間話休題 ~夢魔の酒坏~

《間話休題 ~夢魔の酒坏さかずき~》


 晴れて冒険者となってから一月と少し……この世界の生活にも程々に慣れてきた頃、薬草採取からリアモの街に戻ると陽は傾き、辺りは夕暮れに染まっていた。


 熱心に採取をしてただけでは無く、模擬戦が楽しくてつい森に長居してしまったのだ。


『ん……?』


 何かに気付いたようにグラムが呟くので歩みを止める。


 東門の大通りは未だ人通りが多く、これから夜が深まるにつれて違った表情を見せるのだが……今はその準備段階だ。


 そんな中、足元に転がって来る一つの果物。


 薄緑色をしたひょうたん型のそれは、あの時に森で食べた物とよく似ていた。


 一つ……また一つと転がって来るので目に付いた物から拾っていると


「ごめんなさいね、ありがとう……って、あら?」

 と、声を掛けられる。


 声の主に見覚えは無く、赤くタイトな細身のドレスは随分と扇情的な物だった。


 とりあえず両手に捕獲した果物達を紙袋へ入れ、顔を見上げる。


「分からない? 前にお店の前で会ったんだけど……」


 ここまで言われて漸く思い出すと得心が行く。


 しかし、変装のような格好をされては一目で分からないのも無理な話だろう。


 頭にスカーフを巻いており、少しだけ顔を覗かせている藍色の髪と褐色の肌は、確かにあの時かばってくれた女性と同じ物だ。


 (あの時はありがとう)と、口を動かし頭を下げる。読唇術は出来ないかも知れないが、これで意図は伝わるだろう。


「良いの良いの、私が勝手にやった事なんだから。ああいうの見ると、昔っから放っておけないんだよね」


 そう言って口角を上げ微笑む姿は、先程までの淑女然とした姿とは打って変わって溌剌とした美しさを湛えていた。


 (礼が遅くなってすまない。次の日も探したけど見付からなかったんだ)という事を伝えようと、身振り手振りで何とか頑張る。


「ん? んん? えーっと……気にしないで大丈夫だよ! で、合ってるかな?」


 うんうんと頷き、意外となんとかなるものだと自分の頑張りを褒める。


「んー、でもそうだなぁ……もし気にしてるなら、遊びに来てほしいかな?」


 そう言って一枚のカードを渡され、そこに目を落とす。


 濃紫の紙には羽根の生えた女性のシルエットと曲線のフレームがデザインされており、真ん中に店と自身の名前だろうか【夢魔の酒坏サキュバスグレイル:リズ】と書かれていた。


(……キャバクラかな?)

『キャバ……なんだそれは。異世界の店か?』


 今まで黙っていたグラムが途端に食い付く。


「って言っても、まだお酒は早いよね?」


 少し困ったように微笑むので首を振る。


「おっ、流石は冒険者……なんだよね? 水代わりにお酒を飲むのは伊達じゃないね?」


 そう、この世界に来て驚いた事の一つに「水の代わりは酒!」とでも言わんばかりに、どこでもなんでも酒が出てくる事だ。


 幸いにして酒精はそこまで強く無いので、下手すればビールよりも弱いんじゃないかと思うくらいなのだが、とにかくしこたま酒が出て来る。


 リュカの体でこの歳から酒を飲むのは少し抵抗が有ったが、少しくらいなら……という気になってしまうのは、生前好きで飲んでいたからに他ならない。


 飲酒に関して年齢制限が無いのも功を奏した。


 最初の転生者は絶対にイタリア人に違い無いと、勝手な先入観で決め付けてしまう。


「それじゃあそろそろ行くね。これ、拾ってくれてありがと」


 去り際に紙袋を軽く上げ、抱えたまま片手を振って東門の方へ歩いて行くリズ。


 その後ろ姿をぼんやり見送っていると


『はぁ……まだまだだな』

 と、グラムが呆れ声と共に大きな溜息を吐く。


(なにがさ)

『観察力が、だ。あの娘が何故、紙袋から片時も手を離さなかったか分からないのか? ……見てみろ』


 リズの後ろ姿は小さくなっていたが、それが更に半分くらいになる。


 慌てて駆け寄ると再度荷物は地面に散らばっており、それを拾いリズに手渡す……が、入れていた紙袋は裂けており、先程よりも損傷が目に見えて分かる程それはもう袋として機能していなかった。


「あ、あはは。ごめんね何度も……格好付かないもんだね」


 バツが悪そうに笑うリズを後目に、獲物収納用の麻っぽい袋を取り出しそこに果物を入れる。


 全てを入れ終えて担ぎ、店まで運ぶと身振り手振りで示す。


「えっ、いいよいいよ。それは流石に悪いから……って、ちょっと待ってよ」


 道の往来で押し問答する気は無いので、リズの言葉を無視して歩いて行く。


 夢魔の酒坏……店名に聞き覚えは無いが、恐らく初めて会った場所の近辺なのだろう。


「意外と強引だね……それじゃ、お願いしちゃおっかな」


 隣に追いついたリズがこちらを覗き込み笑顔を作る。


 その言葉に頷き返し、歩いていると次第に夜の帳が降りて来る。


 路地の街灯は大通りよりも幾分暗く感じ、その暗さを乱立している店々の看板が補う。


 昼間に来た時とは別世界のようで、建物の入り口や店のベランダには着飾った女性達が立っており、道行く男達へ盛大に愛想を振り撒いていた。


 一店舗で大きく構えている店もあれば複数の店が入った雑居ビルのような建物も有り、基となる機構を作った人間はよほどそういう店が好きだったのだろうと、その人の執念に思いを馳せてしまう。


「あ、見えてきたよ」


 おのぼりさんのように辺りを見回し続けていると、リズが前方を指し示す。


 木造三階建ての建物は周囲と一線を画しており、石造りの多い区画で一際存在感を放っていた。


 第一印象は西部劇のような建物といった感じで、大きく違うのは扉が重厚な事だろうか。


 記憶にあるようなスイングドアは無く、代わりに鋲の飾りが入った鉄扉が建て付けられていた。


 入り口の上に輝くネオン風のロゴも、中々に主張が激しい。


「運んでくれてありがとね。ちょっと待ってて」


 麻袋を渡すとリズは建物の脇に消え、一人ぽつんと佇む。


 店の裏手には街の外壁が聳えており、見上げ続けていると目眩がした。


 辺りを見渡せばそこはちょっとした広場になっており、中央には小さな噴水が在る。


 道行く誰も彼もが何かの目的を持って歩いているのを見ると、少しだけ前世の人混みを思い出す。


『帰るのか?』

(別に礼が欲しくてやった訳じゃないしな。これで貸し借り無しだろ?)


 ぶっきら棒に言い捨て歩を進めると


「あれ? 帰っちゃうの?」


 と、背後から同じ様に声を掛けられる。


 振り向くとそこには、ボンテージ衣装に身を包んだ見知らぬ女性が立っていた。


 黒いエナメル調の服はてらてらと光り、中々に肌の露出が高い。


 店のロゴをモチーフとしているのか、背中から蝙蝠のような翼、腰の辺りから細長い尻尾が生えていた。


 背後の鉄扉が少し開いている所を見ると、店内から出てきたのだろう。まだあどけなさが残る表情の女性に、どう説明したものかと思案する。


「リズちゃんならもう少しで来るから、中においでよ!」


 言い切らない内に手を取られ、見た目からは想像出来ない力で引っ張られる。


(……力強すぎだろ)

『問題無い、少し軽くしている』


 道理で足元がふわふわとすると思ったが、グラムの仕業だったか……。


 観念して手を引かれるがまま強制的に入店すると、まず目に飛び込んで来るのはその独特な構造だった。


 中央のバーカウンターも目を引くのだが二階部分は吹き抜けになっており、ぐるりと手摺り付きの床が張り巡らされている。


 一階の左右の壁には中央と同様にバーカウンターがコの字に設置されており、背後の棚は様々なラベルの酒瓶で埋まっている。


 どれもが見た事の無いデザインで中には少し既視感のある物も有ったが、恐らく自分と同じようにこの世界にやって来た酒好きが作ったのだろう……そこに考えが至るのは飲めば酔うのと同じくらい自然な事だ。


 店内は四つに区画が分かれているのか、丸テーブルや長テーブル、椅子やソファーが整然と配置されている。


 まだ日も落ちたばかりで客足はまばらだったが、数名の客が店員の女性と会話を楽しんでいた。


 ただどこの世にも変わり者は居るみたいで、店の隅で一人、二人……舐めるように酒を嗜む人物が居るのは、自分にとって安心する材料の一つでは有る。


 酒は勿論大事だが、誰と飲むかも重要なのだと勝手な親近感を覚えた。


『随分と饒舌だな……』


 口を開いたかと思えば若干引いているのか……だが、これまで酒は葡萄酒だけだった身としては、期待していなかっただけにこれほどの酒瓶を前にして興奮を抑える事など出来る筈が無い。出来る筈が無いのだ。


「さ、座って座って」


 そんな思いを知ってか知らずか、天を仰いで片手を高々と挙げている子供を淡々と中央に通し、カウンター前の椅子の真ん中へ座らせる店員の女性。


「リズちゃんのお客様、ご案内でーす!」

「あら、うふふ……いらっしゃいませ」


 カウンターの中にも女性の店員がおり、リズや案内してくれた子よりも年上だろうか……落ち着いた物腰と柔らかい口調、にこりと微笑み掛けてくる仕草が堂に入っていた。


 首元のファーと羊のような螺旋の角、ゆるい曲線がかった髪型が漆黒の衣装とよく似合っている。


 丁寧なお辞儀が終わると髪が揺れ、一連の動作に見惚れてしまいその妖艶さに釘付けになる……と同時に、少し怖くも有った。


「初めてのお客様なのね……リズちゃんのお友達かしら?」


 訂正するのも面倒なのでそのまま頷くと、案内してくれた女性もカウンターの中へと入る。


 腰の高さ程のカウンタードアは前世でよく見た物だ。


「お酒は飲むのかな?」


 カウンターの中から一枚の紙を取り出し、そこに目を落とすと酒の名前が書かれていた。


 醸造酒、混成酒の項目を続けて読んでいく。


 見た事の無い銘柄がずらりと並び、次第に鼓動が高鳴る。最後の項目に目当てのそれは有った。


 蒸留酒―――焼酎やウイスキー、ラムやウォッカなど、好んで飲んでいた酒の分類だ。


 蒸留酒の項目に書かれていた酒も初めて見るものばかりで、それだけで心が躍ってしまう。


『何時になく上機嫌だな……』

(そりゃあそうだよ、だって……)


 品書きに書かれていた【大銅貨一枚】の文字は、予想していたよりも遥かに安い。


 杯売りで五百円など、普通であれば経営が心配になる物だが考えていても仕方がない。


 蒸留酒の中の一つを指差し、品書きをつい、と押し返す。


 【竜の息吹】と書かれたそれはどんな酒なのだろうか、ボトルは、ラベルは、色は、強さは―――それを考えるだけで胸の高鳴りは一層増していく。


「えー、そんな強いの飲めるの? ほんとに大丈夫ー?」


 案内してくれた女性が驚いたように声を上げるが、こっちはそれどころでは無い。爛々と目を輝かせ、鼻息荒く頷くのみだ。


「氷は必要かしら?」


 それにも頷き返し、座して待つ。


 漸く出てきたグラスには琥珀色の液体が三分の一ほど注がれていた。


 ロックグラスの中で氷が音を立て、コースターに置かれたその周囲だけは、自分を元の世界へと連れて行ってくれる……そんな気がした。


 置かれた瞬間に分かる馴染み深い酒の匂い……グラスを持ち、近付くに連れて濃密になる香りが再び昔を想起させる。


 口に当て、グラスを傾けると氷が唇に触れ……酒をゆっくりと含み、舌に乗せるとぴりぴり痺れる。度数の強い酒ならではの特徴だ。


 意を決して飲み込み、喉を焼き、鼻から抜ける香りが荒々しく、体の中心がかっと熱くなる。


 半分になった中身を見つめ、溜息を一つ落とす。


 こんなに似ている酒があるというのは醸造家の人間も過去にこの世界に来た事が有るのだろう……それだけでどれほど前からこの馬鹿げた仕組みがなされていたのか、それを想像すると気が遠くなる。


「お気に召しましたか?」

 少し低い、落ち着きの有る声。


 羊角の女性にそう尋ねられ、満面の笑みを返す。


 二口、三口と飲み進めていくとあっという間にグラスは空となり、他の酒を試してみようとした瞬間


「こーら、探したんだぞ?」


 と、背後からぱさりと頭を叩かれる。


 椅子を回し振り返ると、そこには案内してくれた女性と同じ衣装を身に纏ったリズが立っていた。


 髪は下ろして幾分大人っぽく、その容姿に見合うよう体の線も……大人だった。


「ママに相手してもらってたのね……って、そんなに強いお酒飲んでるの?」


 カウンターのボトルを見て声を上げるリズ。


 蒸留酒は一般的では無いのか、それともこの体で飲んでいる事に対してか……亜人が居る世界なのだから、子供の容姿から姿が変わらないハーフリングだったか? 等も居そうなものだが、改めて思い返すと髭が立派なドワーフや、先のハーフリング、エルフ等の亜人はリュカ母以外に見た事が無い。


「はい、これありがとね。それじゃこっち……ママ、奥の席借りても大丈夫?」


 そんな考えをよそに席から立たされ、こちらの了承は取らずに奥のボックス席へと案内される。


「さあ座って」


 巻いているボロ布を解き、グラムを鞘ごと外して巻き付けておく。いくら重さは感じないと言っても、装備一式を外すと開放感が段違いだ。


 深紅色のソファーに腰を下ろすとふかふかとしており、長テーブルには先程の酒瓶とコースター、そこにグラスが置かれた。


 店の中に案内してくれた女性が隣に座り、挟み込む形でリズが座る。


 ペールに氷が山盛りに入れられ、ここだけ見ると本当にここが異世界なのか不安になって来る。


「改めましてジーナでーす! よろしくね!」


 耳は自前なのか、短い茶色の獣耳がぴくぴくと動いている。


「それにしてもすっごい剣だね! これがこの前絡まれてた原因?」


 ソファーに立て掛けられたグラムをつっつき、そう尋ねるので頷く。


 どうやらジーナもあの場所に居たようで、一部始終を把握しているらしい。


「待っててって言ったのに……それでどうする? 同じの飲むの?」


 品書きを渡すリズの言葉に首を振り、違うのが良いと伝える。


「蒸留酒ばっかり見ちゃって……本当に大丈夫なの?」


 目線で気取られたか、心配そうに覗き込んで来るがまだ酔ってなどいない。


 少し早めに飲んだつもりだったが、この体が特別酒に強いのかなどと考えていると


『今まで休みらしい休みも無かったからな……全ては無理でも、補助くらいはしてやる。存分に楽しむと良い』


 それだけ言うとグラムは再び黙ってしまう。どうやらそういう事らしかった。


 そうと決まれば片っ端から飲もうと決意し、二杯、三杯と空になっては次々に注文を繰り返す。


 気付けばリズとジーナもグラスを持っており、きっとその分も自分が払うのだろうなと思いながらグラスを空にして行く。


 だがそんな事は今となっては些細で些末な事だ……好みの酒を探す事こそが、今の自分にとって最重要な目的なのだから。


 何杯目かに頼んだ物を口に含ませた瞬間、聞き覚えのある声がした。


「あれ……?」


 声の方を見るとそこに立っていたのはラウルだった。


 隣には屈強な大男が立っており、その佇まいから只者では無い雰囲気が漂って来る。


 漆黒の鎧とそこから伸びる太い腕……顔付きは厳つく、揉み上げから伸びる髪が顎髭と繋がっている。


 獅子のような印象の大男は優男のラウルと正反対のような人物で、どちらかと言えばギルド長に似ていた。


 だがそんな大男に自分は心当たりが有った。


 ラウルと一緒に居るという事も手伝い、目の前の人物がこの街のもう一つのB級冒険者のパーティ、宵闇の剣の長だというのはひしひしと伝わって来る。


 以前揉めた際の事も有り、場の雰囲気が少し張り詰めたように感じた。


「やっぱりゼロだー。面白い場所で会うねー?」


 酔っているのかそんな事はお構い無しと言わんばかりに、ラウルは呂律の怪しい口調で真向かいの椅子に座る。


「お、おい。酔っ払い過ぎだぞ……迷惑だろう」


 大男の制止も聞かず、ラウルはにこにことテーブルに頬杖を突きこちらを眺めてくる。


「大丈夫だよねー? 飲めるなら一緒に飲もうよー」


 酔っ払い特有のテンションで言われては無下にするのも可哀想なので頷く。


 ラウルが酒飲みだとは思わなかったので、ここまで酔っているのはよほど良い酒だったのか、はたまた飲んだ相手が良かったのか……先程までの警戒心は薄くなっていた。


「騒がしくしてすまんな……」


 大男はそれだけ呟くとラウルの隣に座り、半ば強引に背筋を正させる。


「冒険者っていうのはさっき聞いたけど、ラウルさんの知り合いだったの?」


 リズに尋ねられ頷く。


 (恩人だよ)と、手の平にそう書いて伝える。そんな話をしていると


「そうか、君がラウルの言っていた少年だったか……うちの者がすまなかったな。謝罪する」


 座ったまま頭を下げる大男に対して立ち上がり、同様に頭を下げる。


 こちらもやりすぎたと言うと伝わったようで


「そうか……悪かったな。俺の名はガルフと言う……改めてよろしくな。魔剣の少年」


 大きな手を差し出され、この世界にも握手の文化が根付いているのが少し驚きだった。


『流石にB級の長だけはあるな……中々の好人物じゃないか』


 揉めた相手―――ましてや子供に頭を下げるなど、立場の有る人間に出来る事では無い。


 この件ですぐに好印象を抱くのは自分が単純だからだろうか、差し出された手をしっかりと握り返す。


「謝罪をしておいてなんだが……あまりリックを嫌わないでやって欲しい。あいつはああ見えて下の面倒見も良いし、パーティ内での役割もきっちりとこなす方……なんだが―――」


 リックというのはこの前のギザ歯の冒険者の事だろうか。続いて出てきた言葉は中々に衝撃的だった。


「―――惚れているのだ。ラウルの所の娘に……」


 飲んでいた酒を吹き出しそうになるのを堪え、何とか飲み込む。


 グラムは六月蛙いうるさいほど大笑いしていた。


 ガルフの表情が無ければ自分も大笑いしていた所だが、その面持ちを前にして笑える程の無遠慮さは持ち合わせて居ない。


「意外だった? でも、好きなんだから仕方ないよね!」


 ラウルは愉快そうに言い、親指をぐっと立てる。


 どっちが好きなのかを怖くて聞けなかったが……恐らくはクリスだろう。


 凄い話だと思いつつ、その前途の多難さに思いを馳せ乾杯したい気分だった。


 そんな談笑をしつつ、気付けば何時の間にか店内は客で溢れており、またそれに伴い店員も同じくらい増えていた。


 自分達の席にもリズとジーナ以外にもう一人追加されており、合計六人での酒盛りを繰り広げている。


 対面のラウルは既に酔っていながらも飲み続け、今はジーナの胸に顔を埋めている。


 隣のガルフは途中参加のボブっぽい髪型の女の子と静かに、時折小さな笑みを溢しては会話を楽しんでいた。


「で、ゼロはやっぱりリズちゃんがお気に入りなのー?」


 何時の間にかこちらを向いていたラウルがそう聞いて来るので、一拍間を置いてとりあえず頷いてみる。


「そうか……なら、頑張らないとな!」


 威勢良く放たれた言葉の真意は割りと早い段階で分かるのだが、言い放ったラウルにジーナは


「あれぇ? それじゃあラウルさんの本命は誰なのかなー?」

 と、詰められる。


「もちろんジーナちゃんだよー」


 間髪入れずに返す辺り、ラウルは女性の扱いに慣れているのだろう。

 あの二人には絶対に見せられない光景だ。


「さっきからそればっかり飲んでるね……気に入った?」


 不意にリズから問われ、顔を見て頷く。


 店名が冠された酒は酒精が強い割に甘く、喉を焼けども前後の香りが気に入っていた。


「それと、さっきのは……本当に?」


 どの事だろうと思案するが、視線をグラスに落としたまま頷いてみる。


 リズの表情を見てからラウルの質問の事だと気付いたが、間違いでも無いのでそのままにしておいた。


 そうして何杯目かのサキュバスグレイルを飲み干すと、どこからか鐘の音が聞こえて来る。


 それが合図かのようにリズ達は立ち上がり、一礼をすると席から離れて行った。


「ご来店の皆様、今宵も暫しのあいだ、彼女達の悪戯にお付き合い下さいませ―――」


 拡声器でも有るのか、店内に声が響き渡る。


 リズがママと呼んでいた女主人の、落ち着いた艶の有る声だった。


「よし、作戦会議だ」


 ラウルがそう呟くとガルフも一緒になって立ち上がり、ゼロを挟む形で腰を下ろす。先程までとは打って変わって非常に男臭い。


「ゼロ……今いくら持ってる?」


 ラウルから急に金の相談をされ、小袋の中を見せる。


「よし、大丈夫そうだな……あとは祈ろう」

「ちょっと待て、ゼロ少年は本当に理解しているのか?」


 ガルフの心配声に合点が行き、そういう事かと思い得心が行く。


 ここは最果ての街の飲み屋街にして娼館街……先程からどこかそわそわとしている店内と、所持金を聞いてきたラウル……これから何かが始まるのは明白だった。


『半端な優しさは身を滅ぼすぞ……』


 雰囲気に当てられたのか、随分と声を潜めたグラムが釘を刺してくる。


 そういう事ならばと真顔のまま理解しているハンドサインを作り、二人に見せると慌てた様子で下ろされる。


「いくら娼館でもそういう直接的なのは駄目だよ」

「うむ。あくまでも紳士的に振る舞うのが大事だ……が、その様子なら大丈夫そうだな」


 二人を一瞥し、少し真剣な面持ちで頷く。どうやら少し酔っているようだ。


 そんな阿呆なやり取りをしていると、店員が何かを手に持ち一斉に動き出す。


 先程まで一階の様子を伺っていた店員まで、皆一様に思い思いの客の所へ淑やかに歩いて行く。


 ラウルの前にジーナ、ガルフの前に先程の女性ともう一人、そして―――自分の目の前には少し気恥ずかしそうなリズと、三人の女性が立っていた。


 両手に持たれているのは陶器の酒坏だろうか、それはクープグラスのように脚が高く、細かく華美な装飾が妖しい光りを放つ。


「わお、めっずらしー」


 ジーナの茶々に睨み返すリズ。それを躱すようにすまし顔のジーナ。


「モテモテじゃないか」

 こちらはラウルから肘で小突かれている。


 これがモテているというのならきっとこういう事だろうと立ち上がり、リズの酒坏を手に取り注がれていた一口分の酒を飲み干す。


 その衝動的な行動にリズは驚いたように「あっ……」と漏らし、口元を手で抑える。


 違ったのかと不安に思っていると、矢継ぎ早に頭から酒を掛けられた。


「ふふっ、怒っちゃ駄目よ……今度はお姉さんと遊びましょうね?」


 酒を掛けられながら耳元で囁かれ、この場を去る女性達。


 目の下に指を当てて舌を出す者、先程のように宥める者、特に何も言わない者など、それぞれ個性的で去り際まで楽しませてくれる。


 それを見て声を押し殺して笑っているラウルを見ると、知っていて黙っていたなと二人を恨む。


 ちりん、ちりりん―――。


 再び鐘の音が鳴り響き、店内のあちこちで誘惑の言葉が囁かれる。


 つまり生き急ぎ過ぎたのだという事を、この時点で漸く理解した。


 空いてる手で髪を掻き上げるが、整髪剤のせいで前だけアホ毛が出てしまう……これはラウルの趣味だ。


 面白い催しだったと思うと同時に、酒を掛けるパフォーマンスは選ばれなかった女性、誘われなかった男性双方の溜飲を下げるのに一役買っているのかなと納得する事にした。


 引く手数多の男ほど、掛けられる酒量は比例する。


(流石だな、リュカ……)

 そう思うと胸が少し高鳴った気がした。


 額から流れる酒が口元まで滴るのでそれを親指で拭っていると


「ごめんね教えられなくて……それと、ありがと……」


 と、リズが持っていたハンカチで顔を拭いてくれる。


 隣を見ればガルフも同様に酒を滴らせており、先程の女性が賢明にそれを拭き取っていた。


「あー、面白かった……誰にも言えないけど、ガルフが居てくれて良かったよ」

(酔っ払いめ……)


 普段の落ち着いたラウルとは違い、終始上機嫌でけたけたと笑っている。


 そうこうしていると三度目の鐘が鳴り響き、同時に女主人の声がこの催しの終わりを告げる。


「それでは皆様、今宵ひと時の夢を―――」

「行ってらっしゃいませー!」


 その言葉を皮切りに、店員達から景気の良い号令が発せられる。


 酒を拭き終わって息つく暇も無く、リズから


「移動するから準備してね」

 と言われ、戸惑いながらも慌てて巻いてあった布ごとグラムを抱きかかえる。


「飲み代は僕とあいつで払っておいたからさ、後は自分で頑張るんだよ?」


 ラウルの言葉に驚きガルフを見ると、視線に気付いたのか少しはにかんで親指を立てている。


 男前な二人の行動に感謝を示すと同時に、これからの事を思い緊張が増して来た。


 リズに手を引かれ祝福と怨嗟の言葉を浴びながら、二階、三階へと上る。階下は気の毒な気がして見る事が出来なかった。


 三階まで上がると店内とは異なり、淡い昼光色の廊下と素材本来の木の柱が特徴的な廊下に出る。


 床にはカーペットが敷かれ、部屋の扉は自然を活かしたデザインがなされていた。


「ここまでしておいてなんだけどさ……本当に分かってるの?」


 部屋に向かう道すがら、手を引きながらリズが耳元で囁く。


 ラウル達に見せた物と同様のハンドサインを作ると、リズは慌ててそれを隠す。


「どこでそういうの覚えて来るの! ……って、間違ってはいないんだけどさ……」


 その言葉で先程までの和やかな空気から一変し、彼女の中の女性を強く意識してしまう。


 目で追う部分がとても艶めかしく、一歩……また一歩と進む度に鼓動が早くなる。


 リズの柔らかい手……軽く握ると、同じ力で握り返して来る。


 細くしなやかな腕は華奢な肩に繋がっており、隆起に富んだ身体は衣装も相まって見詰めるのが躊躇われる。


『好い加減、腹を括ったらどうだ?』

(そうなんだけどさ……)


 業を煮やしたグラムが怒気を孕んだ声で話し掛けて来る。


『この期に及んで往生際の悪い奴だ。それとも何か? そのような心持ちで事に臨むと言うのか? それはなんともまた……女々しいというか、情けない限りだな』


 呆れ気味の声に反論する余地は無く、こんな事なら悪友達の話をしっかりと聞いておくべきだったと後悔する。


 部屋に着くと赤を基調とした調度品の数々に再び目眩がする。


 雰囲気も去る事ながら明かりのせいか、これでもかとこの後の事を無理やり想像させられてしまう。すると―――


『退くも進むもどちらでも構わんが、しっかりと相手を見てやる事だ。腑抜けた気持ちで夜を共にするなど、相手に対し最大の侮辱と知れ』


 再度叱責された。返す言葉も無い。


 部屋の隅にグラムを立て掛けると二回、自身の頬を思い切り叩く。


「わっ、びっくりした」


 何かの準備をしていたのか、天蓋付きのベッドの脇でリズが振り返る。


 頬はまだじんじんと痺れて痛い。


『……なら良い。我は眠る。朝になったら起こせ』


 体から何かが抜ける感覚がすると、酔いが回った時のように急激に足元がふらつく。


「おっと……大丈夫?」


 何時の間にか目の前に来ていたリズに支えられ、為す術もなく防具達を脱がされ始める。


「ふふっ、やっぱり軽いね」


 あの華奢な体のどこにそんな力が有るというのか、リズは軽々と持ち上げるとこの身をベッドへと運んで行く。


 天井がぐるぐると回り、これがグラムの言っていた補助とやらの効果だったとすれば、それは物凄い事だったのだと必死に思考を巡らせ続けた。そうでもしていなければ今この瞬間にでも眠りへ落ちそうになる程、自分の限界を超えた酒量は心地良くこの身に降り掛かる全ての事象に心を―――


「お水飲む?」


 リズの言葉に小さく頷き上体を起こしてグラスを受け取る。

 冷えた水が喉を通る度、少しだけ冷静さを取り戻せるような気持ちになっていた。


 不思議な世界なのだ、そういう水が有っても納得出来る。


「まだ酔ってそうだね……酔いが醒めるまでお話でもしよっか?」


 寝そべり、片腕で顔を隠しながら頷く。


 再び回る瞼の裏の世界……リズの声が子守唄のように聞こえてしまい―――


「―――でね、その時に言ったのが」


 隣ですやすやと寝息を立てる少年を見て微笑むリズ。


 あの日あの時あの場所で、今日と同じ薄汚れた布を身に纏った姿を見た時は本当に心臓が止まるかと思った。


 見た目は違う。顔も、仕草も、髪の色も、何もかもが違う筈なのに、どうしてこんなに惹かれるのか……それが今日、漸く分かった。


 もう会わないでおこう。それは過去の出来事で有り、自分の贖罪の為だけにこの子を犠牲にするなど間違っている……そう思っていた―――筈なのに―――。


 燻り続ける心は次第に大きく燃え広がり、何時しか歯止めの利かないものとして今日のようなを使わせてしまうのだ。


「……私もね、昔は君と同じだったんだぞ」

 そう呟いて頬を突く。


 もちもちとした弾力と、指を押し戻そうとする境目が楽しく、つい何度も繰り返してしまう。


 口ごもらせ、寝返りを打つ少年を優しく抱き留め、耳元で小さく囁いた。


 リズの言葉は届くこと無く、寝息とともに夜へ消えて行く。


 指をくるくると回し明かりを落とすと、薄明かりの中で服を脱がせ―――その日は大人しく眠りに就いた。

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