第三十二話 ~獣王国の冒険者~

《第三十二話 ~獣王国の冒険者~》


 まるであの夜に身を寄せ合った時のように、それが起こるまでは安らかな気持ちで眠れていた。


 無論、その前に行った行為もその一助となっているのは言うまでも無いのだが……吹雪が止み、入り口の空気穴から陽光が差し込むとそれと共に雑踏が聞こえた。


 胸の間から瞬時に顔を出せば黒狐も気付いたようで、顔を少し上げて視線だけをそちらへ向けている。


 靴音は未だ止まる事なく続いており、規則的に動いては積もった雪を踏み締めているようだ。


 こういう時に熟練者であればその音から様々な情報を聞き取れるのだろうが、徐々に近付いて来る複数の個体くらいしか計れはしない。


(先に出る。追撃は任せた)

 手に記して上半身を起こすと、大剣を掴んで入り口の壁を蹴り飛ばして外へ。


「きゃあっ!」

 飛び出して振り返り、戦闘態勢を整えるとそこには三人の人影が有った。


(あれ……?)

 赤髪の女戦士に犬の獣人。もう一人は記憶に無いが、久方振りの再開に驚く。


「いたたた……助けに来たのに酷いですよ! って、きゃあああ!」

 尻餅をついていたパルがカーラに引き起こされ、文句を言うなり叫び出す。


「あら、どうやらお取り込み中だったみたいね?」


 黒いローブの女性はそう言うと不敵な笑みを浮かべ、洞穴の中と素っ裸の少年を見比べる。


 自身の姿を思い出し大剣に隠れると、カーラから外套を手渡された。


「久しぶりだな。色々と元気そうで良かったぜ!」

 そう言って快活な笑顔を見せ、にっと白い歯を覗かせる。


 周囲を見渡せばあの悪天候が嘘のように晴れており、空には雲ひとつ無い青空が広がっていた。


「それで、首尾は?」

 洞穴の前を整地して火を起こし、てきぱきと野営の準備を始めるパル。


 自分はと言えば直ぐに着替えを済ませ、先程の失態を取り繕うように寡黙に装備を整えていた。


「氷竜には手も足も出なかった……死の間際に、そこの坊やが私達を助けてくれたの」

 黒狐の言葉に無言のまま頷く。


「おお、そいつは凄いな! 相変わらず……って、やつなのかな?」

 言うなりわざとらしく周囲を見渡し、きょろきょろと何かを確認する素振りを見せるカーラ。


「あの可愛い嬢ちゃんは一緒じゃないのかい?」

 恐らくルピナの事を言ってるのだろうが、説明も面倒なので再び頷く。


 それで納得したのかは知らないが、素っ気ない返事をされてはパルに何かを耳打ちしていた。


「それで、貴方の目的も氷竜の魔石なのかしら?」

 黒ローブの女性にそう問われ首を傾げる。


「ああ、ごめんなさい。自己紹介がまだだったわね? 私の名前は『バーバラ』……貴方に魔法鞄を送った者、と言えば分かるかしら?」

 その言葉にぴんと来て、外套をめくって腰の鞄を見せる。


「大事にしてくれてるようで嬉しいわ」

 そう言って上品に笑う姿に、どこか初対面の頃のビオラを彷彿とさせる。


 互いに自己紹介を済ませた後、どういう事かと尋ねてみるとこの事件の原因は自分に有ったのだと思い知らされる。


 何でも数日前まで砂塵症に苦しんでいた人物が回復し、それを見た者達から……かどうか定かでは無いが、巷ではまことしやかな噂が流れ始めたそうだ。


「その中の一つにここの魔石の話があって、他の魔石の噂も有ったけどそれらは全然で……」


 高い等級の魔石を一体どうするつもりだったのかと尋ねてみたかったが、下手に喋るとぼろが出そうなので沈黙を貫く。


「しっかし氷竜なんてよく倒せたなー……竜種なんてB等級の怪物だろ?」

 カーラの言葉に皆の視線が集まる。


 あれでB等級だとすればそれ以上の存在が居るのだろう……出来るならやり合いたくは無いと素直に思った。


 今回の手柄は全てはバルムンクのおかげで自分自身の物だとは思っていない。

 そこまで言うと漸く耳鳴りは止み、上機嫌な音色を響かせ静かになった。


 音信不通の原因は恐らく大量の魔力を使用したためだろう……と思っていたのだが、先の行為は明らかに仕組まれたものだ。


 ある種の呪いのように自身の自由を奪い、全ての思考をそれだけに塗り替えるとは……グラムでもやらなかった強硬策に、少しだけ苛立っていたのは事実だ。


「相談なんだけど、氷竜の魔石を譲ってもらえないかしら?」

 バーバラの言葉に件の魔石を鞄から取り出す。


「勿論タダって訳じゃないわ。その魔法鞄の容量、大きくしたくないかしら?」

 見透かすようなバーバラの言葉に驚いてしまう。


 此度の迷宮で勉強になったのは自分ひとりでは出来る事が少ない事。仲間は大切だという事。事前の準備も大切だという事。この三点に他ならない。


 今回のような酷環境の戦闘ではその瞬間は乗り越えられたとしても、戦闘後のサバイバル能力が如何に重要かを身を以て知った。


 数日もすればカルーア達が戻って来るとは言え、その申し出は非常に有り難い物だ。


(譲るのは構わないが……何人分必要なんだ?)

 そう言って魔石をバーバラに渡す。


「五十人くらいかな……。お店の子と、孤児院の子達も居るから」

 そう言って黒狐……もとい『モカ』と名乗ったワンニャンのメイドが俯く。


 多目に見積もってあと四十ほど……これは手持ちを龍一に預けて魔石を工面してもらう方が早そうだと思った。


 自分の所にそう言った話が来ていないとすればゴードン達は隠してくれたのだろうし、こちらの意図を汲んでくれているようで何よりだと思う。


 しかしと言うべきかやはりと言うべきか……砂塵症の水薬をそのまま出せば面倒事に巻き込まれるのは火を見るよりも明らかだ。


(……二つ、条件が有る)

 和やかに食事の準備を始めていたパルを筆頭に、皆の視線が再度集まった。


(氷竜を倒したのはモカ達という事にしておいてほしい。それと、その魔石を病人に与えるのは二日くらい待ってからにしてほしい……かな?)


 二日で足りるだろうかと疑問に思いながら話したため、最後だけどうしても曖昧な感じになってしまう。


「そんな事で良いの?」

 バーバラの驚いたような声に頷くと


「絶対にエッチな要求をすると思ったのに……」

(んな事するか!)


 からかうようなバーバラの言葉の後にモカと目が合い、椅子代わりの丸太から地面へ正座すると頭を下げる。


「ちょ、ちょっと止めてよ!」

 冒険者だからと強がった台詞を鵜呑みにしてしまったのは事実だ。謝っても許されるものでは無い。


「はいはい。お喋りはご飯の後ですよー。ほら、ミルクさんも」

 パルの声に続いて洞穴から一人の女性が現れる。


 今まで眠り続けていた『ミルク』と呼ばれた女性は、ワンニャンで隣に座っていた店員だ。


 しっかりとした足取りで席に座ったかと思えば、未だ本調子では無いのか顔が少し赤いように見える。


「大丈夫か?」

 気さくに話し掛ける所を見ると顔見知りなのだろう。カーラの言葉に無言で頷いては何度か耳打ちをしている。


「あっはっはっは! 気不味くて起きられなかったって? そりゃあ傑作だ!」

 大声で笑うカーラとは対象的に、モカと自分の肩身は狭い。


「こりゃあパルの相手も―――」

「カーラさん! ご飯あげませんよ! ……それと、はい。女性がだーい好きなゼロさんも、ちゃんと食べて下さいね」


 笑顔のまま器を差し出すパルだが、普段とは違い青筋が浮かんでいるようにも見える。

 こういう時は黙る事にしよう。そう決めて器を受け取った。


 具沢山のスープはあの日に食べた味と良く似ていて、今日は少しだけ懐かしい記憶と共に思い出を楽しむ。


 腹から温まれば体も解れ始め、食後に全身を隈なく動かせばどこか不具合は無いかと入念に確かめる。


 手入れ用の布に水を染み込ませ、丁寧にバルムンクを拭いてやると両手で持ち上げ睨み続ける。


(……大丈夫そうだな)

 特別なにかを語り掛けて来る事は無かったが、それでもまだ疑惑の念は消えていない。


 納刀すると大人しくしているようにと念押しし、後片付けを手伝う事にした。


 あれだけの食材や調理器具をどこにしまっていたのかと思ったが、そんなものバーバラが居るのだから魔法鞄に決まっている。


 魔道具の制作は難しいとグラムは言っていたが、どうやら亜人種で無くともそういうのに長けている者は生まれるようだ。


「空間魔法は至高の魔法! その原理は未だ全てを解明されておらず、神の所業にも思える複雑高度な工程はもはやこの世界の理―――」

「……あんなんだけどB等級だから安心して良いぜ」

 そういう事らしかった。


 どうやら空間魔法という物に傾倒しているらしく、その全てを解明するのが自身の夢だとバーバラは言った。


 そんな所もどこかビオラと似ており、もしかしたら馬が合うのかも知れないなどと考えながら、この階層の報酬部屋を目指す。


 吹雪が止めば見付けるのも容易で、途中で出会した怪物たちはカーラ一向によって瞬殺されていた。


 バーバラもカーラも見た目どおりの戦い方で、驚いたのはパルもそれなりに動けていたという事実だ。


 どこかほんわかした雰囲気のパルが盾を構えて鈍器で殴り付ける様は……何故か言葉に出来ないくらい悲しかった。


 冒険者なのだから仕方ない。そう区切りを付けなければやっていられない。そう思いながらもそれが嫌でルピナと別れたのだ。


 理想を実現できる力は自分にもルピナにも無かった……だからと言って足を止める事は許されない。


 少しずつでも確実に一歩を踏み出す事しか、今の自分には出来ないのだから―――。


「ゼロさん?」

 心配顔のパルが振り返り名を呼ぶ。


 思い悩んでいた物を吹っ切るように頭を振ると、小走りに駆け寄って行った。


 報酬部屋は思った通りホクトのそれと大差無く、殺風景な室内に迷宮核がふわふわと台座の上に浮いているだけだった。


 試しに念じてみるが特に音沙汰は無く、この場の誰もが攻略済みという事もあって特典などは受け取れない。


 あの少年神を呼び出せるのであれば龍一やゲームの事についても聞いてみたかったのだが、忙しいのだろうと納得する事にした。


 その代わりに部屋の奥には金貨の詰まった宝箱が一つ置いてあり、ざっと見ただけでも三、四百枚は有るのではなかろうか……。


「これは君に。助けてもらって魔石まで譲ってもらったんだ、受け取って欲しい」


 それでは些か多すぎるような気もするが、あの店で散財すれば良いかと思い直す。

 カーラ達は龍一の依頼で来たので、そちらから十分な額が出ているそうだ。


 なんとも欲の無い事で呆れてしまうが、場所は違えど助けられた負い目なども関係している気がしてしまい、後日の飯代くらいは出そうかと考えていた。


(体調は……万全みたいだな)


 報酬部屋から出る前に各々の顔を見渡し、特に問題が無さそうなので上層を目指し行軍を開始する。


 相変わらず雪が膝上ほどまで積もっていたが吹雪いてないだけ有り難く、順調に帰り道を突き進む。


「リュウさんに相談……ですか? 分かりました。任せて下さい!」

 道中で龍一に言伝を頼み、自信満々にパルは胸を打つ。


 その様子にどうやら怒りは収まったのか、何時もの笑顔に胸を撫で下ろす。


「しっかしあいつの知り合いだったとは……世間は狭いねぇ」


 冗談交じりに溜め息を吐き、直後に笑顔を作るカーラ。それはこっちの台詞だと思い、その旨を伝えると三人は小さく笑った。


「あ、あの……!」

 そんな和やかな雰囲気の中で通路を進んでいると、後方から意を決したような声で呼び止められる。


 振り向けばそこに居たのはミルクと呼ばれた店員で、少し不安そうに視線を斜め下に落としては、礼儀正しくお辞儀をする。


「助けてくれて本当にありがとうございました!」

 突然の所作に驚き横を見ればモカも同様にしており、一体なにごとかと不安になる。


「此度の失敗は全て私の責任です。店長という立場にも関わらず従業員を危険な目に遭わせ、且つ他の冒険者様方のお手を煩わせてしまった事、深くお詫び申し上げます」


 突如開始された丁寧な謝罪に困惑していると、カーラ達はそれを真摯に聞き届けていた。


「尽きましては掛かった費用、魔石の代金、その他全てを全額返済させていただきますので、この事はどうか―――」

 続く言葉は無かったが、要は内緒にしておけと言う事だろうか……。


 元よりそのつもりで先程も話したと思ったが、念押しの意味合いも強いのだろうと思い頷いて先を急ごうとするも、二人は頭を下げたままの姿勢で動こうとはしない。


 その様子にカーラ達を見るも囃し立てるような仕草に自分からの言葉を待っているのだと気付き、どうしたものかと思いながらミルクの元へ歩み寄る。


 顔を上げ、恐る恐る覗き込む仕草を意に介さず、手を取ると一言だけ伝える。


「気に、するな……いえ、そういう訳には―――」

 反発するような声に黙ったまま首を振り、ゆっくりと深く頷いた。


 平時であれば冒険者の無謀な挑戦……そんな一言で終わってしまう事件でも、他人の為にと頑張っているのなら話は別だ。


 ましてやそれが孤児院という対象なら自身にも世話になった覚えが有り、どうしても他人事とは思えないでいた。


 そういう志を無駄にしたくは無いし、後味の悪い結果にだけはしたくないと思っただけだ。


 少しだけそこを運営しているという、ワンニャンのオーナーにも興味が湧いていた。


 そうして難無く迷宮を脱出すると、入り口の衛兵たちは無事を喜んでくれた。


 入った時の人数と違って大所帯になっているので何か言われるかとも思ったのだが、そこはカーラ達が上手いこと説明してくれたようで何よりだった。


「それでは私達はここで。ギルドへの説明はお任せ下さい!」

 笑顔のままパルが言うので共に行こうとすると


「待って。君はこっち……リュウちゃんに用が有るんでしょ?」

 そう言われてミルクに手を引かれ、連れて行かれた先は彼女達が勤める犬猫☆楽園だった。


 時刻は既に天辺付近となっており、酒場の中は人でごった返している。


「ちょっと待っててね」

 昨日よりも時間が遅いためか酔っ払いもかなりの数がおり、昨日にも増してかなりやかましい。


「本当にありがとう」

 不意にモカから声を掛けられ、共に待たされていた間の暇潰しを始める。


「今回ばかりは本当に駄目だと思った……まだ何も返せていないと言うのに、やはり女は男の影に隠れてなくてはいけないのかな……」

 突如はじまった独白の裏に、何となく苦悩の日々を感じ取る。


 魔法の有る世界ならば男女の性能差などはそれこそ魔法の力で埋められそうなものだが、幸い下手な男よりも強い女性たちと旅をしてきただけにその問題は自分にとって縁遠い物だ。


「すまない。こんな事を言っても君を困らせるだけだな……」

 俯き、今にも泣き出してしまいそうな儚さに当てられ、ゆっくり手を取ると言葉を書き記す。


「気に、するな―――って、ふふっ。君は良い子だね」

 何を勘違いしたか知らないが、考えに詰まっただけだとも記す。


(済まなかった。この謝罪は後日―――)

 モカの手の平にそう書いていると、頭を軽く叩かれる。


「それは良いって言ったでしょ? そりゃあ驚いたけどさ、あんな風に助けられたら私も……その……」

「おーい、準備できたわよー!」

 突然の大声に振り向き、ミルクの方を一瞥すると笑い合う二人。


「話の続きはまた今度ね。飲みに来るんでしょ?」

 その言葉に頷き、再び頭を下げてからミルクの元へと向かった。


 店内に掛けられた階段を上り、薄暗い通路を抜けて更に階段を上る。


 外観から想像していたようにどうやら三階建ての建物のようで、一番奥の部屋へ着くと扉をノックする。


「失礼します」

 他の部屋と同様の簡素な扉を潜れば、応接室のような部屋の奥に一際大きな机と人物が背を向けて立っていた。


「ある時は謎の商人! ある時は謎の常連さん! そしてある時は落ちこぼれ勇者……しかーし、その正体は―――」

(やっぱりか……)


 ばさりとマントを翻し振り向くと、そこに立っていたのは何の驚きも無い龍一が立っていた。


「この店のオーナー、我修院龍一にござる! ―――って、あれ? あまり驚いていないでござるな?」


 龍一の言葉に頷き、促されるままに応接セットのソファーへ座る。


「気付いてたでござるか?」

 その言葉に首を振り、龍一に会おうと思って来店したのにご丁寧に部屋の前にオーナー室と書かれていれば、そんなもの嫌でも分かる。


「だから言ったじゃないですか、普通に会いましょうって……」

 呆れたような口振りからミルクは知っていたのだろうか……店長という事らしいのでそうであっても何ら不思議は無い。


「おかしいでござるな……」

 ぶつぶつと呟いては着席する龍一を見て、もっと大げさに驚いた方が良かっただろうかと反省する。


 しかし今となれば納得できる部分も随所に見受けられ、先程の話もあってか目の前の青年に好感を持っているのは事実だった。


(これなら面倒も少ない……かな?)

 何より信頼が出来ると安心していた。


(話というのは他でも無いんだ―――)

 早速本題に入る為に水薬を取り出そうとすると片手を出され


「その前に! ……拙者の店の者を助けて下さったこと、感謝するでござるよ」

 その言葉にじろりとミルクを睨めば


「だって仕方ないじゃないですかぁ……オーナー以外には秘密にしますから、そんなに怒らないで下さいよぉ」

 と、弱々しく今にも泣きそうに訴えるのでそれ以上の追求は止めておいた。


「秘密にしろと言うのであれば墓場まで持っていく所存……しつこく聞いた拙者にも非はあるでござるよ」


 そういう事であればこれ以上は自分が口を挟むべきでは無いだろう……これから行う事の不利益にならなければ何でも良いかと思い直す。


(これを……)

 そう言って水薬瓶をテーブルに置くと二人の表情が一瞬で変わったのを見て、どうやらこれの中身を見たことがあるような素振りに無言のまま頷く。


(お察しの通り砂塵症予防薬……というか解毒薬というか、まあそんな所だ)

 解消薬と書いてあった気もするが、鑑定が出来るという龍一ならば勝手に納得するだろう。


(これの製造方法を売りたい。急ぎで必要な者がいれば手持ちから持って行ってくれ)

 そう言って残りの水薬をテーブルへ並べる。


「これはまた……どうしてこれを?」

 馴染みの語尾が無い所を見るとそれすらも忘れ驚いているのか、一冊の本を取り出し件のページを開いて見せる。


「これは……凄いでござるな……」

 解消薬のページをつぶさに見ては、時折ふんふんと鼻を鳴らして頷く龍一。


(その前に一つ聞きたい……砂塵症の薬ってのは、一体どういうルートで病人に届くんだ?)


 その質問に座りを直し、咳払いを一つすると神妙な面持ちで話し始める龍一。


「製造は主に神聖国で行われるようですな。拙者も詳しくは知らないのでござるが、完成品を一度王城へ納品。しかる後に配布……されるのでござるが―――」

 言い淀む龍一に首を傾げてみる。


「収入に応じた価格設定は次第に増えて行き、一年ごとにそれはどんどんと上がっていったでござる」


 聞けば今年は稼ぎの半分以上―――何とも暴利な話に思わず吹き出しそうになってしまう。


(もしかして―――)

「そうでござる。今言ったのはそれなりの稼ぎがある者……収入の無い者、収入の少ない者には決して手が出る事の無い代物にござる」


 最低価格でも設定されているのだろうか、こんな国家の一大事に王様とやらは何をやっていると言うのだろうか。


「風土病と言っても数年前までは普通に薬も流通して、何より罹る人数は今とは比べ物にならないほど少なかったでござる」

 龍一の言葉にきな臭さを感じ、英雄達への憤りを収める。


 ここに東大陸の勇者御一行様が立ち寄ったとすれば、なんでこんな問題を蔑ろにしたのだと憤慨したが、そういう事であればこれは……カルーア達の帰還を待った方が良さそうだと思い直した。


(事情は分かった。この製造を行える装置、または人物に心当たりは?)

 憤りを鎮めた所で龍一に尋ねる。


 とりとめて高価だったり希少だったりしない素材達も、その数が大量に必要となれば話は別だ。高騰していれば尚更だろう。


 自分一人で制作なんてのは到底無理な話で、これからの旅に必要な事でも無ければ誰かに丸投げしてしまう方が早いだろう。


「大きい装置でござるから製造が得意なドワーフと、素材から抽出と調合を行える魔術士や魔道具士の協力は必要不可欠でござろうな……」


 ちょうど最近その二人に出会った気がするが、そういう事であれば問題は無さそうかとも思う。


(分かった。それならそれで頼む)

「待つでござる待つでござる。これのレシピを売るというのは本気でござるか?」


 本気も何もそのつもりで今まで話していただけに、おかしな事を聞くものだと首を傾げる。


「これを手に国と交渉をすれば一生遊んで暮らせるだけの大金が手に入るのでござるよ?」

 信じられないとでも言うべき驚き顔で、若干心配するような素振りで発する龍一。


 国の一大事に颯爽と駆け付け、どこからか入手した解決策を与えて名誉を得る……考えただけで目眩がするほど面倒だった。


(人様の血税で私腹を肥やす趣味は無い……それに、前世では散々世話になった)

「前世……」

 龍一の呟きに小さく頷く。


 憤る部分も有るには有るが、感謝している部分が有るのもまた事実だ。


(家族の中にそういう者が居た。それに、そういう所は龍一も望む所じゃないんだろ?)


 そう言って指差せば真摯な眼差しを向けて頷かれ、これまでの功績からそういう奴だからこそ安心なのだと説明する。


「拙者はそんな……」

(謙遜しなくて良い。その若さでこれだけの事をやってるんだ……尊敬する)


 ミルクに聞いた話ではオーナーの龍一は稼ぎの大半を店の運営や、裏手の孤児院につぎ込んでいるらしい。


 ミルク達も元は奴隷だったそうで、そこを龍一に助けてもらってからは色々とその手伝いをしているとの事だ。


 何もない首元に二人の信頼関係が垣間見えた。


(話はこんなとこか……詳細は追って決める事にしよう。この手の話に詳しいのが年明けには帰還予定だ。武闘祭が終わるまでは居るみたいだから、まだ時間は有るだろう)

 そう書いて立ち上がり、バルムンクを背に納める。


「かしこまったでござる。時間がある時はまた共に飲むでござるよ」

 お猪口を傾ける仕草と共に龍一が微笑み、その笑顔にこくりと頷き返す。


 オーナー室を出て一階に戻るとこちらの姿を認めたモカが駆け寄って来る。


 少しだけ慌てた様子の彼女は複雑な表情をしており、言葉よりも早く胸に手を当て頭を下げた。


(この償いは後日……済まなかった)

 そう言い残し退店すると、急に後ろから外套を引っ張られる。


「待ってて!」

 急ぎ足でモカが再び店の中に消えると、暫くして出て来たのは普段着のモカだった。


 若草色のワンピースがどこかの誰かさんを彷彿とさせ、下ろしていた髪も一つに束ねられている。


 まるで狙ってやっているかのような所業に困惑するが、そんなものはお構い無しに


「こっち!」

 と言って、乱暴に手を掴み駆け出す。


(おい、どうしたんだ!)


 前を走るモカに問い掛けるも当然返事は無く、路地に入り只管に走るとぐるりと円を描くように店の裏手の裏手……孤児院の北側に在る一軒の建物へと到着する。


 アパートのような外観にまたしても昔の事を思い出すも、手を引かれ有無を言わさず中へと入れられる。


 慣れた足取りで似たような扉を通り過ぎ、階段を上がって直ぐの部屋へと案内された。


「入って」

 言葉数少なく説明も無いまま付いて来て、流石に困惑の色を隠せずに居ると背中を押されて押し込まれる。


 部屋の中はあの日に見たものと良く似ていて、玄関から先は板張りのフローリングとなっていた。


 狭い玄関部分で扉を締めたモカと向き合い、お互いの視線が交わると漸く口を開く。


(どういうつもりだ?)

「どういうつもりって……ちゃんと話したかったの!」

 不機嫌そうにそう言っては靴を脱ぎ、スリッパを用意して上がるようにと促される。


 渋々と付いて行く前に外套と装備類を脇に置き、扉を一枚隔てた部屋の中へ。


 ワンルームのようなそれほど広くない部屋の中には意外にも可愛らしい調度品が飾られており、慣れた足取りでベッドに腰を下ろすモカ。


 冷静さを取り戻すように小さく息を吐き、呼吸を整えると再び見詰め合う。


「気にしてるみたいだから教えてあげる……私達獣人種は、常に強い雄を求めているの」

 真っ直ぐな視線とともに飛んで来るモカの言葉に頷く。


 それは獣人種の特性で有り、強さこそが正義なのだという単純明快な物だ。

 交際や求婚の類も、それ相応の力が無ければ成立しないというのはリアモに居た頃に学んだ事だ。


 しかしながら当然そこには作法や礼儀と言ったものも存在し、正式な手順を踏んでこそ周囲に認められるとも書かれていた。


「そうね。でも……どんなものにも例外は存在する」

 モカの眼が妖しく光り、その先の言葉を待った。


「恩には恩で、命には命で報いるのが闇狐族の……ううん、獣人達の掟よ」

 何だか美味しそうな名前だと呑気に考えていると、突然耳鳴りが聞こえ始める。


 それは奥底に眠る本能を呼び覚ますような音色で、聞こえるなり体の芯が熱くなっていくのを感じた。


 次第に頭の中には欲望が渦巻き、徐々に切り替わっていく思考に体の自由までもが奪われていく。


 あの洞穴で感じた強烈な衝動は気の所為では無く、間違い無く自分の後方……あの大剣から発せられているものだった。


 頭の中で聞こえる筈の無い声が聞こえる……それはグラムの声にも似ていて、一つ、また一つと積み重なる度にどうしようも無く目の前のモカに飛び付きたくなってしまうのだ。


「大丈夫?」

 暴れそうになる腕を必死に押さえ付け、落としていた視線を戻せば目の前にはモカが居る。


 屈み込み、心配そうな表情のモカを組み伏せ、衣服を破り捨て、本能のままに襲い掛かれと尚も頭の中の声は鳴り止まない。


 警鐘の音色が混ざり合い、かつてない程に頭の中が煩い。

 複雑に絡まりあった回線は収束する事無く好き勝手に鳴り響き、それだけで頭が割れそうになるほどの痛みを伴った。


「んっ―――」

 それから逃れるようにモカの唇を奪えばすっと痛みが消え、室内に響く淫猥な音に徐々に高まっていく己の情欲を自覚する。


 顔を離して体を抱き上げ、ベッドへ降ろすと馬乗りになり見下ろす。

 顔の横に手を突いて見詰め合い、およそ自分らしからぬ所作に違和感が拭えない。


 頬を染め、潤んだ瞳に見据えられ、濡れたような唇が導く言葉を吐いた瞬間……右手の拳が頬を貫いた。


 その衝撃でベッドから転がり落ち、派手な音を立てて頭を打ち付けるとよくやったと称賛を送る。


「だ、大丈夫!?」

 先程とは違う心配の声に、立ち上がると頷き玄関の大剣を睨み付ける。


(何度も好き勝手に出来ると思うなよ)

 それは紛れも無く自分とリュカの魂の反抗だった。


(うちの新入りが無礼を働いて済まなかった)

「新入り?」

 モカの言葉に頷きこれまでのあらましを掻い摘んで話す。


 口が軽くなったのは言い訳の為か、面影のせいか……。


(雪洞の件も申し訳ないと思ってる……本当に―――)

 そこまで話すと唇を人差し指で押さえられる。


 気付けば二人共ベッドに腰掛けており、優しく微笑むモカがあの日のルカを想起させた。


「謝罪は要らない。何度も謝られると、あの時の事を後悔しているのかなって思っちゃうんだけど……」

 いじけたような仕草を交えつつ、モカがそう言うので首を振る。


「ふふっ。冗談よ。君は本当に優しい子だね」

 その言葉には返答に困ってしまい、視線を逸らし俯いてしまう。


「それなら―――」

 そう言ってモカは横になり、頬杖を突いて挑発的な視線を送る。


「今度は自分の思いで、私を求めて?」

 酷く魅力的な台詞だが、気を遣わせない為なのか無理をしているのが丸分かりだ。


(……さっきも言ったが、この身体は見た目通りの年齢じゃない。今の俺はモカよりもずっと年上だ)


 溜息混じりにそう言うとモカは目を丸くし、ふっと優しい笑みを灯す。


「それなら大丈夫。私も同じよ? 君と同じで……ううん、もっと年上。そんな年上じゃ嫌?」

 その言葉に驚くと共に、よくよく考えればそれも嘘だと見抜けなかったのは状況によるものだろう……そう思いたい。


 見た目だとか年齢だとかは自分には関係ない……相手が本当に望んでいるのかどうか。それが、それこそが重要なのだ。


「そんなに考え込まないで。今この瞬間、大事なのは言葉じゃない……でしょ?」

 そう諭され眼前に迫るモカを前に、半ば襲われる形で覆い被さられる。


 一瞬だけ耳鳴りが響き、呆れるような音色に悪態を吐けば優しい香りの奥にほんの少しの陽だまりを感じた。

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