第四話 ~東の森と薬草採取~

《第四話 ~東の森と薬草採取~》


『まあなんだ……それなりに、冒険者らしくなったものだな』


 朝の運動を終え、宿の自室に戻り出掛ける支度を整える。


 黒染めの長袖シャツの上から革の鎧を着込み、手甲達を嵌める。


 左腕部分には小型の丸い盾と、裏側に矢じりサイズの短い投げナイフが三本。


 ズボンもシャツと同様に黒染めの物を使用しており、少し大きいが裾をブーツに入れると収まりが良かった。


 このブーツはグラムの助言で購入したもので、洗浄と乾燥が自動で行われる少し高価な物だ。


 各種ベルトを引き締め、鞘とグラムを背負い体にボロ布を巻き付ける。


 この前偶然出会ったラウルに再び整髪料を貰うべく付いて行くと、覚えていてくれたのか小さな女の子が駆け寄って来たのを思い出す。


「久しぶりだねお兄ちゃん。今日はお泊りするの?」


 尋ねるなり微笑む可愛らしい仕草は好意的なものだろう、首を振ると残念がっていたのを思い出し、自然と笑みが零れていた。


 ラウル達とはあれから数度しか会っておらず、お互いやる事がある身ではギルドでもそこまで顔を合わせたりはしなかった。


「おはようさん。さあ座った座った」


 他の客よりも少し早く食堂へ向かい、カウンターに座ると朝食を待つ。

 ごった返すと待つ時間も少々長く感じ、それよりも何よりも騒がしいのが鬱陶しい。


 ここ【金熊亭】は南門大通りの脇にある冒険者御用達の宿の一つだ。


 ギルドで貰った冊子にこの街の地図が描かれており、そこに幾つか宿の名前は有ったのだが、食事の度にここに決めて間違いでは無かったと自身の決断を褒め称えている。


『我は娼館の近くでも良かったのだがな……』

(言ってろ)

『ゼロもそうではないのか? この前も随分と楽しそうであったが―――』

(ぐっ……)


 グラムの言葉に顔を曇らせる。


 先月、あの辺りでかばってくれた女性と再開した折に色々とあったのだが……グラムの言う通り、楽しかったのは確かだった……色々な意味で。


『なれば今日もしっかり稼ぐとしよう』


 そんな阿呆な事を考えていると目の前に朝食が置かれる。


 スープとパンとサラダ、見慣れたハムエッグと薄めた甘口の葡萄酒だ。

 この世界で食事を楽しむなら、これが何の肉かは考えないのがコツだろう。


 隣の席にも同様の物が置かれ、席に座る一人の女性……いや、幼女。


「おはようゼロ、今日も早いわね!」


 少し生意気な口調と、そばかす顔の歯抜け幼女は今日も変わらず喧しかった。


 金熊亭の一人娘【リナリー】とは朝食の時間が同じになる事が多く、質問攻めに合いながら今日も食事を楽しむ。


「ねーねー、どうしてゼロはそんなに目付き悪いの? 目が悪いの?」

「ねーねー、どうしてゼロは冒険者になろうと思ったの?」

「ねーねー、そんなに大きな剣で重くないの? なんで二本なの?」


 とても喧しい。


 いちいち全てに返すのも面倒で、本気で宿の変更を考えたが女将の


「リナリー、食事中は邪魔しない! 一緒に食べてるんだ、うるさくするならもう起こさないよ!」


 という鶴の一声で少しは大人しくなった……が、本当に少しだ。


 ただ、金熊亭の味を知ってしまったからには易々と変える事も出来ず、他で食事をしてみたがここ程の味は中々お目に掛かれない。


(焼き加減……とかなのかな?)

『調理もそうだが魔力が多く含まれている素材は美味にして高価だ。儲けなどほとんど無いんじゃないのか?』


 グラムがそう言うぐらいなのだから相当なのだろう。その評価に見合うだけの味は何物にも代えがたい。


 空いた皿をカウンターの上に置き、椅子から降りて一礼する。


「食べたかい? 今日も気を付けて行っといで!」


 厨房から女将の威勢の良い声が聞こえる。


 カウンターに遮られて見えなかったが、無口な主人はきっと親指を立てて一日の無事を祈ってくれているのだろう。


「あー、待ってよー!」


 急いで残りを口に詰めたのか、両頬が栗鼠のように膨れた幼女が後を付いて来る。

 宿の入り口に着き、飲み込むまで待つ事にした。


 嚥下すると茶色の癖っ毛が少し揺れ、制服についている白い前掛けを両手でぱんぱんと叩き、毛先が外側に丸まった短い後ろ髪をしゃなりと右手で靡かせる……毎朝の恒例だ。


「行ってらっしゃい! 今日も無事に帰ってこないとダメなんだからね!」


 人差し指を立てて念押しされる。


 その言葉に目を閉じてゆっくりと頷き、頭にぽんと手を乗せた。


 何度か撫でると前髪を留めていたピンに指が当たり、ずれたのを直して最後に一撫ですると


「えへへ……」


 と、嬉しそうに微笑み両手を頬に当てている。


 そうして宿を出て、今日も冒険者ギルドへと向かう。


『さて、今日も今日とて薬草集めな訳だが……そろそろだな』

(そうだな。あと数日で目標額達成かな?)


 この三ヶ月はずっとこのような事を続けており、森の奥深くへは入らずに過ごしている。


 必要以上の金は薬草と、たまに出てくる猪や同様の兎を狩るだけで釣りが出るのでそこまで贅沢をしなければ普通に暮らす事は容易かった。


 この世界の獣は前世のそれよりも一回りくらい大きく、それだけに実入りが良い。


 勿論解体や仕留め方などでも金額は増減するが、冒険者が人気な理由を身を以て知る事になった。


『死ななければ治してやる』


 グラムの言葉はそのままの意味で、力がある程度付いてきたころ再び猪に体当りされ、本当に死ぬかと思ったのだ。


 次は無いの言葉通りグラムが加勢する事は無く、必死に抵抗したのを今でも鮮明に覚えている。


 腕と肋の痛みはその場で無くなっていたし、無茶苦茶な訓練はグラム有りきの方法なので他人に勧める事は出来ないと思った。


 冒険者ギルドに入るとミーアが口だけで「ニャー」と囁き手を振っている。

 その横ではルカも小さく手を振っているので軽く会釈した。


 先日よく分からないままE等級へと昇格していたが、今日も薬草集めなのでここに来る目的は依頼書の確認では無い。


 ルカのカウンターに行き冒険者証を置くと


「今日も、お勉強?」

 と尋ねられるので頷く。


「ちょっと少年、なんでミーの方に来ないニャ!?」


 手続きをしている最中ミーアから抗議が起こるが、ルカは無言のまま察してくれるので楽だった。


「ごゆっくり」


 そういうとルカは丁寧に頭を下げるので、釣られてお辞儀してしまう。


 受付の二階には本棚が並べられており、歴史書や各種技能書、魔法関連の書物や過去の依頼内容など沢山の本が並んでいた。


『昨日の続きからだな……』


 この世界の歴史について、リュカと一緒に読んでいた頃には気付かなかった点が幾つか有った。


 古の邪神を打ち倒すため、人と魔族が手を取り力を合わすべく、神は世界に二つの種族を創造した……とあるが、現状それが成し得ていないのは興味深かった。


 昔はそうでもなかったらしいのだが、異世界より召喚された勇者の


「魔族と亜人族は人に非ず」


 との一言でそれまで互いに共存していた文明は滅び、戦争にまで発展してしまったのだ。


 亜人はまだしも魔族への迫害は凄惨な内容で、正直目を覆いたくなる程の物だった。


『一説には女勇者の僻みとあるが、そんな馬鹿な事で起こしたと考えたく無いものだな』


 グラムは笑っていたが、内心さもありなんとも思う。


『其奴が居なくなった所で自己の評価が上がる訳でもあるまい……そんな事をしている間に、自己研鑽に努めたほうがよほど利口と思うがな』


 誰にも聞かれていないから良い様なものの、内心冷や冷やとしていたがそんな自分に可笑しくて笑ってしまう。


 この世界で過ごして数ヶ月経つというのに、未だに奴隷根性や世間の目に怯えている自分に腹が立つと同時に、情けなくて涙が出そうになる。


(まあそれだけ平和だったって事だよな……ここみたいに、命の危険なんてのは俺の住んでいた国には無かったから……)


 他国には勿論あったが―――とは付け加えず、午前の勉強を終える。


 ぽつぽつと混み始めた所で本を戻してギルドを出ると何時もの串焼きを買い、急いで食べ終えると東門の屑篭へ。


 屋台での買い食いも恒例となっており、E等級になった時は一本おまけしてもらったので贔屓にしている。


 良い味……特に醤油ダレのような味は他には無く、早く自分の店を持って貰いたいと思い微力ながら応援していた。


 昨日と同じように森に着き、昨日と同じように薬草を集める。


 毎日の勉強が有ったおかげでナオリ草の上位種、モットナオリ草も見付かり物の数分でこの日の目標額は達成出来た。


(ネーミング……)

『名付けは発見者の裁量だ……これで登録されている以上諦めろ』


 人の事は言えないが、絶対にこの名前は地球から来た奴のせいだと決め付けてしまう。


『さて、次だな……』

 グラムの言葉が終わると耳鳴りが増していく。


 静寂の中に一筋の高音が響き渡ると、地面からあの時と同様のゴーレムが出現する。土の体は落ち葉で鎧を形取り、手には木剣が握られている。


 グラムの柄に手を掛け、飛び込みながら斬り掛かる。


 初手は弾かれ衝撃で体が浮き上がるものの、グラムを地面に突き刺し身を翻す。


『今のはなかなか良かったぞ。身のこなしは上手くなって来たな』

 と、珍しく褒められた。


 これまで一度もゴーレムに勝てた事は無く、何時も自分が先に音を上げて訓練は終了している。


 常に余力を残しておく事を絶対としているので、もう一度同じ事が出来なくなる事をグラムは決して許さなかった。


『一人でやっていくなら心掛ける事だ。仲間が居るならそれほど気にする事では無い』


 言っている事は尤もなので承諾し、以来体力を半分残して宿に帰っている……が、こんな事で本当に良いのだろうか。


 そんな無駄な事を考えていると

(―――ぐっ)

 頭部に木剣の一撃が決まり倒れ込む。


『今のは散漫だったな』


 傍目から見て余程だったのか、棘のある言葉だが反論の余地は無い。


『調子が悪いなら止めておくか?』


 その言葉に首を振りグラムに尋ねる。俺は本当に強くなっているのか―――と。


 焦りが伝わったのか、グラムはゆっくりと話し始める。


『強くなっているかと問われればそれは間違い無い……土塊との戦いを見てもそれは明らかだな』

(なら……)


『どうして引き分けるのか、か? 同程度の強さの相手とやっていれば当然だろう。それでも三ヶ月前に比べれば腕力、体捌き、魔力操作、判断は良くなっている……剣術はお粗末だがな』


 碌に触った事も無い大剣の扱いは想像以上に難しく、真っ直ぐ振る事すら最初は難儀したものだ。


 一回一回を物凄く丁寧に、ゆっくりと、確実に練習し、それだけで半月過ぎていたのは良い思い出だ。


『そうだな……もう少し早く言われると思ったが、馬鹿正直に三ヶ月も黙々と熟すとは思っていなかった……つい説明を忘れていたのも事実だ』


 そういって豪快に笑い、煮え切らない気持ちのまま立ち上がる。


『安心しろ、その歳でそれほどの才覚は類を見ない……とは言え、息抜きも大事だと分かっている。またあの娘の店にでも行って、気分転換をしてくると良い』


(違っ……う、事も無いのかな……)


 それだけ言うとグラムは再び笑うが、数回目の酒場でのグラムは大層上機嫌だった。顔は見えないが、絶対に鼻の下が伸びていたに違いない。


『目的を成す為に焦る気持ちは分からなくも無い……それで訓練に身が入るなら重畳。しかし一朝一夕でどうにかなるものではないのだ……せいぜい楽しみながらやる事だ』


(本当に良いのかな……)


『それがリュカとやらの望んでいた事なのだろう? 申し訳ないと思うなら訓練は真面目にやる事だ。体調管理と休息もその範疇だと思え』


 言ってる事は分かる。頭では理解しているのに、それ以上に気持ちが逸るのだ。


『ちょうど良い、今日はその辺りの話もしておくか……』

 ゴーレムが崩れ森に静寂が戻った。


『基礎の基礎を卒業したと仮定して、今回は少し踏み込んだ話をするとしよう……卒業、と言っても終わった訳では無い。毎日の日課として続けるのが大事だ』


 グラムの言葉に頷く。


『うむ。正直な所を言ってしまえば、基礎能力だけならとっくにC等級くらいにはなっているだろう……馬鹿者、喜ぶのはまだ早い』


 顔に出ていたのか、瞬時に釘を刺すグラム。


『戦闘は常に最善の場所で行われる訳では無い。これを肝に銘じておかなければ、必ず相手にそこを突かれる』


 地形、状態、周囲の状況、相手の人数、装備や道具や戦略等など……グラムは教師のように次々と項目を挙げていく。


『我からすればこんなもの一々覚えておく必要も無いとは思うが……その辺は肌で感じ、その時々の対処をすれば良い』


 それが出来れば相当な上級者に思えるが黙って頷く。


『獣や魔獣、怪物相手に練習を重ねれば自ずと身に付く……多分な。元より丁寧に教えるやり方は知らぬ……自身で考え、動くより他無いだろう』


 最後は少し投げやりになるが、これも身を案じての事だと思うと少し笑みが溢れる。


『問題は人間相手だな……あれほどの怒気を瞬時に出せるのだから、あまり心配しては居ないが……』


 獣を相手にして何かを感じる事は無かった。


 可哀想だとか、酷いだとか、そんな余計な感情は無くて、対峙すると一直線に互いの生命を奪おうとする行為は、前世のしがらみの一切を捨てていて……とても楽しかった。


 それなら人はどうだろうか……それを考えると少し怖く、前世の法律が呪いのように体を強張らせる。


 一瞬の躊躇が生死を分かつというなら、その時自分はどうしているだろうか―――。


『そんな場面もそうそう無いだろうが……だが備える事は悪い事じゃあない。いざという時に助かる確率が増える。尤も一流とは、そういう状況に陥らない者の事を指すのだがな』


 もっと冒険者として活動の幅を広げていけば何か分かるのだろうか……そんなやり取りをしていると不意に背筋に悪寒が走る。


 ぞくぞくと泡立つように、全身の毛が逆立つ程のこれは―――


『怒り、だな。何処ぞの馬鹿者が奥地で主を刺激したようだ……』


 少し離れた場所で大木が薙ぎ倒される。逃げているのか、複数の気配は森の入り口へと走って行く。


『丁度良い、行くぞ』

 グラムを掴み、そのまま気配を追う。


 走りながら鞘へとしまい込み、久しぶりに全速力で走ると思っていたよりも速度が出て驚いてしまう。


 自身の体を必死に制御しながら横目で標的を捕捉すると、それは今まで見た生物のどれよりも大きく、人影を四つ……遅れて一つの気配を追い続けているようだ。


『そこまで分かれば十分だ。覚悟しておけ、一撃もらえば致命傷だぞ』


 グラムの言葉が終わると森が切れる。


 飛び出したのは自分を含めて五人。逃げていたのは以前、クリスとビオラに絡んでいたあの冒険者だった。


 距離にして三百歩程だろうか、思っていたよりも近付いていたようで走りながら互いの存在を認める。


 涼しい顔のまま手を振ってやると何かを言いたそうに大口を開けるが、それを直ぐ様閉じ、悔しそうに俯いてから天を仰ぐ。


「に、にげろぉぉぉ!!」


 叫び声の直後、森からもう一人の冒険者と大蛇が現れる。冒険者は大きな鞄を背負っており、このままいけばすぐに腹の中だろう。


『跳ね橋の前で迎え撃つぞ』

 グラムの指示に従い先行していた冒険者達へ近付く。


 間に合うのか不安だったが大蛇の動きが先程よりも遅くなっており、グラムが何かしらの補助をしてくれたのを背中で感じる。


(何が有った?)

 ギザ歯の冒険者に口の動きと仕草で尋ねると


「なんだよ……この状況を笑いに来たってのか! 見れば分かんだろ! あの新入りがしくじりやがったんだよ! だから! 俺は! 反対だったんだ! ……弱ぇ奴ァすぐにトチって死にやがる!」


 聞きたい事とは少し違ったが、おおよその流れは把握出来たので由とする。


 不思議と最初の印象とは違い、言葉の中に優しさを感じた。


 きつい物言いも、身を案じての事だと思えば納得も出来る。短気はいけないなと反省する瞬間だった。


『無駄口はそこまでだ。そろそろだぞ』

 グラムの言葉に頷き


(俺がやる)

 口と手を動かしそう伝えてから反転し、逃げ遅れた冒険者と大蛇を視界に収める。


 フード付きのローブで顔は見えなかったが、どうやらあの時の四馬鹿とは違う人物のようだ。


(これ、本当に勝てるのかな……)


『やる前から弱音か? この先ずっと勝てる相手としかやらないつもりなら、同じように尻尾を巻いて逃げると良い』


 挑発するようなグラムの物言いにむっとし、柄に手を掛け乱暴に引き抜くとそのまま走り出す。


「えっ、ちょっ……」


 逃げて来た冒険者の呟きを置き去りにし、飛び上がるとそのまま大蛇の頭目掛けてグラムを振り下ろす。


 確かな手応えがあったものの大蛇は直ぐさま身を縮め、そのまま勢い良く伸びると向かってきた邪魔者を空へと弾き飛ばす。


(うっ、うわ……まじ、か……)

『取り乱すな! 下を見ろ!』


 一瞬の浮遊感の後、眼下では大蛇が尾を高く上げている。落ちてきた所を狙っているのだろう、話すよりも早くグラムの意志が体を支配する。


 重力でも操作しているのか、自身の重さを瞬時に変えタイミングをずらし、尾の一撃を難無く躱す。


 そのままの勢いで付け根付近に来ると体を捻り、回転してからの一撃で尾を叩き斬った。


(いっっってぇ!!)

『……毎日の訓練が生きたな』


 無理やり動かされた様な複雑な動作もそうだが、外壁と同じくらいの高さまで飛び上がってこの程度なら御の字なのだろう……が、とにかくあちこちが痛い。


 大蛇は依然健在で、どうやらまだ諦めてはくれないようだ。


「あ、あの……これ……」


 その言葉に振り返ると先程の冒険者が両手に大きな卵を抱えて立っていた。


『それが原因だな……殺す気が無いなら奴に返してやれ』


 グラムを地面に突き刺し、フードローブの冒険者から卵を受け取る。


「ごめんなさい!」


 その言葉を背に大蛇と対峙し卵を差し出すと、大きな口を開け、ゆっくりとこちらへ近付いてくる。


(うおおおおお!! 怖ぇぇぇえええ!!)


 先程までの敵意は感じられないが、内心食われるのでは無いかと焦る。


 大蛇は卵を咥えると静かに反転し、巨体を揺らし再び森へと消えて行った。


(尻尾、切れちゃったけど大丈夫かな……)

『止血はしておいた。仮にも森の主だ、あのくらいで死に至る事は無い』


 大蛇の去った方向を見ると血の跡は無く、平原に再び静寂が戻る。


 腕を組んでうんうんと頷き、振り返るとそこには般若のようなクリスが立っていた。

 同じように腕を組み、額に何本もの青筋を立てている。


 その脇には何時もの二人、ラウルとビオラ、それと先程の冒険者達が並んでいた。


「あ~ん~た~ね~……なに大立ち回りしてんの!! 素直に逃げなさいよ!!」

 頭上に衝撃が走る。


「まあまあクリスちゃん……」

「ビオラは黙ってて!」


 ふう、と溜息を吐き、再びゼロに向き直ると中腰になり頬を撫でるクリス。


「本当に、無事で良かった……」


 しおらしい顔を見てしまうと反論する気にもなれず、大人しく頭を下げる。


「彼等から話は聞いたよ。あのままだと危ないと思ったんでしょ?」


 ラウルの助け舟にぶんぶんと何度も頷く。これ以上殴られたく無かった。


「この子達や街に被害が出ないようにってのは偉いけど、それでもまだ駆け出しなんだ……僕としても、あの場は素直に逃げてほしかったな」


 溜息混じりの言葉に再び釘を刺され、本当にそれが良いのかグラムに尋ねる。


『まあE等級ならばそうだろう……並の、ならな』


 含みのある言い方だが、そういう事なのだろう。


(次から気を付けるよ)


 ラウルの手の平にそう書くと笑みが戻り、何時ものにこやかな顔で頭に手を置かれる。


「その……悪かったな。せめてもの詫びに、素材は運んでおいてやる……」


 見れば先の四人は尻尾を回収し街へと歩いている。


 グラムを回収すると先程とは違い、丁寧に鞘に収めてから布を体に巻き直す。


 道すがら互いの近況報告をしていたが、前に会った時と変わっていないのでそれほどの量は無い。


 ギルドに到着するとカウンターの前で先程の五人とルカが何やら話をしている。


 尻尾は解体所に持って行ったのか、この場所には見受けられなかった。


「……大丈夫、だった?」


 ルカの言葉に頷く。何時ものようにベルトの小袋から薬草を取り出し、カウンターの上へ冒険者証と共に置く。


「尻尾は、どうするの?」


 討伐した人数が多い場合、それを頭数で割って現金で支払うかどうかの問いだろうが、それに返事をする前に


「俺等は逃げただけだ……全部こいつの取り分だよ」

 と、ギザ歯の冒険者がルカに告げる。


「ぷぷーっ、失敗してやんの! ダッサーイ!」


 なんとも子供じみた煽りが背後から聞こえた。


「うるっ、うるっせえ! 黙ってろ雌オーガ!」


 オーガ……鬼のような角と怪力が自慢の怪物だったか、確かに言われてみれば先程のクリスは正に大鬼そのもの……いや、今もか。


「落ち着いてクリスちゃん。殴っちゃダメよ?」


 握りこぶしを必死に抑えるクリスが目に浮かぶ。


「……分かった。はい、冒険者証」


 ルカから受け取り残高を確認する。


 手に持ち念じると裏面に残高が表示され、金貨四三枚、銀貨二八枚、銅貨五〇枚と表示されるので、どうやら目標額には到達したようだ。


 初めは中々上手く行かず、この一連の所作は随分と練習させられた。


「それじゃあ俺達はもう行くぜ。これから大将に報告しなくちゃならねえからな……」


 後頭部を掻きながら憂鬱そうに吐き捨てるギザ歯の冒険者。

 ルカに紙と筆を借り、さらさらと走らせる。


(好きな子に、意地悪すると、モテないぞ)


 意図せず五七五になってしまい、それをギザ歯の冒険者に見せると直ぐ様顔を赤くし


「ち、ちげーっての! そそ、そんなんじゃねーし!」


 バーカバーカと捨て台詞を残し、取り巻きを引き連れ冒険者ギルドから出て行った。


「あ、あの……本当にありがとうございました。私が慌てたせいで、ご迷惑をお掛けしてしまって……」


 一人残された鞄を背負った冒険者は申し訳無さそうに俯いている。

 よくよく見れば女性だったようで、フードから漏れる桃色の髪がちらりと見えた。


 覗き込むと顔を背けられてしまい表情は伺えない。


(魔法鞄の資金が溜まった。礼を言う)


 紙にそう書いて見せ、両手を腰に当てて胸を張る。


 気を遣わせないように書いたつもりだが伝わったのだろう、笑みとともに


「そう……ですね。良かったです」

 と、か細い声で言う。


 心なしか少し元気が無いように見えたが、あんな事があった後だ無理も無い。


「それじゃあ、私はこれで」


 しずしずと退出するのを皆で見送り、テーブルに腰を下ろす四人。


 ラウルが飲み物を人数分頼むので代金を払おうとするが、片手で制されたので素直に礼を言う。


「それよりあんた……魔法鞄って、相当儲けてるんじゃないの?」

(ぼちぼちだよ……薬草集めが日課だから)


 クリス手の平にそう書いて伝える。


「教会にも食料持って来てるみたいだし……恩返しのつもりか知らないけど、駆け出しが余計な心配しなくて良いの!」

(……無理はしてない)


 半月に一度くらいの頻度で肉串を買って行ってはいるが、そこまで大した金額でも無い。


「本当に無理してない? ご飯はちゃんと食べてる?」


 ビオラに過剰に心配されてしまうが、目を見てこくりと頷く。


 この三ヶ月の間に魔剣を譲れと言ってきたのは十組ほどで、それぞれから挑戦料として金貨一枚を貰っている事も功を奏した。


 冒険者や騎士っぽい人や貴族の従者、何人もの腕自慢が挑戦しグラムは今もこの背に収まっている。


「前に持った時はそんなに重くなかったと思うけど……」

(グラムは女好きなんだ)


 ビオラの言葉にそう書いて伝えると


『心外だな……人を選んでいるだけだ』

 と、クレームが入る。


 だとすればグラムは一体自分の何を気に入り、ここまで力になってくれるというのか……。


 そうしてラウル達と談笑していると、何やら受付けが騒がしい。

 見れば自分と同じくらいの年端もゆかぬ少年達が、大人しいのを良い事にルカに詰め寄っているようだ。


「だーかーらー、それは分かったからさっさと教えなさいっての!」

「その魔剣っての、誰が持ってるか教えてくれるだけで良いからさぁ」


「ダメ……個人情報」


「大体ソロでやってるなんて効率悪すぎだし、私達のパーティで使ってあげるって言ってるんだから大人しく言う事聞きなさいよね!」


「……冒険者は自由」


 男一人に女二人のパーティだろうか、捲し立てる全ての言葉をルカはのらりくらりと躱していく。


『後で礼を言うんだな。我等の事だと気付いているが、視線はおろか気配さえも向けないのだ……』


 被害が及ばないようにする為か、ルカは何時もの様子で目の前の少年達に対峙している。


 庇ってもらえるのは嬉しく思うし有難いのだが―――


『行くのか?』

 立ち上がり、カウンターへ歩み寄る。


 ルカの頑張りを無駄にするようで忍びないが、迷惑を掛け続けるのも不本意だった。


 祝勝会の雰囲気だった場の空気は一変し、新たな厄介事の種になりそうだなと思いながらも、この状況を楽しんでいる自分に気付いて戸惑う。


『奇縁に恵まれているのだ、誇ると良い』


 そう言ってグラムは笑った。


 この時の自分の決断は間違っていたのだろうか―――それは神のみぞ知る事だ。

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