第十九話 ~嘆きの大河~

《第十九話 ~嘆きの大河~》


「まだ気にしてるの?」

 夕食時、王都から順調に南下した宿場町の食堂にて、カルーアが茶を啜りながらゼロへ尋ねる。


(別に……)

 ぶっきら棒に視線を合わさず、テーブルに頬杖を突きながら姿勢は半身になっている。


「あのねぇ、そんな態度で言ったって丸わかりだって言ってんの! 空気も悪い、動きも悪い! 第一あんたが気にしたって仕方が無いでしょ!?」

 続けざまに責め立てられ、無言のまま席を立つ。


 カルーアの言葉に腹を立てた訳では無い。自身の行いと、能天気さに苛立ちを抑えられないだけだ。


 自室へ戻り、ベッドへ寝転ぶと両手を枕に天井を眺める。

 何も見ていなかった訳では無い。薄ぼんやりとだが、この世界が過酷だというのは重々承知していた筈だ。


 それでも今日、その理解というものが氷山の一角……小指の先程しか知り得て居なかったのだと、まざまざと見せ付けられただけだ。


 カルーアが言うように自分が気にしても仕方が無い……だとしても胸の内にたまった靄々は消える事無く、今も残り続けている。


 早朝に王都を発ち、南門から出た時にそれは有った。

 南へ延びる道。その両脇に無数のテントが建てられていた。


「走るのは北側だけ?」

 早朝の運動時にカルーアが聞いて来た。その言葉にそのまま頷くと、短く「そう……」とだけ呟き、それ以上の言葉は交わさなかった。


 何か有るのかと聞いてみたい気持ちは有ったが、少し後には通る道だ……その時に聞けば良い。そんな風に思っていた。


「ここの住人は前の戦争で国を追われたり、食い詰めた元冒険者や娼婦……まあ理由は色々ね」

 凄惨な光景に足を止め、絶句する三人に向かって歩くよう指示をするカルーア。


「あんた達がどういう世界から来たのか、どういう思想を持っているかは分からない。だけど、奴隷という身分もここに比べればマシなのは分かるかしら?」

 頼り無い細い枝に、汚れた布が被されている。三角形のテントは前世で見たそれとは比べ物にならず、そこかしこに腐敗臭が漂っている。


「怒るのはお門違い。王都の人間はそれでも何とかしようと頑張っている方よ」

 知らずのうちに食いしばっていた歯を、カルーアの言葉によって緩める。


「何も出来ない以上、私もあんたも同じよ」

(確かに……そうかも知れないな……)


 人間、亜人、子供に老人、男と女。そこにはおよそ全ての人種が居たのでは無いだろうか。


 ある種平等な状態は自身の目に幸福と映らず、この惨状の原因が魔族との争いだと言うのなら言葉が無い。


 前日の事も相まって、少し余裕が出て来たかと思えばこれだ。我ながら感情の起伏に翻弄されすぎだと苦笑する。


 前世では見なかった……いや、見ないようにしていた物を態々蓋を開けてまで、提示したカルーアの思惑は分からないが、その原因をどうにか出来る未来は検討すらつかないのが現状だ。


 ごろりと寝返りを打つと部屋の扉が叩かれ、上半身を起こすとルピナが部屋へ入って来る。


(どうした?)

 問い掛けの言葉にカルーアが背後から現れ、その後ろにはリリリが控えている。


「ごめんなさい……」

 口を尖らせ俯いているカルーア。前髪はまたリリリによって結ばれたのか、天に向かって伸びていた。


「それだけじゃ分かりませんよ?」

 ルピナの言葉に小さく頷くカルーア。


「あんた達が奴隷に対して否定的だったから、変わるかなって思ったの……」

 その言葉に目を丸くし、それと同時に再度笑みを零す。


 どうやらカルーアなりにこの世界の事を教えてくれていたようで、それと同時に教訓として自らの失敗がどういう事になりえるのかという事を言いたかったらしい。


(それは―――)

 分かっている。分かっていたつもりだった。しかし今日の光景を目の当たりにして、再度気を引き締めるべきだと思ったのも確かだ。

 首を振り、考えをまとめながらゆっくりと話す。


(言いたい事は分かった。俺も言い争いをしたい訳じゃない……忠告は肝に銘じておく)


 カルーアなりに心配はしていたのだろう。どこかゆるい雰囲気のまま亜人領に赴く事で、きっとここよりも苛烈な環境や事件が待ち受けているのだとその目から察しては居た。


「そう、忠告! 有り難く思いなさいよね!」

 途端に元気を取り戻すカルーアを見て呆れてしまうが、このくらいが丁度良いのかも知れないと溜め息を漏らす。


 明日も早いのだと三人を部屋から追い出すと、ルピナが振り返り視線を向けて来る。

 何か聞きたい事が有るのだろうか、口を開きかけてはすぐさま閉じてしまい俯かれる。


「いえ、何でも無いんです」

 まるで出会った頃のような態度に心当たりは有ったが、悟られぬよう読まれぬように思いを胸の奥深くへしまい込む。


「おやすみなさい」

(ああ、おやすみ)

 そうして再びベッドへ横になり、明日の行程について思いを巡らす。


 朝方に出発すれば昼過ぎには国境に辿り着くとカルーアは言っていた。カルーアのおかげで行程に問題は無く、疲労や魔力等も問題無い。


 食費も初日に見せた大食いは鳴りを潜めており、どうやらあれは魔力補充の為だったのだと勝手に納得しておいた。


 国境を超える為の封書もシェールから受け取っており、喫茶店での一件を咎められたりもしたが詐欺師と暴れていた大男の逮捕によって大目に見てもらった。


 魔法鞄については丁寧に手紙が仕込まれており、登録の方法や助けた礼などが記されていた。

 容量としてはそこまで大きく無いみたいだが、大剣や水薬関連の物は難なく収納出来ている。


 物品の出し入れに際し、収納部分に近付くと歪むのが不思議で何度も繰り返したのは言うまでも無い。


(ま、何とかなるか……)

 不安が無い訳では無い。しかしそれ以上に未知の場所へ赴く事に胸が弾み、何度目かの寝返りの末に漸く眠りへと落ちて行った。


 そうして何度目かの宿場町を利用したり通り過ぎたりしながら、王都から南東……人族領最後の宿場町を出発する。


 夜も開けきらない内に宿を発ち、亜人領への国境を目指す。

 人族と亜人の領地は明確に分かれている。そう言ったのはカルーアで、以前に読んだ本にもそれは描かれていた。


 この世界を横長の長方形に例えるなら西側に魔族領が有り、東側を人と亜人が支配している。


 しかし亜人領は決して広いと言う訳では無く、南側には大きな河が流れておりそこを境に亜人領がこれまた横長に伸びているのだ。


「嘆きの大河……大昔から続く因習や、国境という事もあって付けられた名前よ。あまり良い意味で付けられた訳じゃ無いのは、亜人なら誰でも知っている事よ」

 森を抜けたかと思うと水の音は一層強くなり、崖下には流れの急な河が見える。


 対岸までは目測で百五十から二百ほど離れており、頑張れば跳べそうな距離に本当に大丈夫なのかと不安に思う。


「この河は神様が作ったと言われているの。人族の横暴さを見兼ねて、安住の地となるように……ってね」

 そう言ってカルーアが足元の小石を拾い上げ、対岸へ放るとそれは音を立てて弾け飛んだ。


「至る所に今みたいな物が張り巡らされている。あまり下手な考えはしない方が身の為ね……ま、最近じゃそれもガタが来てるみたいだけど」

 好奇心から行動に移さないで良かったと思う。


 そうして川沿いを歩くこと数分……視界の先に石造りの立派な橋が現れる。

 中腹には大きな門が建てられており、こちらが近付くと音を立てて閉まって行く様子が見て取れた。


「止まれ!」

 橋の両脇には衛兵が立っており、威嚇するように片手で制止の声を掛けてくる。


「この先は亜人の為の土地。用が無いなら即刻―――」

 警戒する衛兵の男に、シェールから受け取った封書を差し出す。


 声を荒らげた事で橋の脇に立っていた詰め所のような掘っ立て小屋から、衛兵が二人ほど追加され三人仲良く中を検めている。


「大丈夫かなぁ……」

「きっと大丈夫ですよ!」

 物々しい雰囲気に圧倒されたのか、不安そうにしているリリリにルピナが優しく声を掛けている。


「ふむ、尋ね人……になるのか? 心当たりは有るのか?」

 どういう書き方をしたのか、どうやらそういう事になったらしい。ルピナの故郷を探すのが目的だが、心当たりというかおおよその検討はタマちゃんによって当たりが付いている。


「そうか……ここから先は亜人領。十分に気を付けて行くが良い」

 封書一つで先程までの険悪な雰囲気は一掃され、耳の長い衛兵達の顔には薄っすらとだが笑顔が灯っていた。


 返された物を大事にしまうと、橋の中央門へと歩く四人。


「何事もなく通れて良かったですね」

(ああ、そうだな)

 ルピナの声に相槌を返すと、来た時と同様に門が動き出す。橋全体が鳴るように重厚な音を立てながら、ゆっくりと開く中央門。


 一般的な観音扉とは違い、両側に開くタイプの門は初めてお目に掛かるもので、何か理由が有るのかと無駄に考えてしまう。


 開ききるまでには少し時間が掛かり、その間も時折先程のバリアのような結界が明滅していた。


(大丈夫……なんだよな?)

 入った瞬間に弾け飛びましたでは話にならない。本当に安全なのか不安そうにしていると、すたすたと門を潜るカルーア。


「何してるのよ、早く来なさいよ。こんな事で怖がるなんて、意外と可愛い所あるじゃない」

 薄笑いを浮かべ、見下すようにからかうカルーア。


 こんな理解不能な物を見せられて、意気揚々と進めるのは蛮勇でしか無いだろう。

 何事も無く門を潜ると橋の先には同様に衛兵が立っており、こちらの動向を逐一見守っている。


 そしてその視線が自分達の後方へと移された瞬間

「がっ」

「ぐあっ」

 短いうめき声と共に、人が倒れる音が聞こえた。


 振り返るとそこには数人の人影が有り、足元には先程の衛兵達が倒れ込んでいる。

 薄暗い灰色のローブと、一際目立つ深紅のローブ。向けられる敵意と同時に


(走れ!)

 と、思い切り叫んでいた。崖と水場は自分にとって最悪の組み合わせだ。


 先頭のルピナがリリリの手を引き一目散に駆け出すと、それを追い掛けるようにゼロ、カルーアの順に走り出す。


 首の後ろがちりちりと焼け付くような不快感を感じ、振り返れば後方には数十の炎弾が着々と準備されていた。


 合図の元にそれが発射されると、こちらに目掛けて一直線に襲い掛かる。その尽くをカルーアは撃ち落とし

「走りなさい! 早く!」

 そう言って後方で殿を務めている。


 撃ち漏らした炎弾を大剣で切り払い、どうにか対岸に滑り込むと

「おい、なんだあいつ等は!」

 と、衛兵達に詰め寄られる。


 聞きたいのはこっちだと肩の手を払い除け、忙しく駆け回るカルーアの到着を待つ。


 上下左右に自在に動き、人知を超えた角度から次々に撃墜し続けるカルーア。

 撃ち漏らした炎弾がカルーアの眼前に迫ると、細剣でそれを破壊する。爆発の衝撃でその身が飛ばされてしまい、落下する前に受け止めてやる。


(無茶をするな)

「ふんっ。あんなもの、通る場所が分かってれば楽勝よ!」

 その割には若干危なかったと思うのだが、言うだけ有って傷は負っていないようだ。


 王都を出てから急ぎ足で亜人領を目指したのには訳が有り、それが今正に目の前に現れてしまった。


 王都を出発した日の夜、これまで曖昧だった勇聖教の追手が迫っているとタマちゃんの答えから推察された。


 リリリを追っていた勇聖教の人間。それが捕縛され、本国への連絡や準備、追手の確保など暫くは時間が有るだろうと思ったのだが思いの外行動が早く、やはり勇者という存在は特別なのだと思い知らされた。


「それはちょっと違うんだけどね……」

 そう言って暗い顔を浮かべたリリリ。どうやら他の理由が有るようだが、その場では追求しなかった。


 対峙すれば自ずと知る事になる。そう思っていた訳だが、実際にそうならないよう動いていたつもりだっただけに、今のこの状況は非常に好ましくない。


 慌てふためく衛兵達に、街に戻って本隊に連絡しろと怒鳴るカルーア。一瞬の躊躇いを見せた彼等に射掛け、再度怒号を飛ばすと全員が森の中へと消えて行く。


 良い判断だと舌を巻き、大剣を握り締めて追手を迎え撃つ姿勢を見せると

「ねえ、逃げないの!? 逃げよーよ!!」

 リリリの言葉に視線は追手に向けたまま小さく首を振る。全く悪い冗談だ。


 今現在の自分の力と、復讐を果たす相手との間にどれほどの差が有るのか、それを測れる絶好の機会なのだ。


 あの夜に見たローブ姿の暗殺者達が脳裏をよぎり、体の内から殺意と言う名の力が湧き上がる。


 リリリが言うように逃げられるならそうしたい所だが、この呪縛と相手の視線からそれが困難なのは理解してもらえないだろう。


 橋の中央門から追手達が飛び上がり、華麗な着地を決めると橋の切れ目を境に対峙する。


「やっと会えたねリリちぁん……」

 ちゃんの部分を矢鱈に伸ばして、そう呼び掛ける声に身の毛がよだつ。態とやっているのか、一言で気色悪さを感じてしまう。


「やっぱりか……ねえ、いーかげん放っといてほしいんだけど?」

 どうやら見知った顔のようで、フードを脱ぐなり顔を確認するとリリリの物とは思えない、不快感をあらわにした声で拒絶の意を示す。


『それとみんな、眼を見ないように』

(眼……?)


「酷いじゃないか、僕がこんなにも君を求めているというのに……」

 長い前髪を片手で靡かせ、ふふんと鼻を鳴らしている。


 見ようによっては滑稽で愛嬌の有る感じだが、それもまた戦略のうちなのかも知れない。


『あいつの能力は羨望の眼差し:スレイブアイズ……眼を合わせたら、その相手を自由に出来るって言ってた』

 先程の疑問に淡々と答えるリリリ。


 とんでも無い能力を授けたものだと少年神を恨むが、眼を合わせなければ良いと言うのなら然程難しくもない……そう思っていた。

「―――だと言うのに、なんなんだこれは!」

 リリリの声に意識を向けていたせいで、男の声が全く耳に入っていなかった。


 声を荒げる男は現状を嘆き、髪を掻きむしると勢い良く腕を振りだらんと力無く垂らしたままにして止まる。


「僕が! こんなにも! 君を愛しているというのに!」

 そういう事なのかと心の中で手を打つ。漸く得心した異常な迄の執着心の正体が分かると、それを心底嫌そうに溜め息を吐くリリリ。


「だーかーらー、あーしはあんたの事なんてこれっぽっちも好きじゃないっての!」

 リリリの言葉が衝撃的だったのか、男の顔が悲しみに歪む。


「そんな……だって君は、あの時……」

「どの時か知らないけど、何回か話しただけでしょ? それでどーしてそんなに付きまとうのよ? わっけわかんない!」

 突き放す言葉に再度顔を歪め、リリリが頬を膨らませてそっぽ向くとどこからともなく不気味な笑い声が聞こえて来る。


「ふふっ、ふふふふふ……そうか、そういう事か。リリを惑わす悪い虫……君は光だから、知らず知らずのうちにそういう悪いものを引き寄せてしまうみたいだねぇ……」


 前世でも関わった事の無いタイプの人間を前に、今までどの相手にも見せた事の無い後退りをしてしまう。


 種類の違う恐怖に飲まれ、体を萎縮させると

「怯むな」

 誰のものとも違う、鼓舞する声が聞こえた気がした。


「お前達」

 そう言って男が指を鳴らすと、脇に控えていた灰ローブの人物達がそれを剥ぎ取り投げ捨てる。


(なっ……んつう格好させてんだ……)

 ローブの中から現れたのはリリリと同年代の少女が四人。


 そのどれもが露出の高いメイド服のような格好をしており、胸部に至ってはほぼ丸見えのような状態になっている。


 平時ならば見惚れていたかも知れない……それほどに顔立ちは綺麗に整っており、眉目秀麗という言葉がぴったりだと思う。


 しかしそれを許さないのは男の嗜虐的な嗜好のせいでは無く、だらりと弛緩した精気のない表情のせいだった。


 まるで生ける屍のように口元からは涎が垂れ、上半身は力無くゆらゆらと揺れ動いている。


 これがさきほどまでの猛攻を見せた追手の正体だと言うのか……だとすれば本当に凄い能力かも知れないと思う。


 それと同時に何故リリリの事を能力とやらで縛らないのか……その疑問も解消出来た。


「まあ僕は優しいからね、今からでも大人しく従うと言うのなら―――」

 男が言い終わらないうちに飛び掛かり、問答無用で大剣を二振り。


 両脇に立っていた女達を二体ずつまとめて叩くと振り抜いた力のまま大剣を男へと滑らせる。


(殺った―――)

 そう思った時には目の前に障壁が展開され、何時ぞやと同じ光景に歯噛みする。


 押しても無駄だと思い、せめぎ合う力を利用して飛び上がると再び距離を取る。


 もっと強力な武器が要る……それは再三思っていた事だが、渾身の力を込めても破れないとなると本当に異世界の勇者というのは厄介だと思う。

 突破口が有るとすれば油断している時かと今の強襲に至った訳だが、結果はご覧の有様だ。


「あ、ああ……そんな……。貴様、人の心は無いのか!」

 倒れ込んでいる少女達を心配そうに眺めて膝を折り、優しく手を取り激昂する男。


 もしかすると根は優しいのかも知れないと馬鹿な事を思うが、本当にそうなら矢面に立たせたりはしないだろう。


(参ったな……)

『しっかりしなさいよ。正面からが駄目なら、挟撃するわよ』

 手の内が分からないならつぶさに観察しろ。突ける所を突け。それでも駄目ならこじ開けろ……だったか。


(更に言うならそうならないよう、常に備えろ……か)

 打開策の無い状態を作る事が愚策とばかりに、全く無茶振りばかりだったとこの世界の師を恨む。


 倒れた女達を橋の脇へ運んでいる間に、カルーアと共に前へ出ると後方にルピナとリリリが立つ。

 それぞれに指示を出し、各々が役割をしっかりと理解するとゼロとカルーアが飛び出した。


「絶対に……絶対に許しはしない! その罪、万死に値する!」

 ローブをマントのように翻し、腰から二本の長剣を抜き取る男。


 先駆けた二人が男の前で左右に分かれると、後方からルピナの魔法が直撃する。

 先程と同様の障壁によってそれは容易く阻まれ、左からカルーア、右からはゼロが斬り掛かる。


『見ちゃダメ!』

 ぐるりと首を回しカルーアに視線を向ける男の行動にリリリが叫ぶ。


 その声に身を震わせ、視線を足元に落とすと

「ふんっ!」

 渾身の一撃がカルーアの身に襲い掛かる。


 短い声を発したかと思うと小さな体は軽々と吹き飛び、砂埃を上げて地面に倒れ込んでしまう。


 一瞬の判断が明暗を左右する戦闘中は、刹那の躊躇いすらも死に繋がる。グラムはそう言って懸念していたが、それが正に今目の前で繰り広げられていた。


 異世界の勇者では魔王に届かない―――そう言われてどこか安心していた自分が居たが、目の前の男は中々に手練で剣筋からも良く鍛錬がなされていると感じられた。


 見た事の無い型は勇聖教独自のものなのだろうか、一切のぶれが無い刃筋に何度も肝を冷やすがどうにか受け切り、カルーアが立ち上がると元の位置へと仕切り直す。


(どういうつもりだ?)

 構えは男へ向けたまま、背後のリリリに問い掛ける。


「どうって……」

 二人が飛び出し魔法で強襲、その後の手番はリリリだった筈だ。


「だってゼロっち、あいつの事殺すつもりじゃん!」

 悲痛な叫びに振り返りたくなるが、それを今実行に移すのは自殺行為だろう。


(……作戦を変更する)

 この場でその言葉に対して問答をするのも同じ事で、いっその事そうすれば考えも変わるだろうかと思ってしまう。


 人を変えるほどの出来事は山のようにあれど、同じ効果を引き出せる言葉は持ち合わせていない。


(言われただけで殺せるようになるのも問題、か……)

 ふっと笑みを零し、作戦を伝えると再び実行に移す三人。


 先程と同様に二人が飛び出し分かれると、背後からは複数の火球が襲い掛かる。


「なんだ、これ以上は無いのかい?」

 棒立ちのまま余裕の表情を浮かべる男に、大きく回り込んだカルーアが後方から矢を射る。

 見えているかのようにそれを難なく躱し、正面からはゼロが大剣を振り被る。


 当然のように障壁に弾かれると、再び火球が襲い掛かった。正面では無く背後から、外れたと見せかけた火球は音も無く忍び寄ると鋭く曲がり直撃する。

 つまりそういう事なのだろう。


 どういう絡繰りなのか検討も付かないが、正面からの攻撃に対しては絶対的な防御力を誇るのは知っている。しかしリアモを襲った三人の勇者達も、背後からの攻撃は避けていたのだ。


 戦闘中に使用していなかった所を考えると、その条件や個人差の得手不得手などが有るのかも知れないが、現状はこれだけ分かっていれば問題無い。


「ぐっ―――」

 背後からの攻撃に顔を歪め、障壁が消えると一気に大剣を押し当てる。


 寸前で二刀での防御を成功させ、鍔迫り合いの形に持ち込むと

「やるじゃないか。その力、ますます欲しくなる―――」

 そうして抗えない何かに身を委ね、男の眼を凝視する。


「ダメ!」

 はっとしたようなリリリの声はどこか遠く、視界が歪み瞼が重い。


「僕の能力についてはリリから聞いていたんだろう? そしてこう考えた……女ばかりの部隊という事は、異性で無いと効かないんじゃないかと……」

 そう、その通りだ。だがそうじゃない場合も有る。

 男の言葉はこれまで聞いたどんな声よりも心地良く、胸にすとんと落ちて来る。


 これまでの全てが許されるように胸の内に溜まった物が昇華し、味わった事の無い多幸感に包まれる。

 視界の端に各人を捉え、ここが限界かと身を委ねる。


(たの……む……)

 最後の意識を振り絞り、心の中で唱えると視界は暗闇に閉ざされる。


 ふわふわと体が軽く、暗闇の中を漂い遠くからの声が聞こえると漸く覚醒し、口元は濡れており、それを拭うと真っ赤に染まっていた。


 足元には先の男が倒れており、首元は何かに食い千切られたように抉られていた。

 口の中に残る違和感を吐き出し、鮮血とともに赤黒い塊が混じっている。


「ゼロさん! しっかりしてください!」

 気付けば呼びかけていたのはルピナだったようで、肩を掴んで何度も自分の名を呼んでいた。


「ゼロさん……ごめんなさい、私……」

 全くよく泣く奴だと思い、抱き締められながらも頭を撫でてやる。


 どんなに鍛えていたとしても、それは一対一での話だ。多数を相手にするというのは、それこそ桁外れな力の差が無い限りどうする事も出来やしない。それはこの身を以て体験している。


 だからこそ数的有利はどんなに微力だろうと真っ先に潰すべきであり、先のような強硬手段に出たのだ。


 それに死ななければ魔法や不思議薬のある世界なのだ……何も問題は無い。戦いの場に居る以上、手を抜く方が無礼に当たるというものだ。


(だが―――)

 視線を向けるとリリリは肩を震わせ、恐る恐る顔を上げる。


 小言の一つでも言おうかと息を吸い込んだ瞬間、森の中から先程の衛兵と武装したエルフの男達が現れた。


 現状を見ると慌ただしく動き始め、ルピナが事の顛末を説明している。

 見られると不都合でも有るのか、カルーアはフードを深く被り直し人目を避けるように背中を向けている。


「撃退及び、同胞の仇討ちに感謝します」

 検分が終わると精悍な顔付きのエルフが敬礼のような仕草をしながらそう言った。


「凶手の遺体とその仲間の身柄を引き渡していただきたいのですが、よろしいでしょうか?」

 その言葉に無言のまま頷くと、背後に控えていた衛兵達が手早く準備を進める。


「聞くところによると、こちらのルピナさんの故郷を探しておられるとか……」

 尋ねるような調子の言葉に頷き、どこまで話したのだろうかと気になってしまう。


「もし良ければ事件の詳しいお話も伺いたいので、一度エルフの国にお越しいただけませんか? 私達以外にも多数の種族が暮らしておりますので、情報を集めるのにも適しているかと思うのですが……」

 渡りに船とはこの事だろう。

 それで良いかと三人をみると、皆一様に小さく頷くので分かったと了承する。


 ルピナに確認を取ってみても裏は無いらしく、本当に善意からの言葉なのだろうと安堵する。

 しかしあまり過信するのは油断にも繋がるので、最低限の警戒は解かないようにと気を引き締める。


『それにしても凄いじゃない。あれはあんたの特殊能力なの?』

 何のどれの事を言っているのか、カルーアが試すような目で睨め付けながら肘で突いて来る。


『覚えてないの?』

 その言葉に頷き、大きな溜め息を漏らされてしまう。どうやら評価を大きく下げたようで、勝手に言っておいて失礼な話だと思ってしまう。


 心当たりは有る。しかしそれは本当に自分の力という訳では無く、借り物の不安定で不確かな物だと言う事も理解している。


 ある種確信のような物が有ったからこそ、無茶な方法で距離を詰めて討ち取れた訳だが……それが無かったとしても、二の矢が仕留めた事だろう。


「さあ、見えてきましたよ」

 森の中を進み、程なく当たりの様相が一変する。


 一般的な森の中とは一線を画し、まるで自分が小人になってしまったかと錯覚するほど、周囲の木々が大きく天まで伸びていた。


 神聖で、どこか厳かな空気を全身に浴び、少しだけ張り詰めた緊張感が肌に突き刺さる。

 どうやら監視されているらしく、敵意は無いものの不快感は否めない。


「行きましょう」

 恐らくだが隊長格の青年の言葉に頷き、亜人領初となるエルフの国へと足を踏み入れた。

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