第三話 ~冒険者の心得~

《第三話 ~冒険者の心得~》


 朝、扉を叩く音で目が覚める。


「朝御飯できたわよー」


 そう言ったビオラの声で上体を起こすと、そこは見覚えの無い石造りの部屋だった。


 飾り気の無い室内は灰色と茶色くらいしか色味が無く、家具は今まで寝ていたベッドと洋服用のタンスくらいしか置かれていない。


「まだ寝てるの―――って、あら? 起きてたのね」


 ビオラの言葉に頷き、促されるまま身支度を調える。


 ブーツを履いて立ち上がり、誰かが着替えさせてくれたのか汚れたままの衣服で無かった事に安堵する。


 ベッドの傍らには昨日の魔剣……じっと見詰めても話し掛けられるといった事は無く、眠っているのだろうか返事が来る事は無い。


 部屋を後にしてビオラの後を付いて行くと、食堂へ向かう廊下の壁には同様の扉が幾つも並んでいた。


 到着した食堂に扉は無く、出入り口の壁は縦長に切られていた。


 中に入るとラウルとクリス、それと見知らぬ子供達が数名……クリスが言っていた孤児院とはここの事なのだろう。


「さあ出来たわよ。ほら、君も、座って座って!」


 恰幅の良い修道服の女性がそう言うと、自分よりも小さな少女が椅子を引き


「どうぞ」

 と、勧めて来る。


 笑顔の少女は得意顔で、ありがとうと口を動かし頭を下げる。


 着席して頭を撫でると嬉しかったのか、両手を口の前に持って行きぱたぱたと自分の席へ戻って行った。


 朝食はパンと野菜のスープ、目玉焼きにソーセージと、一瞬ここが異世界だと忘れそうになる内容だった。


 白い食器に硝子のコップと、いかにも普通な食卓に怪訝な顔を浮かべてしまう。


「私達が居るんだから、粗末な物を食べさせる訳無いでしょ」

 と、クリスが言う。


 何故あれほど金に対して執着を見せるのか漸く得心がいった。


 朝食を前に両手を組み、祈りを捧げる。リュカ達もやっていた所作だ。


 無言の時間が終わると各々食べ始め、目の前の料理を切り分け食べ進める。


 鶏卵らしき物は記憶に有るそれとは違い、口の中に入れるともっと濃厚な気がした。

 特別な見た目をしていないだけに、これがこの卵本来の味なのだろう。


 元より食べ物の好き嫌いなど無かったので助かったが、ふと米が恋しくなる。

 先駆者が沢山居たというこの世界だ……僅かな希望を捨てずに居ようと思う。


 朝食を摂り終えた子供達は外へ遊びに行ってしまい、食堂には修道女と昨日の三人が残っていた。


「それで、昨日のは何なの?」

 と、テーブルを挟んでクリスが詰問する。


 ビオラは洗い物をしており、ラウルはクリスと共に静かにこちらを見守っていた。


 魔剣に呼ばれた事、金貨一枚で売ってもらった事、魔力を発散する為に暴れた事を説明すると


「そういうもんなの?」

 と、洗い物を終えて隣に座ったビオラに問い掛ける。


「うーん……分かんない」


 微笑みながら冗談っぽく返すビオラ。


「そういう事例はあまり聞いたこと無いから何とも言えないけど、対処が可能なら昨日の人? 剣? に聞くのが一番かも知れないね」


 ラウルはそう言うと、自身を納得させるようにうんうんと頷く。


「それで、どうするの?」


 今後の身の振り方についてだろう、食べながら考えていたがやはり


『冒険者だろうな』

 考えを見透かされたかのように頭の中に声が響く。


『出来ない事が減り、やれる事が増える……相応の強さは求められるが、それは望む所なのだろう?』


 挑発するような物の言い方だが、昨日のやり取りを考えるなら当然だろう。


(冒険者になるよ)

 クリスの顔を見つめながら、手の平に文字を書く。


「そう……なら、昔使ってた装備をあげるわ。だから、絶対に無理しない事!」

「むやみにケンカしない事!」

「失敗しても良いから、生きて帰って来るんだよ?」


 と、三者三様に釘を刺される。


 譲り受けるのを断ろうとすると


「駆け出しがどれだけお金掛かると思ってるの!? あんた魔剣買って金貨二枚しか無いんだから、そんなんじゃ全然足りないわよ!!」


 と、半ば強引に押し切られる。


「……それに、ここに居るもんだと思ったから分け前だって多く取ったっていうのにさ……」


 そう呟いて口を尖らせるクリスが、何だかとても可愛らしく見えた。


(これがツンデレ……なのかな……)


 孤児院の外に椅子を出し、その上に座ると首元から布を掛けられる。


 兼ねてから気になっていた散髪をラウルが買って出てくれた為、こうして外で鋏捌きを奮ってくれている。


 孤児院の外は思っていたよりも広く、背の低い柵が教会と一緒に建物を囲っている。


 柵の外には背の高い樹が植えられており、動線以外には芝生が生えていた。


 敷地内で元気に遊ぶ子供達……チョキチョキと奏でる鋏の音が心地良かった。


 魔力とやらが混ざり合った影響なのか、髪は以前のような坊っちゃんっぽいおかっぱ頭では無く、狼のように後ろへ……白く、尖ったオールバックのようになっている。


 目付きもリュカのそれとは似つかない、鋭くきつい様相になっていたのでうんと驚いたものだ。


 それと同時にまた一つ、自分の中からリュカが消えてしまったようで少しだけ悲しくなる。


 しかしそれとは別に襲撃に遭遇したこの身としては、現在の状況は好都合と言わざるを得ないだろう。


 容姿が変わっていれば一瞬で見抜かれる事も無く、言及も知らぬ存ぜぬで通せるのだ……声が出せれば、だが。


『其奴等の狙いが分からない以上、これも幸運と受け入れるんだな』


 静かな声で魔剣に慰められた。


 そんなこんなでリュカの名前を名乗る気にもなれず、かと言って前世の名前を使用するのはなんだかこの世界にそぐわない気がしてしまい、どうしたものかと少し難儀していた。


『我としては早いとこ決めてもらいたいのだがな……冒険者として登録するなら名は必要だぞ?』


 そう言われても殊更そういうのが得意な質では無いので、髪を切ってもらっている間に考えるものの唸るだけで一向に進まない。


(魔剣はなんて名前だったんだ?)

『……我に名など無い。ただ、我を運んだ商人の男は、不懐不断の魔剣と呼んでいたな』


 不懐不断……斬れず壊れずと言った所だろうか。


 確かにあの形状ならばそう呼ばれていても仕方が無い。剣というにはあまりにも歪で……異質だ。


(うーん、グラム……とか?)

『ほう……それは何か由来でもあるのか?』

(前の世界では神話の中の、何でも切れる剣の名前……だったと思う。多分)


 そこまで神話や伝承に詳しい訳では無く、この名前もそういうのがゲームに有ったな程度のものだ。


 しかしこの世界でそれを調べる術は無いので、微かな記憶を頼りに命名するしかない。


『はっはっはっ! 自分よりも我の名が先か! 随分と皮肉が効いてるじゃないか……そういう事なら良いだろう、我は今日からグラム。不懐不断の魔剣、グラムと名乗ろうか』


 そう言ってからも暫く笑っており、案外笑い上戸な魔剣が気に入ってくれたようで安心する。


 皮肉だけが全てではなく、全ての困難を断ち切れるようにという願いも込めている事は、何となく気恥ずかしくて内緒にしておいた。


「さ、出来たよ」

 ラウルが小さな手鏡を渡してくる。


 布を取り、鏡で確認するとそこにリュカの面影は無く、少し目付きの悪い少年が映っていた。


「これを付けておけば、洗っても伸びてもある程度は同じになるからね……便利なんだよ」


 勇者召喚はこの世界に広く浸透しており、周期は決まってないが稀にそういった人物が異世界からこの世界に現れるらしい。


 成し得た功績によって二つ名が付けられ、この整髪料を開発したのは美容の勇者と呼ばれていた女性らしい。


『近年では勇聖教などという訳の分からないモノも出来たくらいだ。出自は隠しておくのが賢明だろうな』


 グラムが溜息交じりにそう言った。

 何か因縁でもあるのか、その言葉にはどこか棘が有るように感じた。


「終わったー?」

「うん。丁度だよ」


 クリスの言葉にラウルが答える。


 椅子から立ち上がり、ラウルに礼を述べ頭を下げる。


「うんうん……うん! 中々の仕上がりだ!」


 ぽんと頭に手を乗せられ、満面の笑みを浮かべるラウル。


 孤児達の髪を切っているのはラウルだと聞いて任せたが、確かにこれは見事と言わざるを得ない。


 クリスに連れられ先程の部屋に行くと、ベッドの上に灰色のベストのような革鎧と腕甲、手甲、小袋が二つ付いた腰帯と、革の鞘に収めてある剣が一振り。


「ちょっと大きいかもだけど、ある程度調節出来る作りだから大丈夫でしょ」

「着付けてあげるわね」


 ビオラにそう言われ、言われるがまま着せてもらう。


 初めて装備する鎧は独特な革の匂いが印象的で、自然と目が輝いてしまう。


「うん。とっても似合ってる!」


 見た目に反して動きやすく、革も重ねてあるのか固めてあるのか……叩いてみると意外に硬い。


「稼げるようになったらもっと良い装備を買いなさい。当面は兜とか小型の盾かな?」「最初は討伐とか狩猟系よりも、採取で稼ぐのがオススメよ」


 二人の言葉に素直に頷く。


『どちらも不要だ。我を扱うなら刀身で防げば良い……頭部は魔法で護れる』


 不壊というのは本当なのだろうか、その強度を知らないだけに少し不安になる。


『はっ。誰にも折れやしないさ』


 吐き捨てるようなグラムの言葉に、諦めと希望が入り混じった印象を受ける。


「行く前にお祈りして行くかい?」


 と、ラウルが提案してくるので頷く。


 併設された教会は孤児院と同じ灰色の石造りで、高い場所の窓にはステンドグラスが嵌め込んである。


 扉を開けて中に入るとひんやりしており、荘厳な空気の中それを見た瞬間今回の件の全てに合点がいった。


「この世界を作ったとされる創造主【バイユ】様の像だよ」


 教会の奥には月桂樹の冠を被り、布の服と革のサンダルを身に纏ったあの時の少年神の姿が在った。


(なるほど……)


 何故ラウル達が選ばれたのか。何故タイミング良く現れたのか。何故自分に良くしてくれるのか……最後は善意からだろうが、全てはあの少年神が仕組んだことだったのかと得心した。


 だとしたら何故、リュカやその両親を助けてくれなかったんだと恨むが、それも仕方の無い事なのかと頭の冷えた今なら多少は理解出来る。


 そうしなければならなかった理由が有るのだろうし、全てを呑んで転生する事を選んだ自分の……無力な自分のせいなのだ。


 グラムを小脇に抱え、両手を組んで目を閉じる。


(思惑通り無事に転生できた……悲しい事も有ったけど、礼を言う)


 それだけ念じて目を開くと、像が薄っすらと光った気がした。


 教会を後にして孤児院の入り口に立つ。振り返るとラウル達と孤児院の子供達が立っていた。


(ありがとうございました。行ってきます)


 口だけを動かして頭を下げると伝わったのか


「おう、またな!」

「永遠に会えない訳じゃないんだから、そんなに畏まらなくて良いわよ」

「落ち着いたら顔を見せに来てね。待ってるわ」


 その言葉に頷き返し、孤児院を後にした。


 背後から聞こえて来る皆の声に、何故だか涙が出そうになってしまった。


 生前はこんなに涙脆くも無く、ましてやいい大人がそんな事で泣きそうになる等ありえないと思っていたが……それもこの体になってしまった弊害なのかも知れないと、グラムが分析していた。


『まあいい……街の観光がてら、少し回っていくか』


 孤児院を出て右手の道を行くと商業用の施設が立ち並んでいるらしい。


 商人御用達の商業ギルドや、衛兵や自警団の詰め所、魔法関連の道具も売っているそうだ。


『そっちは良い……今回は左だな』


 グラムに案内されるまま歩き、街を四分割した北東側の区画へ進む。


 大通りに面している店舗は路面店らしい華美な店構えだったが、少し奥へと入るとそこは一目で分かる程の華やかな……歓楽街だった。


 これまで殆どが白い外壁だったのに対し、赤や青や桃色に紫といった派手な見た目の店が多く鮮やかだった。


 飲み屋も多いらしく、昼間からテラス席で飲んでいる人物が多い。店の中は皆一様に薄暗く、喧騒が絶え間なく続いていた。


 教会から東へ東へと進み、飲み屋の区画を抜けるとより一層派手な感じになって行く。


『こっちはもっと色気の有る方だな。本格的なのは夜だが、基本的に昼夜関係なく店は開いている』


 なんでそんなに詳しいんだとツッコミたかったが堪え、見渡すと確かに先程よりも派手……というよりは、露出の高い服を着ている女性が多いように見えた。


 少し開けた場所に出ると、周囲からくすくすと笑い声が聞こえる。その事をグラムに尋ねると


『基本的に子供の来る場所では無いからな……珍しいのだろう。害意の有るものじゃない』

 と説明される。


 ならなんでこの場所を通ったのかとツッコミたかったが、再び我慢する羽目になってしまう。


「お前かぁ? 魔剣を買ったとかいうガキは?」


 目の前に頭部がつるっとした大男が現れ、そう言って睨め付けるような視線を投げて来る。


(おい、グラム……)

『……すまない。これは想定外だ』


 怒りを込めた言葉に素直に謝罪をする駄剣。


「その剣は俺様が前から目を付けていたんだ。有難く貰ってやるからとっとと寄越せ!」

「そうだそうだ!」

「寄越せ寄越せ!」


 大男の後ろの取り巻き二人が台詞を繰り返す。


(予約されてたのか……?)

『知らん。記憶の片隅にも無い』


 グラムとそんなやり取りをしていると


「ちょっと! 子供相手に大人げ無いよ!」


 と、男の前に仁王立ちで現れる一人の女性。


 周りで見ていた女性達も「そうだそうだ!」「カッコ悪いぞ!」と続き、男達を責め立てる。


 目の前の女性はこちらに振り返り、にこりと微笑む。


 日に焼けた肌に濃紺の髪が特徴的で、ポニーテールが風に撫でられ揺れていた。


 着ている物はそこまで派手では無く、単色のワンピースはこの場では地味な部類に入るだろう。


「う、うるせえ! 女は引っ込んでろ!」


 吐き捨て、女性を思い切り突き飛ばし、倒れる寸前にそっと抱きかかえる。まるで予知していたように動けたのはグラムのお陰だ。


「あ、ありが……とう……」


 女性の言葉に首を振り、抱えていた左手をゆっくりと離し地面に座らせる。


(グラム……)

『ああ、任せておけ』


 女性の前に立ちはだかり、右手のグラムを水平に持ち男へ差し出す。


「お? どうやら俺様の強さが分かったようだな。最初から素直に言うことを聞いておけば―――」


 そうして男の両手が下に来た時、ぱっと手を離すと瞬く間にグラムが急降下する。


 鈍く重い音を立て男の手は地面と挟まれる形になり、一瞬の静寂の後悲鳴が木霊する。


「ぎゃあああああ!! いてぇ、いてぇよおおおおお!!」 

「ア、アニキ……アニキー!!」


 取り巻きの二人は何とか剣を持ち上げようとするが、グラムはびくとも動かず大男は苦悶の表情を浮かべ、玉のような汗を額から吹き出し続ける。


 一連の行動に満足し、腹を抱えて笑っていると


「こらー! そこで何をしている!」

 と、衛兵らしき人物が二人、こちらへ向かって来るのが見えた。


「早く逃げな! こっちは大丈夫だから!」


 先程の褐色の女性がそう言うと


『そういう事なら逃げるとしよう』

(……だな。面倒な事になりそうだ)


 と、グラムをひょいと持ち上げ肩に担ぎ、一目散に逃げ出す。


 ある程度離れてから先程の場所を見やると男達は既に取り押さえられており、周囲の女性が何かを証言しているようだったので一安心と言った所だろう。


『いや、災難だったな……』

(おい。元はと言えばお前のせいだぞ)

『まあ良いでは無いか。去り際に治療もしておいた……大した怪我もしてない筈だ』


 抜け目が無いというか何と言うか、無用な恨みを買わずに済んで感謝すべきなのか悩んでしまう。


(いや騙されないぞ。ちょっとムカついたからって、あそこまで重くしなければ良かったんだ)

『でも気は晴れたろう? それに、あの娘とも知り合いになれた訳だ……次が楽しみだな?』


 疑問形で言われてそこにイラッと来るが、あえて無視する事にした。

 名前すら分からない人間とどう再開しろと言うのか。


『また誰かに絡んでもらうか……』

(馬鹿言え)


 そんな軽口を叩き合い、二つ目の大通りを渡って少し歩くと、昨日の武器屋が見えて来る。


 扉を引いて中に入ると


「おお、よく来たな坊主。待ってたぞ」

 昨日とは打って変わって愛想の良い店主が笑顔で出迎えてくれる。


「少し待っとれぃ」


 店の奥に店主が消え、暫くして戻ってくると布に包まれた何かをカウンターへと置く。


 包みを解くと現れたのは、二本の黒い革の輪と、紐と、ベルトが交差した奇妙な一品だった。


「この鞘はその魔剣と一緒に買った魔道具でな、紐部分はそこらで売っているものと変わらないが、背中の部分に魔道具が縫い付けられている……らしい。ちょっと着てみろ」


 グラムをカウンターへ立て掛け、言われるがまま頭と腕を通す。


 少し大きかったので胸側の帯で調節すると、案の定背中側は何かがぶらぶらと揺れている状態になる。


「そのまま剣を背中に当ててみろ」


 言われた通りグラムを背中へ当てると、革の擦れる音と金属音が四回鳴る。


 カウンター横の姿見で確認するとグラムは見事に背中で収まっており、刀身は鞘の帯で固定されていた。


 グラム自身のおかげもあるのだろうが、動くのにそれほど邪魔にならず、右手で取れるよう袈裟に背負っているので、走る時は注意が必要かも知れないと思う。


『せいぜい邪魔にならないようにしてやろう……それと、そこの布も貰っておけ』


「いやぁ、まさか生きてる内にこいつが売れるとはな……ん? この布もか?」


 グラムの言葉に従い布も欲しいと交渉すると、すんなり渡してくれる。


『首元で巻いて外套代わりに着ておけ。布は幾ら有っても良い』


 言われた通り結び、マントのように掛ける。


 背中からグラムの柄は出てるが、これでは咄嗟の時に抜けないような気がしてしまう。


 同じような指摘を店主からされると


『相手と距離を取れば良い……第一、そんな状況を作らないようにする事が、当面の目標なのだぞ?』


 不意打ちをされるなという事だろうか。大剣で戦った経験など無い自分よりは、グラムの言葉は真に迫っていた。


「こいつぁ驚いた……坊主はその剣と話せるのか。ああ、だとしたら伝えてくれ、悪口ばかり言って、済まなかったってな」

『……気にしてない。良い暇潰しだったさ』


 そのままを伝え武器屋を後にする。


 重さは無かったので担いでいても苦ではなかったが、それでも両手が空くというのは良いものだと実感する。


 冒険者ギルドにやってくると昨日よりは人もまばらで、昼時だからか受付も空いていた。


「おーい、しょうねーん! こっちニャー!」

 見知った顔が元気に手を振っている。


 促されるまま受付へ行くと


「今日は一人ニャ? そんな格好して……やっぱり冒険者登録するニャ? 新米は無料ニャ! 稼げるようになったら昇級料金をがっぽりいただくニャ!」


 と、人懐っこい笑顔を振り撒いてくる。


 首を縦に振って答えると、一枚の紙を取り出し


「それならこれに記入するニャ」


 そう言ってミーアはカウンターに用紙を置くが、身長のせいでよく見えない。


 カウンターによじ登り名前と年齢、出身地と希望する役割の欄を埋めていく。


「書けたニャ? ふむふむ……少年はゼロって名前ニャ? 数字の?」


 ミーアの問いに再び頷く。


『はっはっは! なんとも皮肉屋らしい名付けだな!』


 グラムの言葉に特に返事はせず、空欄を埋めていく。


「剣士。出身地は分からない……と」


 その問いにも同様に頷く。


 リュカが赤ん坊の頃は寝てばかりだった為、詳しい地名は不明だ。


 かといって山の中と書くのも説明が面倒なので、これで受理されるか試しに書いてみたのだ。


「ゼロ少年は記憶喪失ニャ?」


 ミーアの問いに人差し指と親指を摘むように、少し空間を開けて伝える。


 それで伝わったのかふんふんと頷いているので、身振り手振りはやはり馬鹿に出来ないと思う。


『嘘は良くないな』

(……なら代わりに説明してくれ。とりあえず登録だけしたら、いつか説明するからさ)


 グラムの小言にそう返すと、ミーアはカウンターの中に用紙を置いて作業を開始する。


「それじゃあこれに……」


 ミーアはそう言うと手を伸ばし、少年の髪の毛を一本引き抜く。突然の事に驚き、抜かれた部分を手で擦っていると


「髭でも爪でも血でも良いけど、今回は髪の毛にしたニャ」


 そう説明するミーアはどこか得意顔だった。


「コホン。さて、これにて登録は完了しました。当ギルドは新米冒険者の誕生を心から歓迎します……ニャ」


 途中まで良い感じだったが、最後で素が出てしまうミーア。


「冒険者は主に達成した功績、能力によって昇級する事が出来ます……ニャ」


 言わないと座りが悪いのか、一拍の間を置いたあと再び馴染みの語尾が出る。


 冒険者の等級はFから始まりAで最高だったか……それ以上になるとAが増えて、ダブルとかトリプルとか呼ばれるらしいが―――


『異世界の人間でもAが限界だ。ダブルなど数えるほどしか居ない』


 能力の指標となる項目……腕力だけで言えば大人一人分、三人分、五人分、十人分となるのが目安らしい。


 それが凄いのかどうなのかは、この世界の基準が分からない以上なんとも言えないところであった。


 受け取った冒険者証はクレジットカードくらいの大きさで、何時の間にか撮られていた顔写真が左半分を占めており、その下に名前が書かれている。


 右半分は大きく等級が書かれており、銅板で作られたそれは意外と丈夫だった。


「冒険者証は各地の冒険者ギルドと共通になってるニャ。貯金も出来るし、残高に応じて提携加盟店では支払いも可能ニャ!」


 どうやら本当にクレジットカードのように使用出来るらしく、残高に応じてという事はプリペイド式の物と同じような物だろうか……再発行は金貨一枚らしいので、大事にしようと誓い小袋へしまう。


「最後に冒険者の心得と規約が書かれた冊子を渡すニャ。よく読んでおくように」


 冊子は十数頁で構成され、依頼主の情報をみだりに話さないだとか、他人の獲物を横取りしないだとか、冒険者同士なるべく協力するだとか、常識的な事が書かれている。


「ゼロ少年については以上ニャ。本当なら能力測定試験を受けてもらうんニャけど、昨日の一件を見る限り、その必要は無いとミーが推薦するニャ! ……ラウル達の推薦も有るし、少しおまけニャ!」


 薄い胸を張ってミーアが自慢気に鼻を鳴らす。

 草原での大暴れは思いも寄らない所で役立ったようだ。


「依頼を受けるなら依頼板に貼ってある紙を持って来ると良いニャ」


 受付の反対側にはテーブルを挟んで壁面に依頼書が貼ってある依頼板が設置されており、階級毎の三種類に区切られている。


『Fの採取にしておけ。常設は持っていかなくても納品すれば終わりだが、初めてだからな……流れを覚える為にやっておくと良い』


 依頼にも種類があるのか、グラムの助言に従いナオリ草の採取と書かれた紙を跳んで剥がし取る。


 振り返るとミーアの姿は無く、受付の前まで行き覗いてみても姿は見当たらない。


(居ないじゃん……)

『左だ』


 きょろきょろと周囲を見渡しグラムが示した方を見ると、片目を髪で隠した女性が手招きしている。


 女性の前へ行き顔を見上げると中々の美人で、この世界にはやっぱり美男美女しか居ないのかと余計な事を考えてしまう。


 濡れたような黒髪がさらさらと長く、目元の黒子が神秘さを際立たせている。


 片方だけ見えている瞳は少し眠たそうに、独特の雰囲気を纏っていた。


「……依頼?」


 短い問いにこくりと頷く。持ってきた紙を手渡すと


「……常設依頼だから、紙は持ってこなくても大丈夫」


 と、覇気のない静かな声で言われてしまう。


(な、なんか怒ってないか?)

『元からそういう喋り方なのだろう。ギルド職員は個性的な奴が多い』


 不安に思うとグラムはそう吐き捨てるが、本当にそうなのか訝しんでしまう。


「……種類、分かる?」


 言われてハッとするが『大丈夫だ。問題無い』とグラムが言うのでそのまま頷く。


「……無期限だけど、日保ちしないから気を付けて」


 その日の内に持って来いという事だろうか、なるべく遅くならないように気を付けようと思う。


「……行ってらっしゃい。気を付けて」


 受付嬢の言葉に頷いてから、礼の意味も込めて頭を下げる。


 初めは騒がしく、最後は静かだった冒険者ギルドを出ると既に昼時くらいだろうか、ミーアが居なかった理由が分かった気がした。


『さて、当面は資金の調達だな』

(だな……)


 手持ちの金は金貨二枚。


 宿屋に泊まるとしても幾ら必要なのか分からず、たった今腹を満たす為に買った肉串は、五本で銀貨一枚だった。


『このまま何もしなければすぐに破産だな』


 それなら野宿でも構わないと思っていたが、魔獣の類に襲われなかったのは本当に幸運な事だとグラムは言った。


『野営をするなら相応の準備と能力が必要だ。それとも、誰かそういうのが得意な者を仲間にする予定なのか?』


 グラムの言葉に首を振る。


『何でも自分でやるのは悪い事では無いが……いや、時が来れば自ずとそうなるか……』


 含みの有るグラムの言葉。

 食べ終えた肉串のゴミを屑篭に入れ、漸く東門へと辿り着く。


 衛兵に冒険者証を見せ外に出ると、これまでとは違う晴れやかな気持ちになる。


(本当に、自由なんだな……)


 近代的な物は何も無く、目の前に広がる大自然。


 今まで散々見て来た筈なのに、何故だかこの時だけは強くそれを感じていた。


『真にそうだと言えるにはまだまだだがな……。丁度良い、森に着く迄に今後の方針を決めるとするか』


 東門の跳ね橋からは一本の道が続いており、途中で左右に分岐をするものの真っ直ぐと遠くの森まで続いている。


『お前は……いや、ゼロはどうするつもりなのだ?』

(どうって?)

『冒険者となって何を成すか、だ』


 正直な所、何か明確な目的が有ってこの世界に来た訳では無い自分が、突然そう聞かれても直ぐには返せなかった。


『何でも良いんだがな……地位や名誉、権力を手に入れたい。美食を堪能し美女を侍らせ、ありとあらゆる快楽を追求するでも良い……あとは―――』


 それは思いもよらない言葉だったが、それでもこの世界に限れば十分に有り得る話だった。


『―――死者を生き返らせる、とかな』


 頭が真っ白になるがぶんぶんと振り


(それは……直ぐに出来るのか?)


 と、慎重に尋ねる。それが可能ならリュカやリュカの両親は―――


『直ぐには無理だ。一般人にそれを行う術は無い』

(ならなんで―――)


 気を持たせるような事を言ったんだと思ったが


『直ぐには、と言った。ともなれば、やる事は一つだろう?』

(強く……なれば良い?)


『誰もが認める能力、功績、地位、名誉……数え上げればキリが無いが、冒険者としての等級を上げれば自然と分かる事だ。方法も、この世界の仕組みも―――』


 殊更含みのある言い方だったが、グラムなりにやる気を出させようとしているのだろう。


(だったらまずは……)

『ここの依頼を迅速にこなす事だな』


 気付けば森の入り口に立っており、まるで線引をしたように背の高い樹木が整然と生えていた。


 森の奥へは一本の道が続いており、中は昼間だというのに薄暗い。


 一歩、また一歩と歩を進める度に、次第に気分が落ち着いて行くのを感じる。


『その身に流れる血だろう……森人族は自然との親和性が高い』


 そういうものなのだろうか。単にリュカと過ごした日々のせいだけという訳では無さそうだ。


(ナオリ草は……あったあった)


 これもその血とやらのおかげか、薬草や解毒草がどこにあるのか何となくだが雰囲気で分かってしまう。


 あまりにも簡単に集まってしまうので採り過ぎかと思ったが


『根さえ残しておけば大丈夫だった筈だ……多分』

(たぶん……)


 これまできっぱりとした答えしか返さないグラムが、初めて言い淀んだ瞬間だった。


『薬学や錬金は任せていたからな……あまり得意では無い』

(誰にさ?)


 聞き返すが返事は無く、だんまりを決め込まれてしまう。


 先程からグラムにはそういう所が多々見受けられ、聞かれたくない物を無理に聞くのも野暮なのでそのままにしておいた。


 話の内容や口調からもっと老齢の人物を想像していたが、出会って間もない頃の印象よりは若さを感じていた。


 ラウル達と同年代くらいだろうか、それよりも少し上くらいか……何にせよ無機質な剣というよりかは大分人間臭くて安心した。


 これまで普通に接していたがそもそもどうしてそんな事になっているのか、生い立ちや過去など、まだまだ不明な事は多い。


 魔剣と呼ばれるからには何かしら曰く付きの話が多いが、この世界ではどういう立ち位置なのだろうか。


『―――構えろ』

 言い終わらない内に茂みから猪が飛び出す。


『遅い! 何をしている!』


 突然の出来事に意表を突かれ、森狼の時と同じ轍を踏む事になる。

 体はいとも容易く弾き飛ばされ、背後の枯木に叩き付けられた。


 それを好機と踏んだのかそのまま突進してくる猪。呼吸が上手く出来ず、立ち上がろうとするものの衝撃が残り、足が震える。


(っ!)


 両手を胸の前で交差し精一杯踏ん張るものの、そんなものは意に介さないかの如く猪は自身の体躯を押し付けてくる。


 突進は止むこと無く、後ろ脚は尚も地面を削り続けていた。


(く……っそがあああ!)

 右手を何とか解き放ち、剣の柄に手を掛け抜き出す。


 顎下にそのまま思い切り突き刺そうとするも、滑るばかりで一向に刺さらない。


『やれやれ……索敵、反応、判断、魔力の扱い、対抗措置、どれを取っても全然だな』


 そう言うとグラムは短く何かを唱え


『炎閃:ファイアレイ』

 と、短く発した。


 中空に現れた一筋の炎が猪の脳天を貫き、呼吸を妨げていた物体から圧力が抜ける。


 猪が倒れ込むのと同時に地に突っ伏し、急いで肺に空気を取り込む。むせ返り、音の無い咳を繰り返し続けた。


『魔力以外は並以下だな……前途多難だが、やりようによっては強くなれるだろう。呼吸を整えたらそれを担いで帰るぞ。暫くの宿賃にはなる』


 あの少年神が見せてくれた能力値はそれなりに高かったように見えたが、それを踏まえても確かに今のは駄目だったと自覚する。


 猪の接近も、身のこなしも、反撃方法も何もかもが駄目。手も足も出やしない。


 呼吸を整え終わると漸く事の重大さを理解し、背筋に恐怖が走る。

 先程まであんなに和やかだった森の樹々が、急に恐ろしい物に見え始めたのだ。


 少しの物音で体を強張らせ、遠くから聞こえる獣の遠吠えに怯える。


『そうだ。それで良い……なに、案ずることは無い。これから半年……いや、三月でまともにやり合えるようにしてやる』


 猪を激しく引きずり、脱兎の如く走り出す。心音が耳の奥で激しく騒ぎ、グラムの声は届いていない。


 冒険者初日はなんとか生き残ったものの、まるでお手本のような敗走で幕を閉じた。

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