第三十一話 ~獣王国のD迷宮~

《第三十一話 ~獣王国のD迷宮~》


(……十……十い、ち……じゅう、に―――)

 背中に伸し掛かる何かに押し潰され、ぎゃあと情けない悲鳴を上げて倒れ込む。


 龍一と出会った翌日、朝早くから街を出て走り込み、腕立てをしていた時の事だ。


 やはりと言うべきか何と言うべきか、どうにも体の調子が悪い……と言うよりも、各部位の筋力が落ちているように感じていた。


 それは普段の生活やちょっとした事で感じる些細な物ではあるのだが、事ある毎に感覚のズレが生じては慣れない具合いに首を傾げる。


 思い当たる原因と言えば一つだけ……背中の大剣に他ならないだろう。


(俺の魔力は美味いのか?)


 そう尋ねれば否定とも肯定とも取れる耳鳴りが響き、機嫌良さそうに一定のリズムで重くなったり軽くなったり……まるで跳ねるように動き始めるので、こういう所はグラムよりも格段に扱い難い部分であった。


 気の所為だと自分に言い聞かせていただけに、こうして徐々に距離を縮めては新たな発見が有るようで、例えばこれをゴードンに相談したとしても解決には至らないだろう。


 機嫌が直ったようで何よりである。


 そうして朝の日課を終えて宿に戻れば心身ともに疲れ果てており、魔力が少なくなると言うのは予想以上にきついものだと以前の出来事を思い出し反省する。


 風呂から出て着替えを済ませ、窓際に立て掛けられた大剣を眺めてはあの口の悪い方の大剣は元気にしているだろうかと、ほんの少しだけ感傷に浸る。


(元気に決まってるか……)


 グラムの事だ、どこであろうと元気に違い無い。あいつが暗く落ち込んでいる様など天地がひっくり返ろうとも想像出来ない。


 窓から街の様子を確認すると朝から怪物の襲撃は無いようで、徐々に動き出し始めた家々の空気に胸が弾む。


 ギルドの冊子に書かれた獣王国の宿の一つ『砂跳鼠の隠れ家』はその名に反して最前線にほど近く、全く隠れてはいない。


 外周から数えて二つ目の輪に配置された宿はギルドとワンニャンの中間……線で結べば三角形の外側に位置する。


 それ故に冒険者専用みたいな節が有り、戦闘に自信が無い者はもっと内側の宿を選ぶのだろう。


 先日のように襲撃が起これば窓から飛び出し、監視塔へは二足ほどで届く……と思っていたのだが、何の気まぐれか大剣のおかげでひとっ飛びで事足りる。


 戦闘面においてもその補助は遺憾無く発揮され、まるで取り込んだ魔力を還元するように様々な面で助けてもらっている……と思いたい。


 距離の有る怪物に牽制として魔法の使用を求めた際、うっかり『二号』などと呼んでしまってからはヘソを曲げ、一切の反応が無くなってしまい頭を悩ませた。


「あ? そんなもん無ぇよ」

 ゴードンの店を訪ねて聞いてみればぶっきら棒にあしらわれる。


 途端に響く耳鳴りに顔をしかめるが、そういう事であれば納得せざるを得ない。


 自分自身武器や道具に名前を付けるなんて事はしないし、あの石板剣や戦斧、長剣や戦鎚にもそんな可愛らしい物を付けていない。


 グラムは名前が無いと不便だったからそうしたまでで、ぞんざいな扱いしか出来ない物に対して名を付けるというのは申し訳なく思ってしまうのだ。


 何故と問われるような耳鳴りに、薄く笑みを浮かべて誤魔化した。


(名前ね……)

 武器の改造や調整は順調らしく、それでもまだ時間は掛かるとゴードンに言われて店を後にした帰り道、腕を組みながら眉間に皺を寄せて考える。


 何か名案は無いだろうか……そんな事を考えながら冒険者ギルドに足を踏み入れる。


 カウンターへ向かうと昨夜に討伐した怪物の魔石を並べ、全ての換金を頼む。


 今回は独断専行で突っ走ったりせず、他パーティを狙っていた怪物を何匹か倒しただけなので数はそこまで多くない。


 間に割って入った形になったので文句の一つも言われるかと心配だったが、涙目で感謝されたのを見て人助けは良いものだと深く頷いた。


「シャーリーさん達、とっても感謝してましたよ」

 どうやらその事も既に耳に入っているようで、狸顔の受付嬢がこっそりと教えてくれる。


 礼代わりに魔石を譲ってもらったのだから感謝は不要だと伝えた筈だが、人の口に戸を立てるのは難しいのだと改めて知る事になった。


 換金が終わればギルドの中を再び確認し、資料室や依頼板の内容について王都と見比べてみる。


 資料室ではそこまで目新しい何かを発見する事は出来ず、依頼板も同様にそれほど目を引く物は無い。


 強いて言うならこの土地特有の討伐依頼が有るくらいで、あとは砂塵症の薬についてと言ったところだろう。


 募集用紙の状態で長いことそのままになっているのが分かり、精製方法や現物の買取りについて記述がされていた。


 どうするべきなのだろうか……一応手元に幾つかの在庫が有るとは言え、これをそのまま出せば間違い無く問題になるのは先の事でも一目瞭然だ。


 かと言って勇聖教が絡んでいる以上そのまま放置しておく訳にもいかず、いっそのことこの国の全員分を作ってしまおうかと思うが材料不足なのは否めなかった。


 魔力も人手も足りないであろう事から、それを分け与える人間をどうやって選定するのか……そんな神のような傲慢な考えに気付き、嘲笑うように鼻で笑ってしまう。

 何時から自分はそんなに偉くなったのだ、と―――。


(力に溺れるな……か)

 ギルドの入り口で立ち尽くし、自信の手の平をじっと見詰める。


 力を入れて握り締めれば想像以上の力で硬められ、それを思い切り叩き付けるだけで普通の人間であれば絶命させ得るのだろう。


 そんな人間離れした力を思いのままに振るって良いのだろうか……口では強がってみせても恐怖心が完全に消えたりはしない。


 地球で平穏無事に暮らしていた子供時代、どうして人は物語の主人公のように桁外れな力を持ち得ないのか……その理由を真剣に考えた事が有る。


 どれだけ鍛えても人の範疇を超越する事が叶わない理由……それは自分のような人間がその力を手にすれば、忽ち地球は死の星となっていたからだろう。


 そんな誰にも話す事の出来ない弱音を反芻していると


「おや? ゼロ殿、奇遇ですな」

 と、声の方に目をやれば大量の荷物を抱えた龍一が立っていた。


 昨日の今日で再開する事になるとは思わず、あれだけ格好付けて去った手前すこしだけ気恥ずかしい思いが有る。


「どうしたでござるか?」


 しかし当の龍一にそういった素振りは全く見られず、昨日の事を何か言う訳でも無く塔のように積み上がった荷物の脇から人懐っこい笑顔を覗かせていた。


「おっとと……」

 バランスを崩して荷物が落ちる前に半分ほど抜き取り、手伝う旨を伝えてみる。


「手伝ってくれるでござるか?」

 その問いに頷き、再び冒険者ギルドへ踵を返す。


「いやー、助かったでござるよ。貴重品は魔法鞄に入れてるでござるが、体が鈍らないようにと張り切り過ぎたでござる」


 言われて気付くと荷物はずしりと重く、曲がりなりにも勇者という事か……戦いが苦手と言う割に身体能力はそれなりに高いようだ。


「いらっしゃいませー……って、あれ?」

 間を開けずに再訪したせいだろうか、不思議そうな表情を浮かべる受付嬢。


「忘れ物?」

 その問いに首を振り、視線を龍一へと向ける。


「買取りを頼むでござるよ」

 そう言って次々と荷物をカウンターへ下ろし、漸く身軽になると詳細を話し始める龍一。


 何でも依頼していたホクトへの納品と採取素材が昨日の夜に到着したらしく、本日はその換金に訪れたらしい。


 商人なのだからギルド違いでは無いかと訝しむ表情を察したのか


「商人は色々あるでござるよ」

 そう言って微笑む所を見ると、どうやら龍一は中々にやり手のようだと思った。


 リアモに居た頃の自分と重なり分かる部分も有れば、あの店の常連なのだから冒険者ギルドを贔屓にする理由も分かる……男であれば可愛い子には格好付けたいのだ。


「それだけでは無いのでござるが……」

 困ったような笑みを浮かべ、力無く言葉を吐いては後頭部を掻く龍一。


「―――ほう。名前でござるか?」

 話題を変える為に先程から悩んでいた事を打ち明けると、グラムの事も有って一つの物語を教えてもらう。


 どうやら自分の記憶にそこまでの違いは無かったようで、しかしそこよりも更に深い話を龍一は嬉々として語り始める。


 どうせなら格好良い名前をと考えたものの、XXXやXXX等の名前を前世の知識から引っ張り出しても、上品過ぎる名前は自身の首も締めかねない。


 聖人のようなムービースター達とは程遠い英雄の背に収まっていた事も相まって、それよりももっと荒々しい語感の方がこの剣には相応しいだろう。


「こういう話は大好物でござる」

 そんな他愛の無い会話をしていると、ギルドの入り口から短い悲鳴が上がった。


 何事かと目をやればそこには一人の獣人を肩に担ぎ、息も絶え絶えに弱々しく立ち尽くす冒険者の姿が有った。


「だ、れか……」

 微かに呟いた言葉の後は無くそのまま倒れ込む。見ればどちらも女性で、その顔には見覚えが有った。


「ど、どうしたでござるか!?」

 駆け寄るなり抱きかかえ、眠るような表情の獣人に声を掛ける。


「あ、ああリュウちゃん……? ふふっ、格好悪いところ見られちゃった……」

 力無く呟く獣人の言葉に首を振り、目に涙を浮かべてはそれを拭う龍一。


「私達よりも……まだ二人、C迷宮の下層に……」

 そこまで言うと激しく咳き込み、口いっぱいに溜め込んだ鮮血を吐き出す。


「はいはい、どいてどいてー……うん、これなら大丈夫かな? 良く頑張ったわね」


 先程まで応対していた狸顔の獣人が数人の人員を引き連れ、瞬く間に怪我人を回収する。


(治りそうか?)

 紙に記して尋ねれば力強く頷かれ、どうやら見た目に反して命の危険は無さそうで安心する。


「こうしては居られないでござる!」

 何かを決意したように立ち上がる龍一。


(行くのか?)

 慌てて手を掴み振り返らせるとその問いには首を振られ、先程の話にあった懇意にしている冒険者を当たってみると言う。


(良いのか?)

 自分を使えという問いにも首を振られ、問い質せばその内容に驚いた。


「ゼロ殿が強いのは鑑定にて分かってるつもりでござるよ。しかしこれは拙者の戦いにござる。それに―――」

(それに?)

「子供を危険な目に遭わせるのは不本意にござる」

 去り際に悲しげな表情を浮かべ、その場を後にする龍一。


 先日の話の中で年齢の話はしていなかったかと思い返すが、正直漫画の話しか覚えていない。


 酒も入っていたし仕方の無い事かと思いつつも、程々にするのは大事だと反省した。


(カルーア達も居ないしな……大人しくしておくか?)


 窺うように考えると途端に激しい耳鳴りが響き、背中の大剣から猛抗議が巻き起こる。

 これで周りの人間には聞こえていないというのだから本当に厄介な事この上ない。


 黙らせる方法も有るには有るが……このやり取りもある意味必要な物だ。


(……良いだろう。そこまで言うなら全力で働けよな?)


 上機嫌に鳴り響いた音色を聞き届け、受付カウンターに戻ってペンを走らせると、先日応対してくれた一人にそれを見せる。


「C等級の迷宮に……ですか?」

 その言葉に頷き、何か方法は無いかと尋ねた。


(必要であれば試験も受ける)


 単独での攻略が許可されているのは同等級までで、自分の等級よりも上の迷宮に単独で行くならば昇級だったり特別な理由が必要だった筈だ。


 カルーアがそう言っていたのだがそれはBへの昇級試験内容らしく、しかも単独では無く複数人での挑戦が望ましいとの事だった。


 いきなり必要になってしまった等級に、やはり日頃の準備は大事だなと反省していると、無言のまま全身を隈なく見回される。


「……分かりました。今回に限り特例として、単独での挑戦を許可しましょう」

 そう言って何かをしたため、一枚の紙を手渡される。


「これを迷宮窟の衛兵に。それと―――」

 カウンターから身を乗り出し、囁くように声を潜める受付嬢。


「その大剣、レイジ様の物ですよね?」

 慌てて顔を離せば無言のまま見詰められ、ゆっくりと視線を外すが……誤魔化しきれてはいないだろう。


「ふふっ、心配しなくても大丈夫ですよ。誰にも言いません。冒険者の詮索はご法度ですから」

 そう言って口元に手を当て、優しく微笑む受付嬢。


「どうして貴方がそれを手にしているのかは尋ねません。相応の実力者なのでしょう……ですが、必ず生きて帰って来る事。良いですね?」

 その言葉に力強く頷き、外套を翻してギルドから飛び出す。


(あの様子じゃ一刻を争う……頼んだぞ)

 そう打診すれば背中から魔力が流れ込んで来る感覚が強くなり、基礎能力が高まったと錯覚してしまう。


 手持ちの武装に一抹の不安は有るのだが、理想は無傷で回復用の水薬を残しておく事だろう。自身に使えるのは二、三本の回復薬と、何かの為の爆裂水薬だけだ。


 そんな不安の中あっという間に入り口へと到着し、地面にぽっかりと口を開けた大穴とそれを取り囲む柵が姿を表す。


 これなら不法侵入やり放題じゃないかと思うのだが、柵の一本一本に見慣れない紋様が彫られている。


 当然かと思い大人しく衛兵に手紙を渡すと思った通り反応は渋く、少しの逡巡の後に下に居る衛兵に再度提示するようにと指示を受ける。


 石造りの螺旋階段を降りれば所々に点在する踊り場に衛兵が立っており、入り口の上部には迷宮の等級が彫られていた。


 どうやら下に向かえば向かうほど高難易度の迷宮となっているようで、ここで改変が起こったら大変なんじゃないだろうかと余計な心配をしてしまう。


 そうして次第に薄暗くなっていく階段を降り続け、目的の入り口へ到達すると再び手紙を差し出す。


 ここでもやはり衛兵は渋い顔をしており、同時に心配そうな表情を浮かべていた。


「何が有ろうとも我々は助ける事が出来ない。それでも本当に行くか?」

 短い言葉の中に優しさを感じつつ、勿論と笑みを浮かべて頷き返す。


「……分かった。小さき冒険者の武運を祈る」

 返された手紙を鞄にしまい、目の前に広がる暗闇に飛び込む。


 ぬるりと纏わり付くような闇が晴れればそこは獣王国のC迷宮。自然と笑みが溢れてしまい、これが羽根を伸ばすという事かと全身が歓喜に震える。


 迷宮の内部はホクトのそれと大差なく、石造りの迷宮は安心感さえ感じられた。


 もっと獣王国っぽい迷宮なのかと考えていただけに拍子抜けで、もしかしたらB等級になればそういう特色も強くなるかも知れない……そんな事を考えていた。


 分かれ道に差し掛かれば背中からの合図に道を選び、ほぼほぼ最短で階層主の部屋に辿り着けたように思う。


 意識して物音を立てないように移動していたとは言え、ここまで怪物に会わないというのは初めてだった。


 巨大な扉を開ければ中央には武装した二足歩行の豚がおり、先手必勝とばかりに飛びかかり殴り付ける。


 拳での一撃はその巨体を軽々と吹き飛ばし、大剣を引き抜き追撃を加える。


 音も無く走った剣閃は何の抵抗も無くその首を落とし、怪物が消え去ると奥の扉へと走る。


(なるほどな……)

 感嘆の言葉に上機嫌なのか、どうだと言わんばかりの耳鳴りが煩い。


 二層、三層と進めばその悉くを一蹴し続け、前後左右上下斜めとその全てに配慮を必要としない状況に自然と口角が上がってしまう。


 全身を駆け巡る魔力の補助は頭の中で思い描いた理想を現実のものとし、溜まりに溜まった鬱憤を無理やりに押し付ける様は普段の冷静さとは天地ほど離れている。


 一番の課題で有った攻撃力の強化は思いもよらぬ形で実現し、頼もしく感じる反面どこか虚しさも感じていた。


 しかしそんな贅沢を言えるほど今の状況に余裕は無く、このまま何の問題も無く駆け抜けられる事が一番なのだ……自分の気持ちなど二の次である。


 六層の階層主を倒し階段を降りると、異変に気付いてはこの先が最終層なのだと感じ取る。


 ホクトの迷宮でも有った天候の変化……それは足元に感じた雪の感触に他ならず、目の前には一面の銀世界が広がっていた。


 視界は最悪で頬に打ち付ける雪の粒が痛いほど、その風速は気を抜くと飛んで行ってしまいそうになる。


 大剣を背負っているのでそんな事にはならないのだろうが、激しい吹雪に目も開けていられない。


(これは……甘く見過ぎてたな……)

 片腕でひさしを作って前進するも、深く積もった雪に足を取られて思うように進めない。


 この吹雪では跳躍を繰り出した瞬間それこそ飛んで行ってしまいそうで、力任せでも強引に突き進むしか無いだろう。


 力の通じない大自然という敵を前に、己の無力さを感じ少しだけ冷静さを取り戻す。


 不思議な事に寒さはそこまで感じられず、外套のお陰かと思うもそんな機能は無かった筈だ。


 だとすれば考えられるのは一つしか無いのだが、本当にここまで協力的になるとは思わずグラムと同じでどうやら女好きっぽいので、それならそれで結構な事だと呆れてしまう。


(こっちか? ……ならこっちか?)

 ぴいぴいと鳴る音色が頭に響き、吹雪の音と相まって物凄く分かり難い。


 おーいと呼び掛けるが当然声は出ないので、自分ひとりだとこんなにも出来ない事が多いのだと改めて仲間の大事さを実感した。


 途中で樹上からこの階層特有の姿をした怪物たちが襲ってきたりもしたのだが、そんなものは背中の大剣が自動的に迎撃してしまう。


 平時であれば訓練の邪魔になると文句の一つも言うところなのだが、今となってはこれほど頼もしい存在は無い。それより問題なのは相変わらずの悪天候だ。


 振り返れば一瞬にして来た道が埋まっているのでは無いか……そんな馬鹿な事を思ってしまう程、この吹雪は一向に晴れる気配が無い。


 体の熱も徐々に奪われ始め、これはいよいよ以て身の危険を感じ始める。

 これだけ雪が積もっていればかまくらみたいに避難所も作れそうだが、簡素な物では一瞬で破壊されてしまうだろう。


 作るくらいなら途中で見掛けた洞穴に避難するのが最善か……そんな現実逃避のような空想をしていると、突如けたたましい音が頭に響く。


 ふざけた考えを叱責する為の物かと思ったが、風の中に見付けた微かな剣戟音に体が跳ねた。


 木々の合間を垂直に飛ぶように疾走し、数度目の跳躍の終わりに空へと跳び上がる。


 横殴りの風は容赦無くその身に襲い掛かり、その一切を意に介さず怪物の脳天へと大剣を振り下ろした。


「ゴアアアァアァァァ!!」

 長い唸り声を上げて頭を押さえ、がら空きになった顔面へ足刀を繰り出す。


 足場を駆使して降り立てば、眼前には二体の雪男が残っていた。


「あ、ああ……」

 後方に目をやれば先日の店員が二人。


 一人は倒れており意識が無いのか、眠ったように横になっている。


 もう一人の黒い狐の獣人は所々に傷を負っており、止血の為の包帯なのか……一目で凍ってしまっているのが見て取れる。


 どうやら冒険者というのは嘘では無いようで、店内で見たメイド服は来ていない。

 代わりに冒険者然とした装いはそれなりの実力を表しており、凝った意匠から高性能な装備だろうと推察出来た。


(助太刀する)

 伝わりはしないだろうが龍一の影響からか、言葉が古風になってしまっている気がした。


 残りは左右に二体……後先を考えなければ跳躍も活用できると分かり、ここが踏ん張りどころだろうと一足飛びに間合いを詰める。


「ゴアッ!?」

 驚嘆の声に剣を走らせ、体を上下に両断してそのまま足場として活用する。


 上空へ飛び上がり何とか姿勢を制御して態勢を整えれば、もう片方へと大剣を振り下ろした。


 怪物の体液を振り払うように大仰に剣を振っては振り返ると


「まだ……まだ終わってない!!」

 そんな叫びが木霊した。


 背後から鳴り響く地鳴りに目を向ければ、どこからともなく現れた氷の竜に度肝を抜かれる。


 体表は青白く、その全てが氷で出来ているかのように輝き、弱々しい陽の光を幾重にも反射してはきらきらと煌めいていた。


(やっぱりか……)

 この階層の主だろうか……ホクトで見たあの蠍のように、願わくば出会わないようにと思っていたのだが、どうやらその願いはこの瞬間に潰えたようだ。


「逃げて!!」

 言葉と同時に炎の矢が竜へと当たり、唯一の紅い双眸が標的を見定める。


「グォオオオオオ!!」

 怒りに満ちた咆哮は耳をつんざき、直後に前進を開始する氷竜。


 その横っ面に水薬瓶を思い切り投げ付けると、ぶつかった場所を起点に盛大な爆炎が巻き起こった。


(こっちこっち!)

 大剣を片手に大袈裟に振って見せると氷竜は態勢を変え標的を変更する。


「そんな……なんで……」

 庇う気持ちは有り難いのだが折角の見せ場だ、どうせなら派手にやろうと相談していた。


(……良いか? 全力全開だ。お前がこの旅に相応しいかどうか、その実力を見せてみろ!)

 大剣を両手で握り、担ぐように構えを取る。


 氷竜は再び突進を始め、迫り来る巨大な体躯は数瞬後にこの身とぶつかり目的を果たすだろう。


 しかしそうはならない為に両の手の大剣へと全ての魔力を託す……妙な安心感が有り、不思議と不安は感じない。


(俺と龍一、二人で考えたこの名をくれてやる―――やれ!! バルムンク!!)

 思いの丈は合図となり、その意気に呼応するようにその身から魔力が放出される。


 それは巨大な刀身のように形を変え、蒼天を切り取ったような青色が尚も闘気を増幅させ続ける。


 それは剣気とも言える魔力の暴走であり、きっとあの出来事が無ければこの手から弾かれ忽ち霧散していた事だろう。


 これで完成なのか……頭で理解するよりも早く全身で感じ、思いのままに剣を振るう。


(く、た―――ばれえええええ!!)

 上段から振り下ろしただけの一撃は一筋の剣閃となり氷竜に襲い掛かり、突進は尚も続けられた。


 ぶつかる―――そう思われた衝突の瞬間にその体躯は真っ二つに割れ、衰えぬ勢いのままゼロを避けるように両側へと倒れ込んだ。


 雪に埋もれた大剣を引き起こし、再び大仰に振り払っては振り返る。


「あ……」

 黒狐の声に再び振り返れば遠くに見えていた山脈が割れ、振り下ろした先には一筋の道が出来ていた。


 余りの出来事に再び目を合わせ、白黒させては破壊力の大きさに目を丸くする。


 迷宮は破壊できない―――そう書かれていたが、ここまでの破壊力を見せられてはその言葉もどこか怪しく思えてしまうのだ。


 呆けていた所で耳鳴りが響き、はっとして駆け寄ると容態を確かめる。


「ありが、とう……この人は魔力切れで倒れてるだけ。命に別状は無い、けど……」

 その言葉に頷き魔法鞄から回復薬を取り出し、口元に当てるが上手く飲み込まない。


「貸して」

 そう言うと黒狐は水薬を口に含み、そのまま倒れ込んでいる相手に口移しで飲ませる。


 更に二本の水薬を取り出し、黒狐へ与えると手の平へ文字を書く。


「脱出……そうね、そうしましょう」

 互いに頷き合い、倒れている女性を大剣と共に背負うと走り出す。


(おい、こっちで合ってるのか?)

 ひとまず先程できたばかりの道を進み、出口はどっちだったかと確認する。


(おい、おいってば! 答えろよ!)

 再度問い掛けるも応答は無く、背中の大剣は沈黙を貫いていた。


 これが先の攻撃に因る弊害なのか、はたまた別の理由でそうなっているのか判別が付かず、朧気な記憶を頼りに出口を目指す。


 先程の戦闘で吹雪は止んだかと思いきやそういう訳でも無く、それが気にならないほど集中していただけだ……依然として自然の猛威は絶賛稼働中だった。


「あそこ!」

 黒狐の声に視線を向ければ先程見かけた洞穴が在った。


 暫く逡巡した後、この吹雪で闇雲に進むのは危険と判断すると一目散にそこへ駆け込む。


(ふう……)

 外套を軽く叩き雪を落とすと、頭も振るって積もった物を落とす。


 洞穴はそこまで広いものでは無く、それを洞穴と言うのも烏滸がましい小さな横穴だった。


 人が三人も居れば窮屈で、これなら力を篭めて殴れば直ぐにでも同じの物を作り出せるだろう。


 しかしそんな場所でも風が吹き込む事は無く、地面も濡れたりしてはいない。


 身を隠すように奥へ進めば天井は徐々に低くなっており、そこに魔法鞄から毛布を取り出して敷き詰める。


 黒狐から何度も礼を言われるがいちいちそれに反応する訳にもいかず、寝かせるように指示を出すと入り口を雪で塞ぎ始める。


 上部に小さな穴を開けておけば中毒的な物は防げるだろうか……前世での不勉強がここに来て仇となった。


「あの……」

 下部にも同様の穴を開け終わると、不意に背後から声を掛けられる。


 振り返れば生まれたままの姿の二人が薄布に包まれており、窺うような視線をこちらに投げていた。


「君も早くこちらへ……体を暖めた方が良い」

 そう言って毛布を捲る様は慈悲深く、有無を言わさぬ誠実な瞳に気圧される。


 ここであたふたと慌てふためく方が無礼だろうか……善意から出た行動に邪な思いは微塵も感じられず、小さく頷くと装備を外し始めた。


 外套はそうでも無かったが何時の間にかシャツもズボンもしっとりと水分を含んでおり、脱ぎ捨てれば僅かな水音を響かせて地面に落ちる。


(……失礼します)

「ん……」

 素っ裸のまま頭を下げると再び隙間を開けられ黒狐の横へ潜り込む。


 亜獣人……なのだろうか。人と変わらぬ四肢に体毛は少なく、触れ合う部分から僅かな温もりを感じる。


 こんな事ならもっと布を用意しておくべきだった等と考えるが、手持ちの分ではこれが限界であった。


「暖かいな……子供だから体温が高いのか―――」

 納得するように呟く言葉に疑問が生じるが大剣が沈黙を貫く今、不思議と暖かさが増して来たように思う。


「その首飾りのせいなのか」

 言われて気付き視線を落とせば、牙の入ったペンダントが淡く輝いていた。


 その光の中にあの夜を思い出し、そっと握ると一際暖かさが増して行った。


 溶け込むように染み込むように、全身を包む暖かさに先程までの寒さが嘘のように感じられ、それは睡魔となって襲い掛かる。


 こんな急拵えの場所で眠ったりして大丈夫だろうか。そもそも怪物どもに寝込みを襲われるのではないだろうか……そんな考えを一蹴するように、目を開けているのが難しくなる。


「ふふ……ゆっくり眠ると良い。見張りは私がやっておく」

 ああ、そう言えばこの女性はC等級だと言っていたな……そんな事を思い出しながら二つの安心感に包まれ眠りへと落ちる。


 途端に反応しなくなった大剣の心配なども有るには有るが、それよりも今はこの睡魔をどうにかしなくては―――そんな事を思っていた。

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