第二十九話 ~英雄の剣~
《第二十九話 ~英雄の剣~》
昨日の宣言どおり朝早くから串焼き屋で大量に注文して店主を困らせると、焼き上がる合間に馬車の手配を済ませるカルーア。
女獣人の商人はエルフェリアからの帰りだと言い、獣王国の王都を目指す自分たち
を快く迎え入れてくれた。
「いやー、お客さんツイてたね! って、それはアタイも同じだけどさ!」
そう軽快に言い放ち、手綱を握る姿は熟達していた。
商人にしては幾分ラフな格好で、頭にターバンやサングラスを装着し上半身はタンクトップ、下半身は丈の短いズボンを履いている。
王都へ続く街道は怪物の類など滅多に出ないらしいのだが、それでも自衛の手段は多いに越した事は無いのだろう……渡りに船はお互い様だ。
今までの進行速度を考えれば非常に緩やかなスピードだが、それでもそこから眺める風景は悪く無い。
「誰も盗らないから、好い加減しまいなさいよ」
串焼きの紙袋を抱えるゼロを見て頬杖を突いたカルーアが呆れたように呟く。
その言葉にキビは手を口元に当てると、上品な仕草で小さく笑っていた。
「おやおやぁ……キビが笑うなんて珍しいんじゃなぁい?」
わざとらしく語尾を伸ばし、邪推する視線で問い詰めるカルーア。
やる事はやっているので邪推でも何でも無いのだが、それでも遠回しな物言いは既知とばかりに妙な湿り気を含んでいた。
不意にキビと目が合えば笑みを返されてしまい、反論する気も消え失せ黙って頷く。
トウと並んで座っている姿は一枚の絵画のようで、その美しさを的確に表現出来る言葉を持ち合わせていない。
ただ黙ってそこに居るだけで完成され、ぴたりと物事が収まって見えてしまうのだからその存在は周りの全てと調和していると言っても過言では無いだろう。
(毒か……)
何時ぞやグラムから呈された苦言を思い出し、後悔はせずとも決心は無駄だったなと己の意志の弱さを痛感した。
それでも不意に考えてしまうのはやはり昨夜の事ばかりで、馬車に乗ってからもそれ等が頭から離れる事は無い。
やれ我慢出来る奴が居るなら出てこいだとか、やれ据え膳食わぬは云々かんぬんだとか、誰に対しての言葉なのかだらだらと考えてしまうのだ。
食用の串をぽりぽりとかじりながら紙袋をキビへ手渡し、残りはゆっくり食べようと名残り惜しそうに手放す。
馬車は街道を問題無く進み、日が暮れる前に次の宿場町へと到着する。
トーンよりも規模は小さいもののしっかりとした所で、一泊して明日の昼頃には王都へ到着すると商人は言った。
この日は釘を刺したおかげで昨夜のような事にはならず、何事もなく無事に睡眠を摂ると平穏無事に出発を果たす。
国境、トーン、そして現在……次第に植物や雑草の類を目にする事も少なくなると、気付けば周囲は荒涼の大地が支配していた。
枯れた樹木の傍らには骨となった動物の亡骸がそこかしこに点在しており、ひび割れた大地にはそれまで有った生命の息吹きは感じられない。
無論そんなものは今まで感じ取れていた訳では無いのだが、それでも視覚から入って来る情報はそうした見えない物を無理やりに意識させてしまう。
流れて来る風もどこかぴりぴりとしており、遠くに見える岩山や砂山の類が不毛の大地と言われる所以をこれでもかと誇示しているようだった。
「だからこそ獣人領とも言われるここでは、死物狂いで人族からの侵攻を阻止し続けている……本当に、凄い事よね」
隣に座っていたカルーアが感慨深く呟いた。
そういった歴史が有る事は事前に読み聞かされていたが、そうであれば人族……なのかは不明だが、自分に向けられる微かな敵意も頷けるというものだ。
獣人領では宿場町や小さな町が幾つも点在しており、どこかエルフェリアの在った東側と似ている気がした。
まるで外敵から王都を護るように配置された町々は規模こそ小さいものの、それぞれが独立した防衛機構として機能しているのだとキビは言う。
「鉱人族も多い土地ですから、有事の際は驚かれると思いますよ」
物作りが得意というドワーフの事だ……確かに彼等ならば街一つを丸々作り替えたりも出来るのだろうが、それが一体どういう事なのかこの時は未だ知る由も無かった。
「あ、見えてきましたね」
キビの言葉に目を向ければ街道の先に漸く目的地が姿を現す。
それは街と呼ぶには首を傾げてしまい、幾つもの集落が寄り集まったようなそんな印象を受けた。
しかし思いとは裏腹に広がる集落の集合体は紛れも無く獣王国の王都ビーストキングダムで有り、中央には大きな城と少し離れた場所に頭部の無い巨大な石像が建っていた。
中心地に向かって隆起しているのか、段々畑のように建てられた建物郡が前世の記憶を思い起こさせる。
防衛の為の外壁などはどこにも見当たらず、侵攻を防いだ名残だろうか外周の建物の方が破損が酷く見えた。
「石像の足元には闘技場が在ります。滅亡の危機には建国した初代獣人王の像が動き、民達を救うとされているのですが……」
首の根元からすっぽりと無くなった石像を見て、言葉を詰まらせるキビ。
「あっははは、そりゃああんな姿じゃ驚くのも無理は無いよ。十年くらい前までは立派な獅子頭が有ったんだけど、王家のお家騒動で東の勇者様が吹っ飛ばしちまったのさ」
商人が笑って説明するが、だとするなら一体どんな出来事が繰り広げられていたというのか……今の四人にそれを知る術は無かった。
益々英雄という称号を疑い始めた頃、後方から微かな殺気を感じ取る。
首筋に流れた微弱な電流を頼りに振り返れば、街道脇の砂漠に鮫の鰭のようなものが突出していた。
それはゆらゆらと左右に揺れ、緩急を付けては馬車と同じ速度で追走している。
「砂鮫だ! ちょいと飛ばすよ!」
そう叫ぶと女獣人は手綱を操り、次第に速度を上げ始める。
馬車がトップスピードに達すると後方のヒレが空へ舞い上がり、その全容を皆の前に知らしめる。
(すっげぇ……)
体長は優に馬車の大きさを上回り、纏わりついた砂を激しく撒き散らしながら再び砂へと潜る。
一体全体どういう構造をしているというのか、砂鮫は砂海の中を悠然と泳ぎ続けていた。
徐々に増えて行く鰭の数にそろそろ迎え撃つかと意識を張り巡らせると、続いて前方からの異変を感じ取る。
それは砂煙を巻き上げ、血走った眼で獣人達が武器を手に持ち猛然と襲い掛かって来るでは無いか。
先程の話も有り一瞬だけ緊張が走るが、そっと添えられたキビの手に落ち着きを取り戻すと
「行っくぞおおお!!」
「うおおおおお!!」
と、獣人達は口々に叫び、鼓舞し、己を奮い立たせると、馬車を通り過ぎて駆け抜けては砂鮫の群れへと立ち向かって行った。
「気を付けてねー!」
「もう大丈夫だよー!」
駆け抜ける馬車を見て獣人の冒険者達が口々に安否を気遣い、その光景を見せ付けられてゼロは一目でこの街が気に入ってしまった。
(ははっ!)
そういう事か―――そう思った次の瞬間、自然と体が動いていた。
口元に笑みを浮かべて揚々と馬車から飛び出し、獣人達に紛れると同様に駆け出した。
「あっ、ちょっと! ……んもー、勝手なんだから!」
そう言うとカルーア達も同様に馬車から飛び降り、手の平からふっと吐息を送り馬車の背を押す。
無事に入国を果たした事を見届け、次いで冒険者達に目を向ければ
「でかいのが来るぞー!」
との声に続いて、一人の少年が巨大な砂鮫の脇腹に飛び蹴りをかましていた。
「ゼロ様、本当に楽しそうです」
「全く、あのガキんちょは……」
昨日までの仏頂面が嘘のようにその顔は晴れ晴れとしており、これならば一人で残しても大丈夫だろうと安心する。
砂塵を巻き起こした地点に駆け寄ってみれば大物の背で腰に手を当て、高笑いをしているゼロ。
それはどこかあの日の憧憬を思い起こさせ、やはりあの英雄の弟子なのだと……そう思わずには居られなかった。
「凄いぞ坊主ー!」
「いいぞー!」
冒険者達の賛辞の中、未だ高笑いを続けるゼロの元に駆け寄ると無言のまま拳骨を繰り出すカルーア。
(痛ってぇ……)
「痛いじゃないでしょ! 何やってんのあんたは!」
カルーアの剣幕にたじろぎ、手を引かれて砂鮫から降りる二人。
周囲の冒険者が獲物を横取りされた事を咎めるかと思いきや、どうやらその心配は無さそうなので歓声に手を振って答えるゼロ。
「街の防衛は皆で分配する決まりとなっております」
「参加した全ての冒険者に権利が有り、それは等しく平等に行われます」
久しぶりに聞くキビの解説モードに頷き、そういう事ならそうしてくれと頼む。
「今回はこれで済んでるけど面倒臭い奴だって多いんだからね! 街に入ってちゃんと手続きを済ませるまでは大人しくしてなさいよ!」
再びカルーアの説教が飛び、黙ったまま素直に頷く。
しかしあれだけ楽しそうに狩りに行く姿を見せられては湧き上がるこの感情を抑止する事が出来ず、戦闘から事後処理まで本当に楽しそうに笑顔を絶やさず行っているその姿はどこかあの森狼の親子を彷彿とさせるのだ。
「坊主!」
男の獣人が叫んだかと思うと何かを放り投げて寄越す。
受け取った物体は大きな魔石で、それはかつて見た巨大スライムの物よりも無骨で両手に収まらない程の物であった。
「獣王国へよく来たな。歓迎するぜ!」
白い獅子のような風貌の獣人は親指を立て、口角を上げてにこりと微笑んだ。
その仕草に同様の笑みを浮かべて親指を立て返す。やはりこの街は良い街だと思った。
トウとキビが仕留めた獲物の分配について話を付けている中、街の入り口にてカルーアと共に観察を続けていた。
獣王国には防壁が無く、坂の上の城にはかろうじてそれらしき物が建っていたが基本的にはバリアフリーのように、坂こそ有るものの侵入者に対しての防衛手段は無いように見える。
建物もホクトに比べれば平坦な屋根のものが多く密集しており、それらは八方向に伸びる石畳の道路で綺麗に区分けされていた。
入り口には監視塔のような背の高い円柱のものが配備されており、両脇に建っているそれは上空で一本の通路によって繋がれているようだ。
見ようによってはトーンのようなアーチ状の入り口風に見えるので、そこで入国の手続きをするという考えに至るのは至極当然だろう。
その監視塔を境に外周の建物は少なくなっており、暫く眺めていれば塔の上に突き刺さった旗が赤から黄色、黄色から青へと変わって行った。
(面白い街だ)
キビから手渡された飲み物を啜りながらそんな感想を漏らすと
「面白いじゃないわよ、全く……入国するまでは大人しくすること!」
と、人差し指を向けられ再度釘を刺される。
子供では無いのだから一度言われれば分かるので、適当に返事をして再び果実水を啜った。
街道脇の岩に寄り掛かり暫く休んでいるとトウとキビ、それと冒険者達がそぞろに戻って来る。
どうやら問題は無かったようで、手際の良い解体を済ませては切り分けられた砂鮫を手に獣王国へと戻って行く冒険者達。
(あれは……)
「お待たせ致しました」
「解体は無事終了致しました」
二人の手には切り身となった砂鮫が持たれており、既に保存魔法が掛けられたそれを大事に魔法鞄へと保管してもらう。
二人が使う保存魔法は通常のそれよりも強力らしく、半年くらいは余裕で鮮度を保つらしい。
そう説明して得意気に鼻を鳴らすカルーアは何時もの事だ。
「やっぱり冒険者だったか。凄かったぞ坊主」
「血の気の多い奴はこの街が気に入るだろうよ」
入国の為に冒険者証を提示すると、獣人の衛兵は愉快そうにそう言った。
どうやら全てが間違いだった訳でも無かったようで、衛兵の言葉に笑顔を返す。
そうして漸く入国を果たせば眼前には王都の街並みが広がっており、これまでの街とは一風変わった景色に眼を輝かせる。
「培われた技術は変わらない……でも、その土地や風習によって最適な物は違うわよ」
根っこが違えば色々と変わるという事だろうか……意味深なカルーアの言葉に考えを巡らす。
ここまで魔法という便利技術が発達していれば、それこそ前世のセメントやコンクリート、果てはそれ以上の軽くて丈夫な素材で建設しそうなものだが、ここに来るまでにその類は一切見掛けなかった。
その代わりと言っては何だがその国それぞれの特色とも言うべき部分に心血を注ぎ、まるでその種族の印象そのままの景観を無理やり守っているような、そんな違和感はどことなく感じていた。
「そんなの分からないわよ……建築は専門外。知りたいなら歴史書でも読みなさい」
と、素っ気無く返されてしまう。
自分自身にそういった知識が無いので読んだところで何にもならないのだが、魔法が有るからこそ中世風の物の方が加工しやすいのだろうか……。
「そんな事よりご飯にしましょ。名物、食べるんでしょ?」
カルーアに尋ねられ、そう言えばそうだったと思い出し頷く。
道すがら聞いた話によれば獣王国の名物は沢山有り、その中でも自分の興味を惹いたのは饂飩と蕎麦だ。
まさかこの世界で米に続いて饂飩と蕎麦まで食べられるとなれば、それはもう気になって夜も眠れないほど興味を唆られたのは言う迄も無い。
岩石饂飩に砂漠蕎麦……一体どんな食べ物だと言うのだろうか……。
そうして食堂を探している最中、道行く冒険者達の得物を見て一つの憂い事を思い出す。
「大剣? ああ、壊れたって言ってたやつね」
カルーアの言葉に頷くと、背中から棒の部分だけになったかつての大剣を抜き出す。
ここに来た目的はルピナの言葉や饂飩と蕎麦の為でも有るが、一番は自分の武器を新調しようと思った為だ。
キビの話によれば鉱人族等も多いらしいので、ここでなら無茶な使い方をしても壊れない、そんな武器が有るかも知れないと思っていた。
しかし―――
「そんな都合の良い武器なんて有る訳無いでしょ。有ったとしても、金貨千枚は下らないわね」
無慈悲なカルーアの言葉に打ちひしがれ、納得しては肩を落とす。
再び飯屋を求めて歩き出すカルーア達にしょげた足取りで後を追い、キビが申し訳無さそうな表情で隣に寄り添う。
「申し訳御座いませんでした。その……」
謝罪するキビに無言のまま首を振り、力無く笑みを返すゼロ。
金に関しては止められているとは言え、水薬を作れば一気に解決するだろう。
それによって面倒事が増えるのは確実なのだが、自分が気に入った物が有るとするならば最後の手段として考えていた。
(キビの優しさは分かってるつもりだ。ありがとな)
そう言って視線を交わしていると、その後方で怒号が飛んだ。
「ふざっけんな! それが客に対する態度か!」
「こんな店二度と来るか!」
人族と獣人族の男はそう言うと店の扉を乱暴に閉め、いきり立った心情を表した足取りで道の向こうへと消えて行く。
その様子を二人で暫く眺めているとカルーア達も合流し、件の店の前へ進んでみると
「武器屋ね……ま、先に武器探しでも構わないわよ。ただし、手短にね」
灰色の建物の前でそう念押しされ、恐る恐る扉を開けてみる。
「出てけーーー!!」
瞬間、耳をつんざく大声が一同に襲い掛かる。
その剣幕に驚き慌てて扉を閉めると、今度は更にゆっくりと開けてみる。
「出てけーーー!!」
同様の対応に取り付く島も無いと判断し、再び大急ぎで扉を閉めた。
「同じじゃない……」
(だな……)
日を改めるか店を変えるか悩み立ち尽くしていると、今度は店の中から扉が開かれた。
顔を覗かせたのは小さな少女で着ているものはお世辞にも綺麗とは言えないが、職人風の出で立ちは一目で鍛冶師と分かるものだ。
茶色の髪の毛にはゴーグルが掛けられており、頭頂部には葉っぱのような獣耳が付いていた。
「あの、ごめんなさい。お客さん……ですよね。どうぞ」
言葉を詰まらせながらも店内へ招き入れてくれるので、恐る恐る踏み込むと今度はすんなりと入店する事が出来た。
大声の主は居なくなっており、静まり返った店内には所狭しと武具が飾られている。
大剣の類は壁に掛けられており、この国に来てから度々見掛けた意匠の物も同様に飾られていた。
あの大剣は恐らくこの店の出なのだろう……その刀身は自身の身長と同じくらいで、持ち手の部分も入れれば少しだけ大きい。
幅も広く、拳が四つは収まりそうなそれはかつてこの背に収まっていた魔剣―――グラムそのものだった。
「英雄の大剣ね……東の英雄レイジが使っていたとされる大剣だけど―――」
「それは出来の悪い模造品じゃ」
カルーアの言葉を継ぐ形で店主が現れ、不機嫌そうに呟くとカウンターに腰を下ろす。
頭には薄汚れた手ぬぐいを巻き、そこからはみ出た髪が立派な髭と混在している。
皺の刻まれた顔は加齢によるものか、それとも鍛冶仕事の為だろうか、外見から年齢を推し計るのは難しそうだと感じた。
「客だと気付かんですまなんだ。金を持ってるのならゆっくり見て行くと良い……儂の所は森人だとしても差別せんわな」
そう言って酒瓶をあおり、昼間だと言うのに一杯始める店主。
「もー、お父さんってば! お客さんが居る時は止めてって言ったじゃない!」
少女はそう言って店主に詰め寄り、飲酒を咎めると腰に手を当て怒りを露わにする。
どうやら客として認めてもらえたようで安心し、提案された内容に一通り店内を見て回る。
(ああ、そういう事か……)
壁に飾られた大剣に触れ、誰に言うでも無く一人納得する。
冷静に落ち着いていられたのはあの日のような出来事が起こらなかったからでは無く、単純に気配そのものが違った為だ。
僅かに発しているそれは自身の魔力に反応しているのか、近付いて触れれば静かに発光した。
色もグラムよりは鮮やかで、刀身に黒塗りの岩石等は取り付けられていない。
値札を見れば数字が幾つも並び、一振りの値段は金貨三百枚超……とてもじゃないが出せる予算を大幅に超えていた。
「これにするの?」
カルーアの言葉に首を振り、その様子を窺っていた店主が大声で笑う。
「わっはっは! 良い目利きをしてる坊主だ!」
その様子に呆れてしまい、先程自分が言った台詞も忘れてしまったのかと心配になる。
(目利きじゃない……惹かれる物が無いだけだ)
そう言って店主に歩み寄り、挑発的に対峙すると
「ほう……面白ぇじゃねえか」
にやりと笑ってはそう言って、豪快な音を立ててはカウンターに酒瓶を置く。
「この俺様にそんなツラぁ向ける野郎は久しぶりだ……どれ、見せてみろ」
値踏みするような視線を向けて片手を差し出す店主。
ここが冒険者ギルドなら冒険者証を提示する所だろうが、生憎とここは武器屋……腰の長剣と戦鎚、背中の戦斧と棒を差し出した。
並べられたそれぞれを眺めては時折相槌のような言葉を漏らし、その全てをつぶさに観察し始める店主。
カウンターから降りたその姿はやはりというかなんというか、読み聞かされていたイメージのままのドワーフ像に納得する。
「長剣と戦斧は良い仕事してやがるな……ま、俺様ほどじゃあねえがな」
そう言って豪快に笑われる。
あの頃に今くらいの金策手段があれば、もっと良いものを作れた筈だというのは理解していた。
「戦鎚と……これは大剣用か? こっちは並だな。ひでぇ造りだ」
その言葉に一瞬むっとするが、続く言葉でそれもすぐに収まってしまう。
「戦鎚……こっちは頑丈なだけの物だな。大剣に至っては素人がその場の思い付きで考えたような、そんな粗悪品……ちぐはぐだが、柄だけはピカイチってとこか……」
迷宮での拾い物に文字通り素人が背中の寒さを紛らわせる為だけの大剣……挑発的な態度は自信の表れか、瞬時に制作意図を見抜かれ言葉を失う。
先程までは只の飲んだくれという印象しか無かった店主だが、武器の事となれば目の色を変えて職人気質の一面を見せた。
「修理って……これをか? グレイロック? ふむ……なるほど……」
カルーアに通訳をしてもらい要望を伝えると、棒を眺めては何度か頷く店主。
「出来ない事は無い……が、また同じ事の繰り返しだぞ?」
その言葉に再び肩を落とす。
「篭められた思いを無駄にしたいのなら話は別だがな」
大剣が壊れた場合でも最低限は戦えるようにしてある……そういう造りになっていると店主は言い切った。
それは少年のこれからの旅を案じ、どうか無事に帰って来られるようにと……そういう想いが詰まっているとも……。
全くどこまでも心配性でお節介な話だと、この上ない迷惑な話に目頭が熱くなってしまう。
「ゼロ様……」
「ふんっ。丈夫なだけで良いならこれよりも上等な物が有るわい。気に入る物が見付かるまで存分に探せば良いんじゃ」
店主の言葉に溜まった涙を振り払い、そういう事ならばと再び店内の捜索を始める。
大きさ、重さ、形状、相性……その全てを満たす物などそうそう有る筈も無いのだが、こうと決まってしまえばそのまま店を後にする事は難しかった。
「ねー、まだー?」
捜索を開始して暫くするとカルーアは飽きてしまったのか、樽の上に腰を掛けて干し肉を齧っていた。
一通りの大剣を触って振って確かめてみたりもしたのだが、そのどれもがしっくり来る事は無く、良さげな大剣も有るには有るのだがどこか馴染めない感じがした。
「坊主の体格だとそもそも身合う物が少ないだろう……」
店主がそう言った瞬間カウンター横の扉が突然開き、一陣の風が吹き込んで来る。
その場に居た全員が何事かと目を向けるが、そこから出て来る筈の人影は無く店主が目を丸くしているばかりだった。
どういう事かと覗き込んで見れば扉から先は外へ繋がっており、石畳の通路の先には降り注ぐ陽光を受けた一振りの大剣が地面に突き刺さっていた。
「なんじゃ……此奴等に、用が有るとでも言うのか……」
震える声でそう呟くと店主は椅子から降り、通路の先へと歩いて行く。
その様子を眺めていると店主の娘が手で促すので、無言のまま後を付いていく一同。
大剣の周りは外壁に囲まれており、元々はこの場所も武器屋の一角だったと言う。
意匠は店内に有ったそれと同じで、野ざらしのせいか損耗が激しい。
「あの日、例の小僧が魔王を倒したとされる日……空から急にこいつが降ってきおってな。討伐の報告か、はたまた無事の知らせか……」
そう言うと店主は優しげな瞳で、地面に突き刺さった大剣を眺めた。
「対となった―――かどうかは知らんが、これとあの槍だけが儂が認めた武器よのぅ」
「それって……」
カルーアの言葉に無言のまま頷く店主。
「それは正しく神の御業……およそ人の領域では到達出来ぬ神技の前に、儂の心は無惨に打ち砕かれ落ち込んだものよ……」
先程までの苛烈な表情とは打って変わって、昔を懐かしむ視線を送り続ける店主。
「傑作なのはそこからじゃ……あの小僧、何て言ったと思う? 同じ物をもう一本作れば神と同じじゃと、そう抜かしおった。全く人の気も知らんで、本当に呑気な小僧じゃったわい」
かと思えば豪快に笑い、再び酒を呷る店主。
「同じ物を作る事は終ぞ叶わなんだ……じゃが少しは理解出来たつもりじゃ。そのお陰で今も鍛冶屋として繁盛しているが、来るのはどいつもこいつも武器頼みの三流以下よ」
苦々しく吐き捨てられ先程のやり取りを思い出す。
自身が苦心して手塩にかけた物を、力量も伴わないうちに使われるのが嫌だったのだろう。
「この剣の銘は『吸魔の大剣』……神が造り、稀代の名工このゴードン様が打ち直した生涯最高傑作じゃ」
傍目には店内の物と同じ、何の変哲もない石の大剣に見えた。
刀身はくすんだ灰色一色で、ところどころ欠けていたり良く見れば刃毀れもしている。
柄も鍔も取り留めて目を引く箇所は無く、その素っ気なさがどこかグラムと似ている気がした。
「触るのは止めとくんじゃな。吸魔……使用者の魔力を際限なく吸い取り、足りなければ見境なく周囲に襲い掛かる」
店主の言葉に頷き、それと同時に大剣へと触れた。
予感は有った。確証も有った。ひと目見た瞬間にそれは直感よりも正しく正確な情報を頭に植え付け、自身の中の何かが体を突き動かす。
「ばっ―――」
店主の怒号が響くよりも早く周囲に暴風が巻き起こる。
地鳴りのような音が鳴り響くと同時に地面は揺れ、触れた指先から急激に魔力が抜けて行くのを感じていた。
(なるほど……これは凄いな)
一瞬ごとに力の抜けて行く感覚は水薬作りのそれなど比にならず、あと数瞬もすれば立っている事さえ出来なくなるだろう。
「早く! 手を離すんじゃ!」
怒り、猛り狂うように風は勢いを増し、その中に怒りや恨みと言った怨嗟の声を聞いていた。
(……大人しく、しろ!)
右手に力の限り魔力を篭めると、それをそのまま大剣へとぶつける。
先程まで荒れ狂っていた嵐は一瞬で鳴り止み、辺りに静寂が訪れたかと思うと次の瞬間―――より一層激しい嵐が巻き起こる。
「ちょ、ちょっとー! どうなってんのよー!」
先程よりも激しい感情が激流のように流れ込み、滅茶苦茶な音は最早意思の疎通さえ許さないだろう。
(勝手に作られて弄くられて放っとかれてむかつくよな……気持ちは分かる。分かってやれる。お前が従うなら、共にぶん殴りに連れてってやる……だから―――)
そこまで語り掛けると大剣を引き抜き、上段に構えて勢い良く地面へ叩き付ける。
(大人しくしろって、言ってんだよ!)
刀身の腹で地面を叩き、続け様に拳も打ち込む。
再び強風が収まると再度繰り返される事は無く、大人しくなった大剣を手に持ち振ってみる。
「こりゃあ驚いた……小僧以外に従うと言うのか……」
店主の声に首を振り、それは違うと否定する。
(たまたま目的が一致しただけだ……それと、まあこれは良いか……)
何時かグラムにやってやろうと思っていた嫌がらせの類を拳に乗せ、それを条件に大人しくなってもらっただけだ。
「大人しくなってもらったって……あんた、体は大丈夫なの?」
カルーアの言葉に首を振る。
勢いが減ったとは言え、これを担ぐのは中々に骨が折れそうだ。
「久方ぶりの魔力じゃ、最初は辛いじゃろうが直に落ち着く……が、それは直してからの話じゃな」
指し示した箇所には拳の跡がくっきりと残り、そこから左右に亀裂が走っていた。
「そこまでしても砕けないのは不思議じゃが、元々そういう剣じゃ……全く、面白いもんを見せてもらったわい」
そう言って豪快に笑い飛ばす店主を見て、同様に腰に手を当て笑って見せると拳骨が落ちる。
「呑気に笑ってんじゃないわよ! まったく、あんたって奴は……」
そんな光景におろおろとするキビと、表情は変わらないが肩で笑うトウ。
店内に戻ると店主のゴードンが再び椅子に腰を掛け、商売人の顔付きになると
「さて、手直しの件じゃが……まあこのくらいじゃな」
大剣の直しに千枚。長剣と戦鎚、戦斧の改修に四百枚と、途方もない金額が提示される。
「たっかーい! こんなに払える訳無いでしょ!」
「うーるっせい! これでも十分安くしとるんじゃ! 冒険者ならガタガタ言わんと払わんかい!」
壁の大剣が金貨三百枚という事を考えれば妥当なのかも知れないが、それでも今の自分には到底払える額では無い。
これはいよいよもって水薬を金に変える時が来たかと思っていると、ゴードンの娘が口を開く。
「ごめんなさい。私達、どうしてもお金が必要なんです……」
そう申し訳無さそうに呟いたのだ。
繁盛している店なら金などどうとでもなりそうなものだが、事情を聞くとこの土地の風土病が原因だと言う。
「本来はそこまで高い物でも無いのですが、勇聖教が出来てからというもの薬の値段が徐々に上がってしまって……」
砂塵蓄積症……それがこの土地の病名だと言った。
通常の砂よりも遥かに体内に残りやすく、罹患すれば早めの摂取が好ましいとされるこの病は昔は誰でも容易に服用が可能だったと言う。
しかし勇聖教が出来てからというもの材料の一つを出汁に、国家間の交渉材料として使用するようになってからはそれを使用する薬も、必要な原材料も高騰の一途を辿っている。
原因となっているのは原材料の一つ、勇聖教産の聖水……ネーミング一つでここまで人を苛つかせるのは天賦の才と認めざるを得ないのだが、本当に全てが癇に障ると苛々が止まらない。
「収入に応じて薬の値段は変わるので、私達の薬の値段は……その……」
所得税みたいな物だろうか。
全く何の役にも立たない癖に金を巻き上げる事に関してだけは知恵が回る、どこかのクソ国家のようで本当にクソだと思わず鼻で笑ってしまう。
「だから……もしも冒険者さん達がお金を沢山持っているのなら、お願いします! 絶対に良い仕事をしてみせますので、どうか……!」
娘の嘆願もどこ吹く風で、青筋を立てながら取り出した本を捲り目的の項目を探す。
「……そうですね、それで合っていると思います」
キビの言葉に頷き材料を取り出す。
砂鮫の魔石以外はありふれた材料で、聖水の記述はどこにも無いのだが大丈夫なのだろうか……。
制作年数が一年と書かれた辺りに何か絡繰りが有りそうな気もするが、そもそも特級の水薬書など出回っていないらしいので、そういう物なのだろうと納得する事にした。
(適量って……)
床に座り込み魔石を毟っては砕き、制作が中断されるとそこに追加で投入してみる。
何度目かの挑戦で漸く成功し、どうやら当たりを引けたようで安心した。
(ほら、出来たぞ)
「えっ? えっ?」
困惑する娘に事情を説明するカルーア。
(足りなければまた作る。その時は砂鮫の魔石だけ用意しておいてくれ)
砂鮫の魔石にまだ余裕はあるが、それを上回る注文が入れば足りなくなるのは必死だろう。
「本当に……これで効くってのか……」
ゴードンの言葉に頷き、効果は神の保証付きだと説明する。
家で伏せっている奥さんの分も作り終え、合計で三本用意したところで制作を終了した。
途中から徐々に回復の兆しを見せた魔力が件の大剣から流れ込んで来るのを感じ、粋な計らいに怒気も少しは収まっていた。
「これで少しは負けろだって? 馬鹿言ってんじゃねえ!」
交渉をカルーアに任せたのは失敗だったか、それを聞くなりゴードンが大声を上げる。
「金なんて要らねえに決まってんだろうが!」
その言葉に目を丸くし固まる一同。
目的がこの水薬であればそれも納得なのだが、流石に全て無料というのはどうにも借りを作るようで居心地が悪い。
「うーるっせい! 良いから少し待っとれ!」
そう言うとゴードンは厚手の手袋を嵌めて件の大剣と共に店の奥へ消えて行く。
「これは……良かったのでしょうか?」
(……まあ良いんじゃないか?)
呆けながらも事の顛末を見届け、娘の再三の礼にも生返事をするゼロ。
店の奥からは緊張した空気が感じられ、その後すぐに怒号が飛び交う。
まるであの大剣と肉弾戦でも繰り広げているのかと思うほど激しい怒号と共に、ぶつかり合う金属音や何かが擦れ合う擦過音等が耳に届く。
暫くしてそろそろカルーアの腹具合いが限界に近付いた頃、漸く出て来たゴードンの手には一振りの大剣が握られていた。
それは先程よりも研磨されてか一回り小さくなっており、例の拳の跡だとか刃毀れの類は綺麗に修復されていた。
「普通の剣ならこうはいかねえ……こいつもお前さんが気に入ったんだろうな、昔よりは随分と協力的だったぜ」
あの怒鳴り声からはおよそ想像出来ない事だが、お互いの間には他者に分からぬ何かが有るのは明白だった。
「ほらよ。残りは数日中にやっておいてやる……気が向いたら取りに来い」
無造作に手渡され、柄を握り大剣を眺める。
材料は一目で石材だと分かるのだがそれ以上は不明。神の手によって造られた大剣との事だが、これもあの少年神のお手製なのだろうか……。
両刃の大剣だった先程の趣とは大きく異なり、片方の刃は薄く研がれていた。
反対の棟……峰部分は厚く補強されており、斬ったり叩いたりはお手の物だろう。
背中に挿し込めば鎧との相性も上々で、何かを吸い取られる感覚以外は上等だと感じていた。
「またこんな光景を見られる事になるとはな……せいぜい可愛がってやんな」
逐一吸い取られる魔力に対抗する為、水薬の瓶を空にしていると感慨深そうに呟くゴードン。
その言葉に深く頷き、この日は店を後にした。
本当はもっと色々と聞きたいところでは有ったのだが、そろそろカルーアの腹が怒りと共に爆発しそうだったので足早に退散し、水薬についてはなるべく秘密にしておいてくれと頼んでおいた。
これ以上の面倒はなるべく避けて行きたいと思っていたし、何よりもルピナ……もといミリィの言葉の真意が武闘祭に有ると思っていただけに、こういう結果になったのは少し拍子抜けした気分だった。
「ゼロ様、御体は大丈夫ですか?」
心配するキビの言葉に深く頷き返し、魔力回復薬を三本消費したところで漸く吸魔とやらが落ち着いて来るのを背中に感じる
隣を歩くキビに体調の変化等は感じられない事も確認済みなので、どうやら本当に大人しくなってくれたようで安心する。
要するに長いこと放置されて目の前の子供と同じ状態になっていただけなのだ……必要ならば水薬を必要分揃えてきてやろうかと思っていただけに、言葉は交わせないが意思の疎通は可能なようで非常に助かる。
(吸魔の大剣か……)
長ったらしい銘にグラムのような名前を考えるが、ネーミングセンスは絶望的だと太鼓判を押されているので不安になる。
もしも付けるのならグラムの対だったか、別名のような名前を……朧気な記憶の中に有るそんな物が相応しいと思っていた。
必殺の一撃を放つ時、その武器の名を叫ぶ腹を空かせた少女の行為……それは年甲斐も無く少しだけ格好良く映っていた。
そんな事を考えながら一同は食事処に無事到着し、名物の饂飩と蕎麦を堪能する。
岩石饂飩は丼の中央に厚揚げ豆腐っぽい砂鮫の切り身が浮かび、汁に浸っている部分からほろほろと崩れては食べ進める毎にスパイスの効いた味わいを見せた。
砂漠蕎麦は天ざるの上に海苔代わりの粉が掛かっており、蕎麦自体も何かが練り込んであるのか風味が強い。
麺つゆの代わりにこれまた違う色の粉末を付けて食べるのだが、一番近い味は胡麻だれだろうか……独特な香りが口中を駆け巡る。
「ふふ……美味しいですか?」
(うん、美味しいな!)
一口食べては眼を輝かせるゼロに対し、微笑みながら問い掛けるキビ。
食べている間もこんなに似ている物が有るのなら、どこかにカレー屋さんも存在するに違い無いと蕎麦を啜る。
そんな楽しいひと時を終えると本日の寝床へ向かい、冒険者ギルドには明日にでも向かおうとそういう運びとなった。
今日中に行けば目立ってしまった手前、色々と面倒も多いだろうとの判断だが特に急ぐ理由も無いので素直に従う。
そして―――
「ゼロ様、大事な御話が御座います」
宿屋の食堂で食後の茶を飲んでいると、真剣な面持ちでキビがそう切り出した。
夕飯はカレーライスだったので思い掛けない展開に心を弾ませ満足していたのだが、三人の決意した瞳に同様の物を感じて座りを正すとゆっくり頷いた。
暫く見詰め合ったままの時間が流れ、言い難いのか口を開きかけては俯き閉じてしまう様子に何事かと身構えてしまう。
「私達は……故郷へ帰らせていただきます」
やっとの思いで聞いた言葉は思いもよらないもので、きっと傍目から見れば間抜け面を浮かべていた事だろう。
一度では理解できず、頭の中で何度も反芻して飲み込むと短くただ一言
(……そうか)
そう返すのがやっとだった。
カルーアの口振りから今までどこか旅の最後まで付いて来てくれるものだと思っていただけに、そう言えばそんな約束をした覚えも無いのだと気付かされる。
彼女達には彼女達の生活が有り、其れを妨げる権利等は有る筈も無い……このタイミングで切り出したという事は、少しは成長出来たと認めてくれたという事だろうか……そうでありたいし、そうであればと願わずには居られなかった。
「ごめんなさい……」
申し訳無さそうに呟くキビの言葉に、夜空と同じ暗がりが落ちていた。
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