第二十一話 ~母~

《第二十一話 ~母~》


 当て所無く彷徨い、気付けば森を抜けていた。


(嗚呼、口惜しや……口惜しい……)

 絶えず口を衝いて出る怨嗟は留まる事を知らず、呪いの言葉は尚も吐き続けられる。


 体力は日毎に衰え、脚の傷は悪化の一途を辿っている。滴る血の後を追い、追手はすぐそこまで迫っていた。


 斯様な謀略さえなければあそこまで深手を負う事は無かった筈だ……最後までお人好しなあの人らしい最後であったと、勇敢であったと腹の子に聞かせる事は恐らく叶わないだろう。


「あら……」

 微かに響く人の声。その声に反応し即座に体制を立て直す。

 未だこの身にそのような力が残っていたのかと驚き、全ては我が子の為かと思い至る。


 眼前には年若きエルフの女が一人……その手に弓を携え、狩りの途中だったか矢を番えていた。


 我等と親睦の有るエルフの事だ、ここで懇願すれば幾らかの目溢しは期待出来るだろう。しかし―――


「傷付いているのね? でもごめんなさい……私達は森の番人。それが自然の摂理なら、手助けは出来ないの……」

 差し出した手を胸へと戻し、エルフの女はそう言った。


 是非も無い。こちらとてそんな真似をするくらいならば、誇り高き死を選ぶ。


「っ……貴女、子供が居るの!?」

 じっとこちらを睨み付けていたかと思うと、突然頓狂な声を上げる。


 魔力を視るエルフの特性により見破られ、暫しの逡巡の後に大空へ矢が放たれた。

 暫くすると上空から落下する一羽の鳥。それが放たれた矢の本数と同じ数になると


「本当は駄目だと分かってる。けど、ううん……こういう時は、素直に言う事聞きなさい! かしらね?」

 そう言って優しく微笑んだ。


「それと―――」

 二本の指を口元に当て、僅かに唇が動く。遥か彼方の後方で、醜悪な断末魔が聞こえた。


「同じ母として、安全は約束するわ。丈夫な子を産みなさいね」

 後方に気を取られ、視線を戻すとエルフの姿は消えていた。何処からともなく聞こえた声は風に乗り、風によって消えて行く―――。


(そうか、あのエルフも母であったか……)

 それは同情なのか憐れみなのかは分からない……しかし、同じ母として種族の垣根を超え、彼女は確かに手を差し伸べた。


 その恩をしかと胸に刻み、一匹の森狼は久しぶりの食事を摂ると再び森へと消えて行った―――。



(本当に合ってるのか……?)

「うるさいわね。久しぶりだから少し迷ったのよ……」

 長く、巨大な螺旋階段を登り、目的の扉まで辿り着くとカルーアへ確認する。


 謎儀式から目覚めるとその足で謁見へと向かい、どういう事かと問い質すべく気持ちを入れ替えていた。


 儀式のお陰か出会った当初のような童心は微塵も感じられず、今ならば自分の頭で物事を考えられるだろう……そう思っていた。


 考えなければならないと言うのならばそれは本当に、大小無数に有るような気がしてならないのだがそれを今ここで出すのは自殺行為に等しい。


 折角拾った命を溝に捨てたくは無いのだ。


 エルフの宮殿……になるのだろうか、中央に聳えていた巨木はその実複数の木が重なっており、イメージとしては高層ビルが連結されている感じに近い。


 皮肉交じりにカルーアに確認したが、案内が無ければ十全で迷い続けていた事だろう。


 こんな案内板も無い中でどうやって居るのかと言うと、それはエルフの特性が有ってこそ成り立っているのだと言う。


「視るのも感じるのも、まあ似たようなものよ」

 そう言って得意気に鼻を鳴らすカルーアを見て、こればっかりは種族差として受け入れるしか無いのかと思った。


 長い階段を経て、一際大きな扉の前に辿り着くと両脇の衛兵が道を開ける。

 重苦しい音を立てながら扉が開かれると、外から続く長い絨毯が部屋の奥まで続いていた。


 リュカと読んだ絵物語にこういった人族の宮殿はよくよく描かれていた。誰それの英雄が王族達と謁見する際、綺羅びやかな場所はその目に憧れとして強く映っていた。


 宮殿……と呼んで良いのか、謁見の間と称された場所は天井が高く、大きな柱がそれを支えている。


 絨毯の両脇には槍を携えた衛兵が規則正しく並び、奥に玉座のような大きな椅子は無く、階段状の大きな席が複数……中央に最長老が座っている所を見ると、そこに居る男女こそが長老と呼ばれるこの国の重鎮達なのだろう。


 柱の裏、中二階、垂れ幕の裏等……複数の視線を感じつつ、静かな足取りで歩を進める。物騒な雰囲気の割に、心の中はどこか落ち着いていた。


 先頭を歩くカルーアが跪くと、それに倣って同様に膝を折る。最長老を含む七名の視線は壇上から注がれ、そのどれもが好意的とは程遠い。


「静粛に」

 そこかしこから聞こえていた囁きが鳴り止み、辺りに静寂が訪れる。しんと静まり返った場内には思い沈黙が訪れ、それを破るように最長老の澄んだ声が響き渡った。


「ようこそ若き旅人達……表を上げ、楽にして下さい」

 公の場では流石に厳粛な態度を保っていたが、慈悲深い言葉にすぐさま立ち上がるゼロ。


 外套の中で両手を握り、見据えた先にはあの日と同じ優しげな笑顔が有った。


「この場にお呼び立てしたのは他でもありません……先日国境で発生した、襲撃事件についてお話を聞かせてもらいたいのです」

 要は事情聴取という事なのか、どうなんだとカルーアに視線を向けると無言のまま頷かれる。


「襲撃者の名前はヒロタカ……神聖国の冒険者にして、異世界の勇者という事は間違いありませんか?」

 こちらもどうなんだと次はリリリに視線を向けると、少し辛そうな表情を浮かべて頷く。


「やはり神聖国……」

「なればこそ……この事は正式に……」

 そこかしこから再び囁き声が上がり始め、場内は少しだけ騒然とする。

 壇上の長老達は口にするのも厭そうに、彼の国の名を呼ぶ時に眉を寄せていた。


「静粛に」

 凛とした声が鳴り響き、場内が静まり返ると再び最長老が言葉を続ける。


「分かりました。神聖国には使者を遣わし、厳粛に処理すると宣言します。ですが―――」

 場の空気が変わり、責めるような視線でこちらを睨み付ける最長老。


「入国の際にこの国の者と起こした問題……それについて何か申し開きは有りますか?」


 チャラ男との一件について言っている事は容易に想像出来た。しかし、それについては先日で既に決着は着いていた筈だが、この場で更に何かを言えと言う事なのだろうか。


 こういった場で明るみに出す以上、何らかの落とし所を周知させるのが狙いなのだろうか……真意が分からないまま、音の出ない声で全てを話す。


「仲間を侮辱された……ですか。それが真実だとて、問題になるとは思わなかったのですか?」


 先程とは違い、少し優しさが見え隠れする口調にそのまま頷く。相変わらず周囲からは否定的な囁きが聞こえるものの、安全圏から隠れて非難するしか出来ない者達の声など気にもならない。


 だとすれば真正面から堂々と、自分の意見を真っ直ぐに言ったチャラ男の方が幾分好感が持てる……という訳では無いが、そういうあけすけな性格は嫌いでは無い。


(無理に言葉を吐いて、泣きそうになってる奴を守れないようなら共にする意味も、この腕も不要だ……とは借り物だから言えないんだが、そのくらいの覚悟は持っている)

 先日の幼子のような口調とは違い、きっぱりと自分の言葉を伝える。


 その態度に最長老は目を丸くし、まるで別人でも見るかのように驚いた表情を浮かべている。

 すぐさま元の平静を取り戻すと小さく頷き、再び話を始めた。


「分かりました。確かに人族は皆野蛮で粗忽、すぐに暴力を振るう乱暴者……ですが、言葉での暴力が有るのもまた事実。そうですね?」


 視線を横に移し、脇に整列していた兵士達の群れを一瞥する。するとその中から手が上がり、最長老が頷くと一歩前へ出て件のチャラ男が声を上げた。


「先日の一件、確かに間違いありません! 久しぶりの訪問客につい嬉しくなり、ちょっかいを掛けてしまいました! 正式に謝罪します!」

 多少砕けてはいるものの、こちらへと向き直り丁寧にお辞儀をするチャラ男。


 何か心境の変化でも有ったのか、そう思えるほど先日の態度とは一変して兵士然としており、その佇まいはあの青年と似た物を感じていた。


(やっぱり洗脳されてんじゃねえのか……?)

『馬鹿な事言わないで。最長老様がそんな事する訳無いでしょ? それに、私は泣きそうになんかなってないわよ!』

 頭に鳴り響くカルーアの言葉にはいはいと適当に返し、壇上の行方を見守る。


 双方の言い分が出た所で長老達はひそひそと声を潜め、何やら話し合いを続けていた。


「分かりました。この件については不問とし、貴方達の入国を認めます」

 騒然となる場内。どうやら最長老だけが特別なようで、人族嫌いの言葉はあちこちから聞こえていた。


「救国の英雄達の名の下に、貴方達の安全を保障します」

 そう宣言すると声はぴたりと止み、口々に件の英雄……レイジとミリィの名を囀る。


 ある者は尊び、ある者は敬い、ある者は畏怖する……英雄とは言ったものの、どうやらその評価は十人十色のようだ。


 大きな柏手の音が響くと場内は次第に静まり返り、それを確認すると最長老は小さく咳払いをして微笑む。


「これにて裁定の儀を終了します……エルフェリアは、貴方達を歓迎します。ようこそ、小さな旅人さん」

 笑顔のままそう告げる最長老。裁定の儀という物騒な言葉は、もしも判定が違えば追われる身になっていたという事なのだろうか……背筋に冷たいものが流れる。


 そんな気持ちを知ってか知らずか、長老達が立ち上がり恭しく頭を垂れる。すると両脇に整列していた兵士達も軍靴を鳴らし、中央へ向き直ると一様に敬礼する。


 どうやら退場しても良さそうな雰囲気に皆と顔を合わせ、一礼するとくるりと反転し元来た道へ歩を進める。


「またやろうな」

 その声に横目で後方を確認すればこれだけの騒ぎを起こして未だ懲りていないのか、例のチャラ男が笑顔のまま片目を瞑る。


 どういった意図が有ってあのような事を行ったのか……それは柱の陰から現れた、行く手を阻む二人に聞けば分かると言うのだろうか。


「御案内致します」

「どうぞこちらへ」

 左に赤髪のエルフ、右に青髪のエルフが立っており、それぞれ分担して言葉を吐くと片手で指し示し案内を申し出て来る。


 年の頃はカルーアよりも大分上か……そんな事を思いすぐにそれを掻き消すと、今後エルフの年齢を外見の豊かさで推し量るのは止めようと思った。


『……心配しなくても大丈夫よ。行きましょう』

 眉を寄せ、少し嫌そうに吐き捨てるのには何か理由が有るのか……カルーアの言葉に従い二人の後を付いて行く。


『はー、緊張したー』

『本当に……でも、入国を許可していただけて良かったですね』


 リリリとルピナの言葉に頷く。先日の様子から悪いようにはされないだろうと高を括っていた訳だが、それでもああいう雰囲気には少し緊張するのもまた事実。

 慣れない空気に体が硬くなっており、歩きがてら外套の中で身を捩ってほぐす。


『緊張よりも驚いたわよ……どんな魔法を使ったのかしら?』

 恐らく入国許可の事を言っているのだろうが、カルーアらしい皮肉に少し感心してしまう。


 どうやら寝ていた間にルピナ達も最長老と面会しており、その際にシェールやリチャードからの封書を手渡していたらしい。


 あの二人もかつての仲間だったという事なのだろうが、だとするならばこちらも何かが引っ掛かる気がした。


『なるほどね……だとしたら、詳しくは最長老様から聞いた方が良いのかしらね』

 長く大きな螺旋階段を暫く歩くとカルーアはそう呟き、前を歩いていた二人のエルフが扉の前で向き直りお辞儀をする。


 頭を下げたままの格好で静止してしまい、部屋へ入れという事なのか……扉を数回叩いてみる。


「どうぞ」

 先程壇上から聞こえていた最長老の声に、カルーアが断りを入れて扉を開けた。


 部屋に入るとすぐに三つの扉が現れ、正面と左右に同じ物が在った。四人が入るとすぐに後ろの扉は閉じられ、再び二人のエルフによって正面の扉が開かれる。


「うふふ……いらっしゃい」

 正面のテーブルで最長老が微笑み、両手に持たれていたカップが置かれる。その笑みに促されるように正面へ歩を進めると、カルーアが跪くのを見て最長老が立ち上がる。


「ここには私達しか居ないわ。だから皆さんも、どうか楽にして下さいね」

 後ろからルピナとリリリの返事が聞こえるものの、少し裏返ってしまい緊張の度合いが窺える。


 部屋の中はカルーアの所よりも少し広く、エルフの国の重鎮にしては幾分質素にも見えた。


 飾ってある絵や調度品は確かに高価そうではあるものの、今まで見てきた権力者達の部屋とは随分と印象が違う。


 床から生えてきた人数分の椅子に着席し、円形のテーブルを五人で囲む。

 赤髪青髪のエルフは最長老の後ろに控え、それぞれ片方しか出ていない目はじっとカルーアを見詰めていた。


「聞きたい事も多いでしょう、時間は有りますからね……お茶でもしながらゆっくりお話しましょう」

 動く気配を察してか、片手を上げると背後の二人を制止させる最長老。


 続いてどこからともなくティーセットがふわふわと浮かんで来ては、丁寧に茶を淹れて皆の前に置かれる。


 数日前の事を思い出し、本当に大丈夫かと訝しんでいると

「何も言わずにごめんなさいね。あの日は急いでいたから、説明するのが遅くなってしまったの……本当に、ごめんなさい」


 先程の厳格な雰囲気は一切見当たらず、そう言ってすぐに頭を下げる姿を見てこの場で悪いのは自分一人となっている事に気付く。

 皆の視線が注がれる中、何を言うよりもカップに口を付けて茶を啜る事にした。


 顔を上げた最長老がそれを見て微笑むと、茶菓子の乗った大皿も用意された。

 リアモや王都で食べたそれとは違い、色合いや味など不思議な感じの物が多かった……が、不思議と懐かしい味に心が和む。


「まずは……何から話しましょうか?」

 あの日と同じ口調で問い掛ける最長老の言葉に顔を見合わせる一同。皆がゼロの顔を見て頷くので、そういう事であればと口を開く。


(ここに来た目的はルピナの親類探しとリリリの永住先だ。難しい事を言ってるのは分かっているが、何か知らないか?)

 そう告げた。


 案の定カルーアから口の利き方がなってないと咎められるが、同じ冒険者ならばその意味を汲んでくれても良いような気がする。


 うんざりした表情で隣のカルーアを見れば、何時の間にか移動していた赤髪青髪のエルフによって頭部を撫で回されていた。


 その光景にぎょっとし身を竦めるものの、それが当たり前だというように半ば諦めた表情のカルーアがされるがままとなっている。


「はぁ……カルーアお姉様……」

「よくご無事で……おかえりなさい……」


 二人の表情は恍惚としており、目の中にハートマークでも出来ているのでは無いか……そんな風に思ってしまうほど、その手付きや仕草は酷く官能的だ。


「ごめんなさいね。トウとキビ……二人は私の側近なのだけど、カルーアの事が本当に大好きで……我慢していた分、すぐにでもこうしたかったみたいなの」


 最長老の言葉ですら何処吹く風で、頭を撫でたり頬をこねくり回したりしている。そこにリリリがすかさず加わり、前髪を縛り上げると


「おお、これは……」

「とっても、可愛らしいです……」

 そう言って新たな発見を前に、三人は力強く頷き合う。


「やめんか!」

 すぐさまヘアゴムを床に叩き付け、漸く何時ものカルーアらしさを取り戻す。


 トウとキビと呼ばれた二人のエルフも最長老の元に再び控え、皆が定位置に戻ると小さな咳払いが一つ。


「こほん。それでは気を取り直して……自分の事より二人が心配なのね? 随分と優しい子ね」

 そう言って微笑み、口元に手を当てて上品に笑った。


(……優しい訳じゃ無い。それがここに来た目的だからだ)

 ぶっきら棒に吐き捨て茶を啜る。


 最長老は懐から二通の封書を取り出し、それをテーブルの上へ置くとルピナへ差し出した。


「お話は既に窺ってますよ。行方不明になった我が子を探している半人族の二人……早ければ明日にでも会えるでしょう」


 その言葉に驚き、本当かと尋ねる。最長老はゆっくりと頷き、これまた上品な仕草で茶を啜ると再び話し始める。


「子供の名はルピナ。およそ一年程前、狩りに出掛けたのを最後に行方知れずとなっている……そう聞いています」

 最長老の言葉にトウとキビも頷く。


「ここエルフェリアには様々な種族が住んでいます。ですが、人族のそれと同じような街単位では無く、森全体が街……つまり亜人領の半分はエルフェリアの領地と言っても過言では有りません」


 書物にあまり書かれていなかった亜人領について、そういう事なのかと得心する。随分と時間が掛かるなと思ったが、それだけ広大ならば頷ける話だ。


「それとリリリさん……ですね。亜人と共に暮らしたい、その気持ちに嘘偽りが無い事は分かりました。人族は少ないですが、お好きなだけ居て下さって構いませんよ」

「ほんとーですか!?」

 リリリの言葉に優しく頷く最長老。


 トントン拍子に話が進み、どうやらこれで一つの区切りは出来たかと胸を撫で下ろす。


「他に何か聞きたい事は有りますか?」

 ルピナ、リリリ、カルーアの顔を順に見るものの、どうやら自分が寝ている間に話しをしたらしく、これと言って無さそうだと感じる。


 初日に要望を出し、今日がその結果の日だったという事か……寝ている間に話を進めておいてくれるのは有能な証だと思う。


(特には……無いかな)

 二人の処遇について悪くする気が無いと分かれば、それ以上こちらから何かを望む事も無い。


 その返事が意外だったのか、驚いた表情を浮かべる最長老が口を開く。

「御自分の体に何が起こったのか、知らなくても良いと……?」

 その言葉に頷き、少し逡巡して言葉を選ぶ。


(この体はなんて説明すれば良いか……不思議で不可解な事が多い。疑問が一つ増えた所で、今更だ)


 どうでも良い訳では無いが半ば諦めているのは事実だ。全ての謎を解明するにはまだまだ知らない事が多過ぎる。


(さっきも言ったが最大の目的はルピナとリリリの事についてで、その便宜を図ってくれるのはじゃじゃ馬が大人しくなる程の人物……だとすれば、悪いようにはしないと思っている。それだけだ)


 その言葉を受け、満足そうに頷く最長老。他にも理由は有るのだが、それを説明するには自身の理解が足りていない気がした。


 しかしそれはカルーアの言葉によって解消される事となる。


「そんなの当たり前でしょ。ティアーユ様は長老の長にしてお姉様の母上なのよ? 敬わない訳が無いじゃない」


 その言葉に思考を一瞬で駆け巡らせ、止めろ止めろと何度も頭の中で反芻する。

 母の母―――それを知られてしまっては、もう絶対に言い逃れは出来ない。


『大丈夫ですか? 今、私達しか会話を繋いでいません』

 少し真剣な面持ちでルピナが語り掛けて来る。


 どうやら取り乱すよりも一瞬早く、ルピナが気を回してくれたらしい。本当に有能過ぎて、頭が下がる思いだ。


『それはその……最長老のティアーユ様と、少しお話していたので……』

 だとしてもリュカの母や、父の顔については知らない筈だ。今となってはもう確認する事も難しい。


『それは……秘密です』

 悪戯っぽく微笑むルピナの言葉に、どうやらこれ以上は無駄だろうと諦める。


 日に日に頭の中を読む力に磨きを掛け、現状がどうなっているのか把握はしていない。ルピナの事だから悪用はしないだろうと思うのだが、こんな力が他の人間に渡っていたらと思うとぞっとしない話ではあった。


「なに見詰め合ってんのよ」

 それほど長くはなかったと思うのだが、突然生まれた無言の時間にカルーアが茶々を入れる。


 もう大丈夫だとルピナに頷き、再び会話を再開させた。


「意地悪をしてごめんなさいね。貴方の体は先の話の通り、とても珍しい事になっていました。魔力の混濁……普通であれば意識すら保てない筈ですが、まるで薄氷を踏むかの如く、とても奇妙な均整の取り方をされていました」

 少しの間を開けて言葉を継ぐ最長老。


「それを抑えようと外側から封印術を施し、制御の目的だったのでしょうけれど……とても強引な術式でしたね? 結果、それが更に強大な力へと育てる役目をしていました」


 あの野郎と心の中で毒吐き、やるならもっとスマートにやってくれと恨むのは筋違いだろうか……やはり文句は言うべきだと固く心に誓った。


「そこで私の方で処置……原因の一つですが、それをそこに居るルピナさんと一緒に解消させていただきました」

「ティアーユ様!」


 説明に対して何か不満が有るのか、ルピナが立ち上がり叫ぶ。無言のまま視線だけで諭され、少し落ち込んだように着席するルピナ。


(何か問題が有ったのか?)

『いえ、そういう訳じゃ無いんです……けど……』

 歯切れの悪い返事だが、聞いても理由は教えてくれそうに無さそうだ。


 そういう事であればと礼を述べ、最長老とルピナに頭を下げる。


「ふふっ、良いんですよ……それに、強引なのはこちらも同じ事です。一刻の猶予も無さそうに見えてしまったので、少しだけ取り乱してしまいました」


 そんなに深刻な状況には思えない……事も無かったので、二人には今後足を向けて眠れそうに無い。


 あれだけ暴れ回っていた衝動はすっかり感じられず、日々抑制していた衝動も、軋みも違和感も全て無くなっている。

 代わりに四肢の全てに満遍無く、澄んだ力が行き渡っているのを感じていた。


 感触を確かめるように掌を閉じたり開いたりしては見詰めているのを確認し、最長老は満足そうに頷く。


「最長老様!」

 突然声を上げ、ふらつく最長老の肩を抱きかかえるトウとキビ。


「大丈夫よ。今日はたくさんお話しましたからね……少し疲れが出たのでしょう」

 見る見るうちに顔色は青褪め、心なしか呼吸も荒くなっている気がした。


(……病なのか?)

 そう尋ねると首を振り、歳のせいだと返される。それが本当なのか真偽の程は定かでは無いが、療養の為にこの場はすぐに解散となる。


 退室の際に口々に礼と、体調を気遣う言葉を残して部屋を後にした。


(どうだったんだ?)

『うーん、ステータス的には平気そーだったけどね……衰弱と心労って書いてあったかな』

 再びカルーア宅へ戻り、カルーア作の料理を囲んでリリリが言う。


 炊飯器を見付けた際の驚きようは凄まじい物で、聞けば亜人領の主食は米だとカルーアは言った。


 リリリ程では無いにしろ米の発見に喜んだのは自分も同じで、そういう事ならと腕を振るってくれた。


(本当に大丈夫か? 何か手伝うか?)

「あーしも、お米くらいなら研げるよ!」

 うろうろと心配そうにうろつく二人を一喝し、淡々と手を動かすカルーア。


 まさか再び米に出会えるとは思っておらず、儀式の事もあってか滋味深い味わいに涙が出そうになる。


「大げさね……ま、悪い気はしないけど」

 少し照れたようにカルーアが言う。


 この星の気候でどうして米が出来るのか疑問では有ったが、いざ実物を前にすればそんな物は些末事に過ぎない。

 そもそも麦や野菜も育っているのだ……魔法があれば、何でも出来るのだろうと勝手に納得する事にした。


(味噌汁だ……)

 前世ではあまり味わう事の無かった赤だしの味噌汁に癒され、良い嫁になれるなと太鼓判を押す。


「よよよ嫁って、まだそんな歳じゃないし……」

 見た目の間違いだろうと突っ込むと漬物が飛んで来たので、それを噛み止めてそのまま食す。


 不思議顔のルピナにこれが主食だったんだと説明すると、作り方を事細かくカルーアへ聞いていた。


 暫く振りだった食事に腹を膨らませ、あの日のカルーアと同じように暴飲暴食をしてしまう。


(もう入らねえ……)

「あーしも……」


 だらしなくソファに転がる二人を見て、そのまま暫く寝てなさいと告げるカルーア。違和感しか無かったが、エプロン姿のカルーアは少しだけ頼もしく見えた。


 腹も膨れた所で魔法鞄から一冊の本を取り出し、どれを作り出すべきなのかと皆と共に探し出す。


 全ての万病に効く万能薬は素材の多さや希少性の高さから断念し、何かに誘導されるように栄壮薬と書かれた頁に辿り着く。


「これなら大丈夫かもね」

 竜の涙や千年花といった手持ちに無い物から、見るからにやばそうな肝や目玉などの素材が書かれている。


 王都の素材屋で購入したとは言っても、あまりに高価な物は仕入れていない。


「トウ、キビ、居るんでしょ?」

 カルーアが呟いたかと思うと、不意に扉が開かれ二人のエルフが現れる。


「最長老様の容態は?」

「心配ありません」

「今は眠っておられます」

 二人の言葉によろしいと返し、足りない素材を宝物庫からくすねてこいと指示を出した。


(それは……大丈夫なのか?)

「バレなければ良いのよ……出来るわね?」

 心配する言葉に何でも無いように返し、トウとキビは無言のまま頷く。


「私達もお手伝いします」

「うん!」

 ルピナとリリリの言葉に片手を出し、二人のエルフはお構いなくと拒絶する。


「浮遊魔法が使えないあんた達が言ったって足手まといになるだけよ……気持ちだけ、有り難く貰っておくわ」

 カルーアの言葉にトウとキビが手を下ろし、頷き合うと部屋から出て行った。


 不意に訪れた空き時間にルピナを誘い、部屋のベランダへと足を運ぶ。外套や装備一式をしまったおかげで、流れる夜風が肌に心地良い。


 最長老の部屋と同じようなベランダは先程カルーアが言ったような浮遊魔法の発着場なのか、足場と手摺り以外には何も無い簡素な造りとなっている。


 何時の間にか夜の帳は下りており、眼下は濃い霧に包まれていた。濃密な緑の匂いの中に慣れ親しんだ甘い香りが鼻腔をくすぐる。


 少し話をするか―――そう切り出したせいでどうにも変な緊張が走ってしまい、横のルピナは怪訝な顔をしている。

 もしかしたら気付いているのかも知れないが、きちんと自分の口から話す事が彼女への誠意だと思ったのだ。


「お話って、どうしたんですか?」

 風に揺れる髪を片手で押さえ、不安気に窺うルピナ。濡れたような瞳は尚もこちらを見据え、奥底にしまった秘密さえも見透かされている……そんな眼をしていた。


(誰にも話していない、この世界に来る前の俺の話だ)

 全てを話し終え、ルピナは何を思うだろうか。しかしそれこそがこの世界で自身の行動を裏付け、一人で旅立つ理由になるのだ。


(俺はこの世界に来て自分の親を殺した。何かの比喩や例えでは無く、確実にその生命を絶った―――)


 雨粒のような霧が不気味に動き、夜が一層深くなって行った。

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