第二十話 ~エルフの国~

《第二十話 ~エルフの国~》


 エルフ―――古来よりこの世界において亜人の代表格とされてきた、森の賢人達。

 リュカの母と同じこの種族は、本やゲームの中で目にした長命という訳では無く、その外見は成人してから死ぬまで変わる事が無い。


 そのため人族からすれば憧れ、妬み、嫉妬の対象とされ、また一部の好色家からは根強い人気を博している。

 それは亜人全体に言える事かも知れないのが、隣の芝生は青く見えるという感じなのだろうか……。


「足元、気を付けて下さいね」

 前を歩く青年の言葉に頷く。


 今回の惨事は自分のせいだ。それは分かっている。

 意図してその力に頼った……だとしても、少しばかりのんびり構えていたのは事実だ……このまま旅を続けるのは難しいかも知れない。


 森から橋、橋から森へと再び入り、辺りに立ち込める深緑の香りが鼻腔をくすぐる。

 森の中の木々は次第にその巨大さを増して行き、透明な何かを潜る感覚毎に遠くの樹木が発光しているように見えた。


『そんなに警戒しなくても大丈夫よ。この辺りはもう街の中なんだから』

 横を歩くローブ姿のカルーアに視線を投げる。


『河でも有ったでしょ? あれと同じよ。許可が無いと入国はおろか、見る事すら許されないの』

 地図上では橋から割りと近い位置に街が在ると思っていたが、どうやらそういう事らしい。


 リアモや王都のような建物は当然ながら見当たらず、その代わりに巨木の上から複数の視線を感じていた。


 進んだ分だけ森には静寂が訪れ、周囲に霧が立ち込める。

 先程までの爽やかな様相は鳴りを潜め、あちこちから聞こえていた動植物の音すらも憚られる……そんな静謐な空気が充満していた。


『言動に気を付けなさい。騒ぎを起こしたら、これまでのようにはいかないわよ』

 普段ふざけている奴の言葉だと思えない程、その顔には緊張が走っていた。


 カルーアの言葉を聞き、後ろの二人も同じような面持ちで背筋を伸ばしている。


(確かに……凄いな)

 一歩毎に森の顔が変わって行き、道の終わりに短い草が生い茂った広場が在った。


 その真ん中に一本の巨木がそびえており、それを囲むように少しだけ胴回りの細い木が建っている。


 先程まで見えなかった筈なのに歩く度に視界が上書きされるような感覚はなんとも不思議で、目の前には木製の城門……巨木には階段が掛けられていた。


 扉らしき物や窓、排煙の為の筒など生活感が所々に見られ、その全てが木製なのだが自然のままの形を大事にしており、人の手が入っているのは明らかだった。


「これは……」

 ルピナ達の更に後方から声が上がる。明らかに動揺しているようで、どうやらその姿をただの旅人に見せる事は異例なのだと言う。


「驚きました……どなたか長老と縁の有る方がいらっしゃるのですか?」

 前を歩く隊長の言葉に横のカルーアを見ると、正体を悟られたく無いのかフードを目深に被り直していた。


 首を傾げてやり過ごし、城門を潜ると背後の兵士達は別の道へと分かれて行った。

 出来れば手厚く葬ってやってほしいと隊長風の青年に伝え、必ずと力強い返事を貰う。


 本に書かれていた人間嫌いの気配は微塵も無く、そこには使命に忠実な瞳が有るだけだった。

 耳が長い事を除けば人族のそれと大差無く、誠実さが顔付きに良く表れている。


「エルフを見るのは初めてですか?」

 不躾な視線に気付かれそう問われるが、説明が面倒なので頷いておく。


 するとエルフの青年は微笑み、自身の耳を指で触り再び歩き出した。


「我等の種族は人族からすると羨ましいみたいですね。老いる事無く、永遠に若いままだと……ですが、それは自然に反しているとも思うのです」

(反している?)

 疑問顔を見て優しく微笑み頷くと、青年は言葉を続ける。


「多種多様な種族の中、我等だけの容姿が変わらず若いまま……草木が育てば朽ちるように、それが自然であるような気がしてならないのです」

 そういうものなのだろうか。

 若さや永遠の命というのは、元いた世界でも数多の権力者が欲していた物の一つだ。


 そんな事を言ったら罰が当たりそうなものだが、こればかりはその身に宿さなければ理解出来ないのだろう。


「それに―――」

「よーう、ご苦労ご苦労」

 そう青年が言い掛けた時、一人のエルフがこちらへ歩み寄って来た。


 軽薄な態度で大手を振り、身に纏っている物もエルフ然とはしていない。

 青年の耳にもピアスのような装飾具は付けられていたが、それが眉や目元、耳に連なるように付けられている。


 金色の髪はそれがよく見えるように後方へ流されており、耳の周りは刈り込まれている。反対側は対象的に長く、前へと垂らされていた。


(チャラ男だ……)

『チャラ男……ですか?』

 ルピナの言葉に頷き、こういう感じの男を地球ではそう呼ぶんだと教えてみる。

 その名称を口の中で復唱し、目の前のチャラ男に視線を移すルピナ。


「隊長殿、お疲れ様です!」

 両手を下に直立し、緊張した面持ちで敬礼する青年。どうやら上司のようで、その顔に先程までの微笑みは無く、緊張した様子が見て取れる。


「あーあー、いいからいいから……ったく、本当にお硬いなぁお前は」

 面倒臭そうに片手であしらい、青年の後方へと目を向けるチャラ男。


「で、そちらさんが今回の客って訳か……」

 片手を顎に、こちらを値踏みするように一瞥するチャラ男。


「なにするのよ!」

 一瞬で視界から消えたかと思うと、横のカルーアがフードを剥ぎ取られる。


「ほぉ……」

 同族を確認し、興味深そうに唸るチャラ男。


 振り払うカルーアの腕を軽々と躱し元の位置に戻ると、両手を腰に当てたまま声を殺して笑っていた。


「これはこれは、誰かと思えば……」

 そう呟いた後も笑い声は収まらず、当の本人はと言うと終始俯いていた。


 チャラ男が片手を上げると何処からともなく衛兵が二人ほど駆け寄り、その後方で待機する。


「掟破りは重罪……だったか? だがそうだな、どうせなら長老連中にお伺いを立ててみるか?」

 何の事かはさっぱりだが、何かを企んでいるのは明白だった。


 親指で指し示した後方の巨木郡……それと薄笑いを浮かべている三人のエルフは、予め結果が分かっているとでも言いたげに、その態度は酷く挑発的だった。


 身を隠す為のフードローブを脱ぎ捨て、胸元に握った片手を置くと目を閉じ俯くカルーア。

 口の中で短く何かを唱え、まるで戦闘前のように自身へ強化魔法を展開させる。


 戦闘になるのか……そんな思いが一瞬よぎり、外套の中の柄へ手を掛けるとそれを察してか視線を寄越して優しく咎めた。


 ほどなくして両手を前へ広げると、吸い込んだ空気をゆっくりと静かに吐き出しながら、静かな森の中に音が響き渡る。


 音色事態に意味が有るのか、心地良く上下する旋律はハミングのように単音っぽく聞こえてしまう。


 注意深く聞いていればそれが複数の音を束ねた物だと分かるだけに、カルーアの口が増えてしまったのかとさえ思える程だ。


 澄んだ清涼な声とは言い難いが、ゼロはカルーアの声が嫌いでは無かった。

 力強く独特で、印象的な声色はその音程と相まって癖になりそうだ。予想だにしない所で少し調子外れになる所がその原因だろうか。


 聴き惚れていると歌も終わりに近付き、思い出したように目の前の三人の様子を確認する。


 目を閉じうんうんと頷いてはいるものの、両手を組んで顎を上げ、少し見下しているような態度に変わりは無い。

 後ろの二人に指示を出し事の終わりに備えた。


 森の中に静寂が戻るとその無音が耳に付く。

 痛い程の静寂を破ったのは案の定、薄笑いを浮かべていた隊長と呼ばれたチャラ男だった。


 後ろを振り返り何かを確認すると、嘲るようにカルーアへ言葉をぶつける。


「残念だったなぁ? 長老達は許さない、とさ。まあそれも仕方ないか……あんな無様な歌唱なら、歌わない方がマシだったかもな」

 チャラ男の言葉に後ろの二人も同意し、先程の歌への評価は嘲笑という事なのだろう……ここからどう出るのか、暫しカルーアに一任してみる事にした。


 俯き、出会った頃と同じように肩を震わせているカルーア。

 憤慨するのか激昂するのか、どちらにせよそこまで馬鹿にされるような代物では無かった筈だ。


「……で、ですよねー。あはは、はは……」

 そう言って三人と共に笑い出し、ふんぞり返りそうになっている三人の顔めがけて拳が飛ぶ。


 両脇の衛兵をルピナとリリリが。チャラ男への攻撃はゼロが……各々拳を固め、それを思い切り振り抜いていた。


「甘ぇよ、ザコ」

 チャラ男だけが片手でそれを防ぎ、分かっていたと言わんばかりに不遜な笑みを浮かべている。


 まあまあな踏み込みに続いて浮いたままの姿勢で足場を作り、顎先の死角から蹴り飛ばすと土煙を上げて後方へと飛んで行くチャラ男。


(お前だろ、カス)

 そう吐き捨て着地すると、これ見よがしに外套を叩き埃を落とす。


「な、な……」

「何してんのよ!」

 エルフの青年が叫びそうに唇を戦慄かせていると、一瞬早くカルーアが叫んだ。

 先程の歌より遥かに大きな声で叫び、折角の我慢が台無しだと矢継ぎ早に責め立てられる。


(お前こそ何を考えている?)

「えっ……」

 カルーアへ歩み寄り、額がぶつかるほど顔を近付けるとその瞳を覗いて忠告する。


(共に行くなら下らない連中に我慢をするな。頭を下げるな。気に入らないなら殴れ)

「うっ……」

 気迫に押されて頷きそうになるものの、あと一歩の所で踏み止まるカルーア。


「それでも! 人の頑張りを無駄にしないでよ!」

 予想外の口撃に目を丸くする……が、気を取り直して再度言葉を掛けようと口を開くと


「いいねいいねぇ! やっぱ人族は野蛮でいいねぇ! まるであいつが帰ってきたようだ!」

 そう叫んで手を使わず、足の力だけで起き上がるチャラ男。


 程よく気絶しておいてもらおうと力を込めた筈だが、曲がりなりにも隊長と呼ばれるだけの力量は有るようで……少し面倒な事になりそうだ。


 チャラ男は腰を落として身構えると跳躍し、一瞬で間合いを詰めて来る。

 踏み出した足場は爆ぜ、振り被った拳に溢れんばかりの殺気が乗っていた。


 迎撃の為に同じように腰を落とし、同等の魔力を拳に乗せて繰り出そうとした瞬間、耳をつんざく大きな柏手が鳴り響いた。


 今まで丸切り気配を感じなかった鳥達が雨音のように飛び立ち、再び静寂が訪れるとその場の誰もが動けずに音の発生源……中央の巨木を見詰めていた。


 その佇まいに言葉を無くし、ただ呆然と眺め立ち尽くしているとチャラ男はすぐさま跪き、エルフの青年……引いてはカルーアまでもが片膝を突き頭を垂れていた。


 背後に立たせていた侍従と思しきエルフに耳打ちをし、カルーア同様に唇を少し震わせるとその身が少し浮き上がり音も無く移動する。


 その姿は正しく自分の知っているエルフそのものであり、長い金色の髪に大きな瞳。儚げな表情と白雪のような肌。長い細身のドレスが風に靡き、象徴とも言える長い耳はぴんと伸び……少しだけリュカの母に似ている気がした。


「争いはお止めなさい」

 一同の前に降り立つとエルフの女性は静かな口調でそう発した。


 たったそれだけの言葉で先程までの怒りは完全に消火され、その顔を、眼を、唇を……次の言葉を待った。


「何してるのよ! あんたも跪きなさいよ!」

 無理やり膝をつかせようとするカルーアの引っ張りを無視してでも、その姿からは目が離せず、視線が交わると胸の内が震えた。


「あら……」

 こちらの姿を認めたかと思うと、再度侍従に耳打ちをする女性。侍従が頷くと優しく微笑み、向き直るとゆっくり言葉を紡ぎ出す。


「出て来るのが遅くなってしまってごめんなさいね……先程までのやり取りは、ちゃんと見ていましたよ」

 小さな子供に言い聞かせるように、先程よりかは幾分砕けたように話す女性。その言葉に再び跪き、頭を垂れるカルーア。 


「喧嘩は両成敗。一生懸命頑張った人を笑ったりしたら、怒るのは当然ですね?」

「はっ!」

 先程までの剣幕はどこへやら……チャラ男やその取り巻きすらも、カルーア同様に跪いては短く言葉を発するだけだった。


「警備隊の四名は直ちに通常の職務に当たる事……良いですね?」

「はっ!」

 短く返事をすると案内の青年を含め、チャラ男達が立ち上がり一礼をして去って行く。


 その挙動に微塵も違和感や不審点は見当たらず、心から納得して持ち場へと戻って行くのが分かる。


 去って行く背中を見詰め、視界の端に跪いているルピナとリリリを捉えると同様にするべきなのか悩んだ。


「ふふっ、大丈夫ですよ。どうぞ楽にして下さい」

 と、考えを見透かすように言葉を掛けられる。


「そして……おかえりなさいカルーア。良く戻って来てくれましたね」

 語り掛ける言葉は短くとも、その中に優しさが満ちている気がした。


「はっ! 最長老様に於かれましては御機嫌麗しく……私のような―――」

 緊張と焦りが色濃く浮き出たカルーアの言葉に、そっと歩み寄りしゃがみ込むとその顔を覗き込む最長老と呼ばれたエルフの女性。


 気配に気付いて顔を上げるカルーアの唇を人差し指で止めると、ふっと小さく笑みを漏らした。


「さあ、どうぞ楽にして下さいね。ほら、カルーアも立って」

 ルピナとリリリに立つように促し、カルーアに至ってはひょいと持ち上げ立たせてしまう。


「それと……」

 不敵な笑みを浮かべて呟き、ゼロの前に来ると優しく抱き留める。


「この子は私が預かります。後の事は後ろの二人に」

 そう言って視線を合わせると


「ね?」

 小さく呟いて小首を傾げられる。


 その仕草に自然と頷いてしまい、それが合図かのように体が浮き上がった。


『ゼロさん!』

(心配するな……多分、何ていうか多分なんだが……大丈夫だ)

 ふわふわと移動する最中、心配声のルピナへそう返す。


 先程までは誰が出て来ようと文句の一つでも言ってやる腹心算だったのだが、有無を言わさない説得力が胸中を満たしていた。


 言語化出来ないそれはルピナに伝える事が難しく、只々大丈夫だと繰り返す事しか出来なかった。


 最初に現れた階段部分よりも更に上空へと飛翔し、ベランダのような手摺りの有る足場へ到着すると頭を撫でられ、その微笑みに慈愛が満ちているような気がした。


 眺める視線に不安な物は無く、少しだけ悲しそうな瞳が気に掛かる。


「中に入りましょうか」

 そう言うと最長老と呼ばれたエルフの女性は扉へ向かい、手を翳して室内へと招き入れる。


 部屋の中は巨木をくり抜いたような内装で、見た事も無い物で溢れかえっていたが最長老と呼ばれるだけあってもっと荘厳な感じなのかと思いきや、それは良い意味で裏切られる形となった。


「大丈夫よ。物騒な物はそこに置いておきなさい」

 そう言うと床からは木の枝が伸び、見る見る内に外套掛けへと姿を変える。

 まるでそうする事が当然のようにボロ布を掛け、武具の全てを魔法鞄へとしまう。


「あら、便利な物を持ってるのね」

 部屋の中央には木製のテーブルが在り、席に着いていた最長老が楽しそうに言う。


 先程と同じような小さい子供をあやすような態度は、自分との年齢差を知らしめているようだった。


 片手で促され着席すると、どこからともなくティーカップとポットがふわふわと宙に浮かんでやって来る。

 その光景に思わず見惚れ、口を半開きのまま注がれていく液体を眺めていた。


 こういった無駄な魔法はリアモや王都では見る事が無い。こんなものは自身の手で、足で行えば良い事で、費用対効果が見合わない為だ。


 ある意味魔法に長けたエルフ専用の物で有るのかも知れない……そんな事を思っていた。


「少し苦いかも知れないけど、美味しいわよ」

 そう言って出されたカップの中に、見慣れた色の茶が注がれていた。紅茶が有るのであれば必然か……一口啜ると独特な、それでいて懐かしい緑茶の香りが自然と頬を緩ませる。


 その光景に目の前の女性は笑みを零し、短く前置きをして

「君のことを教えて頂戴?」

 と、尋ねて来た。


 普段であれば確実に話さないであろう猜疑心の塊のような心はそこに無く、優しい強制力が場を支配していた。


 今までの事、これからの事、楽しかった事、嬉しかった事、辛かった事……次から次へと口を衝いて出る言葉は先の戦闘と同じく、自分以外の誰かが喋っている感覚に陥り困惑した。


 話している最中に最長老と呼ばれたエルフの女性は終始うんうんと優しく頷き、その言葉の全てを余さず聞いていた。


(ん……?)

 話も終盤に差し掛かり、カップに何度目かの緑茶が注がれると軽い目眩を覚えた。


 視界が歪み、平衡感覚に僅かな違和感を覚える。次第に手足からは力が抜け、眠気に似た脱力感が身体を満たし始める。


「そろそろ効いてきたみたいね……」

 ゆっくりと立ち上がり、机に突っ伏しているゼロへ声をかける最長老。


 平時であればこの場の何を使ってでも抗うのだが、こんな状況へ陥ったとしても未だ胸中は安堵で満たされていた。


「これからある儀式を行います。大丈夫、心配しないで……貴方が目覚めた時、それは全て終わっているわ」


 そう言って再び頭を撫でられ、それが合図となって視界が閉ざされる。


「おやすみなさい」

 最長老の涼やかな声が遠くから聞こえた。



 少年を抱きかかえると最長老は部屋の扉へと進み、それが自動的に開かれると目的の場所へと移動する。


 途中で幾つかの分岐路を曲がり、上がり、下がったりしては、一刻も早くそれを遂行する事が、あの子への贖罪になると信じていた。


 胸中を満たす悔恨や懺悔の言葉は一旦奥底へとしまい込み、今は儀式の成功にだけ意識を向けるよう努めた。


 部屋の前にかしずいて待つ二人の従者を確認すると、互いに顔を見合わせ力強く頷く。


 扉が開け放たれると居住区とは違い、生活感の感じられない室内には木製の台座と白いシーツ、周りを囲む燭台だけが置かれていた。


 従者達によって明かりが灯されると室内は淡い光で溢れ、天井に刻まれた魔法陣が共鳴を始める。


「始めましょう……トウ、キビ」

 従者の二人にそう声を掛け、台座の上に少年を寝かせると従者の二人は手早く衣類を脱がし終えた。


 生まれたままの少年の姿と刻まれた鍛錬の痕……そして、超越的な力によって施された呪いにも似た喉の紋様。


 台座に掛けられたシーツと同様の物で少年を覆うと、従者の二人が衣類を脱ぎ始める。そして―――


「待って下さい!」

 桃色髪の少女が部屋へ飛び込んで来た。何かを決意したその瞳に、かつての英雄達を垣間見る。


 少年の話の中にあった少女……名をルピナと言っただろうか、自身の出生を探る為にこの地に赴いたこの子の仲間……。


「私に、私に手伝わせて下さい!」

 脱ぎかけていた手を止め、赤色と青色の髪が揺れる。トウとキビ、二人の従者は最長老へと視線を向けて、その願いの可否を待った。


 話してはいない……その理由も、これから何が行われるかも彼女は知らない筈だ。尋ねるような最長老の視線に二人は同時に首を振る。


 この少年と少女はそこまで親しい間柄では無いと、先程の話の中で聞いている。儀式の性質上肌を重ねる事を必要とするのだから、やんわりと断るべきか……。

 その考えを一変させたのは少女の一言だった。


「きっとこれが、最後だと思うので……」

 困ったように眉を寄せ、無理やり作った笑顔には涙が浮かんでいる。言葉の意味は分からなかったがその覚悟が生半なものでは無い事は容易に想像出来た。


 長い沈黙の後、その願いを聞き届けるように小さく頷いた。



(あぁ、またか……)

 辺り一面の雪景色……とは違うのだが、白に染まった視界を確認するとそう思った。


 一体ここはなんだと言うのか。夢を見ているのか、それとも少年神と出会った時のような不思議空間なのだろうか。


 そんな事を思っているとここが自分の心の中なのかも知れないと思える、見慣れた狼の姿を見付けた。


 銀色の体毛に額から背にかけて濃い紺色が延びている母狼は、目の前まで来ると申し訳無さそうに頭を垂れた。


(やってくれたな……と言いたいところだが、気にする必要は無い。助けてくれて感謝している)

 自分の物とも、グラムの物とも違う感情に支配された力は、留まる事無く相手を絶命させた。

 度々起こる感情の起伏や、制御出来ない力はこの狼に依る所が大きいのだろう。


 最初は互いに戸惑いながら、何時しかそれが綺麗に合致し、今ではそれに振り回されている……自覚していたが、最後まで保てば良い。そう考えていた。


 不意に母狼が天空を見やり、暫くするとあの子狼に似た遠吠えを上げる。それは細く長い、どこまでも遠くへ響き渡るような……少し悲しい声だった。


(えっ……)

 静まり返った場内に動揺が走る。母狼の体が段々と薄くなり、その存在感までもが目の前でゆっくりと消えて行くのだ。


(なんだこれ……どういう事だよ!)

 取り乱す仕草にゆっくり頷くと母狼はその顔を一舐めし、視界から完全に消え去った。


 何も無い空間に取り残され、大きく息を吸い込む。

 力の限り叫び、目の前で起こった出来事の説明をしろと不満をぶつけると、急速に意識が覚醒する。


 ゆっくり目を開けるとそこには見知らぬ天井が広がっていた。


 むくりと上半身を起こすと最長老の部屋のようで少し違い、置かれている調度品なども幾分実用的に見えた。


 最大の原因は中央のテーブルで優雅に茶を啜るカルーアの存在だろう。

 肌触りの良いベッドから抜け出すと、なるほど女性が好みそうな天蓋付きのベッドへと寝かされていたようだ。


「あら、漸く目覚めたのね……って、前くらい隠しなさいよ!」

 周囲の確認ばかり行っていたせいで、自分が素っ裸の状態だとは気付かなかった。夏も冬も無いこの世界では、どうにも肌感覚は鈍る一方だ。


 ぶつぶつと文句を言いながらタンスを漁り、一枚の布を寄越すカルーア。それを腰に巻き付けると室内を見回しながらテーブルへ向かう。


 裸くらいで声を荒げるところを見ると意外と初心なのかも知れない。そういえばと思い出し、カルーアは幾つなんだと年齢を尋ねると


「二十六よ」

 と、衝撃の答えが返って来た。


 容姿や言動、今までのやり取りからもっと幼いと思っていただけに、自分の知る二十六からは遥かにかけ離れていた。


「なによ?」

 咳き込みそうになる仕草を見てか、文句が有るのかと睨むカルーア。片手を前に出し何でも無いと返すと一枚の写真が目に留まる。


 それは数人の男女が写った一枚の写真……この世界にも写真が有るのかとまず驚いたが、真に驚くべき内容はそこに写っていた人物だ。


「ああ、これ? ちょっと前に撮った物よ」

 後方の柱にピンで留められた一枚の写真を親指で指し示し、何でも無い事のように言うカルーア。

 よろよろとした足取りで近付き、その顔をしっかりと確かめる。


 中央の少年がその勇者とやらだろうか。立派な……とは言い難いが、頑丈そうな鎧と肩当て付きのマントを靡かせ、満面の笑みで親指を立てている。


 傍らには幼い少女。ルピナのように四角い旅行鞄のような背嚢を背負い、頭の先には件の槍が顔を覗かせていた。


(この子が、賢者……?)

「そう。そして隣が東の勇者『レイジ』……私が探している人間の一人よ」


 快活で明るい印象を持った笑顔は誰にでも分け隔てなくそうなのだろうと、たった一枚の写真からでも伝わって来る程だ。

 それだけにどこか、癇に障るのは何かが有ると言うのだろうか。


 何時の間にか隣に立っていたカルーアが、更に説明を続ける。


「隣はこの国で……いえ、この世界で唯一の魔法使い。魔法を魔法として扱える大賢者『ミリィ』様ね」

 先程の勇者には無かった敬称を付けた所を見ると、どうやら勇者に良い感情を持っていないのは明白だった。


 カルーアには未だバレていないようで、良い感じに話を逸らす事にする。


(魔法を……?)

 その言葉に頷き、説明は尚も続く。


「この世界で魔法と呼ばれている物は、正確には魔術で魔法とは別物。それを教えてくれたのがミリィ様……人族が使う魔法も、私達が使う精霊術も、全ては魔術なの」

 得意気に語るカルーアだが、その説明では何の事なのかさっぱりだ。


「そうよね。私もそうだった……それに、それを知った所で魔法を扱えるようにはならない。だったら有り物で、何とかやり繰りするしか無いのよね」

 ふっと短く溜め息を吐き、半ば諦めたような表情を浮かべる。どこぞの魔剣と同じような言い草に少し笑ってしまった。


「首根っこを掴まれている眼鏡がウェル。後ろの二人は今は冒険者ギルドの長なんだし、知っているんじゃない?」

 知らない顔も多かったが、そこには確かに若き日のリチャード、そしてシェールの姿が有った。


 写真で年齢は判別出来ないが、髪型が自分の知っている二人よりも若さを感じさせる物となっている。


「端に写っている二人が私の目的でも有り、憎むべき相手……リティシアお姉様と剣士カイン。見た事は有るかしら?」

 逸らせたと思った話題は見事に最悪の方向へ進み、身構えていたからこそ自然と首を振れた。


 殺気は無い……だが、無言の圧力はひしひしと感じられ、必死に冷静を装っていると不意に膝から崩れ落ちてしまう。


「っとと……そういえば儀式終わりだったわね」

 そう言ってカルーアに体をひょいと持ち上げられ、再びベッドへと運ばれる。偶然とは言え助かったと安堵し、気付かれない内に呼吸と脈を整える。


 正直に伝えるべきなのだろうか、それとも隠し通すべきなのか……カルーアの願いは未来永劫叶う事は無いのだと。


 リティシアとカイン―――それはこの体、リュカの両親の名だと―――。


 リュカの両親が昔冒険者だったという事は知っている。だとすればあの写真は少なくとも、十年よりももっと前に撮られた物なのだろう。

 時間感覚の差が人族のそれとエルフでは違い過ぎる。


 姉と呼んでいただだけにカルーアの探し人、探しエルフがダークエルフだと思っていただけに、どういう関係なのかが気になってしまう。


 血縁関係であればカルーアは叔母に当たるのだろうか……だとしても、それを確かめるには正直に打ち明ける他無い。


「ゆっくり休むと良いわ。ここはこの国の私の家だし、最長老様がそのまま残してくれていたみたいなのよね」

 内装から同じ建物の中かと思ったのだが、口ぶりからすると違う建物……巨木の中なのか懐かしむ口調でカルーアが告げる。


 その言葉に頷くとどたどたと騒がしい足音が聞こえ、部屋の扉が盛大に開かれる。

 現れたのは見慣れた二人の顔。ルピナとリリリは起きているゼロを認めると、一目散に駆け寄りベッドへと飛び込んだ。


「ゼロさん……ゼロさん!」

「ゼロっち、良かった……!」

 抱き着かれて泣かれるとどうする事も出来ず、ベッド脇に佇むカルーアはやれやれと肩を竦めている。


 儀式とやらが終わってからは中々目を覚まさず、今日で入国してから三日が経過しているとカルーアは言う。


 窓から差し込む陽光に違いが感じられず、てっきり数時間くらいのものだと思っていただけに、二人の感涙も納得の物だと分かった。


 泣き止むのを待ち、落ち着いた所でルピナから着替えを渡される。外套と魔法鞄も健在で、その全てに身を包むと漸く安心する。


 袖を通す度に何時も感じていた体の不調が感じられず、押さえつけるような力みは必要無くなっていた。


 これがその儀式とやらの成果なのか……夢の狼のことと言い、詳しく説明してもらう必要が有るのは歴然だった。


 様々な謎が増え、頭の中は既に混乱の坩堝であったがゆっくりと、確実に一つずつ消化して行くしかないと言い聞かせ、一同はカルーア宅を後にした。

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