第三十七話 ~武闘祭本戦 其の一~

《第三十七話 ~武闘祭本戦 其の一~》


(は? ……え?)


 目が覚めるとそこは見知らぬ天井で、あまりの出来事に酷く狼狽した。


 これ迄に何度もそういった驚きのような物は有ったのだが、今回のこれは丸っ切り程度が違ったのだ。


 部屋に立ち込める甘い香のような匂いと、豪奢なベッドに横たわる裸体の女性達。


 どうやら死体などでは無いようで、皆一様に満足そうな笑みを浮かべて寝息を立てていた。


(な、んだってんだ……これは……)

 気が付けば全身に気怠さが残り、頭もずきずきと痛む。


 床に散らばる酒瓶にその原因が有りそうだが、慎重にベッドから這い出ると椅子の上に掛けられた服を着る。


(どういう事だ……)


 静寂に問い掛ければ部屋の片隅に置かれた大剣からは上機嫌な音色が響き、その一音で全てを把握させられる。


(お前の仕業か……)


 憎しみの篭った目で睨み付けるものの、それ以降は沈黙を貫かれてしまい何の音沙汰も無くなってしまう。


 部屋を見渡せばベッド以外に人影は無く、白い猫のような獣人と牛のような獣人、それと羊のような角を付けた獣人……。


 その全てと何かしらの行為に及んだのだろうが、何も覚えていないのが少し悔やまれた。


 猫のような獣人は全身に体毛が生えており、牛のような獣人は四肢の部分だけ。


 羊のような獣人は猫獣人と同じような生え方だが、顔付きは人族のそれに近いものだった。


 こうして見ると獣人と一括りに言っても、以前教えてもらったように千差万別なのだなと改めて思う。


(……)

 無言のまま確かめるように彼女達に触れれば、その毛並みは艶々と滑らかで手に心地良い。


 長い体毛で覆われていようとも柔らかい部分は柔らかく、何時までも触って居たくなる感触は癖になりそうだった。


 我に返って時計を見れば時刻は既に約束の時間に迫っており、大慌てで忘れ物が無いか確認すると部屋を飛び出す。


(出口!)

 廊下に飛び出てそれだけを発すると流石にそこまで不親切では無いようで、視線を動かせば正解を告げられる。


「おや、昨晩はお楽しみでしたね。流石は武闘祭本戦出場者で御座います」

(……世辞は良い。代金を払いたい)


 ごてごてとした造りは入り口の受付まで続いており、年季の入ったカウンターには上品そうな口髭を蓄えた男が一人。


「ふむ……昨夜とは違い随分と落ち着いてらっしゃいますな。代金は入店時にお支払い頂いたので―――」


 そこまで聞くと店を飛び出し、一目散に集合場所へと向かう。

 視界の端に店を確認すれば、如何にもな店名と外観にぎょっとしてしまう。


「またのお越しをー」

 微かに聞こえた男の声に悪態を吐き、上空へ飛び出して自身の現在地を大まかに把握する。


 目指す場所へはそれほど離れておらず、全速力で落ちるように滑空した。


「遅いわよ」

 闘技場前の広場には既にカルーア達が到着しており、息を切らして滑り込んだ自分を見るなり不機嫌そうにそう言った。


「何処に行ってたのよ?」

 未だこの身に何が起こったのか全てを把握し切れては居ないのだが、それでも一晩空ければ不審に思うのは当然だろう。


 道すがら水薬をがぶ飲みした為に多少腹はたぷついているが、それでも乱痴気騒ぎであっただろう痕跡は、どうにか隠せている事を祈るしか無い。


「ゼロ様……」

 キビの言葉に目を向ければ首元の辺りを人差し指で指し示している。


 すかさず鏡を取り出されれば言い訳の余地も無く、観念したように事の顛末を話し始めた。


「覚えて……無いのですか?」

(ああ。昨日宿の自室で寝て……起きたらこうなっていた)


 先程のキビと同様の仕草をし、原因は分からないと白を切る。


 不要な心配を掛けたくないのもそうだが、カルーアに至ってはあまり良く思っていない節が有ったので捨ててしまえと言われかねない。


「その剣、本当に大丈夫なんでしょうね?」


 こういう時、妙に勘の良い一言にどきりとするが、戦力として見れば相当な物だ……背に腹は代えられない。今の所は。


「おっ、全員揃ってるみたいだな!」

「ほら、皆さん集まってるじゃないですか。だから早く出ようって―――」


 虚しい擁護を続けていれば龍一達を含むカーラ一行も到着し、深めに外套を巻いて昨夜の名残を隠す。


「ゼロ様……」

 それを見兼ねてキビが淡い色の小箱を取り出し、中に入っていた物を指で掬い取って塗ってくれる。


「大丈夫です。怒ってはいません。ですが……心配なので、どうか連絡はして下さい」

 表情から読み取られ静かな声で漏らすキビ。


 その言葉を真摯に受け止め頷くと、カーラから盛大な笑い声が巻き起こる。


「あっはっは! 本戦当日に朝帰りとは結構じゃないか!」


 豪放な性格であればそれも推奨されるのだろうが、生憎とそういうものを望んでいる訳では無い。……多分。


「結構じゃないわよ……ったく。良い? 出るからには優勝するつもりでやりなさいよ? 昨日みたいに腑抜けて勝ち上がれる程、この武闘祭は甘く無いんだからね?」


 カルーアの小言に頷き、そんなつもりは毛頭無いと返す。


「そう? やる気になったなら結構だけど……あんたと最後に戦った男。あいつに負ける事だけは許さないわよ」


 珍しく真剣な表情につられ、確りと頷く。こちらも色々と聞きたい事は有るのだ……それは自分自身の為にも許される事では無い。


「拙者達も応援してるでござるよ!」

 目を爛々と輝かせ、両手でガッツポーズを作って鼻息荒く宣言される。


 そういった事情を抜きにしても、力も出せずに終わるのは無いなと感じていた。


 思えば前の人生ではこうして誰かと何かを競い合うなどした試しが無く、どうにもその手の話は苦手で避けていた。


 全力で何かに取り組んだ事などかつての自分に有ったのだろうか……そう悩んでしまう程に、以前の自分は己の未熟さを隠す為に保身に走っていたのだなと辟易する。


 まだやれる。まだ余裕。まだ全力を出していないだけ……。


 どれだけそう嘯いた所で自らの矮小さを誤魔化すための欺瞞に過ぎず、そうしなければ心の均衡を保てなかったとは言え嫌になる。


 そんな心の葛藤を一人していれば

「これはこれは……本戦出場のゼロ選手ではないですか?」


 そう声を掛けられ振り返ると、そこに立っていたのは見知らぬ一人の男性だった。


 金色の頭髪は真ん中できっちりと分けられており、青い大きな瞳は意志の強さを感じさせる。


 凛々しい眉と通った鼻筋が美しく、柔和な口元からは白い歯が覗いていた。


 身なりからして相当なボンボンで有る事は一目で分かり、どこぞの国の王子様と言われれば二つ返事で納得してしまいそうになる。


「私の名前はアシュレイ。ここ獣王国で小さな商家を営む者で御座います。試合前に迷惑かと思ったのですが、新進気鋭の冒険者様に御目通り願いたくこうして声を掛けさせて貰った次第です」


 前置きの部分でそう思ったのなら放って置いてくれと思うのだが、やけにへりくだった物の言い方についつい頷いてしまう。


「それと―――」

 アシュレイと名乗った優男はカルーアへと向き直り、その手を取るや否や跪いては甲の部分を口元に……。


「こちらの美しいお嬢様にも是非、私の名を覚えていただきたく―――」


 そう言って軽く触れる程度の口付けをすると、この後のカルーアが意外な反応を見せる。


「あら、獣王国でも有数の大店を経営する方にそう言っていただけるなんて光栄ですわ。今日の本戦も、是非とも頑張って下さいませ」


 そう言って見た事の無い笑みを浮かべると共に、目の前の優男も本選出場者の一人だと言う事を知る。


 自身の名を知っていた事に歓喜するアシュレイだが、それとは裏腹に内心は冷や冷やとしていた。


「ゼゼゼ、ゼロ殿! 拙者、カルーア殿のあんな笑顔見たことが―――」

 慌ててその口を塞ぎ、冗談では無いだろうが茶化すような真似は止めろと釘を刺す。


「しかし―――」

 しかしも案山子も無い。あの顔を見てそんな事が言えるというのなら本当に恋は盲目……とばっちりで死ぬ事だけは勘弁してもらいたいのだ。


 にこやかな笑顔とは裏腹に光の無い瞳は相手を侮蔑し、感情の無い声は嫌悪感を表している。


 勿論それは付き合いの長さによって分かる物なのだろうから、目の前の優男にも龍一達にも気付かれる事は無い。


 しかしトウとキビも同じような空気を滲ませており、ここが森の中なら野生の動物達は一目散に逃げ出すこと請け合いだろう。


「それでは失礼致します」


 一頻り会話をした事で満足したのか、アシュレイの言葉に笑顔のまま相槌をして表情を崩さなかったカルーアは、姿が見えなくなった途端に何時もの面構えへと戻る。


 そこへすかさずトウが白いハンカチに何かの薬品を染み込ませ、それを手にカルーアの右手を丁寧に拭っていた。


「……なによ?」

 相変わらずの仏頂面でそう言われ、何でも無いと素っ気なく返す。


 下手に何かを言おうものなら、この場でどんな悪態が飛び出すか分かったものでは無い。


「お姉様。御機嫌を直して下さい……」

 そう言ってキビがカルーアの前髪をまとめ上げれば、つるんとしたおでこがあらわになる。


 その表情は幼い顔を更に幼く見せてしまい、何時もとは違った一面に皆が吹き出す。


「やめんか!」


 見慣れた何度目かの光景に龍一も先程までの不安は吹き飛んだようで、腹を抱えて大いに笑い転げていた。


「いやいや……笑ってしまって申し訳無いでござる。でも、そちらの髪型も似合ってると思うのでござる」

「……ふん!」


 龍一の言葉にカルーアは鼻を鳴らし、相変わらずの態度でそっぽを向いてしまう。


 その様子を見た龍一は悲しそうな目をこちらに向けるが、これこそが本来のカルーアなのだ……言える事は何も無い。


(時間みたいだ)

 首輪が震えれば武闘祭開始の合図を知り、皆に別れを告げて歩を進める。


 口々に頑張れだとか期待してるぞだとか、先のアシュレイと当たったら絶対に勝てと私情を挟んだ激を背に受け、両頬を叩くと試合会場へと進んだ。


「さあー、今日も今日とて無事に始まりました! 新年恒例獣王武闘祭、本! 戦! 昨日の興奮もそのままにー、ここで! 見事予選を勝ち抜いた十六名の選手を紹介したいとおもいまーす!!」


 女性実況者の威勢の良い掛け声に続き、闘技場中央に並べられた十六人の選手達。


 皆一様にその闘志を胸に秘め、滾らせた血気盛んな空気が痺れるように肌を刺して来る。


 昨日とは違い武舞台は中央に一つだけとなっており、簡素な石造りの見た目はそのままに、広さは一回りも二回りも大きくなっていた。


「第一試合一人目は異国の剣士、シン選手! 今大会は初出場ながらも、予選最終戦で見せたあの強さを再び見る事は出来るのかー!?」


 相変わらずの黒い忍び装束のような衣装を身に纏い、両腕を組んで目を閉じ黙している。


 昨日とは打って変わって落ち着いた様子に、本当に同一人物かと疑いたくなってしまう。


「第一試合二人目はこれまた人族の大男、グレイグ選手だー! 予選では多数の選手を場外へ投げ飛ばし、手法は違えど同じような決着方法は一見の価値有りだー!」


 自身の目がおかしくなったかと思うほどその体格差には違いが有り、その巨体では実生活において何かしらの不便が生じるのでは無いか……そんな要らぬ心配すらしてしまう。


「続いて第二試合一人目も、人族の選手……おいおいどうした同族ー! しっかりしてくれよー!」


 実況者の茶化すような冗談に笑い声が巻き起こり、そういったデリケートな部分で笑えるのはこの国の国民性だろうか……悪い気はしない。


 そうして着々と選手の紹介は続いていき、取り立てて目を引く……というか自分が知っている選手等は居るはずも無く、初戦で残った狼の獣人はシンと準決勝で、先程の優男とは二回戦で当たるようだ。


「さあー、本戦最後の組み合わせ一人目はー! 謎の技能で相手が次々と不調を訴えかけて来る、呪術師のジュソー選手だー!」


 どうやら組み合わせ順に並ばされていたようで、隣に立っている仮面を付けた男……なのだろうか、異様な出で立ちの小柄な選手が未だ呼ばれていない少年へと視線を送る。


 仮面と言っても登録の時に現れたあの獅子の大男が付けていた目元のみを覆うような物では無く、縦に長く、目の部分だけがくるりと抜かれている。


 頭部には青々とした細長い葉っぱが幾重にも重ねられ、それは身に付けている衣服にも散見された。


「そしてそしてそしてぇ! 本戦最後の出場選手はこの男! 小っちゃな体からは想像も出来ない威力を発揮し、見事予選を突破した一撃必殺のゼロ選手ー!!」


 優男の時も凄かったが、意外にも自分の紹介の時に同じような黄色い声援が聞こえて来る。


「おおっと、みんな年下趣味かー!? 大丈夫、私の妹も君の事が大好きだー!!」


 誰の事を言っているのか思い当たる節は無いが、どうやらそういう事らしく会場から笑い声が起きる。


「以上十六名、出場選手の紹介でした! それでは最後にこの方から、開催の挨拶をいただきましょー!!」


 昨日の予選では空席だった、北側に備えられた貴賓席らしき展望室。


 中央には石造りの台座が備え付けられており、その下には赤い絨毯が敷かれていた。


 部屋の外側には篝火や獣王国の紋章らしきものが旗となって取り付けられており、悠然と現れた男には……なるほど見覚えが有った。


「獣王国第三十八代獣王『ジャック=ビースト』だ。今年も新年一発目の祭りを無事に開催出来た事、心から嬉しく思うぜ」


 この国に来てから何度か助けられた男は自身を王と呼び、王と呼ぶにはあまりに砕けた口調に少しだけ拍子抜けしてしまった。


 しかしその声は静かながらもよく耳に響き、重厚感や威厳と言った類なのだろうか……しっかりと届けられる言葉達に何時しか会場も静まり返っていた。


「俺が王となってからもう何度目か……こうしてまた元気なお前達の姿を見られて、本当に感謝している」


 会場を満遍なく見渡し、来ている観客達に向けてメッセージを送る獣王。


 その姿は荒々しい先程までの印象とは違い、他者を慈しむ心優しい姿がそこには有った。


「試合前に湿っぽくなっちまった……すまねえな。今日の武闘祭も、楽しみにしているぜ。それじゃあ野郎共……祭りの開始だァ!!」


 直後に獣王から発せられた獣の如き咆哮はそれが合図となり、観客席からも次々とけたたましい雄叫びが湧き上がった。


「獣王武闘祭、開始しまーす!!」

 実況者の声に合わせて花火が打ち上げられ、この世界にもそういう物が有ったのかと空を見上げる。


 流石に夜空に咲くような綺麗な物では無かったが、それでもこの歓声と熱気に相まって自身の目には美しい華が咲いているように見えた。


「選手の退場後、早速第一試合を開始したいと思います! 第一試合はシン選手対グレイグ選手! それでは皆様、盛大な拍手をお願いしまーす!!」

「ゼロくーん! こっち向いてー!」

「こっちー! 手を振ってー!」


 退場の際に掛けられた言葉に向かって、困惑の表情を浮かべながらもそれに応える。

 途端に湧き上がる女性達の声に、流石はリュカ坊だと一人頷いた。


 退場が終われば自分の番まではかなりの時間が有るだろう……入場前に引いたクジが対戦相手を決める物だったと分かったのは舞台に着いてからだった。


 分かっていたならもっと気合いを入れて臨んだのだが、結果としては良かったのだろうか……昨日のせいで空腹感が酷かった。


「あら、無事に着いたのね」


 ご丁寧にあれだけ念押しをされれば嫌でも見付けられるもので、二階席の南側中央にカルーア達は陣取っていた。


(こんな良い席よく取れたじゃないか……人気の祭りなんだろ?)


 多人数用に区切られた部分はそれなりに広く、合計九人の大所帯でも未だ余裕が有る。


 観客席は階段状になっており石段部分に腰を下ろすと、何か食べ物が無いかと尋ねてみる。


「あんた試合前に食べるの? 呆れた……本当に食いしん坊なんだから」

 一番言われたくない相手にそう言われてしまった。


「でしたらこれを……昼食にと思って作って参りました」


 差し出された四角い重箱を開けてみれば、一段目には俵型に握られた米。二段目には肉料理。三段目には卵焼きや煮物といったおかず類が入っていた。


(おにぎりだ……)

「リュウ様に聞いて皆様と作ってみたのですが……如何がでしょうか?」


 恐る恐る尋ねるキビに一口食べて即美味いと笑顔を返す。


 これだけの食材を揃えるだけでも大変だっただろうに、その労力は如何ほどだろうか。


 ましてや似ているようで違う食材の扱いは難しく、米一つ取っても地球のそれとは似つかない。


 肉や卵にしても自身が知っている記憶の中の味とは微妙に違うと言うのに、一口食べただけで幼い頃を想起させるのは中々の腕前だと感心した。


「喜んでいただけて何よりです」

「おおよ! みんなで頑張ったもんな!」

「ゼロさんが喜んでくれて嬉しいです」


 元より好き嫌いなど無いのでそこまで感激されると困ってしまい、そういう野暮ったい話は秘めておくのが賢明だと悟る。


「拙者からはこれを……食後にでも食べて下され」


 そう言って龍一からはガラス製の器が渡され、その上には一口大の丸いゼリーが乗っていた。


 中にはフルーツが入れられており、透明なゼリーと共にぷるぷると震えている。


 見た目もそうなのだが器自体も冷やされており、そういった魔法鞄なのかと訝しむがバーバラと知り合いなのだからそういうものかと納得する。


 試しに一口食べてみれば水薬酔いや二日酔い、そういった体の奥底に沈んでいた具合いの悪さがすっと消えて行く感覚を覚える。


「お、リュウの手作りか!? いやー、アタシゃこれに目がなくってねぇ……」

「駄目ですよカーラさん。甘い物は最後。そう約束したじゃないですか」

 今にも飛び付きそうになるカーラを咎めるパル。


 はっきりとした上下関係を前に龍一に聞きそびれてしまったが、どういった製法なのかいずれ聞く機会も出来るだろうか……。


 そうして朝食とも昼食ともつかない食事を進めていると、観客席から歓声が上がった。


「第一試合はシン選手の勝利でーす!」

 実況の声に舞台を見れば大男は大の字に倒れており、忍び装束の男は高々と手を挙げ勝利に応えている。


 敗者に歩み寄れば片手でそれを引き起こし、自分同様見た目でその膂力を測る事は難しいだろう。


「強いわね……」

「同感でござる……あれでは本戦出場も納得にござる……」


 まるで少年漫画のようなやり取りに、この状況を巫山戯て楽しんでいる龍一に探るような視線を送ると、それに気付いたのか照れたような笑みを浮かべられてしまう。


 軽口を叩き合えるようになったのは非常に喜ばしい事だが、少々危機感が足りないのでは無いか……と思うものの、自身は出場していないのだから当然と言えば当然だった。


 その後も食事と試合は順調に進み、予選第一試合で共に残った狼風の獣人に注目していた。


 実況の解説によると彼こそが二連覇中の選手のようで、薄汚れた武道着と手首足首に巻かれた白い布が目を引く。


 試合はほんの一瞬で終わってしまい、その実力はまだまだ謎に包まれたままだ。


 丁度食事も終わったので腹ごなしに外でも走ってこようかと言うと

「止めておきなさいよ。今のあんたじゃ揉みくちゃにされるのが落ちよ」

 そう諭されてしまう。


 昨日であればそれも納得だが、毎日続けていた日課なだけにやらないとどうにも座りが悪い。


 かと思えば背中からは怪音が聞こえ、そう言えばグラムも大事な事の前には休ませてくれたかと思い直す。


 そんなこんなで試合が進めば老人、獣人の女の子、優男と着々と勝者が決まり―――


(……行ってくる)

 自分の番が回って来ると、皆にそう告げた。


「頑張るでござるよ!」

「油断するんじゃないわよ」

「ゼロ様、御武運を」

「がんばれよー!」

「頑張って下さいね」


 等など……沢山の声援と元気を貰い、選手用の薄暗い通路を目指す。


「ええと、ゼロ選手……ですね。第一試合はジュソー選手になります。開始まで時間がありますので、準備の方をお願いします」


 一試合毎に武舞台の整備をしているので、待っている間に入念に体を解す。


 連日の疲労や倦怠感は特に感じられず、それよりも次第に高揚していく気分が自身の能力を底上げしてくれる……そんな風にも感じていた。


「それでは入場です!」

 係員の男性がそう叫ぶと、目の前の格子扉が上げられる。


 ガラガラと重厚な音を立てて開いた先には石造りの舞台が有り、大観衆の中様々な声援が飛び交い会場の熱気を直接肌で感じる。


「さあー、一回戦最後の試合だー! 対戦相手が次々と体調を崩す中、この男? 女? どっちでもいいかー! この選手だけは平然と勝ち上がってきたー! ジュソー選手!!」


 紹介に伴い観客席からの声援が地鳴りのように一層激しくなる。


「対するはー! ここまでの試合は全て一撃! 期待の超新星、一撃必殺のゼロ選手だー! 今回もその力、とくと見せてくれよー!!」


 狙ってやっていた訳では無いが、単に予選ではそれなりの実力者と出会う事が無かっただけだ。


 そんな自分の思いも知らずに会場の高揚感は更に増して行き、自身の胸の高鳴りも普段とは比べ物にならないほど高鳴っているのに気付く。


 そうした物を鎮める為に自身が元居た場所を見れば、先程は居なかった二人の人物を見付け、フードを目深に被っていたが随分と嫌われたものだと悲しくなる。


(ちゃんと見ててくれ)

 そうした仕草をモカ達に送れば小さく頷くのを見て満足し、舞台の階段に足を掛ける。すると―――


「おーっと、ゼロ選手! 舞台の上に武器を持ち込むと失格になるぞー!?」


 その言葉にはっとして実況席を見れば、身を乗り出してマイクらしき物を掴み、慌てている女性の姿を見る事になる。


(あぶないあぶない……)

 そうだったと思いだしてバツが悪そうに場外に剣を突き立て、外套を掛けておいてからカルーアの方を見れば、落胆したような表情を浮かべていた。


 大方悪口でも言っているのだろう……隣で宥める龍一の姿に笑みを零す。


「準備は大丈夫かー!? しっかりしてくれよー!?」

 その言葉に会場は笑い声に包まれ、狙ってやった事では無いだけに少し恥ずかしい。


 漸く全ての準備が整えば昨日と同じ装いとなり、舞台上で待つ選手の元へと歩を進める。


「それでは両者、前へ」

 審判の声に促され中央へと進む。互いに少し離れた位置で止められると、徐ろに構えを取る対戦相手。


 足元には薄く線が引いて有り、そこが試合開始の初期位置なのだと理解する。


「武器の使用、即死するような攻撃は禁止。また武闘祭の選手として、己に恥じる事の無いように」

 その言葉に頷き対戦相手を見据える。


 相変わらず何を考えているのか分からない仮面と、目の部分にくり抜かれた場所からはぎょろりとした瞳がこちらを覗き込んでいた。


 自分の外套が防具扱いならば、あの仮面も防具では無いのだろうか……そんな事をぼんやり考えていると


「始めッ!」

 審判の声に前傾姿勢を取っていたジュソーが一瞬で飛び出す。


 真っ直ぐ、直線的な動きは予想以上の物では無く、本選出場者だと言うだけ有って跳躍力も申し分無い。


 しかしそれは予測の範疇で有り、別段驚き意表を突くものではない……筈だった。


 ジュソーの跳躍は目の前で終わり、地面を蹴って上空へ飛び上がると

(なっ―――)

 空がジュソーの姿で埋め尽くされた。


 まるで分身の術のような意外な攻撃に体は硬直し、微かな雰囲気を頼りに死角からの攻撃を寸前で防ぐ。


 これにはジュソーも意外だったのか、硬直の隙を狙って蹴撃を繰り出すもそれは防がれてしまい、両者共に一旦距離を取る。


(っぶねぇ……)


 何時ぞやカルーアに教えてもらっていた座学が役に立ったのは癪だが、本当に正面から来られなくて何よりだと安堵する。


 確認する事は適わないがきっと悪態の一つも吐いている事だろう……目の前の試合に集中するべく気を取り直す。


「クフッ……クフフフフフ……」

 気味の悪い笑い声を漏らし、ジュソーが愉快そうに仮面の前を両手で覆う。


「おおーっと、どうした事だ!? いや、これこそがジュソー選手の戦い……ゼロ選手の手が下がったぞー!!」


 適当な構えを取っていたが気付けば左腕が下りてしまい、手の感覚が消失していた。


 不思議に思っていると次は右足の感覚も痺れに似た物を感じ、無くしてしまったような喪失感に胸中が不安で満たされる。


 そんな一瞬の隙を相手が待ってくれる筈も無く、はっとして相手を見据えた時には既に遅く、襲い掛かるジュソーの一撃をもろに顔面へと喰らってしまう。


「ジュソー選手の攻撃が入ったー! ゼロ選手立ち上がれるかー!?」

 受け身を取ろうにも普段の動きが出来ず、ごろごろと舞台の縁まで転がされる。


 口中に広がる血の味と、頬の痛みはじんじんとしていたが致命傷では無く、むしろ良い気付けになったと笑みを漏らして血を吐き捨てる。


(毒か……)

 転がされている最中に自身の不具合部分と、先程の攻防の際に使用した肘と脚を思い出し、何らかの方法で仕掛けを施されたと考えるのが無難だろう。


 武器の使用が禁止されているこの試合でそれに準ずる物は考えにくく、だとすれば魔法の類か……どちらにせよ純粋な力比べを楽しみにしていた自分にとっては大きく水を差された事にしかならず、沸々と沸き上がる怒りが次第に魔力の渦となって吹き荒れる。


(クソが……ふざけやがって……)


 よろよろと立ち上がる姿を見てジュソーは尚も愉快そうに足踏みを繰り返し、両手を頭上で叩いて喜んでいた。


 感覚の無くなった片手片足の事は忘れ、その部分まで意識していた魔力の全てを自身の左足に凝縮すると、先程のジュソー同様天高く飛び上がる。


 跳躍が終われば一瞬の浮遊感のあと全ての魔力を右腕へと収束させ、かつての英雄が得意とした魔法の準備を始める。


 あの日から一度たりとて使用する事の叶わなかったあの日の魔法……何かの条件が有るのだろうが、今この瞬間だけは絶対に成功するという不思議な確信が有った。


 それは遥か遠くから語り掛けられるように、か細く、小さく、しかし強靭な意志のような物を受け取り、それを自身の右手へと収束させる。


(くたばれ―――クソがぁ!)

 そう吼えて繰り出した一撃は瞬く間に対戦相手の元へと疾走り、舞台を砕きながらジュソーを叩く。


「グゲッ!」

 潰れた蛙のようなうめき声を上げてジュソーが吹き飛び、舞台上から姿を消すとしんと静まり返る会場。


 水を打った静けさに不安になるが、一瞬のどよめきの後わっと歓声が上がる。


「す、すごーい! あまりの凄さに一瞬実況を忘れたぞー! この試合、ジュソー選手の場外によりゼロ選手の勝利でーす!」


 実況の声に合わせて審判の手が上がり、無事一回戦の勝利を収める。


 ジュソーの元には既に医療班が駆け付けており、自身の勝利が取り消されない所を見ると死んではいないようだった。


 身支度を整えている間にカルーア達の方を見れば、呆れたように頬杖を突いているのが見え、やり過ぎだとばかりの視線を送られる。


 先程の二人はあの試合で満足したのか姿が見えなくなっており、モカに向かって再び身振り手振りで勝利を伝える。


 こうして武闘祭は華々しく開催され、後に起こる厄災など微塵も知らずに楽しんでいた。


 この武闘祭に蔓延る思惑など蚊帳の外で、今はこの勝利を只管に噛み締めていた。

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