第二十八話 ~告白~
《第二十八話 ~告白~》
翌日。
勇聖教の拠点襲撃を経て、一同は亜人領の獣王国……ビーストキングダムを目指していた。
国境の検問所はエルフ領のそれと似たものでは無く、山脈が綺麗に両断されておりそこを通り抜ける形となっていた。
二国間の出入り口には堅牢な門が設置されており、薄暗い通路は綺麗に舗装されている。
あの襲撃から厳戒態勢となっていたようだがその主犯が自分達だとは判明していないようで、信頼も有るカルーアの冒険者証はその役目を大いに果たす事となる。
「感謝しなさいよね」
そう言ってはやはり無い胸を張って鼻を鳴らすカルーア。
そんなカルーアに生返事をし、不自然に滑らかな断面に目を奪われていると
「この山はかつてエルフェリアとビーストキングダムを分かつ物でした」
「それを先の英雄……東大陸の勇者、レイジ様がお斬りになったと言われています」
興味深そうにしていたのが目に留まったのか、親切丁寧な解説が二人から発せられる。
「元々は息苦しい隧道だったから、私はこっちの方が楽で良いわね」
呑気に放つカルーアの言葉にそれはそうだと頷く……が、これを一人の人間がやったのだとしたら、それはそれで問題な気もする。
頭上の頂までは遥か彼方に視界が霞む程、その威力は一体どれほどの物なのか……。
そうして長い谷底のような道を抜けると、晴れて獣人国へと足を踏み入れる一行。
(おお……)
そう感嘆の声を漏らしてみるも、風景等は中立地帯と然程の変化は無い。
地平線の少し手前には荒涼とした大地が広がり、心なしか空気も少し乾いているように感じた。
遠目から見ても一目で分かるほど、赤茶けた大地が右から左に広がっている。
「獣王国付近は草木が少なく、かつては不毛の大地と呼ばれていました」
「獣人種は劣悪な環境に強く、それを長年掛けて改善したのは見習うべき所も多いです」
感心するような物の言い方に尊敬の念が見受けられ、その解説に只々聞き入っていた。
このまま直ぐにでも獣王国に向かいたい所なのだが、余程の事でも無い限り二晩続けての野宿は勘弁してもらいたいので、ここから北西に在る宿場町へと向かう。
街道は比較的静かなもので、時折行商人の物だろうか幌付きの馬車を何台か見掛けた。
引いているのは馬と牛の合いの子のような動物で、それを操っている御者もまた人族の外見とはかけ離れている。
街道の周囲に野生動物や魔獣の気配を感じ取るが、襲い掛かって来るもの以外は全て捨て置いた。
「ゼロ様……」
(ん?)
昼食時……火を囲んでスープを作っていると、少し暗い表情のキビが声を掛けて来る。
猫人族の一件では二人と多少の諍いは有ったものの、それについてだらだらと話し合ったりはしていない。
鎮痛な面持ちから恐らくそういう内容だろうと察するが、昨夜に謝った筈なのだがまだ怒り足りないのだろうか……。
「ゼロ様は何故、ああまでして猫人族を助けたのですか?」
意外と柔らかい切り口に拍子抜けする。
(……助けた覚えは無い。たまたま勇聖教が絡んでいただけだ)
その言葉に薄ら笑いを浮かべるカルーア。
ルピナから何を吹き込まれたか知らないが、何でも知っているぞと言う笑みはこの上なく不愉快なものだ。
「その土地に伝わる因習……土地神を殺める事に抵抗は無かったのですか?」
滝から出て来た大蛇の事だろうか、おずおずと質問する様に小さく頷く。
(土地神ね……生憎と神様は間に合ってる。俺の居た世界にも大昔に似たような事をやっていた時代が有ったようだが、徐々に廃れて行ったよ)
「チキュウ……ですか?」
キビの言葉に再び頷く。
信心深い方では無いが、全く居ないと言う事でも無い。
八百万に神が宿っているという考えは実に日本人らしく、どこか薄ぼんやりと畏敬を抱いているのが正直な所だ。
これには祖父の口癖だったお天道様が根幹として残っている為で、そこから顔を背けるような生き方はしないようにと心掛けている。
「ゼロ様は怖くないのですか?」
窺うようなキビの声に疑問符を浮かべる。
「……我等森人族の中で、ダークエルフは禁忌とされて来ました」
「キビ! 貴女なにを―――」
訥々と語りだすキビに声を荒げるトウ。しかしそれはカルーアによって片手で制される。
「見れば光を失い、触れれば病に掛かる……そんな風にして忌み嫌われて来たのです」
そうなのか? と、横目でカルーアを見ればゆっくりと頷かれた。
「無論そんな物は根拠の無い出鱈目……肌の色が魔族に近いからと、こじつけられた悪意の塊なのです!」
声を荒げるキビをよそに、カルーアからパンを受け取る。
「何故そんな、何でも無いように出来るのですか!?」
キビの形相に内心では多少引いていたが、何故と言われても特に理由などは無い。
カルーアは頼りになるし良い奴だ。それ以外の事は全てが些事に過ぎない。
強いて言えば昨夜のテントで就寝中に抱き着かれ、まな板を押し付けられて額が痛かったくらいのものだが……それは黙っておくのが賢明だろう。
「些事……ですか?」
(そうだな。些事……些末な事だ。どうでも良い)
キビの言葉に頷き返し、パンを千切ると口へ放る。
(本人や近い種族の者しか分からない事も有るだろう。だが俺にはそれを解決する術は無い。地球でも似たような事は有ったが、木を見て森を判断しないだろ?)
この言葉は逆だったか、そもそもこういう場面で使う言葉だったか等と思い返すが、それを調べる手段はこの世界に存在しない。
上手い例えは見付からないが、カルーアはカルーアだ。それ以上でもそれ以下でも無い。
(大体病に掛かるって……最初に出会った時こいつは呪われてたんだ。そんな奴が病を振り撒くって、そりゃ一体どうやるって言うんだ?)
そう言って鼻で笑い、先程の仕返しとばかりに笑って見せる。
これには漸くカルーアにも火が付いたようで、あれは油断していただけだとか、もう少しで自力で解決出来た等と息巻いていた。
カルーアの言葉を聞き流し、漸く落ち着くと着席をした所でキビが真剣な面持ちのまま、姿勢をこちらへと向けた。
「ゼロ様……」
(ん?)
座りを正し、地に三つ指をつくと丁寧に頭を垂れ
「……御慕い申し上げます」
と、少し震えた声で発した。
すると途端に横のカルーアが盛大に吹き出し、噴霧されたスープが横っ面に浴びせ掛けられると
(なにすんだよ!!)
怒鳴って立ち上がればカルーアの顔は真っ青になっており、それはトウにも同様の事が言えた。
「あ、あんた……なに言ってんのよ!?」
わなわなと震える唇からやっとの事で絞り出すと、一連の所作について問い質す。
確かに急な告白では有ったが、もう訳が分からないのは自分も同じだ。
だがここで取り乱したりはしない……そう、何故ならば―――
「はいはい、大人だからね。座っててね」
呆れ顔のカルーアを見て、満足気に口角を上げては頷いた。
「って、そんな冗談は良いのよ。キビ、どういうつもりなの!?」
まるでそれが大事かのようにゆっくりと、緊張の面持ちで問い掛けるカルーア。
事情を飲み込めていない自分はとりあえず目の前のスープを飲む事にした。
「貴女はまだ子供なのです!! 結婚なんて早過ぎます!!」
トウの言葉に盛大にそれを吹き出した。
それは見事に横のカルーアへと掛かり、先程と同じような展開が繰り返される。
激昂するカルーアをよそにキビが口を開く。
「お姉様を助けて下さった時から決めていた事です。先日の御詫びも兼ね、不束者ですが何卒宜しく御願い申し上げます」
そう言って顔を上げたキビは僅かに口角を上げ、行き過ぎた愛情表現に少しばかりの狂気を感じた。
(こ、怖いな……)
ただの告白的な物では無いのかと聞けばエルフの女性から思いを告げるのは禁忌とされており、禁止とまではいかないが端ない行いだとされているらしい。
その上その告白が失敗すれば以後、二度と自分から他の誰かに思いを伝える事は許されず、それは精霊に依って厳しく監督されているのだと言う。
「私達の魔法は精霊の力を借りている……だからこそ、そこに悖るような事は絶対にしてはならないの」
禁止されてはいないが実質禁止みたいなものだろう。
最悪の場合は魔法を使用する事すら出来なくなるようで、過去にもそういった事例が有ったそうだ。
ここであの青年の言葉を思い出し、性別は違えどそういう風習的な事だったのか……等と現実逃避を試みる。が―――
「……で、どうすんのよ?」
返事をしろとばかりに、少し目を輝かせたキビが待ち侘びていた。
(どうもこうも無い。リュカを生き返らせたら是非とも言ってやってくれ)
素っ気ない物言いにキビは落ち込み、カルーアが怒鳴り散らす。
「あんたねえ、これはそんな軽く扱って良いものじゃないの! エルフ族全体のそれはもう重い、おっもーーーい、大事な事なの!!」
カルーアの激しい剣幕に、ペナルティの件も含めそんな事は分かっていると返す。
「だったらなんで―――」
(分かってると言っている。だが現状はこうなんだ……俺は俺で、リュカじゃない。この体は借りてるんだと何回言えば理解するんだ?)
憤るカルーアに溜め息混じりに言葉を吐く。
「それは分かってるけど……」
(なら話は終わりだ。精霊ってのが聞いてるなら、この話は無かった事にしておけよー)
立ち上がり両手を振ってお願いしてみると、不意に頭上が輝いた。
その光景に思わずたじろぎ、どうやら聞き届けられたようで安心する。
どこからか子供のような笑い声が風に乗って聞こえ、不思議な現象に只々空を見上げてしまう。
「ゼロ様……」
まだ何か有るというのだろうか。すっと立ち上がるキビが目の前に立ちはだかる。
色素のうすい肌に大きな瞳が二つ……鼻筋は通っており、一見すると冷酷に見える眼差しがこちらの様子を窺い続ける。
こんな美少女に告白されれば忽ち誰もが虜になり、間違い無く百人中百人が首を縦に振るだろう。
しかし素直に首を振る訳にもいかない……その権利はリュカのものであり、リュカ自らが決める事なのだ。
だからこそ今の今まで明確な答えは出さず、ルピナの気持ちにすら素直に答えてはやれなかった……全く人の気持ちも知らずに、自分勝手な奴等ばかりだと憤らずにはいられなかった。
「リュカ様が蘇生された暁には、再度お受け頂きたく思います」
何時もの表情でそう告げるキビに先程までの雰囲気は微塵も無く、今度は安心して頷く事が出来た。
「ですが―――」
切り返す言葉に再び身構え、今度は何が飛び出すのかと戦々恐々に身構える。
「リュカ様がお戻りになられた場合、ゼロ様はどうなるのですか?」
そう問われて言葉に詰まる。
その事について今まで考えなかった訳では無い。
また地球に戻れるのか、それともそのまま死んでしまうのか、はたまた違うのか……。
存在すら怪しい蘇生魔法を探して旅をしているのだから、とりあえず見付けてから悩むべきだとは思っていたが、キビの言葉で再び思考のループに嵌りそうになってしまう。
「蘇生魔法、ね……」
思案顔のカルーアが呟く。
かつてグラムが残した言葉を頼りに今日まで旅を続けて来たが、やはり目指すべきは魔族領なのだろう。
未だ道半ばではあるものの、その存在すら耳にもしないとなれば手掛かりは未踏の地か或いは―――。
暗い顔をしていたと気付き両手で顔を揉み込むと、気を取り直して食事を続けた。
すっかり冷えてしまったスープを流し込み、冷えたものがするりと腹に落ちて行った。
そうして波乱の昼食を終え、にやにやと薄ら笑いを浮かべたカルーアがトウと並んで先を行く。
時折振り返っては口元に手を当て笑い、正面に向き直ってからも二人で内緒話をしてはくすくすと笑い合っていた。
(あの野郎……)
仕返しの時までこの怒りは取っておこう……そう心に決めた瞬間だった。
「ゼロ様、申し訳御座いませんでした……」
そんなからかう素振りを見せるカルーアに耐え兼ね、キビが申し訳無さそうに謝罪を入れて来る。
(冷静なキビにしては珍しかったな。だけど謝る必要は無い……これはこれでリュカ坊が、エルフの女の子にもモテモテだと分かったからな!)
おどけてガッツポーズを作るとキビに笑顔を向け、言葉の度に心臓が脈打った。
呟くキビの言葉は風に紛れ流されると、一同は漸く本日の宿泊予定地へと到着する。
(お、おおー……)
これまでの街道脇に建物が建っているだけのそれとは違い、その宿場町は活気に溢れていた。
どこか猫人町のような雰囲気を漂わせ、背の低い柵の下には嫌な思い出の草も生えている。
アーチ状の入り口には歓迎の言葉と共に『トーン』と書かれていた。それがこの町の名前なのだろう。
宿屋の他にも冒険者ギルド、武器防具店、魔道具屋などが所狭しと並んでいる。
規模こそ王都のそれとは比べ物にならないが、こういう雑然とした町並みは嫌いでは無かった。
途中で見掛けた幌付き馬車も沢山並んでおり、どうやら交易の要として重宝されているのだろう……初めて目にする物も多い。
「それじゃあトウとキビは宿の確保。あんたは荷物運びね」
そう言うとカルーアは二人にテキパキと指示を出し、魔法鞄からは次々と獲物が取り出されて行く。
道中で牙を向いてきた蛇や蝙蝠や熊っぽい怪物と、先日の一件で両断した水蛇だ。
半分はカルーアが魔法鞄に収納し、もう半分はそのまま手で運ぶようにと指示を受ける。
自分への嫌がらせかと思ったのだが、これにも理由が有るのだと言う。
「舐められて無駄な時間を取られたくないだけよ」
とはカルーアの談だ。
荷物運びは苦では無いが、バランスをとるのが少々難しかった。
二階建ての小ぢんまりとした冒険者ギルドに到着すると、カウンターの前で漸く荷物を下ろす。
外観や内装はリアモのギルドとよく似ており、違いと言えば中の受付嬢くらいなものだろうか……全員が獣耳を生やしていた。
「いらっしゃいませ。こちらは全て買い取りで宜しいでしょうか?」
「そうね。魔石は抜いてあるし、それで構わないわ」
狐顔の受付嬢にそう返すと魔法鞄から続々と獲物を出現させるカルーア。
次々と積み上がっていく怪物の屍に嫌な顔一つせず、受付嬢は即座に人員を手配する。
積み上がっては消え、消えては積み上がりを繰り返し、それが終わると今度は冒険者証を提示する。
「お名前はカルーア様……C等級でしたか。素晴らしい腕をお持ちなのですね」
称賛の言葉に笑みを浮かべ、途端に気を良くするカルーア。
「お受け取りは……」
「一泊するから明日の朝、現金で四等分にお願いするわ」
慣れた感じでやり取りを済ませ、手早く冒険者ギルドを後にした。
多少は現金も持っておいた方が良いと言うのはカルーアの言葉で、そもそも提携していない店では冒険者証での支払いが使えないのだから納得できる。
交渉事や、何かの時の見せ金として使用するとも言っていた。
今は魔法鞄のお陰で大金を持ち歩いても気にする必要は無いのだが、こういう事も考えるとやはり必須級のアイテムなのだと実感する。
宿のタンス貯金で無事だったのは本当に幸運だったのだと、遠く離れた今だからこそ改めて実感していた。
「ま、そんな悪い所も随分減ったみたいだけどね……昔は今よりもずっと大変だったらしいわよ」
治安や防犯面での事は本当に良く改善され、ここまでまともになったのは感心とばかりに深く頷くカルーア。
時代なのか、人の心の有り様なのか、はたまた違うのか……願わくば怪物以外に気を取られる事の無い、平穏無事な世の中を願った。
カルーアが耳元に手を当てて何かを話しているのを見て、恐らく二人へ連絡を取っている事を察すると、先程から気になっていた屋台を覗いてみる。
香ばしい匂いと炭に落ちる油……そこはリアモで贔屓にしていた串焼きの屋台に良く似ていた。
「お、なんだ坊主? 買ってくか?」
またしても顔に出ていただろうか、犬顔の店主はそういうと口角を上げて微笑んだ。
剥き出しとなった牙は鋭く、敵意が無いにせよ一瞬警戒してしまう程の代物だ……亜人と一口に言っても、実に様々な人種が居る。
そんな事を考えていると店主は串から肉を取り外し、その内の一つをひょいと投げて寄越す。
食ってみろと言わんばかりの表情を見て、受け取った肉を口に入れると芳醇な香りは忽ち口内を駆け巡り鼻から抜けて行く。
弾力の有る肉は噛む度に肉汁が溢れ、香辛料の類が次々と押し寄せて来る。
リアモとの違いはこれだろうか……醤油っぽい味わいは似ているのだが、こちらの方が辛味が強い気がした。
「良い顔するじゃねえか。どうだ、気に入ったか?」
腕組みをして満足そうに微笑むとそう言って、大口を開けては豪快に笑う店主。
問い掛けに頷くと銀貨を三枚取り出し、十本分の代金を支払う。
「おいおい、一人でそんなに食べるつもりか?」
その問い掛けには首を振り、四本の指を立てて仲間が居ることを知らせる。
「そうかそうか。それなら仲良く食べるんだぞ」
手際良く袋詰された肉串を受け取り早速一本食べようとすると本数が多く、それについて尋ねようとすると店主は無言のまま笑顔で頷く。
キリの良い本数になっている事に店主の意図が伝わり、丁寧にお辞儀をして礼を述べると明日はもっと買おうと決意した。
そうして踵を返して元の場所に戻ろうとすると、少し離れた場所にカルーア達を見付ける。
どうやら既に集合していたようで、遠目から見守っていたようだ。
「おかえり……って、あんた夕食前にこんなに買ったの?」
呆れたようなカルーアの言葉に頷き、袋を差し出して取らせる。
「まったく買い食いばかりして……夕飯が食べられなくなっても知らないわよ?」
そう言って世話焼きな一面を見せるものの、一口食べては途端に表情が変化する。
「なにこれ! すっごい美味しいじゃない!」
「そうですね」
「そう思います」
トウとキビの言葉は何時も通りだが、表情が僅かに綻んでいる。
あまり表情を崩さない二人を料理で変えられるというのは物凄い事だと思った。
「ちょっと買い占めて来るわね」
(迷惑になるから止めておけ。足りないならまだ有る)
そう言って袋を差し出し、三人から一本ずつ貰うとカルーアの笑顔は弾けんばかりとなった。
そんなやり取りを交えつつ、本日の寝床となる宿屋へ向かう一同。
流石は交易の拠点と言うべきなのか、宿泊客が想像以上に多く予約できた部屋は二人用の部屋が二つ……狭い事に不満は無いが―――
(どうしてこうなった……?)
夕食後、部屋で酒を呷っていると首謀者の顔が頭にちらつく。
何か思わせぶりな期待に満ちたその顔は、これから起こる何かを予感させるものだ。
しかしそんな気分も目の前の石塊や只の棒と化したかつての相棒を見れば、様々な思い出とともに苦い物が喉から胃へと落ちて行く。
一口、また一口と流し込む度に己の未熟さと後悔の念だけが堆積していくのを感じた。
微かに聞こえていた水音が消え、扉を開ける音に視線を向けると湯上がりのキビが姿を現す。
髪は少し濡れ頬はほんのりと紅くなっており、上気した肌は一目で風呂上がりだと分かるものだ。
「……武器を、見ていたのですか?」
キビの問い掛けに頷き再び机の上に置かれた無惨なモノに目をやれば、奥歯を噛み締め己の不甲斐なさを恥じた。
「大事にされていたのですね」
そう問われれば甚だ疑問が浮かぶのだが、この大剣のおかげで命を救われた場面は何度も有った。
ルピナと共に巨大スライムを叩き、迷宮ではぶん投げて蠍の尻尾を斬り落としたりもした。
自身を護ったりぶっ叩いたりと、よくもまあぞんざいな扱いをしてきたなと反省ばかりが思い返される。
「獣王国には腕の良い鍛冶師も居ると聞きます。その武器の代わりとはならないでしょうが、一度見てみるのも良いかも知れません」
キビの優しさに同意し頷くと、グラスに残った酒を飲み干し立ち上がる。
(そろそろ寝るか)
「はい」
そう言ってベッドに目を向ければ、この日最大の課題が飛び込んで来る。
部屋に幾らかの余裕は有るもののそれは綺麗に収まっており、頭側には枕が二つきっちりと並べられていた。
当然だが部屋割りに関して決めたのはカルーアで、様々な理由をこじつけられて強行されてしまった。
偵察、誘導、野営や国境突破等など……確かに彼女達の功績は大きい。文句などは有るはずも無い。
それならば命を救った事はどうなんだと、いきり立ってカルーアに詰め寄ったりはしない……そう、何故ならばそれは―――人として当然だからだ。
こんな状況になったとしても依然キビの表情は涼しいもので、相変わらず何を考えているのか不明な空気に困惑する。
どことなく雰囲気がルカに似ているのもあるだろうが、そうでなくてもこの状況は色々と無駄な事を思い出させてしまう。
観念してベッドに潜り込むと明かりを落とされ、外側を向いて溜め息を吐く。
そうして程なくすると部屋には静寂が訪れ、微かな衣擦れの音さえ憚られる……そんな緩やかな時間に次第に意識が落ち着いて行った。
「ゼロ様、起きていらっしゃいますか?」
不意に呼び掛けられ、驚き肩を竦ませる。
「ゼロ様は私が御嫌いですか?」
突然投げ掛けられた質問にすっかり意識を覚醒させてしまい、キビの方へ向き直ると顔を突き合わせる。
(……好きも嫌いも無い。信頼はしている)
カルーアや最長老への接し方を見ても、それは自分の中の素直な意見だった。
「確かに私はお姉様のように綺麗では無いですが、やはり御不満でしょうか?」
前文に盛大な疑問を覚えつつも昼間の事かと思い返す。
やはりあの告白はキビにとって重要なもので、当然ながらあの回答では頬を膨らませる程度には不服だったようだ。
(容姿の問題じゃない……それに、外見だけなら十分過ぎる)
そう吐き捨てた後、互いに口を開かず沈黙が訪れる。
時折キビの目は後方に行ってるような、少し逸れる視線が気になったりもしたが小さく頷かれるとその沈黙を先に破る。
「どうやら本当みたいですね……少し安心しました」
その言葉に困惑していると、キビが再び口を開く。
「私達エルフの魔力視には、その人の感情も同時に視る事が出来るのです。多くは色で見ますが、お姉様は音で判断するとも聞いています」
以前にそんな事を聞いた覚えが有ったが、感情の機微まで察せるというのは初耳だった……ような気がする。
「無論そこまで詳細に視る事が出来るのはほんの数人……ゼロ様のような方ですと先程のように時間を掛けねば中々分かりません」
だとすると散々言っていたカルーアの、人を食ったような言動にもある種の裏付けが有ったと言う事だろうか。
(……嘘はあまり得意じゃない。心配しなくても大丈夫だ)
「それは嘘です。苦手でしたら猫人族の町であれほど冷静に事を運ぶなど、普通の人には到底出来ません」
そう指摘するとキビは小さく笑う。
ミニャの父親が助けに入るまでは本気でやろうと思っていた事だ……そこに嘘も真も無い。
「ルピナ様のおっしゃっていた通りの方で安心致しました。だからこそ私も……その、なんと言いますか……惹かれてしまったのでしょうね」
頬を染め、俯き加減で呟くキビが漸く年相応の顔を覗かせる。
(それこそ勘違いだ。単なる贖罪だろう)
早合点で見せた怒りに対するものだと、この時まではそう感じていた筈だった。
ぐいと顔を近付けたかと思えば不意に柔らかい物が触れ、離した顔に照れたような笑みを浮かべるキビ。
「最初はそうだったかも知れません。お姉様の救出は私達にとって最優先事項の一つ……受けた大恩を御返し出来る機会と、そう思って準備を進めておりました」
そう言ってもぞもぞとベッドの中で身じろぎをしては、腕を伸ばして絡ませて来るキビ。
それは首に回され肩に回され、ゆっくりと優しくゼロの身体を引き寄せる。
「だからこそ猫人族の町では悲しかった……だからこそ嘘で嬉しかった……本当に、嬉しかったのです……」
呟く度に抱き締める力が強くなり、少々の息苦しさとキビの熱を感じる。
額の辺りが柔らかい物で包まれていた。
「ルピナ様がおっしゃっておりました。ゼロ様は他人と距離を置きたがり、その方法はとても子供っぽいのだと……今ならその言葉の意味も、多少は分かる気がするのです」
自分の預かり知らぬ所でとんでも無い会話がなされていたようで、頭を動かし双丘地帯を抜け出すとキビが微笑んでいた。
あの野郎……一寸前まで孕んでいた怒気はそれを見てしまえば鳴りを潜め、どうやらそういう事だったのかと納得するように後頭部を掻いて俯く。
全てを分かった上で話すまで待っていたという事実に感嘆すると共に、本当にカルーアの言った通りなのだと納得せざるを得ない。
「もしもあのような事を御考えでしたら次こそは私達にも御相談下さい。必ずやゼロ様の望む結果を御覧に入れます」
力強い言葉は瞳に表れ、その真剣な眼差しに気圧される。
(……覚えておくよ)
結果として一人の死者も出さずに終わった事件だったが、一歩間違えばあの場に居た全員を葬る覚悟は有った。
しかしそれはミニャの両親が有ってのもので、あんな顔を見せられてはルピナで無くともその心中を察する事は容易だ。
親は子を、子は親を慕い、寄り添い、大事に思うものなのだと信じている。
そう、自分の―――親以外は―――。
溢れ出す過去の昏い感情が沸々と湧き出すと、回された腕にゆっくりと力が篭められる。
優しく慈悲深い、それでいて少し遠慮がちなそれにキビの想いを感じ、再び顔を向けると呼吸が妨げられる。
「だからこそゼロ様……御慕いしております」
昼間とは違い無機質でどこか機械的な表情は一切無く、代わりに溢れんばかりの笑顔がそこに有った。
人の目……取り分け二人の目が無いからだろうか、これこそがキビの素顔なのだと理解した。
エリートだなんだと言った所で、この子はまだ二十歳そこそこの女の子……日頃の義務や責務から解放されたその表情こそが、この子が本来持ち合わせるべきものなのだろう。
まだまだ言いたい事、思う事は沢山有ったがそれは心臓の鼓動によって掻き消され、代わりに衝動とでも言うべき何かが体を突き動かす。
「ゼロ様……?」
キビの手首を掴み乱暴にベッドへ押し付けると、そのまま馬乗りになり顔を突き合わせる。
(何度も好き勝手するな……こっちにも我慢の限界は有る)
濡れたような瞳がそれを確認すると窺うような表情から一変し、再びくすりと笑みを溢すキビ。
言葉の代わりに唇を重ね、促すような視線で行動に移る……室内に響く声は無く、秘め事は静かに営まれて行った。
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