第三十四話 ~修羅場~

《第三十四話 ~修羅場~》


 一難去ってまた一難……話し合いをする為に大人数用の席へ移動すると、自分の隣には龍一とミルク、モカの三名が座った。


 対して正面にはカルーアたち三人が座り、険悪な雰囲気のまま仏頂面で注文を済ませていた。


「で、どういう事なの?」

 テーブルに置かれたクリームソーダらしき飲み物を飲みながら、頬杖を突いてカルーアが尋ねる。


 どれに対しての言葉なのか考えあぐねてしまい、その様子にキビから助け舟が出される。


「順を追って話されるのがよろしいかと……」


 その言葉に溜め息を一つ落とすと、やはり不機嫌なままの面構えは変わらずに素っ気なく自己紹介を始めるカルーア。


「私はカルーア。こっちはトウとキビ。私の従者」

「カルーア殿……拙者は―――」

 何かを言いかけた龍一を片手で制すカルーア。


「自己紹介は結構よ。リュウにミルク、モカ……だっけ?」

 そう言ってそれぞれを指差して確認する。


 どうやら何らかの手段でこちらの行動は逐一把握されていたようで、先程の剣幕から納得すると同時に信用の無さに少し落ち込んだ。


「なによその顔は? 最長老様から仰せつかってる以上、無計画で無頓着で無鉄砲のあんたを野放しにする訳ないでしょ?」

 と同時に、散々な言われように段々と腹が立って来るのも事実だった。


「それは……すみません。私のせいですよね」

 そう言って俯くモカにぎろりと睨みを利かせ、視線を移すと再び口を開くカルーア。


「そうね。力の無い冒険者が背伸びをして迷惑を掛けて、あまつさえ他パーティの人間を懐柔したとしたら……この街の人間はどう思うかしらね?」


 珍しく意地の悪い言葉を吐くカルーアに少し驚き、そこから怒りの程を知る。


「獣人種のそうした本能は理解している……だからこそ私は! あんたも! あんたもあんたもあんたにも! ムカついてるって言ってるのよ!」

 再びそれぞれを指差し声を荒げるカルーア。


 ファミレスの座席に似た長方形の椅子に立ち上がり、一息で全てを吐き出すとトウに促されてゆっくりと腰を下ろした。


「移り気が悪いって言ってるんじゃない……だけどね、告白をされたにも関わらず曖昧な態度のままで保留しておいて―――」

「お姉様!」

 キビの言葉にぴたりと声が止んだ。


 隣の三人の視線が集まると再びグラスに口を付け、落ち着いた態度のまま目の前のキビを見据える。


 それに気付けばほんの少しだけ物悲しそうに俯かれてしまい、出会った当初よりも格段に人間らしい変化に驚いた。


 恐らくは年末年始を故郷で過ごした影響だろうか、微かに感じていた強張ったような気配を今はそれほど感じない。


(その件については正式に断った筈だ……が、望むなら旅の終わりにでも返事をしよう)


 怒り心頭のカルーアに変わってトウが通訳を買って出れば、自分の言葉を皆に伝えてくれる。


 それで良いかと目配せすれば先程の落ち込んだ様子とは一変し、キビが力強く頷いた。


「全くイチャついてくれちゃって……それにしても、よりによって相手が獣人とはね……他にも相手は居たでしょうに……」

 侮蔑するような視線と共に言葉を吐き、再びカルーアの怒りが漏れ出す。


 驚いたのはその言い草で、普段からそういった事を言わないと思っていただけに少しだけ驚いてしまう。


 そこに怒りの程が知れるという事なのだろうが、ほんの少しだけ違和感を感じずには居られなかった。


 どういった意図が有るのか傍観していると、先に口を開いたのはミルクだった。


「随分と酷い物の言い方をされるのですね。お言葉ですがうちのモカはこう見えて家事も得意ですし、どこへ出しても恥ずかしくないと自負しています。そちらのお嬢さんよりもきっと、ゼロさんのお相手にぴったりかと……」

 思わぬ方向から矛先が向けられ少し慌てる。


 褒めちぎられた本人は恥ずかしそうに視線を落としており、どうやらこういう事には慣れていない様子だった。


「それは聞き捨てならないわね……何なら今ここで、白黒はっきりさせてみせるのかしら?」

 互いに立ち上がり、熱い火花を散らすミルクとカルーア。


 すっかりとその存在を無いものとして扱われていた龍一が仲裁の為、まあまあと立ち上がれば二人に恫喝されては縮こまって着席する。


(負けるな!)

 他人事のように目で訴えれば奇跡的に伝わり、再び立ち上がるとカルーアに向かって頭を下げる龍一。


「此度の事、拙者の配慮不足でござった。そういう事情が有ればその怒りも尤もでござる。どうかここは拙者の顔に免じて、怒りを鎮めてほしいでござるよ」

 そう言ってきちんと謝罪をするとミルクはそれ以上の言い合いを止め、大人しく着席した。


 一方でカルーアはと言えばまだ何か言い足りないのか、頭を下げたままの龍一を一瞥し


「情けない……男が簡単に頭なんて下げてんじゃないわよ」

 と吐き捨て、ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまう。


 腕組みして視線を逸らす様は正に子供のようで、怒りの原因が様々な場所にある以上この話の落とし所に悩んでしまうのは自分も同じだった。


 そんなカルーアの言葉に顔を上げれば力なく笑い、照れたような、困ったような表情を浮かべる龍一。


 カルーアの目には情けなく映ったのかも知れないが、こういう部分は見習うべきだなと反省した。


(一旦この件は保留だ。龍一の、その……先の件についても同様に頼む)

 一区切り付いたところで口を開き、これまでの事について説明を始めようとすると


「また有耶無耶にしようとしてるんじゃないでしょうね?」

 と、カルーアから釘を刺されたので


(無許可のまま人の動向を探ってたんだ……これくらいは許せるだろ?)

 そう言って怒りを隠し切れない笑みを向けた。


 これで手打ちだと言う事はどうやら納得してもらえたようで、漸く本題へと移る事が出来た。


(製薬について問題が出来た。装置が大きすぎるってのが本題だが、流通経路に商業ギルドが使えそうに無い)


 先日の話を皆にも伝えると、その事に腹を立てていたのはミルクだった。


「だから言ったじゃないですか……あそこは何でか知らないけど、リュウちゃんにだけ厳しいんですよ」


 商人としての手腕を知らないので何とも言えないところだが、これだけの店を構えているのだからそれなりの評価は受けている筈だ。


 噂の独り歩きであの態度と言ったところだろうか……遠巻きに見ていた全ての人間、獣人の顔を思い出し奥歯を噛み締める。


(もう一つは黒衣の男……と言えば、カルーアには分かるな?)

 その怒りが伝播したように耳を震わせ、緊迫した面持ちで頷かれる。


(世間話程度の接触だったが、どうやら武闘祭に出て欲しいみたいな事を言ってたと思う。元々そのつもりだったからな……乗ろうとは思ってる)


 この言葉に驚いたような表情を浮かべ、カルーアがゆっくりと口を開く。


「あら、そうなの? 意外ね……そういうの興味無いかと思ってたのに」

 底に近付いた緑色の液体を音を立てて啜り、探るような視線を向けるカルーア。


 カルーアの言葉通り名誉や褒美に大した魅力は感じておらず、自身の心を滾らせたのは他でもない試合内容についてだった。


 この世界でスポーツをしようと思えばその全てが大味になってしまい、とても味気無い物になるだろう。


 本来のままではルールなど有って無いようなもので、この世界に沿った物が必要になるのは明白だ。


 戦闘にしてもそれは常々感じていた事で、贅沢な悩みだが力の差が歴然であればそれは只の弱い者いじめに他ならない。


 そうした諸々を解消すべく、この武闘祭ではある魔導具の装着が義務付けられており、それを付けると互いの力量差が無くなるのだと受付に教えられた。


「虚実の首輪……だったかしらね。実際は力量差が埋まる訳じゃなくて、お互いの魔力量の引き上げだったと思うわよ?」


 だとしてもそれなりに面白くなりそうだと思ったのは、この祭りが何年も続いているという歴史が物語っている。


 このところ何かにつけては誰かに頼り、今もこうして難題に知恵を貸してもらっていると気付かぬ内に腹の中に靄々が溜まって行くのを感じていた。


 そうした物は最早簡単な手順では解消出来ず、自身に潜んでいる獣性を認めずには居られなかった。


「……まあ良いわ。やる気になったのなら結構よ。製薬の方も時間が欲しかったしね」

 どういう事か尋ねようとした瞬間


「お師匠様!!」

 と、酷く慌てた様子の声が店内に響いた。


 声の主に視線を向けるとそこに立っていたのはバーバラで、その隣にはパルとカーラの姿も有る。


 視線の先……師匠と呼ばれたキビも少し驚いたように目を見開き、次の瞬間にはがばりとバーバラに抱き着かれていた。


「お師匠様……お師匠様!!」

 感極まり過ぎて言葉が出てこないのか、只管に師匠と連呼する様に呆然とする一同。


 それを力尽くで収めたのはカーラで、強引に引き剥がすと尚も突進しようとするバーバラの首根っこを捉え続けていた。


「邪魔して悪いね……って、初めての顔も居るのかな?」

 平然と言ってはそれぞれに視線を向けるカーラ。


 まあいいやと仕切り直し、無理やり椅子に座ってくるので押し出される形でキビの隣へと移動する。


(知り合いなのか?)

 その問いにキビは素直に頷き、どうやら何かしらの縁が有るのだと照れたような表情で察する。


「で、用ってのは何なんだい?」

 テーブルに肘を突き、隣に座っているミルクとモカを通り越して龍一に問い掛けるカーラ。


 装置の事を相談していた事もあってか、今日のこの場に有望な魔導具士を引き合わせてくれたようだが……状況はあまりよろしくないだろう。


 先程の話を三人にも伝えると、意外な程にあっさりと快諾されてしまう。


「任せといてくれよ……って言っても、実際に頑張るのはこっちだけどな」

「はいっ! 例えこの身が朽ち果てようと、誠心誠意やらせていただきます!」

 やる気が有って結構な事だが、力の入り具合に狂気を感じる。


(話としてはこんな所か……内容については口外しないでほしい。心配はしていないが、無用な揉め事を起こしたく無い)

 その言葉に一同が頷き、詳細については後日改めてという方向に持って行く。


 正直なところ困惑しているのは周りよりも自分自身で、これからの事を考えると頭が痛くなる。


 リアモを出発してどれだけの月日が経っただろうか……初めは魔法帝国にこの身体を治してもらいに行くだけだった筈が、今ではこんな事になってしまっている。


 思えば遠くまで来たものだ……そんな事をぼんやりと考えながら席を立つと


「あの、少し良いでござるか?」

 と、申し訳無さそうにおずおずと手を挙げる龍一。


「製薬の件は委細承知にござる。この街の為に尽力してくれる事、住民に代わって厚くお礼を申し上げるでござるよ」

 馬鹿丁寧な物の言い方に小さく頷く。


「最後に一つだけ……どうしてゼロ殿は、ここまでしてくれるのでござるか?」

 そんなものとっくの昔に話したと思っていたが、皆の目が集まる中だと中々に気恥ずかしい。


(……ただの気紛れだよ。またな)

 そう言って外套を翻すとその場を後にした。



「―――またな。じゃないわよ! あんたはほんっとに、何でもかんでも勝手に決めて!」


 ワンニャンを出て暫く歩くと、前を歩いていたカルーアが途端に振り向き声を荒げる。


 先導して行く所を見ると宿の場所も把握されているようで、どうやら先程の話に偽りは無いようだ。


(何を怒ってる?)

「怒るに決まってるでしょうが!」

 腰に手を当て両頬を膨らませ、少し下膨れな顔が一層と膨らんでいる。


「私は言った筈よ!? 戻るまでは大人しくしてなさいって!!」

 憤慨する口からは次々と小言が飛び出し、すっかりと陽が落ちた夜空を眺める。


 カルーアの言葉を右から左へ聞き流していると、本当によくもこんな所まで来たものだと思う。


 新年という節目がそうさせるのか、これまでに有った様々な出来事が脳裏に浮かんでは消えて行った。


 そうして気の済むまで自由にさせ、一頻り吐き出させると宿へ向かって歩を進める。

 夕食時に集まった際には各種情報の収集と、気になる人物の身辺を調査してくれと依頼した。


 自分の事をあれだけつぶさに観察していたんだ……三人が戻ってからというもの奇妙な視線は感じられず、心配事は一つ解消されていた。


「それは良いけど……何の為によ?」

(さあな……)


 そう言って大量の食事を頬張るカルーアを躱し、なるべく心配を掛けないように視線を落とす……が、どうやらそれは無駄な努力だったらしい。


 どうして獣人に対してあれほどの忌避感を見せたのか、それを浴室で考えてみるも答えは出ず、就寝前の一時に現れた人物によって疑問が解決する。


「ゼロ様、宜しいでしょうか?」

 ワンニャンで見せた表情とは打って変わって何時も通りの表情で、静かに尋ねて来ては許可を取るキビ。


 部屋に招き入れるとベッドに腰を下ろし、机の上のグラスをじっと見詰めていた。


「また、飲まれていたのですね」

 他愛の無い会話に何かしらの意図を感じてしまい、それが自身の後ろめたさから来るものだと気付き苦笑する。


「何がおかしいのですか?」


 その質問には中々正直に話す事が出来ず、居ない間に他の女性に現を抜かして悪かっただとか、そもそも謝る必要は有るのか? だとか、謝ったら余計に怒るんじゃないのか? だとか、短い詰問から溢れんばかりの思考が頭を埋め尽くす。


 そんな思いを飲み干すようにグラスを空にすれば、酔いに拍車が掛かり更に思考が加速する。


 大体が借り物の体の時点で告白などされても、それに対して何を言えば良いと言うのだ。

 例えばこれが元の体で有ったのならばと思う事も無かった訳では無いが、それはそれで色々と問題が有るだろう。


 見た事も無いような美少女を前にしては隣に並んで歩く勇気など有る筈も無く、生前の自分と比べても月と鼈……雲泥の差だ。


 加えて性格も良く、全てを卒無くこなし戦闘面でも十二分に頼りになるとすれば、断る理由など有る筈が無いのだ。


 溜め息を吐くまでの一息でそこまで考えると、キビの顔が忽ち笑顔へと変わって行った。


 その変化に不思議そうな顔を浮かべていると、右の腕に見慣れない銀色の輪っかが付けられている事に気が付いた。


「先日譲り受けた英雄の剣……その真意を探る為、帰省の際に作った魔導具なのですが……」

 申し訳無さそうに説明をするキビ。


「取り外すのを失念しておりました。申し訳御座いません」

 そう言って頭を下げるものの、その表情には微塵も悪びれた様子が無い。


 恐らくはカルーア辺りの入れ知恵だろうが……と、そこまで悪態を吐いたところでこれもどうせ読まれているのだろうとルピナが居た頃のような緊張感が走る。


「ふふっ。そうですね」

 上品に笑うキビを見て何よりだと思う。


 こうなってはもう好きにしてくれと観念し、居ない間の事をああでも無いこうでも無いと散々迷っては言葉を紡ぐ。


 水泡のように浮かんでは消えていく言葉達は複雑に絡み合い、凝り固まった思考が余計にややこしくもどかしかった。


「分かっています。でも……」

 そう言ってキビは立ち上がり、椅子に座っていた自分をひょいと持ち上げる。


(お、おい)

 そのままベッドへ優しく運ばれれば、四つん這いの姿勢で押し倒される格好になる。


「私にも同じくらい、甘えて欲しいんです」

 そう言って唇を重ね、見詰める瞳に何時もとは違う艶っぽさを感じていた。



 事が済めば呆けてしまい、これまでとは違う攻勢に未だ頭が追い付かない。

 それもこれもあの腕輪のせいかと思い返せば、これまでの事を思い出して恥ずかしくなる。


「……私は嬉しかったですよ?」

 隣を見れば生まれたままの姿のキビが満足気に微笑んでおり、仰向けの自分を肘を突いて見下ろしている。


 布から見える肌は白く、均整の取れた体躯は男を魅了するのに十分な効果を発揮するだろう。


「ゼロ様は大きい方が御好きですか?」

 その言葉に頷きそうになるものの、別段これといったこだわりは無い。


 かつての悪友は大きさだ形だ色だ感度だなどとほざいていたが、胸に心は付いていないのだから―――。


「そう言っていただけるのならこの胸も、あの時に無くさなくて良かったと思います」

 どうやら本当の本当に困った事に、思考は未だ筒抜けのようだ。


(……降参だ。もう許してくれ)

 無くす無くさないの下りは知らないが、エルフにはそういう掟でも有るのだろうか。


 前世の知識を引き合いに出すのなら女性だけの部族が片方の胸を弓の邪魔という理由で切り落としたらしいが、魔法の有るこの世界ならば逆手で扱えば良いのでは無いか等と考えてしまう。


 掟なのだからそれも邪道と言われそうだが、撃ち方の工夫をするのは悪い事では無い筈だ。


 弓について造詣が深い訳では無いので確実な事は言えないが、許せない事が有るとすればそれは―――


「それは……?」

 先の言葉を待つキビに小さく頷く。


(誰かの言葉に屈した時だけだ。自分で決めた事ならそれで良い)

 掟だなんだと責任も取らずに外野が吠え、それに屈服するのだけは我慢ならないのだ。


 納得すればそれも有りかと思うものの、促された時点でそれは耐え難い侮辱に等しく怒りが沸々と込み上げる。


 前世ではただ只管に押し留めておくしか無かったこの感情は、この世界では容易に振るってしまえる。


 だからこそ使い所は間違ってはいけないし、大局を見据える器と寛容さが大事なのだ。しかし―――


「今回の事ですね?」

 キビの言葉に再び頷く。


 水薬の販売経路は神聖国から獣王国、商業ギルドへと流れているらしい。


 龍一の件も含めてその全てを調査してもらい、原因がどこに有るのか突き止めるというのは間違っていない筈だ。


 近年増加傾向に有る風土病の方にも思う所が有り、こちらは望み薄だが同様にしてもらっている。


「エルフェリアとビーストキングダムは長い歴史の中で争いが絶えず、こうして行き来できるよう再開したのは最近の事ですので……」


 そうして教えてもらった情報で漸く気付き、そう言えばそんな事も本に書いてあったかと納得する。


 カルーアの態度にも頷ける部分が有れど、知ってしまった以上は放置も出来ない。

 製薬方法を国に売るわけじゃないのだから、きっと上手くやってくれるだろうと願いたい。


「それはそうと……」

 裸のまま馬乗りになり、にいっと口角を上げて微笑むキビ。


 こうした直接的な表情は初めて見たもので、その笑顔はあまりに幼く見えた。


(な、なんだ?)

「ゼロ様……御慕い申しあげます」

 そう言って胸の間に挟まれそのまま抱き締められる。意味が分からなかった。


 やっとの思いで這い出れば瞳に涙を浮かべており、驚き訝しんでは様子を窺う。


(大丈夫か……?)

 そう尋ねれば無言のまま頷き、頬を伝う涙を指ですくい取る。


(情緒不安定すぎだろ……心配になるぞ?)

 冗談めかした言葉に今度は首を振られ、潤んだ瞳が開かれれば静かに囁かれる。


「嬉しいのです……本当に……」

 理由も分からず泣かれてしまっては慰める事も出来ず、頭の上に疑問符を浮かべるのが精一杯だった。


「ゼロ様のそういう所が、本当に嬉しいのです……」

 何がキビをそうさせるのか一向に分からないまま、そうかと短く頷けば分かったような分からないような曖昧な表情になってしまう。


「だからこそ御聞きしたいのです―――」

 溜まっていた涙を拭いながら、キビが再び尋ねる。どうしてモカだったのか……と。


 先程とは打って変わって真剣な面持ちのまま真っ直ぐにこちらを見据え、じっと身構えたまま言葉を待つキビ。


 改めて考えれば初めは成り行きだったのかも知れないが、それならば一度で事足りるだろう。


 何度も足繁く通った理由……それは―――


「リズさん……ですか?」

 キビの言葉に頷き続きを話す。


(似ている……というよりは、面影を重ねているのかもな。彼女も昔、冒険者だったらしい)


 その言葉に小さく何かを呟き、視線を落とすキビ。

 それが終われば再びこちらを見詰め、諦めたように言葉を吐き出す。


「あの剣を……言い訳にはされないのですね」

 言われて思い出せば妙に静かな窓際の主に向かって意識を向けるが、何を言っても返事が来る事は無い。


 そうしてからキビの言葉を思い返せばこれもまた困った事に、迷宮での出来事もすっかりお見通しのようだった。


 だとすれば話は早く、分かっているのならば確認など不要だろう……あれは誰の意思でも無い、自分自身で決めた事だ。


「無礼……ですか?」

 この日、何度目かの質問に再度頷く。


(強がったところで確かに最初は良いようにやられたが、今はそれなりに大人しくなってもらっている……そうでなければそれこそ、耐え難い侮辱ってやつだからな)

 腕を組んでうんうんと頷くと、キビの小さな笑い声で目を開ける。


(何かおかしかったか?)

「違うんです。ただ、お姉様の言った通りだと思ってしまって……」


 バツの悪さに視線を逸し、もぞもぞと動いては腕の中から脱出する。

 ベッド脇のサイドテーブルに置かれた飲み物を口に含むと


「申し訳御座いません。本当はお姉様の方が御似合いでしたのに―――」

 盛大にそれを吹き出した。


 無音のまま咳込めばそれは盛大にキビへと掛かってしまい、果実水の甘い香りが部屋を満たす。


「ゼロ様……こういう趣向が御望みですか?」

 冷たく刺さる視線にぶんぶんと首を振り、タオルを渡して落ち着いた所で話を再開させる。


(それは……どういった冗談だ?)

「そのままの意味で御座います。手籠めにする目的で無いというのなら、一体どうして奴隷という身分から救い出したのですか?」


 どうやらモカとの一件よりも、こちらの方が根が深そうだと言葉遣いから察する。


(どうして……か……)


 またも改めて考えてみるが、あの時はルピナやリリリの願いでもあった訳だし、確かに顔だけ見ればトウやキビと比べても何ら遜色の無い美少女だとは思っている。


 だがそれは眠っている時のカルーアへの評価で有り、目を覚ましてからはあの有様だ……間違っても間違いが起こる事は、未来永劫訪れないと自信をもって断言できる。


「ゼロ様……」

 暗い表情のまま言葉を吐くキビに肩を竦ませ、言い過ぎてしまったかと少し怯える。


「ふふっ。冗談です」

 そう言って笑っては先程と同様に笑みを浮かべ、こちらの反応を見て満足そうに微笑んだ。


 本当に冗談なのだろうかと訝しむ様子すらも愉快だとばかりに眺め、再び浮かんだ涙をそっと拭うキビ。


「今回の事はこれでお終いにします。もしも今後、同じような事が有ったら―――」

(有ったら?)

「私の事も、思い出して下さいね?」


 そうして窺うように顔を覗き込まれてしまえば、少し恥ずかしそうにしているキビを前に頷くしか無くなるだろう。


 一件落着……なのだろうが、モカへの説明も考えると頭が痛くなって来る。


「その点については御心配なく。明日、私がちゃんと御話して参りますので……」

 だとしてもきちんと話すに越した事は無いだろう。


 この国の病。黒衣の男。製薬の先行きに龍一の恋と武闘祭……それら全ての悩みの種を祓うように、柔らかな腕に包まれるとゆっくり瞼を閉じた。


「おやすみなさい」

 慈愛に満ちた声色にすっと意識が落ちた。

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