第五話 ~異世界の勇者~

《第五話 ~異世界の勇者~》


 カウンターの前でぎゃあぎゃあと騒ぐ三人を片手でどかし、ルカと視線を交わす。


 声の無い礼は届いたようで、なるべくはっきりと口を動かしたのが功を奏したようだ。


 くるりと向き直り、三人の冒険者達と対峙する。


 ラウル達よりも少し下くらいの年齢だろうか、出で立ちから剣士、武闘家、魔術士の類というのは容易に見て取れる。


「なに? 勝手に割り込んで来ないでよ……ってあれ、アンタが魔剣の冒険者?」


 身長差故に自然と見下され、言葉尻にもそれがよく表れていた。


 女武闘家はそう言うと値踏みするように全身を睨めつけ、最後に失笑する。


「ぷっ、ちょっと勘弁してよ。本当にガキじゃん。これなら力付くでも奪えそうなんだけど?」


 その言葉にクリスが立ち上がるが、ラウルがまぁまぁと宥めて座らせる。


 久しく見ていなかったラウルの瞳が、この場を治める手腕を見定めているようだった。


(もう三ヶ月も経つしな……)

『いつまでも過保護では、先が思いやられる』


 いくらリュカの姿だとは言え、自力で対処出来なければこの先ふざけた連中がもっと増える事は想像に難くない。


 目の前の三人から金貨を貰えると思えば出張った甲斐もあるというものだ。


「あぁ、連れが悪かったね。僕は神聖国の冒険者【極光十字剣】の隊長【トール】だよ。よろしくね」


 そう言ってにこやかな笑顔で片手を差し出してくるのを見て、一瞬硬直する。


「あれ、どこかで会ったかな? 記憶力は良い方なんだけど……」


 名前を聞いた時の動揺を見逃さなかったのか、トールは更に言葉を続ける。


「何時もは迷宮とかに潜ってるんだけど、知り合った冒険者からこの街に魔剣が有るって聞いて譲って貰いに来たんだ。君の背に有る物、それが魔剣で合ってるかな?」


 握手を交わし、こくりと頷く。

 それを見たトールは興奮した様子で


「うわぁ、本当に魔剣なんだ! 初めて触れるよ! 嬉しいなぁ! 楽しみだなぁ!」


 と、子供のようにはしゃいでいた。


 ここだけ見ていると年相応の少年のようでそこまで悪い気がせず、不思議と憎からず思ってしまうのは何かの特性だろうか。


「はいはい。それじゃあさっさとやっちゃってよ」

「同意。如何に魔剣と言えど、勇者の力が負ける事など無い……」


 連れの女二人は冷めた様子で眺めていた。


(グラム、今……)

『ああ、お前の目の前に居るのは異世界からの勇者だな……まだ日が浅いようだが、それでも油断はしない事だ。こいつ等……特に神聖国の本質は、クソと同義だ』


 名前からして同郷の人間だと分かっていたが、自分とは別の方法でこの世界に来た人間を目の当たりにすると少し感慨深いものがある。


 顔立ちもこちらの世界の住人達とは違い、べらぼうに整っている訳では無い。


「ん? あぁ、金貨ね……はい、どーぞ。いやぁ、何だか僕の為に悪いなぁ」


 表裏を確認して小袋へしまうと背中からグラムを引き抜く。無邪気に放つ言葉の中に、薄っすらとした狂気が漂っていた。


 剣先を下にして渡そうとすると、その場から途端に動かなくなる。

 柄を握っては居るのだがまるでグラムがそこに固定されたように、一ミリも動かなくなってしまう。


「え、なんだこれ……」


 トールが触れようとするもののその周囲に見えない壁が存在しているかの如く、未だグラムまでの距離は遠い。


 これまで幾度となく挑戦者を返り討ちにしてきたグラムだが流石に触れられるのも嫌だったのか、その対応は拒絶という文字がピッタリのものだった。


「なにやってんのよ。結界魔法なら解いて貰えば良いでしょ?」


 そう言って女武闘家が触ろうとするのでひょいとグラムを担ぎ直し、無言のまま再び片手を出す。


「はぁ? さっき払ったでしょ? それともなに、人数分取ろうっての?」


 特に頷いたりはせず、片手を軽く揺すり早くしろとばかりに催促する。


「ちっ……なんなのこのクソガキ……ほら、拾えば?」


 乱暴に床に投げ捨てられ、足元に転がった金貨を拾うと表裏を確認して小袋へ。


 どういう育ち方をしたらそんな行動が取れるのか、親の顔が見てみたいと思ったのは生まれて初めてだった。


『他者よりも優れていれば傲慢にもなる……心が未熟なままなら、降って湧いた力はさぞかし心地良いだろうな』


 それについては耳が痛いので、当然だが反論する気にはなれなかった。


「えっ、なにこれ……魔剣の、声……?」

『チッ……』


 トールの後ろに立っていた魔術士が呟く。


 グラムが他者に声を聞かせるという事は今までに無かったので、盗聴か傍受か……どうやら三角帽子を被った魔術士は思考が読めるようだ。


「その魔剣、人格が有るの?」


 説明する義理も無いので魔術士から視線を移し、女武闘家に向き直る。


 先程と同様にグラムを差し出すと一定の距離で動かなくなり、そっと手を離す。

 初めての現象をまじまじ観察していると、女武闘家は拳をぶつけ始めた。


「……無理ね。それじゃ、やっちゃって」

「分かった」


 一頻り殴り続けた後、魔術士へ向かって援護を要請する武闘家。魔術士もそれに倣い、短く呟き詠唱を始めた。


「分かった。じゃ、ねーよ」


 唱えていた呪文はギルドマスターの拳骨で中断され、一様に同じものがその場の四人に放たれる。


(痛ぇ……)


 片手で擦るのを見てルカが手を添えてくれた。


「暴れるなら外でやってこい。ギルドの中で喧嘩は御法度……品行方正な神聖国の冒険者様なら知ってると思ったが? それともなんだ……知っていながら暴れまくって、その看板に泥を塗るってんなら幾らでもやってくれて構わんぜ?」


 その場合は命の保証は無いと、無言のまま威圧するのを見て場の空気が凍る。


「ったぁーいっ! そこのガキがさっさと渡さないからいけないのよ! なんでこんな仕打ちを受けなくちゃいけないわけ!?」

「同感。愚民は大人しく従えば良い」


 まるで自分達が特別な何かとでも言いたげに、女達はぎゃあぎゃあと捲し立てる。


 なるほど、これは確かに色々な意味でやばいかも知れないと思う。


 この件で逆恨みされ、後々寝首を掻かれるのも得策では無い……だとすれば今ここで―――


「なんだなんだ、全く穏やかじゃねえな……この剣がなんだって、んん?」


 ギルドマスターが触ろうとすると、トール達と同様見えない壁に阻まれる。


「はっはっはっ! 面白い、俺に挑戦する気か!」


 途端に上半身が隆起し、シャツが無惨に弾け、ギルドマスターは半裸の大男へと変身を遂げる。


「うおおおおお……!!」

「うおおお! じゃないニャ!」


 どこからともなく現れたミーアのツッコミにより、正気を取り戻す不審者。


 買い物にでも行っていたのか、片手には大きな紙袋を抱えていた。


「暴れるなら外に行くニャ! ほら、君達も―――」


 振り返ったミーアを女武闘家が突き飛ばした。


「なんで……なんで貴様みたいな亜人がここに居る!」


 その形相は先程までの物とは違い、まるで汚物でも見るかのように嫌悪感が顔中に広げていた。


 血走った眼、眉間の皺、醜く歪んだ口元は最早人のそれとは思えない。


 次の瞬間殺気に気付き、グラムを掴むとミーアに詰め寄る三人を思い切りぶっ叩く。防御も間に合わなかったようで、狙い通りギルドの外へと弾き飛ばす事に成功した。


 三人は外の落下防止の鉄柵にぶつかり、よろよろと立ち上がろうとしている。


『助けなくても良かったんじゃないか?』

(……かも知れないな)


 ギルド内での揉め事は禁止。冒険者同士の揉め事も禁止。


 それは固く遵守される約束事だが、例外が有るとすればそれはギルドマスター自らが制裁を加える場合に他ならない。


 感じた殺気はそれまでのどれより強く、一人だけでは無い……恐らくあの場に居た全ての人間が、あの冒険者達へ明確な殺意を向けていたのだ。


 だからと言ってあのまま見過ごしてしまうのも、それはそれで寝覚めが悪いと思った。


 自分以外の誰かが酔うと急に酔いが醒める現象に似ている気が……いや、単に血生臭くなる事に臆しただけだろうか……。


 尻もちをついているミーアを引き起こし、トール達の方へ歩いて行く。


「貴様……貴様もこの街も、我等の教えに楯突くと言うのか!」

「勇聖教の教えは、絶対……」

「アンタ達、覚えてなさいよ! この事は報告させてもらうから!」


 先程までにこやかだったトールでさえもその形相は凄まじく、過剰な迄の怒りを露わにしている。


 罵倒や非難の嵐に対し無言のまま入り口で仁王立ちしていると、諦めたのか最後には捨て台詞を吐き何処かへ行ってしまう。


 中指の一つでも立ててやれば良かったが、その仕草で勘付かれても困るので自重した。


 振り返ればギルドマスターにクリス、ラウル、ビオラに加えて他の冒険者達も入り口に立っており


「偉いぞ坊主!」

「なんだあのいけ好かねえ馬鹿共は!」

「スカッとしたぜ!」

「危ない事しないって言ったでしょー?」


 と、賛辞と注意の両方を受けつつ中へ戻る。


 ミーアは受付に立っていたが、心なしか少し元気が無いように見えた。


「ごめんニャ少年……ミーのせいで……」

 珍しくしょぼくれているミーア。


 その一人称のせいで少し面白くなってしまうが、折れた耳を見るとこちらまで悲しくなる。


 その頭をカウンターによじ登り撫で、笑顔を見せると漸く笑ってくれたので一安心だ。


 「亜人は人に非ず」その呪詛は未だ根強く広がり、この大陸全土に蔓延しているとグラムは言った。


 『この街に居る限り目にする事は少ない』とも言っていたが……何事にも例外は有るものだ。


『この街が特殊なのだ……いずれ分かる』


 その声はどこか悲しそうで、それ以上を聞くのが躊躇われた。


 勇聖教と言っていた彼等の教義は何らかの本にでも書いてあっただろうか……リュカならばそれすらも読んでいそうだが、ここに来て不真面目さが仇となってしまう。


 その後暫くギルドに留まっていたが、トール達三人が戻ってくるような事は無かった。


 ラウル達と別れた後は金熊亭に戻り、夕食を摂って自室に戻る。


 湯桶は要らないと伝えておいたので、麻っぽい袋に着替えとタオルを詰めて大衆浴場へ向かった。


 建物は石造りの簡素な物で、浴場というよりは個別のシャワー室が並んでいるような施設だ。


 銅貨三枚で石鹸も付いているここは、金熊亭から近いので度々利用している。


 日本には無かった脱衣所の武器棚にグラムを立て掛け、シャワー室に入ると頭を洗うついでに顔も体も洗う。


 まるで行水のような早業に『風邪引くぞ』と言われてしまい、湯船が無ければ意味が無いように思うのだが心に留めておくとしよう。


 外に出ると夜気が冷たく少し肌寒い。

 この世界には四季が無く、微かに感じられるそれは物凄く薄い気がした。


 一年中春のような気候で、昼夜の寒暖差はあれど比較的過ごしやすい。


 一年も地球と同じ三百六十五日らしく、十二で割って三十日。残りの五日はどの月にも属さない年末年始の休日となっているそうだ。


 昼間の事があってか少し気分が落ち込んでいたので、どうしてもそのまま帰る気になれず夜の街をぶらぶらと歩く。


『息抜きは必要だな』

 目的地を察してかグラムが呟いた。


 腰の小袋を手でまさぐり、残金が十分ある事を確認すると一人頷く。


 東門大通りの路地を北に抜け、少し開けた場所に目的の店は存在した。


 酒場の名前は夢魔の酒坏―――この世界に来て初めて蒸留酒を飲んだ店だ。


 見た目だけ重そうな鉄の扉を開けると、今宵も店内は大勢の客で賑わっていた。


(座れる場所あるのかな……)


 入り口に立って店内を見渡していると、こちらの存在を認めた店員がニ階から急いで駆け寄ってくる。


「いらっしゃい。今日も一人かな?」


 少し息を切らしこちらの顔を覗き込んで来るのはあの日、絡まれていた自分を庇ってくれた女性―――ここの店員の【リズ】だ。


 官能的な衣装に身を包み、今日も元気に給仕として働いている。


 店内にはカウンター席、テーブル席、ソファーの置かれたボックス席とあり、飲みに来ると大抵はカウンターへ通される。


 テーブル席は二人用のもので、主に予約した客が使う。

 ソファーの席は例外もあるが、大人数用に用意してあるものらしい。


「なんかさ、今日は来てくれるような気がしてたんだ」


 リズがカウンターに酒を準備しながら呟く。変に勘ぐらず、素直に頷いた。


「何時もと同じで良いの?」

 再び頷き酒が出来るのを待った。


 店名と同じ名を持つ琥珀色の液体がロックグラスへと注がれ、コースターと共に提供される。


「それじゃ、今日はどの子にしましょうか? 最近入ったあの子とか、それともあの子とか……」


 グラスに口を付けるなり、冗談めかして言うので少し悩むフリをしてみた。


 店内を見渡せば店員の女性は誰かしらと話をしており、客に付いていない店員は給仕の手伝いか、二階の手摺りに身を寄せ階下へ蠱惑的な視線を落としている。


 そんな感じのお店だが流石は異世界、様々な人種が居るこの世界ではこうして子供が一人で酒場に居ても誰に咎められる事も無く、今日も今日とて酒を楽しむ事が出来るのだ。


 様々な種族の居るこの世界で自分と同じ様な子供の冒険者も少しくらいは居るかと思ったのだが、そういう種族は中々この最果ての地までは来ないのだとグラムは言った。


 大陸の中央や南まで行けばもっと様々な種族に会えるらしいが、当分はその予定も無い。


 考えている時間が長かったせいか、少ししょんぼりとしているリズに銀貨を渡すと、途端に顔色が明るくなる。


「えへへ……毎度あり!」

 と、笑顔を見せるリズ。


 勝ち気な女性のしおらしい姿は、存外扇情的なのだ。


『おっさん臭いな……』

(ほっといてくれよ)


 グラムの言葉を酒と共に喉へ流し込む。


 前世と今世の年齢を合わせるならば、それはもう結構な年齢なのだ……精神が肉体に引っ張られるとは教えられたが、こういう所までは変わらない。


 リズは嬉々として自分の飲み物を作り、カウンターの上に砂時計を置く。


 そうしてから軽くグラスを合わせ、二人で静かに乾杯をした。


 リズはこの店の中では薹が立つ方らしく、以前それについてぼやいていた。


 自分から見ればまだまだ若いと思うが、年齢関係の話題は頭が混乱するので苦手だった。


「あんまりお淑やかに出来ないからさ……」


 苦笑いするリズを見て淑やかさだけが全てでも無いと思ったが、それを伝えるのは野暮ったいので今日まで言っていない。


 グラスを傾け氷を回す。


 昼間の出来事を思い返し、あそこまでの表情が出来る原因を考えていた……が、そもそも根本が違う人間の、そういう部分を量ろうとしても仕様がない。


 昼間の靄々を飲み干すようにグラスを空にすると


「何か嫌な事でもあった?」


 と、リズに心配されてしまう。顔に出ていただろうか。


 空のグラスに氷と二杯目の酒が足され、それが置かれた時に


(顔を見たら忘れた)


 そう口だけを動かし笑顔を返す。

 これをきちんと伝えるのは流石に背伸びし過ぎだろう。


 心配されないようにのんびりと飲み進め、リズが何度目かの砂時計を裏返す。


 五杯目の酒に取り掛かろうとした時、例の鐘の音が店内へ鳴り響いた。


 小さく儚い鐘の音は、これから始まる彼女達の時間を報せる―――。


 周囲を見れば今までだらしなく飲んでいた客も、どこか精悍な顔付きへと変わり始めていた。


 かと思えば何かを期待し、そわそわと居住まいを正す……だが悲しいかな、同じ男として気持ちは十二分に分かってしまうのだ。


 夢魔の酒坏は酒場であり娼館だ。

 そしてただ普通の娼館とは違い、選択権は彼女達に有る。


 初めて来た時は面食らったものだが、リュカの容姿ならば当然の結果だと思うのもまた事実―――


『自信が凄いな……』

(ったり前よ! リュカ坊は万人に好かれる愛され顔です!)


 酔いも手伝って受け答えのテンションが高くなってしまう。

 そして同時に、同じくらい悲しくもなってしまうのだ。


(ごめんよ……俺がもっとちゃんと出来てれば……)

『忙しない奴だ……』


 呆れ気味のグラムがぼやくのも無理は無いが、酒を飲むとどうしても湿っぽくなってしまう。


 これまでこうしよう、そう思おう、そういう事にしておこうとしたものが不意にぶり返し、悲しみを募らせてしまうのだから殊更に質が悪い。


 そんなやり取りを経て意気消沈していると、リズは黒い酒坏を取り出しそこに酒を注ぎ始める。 


「……今宵も、受けてくれますか?」


 こちらを伺うように両手で差し出し、少し躊躇ったような表情はずるいと思う。


 両腕に寄せられた胸の谷間から視線を逸らし、余計な詮索はせずそれを受け取り一息で飲み干した。


 酒坏を逆さまにして空だと示す……一欠片すら落ちては来ない。


 リズは嬉しそうに「待ってて!」と言い残し、中央のカウンターへと行ってしまった。


「あーあ、残念だなー。リズちゃんが行かなかったら私が誘おうと思ってたのに」


 不意に頭上から声が降り注ぐ。


 その声に視線を動かすと、そこに居たのは初来店時に案内をしてくれたこの店の給仕のジーナが、身を乗り出してこちらを見下ろしていた。


 リズとは仲が良いらしく、先日来た時も親しげに談笑していたのを思い出す。


 ジーナの待ち人は不在だと知っている。そのせいか手摺りに頬杖を突き、退屈そうに口を尖らせていた。


 そうこうしているとリズが戻り、二階のジーナが叫ぶ。


「それではご来店の皆々様ぁ、今ぉ宵も夢のようなひと時をー!」

「いってらっしゃーい!」


 と、店全体からなんとも明るく送り出され席を立つ。


 リズに手を引かれ、この階段を上るのも何回目だろうか。


 惜しくも選ばれなかった客達は店員と一緒になり、各々のやり方で送り出すのがこの店の習わしらしい。


 幸いな事に未だ送り出す側になっていないのは、手を引き先導するリズのおかげだろう。


 三階の部屋に着くと扉を閉めるなり抱き締められる。


 聞けば今日は少し元気が無かったと頭の上で呟かれ、そういう時もあるさと背に書いて返事をする。


『……せいぜい慰めてもらう事だ。明日までに切り替えろ。我は眠る』


 何かが抜けたような感覚はグラムが完全に寝てしまった事を意味するものなのか……問い掛けても返事が無いあたり、その言葉に嘘は無いのだろう。


 そもそも剣に睡眠は必要なのかと考えるが、リュカに宿っていた自分だからこそ分かる部分も有る。


 上手く説明は出来ないが、きっとそういう事なのだろう。


 そんな事を考えていると何時の間にか服は脱がされており、グラムも壁に立て掛けられていた。


 リズも既に半裸となっており、これから本当の夜が始まろうとしていた―――。



 ―――朝チュン。


 陽の光が差し込む部屋で迎える今日という日を、リズの寝顔を見ながら噛み締めていると少年神の言葉が不意に過る。


(安定を手にすると人は危険を侵さない……か)


 こうして穏やかな心……色々有ったからかも知れないが、そんな気持ちでこの朝を迎えてしまってはいっそこのままで良いのかなとも思ってしまう……が、意を決してその一歩を踏み出す。


 身支度を整え、鞘を背負い、腰帯を留めると気持ちが漸く切り替わる。


 そんな心の機微を察してか


『そうでなくては困る……』

 と、グラムが吐き捨てた。


 何時もより少し早い朝。あれだけ飲んで、動いて、したにも関わらず、翌日に残っていないのはグラムとリズのおかげだろう。


 リズはまだ夢の中らしく、すうすうと寝息を立てていた。


 美人というのは寝顔まで綺麗なんだなと思い、掛けてあった薄い毛布を少し捲る。


 なんとなく胸を揉んだのは悪戯心か下心か、確かな感触を手に再び毛布を掛ける。


『なんなのだそれは……。未だ時間も早い、もう一眠りするか?』

(いや、そういうんじゃないんだよ……)


 ならどういうつもりなのかと問われれば返す言葉も無いのだが、この現実感が乏しい朝に、何かしらの実感を得たかったのかも知れない……そういう事にしておこう。


『なればこそもう一戦交えれば良かろう……半端は毒だぞ?』

(……いや、またの機会に取っておくよ)


 部屋に差し込む光がリズの髪に当たり、その綺麗な精彩に目を奪われる。


 それを静かに一撫でし、そっと部屋を後にした。


 金熊亭に戻るなりグラムを降ろし、朝の日課へと出掛ける。未だ眠気の残る目を擦り、それを終わらせて朝食を摂るとギルドへ向かった。


 ルカに冒険者証を渡して二階へ。

 今日は錬金術書の水薬入門編をぱらぱらと眺め、一日の予定を相談する。


『予定の金額も溜まったのだ、買い物に行けば良かろう』


 ラウル達が使用していた魔法鞄を手に入れるべく、この三ヶ月節制を……それなりに続けていた訳だが、いざ購入するとなると本当に必要なのかと悩んでしまう。


 見た目以上に物を収納する事が出来る魔法鞄……その容量によって値段が違い、一畳程の大きさですら金貨百枚はする代物だ。


 三ヶ月では到底そんな金額に届く筈もないのだが、曰く付きの物を多く扱うリアモの魔道具店には、通常よりも遥かに安い中古品が飾られていた。


 店主に詳細を尋ねどんな曰くがと覚悟したものだが、前の持ち主が不慮の事故で亡くなっただけだったので、グラムが『安すぎる』と言うのもあって貯金をしていた。


『持っていれば便利だろうな……特別な呪いも無さそうだ。不要になったら他の街で売れば良い』


 そうは言っても駆け出し冒険者に五十枚もの金貨はぽんと払える額では無く、半年くらいの期間は見ていたのだが予想よりも日々の実入りは良かった。


『であれば迷宮に一度赴き、どの程度何が必要か己で判断するしかあるまい』


 魔法鞄に執心する理由は前にラウル達が使っていたというのも有るし、魔法っぽい現象に心を奪われたのも有る……が、一番は便利そうだからという理由に他ならない。


 リアモの北側にE級とC級の迷宮が有り、Eは馬車で二時間ほど。Cは更に半日ほど進んだ先に存在する。


『街というものは基本的に迷宮の近くに造られている。貴重な資源であると同時に、人を増やすのに都合が良いからな』


 卵が先か鶏が先かみたいな話だろうか。


 この場合は間違いなく迷宮が先なのだろうが、グラムの解説は尚も続く。


『まず迷宮での戦利品は基本的に魔石だ。この世全ての物には魔力が必要であり、魔石は大小あれど全てに価値がある』


 魔石がこの世界での電池代わりだと仮定するのなら、その説明もすんなりと受け入れられる気がした。


『だからこそ人手が必要なのだが……まあ実際に経験する方が早いだろうな』


 説明を受けながらリアモを出発し、北門から一時間くらいだろうか……走ってそのまま最寄りの宿場町へと到着する。


 多少息は上がっているが、疲労はそれほど感じていない。


『本当に魔力だけはA等級並だな……まあいい、少し見て回るか』


 宿場町に名前は無く、単純に【北の宿場町】とか【Eの宿場町】とかと呼ばれていた。


 Cの方もそれに倣い同様の呼ばれ方をしているらしい。


 町の周囲は人の背丈くらいの木の柵で囲われており、入り口に鎧を着込んだ衛兵が一人立っていた。


 背筋を伸ばし、槍を携え、その目付きは鋭く険しい。


 冒険者証を提示すると衛兵が交互に視線を送り、それが終わると


「迷宮に挑戦しに来たのか?」

 と、低い声で聞かれたので頷く。


「初めてか?」

 この問いにも頷き、少し緊張しながら許可を待つ。


「……ここの迷宮はE以上ならば単独での行動が許可されている。が、油断は禁物だ。危ないと思ったら直ぐに引き返せ。金は何時でも稼げるが、命は一つしか無いんだからな」


 思い悩んだ末の言葉なのか、仕様がないとでも言いたげに後頭部を掻きながら、半ば諦めた表情で衛兵が呟く。


『そういう者達を嫌と言うほど見てきたのだろう。止めても無駄だと分かっているのだ』


 衛兵に頭を下げ、その言葉を肝に銘じた。


 町の中は宿屋、武器屋、防具屋、服屋に道具屋などが存在し、当然ながら民家の類はそこまで多くなかった。


 店の外からそれぞれの物価を見ていたが、やはりというか予想通りというか……リアモよりも二割から四割ほど高くなっているようだ。


『この事からも分かるように―――』

(魔法鞄に入れておけって話だもんな……)


『うむ。無論これだけでは無い……あとは迷宮に入ればすぐに分かる』


 宿場町を北に抜け、道なりに歩くと東の森のように樹々が鬱蒼と生い茂る場所へと入る。


 ご丁寧に看板まで立ててあったが道は軽く舗装されており、これまで幾度となく冒険者の往来が有ったのだろう……そう思わせるほど踏み均されていた。


 程なくして岩山へぶつかり、少し開けた場所に目的の迷宮は存在した。


 迷宮の入り口は石の煉瓦が組まれ、ぽっかりと口を開けて挑戦者を待ち受けているようだった。


 脇の衛兵がこちらの存在を認めると、少し緊張した面持ちになったのは気の所為だろうか。


 冒険者証を提示し、宿場町に入る時と同様の手続きを踏む。


「こりゃ驚いた……お前さん冒険者か」


 その言葉に頷き冒険者証を返してもらう。


「ここの迷宮は駆け出しには丁度ええ。酷い罠も無いし、出てくる怪物もそこまで強くは無いでな」


 白い髭を蓄えた一見すると好々爺のような衛兵が訥々と語り始める。


「じゃが命有っての物種……危ないと思ったらすぐに引き返すんじゃぞ?」

『ふっ……』


 一瞬グラムが笑ったように感じたが気のせいだろうか。


 衛兵の言葉に素直に頷き、片手でガッツポーズを作る。


「調子が良くても三層までにしておくんじゃぞー」


 衛兵の言葉を背に受け、迷宮の中へと歩を進めた。


 入り口からの明かりが無くなると内部はほんのりした光源が有る程度で、夜目が利かない人には厳しそうだなと思った。


『松明や光源魔法も良し悪しだからな……』


 怪物に見付かりやすくなる事を示唆しているのか、グラムの言葉に息を呑む。


 人の手が入った迷宮は往々にして先駆者の恩恵を享受する形になる。光苔は自然に発生するものでは無く、先輩冒険者達の残滓なのだ。


 迷宮は定期的に中の構造が変わり、早ければ一日、長ければ一月の間侵入が不可能になるとグラムは言った。


 リュカの読んでいた冒険譚にもそれは書かれており、どういう意図でどういう仕組みなのか、それを本や推理で推し量る事は不可能だ。


『一説には周辺の魔素が減少する事から、迷宮核が吸収して作り変えているという説が有力らしいがな……』


 最奥に存在すると書かれていた迷宮核は迷宮の主であると同時に管理人の役割を果たしているという事らしいが、やはり作り出したのはあの少年神なのだろうか。


 人も怪物も今日は休みなのか、何の気配も感じられないまま迷宮を進んで行く。


 森ではあれほど調子の良かった自分の感覚が馬鹿になったのかと不安に思っていると


『本来であればお前が来る場所では無い……迷宮の怪物とて、自ら死に向かうのを由としないのだ』


 どうやら避けられているようで、それならそれで進んでいこうと思う……が、その方針を転換し、足を止めて息を潜める。


 三つ目の分岐路に差し掛かった時、不意に聞こえた微かな物音。何かが擦れる乾いた音と共に二つ……だろうか、右側の道からそれを感じる。


『上出来だ。斥候の技能も身に付いて来たんじゃないか?』


 本当にそうなら嬉しい限りだが、この場でそれを確認する術は無い。


 リアモよりも大きな街の冒険者ギルドならば自分の能力を確認出来るらしいが、それについてグラムはすこぶる懐疑的だった。


 能力測定について質問した後のお説教はかなりの長時間に及んだのを思い出す。


 曰く


『一つ所に留まるならそれでも良い……が、未知の場所、相手、状況、戦力、装備差等々……それらが一つでも劣っていればお前は尻尾を巻いて逃げるのか?』


 と―――。


『実に下らんな。それならば何故冒険者になどなったのだ? 全ての能力が相手を上回るまで引き籠もるのか? なんとも気の長い話だ……』


 無論そんな事は無いと喰って掛かった後のお説教の方が長かった訳だが、仮にA等級とB等級の冒険者が戦ったとして、やりようによってはB等級でも十分勝ち得るのだと言う。


『手持ちの駒で戦うしか無かろう。戦力差が明らかでも、引けぬ戦いという事の方が多い……何でも出来る神の如き存在が、己より下の存在を甚振るなぞ弱者へ鞭打つ事と同義と知れ。そんな者は我の担い手に……いや、人として相応しく無い』


 語気が強まるグラムだったが、それはあの勇者達の事を言っているのだろうか。


 だが言っている事に納得できる部分も多いので反論は出来ない。


 訓練は同じじゃないのか等とほざこうものなら、理解力が無さ過ぎだとして激怒させていた事だろう……いや、怒られるならまだマシだろうか。


 そんな事を思い出しつつ右側の壁に貼り付き、そっと顔を出す。


 向こうの気配は未だ遠く、十分に距離は有ると分かっていてもやはり緊張してしまう。


 その存在を確認した時、声が出せるならば確実に漏れていた事だろう。ホラー映画の様な骨格標本が、剣と盾を携えて彷徨っている。


(こっっっわ!!)


 ゲームと違い音楽など何もない、ただただ静寂の空間に骨人間が存在しているのだ。これを意気揚々と攻撃する等、最早人間業では無いと思う。


『腹を括れ。意識を変えろ。訓練気分で居ると格下相手にそのまま死ぬぞ』


 グラムの言葉にハッとする。


 先程の話は自分だけでは無く、無論相手にも同じ事が言えるのだ。


 恐怖に身を竦ませた者など、相手からすれば格好の的に他ならない。


『森の主の時のように、対話が出来る相手だと思うな。そこに居るのは只の仇敵だ』


 ここまで焚き付けられ漸く切り替えが始まる。


 じわじわと内側から湧き上がり、燃え滾る感情が全身に広がると頭の一部にだけ冷静さを残したまま―――一気に飛び出す。


『全く手間の掛かる奴だ……』


 足音に気付いた骨人間……スケルトンがこちらに振り向く。


 互いに存在を認めるとスケルトンは持っていた剣を大きく振りかぶった。


 通路は少し狭くグラムを振れない事も無いが、左の腰に提げていた長剣を抜き上段からの攻撃を弾く。


 返す刀でそのまま首部分に長剣を走らせ、二つの剣戟音が鳴り止むと骨の頭がからんと落ちた。


 が、それで絶命かと思いきや、下からの攻撃に驚き飛び退く。


『攻撃は雑だが回避は中々だったな……奴の核は胸の中心だ』


 グラムの言葉に目を凝らすと、言われた部分に小指の先ほどの何かが埋まっていた。


 自分の剣技を嫌と言うほど分かっているので、右の拳に力を込めてそのまま殴り付ける。


 グラムの作ったゴーレムとは違い耐久力は皆無だった。


 二体目も同様に処理して初戦を終えると


『相手によって武器を変える機転は良かったな。戦利品を拾ったら次に行くぞ』


 足元に転がっていた光る石ころが例の魔石らしい。


 大きさはスケルトンの核よりも少し大きい程度で、完全な球体では無く細長い形をしていた。


 それを小袋にしまうと光は完全に遮断され、確かにこれが何十と積もれば移動にも支障が出そうだと思う。


『だからこそ―――』

(魔法鞄だな?)


 グラムの言葉を遮り先手を打つ。グラムは便利なだけだと言っていたが、こんなのほぼ必須級の道具だと抗議する。


『それを補うのが仲間でありパーティだと言っている。人数が増えれば分け前は減るが、その分やれる事は増える』


 そんな会話をしながら迷宮を進んでいると、がらんとした大広間へ出た。


 天井は高く、それを支える太い柱が数本。左右の壁はかろうじて見えるが奥は暗く、確認する事は不可能だ。


 見える範囲には先程のスケルトンに加え、凶悪な顔つきのゴブリン。更に犬っぽい二足歩行の怪物と、豚っぽい二足歩行の怪物が徘徊していた。


(コボルトとオーク……だったかな?)


 その全てを一度に相手すると絶対にとんでもない事になるので、気付かれていない今の内に通路に誘き寄せて少しずつ倒す事にした。


『……地味だな』

(安全第一だって。一撃でどかーんみたいなのは昨日の若者に譲るよ)


 そう、安全第一なのだ。


 初迷宮の興奮が治まってしまった今となっては、先程のように飛び出して行くなど到底考えられない。


 冷静に考えてみると自分は少々無鉄砲な所があるようで、知らない一面を垣間見て戸惑うのもまた事実。


『割りと最初からの気もするがな……』

(んなこたぁない)


 某司会者風の物真似にグラムは無反応で、やはり異世界なんだなと変な所で実感する羽目になった。


 広間のスケルトンを難無く倒し、次はゴブリンを誘き寄せるべく適当な石を拾う。


 数回投げ付けるとこちらの存在に気付き、突如けたたましい叫び声が響き渡った。


『ああ、言い忘れていたが……そいつは仲間を呼ぶぞ』

(先に言ってくれよ!)


 退くか進むか一瞬迷い広間へ飛び出した。


 右手側のゴブリンとは未だ距離があり、すぐに攻撃される心配は無い。それよりもコボルトの方が近く、左手側のすぐそこに三匹が迫って来ている。


 奥からはオークが大きな足音を立てて近寄って来ており、何故だかスケルトンとの初戦よりも今現在の窮地に笑みが溢れてしまう。


『切り替えが上手くなって来たな。それでどうするんだ?』


 この中で一番やばそうなオークに向かって走り出す。


 コボルトもゴブリンもその一撃では致命傷に至らないだろうが、大柄なオークは巨人と見紛うばかりの大きさであり、手に持たれた木の棍棒を最大の脅威と見た為だ。


 勢い良く飛び上がりオークの胸に長剣を突き刺す……までは良かった。


 柱の陰から二体目のオークが現れると頭上から棍棒が振り下ろされ、それがそのまま直撃する。


 地面に叩き付けられると一瞬だけ昼間のように明るくなり、その衝撃で頭がくらくらとする。


 視界がぼやけ、焦点が定まらない。

 予想外の攻撃は頭を混乱させるには十分なものだった。


(でも、足を止めたら……ヤバいんだよな!)


 震える足で立ち上がり、滑り込むように二撃目を躱す。


 両手で地面を押して何とか立ち上がると、口の中に血の味が広がった。


『戦闘中にも気を抜かない事だ。動きながら行使出来なければ、特殊技能など無意味と知れ』


 確かにその通りだった。


 暴れても冷静で居られるように一部分だけ理性を残すというのは、全てにおいて通ずるものが有るのだと肝に銘じる。


『それを無意識で出来れば上等だな』


 勘や雰囲気等の曖昧模糊とした物では無く、揺るぎない自信や確信が強さに繋がるとグラムは言う。


『まあ良い……今日は終わるとしよう。我を手に取れ』


 魔剣の柄に手を掛けるとそれを握り、抜刀すると巻いた布で首が少し締まる。


 構え、虚空を切り付け、再び納刀した。


 何もない空間に自動的に斬撃が放たれると、瞬く間に両断される怪物達。


『これが昨日揉めた小僧と同じくらいの技量だ。正面からやり合っていたら、死んでいたかも知れんな』


 そう言って楽観的に笑うグラムの言葉に背筋が凍る。


 こんな人間離れした技をあの勇者達は持っていると言うのか……。


『不安に思うことは無い……所詮は斬撃。同等の物をぶつけるか、全て躱せば良い』

(躱せって……痛っ!)


 無理やり動かされた反動は直ぐに痛みとなって現れ、全身が悲鳴を上げる。


『まだ半分にも耐えられそうに無いな……暫くは同じ日々を過ごす事になりそうだ』


 落ち込みつつもしっかりと魔石を回収し、とぼとぼと迷宮を出る。


 今回は分岐路が少なかったので難無く脱出できたが、あれ以上深くに進んでいたらと思うと覚えていられる自信が無い……この部分も今後の課題となりそうだ。


 入り口の衛兵は五体満足での帰還を喜んでくれたので、少しだけ涙が出そうになった。失敗だらけの初迷宮で、それだけが唯一の救いとなったのは言うまでも無い。


 リアモに着いた頃にはすっかり日も暮れており、ギルドで魔石を交換するとルカは驚いているようだった。


「迷宮……行ったの?」

 ルカの言葉に頷く。


「……単独じゃ、危ない」

 ルカの言葉に頷く。


「無茶しちゃ……ダメ」

 ルカの言葉に頷く。


 そして頷いたまま、今日の失態を思い返し俯いたままになってしまう。


 不意に頭を撫でられ

「元気、出して!」


 と、何時もの無表情なルカからは想像出来ないような、精一杯の応援を見ると目を丸くして固まってしまった。


「……変、だった?」


 それには首を振って否定し、なんだか可笑しくなって笑ってしまう。


「良かった。笑った」


 初めて見るルカの笑顔は青天の霹靂のように、普段の表情からは想像できない驚きが有った。


 可愛らしくも有り綺麗でも有り……心配させてしまった自分を恥じる。


 頬を両手でぱんぱんと叩き、顔を上げて口角も上げる。


(ありがとう。元気が出た)


 口を動かし頭を下げ、漸くギルドを後にした。


『罪な奴だ。前世は相当浮き名を流したと見える』

(何言ってやがる……品行方正に決まってるだろ)


 この言葉に嘘は無く、前世では何人かの女性と付き合ったりもしたのだが、数ヶ月もすると別れ話を切り出されるというのが恒例となっていた。


 原因は分かっている。自分は楽しいと思っていても、それをきちんと言葉にしなければ相手には伝わらない……表情や態度だけで察せる人間など、魔法の無い世界に存在する訳が無いのだ。


(いや、出会わなかっただけか……)


 人付き合いが得意で無く、今世でもそれが発揮されている現在。


 迷宮であれだけ手痛い出来事が有ったにも関わらず、単独主義の考えが変わる事は無かった。


『そこまで人付き合いが嫌な訳でもあるまい。苦手なのは言語化する事だろう……だとすれば今の状況は、ゼロにとってうってつけなのかも知れんな』


 勝手に考えを読んで励ましてくれるグラム。


 珍しい事もあるものだと目を丸くするが照れ臭くて頬を緩める。


 言語化……確かにその場ですぐに、自分の意志を提示するのは苦手だった。良い事も悪い事も、自分が何かをすれば大抵が不幸へと傾くのだから。


 宿に戻る道すがら、夜空に浮かぶ二つの月を見て思う……今日もリズに会いに行こうと―――。


『さっきの言葉はなんだったのだ……』


 グラムに表情が付いていれば、きっと物凄く呆れた顔を見せてくれるに違い無い。


 今回の失敗を糧として、迷宮へと挑めば今日以上の稼ぎが出来ると分かった以上、節約の必要性は薄れてきたと思ったのだ。


 それをグラムに伝えると


『……せいぜい有言実行してくれる事を祈るぞ』


 店に行く為の口実だと即座に見破られた。


 そうして今日も、何時もと変わらない日常が終わりを告げるのであった。

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