第四章 ~少年と魔法学園~

第四十七話 ~魔法帝国~

《第四十七話 ~魔法帝国~》


「お金が足りないわ」


 獣王国領を出発して翌日、魔法帝国の首都【トレム】を目前に宿場町で一泊した後、朝食を摂っているとカルーアが不機嫌そうに呟いた。


(金なら……)


 言い掛けて思い出し、そういえばほとんどの金は渡してしまったのだと思い出す。


 大金など持っていても仕方が無いとばかりに押し付けてしまったが、今更その事を後悔したりはしない。


 それはカルーアも同様の筈で、孤児院の運営費に装置の維持費。加えてトウやキビへの小遣い等々……やはり金は幾ら有っても困らないなと頷く。


「大体ねえ、あんたが考えなしに使っちゃうからでしょうが!!」


 こいつは妙な言い掛かりを付けられ目を丸くする。


 道中で見付けた魔法帝国領ならではの料理や菓子を、それはもう美味そうに頬張っていたのはどこのどいつだったか……。


「まあまあ、そのくらいにするでござるよ。幸い拙者にも貯蓄は有るでござる」


 そう言って宥める龍一に従い、乗り出していた身を元に正すカルーア。


(そうだな……だがその言葉にただ甘えるだけにも行かない。金が必要なら稼げば良いさ……冒険者だろ?)


 何時ぞや誰かに言った言葉を挑発めいて投げると、カルーアはそれ以上の反論をせず再び朝食を摂り始めた。


 そうして騒がしい朝の一幕を終え、食堂を出ようとすると―――


「兄さん方、金にお困りかい?」

 そう言って声を掛けてくる一団が居た。


 四人組の男達は冒険者なのだろうか、およそ商人には見えない風体で身に着けている装備や髪型が荒々しい雰囲気を漂わせている。


 何か有益な情報でもくれるのかと思い首を傾げれば、簡単な遊びをしようとテーブルの上にカードを出される。


「なに、難しい事をしようってんじゃない。お互いニ枚ずつカードを配って、決められた数字に近いほうが勝ちだ」


 トランプのような物を出された時点で察していたが、どうやらそういう事らしい。


「お客様、当宿でそういった事は―――」

「うるせえ!!」


 店主の忠告を恫喝し、一声で黙らせてしまう男。


「面白そうじゃない……私がやるわ」


 その横暴な態度に見兼ねたのか、意気揚々とカルーアが席に着いてしまう。


「大丈夫でござろうか……」


 声を潜めて尋ねる龍一に十中八九駄目だろうなと返すと、前に座っていたカルーアが何か言いたげな視線を寄越す。


 トウとキビの二人と別れてから例の腕輪は二人に託されており、今現在はこうして有り難く使わせてもらっている。


 ルピナのようにのべつ幕無しに読心術が使用出来る物では無く、あくまで自分との連絡用にと調整はされているらしい。


 これには効果範囲や性能、距離等が関係しているらしいが、この二人なら悪用する事も無いかと許可を出したのは先日の事だ。


「おおー、強いねエルフの姉さん!」


 気付けば勝負はカルーアの連勝が続いており、テーブルの上に倍々で増えていく金貨が目に眩しい。


「どうです、ちまちま賭けてたんじゃ面白く無いでしょう……ここは一つどかんと行きませんか?」


 そう提案してくる男に疑問の表情を見せるカルーア。


「賭け率を変えるんですよ。勝てば賭け金の十倍! 負ければそうですね……姉さん方の魔法鞄の中身を、ちょいとばかし貰えれば……」


 そう言って下卑た笑みを浮かべる男。


 何時の間にかテーブルは男達に取り囲まれ、同様の笑みでこちらを眺めていた。


(それが狙いか……)


 面倒臭そうに溜め息を吐き、魔法なのか魔道具なのか……どうやら便利な物が有るのだなと感心した。


(止めておけ。ろくな事にならないぞ)

「なによ、随分と弱気じゃない。これだけ勝ってるんだから余裕よ、余裕!」


 忠告に耳を貸さず、鼻息荒くカードを待つカルーア。


「それじゃ配りますぜ」

 一枚、ニ枚、三枚と配られるカード達。


 最後の四枚目を配ろうかとしたその瞬間、鈍い音と共にテーブルの上に長剣が突き刺さった。


 それは男の腕を貫通して屹立しており、見る見る内に血溜まりが広がって行く。


「ぎゃあああ!!」

「ちょ、ちょっと何してんのよ!?」


 突然の事態にカルーアから驚嘆の声が上がるが、顎で指し示すと男の手から重なり合ったカードが零れ落ちる。


(イカサマは……最後にだけ使うべきだったな)


 あれだけ何度も見せられては嫌でも分かってしまい、微かな擦過音と僅かな厚みを見逃す事は出来なかった。


「てめえ!」


 緊急事態に周りの男達が武器を抜けば、瞬時に打撃を喰らわせる三人。


 どうやら先日の事で吹っ切れたのか、対人相手でも龍一は容赦無く攻撃を繰り出していた。


(今回は特別に治療してやる。これからは心を入れ替えて生きるんだな)


 そう言って長剣を引き抜くと、二つの水薬を患部へと振り掛ける。


「―――行きなさい。もう悪さするんじゃないわよ」


 悔しそうなカルーアの言葉に促され男達はすごすごと退散して行った。


「いやいや……すみませんでしたお客様」


 小太りの店主が店の奥から現れると、そこに向かって再びの怒気を放つ。


「ひッ―――」

「……止めなさい。動揺もしてないし、本当に無関係みたいよ」


 そう言われて漸く怒りを収めると、どうやら自分の早とちりだったかと反省する。


(騒がせたな。詫び代はここに置いておく)


 そう言って男達が置いていった金貨を数枚残し、残りを魔法鞄へと流し込む。


 そうして波乱の一幕が終われば出発の運びとなり、龍一が操る馬車の荷台へと乗り込んだ。


(良かったな。路銀が手に入った)

「良かったじゃないでしょ! やるならやるって言いなさいよ!!」


 何か言いたげに仏頂面を浮かべていたカルーアにそう言うと、予想通りの反発が起きる。


 腕輪の効果も万能では無いと分かっており、ルピナの時と同様に呆けてさえ居なければ思考を読ませない事もある程度は可能らしい。


「確かにびっくりしたでござるが、お二人に怪我が無くて何よりでござるよ」


 これまた意外な反応に驚いてしまい、やはり龍一とは馬が合うなと笑う。


「でござるが……カルーア殿の言い分も分かるでござるよ。心配というよりも、驚いてしまうから出来れば教えておいてもらいたいのが本音にござる」


 確かに頭の中で伝えられる以上、気取られる心配も少ないかと思案する。可能であればそうしようと約束した。


「本当かしらね……」


 そう言って訝しむカルーアは未だ疑いの眼差しを向けており、どうやらそんな簡単に信用は勝ち取れないようだと冗談交じりに肩を竦めた。


 あの宿に一泊した時、キビとは沢山の話をしたように思う。


 今までの事やこれからの事。獣王国の今後について。そして―――最後まで共に行けぬ悲しさを―――。


(全てが終われば戻って来る)


 そう約束した手前なにがなんでも死ぬ訳には行かず、五体満足で生還する事も目的の一つとなった。


 しかしその最後というのは依然として明瞭とせず、頭の中で思い描く事も困難で、今の今まで薄靄が掛かったままだ。


(どうなるんだかな……)


 そんな気持ちを傍らに外へ目をやれば、リアモを出発した時のような街道が穏やかに続いていた。


 時折現れる怪物の類は瞬時に殲滅され、道の脇に馬車を停めては丁寧に解体して行く。


「お二人は……手際が良いでござるな……」


 料理が得意という事で腑分けも慣れているかと思えばそういう訳でも無く、龍一は青褪めた表情を見せながらも必死に手を動かしていた。


 自分自身こういった作業が得意という訳では無いが、前世と合わせて数多の肉を食べて来た身としては丁寧に捌いてやるのも大事な事だと思っている。


 そこまで考えてやると龍一も気を取り直し、こみ上げる嘔吐感を必死に抑え付けて作業を進めていた。


「だらしないわねぇ……」


 一通りの解体を済ませれば龍一は糸が切れたようにその場に倒れてしまい、少しだけ木陰にて休憩を取ることにした。


 もう日常になってしまった血の匂いと、外套や服に付いた残り香が鼻を突く。


 凶気と後悔の狭間で揺れ動く心を、それでも何とか正常に戻してくれていたのは何時だって彼女達の存在が大きかった。


 ふとした瞬間にぶり返す前世からの呪い……ちぐはぐで、つぎはぎだらけで、不完全で抜け穴だらけの常識という呪いが襲い掛かる度、あの真っ直ぐな目に救われたのは言うまでも無い。


 この世界のモノと比較すれば、きっと鼻で笑われてしまうに違いない。


 何もせず、ただうずくまってじっとして、にじり寄る死を受け入れるだけなど愚の骨頂―――それでは死者と同じではないか、と。


(それは前も同じか……)


 そうした葛藤は何も今に始まった事では無い。これまでにも数え切れないほど脳裏を過り、その度に傍らに目を向けて天秤に掛けてしまう。


 仲間を言い訳に使うな。


 そう叱責された事も有ったかと思い、こんな事を考えている時点でまだまだだなと首を振って気を取り直す。


『御優しいのですよ……ゼロ様は』


 あの夜にそう言われ、そんな事は無いと言い掛けた矢先に口を塞がれた。


 反論を許さないキビの姿勢は、これまでのどんな時よりも強固なものだった。


 そういった事柄に快楽を見出だせるような性分ならば、捕らえた盗賊や弱った勇者に百年の責め苦を味わわせる事も可能だったかも知れない。


 だがそれこそ時間の無駄―――やるべき事は山のように有る。


(死は救済……か……)


 昔読んだ本の中にそんな台詞が有ったように思う。

 生きる事で感じる苦痛や悩み、迷い、それら全てを死に依って救う……と。


(馬鹿馬鹿しい)


 実際にそんな狂人に会った事は無いが、だとすれば返答は一つに決まっている。目指す場所はその先に在るのだから―――。


 龍一の気分が回復した所でぞろぞろと馬車へ乗り込み、意外にも献身的な姿を見せていたカルーアに驚きつつも見ないフリをしておく。


(そういえば龍一はどの時代からこの世界に来たんだ?)


 じとりとした視線に気付けば話題を逸らす為、兼ねてからの疑問を尋ねてみる。


「拙者は……忘れもしない西暦二千七十二年、あれは七月の事でござった―――」


 そう言って語り出す龍一の話は不思議なもので、夏休みを目前に控えたころ自宅に戻りうとうとと眠りへ落ちて行くと、目が覚めた瞬間にはこの世界に辿り着いていたと言う。


 不可解だと思ったのは同級生も何人か送られて来たようで、そこはリリリが話していた内容とも一致する。


「魔王を倒すというのが目的でござるからな……人数が多いに越した事は無いのでござろう」


 それはそうなのだがその一人がここに居ること……それは問題では無いのかと尋ねる。


「使えない者は切り捨てる……今の勇聖教は、どうやらそういう方針で運営されているのでござるよ」


 翻訳や鑑定といった基本的な技能の他に、勇者専用の固有技能が有るのだが……龍一のそれはあまり戦闘向きでは無いと言った。


 話によれば勇聖教が出来る前にも似たような技能を持った勇者が追放されており、前例が有るからか龍一の追放は驚くほどすんなり決まったらしい。


「以前申したように拙者にはこの世界の知識が有った訳で……何とか今日まで生き延びられたのでござるよ」


 龍一の時代のゲームだったか……思えば自分よりも随分と後に生まれた事に驚きつつ、未来はどんな感じなんだとこれまた興味本位で聞いてみる。


「未来……でござるか? あまりゼロ殿が思い描いているような、良いものではないかも知れぬでござるよ?」


 珍しく口籠る龍一。しかし次の瞬間、その口から飛び出たのは驚くような出来事ばかりだった。


 未知のエネルギーやそれに伴う技術の進歩。情報端末も電話型のそれは姿を消し、レンズ型や体そのものを改造する者など、挙げれば枚挙にいとまがない。


(凄いな……まるで映画の世界だ)


 先程まで不機嫌そうにしていたカルーアも異世界の話には興味が有るのか、時折感心したようにふんふんと鼻を鳴らして相槌を打っていた。


「そうして技術革命が起こると、今度は新たな問題が発生したでござるよ」


 それまで減少の一途を辿っていた国内の人口推移は人型ロボット……アンドロイドの登場で更に拍車が掛かる事になる。


 龍一がこの世界にやってきた年には自身が生きていた時代の半分程にまでなっており、行き過ぎて偏った平等の末路がそれとは皮肉にも程が有る。


 加えてそれを嘲笑うかのように鳥獣の繁殖力が異常とのニュースも有ったそうだ。


「皆、疲れていたのでござろう……無論そんな人達ばかりでない事は重々承知にござるが、危ない橋を渡りたがる御仁は少なかったでござる」


 そうした取り繕うような言葉は龍一の優しさだろうが、一時期でも行動を共にしていた女がアレでは皮肉の一つも言いたくなるのも分かる気がした。


「うーん……」


 そんな会話を聞いていたカルーアが腕を組んで唸り出す。


「やっぱ分からないわね」

 突然零した言葉に何がだと尋ねれば


「子供が減って困ってたなら、みんなで子供を作れば良いじゃない」


 至極当然とでも言うように言い放つカルーアに目を丸くし、龍一と顔を見合わせれば一瞬の間の後に笑いが起きる。


「……なによ」

(いや、なんでもない……そうだな、確かにその通りだ)


 その言葉に納得が行かなかったのか再び不貞腐れてしまい、頬杖を突いて何かを呟いてそっぽを向かれてしまった。


 カルーアの主張を聞いたら全員そのまま卒倒し、それでは獣と変わらないだなんだと抗議が起きるのだろう。


 自己を神の如く崇高な存在だと思い込んでいなければ出ないような傲岸不遜な言葉達は、どれほど自惚れていれば出来るのか……理解が及ばないのは文字通り次元が違うとしか言いようがない。


「この世界に召喚された勇者は皆似たようなものでござるよ。皐月殿……メイ殿も口癖は、将来は玉の輿に乗って地上五十階のビルで一食三十万の高級ディナーを食べるの! でござったからな……」


 途中で声色を変えたと思えば言い終わるなり、どこか遠い目をして憐憫の目を空に向ける龍一。


(それはまた……なんというか凄いな)


 欲望というか妄想というか、きっと一生手が届かないからこそ口に出す事で何とか自我を保っていたのだろうが―――


(ただ……)

「ただ?」


(一食三十万の飯ってどんな味なんだろうな?)

 と、率直な疑問が口を衝いて出る。


 それを聞くや否や龍一は一拍の間を置いた後、愉快そうに笑い声を上げる。


(な、なんだよ……)

「いやいや、なんでもござらん。本当に……その通りでござるなぁ」


 何だか上手く煙に巻かれてしまい、先程のカルーアもこんな気持ちだったのかともやもやする。


 そんな自己顕示欲の塊みたいな奴の最後がアレでは、何だか虚しささえ感じられる気がした。


「安い物より高い物の方が良いのは当然じゃない。何がそんなにおかしいのよ?」


 横から飛び込んで来たカルーアの言葉に、それを茶化すように龍一がおどけ始める。


「なるほどなるほど……カルーア殿の美しさを持ってすれば、その台詞も納得にござるよ」


 腕を組み、うんうんと頷く姿に操縦を熟しながら器用な奴だと呆れてしまう。


「だってそうでしょ? 安物使って死にましたじゃ話にならないじゃない!」


 と、どこかずれている会話の内容にまたしても車内に笑い声が響いた。


「なんなのよ……」


 再び不貞腐れるカルーアに笑いながら謝ると、どうやらおちょくられていると思ったのか放たれた矢が幌を突き破った。


(ちょっ、正気か!?)

「安心なさい……魔力は込めてないから!」


 続け様に射られる矢を寸前で躱し、悪かったと叫ぶと龍一もそれに倣って謝罪した。


「―――次は無いからね」


 どうやら前世の話はカルーアが居る所では避けておいた方が無難らしく、棘々しい状態は帝都に着くまで続いた。


「見えて来たでござるよ」

(お、おおー……)


 龍一の声に進行方向に目をやれば、そこには立派な城壁に取り囲まれたお城のような建物群が聳えていた。


 外観はホクトのように建物をぐるりと円状に巨大な壁が取り囲み、入口に続く石畳には美しい彩りの模様が浮かび上がっている。


 外から眺める街は一様に落ち着いた暗い色をしており、じっと目を凝らせばそれが青色だと漸く気付いた。


「ここの連中の話じゃ、魔素や魔力は青色なんですってよ」


 そういう教えでも有るのか、機嫌を直したカルーアが説明をしてくれる。


「―――行商にござる。後ろの二人は護衛の冒険者でござるよ」


 龍一が衛兵に淀み無く説明すると冒険者証を提示する。


 審査は特に問題無く馬車のまま入場を果たすと、そこにはこれまでの街には無い不思議な空気が漂っていた。


 大通りに面した店前には宣伝用なのか、派手な演出を行う装置が至る所に見受けられ、ネオンのような電光看板に目を引かれる。


 魔法帝国という名前なのだから機械仕掛けという事は無いのだろうが、随所に配置された氷の結晶や吹き上がる炎、巻き起こる風や放電現象を見せられれば自然と心が浮足立ってしまうのは仕方が無い。


「初めてゼロ殿の子供らしい一面を見れたでござるな。ゲームの中では初心者用の街でござったが、目に映る楽しさは抜群にござる」


 太鼓判を押す龍一の言葉も納得で、見れば見るだけ、進めば進むだけ目新しい物が飛び込んで来る。


「遊びに来たんじゃないわよ。ほら、あそこ」


 そう言ってカルーアが指差した先にこのお伽噺のような街に似付かわしくない、とても安心できる外観の冒険者ギルドが在った。


「街毎に違う建物では皆迷ってしまうでござるからな」


 ギルドの前で馬車が停まると軽やかに下車し、商業ギルドへ向かう龍一とは一旦のお別れとなった。


「直ぐに戻るでござるよ……お二人とはまだまだ一緒に居たいでござるからな」


 そう言ってわざと冗談っぽく言う龍一に笑みを返し、カルーアと共に後ろ姿を見送った。


(さて……)


 そう意気込んで中に入れば冒険者ギルドの内装も他の街と大差無く、見慣れたカウンターに受付嬢……流石に全員人族だったが、中に居る冒険者の顔付きもそこまで変わりはしない。


「滞在申請に来たわよ」


 カウンターに進むと受付けの女性にそう告げるカルーア。


 手の平を差し出されるのでお手をしてしまいそうになるが、この場で申請に必要な物など一つしかない。


「はい、ご確認致します……お二人共素晴らしい冒険者様ですね。こちらにはどれくらいのご予定で―――」


 話が長くなりそうだったので室内に目を向け、依頼書が貼られている壁面を眺める。


 魔法帝国というのだからそれにまつわる面白い依頼が有るかと思えば、内容はホクトに居た頃と似たりよったりで討伐系の依頼から用途不明な怪しい素材の採取等が目に入る。


 それはギルド内の冒険者達にも同様の事が言え、その風体や荒々しさ等はどこの国も一緒だなと思わず微笑む。


「なんだ手前ぇ……今笑いやがったな?」


 そんな風に眺めているのが気に入らなかったのか、カウンターからほど近い席に座っていた男が語気を荒げて立ち上がる。


 のしのしと詰め寄る様は熊のようなのだが、それに反して頭部はつるりとしていた。


「ちょっとゴングさん! ギルド内で揉め事は禁止ですよ!」

 名前は大猩々のようだった。


 カルーアの応対をしていた受付嬢がそう叫ぶも鬱陶しそうに片手で払い、ゴングと呼ばれた男が目の前に迫る。


「止めなさい!」


 気付けば先程の受付嬢が割って入り、両手を広げて背後の自分を庇っていた。


「チッ―――」


 受付嬢の姿勢に舌打ちをすると悔しそうに元の席へと戻るゴング。


 助けて貰わずとも自分でどうにか出来るのだが、こういう場合は礼を言うべきなのだろうか……そんな事を考えていると受付嬢がくるりと向き直り


「大丈夫でしたか? もう心配要りませんよ」


 そう耳打ちをした彼女の肩が僅かに震えていた。


「強いのは分かっています。等級もゴングさんより上ですからね……でも、何かがあれば助けてもらえるでしょう?」


 そう言ってしたたかな一面を見せる受付嬢だが、それが強がりだと言うのは先の通りだ。


(なるほど……だが、借りを作るのは―――)


 そんな事を思いながら眉を寄せれば人差し指で小突かれてしまい


「そんな難しい顔しないの。皺になっちゃうわよ?」


 そう言って微笑まれる。


「こほん」


 そんな優しい一時にカルーアがこれ見よがしに咳払いをすれば、受付嬢は慌てて二枚の冒険者証を返却する。


「大変失礼致しました。これにて滞在申請は終了となります。依頼書の遂行やお困りの際には、何時でもお気軽にお申し付け下さい」


 そう言って頭を垂れる姿を前に同様の所作を返し、踵を返すとカルーアと並んでギルドを後にした。


「あんたねぇ……誰彼構わず引っ掛けるの止めなさいよ……」


 ギルドを出た途端、カルーアが呆れたようにそう言った。


 そんなつもりは毛頭無いのだが微塵も信じてもらえず、何か特別な事をした訳でも無いじゃないかと反論する。


「どうだか……」


 それでもカルーアの中の疑念を摘むことは出来ず、湿り気の有る視線が鬱陶しい。


(ま、どっちでも良いさ。それに―――)

「それに?」


(相手は選んでいる)


 そう言って笑みを返せば再び閉口させてしまい、深く長い溜め息が吐かれる事になった。そして―――


「きゃあああ!!」


 そんな茶番を掻き消すような金切り声が街路に響き渡る。


 近道だからと路地に入ったのが裏目に出たか……前方に目をやれば人を抱え、何かから逃げるように疾走する一人の男。


 その背後には複数の人影が見え、よくよく見るとそれは小さな子供達だった。


「待てー!」

「お嬢様を返せー!」


 担がれた女性から絞り出される声に、子供達が必死に追い掛けている。


 男が自分達の横をそのまま過ぎようとした次の瞬間、気付けば走っていた男を横から蹴り飛ばしていた。


「ぐッ!!」


 気取られぬようにしていたつもりだが寸前で防がれてしまい、それでも衝撃は中々のようで男の体は見事壁に叩き付けられた。


 凶手の手から逃れた女性を落ちる前に受け止めると、大丈夫かと安否を気遣って問い掛けてみる。


「ッ―――無礼者!!」


 その言葉を頭が認識したのは平手で横っ面を撃ち抜かれてからだった。


 予想外の攻撃に頭が真っ白になってしまい、まさか助けた相手から攻撃を受けるとは思っていなかっただけにその衝撃は頭の芯を痺れさせる。


 突然の出来事に茫然となった腕から逃れる女性……と呼ぶには些か幼い少女は、不可解にも壁に叩き付けられた男の元へ駆け寄ると丁寧に安否を確認していた。


「言った側から首突っ込むんじゃないわよ……」


 呆れ顔のカルーアがそう呟き、少し遅れてやって来た子供達が騒然となった場の空気に息を呑む。


「大丈夫です。お嬢様こそお怪我は有りませんか? ……良かった」


 何かのいざこざかと思ったのだが雲行きが怪しくなっており、それは子供達の表情からも分かるものだった。


 今まで傍らの少女と笑顔で話していたかと思えば、悪漢の類だと思っていた男はこちらを見るなり声を上げる。


「控えよ平民! こちらの方をどなたと心得る! 恐れ多くもタウゼント侯爵のご令嬢、アリーゼ=タウゼント様にあらせられるぞ!!」


「ほーっほっほっほ! 跪きなさい平民、頭が高いわよ!!」


 何かのコントを見せられているのだろうか、少女が高笑いをしたかと思えば男は花吹雪を撒き、先程追い掛けていた子供達は皆一様に平伏している。


 男の方に大した怪我は無かったようで、先程少女と話していた時わずかにだが回復魔法のような光を発していた。


 短く整った茶色の髪が風になびき、それと同時に花を撒く様は先程までの厳しい印象を微塵も感じさせない。


 少女の方はと言うと相も変わらず高笑いを続けており、よくよく見れば二人とも高価そうな衣服を身に着けていた。


 この世界にはまるで絵に書いたようなお嬢様が居るのだなと呆気に取られてしまい、笑い方もそうだが自身の興味は専らドリルのような奇っ怪な髪型に囚われていた。


「ほーっほっほっほ! ほーっほっほっ―――げほっげほっ!」

「お嬢様!」


 笑い疲れたのか、突然咳き込むお嬢様。


 どこからか取り出された水をゆっくりと飲み、一息つくとこちらに人差し指を向ける。


「どうして跪かないんですの!?」

 と―――。


(どうしてって……)


 貴族には碌な思い出が無いだけに、ホクトで在ったルペニ達よりも階級が上だろうが国王だろうが、理由がなければ頭を下げる必要も無い。


 そもそもがそういうのが嫌で冒険者になったと言うのに、この小娘は一体何を考えているのか……頭の中はそんな疑問で一杯だった。


「お嬢様、御覧下さい……恐らくは―――ここは一つ―――」


 男の耳打ちにふんふんと頷き、途端に表情を明るくすると


「そういう事でしたら仕方ありませんわ。ここは私の寛大でひっろーい心に免じて、今回だけ特別に許して差し上げますわ!!」


 そう言うと再び高笑いを繰り出す少女。


(そりゃ、どうも……)


 何だかよく分からない内に話がまとまり、少女が男の名を叫ぶ。


「セバス、続きよ!」

「かしこまりました。お嬢様」


 そうして再び男に担がれると少女は再び助けを求め、その後ろを子供達が追い掛けて行った。


 まるで嵐のような出来事が終わればカルーアと共に閉口してしまい、あれは何だったのかと訝しげな表情を浮かべる。


「坊主、この街は初めてか? だとしたら災難だったな……あの遊びはこの街の名物みたいなもんでよ、ああして有数の名家であるにも関わらず街の子供と遊んでくれてんのよ」


 徐々に湧き上がってきた怒りをその言葉で鎮めると、そんな名物が有ってたまるかと心の中で毒づいた。


 親切に教えてくれた露店の店主から果物を幾つか買い、懐かしいリモモの実を齧りながら道を尋ねる。


「そう遠くねえから心配なさんな」


 店主の言葉に納得し街の中で一際高い建物に目をやると、そここそが龍一との待ち合わせ場所だったと知らされる。


 街の中央にそびえる魔法学園はトレムの真の名物と言っても過言では無いだろう。


 各国から魔法を学ぶため老若男女が集い、日々研鑽を努めている学び舎……と呼ぶにはあまりにも重厚で壮大な建物だった。


 天を突くような尖塔が幾つも並び建物自体が厳かな空気を発するが如く、その佇まいの中に重苦しい空気を感じる。


 百年以上未完成だった世界遺産のような外観がそう思わせるのだろうが、どうにも学校と聞いてしまうと先入観から少し緊張してしまう。


「おーい、お待たせしたでござるよー!」


 そんな自分の考えなど何処吹く風と言わんばかりに、龍一が大手を振って駆け寄って来るのを見付けて和む。


「本当に、お待たせ、したでござる……」


 目の前に辿り着くなり大きく肩で息をしており、疲れたのだろうか膝に手を突いて呼吸を繰り返していた。


「だらしないわねぇ」

「酷いでござるよ……これでも急いで駆け付けたのでござる……」


 やはりと言うか何と言うか……体型的な問題も有るのかも知れないが、龍一は外へ作用する魔法が得意な代わりに、内に作用する魔法が苦手なのかも知れないと思った。


「どうかしらね……それで、水薬は?」


 冷たいカルーアの視線は自分に向けられ、魔法鞄から小瓶を取り出しそれを見せ付ける。


「ん。それじゃ会いに行きましょうか」


 再び学園に目を向ければ晴れ空の中に不穏な空気を感じ取り、今にも暗雲が立ち込めそうな気配に肌がひりつく。


(それも先入観か……)


 そう呟くと一行は敷地へと続く橋へ歩を進めた。

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