第三十三話 ~年末年始と女神様~

《第三十三話 ~年末年始と女神様~》


 異世界にて初めて迎える新年三日目……その日もまた、普段と変わらぬ怠惰な日々を過ごす予定だった。


 初めてモカの部屋を訪れたのはどれくらい前だったか、それからというもの何かに付けては色々と世話になっている。


 この世界の当たり前が分からない自分にとっては有り難い存在であり、弱みに付け込むようで少し卑怯な気もしたが……到底抗えるものでは無い。


 こうして少し悩む部分を発露してはその度に頭を振り、己の弱さと女々しさを払拭するとバルムンクから愉快そうな音色が響くのだ。


 あるであの頃のやり取りのように顔をしかめ、朝の日課を終えてからシャワーを浴びた。


 熱い湯で汗を流せば次第に頭も冴え、両頬を思い切り叩くと気持ちを切り替える。


 この世界ではそれまで当然のようにあった年末の催事等は無く、恋人達にとって重要な聖夜も、厳かな夜空に響く鐘の音も聞こえない。


 これまでの習慣で末日に蕎麦を啜ってはみたものの、異国情緒溢れる街並みではそれもどこか薄ら寒いものだった。


「郷に入りては郷に従え……ですな」

 店を出て隣を歩く龍一が愉快そうに呟く。


 案外同じ思いだったのだろうが、それでも龍一は毎年恒例でこの日の夕食は蕎麦と決めているらしい。


 自分と同じでつくづく日本人らしい感性に辟易してしまうが、その横顔はどこか物悲しそうに見えた。


 いくら好きなゲームとこの世界が似ていると言っても、おいそれと気軽に帰る事も出来ないのだ……その感情は致し方ない物だろう。


 年末が終わればこの世界特有の月……無月へと入り、五日間の準備期間を経て新年を迎える。


 この五日間はどの国のどの街の人間も休息や休業を取るようで、それを事前に知らされていなければ間違い無く飢えに苦しんだ事だろう。


 全ての店舗が休業してしまうとそれこそ自分のような人間が出てしまうので、そこは持ち回りで日毎に営業する店舗が交代するようになっていた。


 その時の街並みを見て思ったことは、この無月こそが本当の年末なのだろう。

 住民の顔はどこか晴れやかで、国中に蔓延した空気がそう感じさせた。


 のんびりとした空気を纏えども冒険者と怪物にそんなものは何の意味も成さず、何度か街の防衛を行ったり、カーラ達と迷宮探索へ出掛けたりとそれなりに充実した毎日を過ごしていた。


 簡単な採取を行う為に龍一に同行して少し足を伸ばしてみたり、それを元に水薬を作ったりとやる事は存分に有った。


 残念だったのは龍一が戦う姿を一度たりとも見る事は無く、怪物が襲い掛かって来てもそれを撃退するのは何時も自分やカーラ、モカ達従業員の役目だった。


「こここ、怖いでござるぅ……」


 そう言って幌馬車の中でうずくまる龍一に溜め息を漏らすが、人には得手不得手が有るのもまた事実……その為に呼ばれているのだから不満は無い。


 しかしそうした弱気な態度を見せられては本当に今までよく無事だったなと思ってしまい、柄にもなく心配してしまう。


 幸いにもカーラ達のような冒険者と繋がりが有ったから良かったものの、そうでなければ今頃どうなっていた事やら……。


「拙者、人を見る目だけは有るのでござるよ!」


 そう言って胸と腹を張る姿はどこか誇らしげで、疑念の眼差しにバツが悪そうに頭を掻いていた。


 水薬と言えばあの件では本当に色々と問題が山積みで、一つは商業ギルド。もう一つはその大きさだった。


 ゴードンに頼みに行けば二つ返事で作ってくれる事になったものの、次の日には家と見間違う程の大きな物体が組み上げられていた。


 ここで話が終わればまあこういう物かと納得も出来たのだが―――


「これと同じ物があと百は要るらしいな……」

 街外れの作業場で嬉々として制作を続ける鉱人が一人。


 ゴードンの友人らしく、彼もまた物作りが趣味な同好の士だと言う。

 ゴードンと違うのは武器や防具にはそれ程の興味は無く、こういった巨大な装置を作り上げるのに至上の喜びを感じるタイプらしい。


「おう、おめえが今回の依頼者か! ありがとよ!」


 訳も分からないまま礼を言われてしまい困惑すると、隣でゴードンが溜め息を吐いていた。


 土地の広さとしては申し分ないのだが、ここまで大きいと次は破損の方が気掛かりだろう。


 目立てば怪物の脅威に晒される事は明白で、四六時中見張っているのも中々に骨が折れるに違い無い。


 あまり興味の無かった武闘祭だったが優勝者には褒美が与えられるらしいので、この件を嘆願するのも良いのかも知れないと思った。


 制作費を受け取らなかったゴードンの代わりに娘へ先日の宝箱を預け、その日は帰路へと着いた。


 知識の無い自分がいくら悩んだところで名案が浮かぶ筈も無く、この魔法鞄の制作者やカルーア……トウとキビに頼るのが一番良い気がしたのだ。


 制作の進捗を確認すればその次は販路の確認に商業ギルドへ龍一と共に訪れ、現品をカウンターの上に置くと状況が一変した。


「これは……貴様、これをどこで手に入れた!」

 人族の受付嬢がそう叫び、そのあまりの形相に驚いた。


 人はここまで醜悪な表情が出来るのかと、かつての女武闘家を思い出し心に暗い火が灯る。


「これはたまたま手に入れた物でござって……」

「嘘を吐くな!! 貴様のような三流商人ごときがこれを手に入れられるなど……!!」


 尚も顔を醜く歪ませ、受付嬢は龍一を口汚く罵る。


 どうやらあの時に見せた表情の原因はコレのようで、商業ギルド内での龍一の評価は驚くほど低いらしい。


 気付けば大剣の柄に手を掛けており、頭の中を支配する無数の音色に意識が飛びそうになる。


「なんだクソガキぃ……それで脅してるつもりか? どうした! 早くやってみせろ! その瞬間に貴様等は犯罪者として手配され、貴様も! 貴様の店も! 従業員も! 薄汚い孤児達も纏めて処分してくれる!」


 沸々と湧き上がる怒りはその言葉で頂点に達し、柄を思い切り握り締める。


 背後から襲い掛かる声が頭に響き、その全てが目の前の女を、周囲の人間を、この建物を、区画を、街を、世界を、全てを壊せと囃し立てる。


(っるせえ!!)


 その言葉を振り払うように最後に柄を砕く勢いで握り、ゆっくりと手を離す。肩に置かれたこの手が無ければ今頃ここは血の海になっていた事だろう。


「どうした? それで終わりか? 御大層な物を背負っていれば怖気づくと思ったか? そんな物、こっちは見慣れてるんだ……舐めるなよ、クソガキぃ……」


 身を乗り出しながらも煽る言葉は尚も止まらず、鏡を見ずとも額に血管が浮かび上がっているのが分かる。


 総毛立つ感覚が自身の怒りに比例して次第に強さを増して行き、このままでは二の舞いかと思った次の瞬間、扉の奥から初老の男が現れる。


「何事ですか? おや……それは……」


 カウンターの上に置かれた水薬瓶に目を留めると、それを片手に持ち眼鏡を上げる仕草をする男。


 糸のような細い眼が少しだけ開くと

「この水薬は……」

 と、小さく漏らした。


 すかさずそれを龍一が奪い取り

「どうやら交渉は決裂のようですからな。また日を改める事にしたいと思いますぞ」

 そう言って後方へと後退りし、愛想笑いを浮かべて一目散に脱出する。


 姿が見えなくなればどこかから漏れるような笑い声が聞こえ、嘲笑うような声にその場に居た全員の顔を目に焼き付け商業ギルドを後にした。


(まあ他にも方法は有るさ)


 帰り道で謝罪を繰り返す龍一を慰めるべくそう言って頷き、どうしたもんかと頭を悩ませていた。


 これで儲けようという気持ちが無い以上、販売方法などどうでも良いのでは無いかと思ったが無許可の営業は色々と問題が有るらしく、一応の訪問は後で色々と役に立つのだと龍一は言う。


「子供たちの為にも、あまり後ろ暗い事はしたく無いのでござるよ」


 やり方としては結構ぎりぎりだと思うのだが、そうした志はとても潔い物に見えた。


 同じ頭を悩ませるでも自分のそれとは随分と違い、そうした気持ちになるのは至極当然なのだが……カルーア達の帰還をこれほど切に願った瞬間は無かった。


 話に出ていた孤児院にもこの日に初めて訪問し、塀に囲まれた敷地の中には広い庭と二棟の建物。


 どこか後進国の学校のような造りに、龍一の試行錯誤が随所に感じられた。


「あまり立派な物では無いのでござるが……」


 そう言って照れ臭そうに謙遜する龍一に首を振り、ここまでの事を成すのにはどれほどの労力を注ぎ込めば良いのだろうか……。


 正に百聞は一見に如かずの言葉通り、目から入る情報はその人の慈悲までも感じさせられる。


「あっ、リュウちゃーん!」


 門扉を開けて敷地内に足を踏み入れれば一人の少女が龍一を見付け、叫びながら一直線に向かって来る。


「ぐふぅ!」

 そのまま腹に突撃されるように抱き着かれ、うめき声と共に優しく受け止める。


 それを合図に人集りが出来れば、矢継ぎ早に質問が飛んで来る。


 その全てに答えてやりたい所ではあったが、声が出せないと分かると悲しそうな顔をさせてしまった。


「お前が例の冒険者か!」

 そんな折に後方に控えていた背の高い男の子から問い詰めるような声が発せられる。


 人混みを掻き分け、値踏みするような視線で全身を舐めるように見渡せば、ふんと鼻を鳴らして挑発するような笑みを浮かべる。


「なんだかあんまり強そうには見えねえな……噂話には尾ヒレが付くって言うもんなぁ?」

 少年の言葉に思い当たりが有りすぎて悩んでしまう。


 この年頃特有の背伸びしたい気持ちは理解できなくも無いが、それでも武器を携帯している人間に取る態度では無い。


 拳を握り締めると拳骨の一つでも落としてやろうかとした瞬間、どこからともなく現れたモカが少年の頭上に自身のそれを落とした。


「冒険者に舐めた口を利くんじゃないよ!」


 頭を抑えてうずくまる少年と顔を突き合わせれば屈み込み、説教をした後に優しく抱きしめるモカ。


 それを恥ずかしそうに振りほどいては捨て台詞を残し、一目散に逃げ出してしまう少年。


 再び立ち上がったモカが困ったように視線を向けて来る。


 そんな光景を目の当たりにすれば自分から特に何かを言える訳でもなく、目を閉じてゆっくりと頷いた。


 その後は孤児院の子供たちと遊んだり昼食を御馳走になったりと、これまでに無いほど穏やかにその日を過ごした。


 そしてとある日―――雲一つ無い青空から水滴が鼻に落ちると、不思議に思いながらも歩を進めていれば


「よう。久しぶりだな」

 顔を上空に向けていた一瞬の内に、目の前には一人の男が立っていた。


 全身を黒のローブで覆い、およそ仇敵としてにつかわしくない口調でゆったりと挨拶を交わしてくる。


 咄嗟に距離を取れば愉快そうに目を細め、肩を揺らして笑っているのが分かった。


「そんなに警戒するな。何もしやしないさ」

 その言葉がどこまで本当なのか、布で隠された口元からは判別が出来ない。


「武闘祭の登録は済ませたか?」

 その言葉に頷くと再び小さな笑い声を発する男。


「そいつは何よりだ……優勝者には褒美としてどんな願いも叶えてやると、ここの王はそう嘯いているらしいからな」


 かつては新王を決める為の祭りだったらしいが、それが何時の間にか王と民の娯楽になっているのだと男は言った。


「ま、獣王に勝てる者などそう居はしないのだが―――」

 そう言って一瞬の内に背後へ音も無く移動し

「楽しみにしているぞ」


 そう言い残し、後にはその気配さえ残さず消えていた。


(なんだってんだ……)


 不可解な接触にぼやき、単なるお節介だというのならそれで良いのだが、相手の思惑が分からないというのはこの上なく不気味に感じてしまう。


 カルーア達が帰郷してからというもの、薄っすらと感じる視線のようなものは一体誰のものなのか……。


 そんな後味の悪さも行きつけの店に入れば少しは和らぎ、龍一の朗らかな顔を見れば肩の力も自然と抜けた。


「どうかしたの?」


 女の勘というのは本当に恐ろしいもので、それでもモカにはふとした時に尋ねられ、随分と取り繕ったのを覚えている。


「がさつな女で嫌いになった?」


 孤児院での事を言っているのは容易に想像がつき、首を振ると暗闇の中で手の平に文字を書く。


(モカがやらなければ俺がやっていた。良い判断だ)

 そう言ってふっと笑い、モカが笑顔になるのを見てゆっくりと頷く。


 孤児院は質素な造りでとても十分とは呼べないものだが、それでも子供たちの様子を見てしっかりとした教育がされているのは見て取れた。


「知識は平等でござる」

 とは龍一の言葉だが、全くその通りだと頭が下がる思いだ。


 自分の要求が社会に認められないからと駄々をこねる子供のような大人が蔓延り、見たくもない物がそこら中に散りばめられた世界は本当に窮屈だったのだと思い出す。


 大昔は人が一生の内に知り得る情報は新聞紙一枚程度だと何かで読んだが、もしかしたらその方が心は平穏に過ごせるのかも知れないと思う。


 無論そんな不確かな情報を鵜呑みにする訳でも無いが、それでも人の好奇心や探究心が消える事は無い。


 今の自分もその一員なのだから―――。


 そんな夜の一幕を思い返せば背中からは愉快な音色が頭に響き、この上なく賑やかな年の初めに頭痛がする。


 今日で三日……明後日には武闘祭が開催されるというのでこの街に居続けた訳だが、カルーア達からの音沙汰は今も無い。


(それなりに遠いからな……)


 そう思って納得しようとするものの、これまでの事を早目に相談したい身としてはどうしてもそわそわと気を揉んでしまう。


 ゴードンの友人に頼んだ装置は五つを超え、いくら私有地と言えども街の噂として広まりつつ有るようだった。


 単体では何の意味も成さないものでも、これからも増え続けるであろう装置は果たしてどうなる事やら……。


 水薬の販売に関してもあれから特に進展は無く、年末年始と色々と忙しかったので龍一にも尋ねていない。


 色々と本当に問題が山積みなのだが、先送りにしてしまうのは自分の悪い癖だと反省した。


 そうして事が動いたのは龍一とワンニャンで酒を飲んでいた時だった。


 今日で連続何日顔を合わせているのか、数えるのも億劫なほど旧知となった仲はそれなりに上々で、元の世界の漫画や映画についてあーでも無いこーでも無いと馬鹿な話に花を咲かせる。


「拙者には夢が有るのでござるよ」

(夢?)


 酒を飲み干した龍一が鼻息荒く宣言し、金を稼ぐのも孤児院を建てるのも全てはその夢の為に行っていると言い切った。


「拙者の夢、それは―――」


 ある意味で聖人のような龍一の口からどんな高潔な言葉が飛び出すのか……そう構えていた自分の気持ちを返してほしいと、この時ほど強く思った事は無かった。


「森人……エルフのお嫁さんが欲しいのでござる!」

 飲んでいる酒を吹き出しそうになるのを堪え、傾けたグラスを慎重に戻す。


 声高に叫んだ夢とやらが聞こえたのか、ふと目が合ったミルクは困ったような表情を浮かべていた。


 思い返せば出会った頃にカルーア達はおらず、だとすればある種の運命めいたものを感じてしまい邪推に拍車が掛かる。


 しかし目の前の何とも呑気な顔を見せられては、馬鹿馬鹿しいと鼻で笑ってしまいそれならそれで何の問題も無いと思っていた。


 龍一は良い奴だ。それはこの数日間で自分の目で確かめた事で、これが演技だとすれば相当な役者だとも思う。


 ただそういった物はどこかで必ず綻びが生じ、それが不和となって見えるものだ。

 彼女等のすっきりとした首元と、子供たちの笑顔でそれは重々承知していた。


「皆には自由に生きてほしいでござるよ」


 年に数人は冒険者や商家の息子に嫁ぐらしく、特に規制や罰則も設けていないと言う。


 だからこそ自分も今まで何のお咎めも無いのだが、その事を龍一に謝罪した時に


「ゼロ殿……なかなかやるでござるな」

 そう言って不敵に笑っては冗談交じりに話していたのを思い出す。


 そんな事だと人手不足に陥るのでは無いかと心配もしたのだが、孤児や奴隷達は今も増え続けており一向に減る気配は無いのだと言う。


「難しいものでござるな……」

 そう言って溜息混じりに悲しそうな表情を浮かべる横顔は、立派な男の物だった。


 そして―――運命の扉は勢い良く開け放たれた。


 乱暴な登場に店内の人間の目が集まり、ざわめきが大きくなるにつれて足音が近付いて来る。


 フードで顔を隠した従者を引き連れ、額に青筋を浮かべた少女……ダークエルフのカルーアが力強い足取りでずんずんと、一目散に歩み寄って来る。


(よう。遅かったな)

 からかうように軽口を叩けば拳骨を返され、あまりの痛さに頭を抱える。


「あーんーたーねぇぇぇ……大人しくしてなさいって言ったでしょ! 何を大立ち回りしてんのよ!」

 大声で捲し立て、その言葉を皮切りにフードを外すトウとキビ。


 二人の表情にはそれほどの変化は見られないが、眉間に薄っすらと皺が出来ている。目は口ほどに物を言うとは正にこの事だろう。


「馬鹿なの? 馬鹿なんでしょ? いーや、馬鹿ね! とにかくもう、私達が居ない時に二度とあんな無茶するんじゃないわよ! いいわね!」


 何時ぞやの台詞と似たような事を聞かされ、涙目のまま頷く。


 どうやら何らかの手段で自身の行動は把握されていたらしく、そこまで暴れ回った訳でも無いのに酷い話だと思ってしまう。


「なによ、一丁前に不貞腐れて……」


 相変わらずの声で「あによ」と聞こえてしまう所に笑ってしまいそうになるが、今ここで吹き出そうものなら更に悪化するのは目に見えていた。


 落ち着く為にグラスを口元に近付けると

「女神でござる……」

 と、龍一が呟くので再び吹き出しそうになる。


 見れば目は輝きを帯びており、潤んだ瞳はある一点を見詰め、まるで探し求めていたものを前にその威光に平伏していた。


 トウもキビも年若いが、龍一とは年齢も近い筈なので良いかと思う……が、自分とキビの関係を知ったら落胆してしまうのでは無いだろうか。


 そんな余計な考えを余所にして龍一は跪くと

「結婚してほしいでござる」

 そう言って片膝を突いて求婚すると、吹き出した拍子にグラスの中の酒が全て顔に跳ね返った。


「え? ……私?」

 少女の問い掛けに真摯な面持ちのまま頷き、すっと片手を差し出す龍一。


 その動作に火を付けたように赤面するカルーアを見て、どうなるのかと息を呑んで見守る一同。


「っ―――貴様!!」


 言うが早いか抜くのが早いか……一瞬の内に腰の細剣を抜き出しその切っ先を龍一の顎先に突き付けるカルーア。


 その表情は普段の物に戻っており、戦闘中のような緊迫感が漂っていた。


「下郎が……森人の戦士を侮辱する気か!」

 その形相は先程の比にならず、どうやら本気でそうだと思っているらしい。


 何かしらの作法が間違っていたのか、そもそもこの世界のそういった事に疎いのも有るがエルフ特有の何かなどこちらは知る由も無い。


「侮辱する気など毛頭ござらん」

 きっぱりとした物言いの割には両手を挙げ、カルーアに対して降参の姿勢を見せる龍一。


 戦闘であれほど震えていた人物とは到底思えず、その胆力はまるで別人のようだった。


 そんないざこざも続けていれば何時の間にか店の防衛機能が発動され、それぞれの店員から銃口のような威圧感が向けられる。


 手の平に収束する魔力を感じればトウとキビがカルーアの背後を守り、周囲の全てを隈なく見通す。


 一触即発の事態にミルクが近寄り、それと同時にグラスを置いて立ち上がる。


「そこまでよ。ここはみんなの憩いの場……物騒な物はしまっていただけるかしら?」


 店の危機だからかオーナーの危機だからか……或いはその両方だからだろうか、普段とは違う表情のミルクに当てられ細剣を掴む。


(そういう事だ。侮辱じゃないのは俺が保証する)


 頼む。そう言って渋々と剣を納めさせると、落ち着き払った態度で座るように促す。


 ミルクの合図で店内に再び賑やかさが戻ると、カルーアが対面の椅子へ腰を下ろす。


 トウとキビの二人は頑として座る事は無く、その背後に立ち龍一の事をつぶさに観察し続けていた。


 先程とは違った緊張感の中、年明けの挨拶もそこそこに戦いの火蓋が切って落とされようとしていた。

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