第二話 ~最果ての冒険者~

《第二話 ~最果ての冒険者~》


 自分が死んだ時と同じような空間に、自分と母狼が佇んでいる。


 それを夢だと自覚するまでに、然程の時間は掛からなかった。


 自分の身長よりも遥かに大きい体躯なのでただそこに鎮座していても威厳が有るように感じたが、その顔はどこか申し訳無さそうに翳りが見えた。


 我が子の事が心配なのだろう……それは当然だ。短い付き合いの自分ですら同じ気持ちなのだから……。


(ごめん……)

 そんな顔を見せられては何も言えなくなる。


 しかし気持ちは通じたのか、小さく首を振る母狼。

 頬を一舐めした後、母狼はゆっくりと歩き出す。


(おい、どこ行くんだよ!)

 その言葉に一度だけ振り返り、再び歩を進める母狼。


 自分の足はその場に縫い留められたように動かず、ただただ後ろ姿を見送る他なかった。


「……ォン! ウォン!」

 遠くの方で声が聞こえる。


 心地良い眠りは頭上から聞こえてきた、あの子狼の声によって中断させられた。

 ゆっくりと起き上がり、顔を舐めて来る子狼を撫で返す。


「お目覚め?」

 声の方に顔を向けると眠る前に見た女性の姿がそこにあった。


 物静かに微笑み、読んでいた本を閉じるとそれを地面に置き、ゆっくりと歩み寄って来る。


 顔を覗き込まれ、何かを確認しているのだろうかまじまじと見つめてくる。


 整った端正な顔立ちはリュカの母親とは異なるタイプの美人で、微笑むと大きな瞳が半月状になる特徴的な目をしていた。


 周囲を見渡せば先程の場所とは違い、だだっ広い野原に一本の道が確認出来た。


 寝かされていた野営地は街道沿いの道端で、石のかまどに火が焚かれておりその上には鍋が掛けられている。


「そんなに警戒しないで。取って食おうって訳じゃないわ」


 黒髪の女性は再び微笑み、何かに気付き立ち上がる。


「終わったよー……って、おお! やっと目が覚めたみたいだね!」


 背後の声に振り返ると、そこには彼女の仲間だろうか……濃紺のローブを身にまとった糸目の金髪男と、屈強な鎧に身を包んだ赤髪の女が立っていた。


 年の頃は二十前後だろうか、リュカの父よりも随分と下だろう。


 今までリュカを通して見ていた世界で家族以外を見る機会は少なかったが、三人とも日本人離れした整った容姿をしており、眉目秀麗という言葉がピッタリだと思ってしまう。


「治療はしたけど暫く安静にしてると良い。スープも温まってきた頃だし、食べ頃なんじゃないかな?」


 ローブの男はそう言って頭を撫でると料理の確認に向かう。


 男の言葉どおり自分の胸と両手には包帯が巻かれており、その部分に鈍い痛みが有る。


「完治するのはもう少し後になるから、ゆっくり治すといいわ」


 黒髪の女性はそう言ったが、疑念の眼差しに気付いたのか


「不思議?」

 という問いに頷く。


 見た所この人物達は冒険者なのだろう。


 リュカが好んで読んでいた冒険小説の挿絵に、似たような出で立ちの者が描かれていたのを思い出す。


 冒険者は基本的に人助けをしない。


 もしもするのであればそれは依頼の範疇であり、無益な行動は極力取らないようにしていると書かれていた。


 善意から取った行動が自分達への厄介事のタネになる事を、熟練の冒険者ほどその身を以て知っているからだ。


 そんな事を考えていると

「何その目……大体あんたねぇ、助けてもらったのにお礼一つ言えない訳?」


 冷たく鋭い視線と言葉が投げ付けられる。


 発信元は鎧の女で、つかつかと歩み寄って来るなり威圧的に見下ろしてくる。


「い、いいのよ。結果的に私達も助かったわけだし―――」

「よくない!」


 黒髪の女性が仲裁に入るも、それを許さんとばかりに声を荒げる鎧女。


「魔法の治療は本来なら金貨一枚! 野営地での食事は銀貨三枚! 安全の確保に包帯代、水薬代……それだけのお金が掛かってるの!」


 日本円にすると一万三千とちょっとか、野外という事を考えれば適正価格なのだろう。


 鎧女は鼻息荒く、言ってやったと言わんばかりに満足気にしている。

 だが彼女の言うことも尤もだと分かっていた。


 座り直し居住まいを正すと、鎧女に向かって(ありがとう)と、口だけ動かし頭を下げる。


 少し離れた場所で鍋を見ていた男に向かって、目の前の黒髪の女性に対しても同様に声の無い礼を告げ、頭を下げる。


 この世界の作法は知らないが謝意が伝わればと思う。


 襲撃者の事が脳裏に焼き付いていた為か、少し過敏になり過ぎていたようだ。

 リュカの殺害が目的ならばとっくの昔に殺されていただろう。


「あなた、声が……?」

 黒髪の女性の言葉に頷く。


 傷跡はあの夜に全て癒えた筈だが喉の表面には代償だろう……僅かな隆起が確認できた。


「大変だったわね」

 そう呟き自分の胸に頭を抱き寄せる黒髪の女性。


 ふくよかな二つの山はいとも容易く自身の頭部を覆い、思いのほか強い力に息が止まる。


「ビオラ、苦しそうだから離してあげな。それと、クリスは何か言う事があるんじゃないかな?」


 圧迫から開放され、ばつが悪そうにこちらを見てくる鎧女。


「あぅ……」


 先程までの気迫はどこに行ってしまったのか、言葉に詰まりもじもじと身を捩らせている。


 立ち上がり手を取り(気にしてない)と、そこに文字を書く。

 勉強をしていて本当に良かったと思う瞬間だった。


「その……ごめん。言い過ぎた」


 口を尖らせ、恥ずかしそうに漏らした表情は年相応に可愛らしかった。


「さ、それじゃあ仲直り? の食事にしよう。お互いの自己紹介や、今後についても話さないとね!」


 そう言って男はスープの入った器を差し出してくる。


 中には香草や鶏肉だろうか、複数の食材が入った具沢山の物だ。

 立ち上る湯気に鼻孔が刺激され、途端に空腹を感じる。


 三人はここから馬車で一日ほどの距離にある【最果ての街リアモ】の冒険者だと言った。


 食事の用意をしていたラウル、鎧女のクリス、黒髪のビオラは共に同じ孤児院で育ち、ラウルが一番年長者で年齢は二十。


 クリスが一つ下で、ビオラが二つ下であった事には驚いた。


「あはは、確かに。見た目だけならビオラが一番下だとは思わないよね?」


 そう言って笑うラウルをクリスが睨み付ける。


 三人は数日前に同じ夢を見て、それに導かれるようにしてここを訪れたのだと言う。


「不思議な夢だったわね」

「同じ日に同じ内容で、ギルドに行ったら依頼も指名で置かれてたし、前金だし……」


 ギルドというのは冒険者の協同組合みたいなもので、そこで登録をして様々な依頼を受託、解決すると報酬が貰えるこの世界の斡旋所のような存在だ。


 各国に存在する支店とは共通で功績が記録されており、貢献度を上げれば昇格していくのだと本には書かれていた。


 彼等のパーティ【最果ての夜明け】は、リアモで一、二を争うほどの高い等級を有しており、他の冒険者達とは一線を画している。


 普通なら等級が上がれば大所帯のパーティになるものだが、最果ての夜明けは結成から今までずっと、この三人で依頼をこなしてきたのだという。


 少数精鋭という事はそれだけで、個々人の能力が高いという証明にもなる。


「ここはもともと森狼の生息地で、戦闘音や魔力の流れを辿ってきたら君が暴れてたって訳」


 森狼というのは横で骨付き肉を囓っている奴の事だろうか。ラウルから貰った肉を嬉しそうにむしゃぶり尽くしている。


 ハッとしてビオラに目を向けると右腕には自分と同じように包帯が巻かれており、血こそ滲んではいないもののその姿が痛々しい。


(ごめんなさい)

 と、口を動かし俯くと、それに気付いたビオラは優しく微笑み頭を撫でる。


「いいのよ。これぐらいは冒険者なんだもの、なんでも無いわ」

「気を付けなさいよ。そんな事言ってるけど、ただの少年趣味なだけだから」

「もーっ、クリスちゃん! 人聞きの悪い事言わないで!」


 幼馴染と話している時は素に戻るのか、くだけた調子で抗議するビオラ。


「さて、そんな訳で僕達の事は分かったかな? 次は君の番なんだけど……」


 食事も終わりに差し掛かり、ラウルが尋ねて来るがどこまで本当の事を話したものか悩んでしまう。


 訳も分からないまま襲撃され、崖から落ち、ふらふらの状態で洞窟に逃げて母子狼と出会い、その翌日には敵対勢力と思われる狼達に襲われて現在に至る……という所だろうか。


 流石に前世だの転生だのの話をする気にはなれなかった。

 こんなものは突拍子も無さ過ぎて信じてもらえるかも不明だ。


 木の棒で地面に文字を書き、そこまで説明すると


「じゃあご両親は……」

 クリスの声に無言の時間が流れる。


 生死の確認はしていないが、あの状況なら望みはもう……。


「ふむ……だとしたら行動は早い方が良さそうだね。一応周囲を警戒してみたけど、それらしい人物が居ないとは言え、いつ君を襲った敵が現れるか分からない」


 ラウルの言葉に二人が頷く。


「行く当てがないならリアモに来るかい? 僕達の運営する孤児院もあるし、当面のお金は君が倒した森狼をギルドで換金すれば良い」


 そう言ってラウルは小さな鞄から黒い狼を覗かせる。


 不思議な道具は子供の頃に見たアニメのポケットのようだった。


「それとこれ……」


 手の平に収まらないほど大きな牙をクリスが差し出して来る。


「この子のお母さんの……。この子が離れなかったから、埋める前に牙だけ採取させてもらったわ」


 依頼でここまで来た以上なにも証拠が無いのは良くないらしく、かといってそのまま遺体を持ち帰るのも忍びなかったとクリスは言う。


「街に戻れば鑑定士も居るから、これでおおよその事は理解してくれると思うわ。だから四本のうち、二本を私達、残りの二本を君達に」

 自分と子狼の前に牙が置かれる。


 それを手に取ると未だ温もりが残っているかのように、あの夜に感じた優しさが伝わって来る。


「ウォン」

 子狼も嬉しそうに吠え、尻尾をぱたぱたと振っていた。


 食事の片付けを手伝い、野営地の撤収が済むと馬車へ乗り込む一同。


(……元気で。ありがとう)

「ウォン!」


 ゆっくりと馬車が動き出し、小さくなっていく子狼。

 視界から完全に消えると、遠くから別れの挨拶のように遠吠えが聞こえた。


 街に行くか尋ねてみると、子狼は森に残る事を選んだ。


 人里に来たとしても、自分自身これからどうなるか分からないのだ……これが最良の選択だったと思いたい。


「寂しいかも知れないけど、従魔士でも無い限り野生の動物は難しいわ……」

「森に居ればきっと仲間も出来るでしょうし、彼の選択を尊重しましょう」


 ビオラとクリスの言葉に頷く。


「さ、そろそろ休んでおきなさい。宿場町で一泊して、それから帰るわよ!」


 クリスの宣言通り馬車は順調に街道沿いの宿場町へと辿り着き、日も暮れかけていた事からすぐに夜の帳が落ちる。


 宿屋に泊まる前に着替えを見繕ってくれていたようで、感謝しつつ風呂から出て着替える。


 宿屋の設備は上等なもので、現代の日本と比べても遜色ない程だった。


 街並みから見てもトイレは汲取式で、風呂は湯の張った桶とかかと思っていたのだが、普通に湯船は在るしトイレも水洗だ。


 全てにおいて配管等が通っておらず、それが魔力や魔石、魔道具によるものだと知るのはもう少し先の事だった。


「ほら、見えてきたわよ」


 翌日。平原の中に引かれた一本道をゆっくりと馬車が走る。そうして見えてきたのは東の果ての街、リアモだ。


 街を守る強固な石造りの壁は円形に続いており、外側には水堀が掘られている。


 道はそのまま木製の跳ね橋へと続き、渡り切ると両端に居た衛兵が御者をしていたラウルに話し掛けていた。


「ええ。このままギルドに向かいますので……はい」

 それだけ言うと再び馬車を進ませ入場する。


 いとも容易く入れた事に不安を覚え振り返ると、視線に気付いた二人の衛兵がこちらに向かって手を振っていた。


「この街の出身だし、B等級だから多少は……ね」


 ビオラはそう言い片目を閉じて微笑む。信頼と実績の賜という事だろう。


 舗装された石畳の道を暫く進むと、両脇には路面店のように様々な店が軒を連ねている。


 中には剣や鎧、液体の入った瓶や書籍などなど……普通に食べ物や飲み物を売っている店も有ったが、それでも見慣れない物の方が遥かに多かった。


「はい、とうちゃーく」


 ラウルが軽快に言うと馬車が止まり、荷台から降りると目の前には大きな建物が建っていた。


 二階建ての外壁には等間隔に隅切り窓が並んでおり、その上には半球の庇が取り付けられている。


 一階の入り口部分は半月形の石段が拵えられており、開け放たれている扉は重厚な造りとなっていた。


「それじゃ戻してくるから、報告よろしくー」


 ラウルはそれだけ告げると馬車を発進させ行ってしまう。


「入りましょう」


 ビオラに手を引かれ中に入ると思いのほか明るく、外壁と同じような漆喰だろうか……白い壁と茶色い柱が中世の外国を彷彿とさせる。


 一階右手は受付けとなっているようで、L字のカウンターの向こう側に職員らしき制服を着た女性が数名立っている。


 その反対側、左手側には大きなテーブルと長椅子がいくつか並んでおり、壁には掲示板とそこに何枚もの紙が貼られていた。


(リュカの読んでた本のまんまだな……)

 などと感心していると


「クリスー! ビオラー!」

 と、カウンターの向こうから元気な声が聞こえて来る。


 声の方を見やると猫耳を付けた女性が大きく手を振っていた。


「ただいまミー子。無事に……でも無いんだけど、終わったわよ」

「無事じゃないニャ!? 誰か死んだニャ!? ラウルニャ!?」


 クリスの言葉に驚く女性。


 ミー子と呼ばれた職員は矢継ぎ早に質問を繰り出す。


「そうじゃないわよ……その、ちょっと訳アリでね。リチャードさんは居るの?」

「もう少しで戻って来ると思うけど……って、ミーアはミー子じゃないニャ! 訂正しないと承認しないニャ!」


 どうやらミー子というのはあだ名のようで、猫耳の職員は声を荒らげて激しく抗議する。


 そんな二人のやり取りを眺めていると、興味深そうに視線を投げ掛けられる。


「君がその訳アリの原因かニャ?」

 と、目を輝かせ顔を近付けて来るミー子。


 こちらも負けじと目を逸らさないでいようと思ったが、短い癖っ毛の中で軽快に動く猫耳にどうしても目を奪われてしまう。


 赤毛の受付嬢の顎を撫でようとした瞬間


「おいおい、いつの間にガキなんて産んでんだよ……誰との子供だ? あぁん?」


 怒り……だろうか、不穏な声が背後から聞こえてくる。


 入り口にはいかにもな風体の男が四人立っており、一様に下卑た笑みを浮かべている。


「居ないなら待たせてもらうわ。行きましょ」


 その視線をあっさりと無視し、テーブルに進むクリスとビオラ。

 手を引かれ連れられて、長椅子に腰を下ろす。


 その様子を見ていた男達は舌打ちをし、ミーアとは違う受付嬢の所へ向かって行った。


「あいつらがこの街のもう一つのパーティ【宵闇の剣】……の、下っ端。今ではそんなに多くないんだけど、孤児院出身ってだけで何かと絡んでくる輩が多いのよね」


「あそこのリーダーはラウルちゃんと仲が良いからそうでも無いんだけど、あの子達は毎回絶対に絡んで来るの」


 大所帯だと全てに監視が行き渡らないのだろう、こういう事は度々あるのだと言う。


 そんな説明を受けていると

「なぁ、それでいつ引退するんだ?」


 何時の間にかテーブルの脇には先程の男が立っており、しつこく絡んで来る男の背後には取り巻き達が尚も、ニヤニヤと不快な視線を送り続けている。


 このどうしようも無く不愉快な状況に、この数日で何度目かの苛々が募ると


「あ、なんだテメェ……」

 視線に気付いたのか、ギザ歯の嫌味男が威嚇して来る。


 普段これほど何かに苛々などしない性分だった筈なのに、どうしてこうも直情的になってしまって居るのか……訳が分からないまま、ただただ怒りだけが沸々と―――


『やめておけ。今暴れれば、其奴等の思うツボだぞ』

 何処からとも無く声が響く。


 その声にハッとして辺りを見回すが、声の主は見当たらない。


「んだその面ァ!」

「何をしている!」


 嫌味男に胸倉を掴み上げられた瞬間、入り口から怒声が響く。大男が仁王立ちで腕を組んでおり、その脇にはラウルが立っていた。


 筋骨隆々の大男にレース付きのシャツはあまり似合っておらず、ロープのようなネクタイと深緑のズボン、革のブーツ……と、観察を続けている最中にあの大男がこの冒険者ギルド長だと隣に座っていたビオラが教えてくれる。


「ギルド内での揉め事は禁止……そう話した筈だな」

「い、いやだなぁ……何もしてませんって。ほら……」


 無理やりに肩を組まれそうになり、その手を片手で払い除ける。


 怒りが通じたのか、途端に顔を強張らせる嫌味男。こんなのに少しでも接触したのが嫌で、払い除けた右手を入念にズボンで拭う。


「お前達も、用が済んだなら速やかに帰るように」


 顔を見合わせひそひそと言葉を交わす取り巻き達。


「返事は!」

 再びの怒声に「はい!」と勢い良く言い放ち、男達はギルドから姿を消した。


「遅くなって悪かったね」


 ラウルの言葉に首を振る一同。戻って来る途中でギルドマスターと会い、今回のあらましを説明していたのだと言う。


「この坊主がそうなのか……坊主の両親は、何かやっていた人なのか?」


 リュカの両親がどんな人物なのか、それは未だに謎のままだ。


 二人ともリュカに対しては厳しくも優しい、絵に描いたような良い両親という印象しかない。


 若い頃は冒険者だったと伝えると


「両親が強い力を持っていると子供もそれなりに強いらしいが……そうなのかも知れんなぁ」


 獅子のような髭の一部を触り、納得するように頷くギルドマスター。


「少し若いが、冒険者になりたいなら歓迎するぞ。尤も、体もそうだが自制の心を育んでからだがな」


 そうだけ言うと高らかに笑い、頭を撫でてくる。


「冒険者にするのは反対だけどね」

「うんうん。この子はうちで面倒見ます!」


 冒険者の二人が言ってもあまり説得力が無いと思うのだが、どうやらそういう事らしかった。


 そうして話をしていると木製のトレーに硬貨を載せたミーアがやってくる。


「今回の報酬ニャ。森狼が八体、亜種が一体、亜種の牙が二本。解体手数料を引いて、金貨十一枚ニャ」


 意外にも稼げたのか、クリスが目を輝かせている。


「簡単な依頼だった割に、中々の額じゃなーい……それじゃ、分け前はこうね!」


 目の前に八枚の金貨が置かれる。


「実際に倒したのは私達じゃないから、それがあんたの取り分」


 日本円で言うところの八万円が並び、三人に視線を投げると微笑み頷かれる。


「んで、そこから治療代でしょ……昼食代、宿代、着替え、運搬費に入場税と諸々で……」


 見る見る内に金貨は消えていき、ぽつんと三枚だけが残る。


「アコギにゃ……」


 それを見ていたミーアが呆れ顔で漏らす。


「なによ! ビオラに怪我もさせてるんだから、本当だったら慰謝料として金貨十枚は取ってるわよ!」


 その言葉に罪悪感を覚え、再び謝罪する。


「こちらこそごめんね。クリスちゃんはちょっと守銭奴な所が有るから……でも、貴方の為でも有るのよ?」


 困ったように微笑むビオラ。


 クリスはミーアと言い争いをしており、ラウルとギルドマスターは何時の間にか木製のジョッキを片手に持ち、中身は酒……だろうか、それを美味そうに飲んでいた。


「ちょっとギルドマスター! まだ仕事が残ってるのに飲まないニャ!」

 そんな喧騒の中、再び声が響く。


『それだけあれば十分だろう……指示する場所に向かえ』


 聞き間違いでは無い……やや低い、くぐもった男の声。

 機械音声のような言葉の前後に、ほんの微かな高音が混じっている。


 集中しすぎて呆けていたのかビオラに


「大丈夫?」

 と、顔を覗き込まれる。


 先程の声が聞こえないのかと尋ねると、そんなものは誰一人として聞いていないそうだ。


「ゆ、幽霊ニャ?」


 この世界にも幽霊や霊魂といった概念があり、それらが恐怖の対象として扱われているのでミーアが耳を倒して怯えている……が、そんなものより大きな野生動物や巨大昆虫の方がよほど恐ろしいと、前にリュカと話していたのを思い出した。


 行って来るとビオラに伝え、金貨をしまうと導かれるまま外へ飛び出した。


「え、ちょ、ちょっと待って!」

 心配そうな声を背に、冒険者ギルドを後にした。


『右……左……』

 走っている最中にも声は止むこと無く、誘導する方へと駆ける。


 辿り着いた場所は冒険者ギルドから南東の小ぢんまりとした武器屋だった。


 扉を開けて中に入ると


「いらっしゃ―――なんだ、ガキか」


 カウンターに座っていた頭のつるっとした店主がこちらを一瞥し、途端に顔を曇らせる。


「ここには坊主が扱えるような物は置いてねえぞ。第一、金は持ってんのか?」


 あぁ? と、値踏みするような視線を向けて来るので、ポケットの金貨を一枚取り出し歩を進める。


「最低でも五枚からだ……ああ、そこに有るのなら一枚で良い。失敗作や、弟子が打ったもんだ」


 目利きの才が無い自分でも、そこに立て掛けてある武器が粗悪品だという事は分かる。


 壁面に掛けてある商品と比べ、放つ輝きが一段鈍い事は分かっていた……しかし―――


『着いたか……二つの魂を持つ者よ』


 一振りの、剣と呼ぶにはあまりにも異質な黒い塊が話し掛けて来る。


 平らな切っ先から鍔までの長さは自身と同じくらいで、持ち手の部分を入れれば遥かに大きい。


 幅も広く、拳が四つは優に収まりそうだ。


(なんでそれを……)


『話したとて詮無きこと……だがそうだな、少し場所を変えるか。代金を支払って南門から出ると良い』


 それだけ言われ、声は止んでしまう。


 黒い塊の前で佇んでいるのを見兼ねてか


「やめとけやめとけ、それは誰にも扱えねえよ。魔剣だと聞いて挑戦しに来る奴は多いが、やっとこさ持てたとしても振り回せる奴は今まで―――」

 その言葉を無視して柄に手を伸ばす。


 見た目とは裏腹に羽根のように軽い大剣は、持っているのか不安になるほどこの手に重さを感じない。


「嘘だろ……」

 驚愕の声に剣から視線を移すと、カウンターから急いで出てくる店主。


「こ、こいつはな、旅の商人から買ったものなんだが……置いとく分には大丈夫なんだ。人の手が触れた瞬間だけ、とんでもなく重くなるって……そんな使えない屑魔剣なんだ」


 両手を胸の前で開き、わなわなと震わせる店主。


「ちょ、ちょっと一回置いてみろ」


 言われるがまま従い、店主が持ち上げようと柄に手を掛ける。


「うおおおおお……あいぃ―――ッ!!」


 少しだけ剣が浮いた瞬間、店主は奇声を発して動かなくなってしまう。


「こここ、腰。腰が……」


 ゆっくりと姿勢を直し、よろよろとカウンターの中へ戻って行く。


 再び剣を持ち上げ肩に担ぐと、そのままカウンターに代金を置いた。


 それを見るなり店主は片手を振り


「良い物見れた礼だ……代金は要らねぇ―――いや、明日もう一度来てくれ。その金で良い物を用意しておいてやる」


 そんな店主の言葉に小首を傾げる。


「そいつと一緒に買った物がある。お前さん用に調整しておいてやる……本当ならすぐにでも出来るんだが、今日はもう仕事にならん……あたた……」


 腰を押さえ、苦悶の表情を浮かべる店主。


 そういう事ならと金貨をそのままにし、店から出る際にお辞儀をして外へ。大剣を肩に担ぎ、南門まで歩いて行く。


 通行人の視線が突き刺さるようで、最初は子供に不似合いなこの状況がそうさせるのかと思ったが、客寄せパンダとしての魔剣を担いでいるのも一役買っている気がした。


 指示通りに歩き、先程通ってきた南門に差し掛かると


「ま、待つニャ! 何処に行くニャ! そしてその剣はなんなんニャ!?」


 振り返るとそこにミーアが立っており、心配そうな声で引き止める。


 街の外に出たい事を手の平に伝えるとダメだと猛反対されてしまい、譲らない姿勢を見ると三人を呼びに戻ってしまう。


「もうすぐ暗くなるから、遊ぶならその辺でな」


 衛兵の男性にそう言われ、跳ね橋を過ぎてから少し歩いた所で足を止める。


 リアモの南側はほとんど樹木が無く、土の道路以外は足の短い草原が広がっているだけだ。


 それは西門付近も同様で、東門の方には背の高い森と奥の方に山影が見えた。


 風が通り抜け頬を撫でると、草が揺れ静寂が戻る。


 当たり前に有った人の雑踏や車の音は無く、遠くの方から植物の奏でる葉音と、微かに聞こえる波の音が心地良かった。


『この辺で良いか……地面に我を突き立てろ』


 言われたとおりに地面に突き刺すと、魔剣は何かを囁き唱える。


 自分の中から何かが抜けていく感覚と、それに続いて眼の前の地面が隆起して行く。


 それは次第に人の姿を象り、自分よりも一回り大きな土の兵士を誕生させた。


(ゴーレム……?)

『知っていたか、博識だな……それなら思う存分、戦うと良い』


 博識な訳では無い。ゲームで遊んだ時の記憶が有るだけだ。


『異世界にはそんな物が有るのか……興味深いな。そら、もたついてると危ないぞ』

(えっ……)


 ゴーレムを見ると既に腕を振り上げており、そのまま勢い良く振り下ろして来る。


 既の所でそれを躱すと武器を取りに柄に飛び付く―――が、魔剣は微動だにしない。


『自分の力だけでやらなければ意味が無いだろう。何を考えている?』


 そっちこそ何を考えているんだと反論すると


『さっさとその不格好な魔力を発散させろと言っている。二つ……いや、三つか? 混ざりすぎて暴発寸前だろう……そのままだと死ぬぞ?』


 何の事かさっぱり分からず、ひたすらゴーレムの攻撃を躱し続ける。


『ギルドで見せた怒気は偽りか? 親しいものが凶手によって倒されたでも何でも良い、手遅れになっても知らんぞ』


 再度促され、これまでの出来事を―――思い―――


『そうだ。それで良い』


 怒りだけで頭の中が埋め尽くされ、視界が真っ白になる。


『余程抑圧されてきた人生だったと見える。これしきの事でそこまで喜びに身を震わせるなど、酷使された奴隷が急に力を付けたかの様だぞ』


 魔剣が声を殺して笑う。


 その瞬間、ゴーレムの顔面には拳が叩き込まれ、音を立てて元の土塊へと還る。


『次はもう少し強度を上げるとしよう。思う存分吐き出せ』


 再び作り出されるゴーレム。


 先程よりも更に大きいそれは、出来上がるなり渾身の力で殴り付けてくる。


 それを真っ向から殴り返しゴーレムの右腕を消し飛ばすと飛び上がり、再び土の顔を殴り付ける。


『予想以上だな……放出が不得手な代わりに、内側に作用する魔法は得意そうだ。ふむ、もう聞こえていないか』


 獣のようになってしまった少年から流れ込んで来る感情は、身を震わせる程の喜びだけだ。


 戦闘狂のような恍惚とした表情、原因となった怒り、後悔だらけの懺悔と果て無き悲しみ……なんとも複雑な表情を浮かべるのを見て、これまで静観していた魔剣も若干心配になってしまう。


『これで最後だ……終わりも近い』


 南門から近付いてくる複数の人影を見て、魔剣は三度ゴーレムを作り出す。


 最初に見た物と同等の大きさだが強度は二体目のそれより遥かに高く、少年と拳打での応酬を繰り広げている。


『せいぜい役に立ってもらうとするぞ。俺の……俺達の悲願の為に―――』


 顔、腹、肩、腕、両手と、傷を負っていない箇所など一つと無く、その痛みで一つ、また一つとシコリが溶けて行く。


 その痛みが心地よく、自らが繰り出す拳を当てるたび怒りと喜びが綯い交ぜになった感情が湧き上がる。


(好きで進んで、そういう風になった訳じゃない……ただ、誰かがやらなくちゃならなかっただけだ……それ以外に、選択肢が無かった! 他に有ったとしても、それでもやらなくちゃ行けなかったんだ! 誰も助けてくれなかった……誰も助けられなかった! でも、こんな結末なら……俺は選ばなかった! なんでリュカが、なんで……糞みたいな人間がのうのうと生き残りやがって、なんであいつ等が死ななくちゃいけなかったんだ! 全員殺してやる! 殺してやる! 殺してやる!!)


 前世と今世の記憶が混ざり、涙が流れた瞬間を狙い澄ましたかのように両者の拳が頬へと当たる。


 少年が倒れ込み、ゴーレムも崩れ去ると


『ならば強くなれ……何者にも縛られないよう、己の力で世界を変えられる程に』

(……それが、一番なのかな)


 何時の間にか自我を取り戻していた少年が返事をする。


 その顔は出会った時よりも晴れやかで、目付きの鋭さは少し落ち着いたようだ。


「こら! 何やってるの! いくら待っても帰ってこないし、ミーアは慌ててるだけだし!」


 倒れ込んだ少年を覗き込むビオラ。


 怒っているのか、分かりやすく両頬を膨らませて詰め寄ってくる。


「しかしこれは……凄いね」


 満身創痍の少年と、山盛りになった土砂を見てラウルがこぼす。


 何度目かの謝罪を地面に書くと


「いいわよ別に……それで、用事とやらは済んだの?」


 クリスの言葉に微笑んで見せる。


「あ、やっと笑ったわね。……うん、この分なら連れて行っても大丈夫そうね……っと」


 そう言い、ラウルの背中に少年を乗せる。


 魔剣は大人しくビオラの手に収まり、その光景に違和感を覚えると


『馬鹿どもに触れられるのが癪なだけだ』

 と言った。


 そんな魔剣を眺め、これからの事を考えると何時の間にか寝息を立て始める。


 安堵して疲れ切った末の眠りは、格別に心地良かった。


 日が沈み出し、一行はラウル達が育った孤児院へと向かって行く。


 様々な思惑が交錯する中、魔剣は静かに見守る。

 求めていた物が手に入った高揚をひたすらに押し隠し、これからの事をゆっくりと思案していた。

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