった。


(なるようにしかならない……か)

 望む望まないに関わらず奇縁に恵まれている―――何時だか聞いたそんな言葉が不意に脳裏に過ぎる……そんな夜だった。

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