第四十六話 ~プラマイゼロ、思考~

《第四十六話 ~プラマイゼロ、思考~》


 翌朝。


 息苦しさに意識を覚醒させれば目の前は暗闇のままで、頭の両側に触れる柔らかい匂いと感触でモカに捕らわれていると気付く。


 起こさないようにそっと寝返りを打てばそこにも同様にキビが寝息を立てていた。


(よっ……と)

 どうにか抜け出せば自身の状態を確認し、昨夜の事を思い出し反省する。


 言われるがままされるがまま、防戦一方の戦いは部屋に立ち込める淫靡な空気が教えてくれた。


 脱ぎ散らかされていた衣服を掻き集めてそれを着ると、二人に毛布を掛け直して部屋を後にする。


 受付けへの道順は何となく覚えており、途中で間違えそうになると背中の大剣から警告音が響く。


(よく覚えてるもんだ……)

 そう思えば上機嫌に鳴かれ、皮肉交じりの言葉に動じる様子は無い。


「お支払いは三名様で金貨二枚になります」


 飯も出ない宿としては多少割高だが、そういった設備が充実していると思えば当然か……大人しく支払う事にする。


 冒険者証を手渡し精算を済ませると、じっとこちらを見詰める受付けの男。


(……何だ?)


 訝しむ問いに男は静かに首を振り、何でも御座いませんと丁寧にお辞儀する。


「またのご利用をお待ちしております」

 生憎とその言葉に報いる事は出来ないが、頷き返して店を後にした。


 外に出れば早朝特有の静謐な空気が充満しており、先程までの自分を浄化してくれるように感じた。


 ついでなので宿に戻る前に街の外を軽く走り、昨日と同様に獣王国の街並みをその目に焼き付ける。


 新しい仲間も増えてこれから先の旅に意識を向ければ、次はどんな事が待ち受けているのか……そんな事を考えていた。


 宿に戻ると何時ものようにシャワーを浴び、着替えを済ませ、朝食の為に食堂へと向かう。


「あ、ゼロさん」


 そう言って駆け寄って来たのはこの宿の主人で、頼んでいた洗濯物と預けていた宿賃の返却が行われる。


「それでその……ご相談なのですが……」


 聞けばこれから先、自分の使っていた部屋を宣伝に使用しても良いかとの事で、何でも冒険者の中にはゲン担ぎにそういった物を好む者が多いと言う。


 ふと思い出せば他の宿も似たような事をしていたような気がするので問題は無いのだが―――


(それは……少し困るな……)

 そう返すと宿の主人はがっくりと肩を落とし


「そうですよね……」

 と、悄気げた表情を浮かべる。


(使われるのが困る訳じゃ無い……少し、恥ずかしいだけだ)

 そう書いて見せれば忽ち回復し、それじゃあと喜ぶ顔に頷いてみせる。


「またこの街にお立ち寄りの際は、是非ご利用下さい!」


 そう言って両手で握手をされると嬉しそうに飛び跳ねる背中を見て、たまにはこういうのも悪く無いかと笑みを溢した。


「おはよー」


 気の抜けたカルーアの挨拶におはようと返し、今日も今日とて四人掛けの席に着く。


 そこまで長い時間走っていた訳では無いが隣に座るキビは涼しい顔で食事を摂っており、時折こちらに視線を投げては小さく微笑んでいた。


「昨日は随分とお楽しみだったみたいね」


 そう言ってフォークで指して来るカルーアを見て、野暮な奴だと深い溜め息を吐く。


 昨日の鬱憤も相まって嫌味の一つもぶつけたいのだろうが、生憎とそんな気分では無いので鼻で笑ってあしらっておいた。


「ふん、まあいいわ。準備は出来てるんでしょうね?」


 部屋に戻った際に置いていた全ての物は魔法鞄に詰め込んである。


 掃除も軽く済ませた事だし全ては準備万端……と言いたい所だが、頼まれていた水薬の製作は未完了のままだ。


(材料が足りないんだよなぁ……)


 精製水や魔石など、基本的な物は揃っているがその他に必要なスライムの魔石だのなんちゃら蠍の毒だのといった素材は常備していない。


 素材屋に見に行こうと思っても昨日の今日だ……時間の余裕が無いのはカルーアも分かっている様子だった。


「ま、足りない物は道中で揃えれば良いわよ。そこまで珍しい物じゃ無いから、どこかで手に入るでしょ」


 何とも楽観的な言い分に本当に大丈夫かと疑いたくなるが、この世界の事はカルーアの方が詳しいので大人しく従おうと思う。


「それよりも、よ!」


 そう前置きしてからカルーアが言ったのは、どうして龍一を連れて行く決断をしたのかと言うものだった。


(どうして……か)

 昨夜、キビとモカに話した事を同じようにカルーアへ説明する。


(一番は馬が合うから……要するに気が合うからって事だ。勿論それだけで戦場に放り込むつもりは無い……が、覚悟の大きさは何となく分かる)

「何となくって、随分と曖昧じゃない」


 無論それはカルーア達には隠すべきだったからで、実のところは十二分に理解している。


 自分と同じで、命を賭けるのにふさわしい事柄を前にただ只管じっとしている訳には行かないだけだ。


 こんな事を言えば忽ちカルーアはそんなものは自分だって同じだと反発するだろう。しかしそれは言葉よりも何よりも、魂で感じ取ったものであり男同士で無ければ説明する事は難しい。


 死なせたくない……その考えすらもカルーア達には侮辱として受け取られるのだろうが、同じ地球の、日本男児としてこちらも譲れない物が有るのもまた事実……キビとモカは納得してくれたが、目の前の少女はきっと突っ撥ねるに違いない。


「言っとくけど、私は守られようなんてこれっぽっちも思ってないんだからね」


 こちらの考えを見透かすような発現に驚き、本当にあの腕輪は二つだけなのかと思ってしまう。


 昨日はキビとモカに付いていた筈なので安心していただけに、どうやら本当にただの勘のような言葉だったらしく胸を撫で下ろす。


(ま、そんな訳だ。戦闘面については問題無いし、旅の心得も有る。そして何よりも重要なのが―――)

 勇聖教の情報。その一点に尽きる。


 同郷の勇者を始末した事で何らかの忌避感、嫌悪感をあらわにするかと思えば龍一から感じられたのは謝罪と後悔だった。


 昨日の模擬戦を思い返せばその理由も何となく分かり、自身の決めたルールによって苦しみながら過ごしていたというのは驚きでしかない。


 自分のように力を付ければ目に付く気に入らない全てを壊すのでは無く、己を律して清く正しくあろうという姿勢は素直に見習うべき物だ。


 それでも当然この道を途中で引き返すつもりは無く、少しでもそうした人としての道に縋りたくなってしまうのが正直なところだった。


 そんな龍一を追い出した勇聖教がどんな場所で、どんな事をしているのか……古い情報にはなるだろうが貴重な話を知っているに違いない。


 顔見知りとの戦闘になった際それがどう転ぶかは未知数だが、それで相手が少しでも油断してくれるのならば御の字だ。


 少し聞いた話では大聖堂と呼ばれる本拠地はそれなりに大きい建物らしいし、グラムが捕らえられているのならばそこである可能性が高い。


 可能性と言えばあれからシンは姿を見せず、相変わらず敵なのか味方なのかの判断に困っていた。


 それでもどこか憎めなかったのは父の弟……リュカにとっての叔父として、この身に追手が掛かからないように手配してくれた事と、砕けた調子で接して来る雰囲気がそう思わせるのだろう。


 リュカにとっての祖父は勇聖教の人物らしいし、一体何がどう繋がっていくのか全く以って見当が付かない。


(それでもやる事は変わらない、か……)


 魔法国のお偉いさんにグラムの奪還。リュカの蘇生。一先ずはこの三つが当面の目標だと思い、砂飛び鼠の隠れ家での最後の朝食を摂り終えた。


「皆さんお気を付けて。御武運を」

 鼠のような風貌の店主達に見送られ、宿の外に出てしばし待つ。


 どうやら龍一が馬車を手配してくれているらしく、魔法帝国まではそれに乗って向かうらしい。


 手際の良さに感謝していると早朝の厳かな空気と共に、馬の蹄と車輪の回る音……御者台に乗った龍一は大きく手を振っており、そのまま目の前にぴたりと停車した。


「お待たせしたでござる」


 その言葉に頷き乗り込もうとすると、冒険者風の装いをした龍一が飛び降り皆の行く手を阻む。


「お控えなすってお控えなすって。遅ればせの仁義、失礼さんにござる」


 腰を落とし掌を空に向け、天下の往来で突如始まる口上。


「拙者、生まれも育ちも葛飾柴又。帝釈天に産湯をつかい、姓は我修院、名は龍一。人呼んでフーテンのリュウと発しやす―――」


 言葉の途中でやっとそれが昔の映画の一幕だと合点したが、きっと三人には一割も理解出来ていないだろう。


 誰の影響なのか妙な口上は尚も続き、ぽかんとしているカルーア達を置き去りに饒舌な喋りは一旦の終わりを見せる。


「以後見苦しき面体お見知りおかれまして、向後万端引き立って、よろしくお頼み申すでござるぅ……」


 古風な口調もこれが影響しているのだろうか、生憎とその映画は未履修だった。


 三人に視線を向けられては日本の……自己紹介みたいなものだと説明に困ってしまう。


(映画が好きなのか?)

 首を傾げて尋ねれば、そういう昔の物は祖父の影響で特別な思い出になったと言う。


 訳あって両親とはほぼ別居状態だったらしく、妙な所に共通点が有るものだと驚いた。


「さ、それでは行くとするでござるよ」


 あれだけの混乱を無かった事のように、御者台に座る龍一が涼しい顔で宣言する。


 荷台には木箱が幾つか置かれており、先日の時よりも少しだけ狭くなっていた。


「旅先での交易品にござるが、座ってもらっても問題ござらん」


 貴重品は魔法鞄に収納しているらしく、怪しまれないように見せ掛けの物だというのはすぐに理解出来た。


 出発に早朝を選んだのは理由が有り、こうでもしなければ見送りが大変な事になるとカルーアは言った。


 他にも中継地や移動速度を鑑みての事らしいが……その目論見は見事に外れる事となった。


「あっ、来たわよ!」

「おーい!」

「おおーい!!」


 騒がしい声に外を見れば、北門には既に沢山の人集りが出来ていた。


 この街で出会った全員……それが余す事なく揃っているのではないかと思うほど、見送りに現れた人物の顔にはそれぞれ思い出が有った。


 ワンニャンの従業員達。武闘祭の対戦相手。顔見知りの冒険者やあの時の女性達も居る。


 格好から推察するに同業だったのか……そう言えば何時ぞや、そんな事も有ったと冒険者ギルドで言われていた気もする。


「良かった……何も言わずに出発するなんて酷いですよ」


 件の受付嬢はそう言って馬車に駆け寄るなり、手に持っていた冒険者証を渡して来る。


「こほん。冒険者ゼロ殿……貴方を武闘祭優勝並びに、この街に蔓延る病の治療法を確立したとしてここに評します。こちらをお持ち下さい」


 そこには金色に輝く新しい冒険者証が有った。


「獣王様からの褒美との事ですので、これからの旅にお役立て下さい」


 冒険者証にはB等級と記されており、一国の冒険者ギルドで授与する事の出来る最高位だと教えてもらう。


「ゼロさんならきっと、今以上の冒険者になれると信じています……ご武運を」


 拳を胸の前で合わせる礼はこの国に来てから幾度も目にした物で、寄せられた期待を裏切らないように努めようと頷く。


 どうやら半人前に引き分けたと有っては色々と問題だったか……それを逆手に利用しようという腹黒さは獣王に無く、一番無難な解決策だと言えよう。


「ゼロさん……」


 受付嬢とのやり取りが終わったと思えば次いで現れたのはミルクとモカだった。


 思えばこの二人には色々と世話になっており、その礼は出立後に受け取れるように頼んである。


「リュウちゃんの事、くれぐれもよろしくお願いします」


 昨日、モカから聞いて判明した事だが龍一がオーナーという事は全従業員周知の事実らしく、気付いていないのは鈍感な龍一だけだと言った。


 そうとも知らずに一介の商人で有り続けられたのは、偏に彼女達の優しさだろう……その事からもどれほどの信頼を寄せていたかが窺える。


(安心しろ。死なせるつもりは無い)


 孤児院の子供達と最後の別れを交わしている龍一は、最後の最後まで揉みくちゃにされていた。


 自分とは違う毛色のミルクの視線に言葉を発しそうになるが、それこそ野暮と言うものだろう……ひっそりと胸の内に留めておいた。


「気を付けてね……ご武運を」

(ああ。モカもな)


 長い黒髪が揺れ、優しげな眼差しに答える。


 少し屈まれ頭を差し出されるので、その部分に優しく手を添え撫でる。


 どうやら獣人族の間では頭部や尻尾、顎の部分は非常に繊細な場所らしく、他人に触れさせる事は多くないと言う。


 ましてや人前で見せ付けるかのようなこの行為は、きっと色々な意味が含まれているのだろうが……当然、嫌な気はしない。


 そうして最後の別れを済ませ、激励の言葉達を前に頷き返す。


 遠目から眺めているだけの女性達に丁寧に頭を下げると首を振られ、小さく手を振られては背中の大剣が嘶く。


(やっぱりこいつの好みじゃねえか……)


 あの夜の真犯人が露見したところで出発となり、様々な声援に後押しされると獣王国を背にする。


「それでは各々方、行ってくるでござるよー!」


 幌馬車から見える人影は次第に小さくなって行き、届く声も同様に風によって掻き消えて行く。


 喧騒が終わり、周囲に響く音が車輪の物だけになると、あの国で起きた様々な出来事が走馬灯のように蘇った。


 御者台に座る龍一は時折鼻をすすっており、片手を顔に持って行っては何かを拭っているように見えた。


「めそめそしてんじゃないわよ。気持ちを切り替えなさい」


 それは果たしてどちらに向けられた言葉なのか……涼しい顔のカルーアはそう呟くと、退屈そうに木箱へもたれ掛かる。


 揺れる荷台に少し重い空気が漂えば、暫くして再び響くのは車輪の音だけとなった。


 そうして彼方を見詰めるカルーアと、どこか神妙な面持ちのトウとキビ……少し憂いを帯びた表情はこれまでに無かったもので、その意味を知るのは国境が目前となってからだった。



 獣王国王都ビーストキングダムを出発し、街道沿いの宿場町で一泊してから再び馬車での移動となる。


 宿場町では獣人国ならではの出会いの場が設けられており、王都で龍一に説明されていなければきっと混乱していた事だろう。


「合コンみたいなものでござる」


 時代の違いでそこでも困難を極めたが、要約するとどうやらそういう事らしい。


 決められたコースを多数の男達が駆け抜け、それを阻止するように横から女性陣が飛び付き行く手を阻む。


 一見するとスポーツのようにも見えるのだが、これで歴とした合コンだと言うのだから意味が分からない。


 ゴール付近には投票によって上位に位置付けていた女性達が立っており、そこを目指して進むのだが一人……また一人と脱落していく。


 中には必死に縋り付く様を見て鞍替えするような一幕も有ったりと、何と言うかとても逞しいなと感動すらしてしまった。


「種族差による求愛……と言った所でしょうか」

「女性側から何かを出来るというのは少し羨ましくも有ります」


 そう言って馬車の外を眺めるトウとキビ。


 そう言えばエルフにとって女性から何かをするのはご法度だったか……そうであれば二人の言葉も納得のものだ。


 それでも破れたじゃないか。そういった視線を向ければキビはそっと口元に人差し指を当て、優しく微笑んだ。


 そんな事もあって二日目の出発は大分遅くなってしまい、国境付近では日が傾き始めているのに気が付いた。


 水薬の素材を揃えていたせいも有るのだが、道草は程々にしようと反省する。


「良いではござらんか。偶にはゆっくりするのも一興にござる」


 そうは言われても獣王国で大分のんびりしてしまった身としては、この身に掛かる全ての事柄一切を、早く真っさらにしたいと思うのが正直な所だ。


(焦っても無駄なのは分かってるけどな……)


 これはもう性分というか、そういう性格なのだから仕方が無いと諦めている。


 そんな風に考えてしまえば次第にその色は濃くなり始め、思い返せば怠惰でのんびりとしていて豪快で……楽しかったと思える日々はある種の救いのように心を照らしてくれる。


「お待ちしておりました。どうぞお通り下さい」


 衛兵に冒険者証を提示するとカルーアの物だけを確認し、大した確認も無いまますんなり通される。


 どうやらここにも連絡は及んでいたようで、二人の衛兵と握手を交わすと眼前には巨大な石橋が彼方の陸地まで続いていた。


 それはエルフェリア付近に掛かっていた簡素な物では無く、何台もの馬車が往来出来るほどの大きな物だった。


(ん……?)

 そんな光景に見惚れていれば、徐ろに立ち上がったトウとキビが下車する。


 どうしたのかと尋ねれば二人は規律良く立ち並び、馬車の中の三人に向かって最後の挨拶を始める。


「私達はここまでです」

「御気を付けて、いってらっしゃいませ」

 そう言って深々とお辞儀をした。


 突然の事に驚きどういう事だと馬車の中に目を戻せば、カルーアは渋々と立ち上がり馬車を街道脇へ導く。


「降りてきなさい」

 そう促されて車外へ出れば、道端の雑草を徐ろに引き抜くカルーア。


「これが何か分かる? これはね、精霊樹の苗木」

 そう言って淡々と説明を始めるカルーア。


「私達エルフの使う魔法……それが精霊の力を借りて、という事は前に話したわね?」


 頷くのを見届け更に言葉を続けるカルーア。


「エルフは森から出られない……それは半分正解で半分間違い。正しくは、精霊樹の効果が及ばない地域に行く事が出来ないの」


 聞けば精霊樹というのはエルフにとって住居兼魔力増幅装置であり、そこまで説明をされれば何となく状況が分かった。


 という事は前の戦闘でそれを薙ぎ倒した自分が何のお咎めも無かったのは、立てた功績によってか、それとも最長老やカルーアの口添えか……何にせよ、罵倒や陰口くらいで済んだのは奇跡とも言える。


「お姉様の時代は人族領にもそれなりに有ったらしいけど……今はもう、見る影も無いわね」


 そう言って悲しむ素振りを見せながら苗木を元に戻すカルーア。


「全てを精霊に頼るライトエルフと違って、私達ダークエルフにそこまでの影響は無い……それが精霊に愛されていないと蔑まれる、最大の理由なんでしょうね」


 どこか開き直ったような笑顔を見せるカルーアに頷き、納得すると同時に何か方法が無いかと考える。


「ゼロ様」


 そんな風に悩む素振りを見せればキビが一歩進み出て、その思考を一瞬にして打ち砕く。


「何時まで甘えておられるのですか?」

 と―――。


「これまでお姉様の恩人であればとこの身を捧げ尽力して参りましたが、漸くこの任務から解放されると思うと心の底から嬉しく思います」


 抑揚の無い事務的な口調のキビに目を向ける。


「ゼロ様は本当に人使いが荒く、酷い方でした。エルフェリアでもビーストキングダムでも、私達が居なければ何も出来なかったでは有りませんか? 少しだけ他者よりも優れているからと横暴にして残虐……流石は人族の子です」


 キビの言葉に反論はせず、只管に相槌を打つ。


「これからの事を思うと嬉しくて堪りません」

(そうか)


「もう二度と御会いする事も無いかと思えばせいせいします」

(そうだな)


「本当に……嫌いです―――」

(そう……なのか?)


 そうした言葉を真正面から受け止められたのは以前にも似たような事が有ったからで、それに加えて涙を流すキビがその目に飛び込む。


(気が変わった。出発は取り止める)

「やめっ―――離して下さい!」


 珍しく大声を出すキビを意に介さず、両手で抱きかかえると国境前の宿まで戻ると皆に告げその場から跳び上がる。


(そんなに泣くな。しっかり掴まってろ)


 首に回された腕に力が入るのを確認し、滑空するように宿へと飛翔する。


 あの時もこの時も、女性が絡むと大剣から送られる魔力は増幅の一途を辿り、普段は不可能な動きすらも可能にしてしまう。


(これはこれで便利なんだけどな……)


 慣れてしまえば咄嗟の時に困るのは明白で、あまり甘えないようにしないとなと自身を戒める。


 キビを抱えたままで宿に入れば店主はぎょっとしたように硬直し、ぎこちない挨拶を前に冒険者証を手渡す。


「どうぞごゆっくり」


 そう言われて何とか冒険者証と鍵を受け取り、三階に有る部屋の前へ辿り着くと漸くキビが降りてくれる。


 未だ泣き顔のまま鼻をすすっており、時折落ちる涙の粒が肩に当たる。


(どうしたもんか……)


 悩みながらも部屋の扉を開けると、そこには普段よりも広く豪華な室内が待ち構えていた。


 一泊だけならとそこそこ良い部屋を指し示したのだが、予想以上の内装に少し緊張してしまう。


 一先ず室内に入り泣いているキビを座らせ、魔法鞄からコップと飲み物を取り出してそれを差し出す。


 一口、二口と飲む様子を見て次第に落ち着きを取り戻すキビを見て安堵すると


(その、なんだ……ああいうのは流行っているのか?)

 と、何とも間の抜けた質問をしてしまう。


 意外だったのはその回答で、聞けばそういった別れの話が有るのだと説明された。


 旅立つ青年への別れはそうして激励となり、見事魔王を倒して村に還る……そんなお伽噺なのだとキビは言った。


 ゲン担ぎなのだろうが、それでもそうした別れ方は悲しいので止めてほしいのが本音だ。


(確かにこの先、俺がどうなるかは分からない。だけど、俺は無駄死にするつもりは毛頭無い)


 本当かと確認するキビに大きく頷き、再び涙を拭ってやる。


「失敗……しちゃいました。もっとすんなり、お別れが出来ると思ったのですが……」


 そう言って落ち込むキビの横顔が何時もと違い、数段幼く見えてしまうのは口調のせいだろうか。


「ゼロ様……?」

 何かの所為では無く、素直な心に従いキビをベッドへ押し倒す。


「ありがとう」


 短く言葉を発せばごっそりと魔力が削り取られ、少々の疲労感を前に痩せ我慢を続ける。


 それを察してか目に涙を浮かべたままのキビは微笑み、首に腕を回されると唇を重ねた―――。



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次話は少し期間をあけて6月頃になります。

懲りずにお待ちいただければ幸いです。

進捗、人物等の設定資料がどこかで出せれば良いなと思います。

よろしくお願いします。

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失声の異世界転生 ~コミュ障無口な俺が声の大切さに気付くまで~ 将輔 樹 @syosuke_itsuki

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