第三十話 ~犬猫☆楽園~

《第三十話 ~犬猫☆楽園~》


 一夜明け、カルーア達は出発して行った。


 頭上にたんこぶを作り、無邪気な笑顔を振り撒き手を掲げ、揚々とした足取りで故郷を目指す。


 その光景を黙ったまま見送り、姿が見えなくなると昨晩を思い出しては苦々しく舌打ちをする。


 夕食を摂り終えて自室に戻ると、自分の希望通り三人とは別々の部屋をあてがわれた。


 ベッド脇に置かれた大剣が妙に懐かしく、これからの日々をどう過ごすべきなのか……そんな事を考えていたように思う。


 食後の酒を楽しみながら一人グラスの中の液体を眺めていると、そうした靄々に終止符を打ったのはキビだった。


 一人で部屋を訪ねて来た彼女を迎え入れると、少し躊躇した後にベッドへ腰を下ろす。


「……何も、聞かれないのですね」

 俯き加減のキビがそう呟く。


 目隠しの布は外され、長いまつ毛が瞬きの度に揺れる。


 窺うような上目遣いは心情を探ろうとでも言うのか、動揺や困惑の類を見せないように小さく頷いた。


「ゼロ様は御一人の方が御好きですか?」


 その質問に忽ち頷こうとするが、これまでの経緯を考えれば素直に首を振れない自分に気が付いた。


 縦とも横とも取れない曖昧な反応にキビは小さく笑い、試すような視線を送ると隣に座るようにと片手で促す。


 グラスの液体を勢い良く流し込むと喉を鳴らし、ベッドに腰を掛けては溜め息を一つ溢した。

 顔を上げて隣を見ればそこには作り物のような整った顔が有る。


 大きな瞳に通った鼻筋……薄めの唇はかろうじて紅く、後ろの耳が僅かに震えた。


「急な御話で申し訳無いとは思っています。ですが、新年を迎えるのは大事な行事……終わり次第すぐに戻って参ります」

(……ん?)


 その言葉に困惑した表情を浮かべればキビは微笑み、少し舌を出して照れたような表情を作る。


「お姉様に言われたんです……ああいう風に言えば、ゼロ様は絶対に勘違いなさると……」


 そこまで聞かされ漸く自分が謀られていた事を自覚し、無意識に拳が握り締められる。


(あの野郎……)

「お怒りはどうか私めに。悪い事と知りながら共謀した、私にもその責は有りますので……」


 そう言って先手を打たれてはそれ以上の怒りを見せる事も出来ず、そうした策に乗じたキビのいじらしさのような物を感じて取っては笑みを浮かべた。


「申し訳御座いません」

(怒ってる訳じゃない……ただ、キビにしては珍しいなと思っただけだ)


 その言葉に目を丸くしたかと思うと、途端に笑顔になるキビ。


(どうした?)

「いえ、その……ゼロ様はあまり女性に……他人に興味が無いとの事でしたので……」


 一体何処の誰情報なのかと問い詰めたかったが、そんな妄言を吹き込むのは一人しか居ない。


「以前も仰って下さいましたね……私はそんなに冷静に見えますか?」

 胸に手を当てて窺う仕草に首を振る。


 共にしてきた時間が増えれば増えるほど、努めてそうしているのだと理解していた。


(そういう悪ふざけに乗りそうに無いと思っただけだ……他意は無い)

 返答に困りそう返すと、再び微笑むキビ。


 何を言われたか知らないが、見透かされているような雰囲気に奴等の影を見てしまう。


「それでは最後の調整を始めましょうか……今年最後の、ですけどね」


 そう言ってベッドに押し倒されてはまたしても唇を重ね、どこか満足気な笑みを浮かべるキビに少し意地悪をしたくなる。


(それは本当に必要なのか?)

 と―――。


 一瞬泳いだ視線を見逃さず、取り繕うように平静な面持ちで頷くキビにそれ以上の追求はせず、部屋の明かりが落ちると室内には淫靡な音が微かに響いた。


 そうして夜が明けて見送りの瞬間になれば、結果を聞いて大いに笑うカルーア。


「あはっ、あははははは! だってあんた達も見たでしょ? あの時の顔って言ったらそれはもう―――へぶっ!」


 背後から思い切りド頭に拳骨を振り下ろし、この場で戦闘になっても構わないという思いのままにそれをぶつける。


(好い加減にしろよ……)

「お、怒らないでよ……ちょっとした悪戯じゃない……」


 流石にこれにはカルーアも反論はせず、両手を前に突き出し慌てた表情を見せた。


「覚えてろ……ですか?」

 キビの言葉に頷く。

 カルーアの治療をトウが行っている最中、キビにだけそう伝えておいた。


 里帰りという事でもしもルピナに会う事が有るのなら、これ以上のメッセージは無いだろう。


「……少し、妬けてしまいます」


 そう言って頬を膨らませるキビに驚きつつも微笑み、そんなんじゃないと返す……そう、本当にそんな事では済まされないのだ。


 そんな騒がしい朝の一幕を終えて自室に戻ると、手持ちの材料で出来るだけの水薬を制作する。


 中身は勿論あの治療薬で、どこで必要になるかも分からないので二十個程作り終えると砂鮫の魔石が無くなった。


(うーん……)


 風土病との事なので試しに飲んでみたがこれと言った変化は感じられず、やはり症状が出てから服用する物なのだろうかと思った。


 突拍子も無い行動に突っ込む人間も居なければ、久しぶりの一人の時間に少し戸惑ってしまう。


 あれから大剣も何かを訴えてくる事は無く、吸魔というだけ有って魔力の減少らしきものは度々感じていたが今では随分と大人しくなっている。


(さて、と……)

 そんな大剣を背に収め、身支度を調えると一階に降りて部屋を引き払う。


 夕食の時から感じていた事だが、ここの宿は随分と横柄な態度で少し気になっていた。


 亜人には亜人にしか分からない何かが有るのかも知れないが、それでも宿くらいは気持ち良く泊まりたいものだし、何より飯の味はかろうじて……と言った具合いだった。


(殿様商売にもなるか……)

 入り口を出て振り返れば、立派な外観にそれが一層虚しく見えてしまう。


 ボロを纏っていればその反応も正しいのだろうが、見せびらかすような服装は好みでは無い。


 贅沢な悩みだと苦笑し、冒険者ギルドに向かい自身の捻くれ加減を笑った。


「いらっしゃいませー!」

 ギルドに入るなり威勢の良い声が聞こえて来る。


 リアモでもホクトでもそんな事は無かっただけに、その声に驚きつつ視線を向けてしまう。


 狸のような丸耳を付けた受付嬢は満面の笑みで手を振り、その直後に別の受付嬢に叩かれていた。


 どちらも人に近い獣人のようで、頭頂部の獣耳が無ければ見分けるのは困難だろう。


(大丈夫かな……)

 土地柄なのか、どこかゆるい雰囲気に一抹の不安を覚える。


「本日はどういったご要件でしょうか?」

 受付に向かうと冒険者証を提示し確認をしてもらう。


 根無し草の冒険者はその所在をはっきりとさせる為、入国から数日の内にこうして登録を済ませるのだとカルーアは言った。


 自然にやっていた事とはいえ何日も放っておけば罰則が有り、金額的には大した事が無くとも無駄に受けるべき物では無いだろう。


「はいはい、窺ってますよー。砂鮫を倒した冒険者さんですよねー……って、あれ?」


 何か不備が有ったのか、隣の女性にカウンターの中で何かを覗かせては耳打ちをしている。


 やはり耳はそこなのか……獣人種の耳は獣耳が本体のようで、そこに手を当てては何かを話していた。


「こほん。失礼致しました、冒険者証をお返し致します」

 隣の受付嬢が咳払いをすると、取り繕うように手渡される。


「大物を討伐したとの事でしたので勘違いを……大変失礼致しました」

 二人に頭を下げられてしまい、こちらも負けじと下げ返す。


「ご提案なのですが、昇級試験を受けられては如何でしょう? ゼロ様の実力であれば確実に―――」


 言い切る前に首を振ると


「えー、どうしてー? 昇級した方が絶対にいいよー!」

 と、もう一方の受付嬢が思った事をそのまま口にする。


 確かに昇級すれば何かと幅も広がるだろう。受けられる依頼や立ち入れる場所、信用、双方にとってメリットしかない。


 しかしC等級は一般的に一人前と言われ、その名称や肩書きはどうにも今の自分には荷が勝ちすぎている気がした。


 取り立てて必要な依頼も無ければ、今は不在だがカルーアの存在も有る……無理に昇級して変な輩に絡まれるのも御免だった。


 そんな思案顔を見ては何かを察してくれたようで

「申し訳御座いません、こちらの浅慮でした」

 そう言って再び頭を下げられてしまう。


 再び視線を交わせば首を振った後に頭を下げる。こちらの我儘だとは言い出せず、無言のままその場を後にする……前に冊子を貰うんだったと思い出し、その旨を紙に記して無事に受け取る。


 今度こそ正真正銘建物の外に出ると、早速この街の地図を眺め始める。


 中央の王宮と闘技場は二つ並びで在るのかと思いきや、その間には迷宮の入り口が在るようだ。


 イラストでは少し分かりにくいが螺旋階段だろうか……これまたとんでも無い場所に造られてるなと思うのだが、あの迎撃風景を思い返せばこれもまた口実の一つとして成り立っているのかも知れないと思う。


 お勧めの宿や飲食店等も幾つか書かれており、値段や売り文句等を見比べては悩んでしまう。


 街の中心になるとその値段は高く、逆に外側は安い……中心地になればなるほどそれは顕著に表れており、それが一応の指標なのだと察する事が出来た。


 街の規模から考えれば先程の宿はそれなりに良い宿の筈なのだが、値段が全てという訳でも無いなと薄く笑みを浮かべる。


(んー、どうするか……)


 地図を眺め悩んでいると一周してしまいそうになるので、ギルドに近い場所にするべきか等と考えていると


「らっしゃいらっしゃい! 今日も元気に営業中だよ!」

 そんな呼び込みの声が聞こえて来る。


 気付けば歓楽街のような区画に足を踏み入れていたようで、無意識に向かっていたのだとすれば体が欲しているのか……自身の本能に恐怖する。


「らっしゃいらっしゃ―――ん?」

 呼び込みの男の前に辿り着くと看板を眺める。


 店名だろうか、木の板に『砂上楼閣:エルドラド』と書かれその脇にはジョッキや獣人女性のイラストが描かれていた。


「なんだぁ? ここは餓鬼が来る所じゃねえぞ?」


 威圧感たっぷりに凄んでくる髭面の男に、それもそうかと思い魔法鞄から銀貨を数枚取り出してみる。


 あちこちで買い物をした割に現金はそれなりに有るので、これで何か飲ませてもらおうと意思表示をすると


「はっ! そんな端金で飲めるほど、うちは安くねえよ!」

 振り上げられた足につい反応してしまい、踏み抜かれると同時に手で払ってしまう。


 目の前で勢いよく転げて地べたに這いつくばる男を前に、この国の物価の高さに愕然とした。


(これで足りないって嘘だろ……)


 よくよく思い返せば確かにゴードンの店はそれなりの値段であったし、宿の料金もカルーアが払って行ったようなので銅貨の一枚も出してはいない。


 しかし饂飩と蕎麦はそこまで高くなかったようにも思うので、この店が特別高いだけなのだろうか……そんな事を考えていると


「もし、そこな少年……酒場を所望でござるか?」

 えらく古風な物言いで語り掛けられ、落としていた視線を上げるとそこに立っていたのはぽっちゃりとした青年だった。


 なすび頭にぷっくりとした頬……つぶらな瞳にはそれを遮る眼鏡が存在を主張し、手に持たれた紙袋の脇からは立派な腹がはみ出している。


 服装はどこかこの街……この世界らしく無く、ぱりっとした長袖の白いシャツとスラックスが前世の自分を彷彿とさせた。


(誰だ……?)

 自分よりも格段に恰幅の良い腹を弾ませ、突然青年は目を輝かせ鼻息を荒く何度も頷いた。


「半人族の御仁ですかな? 余計なお世話と思ったのでござるが、こんな場所に子供が真っ昼間からお酒を呑もうとしているのであれば、それはもう拙者のお勧めを紹介したいと思ったのでござるよ。そもそもこの街の酒場は他の街と比べて区画整理が活発とは言い切れないでござるから、そこがこの街の良い所でも有るのでござるがやはり初心者には―――痛いでござるぅ……」


 首を傾げれば途端に早口で捲し立てられ、思わずその顔に拳をめり込ませる。

 自分の言いたい事だけを話すあたり唇は読めないらしい。


「何を勝手に話してやがる―――」

 背後からの声に視線を向ければ先程の男が手を伸ばし、大剣に触れそうになった瞬間それは起こった。


 痛いほどの耳鳴りがしたかと思うと急激に力が抜けて行く感覚に襲われ、男は手を伸ばしたまま前のめりに倒れ込んだ。


「え? ……え?」

 青年の方を見れば目を丸くしており、その様子から先程の耳鳴りも聞こえていないのだろう。


 男の手がかろうじて動くのを見届けるとどうやら死んではいないようで胸を撫で下ろすが……通行人の視線が痛いほど突き刺さる。


「ととと、とにかく逃げるでござる!」

 道行く人の目は一部始終を確認しており、そうであれば逃げる必要も無さそうだが青年の提案に頷く。


(やってくれたな……)


 そう念じれば短く耳鳴りが響き、言葉こそ交わせないものの半端に意思の疎通が出来るというのは中々に厄介なのだなと溜め息を落とす。


「ここまで来れば大丈夫でござろう」

 来た道を引き返しギルドを通り過ぎ、走り続けると青年の足が止まる。


 入り組んだ路地を幾重にも曲がり、辿り着いた先は街の西側の広場……青年は落ち着き払った態度でそう告げた。


「自己紹介がまだでござったな……拙者の名前は『我修院 龍一』みんなからはリュウちゃんと呼ばれているでござるよ」

 漢字はこう、と当然のように地面に指で書かれてしまう。


 それを見届けた次の瞬間、弾けるように飛び退き柄に手を掛けると一瞬で警戒を強める。


「待つでござる待つでござる! 拙者は怪しい者では無いでござる!」


 必死の身振り手振りで敵意は無いと示す青年……ただの自己紹介であればここまで過剰な反応は不要だが、漢字まで出されたという事は恐らく―――


「お察しの通り拙者は異世界人……五年前にこの世界にやって来た勇者の成れの果て……と言ったところでござるな」


 大剣のせいで魔力が抑えられてるとはいえ、それでも敵意は伝わった筈……にも関わらず目の前の青年は相変わらずで、どこかのんびりとした空気に毒気を抜かれる。


 道行く通行人やどこかから飛んで来る視線も有り、こんな場所で騒ぎを起こす方が馬鹿らしいかと柄から手を離した。


「分かってくれたようで安心したでござるよ……勇者と言っても、拙者はそこまで強くないでござるからな」

 距離を保ったまま、安堵の言葉に頷く。


「貴殿に声を掛けたのは拙者の鑑定スキルに、気になる表示がされていたからに他ならないのでござる」


 リリリが使用していた物と同じ能力だろうか……どうやら正真正銘の勇者様で間違い無いらしい。


「おっと、その前に……」

 そう言って懐から小さな球体を取り出す龍一。


「拙者の性別は超絶美少女ですぞー」

 少しおどけながら、囁くように球体へ語りかけると白から赤へ……恐らく魔道具なのだろうが、内容からすると真偽判定の類か……。


「用心深い御仁でござるからな……少しは安心してもらえたでござるか?」

 人懐っこいその笑顔に警戒心を緩め、無言のまま小さく頷く。


 その反応に不満だったのかこれは鉄板ネタだったとか、何時もはもう少しウケるとか、どこか悔しそうな龍一の姿が有った。


「どこまで話したか……そう、転移者と転生者の話でござった!」

 紙袋を小脇に抱え、思い出したように手の平を打つ龍一。


(転移者?)

 小首を傾げれば先程と同様に頷かれ、淡々と説明を始める龍一。


「拙者たち異世界の勇者は転移者……特別な召喚魔法によって喚び出され、召喚と共に共通スキルとチートスキルを与えられた者達の総称にござる。対して貴殿は―――」

 言葉に詰まる様子を見て名乗らない訳にも行かないかと、少し近付いて地面に名を記す。


「ゼロ殿でござるな。対してゼロ殿は転生者……拙者達とは違う出自の御仁でござった」


 聞けば共通スキルとやらは他にも有り、先程から使用しているという鑑定、言語、身体強化などが挙げられる。


 対してチートスキルとやらはその者独自のオリジナル要素であるらしく、極めればこの世界すらも壊せる物だと龍一は言った。


「拙者は生憎とそこまでの傑物ではござらんかった。戦う事が苦手な落ちこぼれでござる」


 件の魔道具は光らず、自身のそうした過去を真逆の表情で語る辺りきっと今の生活が充実しているのだろう。それは今の自分に少しだけ眩しく映った。


「ここが本来の世界であるならマナー違反でござるが、鑑定スキルにて少し覗かせて貰ったのでござるよ……あんな往来で揉め事を起こしていれば、嫌でも目に付くでござる」


 そう言って冗談めかして笑う龍一に再度首を傾げ、地面にその旨を書いて伝える。


(本来の世界?)

 その言葉に龍一は頷き、再び説明を始める。


 この世界は龍一が遊んでいたゲームの世界と良く似ていると言う。

 ゲームの名前はアズワルドオンライン……フルダイブ型のVRMMOという種類らしい。


 聞き慣れない単語の連発と未知の技術に、やはり自分とは生きていた時代が違うのだろう……リリリと同じくらいだろうか、そう推察して話を進める。


「基本システムやスキルの名称、世界観等は同じでござったがいやはや……ゲームと現実は違うものでござるな」

 そう言って笑う龍一に思わず顔をしかめてしまう。


 何らかの確証が有ってそう言ったのだろうが、どこでこの世界を現実だと判断したのだろうか……こんな訳の分からない世界だからこそ、ここがゲームの中だと言われた方が余程真実味が有る。


「判断……でござるか? そもそもアズワルドの中では人に触れたり飲食は出来ないのでござるよ。そして何より―――ログアウトの項目はどこにも無かったでござる」


 初めて見せる暗い表情に、それを認めてしまった時の絶望が手に取るように分かる。


 ログアウト……ゲームの中から現実へ戻る為の手段として用いられるそれは見事に消滅しており、初めてこの世界に降り立った瞬間からこの世界で生きる事を余儀なくされたのだと龍一は言う。


「そんな訳で今もこうして落ちこぼれとして、拙者はたくましく生きているでござるよ」

 重い空気を一蹴する為か、笑顔を作っては茶化す龍一。


 見た目よりもたくましく、その明るさはこの世界では重要な物なのかも知れないと感じた。


「前置きが長くなったでござるな。みんなにも良く注意されるでござるよ」

 反省反省、と自身の後頭部を叩く龍一。


「ゼロ殿に声を掛けたのは他でもござらん……同好の士とお見受けしたからでござる!」

(同好の士……?)


 その言葉に嫌な予感しか無いのだが、とりあえず眉をひそめて首を傾げてみる。


「左様……この街であんな店に行くのは観光客か、世間知らずのお坊ちゃんだけでござる」


 語気を強めて非難する龍一を見て、あの店は余程だったのだと思い知らされた。


「ちょっと貴族に気に入られているからと、横暴にも程が有りますぞ……しかーし、安心召されい! この西側歓楽街ではそんな心配無用にござる!」


 逃げ延びた広場の周囲には幾つもの店が並び、中央の噴水からは綺麗な水が贅沢に流れている。


 どこかリアモの歓楽街を思わせる眺めに郷愁の念を感じ、その中でも一際こちらに意識を向けている店舗に釘付けになってしまう。


「お、流石はゼロ殿でござるな。お目が高い!」

 店舗の前まで進んで見上げれば、入り口の上には先程の店と同様に看板が掲げられている。


 建物の外観は他の物と比べてこれといった特徴は無く、豆腐が合体したような形状は獣王国に入ってから良く見られるものだった。


「こここそは『犬猫☆楽園:ワンニャン☆パラダイス』……ゼロ殿にお勧めする予定だった、拙者イチ推しのお店にござる!」


 店名からある程度の予測は付くのだが、一応飲食物のイラストが描かれているので大丈夫だろう……が、先程の龍一の言葉が気になりどうしても躊躇ってしまう。


「ささっ、立ち話もなんでござろう……行きますぞ!」

 勢い勇んで入り口の扉に手を掛けると、木製のそれを勢いよく開け放つ龍一。


 中から聞こえる出迎えの挨拶に不安を覚えるものの、とりあえず聞きたい事も有るので付いて行く事にした。


「いらっしゃいませー! って、あれ……?」

 店に入ると景気の良い挨拶と共に、クラシカルなメイド服に身を包んだ長身の女獣人が周囲を見渡したあと視線を落とす。


「あれー、どうしたのボクー?」

 屈まれて頬を突かれ、笑みを浮かべたまま尋ねられる。


 こういう反応はある意味新鮮で面白いのだが、子供扱いをされるのはどうにも気恥ずかしく彼女の問いには答えず龍一の後ろに付く。


「こらこら、拙者の友人をからかわないでほしいでござる」

 そう告げると龍一は慣れた足取りで店内を進み、奥の席に着くと手招きをする。


 店員たちの視線を掻き分け漸く辿り着くと、すっとメニューを差し出された。


「ここは値段もお手頃……味もボリュームも、拙者が保証するでござるよ」

 そう言われて中身を検めれば確かに言うだけはあるだろう……多少割高だが、こういう店ならばそれも頷ける。


 店内はそれほど凝った造りになっている訳では無く、酒場というよりも食堂に近いだろうか……宿屋に併設されたものや、昨日訪れた店に良く似ていた。


 食堂と違うのは給仕をしている人間の数で、配置された席には客と共に女性が付くようだ。


「はーい、こちらビールでーす」

 そんな風に店の中を眺めていると木製のジョッキが二つ現れ、それぞれの前に置かれる。


「今日は暑かったでござるからな。とりあえず乾杯するでござるよ」

 入店の際に注文していたのか、手際の良さに笑みを浮かべる。


「乾杯」

 そう発してジョッキを軽く合わせ、中の液体を勢い良く流し込む。


 昼間から飲む酒の味はそれほど悪く無く、加えてこの店のビールはこれでもかと言うほど冷えていた。


「くーっ……美味しいでござるな!」

 おっさんのようなリアクションを取る龍一に再び笑ってしまい、それに満足したのか微笑み返される。


「やっと笑ってくれたでござるな。安心したでござるよ」

 どこか慈悲深いその目には幾重にも思いが重なっており、その言葉の意味を知るのはもっと先の事だった。


「失礼しまーす! リュウちゃん、今日はどの子にするのー?」

 そんなひと時を壊すように店員が割って入り、親しげな様子で龍一に問い掛ける。


「あいや、そうでござった。拙者は本日こちらの御仁と大切なお話がある故、また後で呼ぶので少々お時間をいただきたいのでござるよ」


 随所に聞き慣れない単語が有るが、意味合い的には間違っていない筈だ。


 会話の内容次第では他人に聞かれたくない物も多い……それを慮ってか、龍一の選択は見事としか言いようが無かった。


 頬を膨らませてその場から離れていく店員を見送り、一連の流れを肯定するように無言のまま頷く。


「拙者たちは色々と、訳ありでござるからな」

 そう言って片目を瞑る仕草は本人の性格に依るものだろうか……これが演技だとすればとんでもない役者だ。


「さて、話の続きでござったな」

 そう言って先程の魔道具を取り出し、そこにもう一つ三角形の物を追加する。


「現在は商人として生活している故、こうした魔道具は多いのでござるよ」

 球体の方は先程と同じ物だが、三角形の方は密談用の物らしい。


 周囲の音はそのまま聞こえ、こちらの音は伝わりにくくなる……何とも便利な魔道具だと思った。


 尤もこれまで唇を読める人間が多すぎたせいかそこまで有用性は感じられなかったが、それでも周囲に気兼ねなく話せるというのはそれだけで有り難いものなのだろう。


「さて、話の続きでござるが……あんな店に行くくらいならばこういった良いお店を紹介したいと、同郷のよしみで紹介したかった訳にござる」


 そう言って豪快にジョッキを飲み干し、手を上げておかわりを注文する龍一。


 先程出された球体に色が付く事は無く、今までの様子から本当にそれだけなのだと確信する……と同時に少しだけ拍子抜けした。


 こういう時にルピナが居てくれればとも思うのだが、これはこれで自身の目を養う良い機会だと思い、絆されかけている心を引き締める。


「……別のお店の方が良かったでござるか?」

 黙って考え込んだせいで勘違いをさせてしまったか、不安そうな表情を浮かべ尋ねて来る龍一。


 店内を見渡せばこれまた昼間だと言うのに客足は悪く無く、十数席あるテーブルはそのほとんどが埋まっていた。


 長い木製のカウンターにも一人客が何人か座っており、カウンターの中の女性達と会話を楽しんでいる。


 時折どこかから聞こえて来る歌は酔っ払い達の物で、女性そっちのけで肩を組んで盛り上がっている辺り上品とはほど遠いのだが、その猥雑さが一人となった今では心地良かった。


 龍一の言葉に首を振り、勢い良くジョッキを飲み干せば薄い笑みで答える。


「気に入ってもらえたようで安心したでござるよ」

 同じように笑顔を作り、再びジョッキを合わせて乾杯する。


 そうして何度かおかわりをし、店内を眺め、この世界の事や転移者、転生者について話をする。


 普段であれば君子危うきに近寄らず……という事らしいが、絡まれているのが子供とあってはついつい世話を焼いてしまったそうだ。


「あまり役には立たなかったようのでござるが……」

 そう言って萎縮し、照れたような笑みを浮かべる龍一に首を振る。


(そんな事は無い。助かった)

 テーブルに出しておいた紙にそう書き記し、ここまでの礼を述べる。


 鑑定というスキルの事もあって何かしらの思惑が有るのかと邪推したものだが、この様子では本当にただそれだけだったのだろう。


 念の為に勇聖教や神聖国について尋ねてみるが、刺客やその類でも無く本当に逃亡者……と言って良いのだろうか、そういう事らしかった。


 追放された理由については本人曰く

「あんな怪物に立ち向かえるのは本物の勇者だけでござる」

 という事らしいが、それもどうなのかと疑問符を浮かべたのは言うまでもない。


 同好の士と言った部分は承服しかねるが、先程も述べたようにこういう店の雰囲気は嫌いじゃなかった。


 どこかリズの居た店を彷彿とさせる少々の騒がしさと、何より働いている女性達の笑顔は本心から来るものだろう。


 酒も食べ物の味も悪くなく、ここに宿が併設されていれば間違い無く自分も龍一と同じ道を辿っていた筈だ。


「ここのお店はオーナーが食べ道楽ですからな……食材には気を遣っているでござるよ」


 そんな情報を知っている辺りは流石に常連と言うべきか、店の内部事情にまで精通しているらしかった。そして―――


「聞きたい事……でござるか?」

 互いにビールから酒を変えたタイミングで、意を決して切り出してみる。


 これまでの話しぶりから地球の……自分が生きていた時代よりも先の人間、未来人の龍一にしか頼めない事だ。


 リリリに聞いたとしても恐らくは知らないであろう、ある一冊の本のタイトルを書き記す。

 その結末がどうなったのか―――その一文を添えて。


「おお、随分と昔の漫画でござるな?」

 拙者の嗅覚もまんざらではござらん等と自画自賛しつつ、腕を組んでは何度も頷く龍一。


「結論から申すなら知ってるでござるよ。有名なタイトルにござれば、その辺りの物は一通り嗜んでいるでござる」

 胸を張り、自信の表れを体で表現する。


「しかし……拙者の口からで本当に良いのでござるか?」

 かと思えば途端に萎縮し、自信なさげにおずおずと確認をして来る。


 良いも悪いもこの世界では他に方法も無いのだ……これ以上の適任者は居ないだろう。


「分かったでござる。だとすれば、一体どこから話したものか―――」

 時折思い出したりしながらも、独特の口調を除けば龍一の説明は分かりやすかったように思う。


 時に激しく、時に悲しく、物語の語り部としては癖が有るものの、予想よりも長い結末までの道のりを誰よりも楽しそうに紡ぐ。


 筆談を交えながら何度目かの酒を飲み干した時、それと同時に物語が終わりを告げ心地よい充足感が胸中を満たす。


「こうして歴史は再び繰り返される事になりましたとさ。めでたしめでたしにござる」

 締め括りの一文を聞き届け、驚いたように肩を竦ませる龍一にこちらも驚いてしまう。


「……ゼロ殿、大丈夫でござるか?」

(えっ?)


 気付けば頬は濡れており、冷静に聞いていたつもりでも昂ぶった感情は何時しか形を変え、多量の涙となって現れていた。


 拭えども拭えども溢れて来る物を止められず、袖口で拭いては勢い良く鼻をすする。


 一つの物語の終わりを聞き、ある程度予想していたとは言えその最後に激しく感情が揺さぶられた結果がこれだ。


「あーっ! リュウちゃんがいじめてるー!」

 どこからかそんな声が聞こえ、必死に否定する龍一。


 自分から頼んだ事とは言え無情にも責められている龍一を見て、心の底から申し訳なく思う。


 立ち上がって頭を下げると礼を述べ、気持ちを落ち着かせようとトイレに向かった。

 出すものを出せば少しは気持ちも落ち着き、洗面台で顔を洗って魔法鞄からタオルを取り出すとそこで漸く涙は止まった。


(そうか……そうだよな……)

 言い聞かせるように呟き、鏡の中の自分に向かって頷く。


 物語の中とは言え、彼等の行動が自分に勇気を与えてくれたのは言うまでも無い。

 奮起した心持ちのままトイレから出ると、脇に控えていた女性と目が合う。


「ん……」

 ぶっきら棒におしぼりを差し出され、恐る恐るそれを受け取るとじっと睨み付けられる。


(ええ……)

 猛る気持ちはこの一瞬で萎れてしまい、何かしてしまっただろうかと不安になる。


 暫く無言で見詰め合い、困惑した表情のまま返すとやはり無言のまま受け取り、すたすたと給仕の仕事へと戻って行った。


(なんなんだ……)

 相手の思惑が分からず混乱するが、彼女だけが特別無愛想なのだろう……そう思う事にした。


 席に戻れば龍一の隣と、自分が座っていた隣の席にも女性が一人……にこやかな笑顔で手を振り、おかえりなさいと挨拶を交わす。


「大丈夫? リュウちゃんにいじめられなかった?」

「ひどいでござるひどいでござる。拙者はそんな事しないでござる!」


 からかうような女性の言葉に龍一は悶えるように身を捩り、先程の顛末を否定する。


「お話が終わったようですのでご一緒したいのですが、よろしいですか?」

 自分の座っていた席の女性がそう尋ねてくるので、これ以上は込み入った話も無いだろうと思い首を縦に振る。


 恐らく龍一も同じ考えなのだろう……作品の感想を他人と共有するのは苦手だったのでとても助かる。


 席に座れば外套を巻き付けた大剣は大人しく立て掛けられており、どうやら身勝手な振る舞いはあの時だけだったようで安心する。


 窓の外を見れば既に夕刻を回り、日が落ち始めたのを見てどれだけ話し合っていたのかと驚愕する。


「驚いたでござるか? 拙者も夢中になっていたとは言え、言われるまで気付かなかったでござるよ」

 そう言って豪快に笑う龍一。


 だとすれば半ば押し掛けるように女性が席に居たのも頷ける話で、こういう店は喫茶店の類とは違うのだからここまで自由にさせてくれたのはきっと龍一のお陰なのだろう。


「そうだよー。ホントはダメなんだからねー?」

 青い毛並みの猫獣人が龍一の事を指で突付く。


 その一挙手一投足に身悶えしては、そういうやり取りを楽しんでいるようにも見えた。


「はい。どうぞ」

 そんな二人を冷ややかな目で眺めていれば、隣の女性が酒を用意してくれる。


 先程と同じハーフロックの蒸留酒だが、知らない人間が居るとどうにも緊張してしまうのは仕方無い事だ。


「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ」

 見透かされたように声を掛けられ、余裕の有る笑顔に体が強張る。


 話すことも話したし、どこか適当なタイミングで退散するか……そんな事を思いながら飲んでいると


「俺たちの席には着けねーってのか!?」

 と、どこからともなく怒号が飛んで来る。


 声の方へ視線を向ければ一人の男が立ち上がり、その取り巻きと思われる人間も一緒になって一人の店員を取り囲んでいた。


「お客様、落ち着いて下さい!」

「うるせえ!」


 大男の一撃でテーブルが真っ二つに割れ、それを合図に周囲の客は自分のテーブルと椅子を避難させる。


 手慣れた様子に違和感を感じるものの、危ないかなと思い立ち上がろうとすると


「大丈夫でござるよ」

 と、落ち着き払った口調で龍一が言う。


 男の方に再び視線を向ければ詰め寄られているのは先ほどの無愛想な店員で、黒い狐耳が褐色の肌ととても似合っている……ではなくて、仲裁に入った長身の店員は先程の一撃で萎縮してしまっていた。


「俺たちはなぁ、C等級の冒険者なんだぜ? 悪いことは言わねえから、大人しく酌をしろってんだよ!」

「そーだそーだ!」


 どこかで見た事のある光景に吹き出しそうになりつつ、そんな凄む割に随分と可愛らしい店を選んだものだと思ってしまう。


 人族のようだが獣人嗜好なのだろうか……よくよく見れば顔が赤いので、少し酔っているようなのでそう考えると本当は可愛い奴等なのかも知れない。


「そうか……それは偶然だな。私も同じだ」

 そう言って取り出された一枚の冒険者証は遠目からも分かるほど銀色に輝いていた。


「この店の店員は皆、それなりに腕が立つのでござる。獣人という種族の特性も有るのでござるが、戦闘能力に関しては一様に高い水準との事ですぞ」


 だとすれば何の心配も無いのだろう。

 心配して立ち上がったのが馬鹿らしく、再び腰を下ろすと成り行きを見届ける。


「ここは酒場だ。酒を飲まないのなら帰ってもらおう」

 その言葉を合図に四方八方から銃口とも言うべき店員たちの手がかざされる。


 それは自分の隣に座っていた店員にも同じ事が言え、集中する魔力の切っ先を標的に向けて狙いを絞る。


 ホールドアップはこの世界でも有効なのか、がらりと雰囲気を変えた店内の様子に両手を上げて降参すると、男たちはすごすごと店から退散する。


(頃合いか……)

 折角の気分に水を差された格好となり、この後はどうあっても酒を飲む気にもなれないだろう……それを感じて立ち上がると、大剣を背負い外套を身に纏う。


「行くでござるか?」

 龍一の言葉に頷き、テーブルの上の紙にペンを走らせる。


 何時の間にか裏向きにされているのは龍一の仕業だろうか……見た目よりも随分と細やかな気配りだと感心しつつ


(暫くはこの街に滞在している。何か力になれる事が有ったら呼んでくれ)

 そう記して冒険者証を提示する。


(等級は低いけどな)

 冗談めかして言った台詞の後に微笑み、一瞬だけ目を丸くした龍一は笑顔を返す。


「分かり申した。また一緒に飲むでござる」

 その言葉に笑顔で頷き、大金貨をテーブルに置いた。


「これでは多過ぎるでござるよ!?」


 驚く龍一の声を背に受け、振り返らずに片手で返事をする。少しだけ格好付けたかったのは話を聞いたせいか、同郷の空気のせいか……。


 店内は後片付けやテーブルの移動などで騒然としており、喧騒の中を歩いていると男たちに立ち向かった黒狐の獣人と目が合う。


 黄色い宝石のような瞳がこちらを見据えていたかと思うと直ぐに逸らされ、何だか随分と嫌われたものだと困惑してしまう。


 気の強そうな雰囲気と意志のはっきりした面持ちはどことなくこれまでの女性と似ている物を感じさせ、そういう趣味になった覚えは無いのだがきっとこの体の持ち主……リュカのせいなのだと思う事にした。


 当然そんな事を思えば心臓は鼓動を増して、背中の大剣からは愉快そうな音色が響く。


 一人になった筈なのに割と賑やかだった夜に、空を見上げては久しぶりの晴れやかな気持ちに目一杯空気を吸い込むと、少しだけ冷えた夜気が肺を満たす。


 遠い異国の地の、独特な匂いが鼻を突いた。

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