第十八話 ~休息日~
《第十八話 ~休息日~》
早朝。
何時もより短い睡眠時間でも目が覚めてしまい、眠気は残っていたがもそもそと着替えを済ませる。
自身の手の平を見詰め思い切り握りしめると、自分のものでは無い流れ込んで来る何かを感じた。
旅程を早める方が良いのかも知れない。そんな事を思いながら扉を開けると、朝も早いと言うのにカルーアが昨日と同じ出で立ちで仁王立ちしていた。
「なによ?」
突然の出現に驚いた顔を浮かべてしまい、それを咎めるようにカルーアが言葉を発する。
「おはようでしょ?」
生意気な口は相変わらずだが、言ってる事は尤もなので溜め息混じりに片手だけの挨拶を交わす。
投げやりな態度のまま横をすり抜け階下へ行くと、無言のまま付いて来るカルーア。何か用事でも有るのだろうか、外に出て準備運動をしている間も無言のままなぞるように真似をしている。
「走るんでしょ?」
カルーアの言葉に頷き、西門から出ると身体強化は使わず、出来る限り自身の力のみで足を動かす。
必死に抑え付けたところで足取りは軽く、一歩が大きい。昨日の疲れもどこ吹く風で、半周ほどすると大剣を引き抜く。
初めはゆっくりと、慎重に丁寧に素振りを重ねる。前よりも正確に、もう少し早く、目の前に浮かんだ一筋の軌道へ真っ直ぐに振り下ろす。
両手、片手、右手、左手と満遍無く、基礎的な動きから次第に実践的な動きへと変え、ひたすらに剣を振り続ける。
それを傍観していたカルーアは何を言う訳でも無く、地べたに座り込んで時折頷いてはそれを眺めていた。
得物を変えて振り回していると後方からの気配に振り返り、飛来した物を円盾で弾き飛ばす。
かん、と弾かれた物が小石だと確認し終えると、何をするんだと目だけでカルーアを責める。
「怒らないでよ。ちょっと試しただけだって……」
面倒臭そうに吐き捨て、尻に付いた土を手で払いながら立ち上がるカルーア。自分の身を何度か捩り、準備を整えると細剣をすらりと抜き構える。
堂に入る。前世での祖父の言葉を思い出し、その一連の動きが視線を外す事を許さなかった。
流れるように、幾度と無く繰り返された所作は付け焼き刃の自分とは比べる事すら烏滸がましく、剣先が自分に向けられるまでの短い動作でカルーアの技量がどれ程の物なのかを感じ取る。
「あんたの剣術って、なんかちぐはぐなのよね」
そう言って細剣を巧みに操り、静かに歌い出す。
指揮棒のような細剣と、声だけで奏でられる音色が心地良く、聴き惚れているとカルーアの周囲に昨日と同じ緑色の靄が纏われた。
「少し稽古を付けてあげる」
そう言うとカルーアは一足飛びで距離を詰め、突如としてゼロへ斬り掛かる。
寸前で半歩下がり、振り下ろされた細剣を避けると前髪がはらりと落ちた。
「見た目だけで判断しない事ね。刺突だけって訳じゃないんだから」
にこりと微笑み、次の瞬間かっと見開かれた目には明確な殺意が籠められていた。
繰り出される攻撃の全てが急所を的確に狙って来ており、その全てを躱し、往なし、弾いては凌ぎ切る。
連撃を受け切ると距離を取り、未だ収まらない殺意を前に迎撃体制を整える。全ての武器を外し、強化魔法や魔力を全力で解放させた。
本当にこれが稽古だと言うのか……目の前に対峙した相手からは一切の加減が無く、その全ての攻撃は一撃で相手を戦闘不能に陥れる威力を孕んでいる。
昨夜に垣間見た殺意も、向ける相手が違うだろうと茶々を入れたい所では有ったが、鬼気迫る表情がそれを許さなかった。
もしかしたら新手の刺客なのかも知れない……そう考えたほうが余程自然だと思える形相は、一言で表すなら鬼そのものだ。
『立て。相手が誰であろうと、どんな状況であろうと抗え』
聞こえるはずの無い声にふっと笑みを零し片手を前に、もう片方を腰へと据える。腰を少し落とすと半身になり、無手にてカルーアの出方を窺う。
何時だって理不尽で、やり場のない怒りや鬱憤をそうして晴らして来たのだと、遠い昔を思い出して全力をぶつける事に一切の躊躇いは無い。
自身の周りに魔法を従え、再びカルーアが襲い掛かる。
横薙ぎの剣戟を身を屈めて躱し、続く魔法球を後ろに飛び退き何とか回避に成功すると、着地際を狙った最後の一発にたまらず片手で払い除ける。
そこまで計算済みだったのか、目の前に迫ったカルーアが体を捻り蹴撃を繰り出す。初めて見せる体術に肝を冷やすが、かろうじて片手での防御に成功していた。
しかし威力は体格に見合わず、吸収しきれない衝撃が鳩尾へと綺麗に通り抜ける。
(ぐっ―――)
歯を食いしばり、衝撃に体を浮かせ、自身の体ごと空へ逃がす。
眼下では既に弓を構えたカルーアが射撃体勢に入っており、凝縮される魔力が鏃へと収束される。
魔力を纏った矢が放たれるとそれを真っ向から受けるべく宙空に足場を形成し、渾身の力を込めて踏み出す。
「避けなさい!」
慌てふためくカルーアの声に聞く耳を持たず盾を構えて激突すると、空中で制止するように互いの魔力がぶつかり合う。
せめぎ合うように力比べが続き、この日最大の力を込めて左腕を振り抜くと、矢が逸れた衝撃で円盾が粉々に粉砕された。
そのままカルーア目掛けて落下を続け、再度空中で加速を付けて突っ込むと細剣での迎撃を掌で受ける。
「ばっ―――」
この防御は予想外だったのか、短い言葉を発し驚き顔のカルーアへ足刀による攻撃を繰り出す。
肩口に入った攻撃はその身をふっ飛ばし、砂煙を上げながら華奢な体を数回転がした。
右の手に突き刺さった細剣を引き抜き、そのあまりの激痛に思わずじたばたと足踏みしてしまう。
焼け付くような鋭い痛みが全身に広がり、急いで水薬を患部へと振り掛ける。
「いたたた……」
顔を汚し、髪を乱したカルーアが起き上がり、よろよろとした足取りで歩み寄ると
「全く無茶するわね……見せなさいよ」
と、水薬で濡れた手の平を優しく手に取る。
短く呟かれた言葉の後に痛みが和らぎ、淡い光りは回復魔法に依るものだと気付く。見る間に完治する傷口を見て、本当にこの世界の魔法には驚かされる事ばかりだと改めて実感した。
「なによ?」
その手際に見惚れていると、怪訝そうな顔をしたカルーアが短く呟く。その問いに首を振り、治療の礼を述べると
「少しは気晴らしになった? 手加減されたのは癪だけど、楽しかったでしょ?」
そう言って無邪気に微笑むカルーアの顔は幼く、漸く見せた素の顔に思わず口角が上がってしまう。
やり方は乱暴だが、彼女なりに心配はしてくれていたのだろう……その気持ちを嬉しく思い、素直に礼を述べる。
「手合わせくらいなら何時でもしてあげるわ。切り替えが苦手みたいだから武器を使ったけど……今度やる時は同じ条件で、ね」
そう吐き捨て踵を返し、背中越しに伝えられる。特殊な眼はそういう事までお見通しらしく、カルーアからの苦言を苦々しい表情のまま飲み込んだ。
そうして激しい朝の運動を終えるとルピナとリリリは未だ夢の中に居り、シャワーと着替えを済ますとカルーアと共に食堂へ降りる。
「あの二人、何時もああなの?」
席に着くなり怪訝な顔で尋ねてくるので頷くと、大きな溜息を吐くカルーア。
言いたい事は分かる。が、特別それを変えようとは思っていない。野営には絶対に不向きだという事は明白だが、それはこちらで対処すれば良いと思っていた。
「まあいいけどね……私も得意って訳じゃないけど、協力してあげるからあんたもしっかり寝る事!」
分かったかと念を押され、その気迫に思わず頷いてしまう。どうやらそういう事もお見通しのようだった。
聞き逃したカルーアに今日の出発を伝えると、散々罵倒された後に拒否され
「みんながみんな、あんたみたいに超人じゃないのよ」
そう咎められた。
通常は一日二日毎に休息日を設け、万全の体勢を常に取り続けて行く事が望ましく、そういえばそんな事も言われていたなと思い出す。
訓練はほとんど休み無く駆け抜けていた気もするが、それはこの特異体質故の強行軍だったのだと今更ながらに思った。
「何でもやりすぎは毒にしかならないわよ。それで、私は同行しても良いのかしら?」
皿に残った野菜の切れ端をフォークで転がし、視線を向けると唐突に尋ねるカルーア。
問題は無いだろうが、一応ルピナ達にも再度確認するべきだろうと伝えると
「そう。それならなるべく早く頼むわね……合格なら、子守りくらいはしてあげる」
そう言って悪戯っぽく微笑んだ。
暫くするとルピナ達も食堂へ到着し、出発の延期とカルーアの同行について話す。
「うふふ。よろしくお願いしますねカルーアさん」
「やったー! カルちゃんよろしくね!」
概ね好意的に受け入れられたようで、食後のデザートを頬張るカルーアの前髪はリリリによって束ねられていた。
ルピナはこうなることが分かっていたのか、含みの有る笑みで優しく見守っていた。
(そういう訳で今日一日は休息日だ。出発は明日にする)
その言葉に各自頷き、懸念事項をタマちゃんに確認する。多少曖昧では有ったが、追手の可能性は低そうで安堵した。
自室へ戻るとカルーアからの依頼で水薬の調合を依頼され、代金は昨日の迷宮で稼いだ分から支払うそうだ。
実際どのくらいの額になるか分からないが、あれほどの激戦だったのだ……端金で無い事を祈るとしよう。
背中の武器は置いて外套を羽織ると、漸く出来た一人の時間に羽根を伸ばそうと宿を後にし、大通りまで繰り出すとそこは何時ものように人でごった返していた。
王都の中央広場まで来ると円形に並んだ商業施設の中に魔道具屋を見付け、リアモのそれとは真逆の店構えに少し驚く。
この世界の基準が全てリアモに属している為仕方のない事だが、本来はこういう燦然とした清潔感の有る外観が普通なのかも知れない。
店内は家電量販店を思わせる造りをしており、綺麗に陳列された数々の商品の閉口してしまう。
各階層は一階が道具、二階が武具、三階は素材関係と分かれており、一番上まで上がると必要な素材、これから必要になるであろう物もまとめて購入する。
幸いにして資金は未だ潤沢であり、武具に目立った破損も無い。ともなれば先を見越してこれからの旅に必要な物を買っておくに越した事は無い。そして―――
(うーん……)
買い物袋を片手に一階のとある商品の前で悩んでしまう。
目の前には魔法鞄がケースに入って飾られており、その容量は一畳程で金貨百枚。以前聞いていた値段はここが基準だったのかと、その実物を前に唸っていた。
ルピナが居れば不要な物だという事は分かっているが、全ての収納を任せるのもそれはそれで気を遣うものだ。
買ったら買ったで別の問題が起きそうだが、便利な事も今までの経験から確りと感じ取っている。
(だけどなぁ……)
上級に限らず特級すら製作出来るようになった今ならば、水薬さえ揃えてしまえば回復役として立ち回る事すら可能なのだ。
しかし一番安い物でさえ現在の所持金を少し上回り、入って来るアテは有るのだが踏ん切りが中々付かずに先程から悩み続けている。
(いや、止めよう。有り物で代用しよう……)
そうして諦めようと踵を返すと
「なんだ、買わないのかい?」
聞き覚えの有る声に顔を上げる。
目の前に現れた赤髪の女戦士と、隠れるように半身を晒す亜人獣の少女。
どうやら先程までの行動を観察されていたらしく、その顔にはどこかからかうような素振りが見えた。
あの時の傷は無事、跡形もなく完治したようで水着のような鎧からは鍛え上げられた腹筋が確認できる。
その視線に気付くと頭を撫でられ、見慣れた笑顔のまま
「あの時はありがとさん。なに、からかう為に声を掛けたって訳じゃないんだ……ちょっと礼がしたくってね」
聞けば余っている魔法鞄が有るのでそれを譲っても良いとの申し出を受ける。
(それこそ気にする必要は無い。こっちが好きでやった事だ)
素材の詰まった買い物袋を抱え直し、退屈そうに返事をする。先の事件での治療も、ルピナが率先してやったものだ。
「まあまあ、そう言いなさんなって。要らないなら捨てるなり売るなりしてくれて良いからさ」
こうまで言っても引き下がらない強引な物言いに少し身構えるが、次の言葉を聞いてそういう事かと得心した。
「その代わりって訳じゃないけど、この子と一緒に観光でもしててほしいんだ。渡すにしても準備が有るからね」
そう言って赤髪の女戦士は亜人獣の少女をずいと前へ突き出す。少女は驚いた様子で何度も短く言葉を発し、戸惑うように振り返る。
「じゃ、宜しく頼んだよ。荷物は受付に頼めば送って貰えるから楽しんできな」
そう快活に言い残し、女戦士が去って行く。
それを眺め取り残される二人は互いに顔を見合わせ、どうしたものかと揃って困り顔を浮かべてしまう。
「あ、あの、とりあえず荷物……送りますか?」
片手に抱えられた紙袋を見てか、そう提案されたので従う事にする。
サービスカウンターのような受付けで宿の名前と部屋番号を書き、荷物を預ける。
両手が空けば時間も余ってしまい、魔法鞄を受け取るまでは隣の亜人獣の少女と行動を共にするほうが良いのだろう。
少女の後に付いていき魔道具店を後にすると、外に出た拍子にこちらを振り返り
「先日はありがとうございました。本当に助かりました」
と、丁寧な礼を述べられる。
その言葉に小さく首を振り、気にするなと口だけで伝える。
同様に小さく頷き返され、亜人獣の少女がゆっくりと自己紹介を始める。
「私の名前はパルって言います。先程のカーラさんとはお察しの通り、同じパーティの仲間です」
自己紹介に短く頷き、自身の名前と先日治療したルピナの名を告げる。
「ゼロさんとルピナさん……ですね。よろしくお願いします」
にこりと微笑み、片手で促されて歩き始める。どこか目的の場所でも有るのだろうか、歩きながら自身の事を話し始めるパル。
出身は亜人領の獣人国であるという事。赤髪の女戦士、カーラとは数年来の付き合いであるという事。元々は戦災孤児であった事。そしてそこから救ってくれたカーラに恩が有るという事……。
冒険者という職業は見返りも大きいが、常に危険と隣合わせのものだ。一発逆転を狙うならば仕方のない事だと分かってはいるが、それでも命と秤にかけるには割が合わないと思っていた。
パルのような事情があれば納得は出来るのだが、それでも冒険者が人気なのはこういう世界だからと納得するしか無いのが現状だ。
「だからカーラさんを救ってくれたお二人にはとっても感謝しているんです」
そう言って微笑むパル。
見れば見るほど不思議な顔立ちをしており、どこか前世で見た球団マスコットを彷彿とさせる。
顔や見える部分の体毛は短く、鼻腔も長くない。人の頭に獣耳を乗せただけの亜獣人と違い、確りと区別が出来るのだから均整が取れているのは奇跡に近い気がした。
そんな無遠慮な視線に気付いたのか恥ずかしそう顔を背けられてしまい、立ち止まるとすまないと頭を下げる。
「ゼロさんは獣人種と関わるのが初めてなんですか?」
と、先程までのやり取りから尋ねられる。
物珍しそうに眺めていれば嫌でも気付かれるか……素直に頷き、パルの言葉を待つ。
「怒ってる訳じゃないんです。その、あまり嫌そうにされないので……」
鈴のような声色が次第に小さくなって行く。そういう事かと得心し、ふっと笑みをこぼした。
(亜人とは何かと縁が多い。こういう見た目だが、母は亜人だ。別段何か思うところは無い)
パルの手の平にそう書いて伝えると少しの間の後に微笑み、それを見てこちらも微笑み返す。
なんともほのぼのとした時間は一軒の店の前で終わりを告げ、お洒落な喫茶店のような外観を二人並んで見上げる。
「ゼロさんは甘い物とかお好きですか?」
突然の質問に頷くと、それなら良かったと手を引かれて扉を潜る。
来店の挨拶が店内に響き、慣れた様子で店員と会話をするパル。内装は外の様子からある程度わかっていた事だが、テーブルと一体になった間仕切りなどからみて喫茶店で間違い無いようだ。
普通と違うのは男性客よりも女性客に人気のようで、こういった世界でもやはり甘味は女性を虜にするのだと感心した。
店員に案内され席に着くと、パルからどういったものが好きか尋ねられる。
やれ生クリームがどうとか果物はどうとか、そこまで好き嫌いがある訳では無いのだと伝え、どうせなら一度に全部食べられるものが良いと言う。
他の席を見て気付いた事だが皿の上にはパンケーキが乗せられており、その周りには可愛らしく様々なトッピングが施されていた。
入店前の質問にも納得出来た為、先のような回答になると
「なるほど。ゼロさんは欲張りさんですね?」
と、少し悪戯っぽく言った後に微笑まれてしまう。
屈託無く言われてしまうとどうにもバツが悪く、照れたように笑みを浮かべてしまう。
不思議と目の前の少女……パルと話していると毒気が抜かれてしまい、穏やかな時間が心地良かった。
暫くして飲み物が運ばれてくるとその中には温かい紅茶が注がれており、そういえば前世からこういった店には足を運んでいなかったなと思い出す。
さすれば当然こういった機会に恵まれる事も無く、この世界に嗜好品が無いだなどと自分の勘違いで有った事を反省した。
そんな中、不意に扉が開き来店を告げる鈴の音が鳴ると派手な女性達を引き連れた若い男が現れた。
「えー、なんかぼろっちいねー」
「ほんとーに美味しいのー?」
無駄に語尾を伸ばした話し方で、入るなり口々に不満を男へぶつけている。
そんな女達をまあまあと宥め、三名が店員に案内されて近くの席へ通される。
通路一つを挟んで大人しく座ると、こちらへ向けて来る視線に悪意を感じる。しかしそんな事でいちいち暴れていては自制が無いと笑われてしまう……気にしないように努めると、パルが少し安堵したように見えた。
「この僕に、そう……A級冒険者の僕にふさわしい一品を頼むよ」
気障ったらしく前髪を靡かせ、注文を取りに来た店員へ宣言する男。その言葉のどこかに気に入る要素が有ったらしく、同席の女達が歓声を上げる。
A級冒険者……この世界で初めて見る遥か彼方の実力者は、その実力を疑いたくなるほど弱々しく、立ち居振る舞い全てに愕然とした。
こうしている今もその様子は隙だらけで、飛び掛かれば簡単に縊り殺す事も可能だろうと思ってしまう。しかし実力者ほどそれを隠すのも上手いとは思うので、きっとそういうものなのだろうと無理やり納得する事にした。
そんな風に考えを巡らす事がこの世界へ順応してきたという証だろうか……それともグラムから釘を刺されたように、単に自分が力に溺れているという事なのだろうか。
「なにか、怒ってますか……?」
心配そうなパルの声に首を振り、目の前の紅茶を啜る。
どうやら顔に出ていたようで、そんな状態でA級冒険者に勝てるなど思い上がりも甚だしいと、隠すようにして少し俯き顔を反らした。
「お待たせしました」
料理が運ばれて来るとやはりパンケーキが有名な店なのだろう、三段重ねのパンケーキには生クリームや果物、色とりどりのソースや焼き菓子などが飾り付けられていた。
同じものがテーブルに置かれると、ナイフとフォークで切り取り口へ運ぶ。
なるほどこれはと、口に含んだ瞬間にどうしてここが有名店なのかと理解させられる味はただの甘味だけに留まらず、複雑な味が混然一体となって流れ込んで来る。
「ん~っ」
一口食べただけだと言うのにパルは片手で頬を押さえ、幸せな顔を尻尾と共に表していた。
近くに懸念事項さえなければ同様の表情を浮かべていた事だろう、そうしたくなるほどの素晴らしさがこの料理には有った。
視線を気取られないように横目でちらりと窺うと、斜め前の席から嫌な気配を感じる。少し馬鹿にしたような笑みを向け、亜人ごときに分かるのかと小声で話している。
A級冒険者達の席はパルの背後に位置しており、自分に聞こえるのだからパルにも当然届いているのだろう。しかし目の前の少女は丁寧にパンケーキを切り取り、それをおくびにも出さずに料理を楽しんでいた。
(荒事は得意か?)
テーブルにそう書き記し、パルへ尋ねる。冒険者なのだから当たり前だとばかりに、その文字を見るなりゆっくりと頷かれた。
「こう見えても冒険者ですから。でも、私は気にしていません」
そう言ってにこりと微笑む。
「それに……ふふっ。そんなに気に入ってくれたこの時間を、壊したく無いです」
両手で器用にカップを持ち、口を付けるとパルが言った。
見れば目の前の皿からはパンケーキが消えており、気付かないうちに全て平らげていたようだ。
一方のパルは未だ半分以上残っており、丁寧に切り分けゆっくりと食べ進めている。
「おかわりを頼みましょうか?」
笑みを携えたままそう問われ、断りを入れようとした瞬間ドアが勢いよく開かれた。
入店を告げる為の鈴が激しく鳴り響き、店内に居た全ての目が向けられる。
入り口には頭頂部が涼し気な筋骨隆々の大男が一人。血走った目で店内を見渡し、ある人物を認めるとずんずんと歩を進めていった。
A級冒険者の席に辿り着くと一人の女に向かって、この場に居る事を大声で責め立てる大男。それを聞いて女の方は居心地悪そうに俯き、助けてくれと懇願するように優男を見詰めていた。
「ふざけるな! 俺の何が不満だって言うんだ!」
「うるさいわね……私が誰と居ようが関係ないじゃない!」
突如として痴話喧嘩が始まり、店内が騒然となる。制止に来た店員の言葉に耳も貸さず、二人は尚も激しく怒鳴り合っていた。
「まあまあ、ここはA級冒険者の僕に免じて……」
優男が立ち上がり宥めようとすると大男は店内を見渡し、その頭を片手で掴むとこちらに向かってそのまま投げ飛ばした。
(っと……)
「ぐえっ」
パルにぶつかりそうだったので片手で勢いを殺して受け止めたつもりだったが、どうやら少々力が入ってしまっていたらしい。
轢かれた蛙のような声を漏らし、海老反りになった男を地面へ落とす。
(逃げる準備をしておけ)
口だけでパルに伝えるとこくりと頷かれ、傍らに落とされた冒険者証を拾い上げる。
D級冒険者カズグト……どうやらそれが優男の正体らしく、なるほど道理でと心の中で納得した。
「ああ、なんだ? なんか文句でもあんのか?」
つかつかと大男へ歩み寄り、高を括っている笑みを浮かべた顔へ拳を叩き込む。
派手な音を立ててテーブルに倒れ込み、よろよろと立ち上がろうとする顔を踏み付けた。
木製のテーブルが割れ、大男が床へ落ちると微かに地響きが起こる。
「て、てめぇ……」
尚も起き上がろうといきり立つ大男の胸に乗り、長剣を顔の横へと突き立てる。
(次、同じ面を見たら殺す)
そうとだけ短く呟き、殺気を纏った言葉に小さく頷く大男。
その返事に満足し、ゆっくりと納刀し振り返ると
「ありがとう! 本当にありがとう!」
と、等級騙りの詐欺師……カズグトが涙目で跪いて来る。
胸倉を掴むとその顔へ大男と同じように拳を叩き込み、怯えている女達へと勢い良くぶん投げた。
(ふぅ)
ぱんぱんと両手を叩いていると注目を集めているのが何時しか自分だと気付き、どうやってこの場を切り抜けようかと思案しているとパルが小さく頷いた。
準備は出来ている……そういう事だろうか。その瞳を信じて小瓶を取り出すと、勢い良く床へ叩き付けた。
小瓶からはたちまち煙が溢れ出て、店内を隅々まで埋め尽くす。
テーブルに代金を多めに置き、両手にパルを抱えて脱出した。
大量の煙と共に外へ出るとそのまま屋根へと跳び、建物の屋根伝いに西の外壁を目指す。
「静かな場所……ですか?」
抱えているパルの腕へ文字を書き伝え、確認の言葉に頷く。
幕壁の上には通路があり、ちらほらとだが景観を楽しむ人の影をリリリ救出の際に確認していた。
一定間隔で並んでいる防衛塔の上もそれは同様で、通常は階段や下の入口から上がるのだろうがそれを無視して目的地を目指す。
ここまで来れば大丈夫だろうと眼下を見下ろし、追手が迫っていない事を確認すると安堵した。
「うわぁ……」
声の方に視線を向ければ広大な草原と森や川が目に映る。遠くには大小の山々が天を衝き、方角的にはその向こうに魔法帝国や最終目的地が有る筈だ。
パルの隣に立つと頭を下げ、顔を上げてから謝罪の言葉を述べる。
「うふふ。ありがとうございます、私の為に」
その言葉に驚き、もしかしてもしなくてもパルは見た目よりもずっと年嵩なのかも知れないと感じた。
「貴方の、ゼロさんの中に有る心はとても荒々しくて……最初は怖かったんですけど、それ以上に優しい方なんですね」
ルピナと似たような事を言われ、そういうものかと思案する。
含みの有る物言いは何かが見えていると言うのだろうか、自身に流れる違和感の正体をパルは感じ取っている……そんな言葉だった。
「心配する気持ちは分かります。ですが、慈愛の心も大事です……それは分かっていますよね?」
パルの言葉に頷き、それと同時に胸の辺りが小さく鼓動する。
それを察するかのようにパルの視線は目では無く下方……胸元の辺りに向けられていた。
「はい、お説教はおしまいです。本日は楽しかったです、ありがとうございました」
胸の前で可愛らしく両手を合わせ、そのままお辞儀をするパル。
再び上げた顔には笑みが浮かべられており、どうやらそこまで怒ってはいないようで安心した。
そろそろ準備も出来た頃合いだと言うのでパルを抱えて降りると、魔道具屋を目指して並んで歩く。
忙しく歩いている衛兵達に見付からぬよう、人混みに紛れてパルの手を引き歩き、時折振り返るとパルはにこにこと笑顔のまま付いて来る。
どこかこの出来事を楽しんでいる節も有り、誰かさんにも見習わせたいものだと心の強さを垣間見る。
王都の広場へ着くとカーラは噴水前のベンチに腰を掛けており、それを見付けたパルが小走りで駆け寄る。
少し離れた位置で見守っていると時折こちらを振り返り、終わり際にパルの頭を撫でるカーラ。
「よっ。なかなか楽しかったみたいじゃないか」
歩み寄るなりそう告げるカーラに、それなりになと軽口を返すと満足そうに口角を上げられる。
「結構結構……ほら、礼の魔道具だ」
そう言うなり巾着型の魔法鞄を手渡され、外観や手触りを確認する。
リアモで見た魔法鞄とはデザインが異なっており、茶色い革製の巾着は上部に縛る為の紐が通されていた。
リリリのような便利な能力は無いので本当に魔法鞄なのか確認する術は無いが、巾着の真ん中には五芒星の魔法陣が薄い灰色で描かれている。
「パルに聞いたけど、亜人領を目指してるんだってね。だとしたら、そろそろ越年の準備に入るだろうし急いだ方が良いかも知れないね」
年末になると何かが有ると言うのだろうか。獣人国に居た二人の事だ、そういう事に詳しくてもおかしくは無いが、その助言に素直に頷く。
(代金を……)
そう言って金貨を取り出そうとすると片手で止められ、それは礼だと再度念押しされてしまう。
ここで無理やり渡しても野暮というものだろう、金銭は諦め代わりに水薬を二つ手渡す。
(これくらいは受け取ってくれ。効果は保証する)
魔道具を弄れる仲間が居るならば不要かも知れないが、回復薬は有って困る物では無い筈だ。
観念したようにふっと息を漏らし、カーラが水薬を受け取る。最後に二人の顔を眺め、小さく頷くと踵を返し歩み始める。
「またな、少年!」
「ありがとうございましたー!」
二人の声を背中に受け、夜想亭へと向かった。
「あ、帰ってきました!」
自室の扉を開けようとすると、向かいの部屋からルピナの声が聞こえる。
「だから待ちなさいっての!」
どたどたと勢い良く扉が開け放たれると、ルピナが心配そうな面持ちで現れそれを抑える形でカルーアが部屋の入口で踏ん張っていた。
「子供じゃないんだから、心配しすぎなのよ!」
部屋の入口でせめぎ合う二人を見て、どうやら良好な関係を築けているようだと安心する。
「おかえり、なさい……?」
不思議そうにこちらを見つめ、ルピナはそうだけ言うと再び部屋の中へと戻って行ってしまった。
黙って出て行った事に何かしらの小言が有るかも知れないと思っていただけに、この反応は少し予想外だった。
「……どうやら良い休息が取れたみたいね。安心したわ」
(そうだな、助かったよ)
その言葉に驚いたように目を見開き、言葉を詰まらせるカルーア。
「ま、良いけどね……出発も問題無さそうだし、明日は予定通りここを発つのかしら?」
カルーアの言葉に頷き、計画に変更は無いと伝える。頼まれていた水薬の素材も見付かったのだ、何も問題は無い。
そうして明日の確認をし、漸く自室へ戻るとベッドへと寝転ぶ。
机の上には丁寧に梱包された小包が一つ。買ってからそれほど時間が経っていないというのにも関わらず、仕事の早さに感謝すると同時に製作に取り掛かる。
そうして夕食まで製作に費やすと、その日は早々に寝床へ就いた。
色々と聞きたそうなルピナの顔を思い浮かべると少し笑ってしまい、もしかしたら何かを気付いているのかも知れない……そんな我慢をしている表情に、ついつい笑みが溢れてしまうのだ。
そうして出発の朝を迎え、この世界の過酷さを再び知る事になる。
自分がいかに恵まれ、幸運だったかという事を―――。
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