間話休題 ~青い瞳のエルフ~

《間話休題 ~青い瞳のエルフ~》


 暗がりの中、一人で火を見詰めていると幼い頃を思い出す。

 それは今より貧しく、幸福とは程遠いものだった。


 日に一つのパンを幼い姉と分け合い、只管に労働力としての生を全うするものだと思っていた―――そう、あの日までは。


「なんだ貴様ッ! ぐふッ!」

 牢屋の外で看守が叫ぶ。


 素掘りの牢獄には自分と同じ亜人種の子供たちが所狭しと身を寄せ合い、訳も分からず怯えていた。


 暫くして鉄扉の錠が外されると、そこに現れたのは一人の浅黒い肌をしたエルフだった。


「声を出すな。今からお前達を助け出す。気付かれないよう細心の注意を払え」

 薄暗い室内に厳しい声が響く。


 明かり取りの窓からは月光が差し込み、それを受けて銀色の髪と瞳が照らし出される。


 当時は恐ろしくすら見えたあの情景も、歳を重ねた今―――それは―――。


 私達はどこから来たのか。

 私達はどこへ行くのか。

 私達は何者なのか。


 私が私という存在を認識してからその疑問が尽きる事は無く、食事中も、労働中も、睡眠前のひと時でさえ、頭の中に残り続けた。


 常に寄り添っていた自分と瓜二つの顔は家族の証なのか……何の確証も無いまま私達はエルフの国へと保護された。


「そんなもの私にも分からないわよ。でも―――」


 エルフの国で過ごす初めての夜。あの劣悪な環境とは比べ物にならない待遇を前に怖気づくと、不意に不安を溢してしまった。


「自分の人生よ……自分で決めなさい」

 そう言ってお姉様は優しく微笑んでくれた。


 突如として現れた無数の道を前に、何者にも成れるという自由を前に私達の目には一つの道が煌々と照らし出されていた。


 貴女の為に生きたいです―――と。


 てっきり喜んでくれるか、はたまた甘く見るなと叱責されるかと覚悟もしたのだが、目の前の小さな少女からは


「そう……」

 と、素っ気ない言葉しか返ってこなかった。


 思えばあの頃のお姉様の瞳には只一人しか映る事は無く、その胸中を満たす全てがリティシア様への想いだけだったのだろう。


 行き急ぐように武功を立てては名誉を勝ち取り、自身の命を秤に賭けてはその身を削り勲功を貪る……その姿は正に修羅の如く、国内でも度々問題となっていた。


「ふざけるな! 貴様一人の独断でどれだけの者に迷惑を掛ける気だ!」

「……お言葉ですが隊長殿、私が出なければもっと被害が増えていたかと―――」


 当時の警備隊長とも口論は絶えず、その結末は全て口汚く出生を罵り切り上げられる……そんな毎日だった。


 良くも悪くも私達三人はどこか似ていて、その思いや行動原理も通ずる物が有るのだ。


 お姉様はリティシア様の為に。私達はお姉様の為に……そう、全てはあの忌まわしき古き因習を滅する為に……。


 しかしそんな思いとは裏腹にひょんな事からそれもあっさりと解決してしまい、あれがお姉様にとっての転換期になったのは言うまでも無い。


 東の勇者レイジ……その出自や目的は全てが謎に包まれていた。


 直接目にした訳では無いが酷く女癖が悪く、英雄という扱いを受けてからは更に輪を掛けて豪放に振る舞っていたらしい。


 長く続くエルフェリアの歴史書にも東大陸の記述等は無く、そもそも外洋に出る事すら適わないというのに彼等はどこから現れたのか……その全ては今も謎のままだ。


 それでも彼等が英雄という事に変わりは無く、各地で世直しのような逸話を作り続けては魔王を討伐したのは有名な話で、絵物語のような様々な出来事は脚色されて歌にもなっている。


 子供ならばきっと、誰でも知っている話だろう。


「子供……」

 ぽつりと漏らした言葉に一人の少年の顔が浮かぶ。

 初めて対面した時は彼と同じで緊張したものだ。


 身動きの出来ないお姉様を救いに行く事が叶わず、歯痒く思っている私達の第二の救世主……それがゼロ様だった。


 見た目の幼さとは裏腹にどこか大人びていて、迷いながらも言葉数少なく気を遣っている……それが彼の第一印象だった。


 例えどれほどの醜漢が来ようとも覚悟はしていただけに、その点についてはほっと安堵したのも事実だ。


 私の体はこの時の為に作られたのだろう……素直にそう思える程だった。


 結果としてその役目はルピナ様に取られてしまったのだが、あの顔を見てしまっては口を挟める者など居ない―――同じ女として羨ましくもあった。


 凍りつかせて捨て去った筈の感情に戸惑いを隠せず、只管に戦士としての役目を全うする筈だったこの身にまさかそんな事が降り罹るとは思わず、その日は珍しく眠りに就くのが遅くなったのを覚えている。


 鍛錬を続け、折り重なった知識を学び、ただただ技術を学び続けた毎日。


 お姉様の役に立つ事こそ至上の喜びと信じて疑わなかったこれまでの日々は、自分にとっての捨てきれない部分で無情にも突き付けられてしまった。


 そんな思いを察知されてしまったか、焚き火の奥のテントが揺れる。


 中から出て来たのはあの日と変わらぬ姿をした少女……銀髪のダークエルフだった。


「そろそろ交代かしら?」

 態とらしく眠そうに目を擦りながら這い出てそう言い、片手を天に向けて背伸びをする。


 初めて見た時と変わらぬ華奢な体は何処を持っても容易く折れてしまいそうで、薄い体付きは適度に引き締まっている。


 弓術を尊ぶエルフにしか理解の及ばぬその体躯は長い歴史の中でも二つと無く、その全てが芸術品のように美しかった。


「どうぞ」

「ん、ありがと」


 目の前でカップを両手に持ち、自らの吐息でふうふうと冷ます少女……本当にお姉様は変わられてしまった。


 以前は他者を寄せ付けない抜き身の刃のような緊張感を纏い、目に映る全てを憎み、この国の全てを壊してしまいそうな危うさが有った。


 どちらがという訳では無いが、私は今のお姉様が好きだった。


「悩み事?」

 カップを置いたカルーアの言葉に一瞬躊躇して首を振る。


「そう……」

 優しく微笑んでは再度淹れたてのお茶に口を付け、無言のまま数度頷いてくれる。


 静かな森の中で焚き火が小さく音を立てる。その無言の時間が訪れると、どうしても脳裏に浮かんで来るのはあの少年の事ばかりだ。


 今は何をしているのだろうか。

 今は何を思っているのだろうか。

 もしかしたら先に旅立ってしまっているのでは無いだろうか……そんな不安にも似た感情が胸中を支配する。


 ふっと笑みを溢し有り得ない妄想を一蹴すると、それでも人誑しと教えてもらった彼の事だ……新たな宿敵の一人や二人は作っているかも知れない。


 だとしたら自分はどうするべきだろうか。


 お姉様のような美しさは身に付かず、せめて所作だけは真似しようと淑女の真似事をしてみても、日々成長を続ける身体までは制御が出来なかった。


 弓を扱える身体にしたいと相談した時、静かに……それでいて厳しく叱られたのは良い思い出だ。


「勝手にやらなかった事は褒めてあげる。どうしてもって言うなら反対もしない。でもね、真似をしたいだけなら止めておきなさい」


 弓術に対して特別な思い入れが有った訳では無く、それこそ憧れだけで道を狭めていただけの自分達には目の覚める言葉だった。


 そんな幼い頃の思い出に再び笑みを溢せば何かと思わせぶりな顔が目の端に映り、口を結んではその両端が僅かに動いている。


「……なんでしょうか?」

「べっつにー」


 そう言っておどけては含みの有る笑顔で声を殺して笑う。からかわれるのは何度目だろうか。


 出会った頃からは想像も出来ない現状に、きっと昔の自分が見たら腰を抜かすのではないろうか……そう思わずには居られなかった。


「他種族との結婚は楽じゃないわよ?」

 まるで実体験のように感情を伴った言葉を吐き出すと、どこか遠くを見詰めて物憂げな表情を浮かべる。


 それはかつて自身が仕えていたリティシア様の事を言っているのだろう。


 旅先でどんな経緯が有ってどういう過程で愛というものを育んだのか……それを知る術は皆無だが、今の自分には朧気ながらも何となく分かる気がする。


 苦楽を共にすればそれだけ理解が深まり、長く過ごす時間の中でそれが信頼から愛情へと変わる事も理解している。


 相手を深く知れば知る程その先を見たくなり、自分の中に残る欲深さに戦慄した。


「それで良いのよ。私は嬉しいわ」

 全てを見透かしたような言葉に、あの日聞けなかった言葉が溢れる。


「もう怯えているだけの子供じゃないのよね……妹の成長は嬉しいわ」

 そう言って微笑む顔はリティシア様によく似ていた。


 他種族との婚姻……その事について書かれた絵本は確かに有る。


 陸地を分かつ大河の由来にもなったその絵本は、つまるところ悲恋を題材とした他種族婚についてのものだ。


 何十年という月日は人を変えるに余りある時間で、それは外見……容姿についても同じ事が言える。


 必ず戻ると約束してから月日は流れ、屈強な青年を老人へと変えてエルフの女は気付かなかった。


 人族の男はその様子から自分が恋人だと言い出せず、大河の前で嘆き続けて絶命する……それはまるで分かたれた陸地のように近くて遠い、思いの果ての物語―――。


 今にして思えばあの絵本の作者はエルフでは無かったのだろう……魔力視の有るエルフにとって外見の差異などは有ってないようなもので、魔力というのは一人一人違うのだ。


 その特性を知らなかったという事は種族の特性のみを見聞きした誰かが面白おかしく仕立て上げ、絵本用に脚色したのだと考える方がしっくり来る。


 それに対して好意的に描かれていたのは『小さな恋の話』という絵本だ。

 あまり人気の有る本では無く、多分に漏れず私もその中の一人だった。


 女エルフから求愛を受け、人族の男がそれを断る。

 理由は良くある『生きる時間の違い』というもので、ここ最近でも警備隊の誰かがそのような事で悩んでいると、給仕係の者が噂していた。


 女の方はそこそこ良い家柄で、人族との恋を両親に打ち明け反対されてしまう。

 男の方は平凡な人族の家柄で、自信の無さから何度も女の求愛を断っていた。


 そうして紆余曲折を経て一緒に暮らす事となり、男の髪に白髪が交じる頃ようやく折れるのだ。


 意味が分からなかった。


 承諾するのならもっと早く決断をするべきだと思うし、女エルフが感極まって涙を流すのもどこか大袈裟に、嘘っぽく見えた。


 最後は男の死を看取り、感謝の言葉に女エルフが涙を流す。出会った頃と変わらぬ姿で―――そんな結びだった気がする。


 幼心にやはり意味が分からなく、自分の伴侶となる人物となればやはり同種のエルフが相応しいと、心の底からそう思っていた―――あの日までは。


 今ならば女エルフの気持ちは手に取るように分かってしまい、それが自身の恋心だと気付いた時には少なからず動揺してしまった。


 容姿は勿論大事だろう。それのみに心血を注ぐ人族はとても多く、何時までも若々しいエルフという種族は度々亜人狩りの脅威に晒されている。


 それ故に年老いてからの結婚という事に理解が及ばなかったが、こんな話をしたら彼はどういう答えを返してくれるのだろうか……それを考えるとどうしても口角が上がってしまう。


 きっと悩みながらも何時もの調子でわざと素っ気なく、ぶっきら棒なようで優しい言葉をくれるに違い無い。


 あれだけ息巻いたとしても徐々に見せる優しさを前に、悪戯心にも似た嗜虐心が顔を覗かせるのは仕方の無い事なのだ。


「随分と御機嫌ねぇ?」

 そう言って顔を覗き込まれ、崩していた表情を瞬時に戻す。


「申し訳御座いません……勝手な事をして」

「なにが?」

「お姉様はてっきり、ゼロ様の事がお好きなのかと……」


 その言葉に目を丸くし、途端に激昂するカルーア。


「はあああああ!? どぅあれが誰をなんですって!? ……あのねぇ、私の好みは大人で余裕の有る男だって、何度も何度もなーんども言ってるでしょ!?」

「その割にはあの時、息がぴったりでしたよね?」


 猫人族の町での出来事を指摘するとふっと溜め息を一つ吐き、少しだけ物悲しそうな表情を浮かべては視線を落とす。


「あんた達なら分かるでしょ?」

 と―――。


 その言葉に小さく頷きかつてのカルーアを思い起こせば、似た者同士だった過去を重ねてしまう。


 子供で意固地で我儘で、生き急ぐように歩みを止めず、周りの言葉に全く耳を貸さないかつての姉……。


「そこまで言えとは言ってないんだけど……」


 少しだけ不満顔を浮かべて冗談っぽく言う辺り、きっぱりと過去の悪習とは決別できたのだろう。その横顔はどこかすっきりと見えた。


 他種族との恋。晩年の思い。生きる時間の差異と、風習の違い……その全てにおいて今では理解が及ぶものの、そうした頭で考える事の無い確かな思いが胸の内に確かに存在する。


 私もあの絵本の主人公と同じ―――あの人の心が欲しいのだ。


「ホントにご執心ね。お熱い事で結構結構」

 その様子を眺めては途端に茶化す姉。


 しかし次の瞬間には顔に真剣味を浮かべ、普段よりは幾らか低い声色で釘を刺す。


「本気なら止めはしないけど……覚悟はしなさいよ?」

 その言葉に無言のまま頷き、短い言葉の中に含まれる様々な感情を感じ取っては嬉しさで泣き出したくなる。


 ルピナ様が居られる以上、私が正妻に選ばれる事は不可能だろう。


 二人ともああ言ってはいたが傍から見れば相思相愛で、それは余人の入り込む隙間が無い程に強固な物だ。


 だとすれば自分はどうしたいのか……聞けば人族の街にもそれなりの仲を持っている女性は多く、その全てを振り切ってまでリュカ様の蘇生を願う彼の何に成りたいと言うのか……。


「それは自分で決めなさい」

 半ば諦めたような口調で諭し、溢すように叱られる。


 きっとここからが正念場なのだろう。そう思い自分自身に喝を入れると、奮起して立ち上がり交代の旨を告げる。


「ん。しっかり休むのよ」

「はい。失礼します」


 折り目正しく頭を垂れてテントの中に入ると、そこには自分と同じ顔をしたもう一人が小さな寝息を立てていた。


 子供の頃からあまり変わったと感じない横顔はどこか幼く、普段の凛とした雰囲気は一切感じられない。


 自らの弱さが招いた悉くを、思えば随分とこの背中に庇われて来た。


 だからこそこうして芽生えたこの思いは誰の手も借りず、自らの意思で進めたいと思っていた。


「話は終わったの?」

「うん……」

 背中合わせに寝そべれば不意に問い掛けられ、言葉少なく返事をする。


「まだ私は許した訳じゃないわ。でも……ううん、なんでもない。しっかりやりなさい」

「……うん。頑張るね」

 背中越しの会話に再び決意すると、眠りへと落ちるべく尽力する。


 先程からの会話のせいか頭の中は様々な事柄で満杯だったが、それでも何とか区切りを付けて目を閉じる。


 閉ざされた空間に居るとふとあの日を思い出し、庇うように立ちはだかる姉越しに見えた神々しい姿を瞼に浮かべた。

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