第四十五話 ~男達の苦難~

《第四十五話 ~男達の苦難~》


(キビ……?)


 目が覚めると自室には静かな朝の空気が漂っており、昨晩繰り広げられた戦闘の名残は微塵も残っていなかった。


 癒やされ、慰められた形になったキビの言葉を反芻し、着替えを済ませると日課の運動の為に出掛ける。


 朝日が出てからそこまで経っていないので人影も少なく、カルーアが言ったような揉みくちゃにされるような事態には成りようも無い。


 メイの事も秘密裏に処理されたのだろうか……曲がり角で突然誰かに拘束されるような事も、当然だが起こらなかった。


(もう思い残す事も無い……か)

 予想よりも長く滞在していた街を最後に眺め、宿に戻ると浴室で汗を流す。


 あの夜の一言で流されるままこの国を訪れ、気付けば随分とこの土地の水が自身に合っていたのだと思い知らされる。


 てきぱきと身支度を整えれば装備を着け、仰々しい姿で食堂に向かえばカルーア達三人が食事を摂っていた。


(おはよう)

 そう挨拶を交わせば各々から返され、同じもので良いかとの問いに頷く。


 キビに礼を述べ、テーブルに並べられた朝食を摂っているとカルーアから


「で、そろそろ行くの?」

 との問いに頷いた。


(この街でやれる事はやったからな……流石にもう何も無いだろ?)


 そう言って次の目的地、人族領……魔法帝国への旅程を相談する。


 無理やりにでも出発しなければ、きっとこのまま根が張ったように動けなくなってしまう……そんな風にも感じていた。


「全く不器用な事ね……別に良いのよ? 無理して旅を続けなくても」


 試すようなカルーアの視線に首を振り、それはお前も同じだろと同様に目で返す。


「そ、ならこの水薬を作っておいて頂戴。大切な物だから」


 そう言って一枚の紙を渡され、そこには材料と水薬名が書かれていた。


(ウェル専用特別治療薬……?)


 その名はどこかで聞いた気もするが思い出せず、こんな曖昧な情報だけで本当に製作が出来るのか不安だった。


「それが会う為に必要な鍵なのよ」


 その言葉に漸くそれが魔法学園のお偉いさんの物だと分かり、合点するとなるほどと納得した。


 作れと言われれば作るのもやぶさかでは無いのだが、本当にこんな事をしてまで会う必要が有るのだろうか。


 現在迄の状況を省みて、確かにキビの手助けは存分に有るが安定しているようにも思う。


「あんたねぇ……それじゃあこの先もずっとこの子に、おんぶに抱っこしてもらうつもりなの?」


 呆れたような視線を前に首を振り、そんなつもりは毛頭無いと返す。


「ウェル様もジャック様と同じく、英雄パーティの一員です。御会いすればきっと、御力になって下さると思いますよ」


 そう言われてしまえばそれ以上は何も言えず、色々と抱えている疑問の答えも知っているかもなと頷いた。


「それに……全ての制約も無くなって尚、私を求めていただけたら……そうも思っております」


 突然の攻勢に飲んでいた茶を吹き出しそうになり、何とか平静を保ってコップを置く。


 真っ直ぐなキビの視線を前に、何か言った方が良いのかと戸惑ってしまう。


(その……なんだ、分かっていると思うがな……)

 そう言って顔を向けると小さく頷く。


「はいはい、そういうのは二人の時にやってね。取り敢えず出発は明日の朝で良いかしら? それまでに各自、準備を済ませておく事」


 場を仕切るカルーアに了解と返事をし、席を立つとそのまま宿の外へ出る。


(まずはゴードンの所にでも行くか……)

 挨拶回りを済ませようと進路を決め、獣王国の街並みを一人歩く。


 流石にあの場にあのままだと居た堪れないというのが本当の所だ。


「そうか……元気でやれよ」


 出発の旨を告げるとゴードンは愉快そうにそう言い、武器の調子はどうだと尋ねて来る。


 想像以上の出来栄えに称賛の言葉を贈り、篭手に関しては今現在も助かっていると告げた。


 獣王との戦闘から今まで右手の痛みは絶賛稼働中で、それは酷くなる事は無かったが引く事も無かった。


 まるで腕の中に何かが埋め込まれているような違和感は日毎に増して行き、動かす事が可能なだけにそれがちくちくと気になってしまう。


 それを補助してくれるように作動する篭手には本当に感謝しており、氾濫の際の戦闘でもその力を存分に奮ってくれた。


「送り主に感謝するんじゃな」


 そう言って歯を見せて笑うゴードンに微笑むと、リアモの街の面々を思い出し頷いた。


 ゴードンの店を後にすると郊外の工事現場……のような惨状だった場所は見る影も無く、そこには真っ白い正方形の物体が鎮座していた。


 あれだけ散乱していた機械の類はどこにも見当たらず、これで完成なのだろうか……どこか近未来的な風貌の立方体を前に首を傾げる。


 作業者の姿も見えず、商業ギルドの人間も居ない所を見ると問題は無さそうだが……小さくなってこれだと言うのだから、元の大きさはどれ程なのだろうか。


「それ、まだ可動してないわよ」


 その声に振り向くとそこにはバーバラとカーラ、そしてパルの三人が立っていた。


 昨日の今日で顔を合わせるのは何となく気恥ずかしく、互いに俯いて視線を逸らしてしまう。


「ん……んん? どうした、何か有ったのか?」


 そんな様子を機敏に察知すると、カーラがパルに問い掛ける。


 慌てた様子で何も無いと言うパルだったが、その反応では一目瞭然だろう。


「まあいいか……それはまだ動いてないぜ。昨日商業ギルドの連中がやってきて、いざお披露目って時に中止にさせられたんだ」


「折角の私とお師匠様の大作をあんな奴等に……こうなったら今日という今日は商業ギルドに殴り込みに……」


 カーラの説明に何やら物騒な言葉を呟くバーバラ。


 どうやら販売所と同じ事態になっていたらしく、その事についてはもう問題無いと説明する。


(多分……だけどな)


 今頃は商業ギルドの長にカルーア達が説得に行っている筈だ……その事を思うとほんの少しだが憐れみを覚える。


「あ、あの。魔道具の調子は如何ですか?」


 意を決したようなパルの言葉に深く頷き、どちらも問題無いと返す。


 昨日受け取った魔道具、閑古鳥の箱庭と喉に貼られた『二枚舌の双子:スプリットキャスト』だ。


 元は多重詠唱を目的とした魔道具だったらしいが、どうやら上手く扱える者が居なくなっていたところ自分が譲り受けた形となった。


 発声を別の方法で補うという発想は良いアイディアだと思ったのだがどうやらそう都合良くは行かなかったらしく、あの宝物庫で埃を被っていたという事らしい。


 発動については昨日の通りで問題無く、消費する魔力もそれなりに多いのだが問題は無い……が、無理をして声を出す必要も無いだろう。


「なんじゃ、お主等も来とったんか」


 カーラ達の後方から声が掛かればそこにはコモドが立っており、手には瓢箪のような容れ物が持たれていた。


「ふむ……あまり無茶をするなよ」


 一目で右手の容態を悟られてしまい、ちらりと覗かせた鋭い視線に弱ってしまう。


 そんなコモドだが氾濫の際は自分以上に暴れていた光景を思い出し、随分と女性冒険者達の手助けをしていた事実を振り返る。


(まあ良いんだけどさ……)


 そんなコモドに説教をされるのもどうかと思うが、それもこれも自身の未熟さが招いた結果だと反省する。


 コモドは容れ物の中身をぐいと傾けては美味そうに飲み、中身が酒だというのは匂いで分かった。


 発する雰囲気から機嫌が悪そうだなと投げ掛ければ


「当ったり前じゃ! なんじゃお主等だけで楽しく湖水浴に行きよってからに!!」

 と、誘われなかった事に怒りをあらわにする。


(それは……急な事だったし……)

「だとしても……声くらい掛けても罰は当たらんじゃろ……儂、頑張ったもん……」


 そう言っていじいじと悄気げる様を見ては強く言う事も出来ず、又の機会があればその時は誘うさと出来もしない約束をしてみる。


「本当じゃな!? 絶対じゃぞ!?」


 そんなコモドの嬉しそうな顔を見てしまっては、本当にそれを叶えてあげるのも悪くないかと思った。


 瓦礫置き場だった広場を後にし皆と街中へ戻る道中、そういえばコモドはどうしてあの場所に居たのかと尋ねる。


「ふむ……何やら商業ギルドの連中が良からぬ事を企んでいるらしいからの」


 と言うので、その事については問題無いと報告しておいた。


「ほう」


 鋭い眼光を向けられるものの、己の心中は平穏そのものだ……あのまま野放しにしていたらこうはならない。


 そうして各々がそれぞれの方法で心配をしている余所で、孤児院近くの道に差し掛かると昨日と同様に行列が出来ていた。


 その行列の先へ歩いて行けば朝も早くから龍一達が販売を開始しており、トウとキビも居るおかげで大した混乱も見られない。


「おー、やってんなー」


 カーラの言葉に皆の視線が集まり、三者三様の挨拶が交わされる。


(売れ行きは好調みたいだな)

「見れば分かるでしょ。好調なんてもんじゃないわよ……」


 行列に対し在庫を確認するが、これではどう足掻いても足りないだろう。


「ゼロ様。暫くの間、こちらを留守にしても構いませんか?」


 どうやらそれは皆も薄々感じていたようで、キビの提案に頷くとトウとバーバラを引き連れ販売所を後にするキビ。


 恐らく先程の装置を稼働させに行ったのだろうが、朝から働き詰めな事に少し心配してしまう。


(ま、やるだけやるか……)


 あの二人のような超人的な捌き方は出来ないが、自身が丹精込めて作った水薬だ……出来るだけ沢山の人の手に渡れば良いなと思った。


「つ、疲れたでござるぅ……」


 昼前には行列が消え、並んでいた群衆は別の場所へと姿を消した。


 装置の稼働は滞り無く進んだようで、今ではこんこんと治療薬が湧き出ているらしい。


 製作の為に材料を入れる必要は有るらしいのだが、そこは王家が責任を持って切らさない事をパルが宣言した。


「お任せ下さい。絶対に枯らしはしません」


 そういう事であるならば一安心と言ったところで、先程まで伸びていた龍一が酷く真剣な面持ちで間に入る。


「ゼロ殿、昼食の後に少し……良いでござるか?」


 その表情で何となく予想は付いていたが、気付かぬフリをして小さく頷いた。


 昼食は孤児院の中で摂らせてもらい、あの頃とは一転して子供達から質問攻めに合う。


 ここにも武闘祭効果は及んでいたようで、どうしたら強くなれるのか。どうすれば獣王と殴り合えるぐらいになれるのか。必殺技はどうやって編み出したのか等、子供ながらの純粋な好奇心を前にたじろぐ。


 例の少年の悔しそうな顔と捨て台詞に、少々の危うさと期待をしていた。


(劣等感と、立ち位置か……)

 逃げるように立ち去る少年の背に、これをバネにしてほしいものだと願った。


「拙者を……旅の仲間に加えてほしいのでござる!」


 昼食後にトウとキビを呼びに言った龍一が孤児院へ戻って来るなり、建物から一歩外に出ればくるりと向き直って頭を下げて来る。


(……だろうな)


 出発の事は元々言うつもりだったので問題無いが、あからさまな態度を取っているカルーア辺りが告げたか……面倒な事になりそうだと予感した。


「拙者、この世界に来たのはカルーア殿と出会う為に御座れば、これから先も共に居たいと思う所存。何卒、何卒頼むでござる……!!」


 頭を下げたままの格好でこれまでに無い声量から決意の程が窺える。


 キビから聞いた限りでは氾濫の際にここを防衛していた時、獅子奮迅の奮闘振りも聞いていたので恐らくだが戦闘面は問題無いだろう。


 戦闘は苦手だと言っていたが戦えないとは言っていない……あの怯え方も演技なのだとしたら、龍一は中々に役者なのだなと感心すらしてしまう。


(喰えない奴だ……が、それは自分も同じか……)


 嘘を見抜く魔道具を前にその裏技のような物を教えてくれたのだ……万能とはいかない抜け穴の存在は、戒めとして自身の心に刻むべきだろう。


(顔を上げてくれ……そういうのは必要無い)


 その言葉にすっと直立すると、そこには見たことの無い凛々しい面持ちの龍一が居た。


(分かっているとは思うが危険な旅だ。諸々全て、承知の上での言葉……なんだよな?)

「無論にござる」


 どうやら本当に筒抜けのようで、揺さぶるような問いに微塵も揺らぎは見られない。


(なるほどな……どうしたもんか……)

 そう言って困ったように顎に手を当て悩んでしまう。


「ちょっとなに悩んでるのよ! 私の時みたいにさっさと断りなさいよ!!」


 カルーアからの突然の言葉に視線を向けると、何時ぞやの事を未だ根に持っているのか憤慨している様子に驚く。


 ここ数日でかなり仲を深めていたと思っていただけにこの反発は予想外だったのだ。


「そいつは冒険者でもなんでも無い、ただの商人なのよ!? それなのに私の時よりも悩むってのは、一体全体どーいう了見なのよ!!」


 予想よりも更に子供じみた言い分に呆れてしまい、溜め息を溢せばどうしたものかと再び思案する。


 あの時は紛れもなく自分に余裕が無かった為で、未知数の人間を三人も守れるだけの力は無かった。


 それが勘違いだったという事はすぐに気付かされた訳だが―――


(そうだな。それなら力を示せ……って事か?)


 あの時と同じように、迷宮なり何なりでそれを見せてもらうのが手っ取り早いだろうか……自分自身、龍一がどのように戦うのかを見てみたい気持ちも有った。


(そういう訳なんだが……どうする? なにか、カルーアを説得出来るだけの材料は有るか?)


 そう問い掛けると龍一の返答よりも早く、自身の前に立ち塞がる影が二つ。


「お話の途中に失礼致します。ですが、これは私達にも深く関係する事……」

「ゼロ様の旅の供と申されるのならば黙して居ようかとも思ったのですが……」


 そう言ってトウとキビが龍一を睨み付ける。


「お姉様に関わる言葉となれば、御話は別に御座います」


 今の今までカルーアが先に怒り出していたので忘れていたが、この二人もあの少女達同様カルーアの信奉者なのだった。


「……そうね。この二人に勝ったなら文句は無いわよ」

 そう言って厭な笑みを浮かべるカルーア。


 勝てっこ無い。絶対に無理だ。そういった思いが透けて見え、どうしたものかと頭を悩ませる。


「別の案は……受け入れてもらえそうに無いでござるな……?」


 多少顔が引き攣っている龍一を引き連れ、街の西側へ移動すると開けた場所で立ち止まる。


 観客には孤児院の子供達とあの場に居合わせたミルクとモカが、保護者兼立会人としてこの場に参じてもらった。


(惚れた弱みか……随分と大袈裟な事だ)


 誰にも気付かれないよう呟いたつもりだったが、そんなぼやきを目ざとく見付けるモカ。


「あら、それはどういう意味かしら?」


 どうもこうもそのままの意味だがどうなる事やら……今は勝負の行く末を見守る事にした。


「それじゃあ模擬戦を始めるわね。武器は木製で、大魔法とかの類は禁止。最初はどっちが行くのかしら?」


 意気揚々と仕切るカルーアに龍一が首を振る


「トウ殿とキビ殿、二人一緒で構わないでござるよ。ただ、決着方法だけ……先に参ったと言った方の負け……というのはどうでござろう?」


 それもそうかと納得し了承するカルーア。こんな所で万が一にも重症を負う訳にはいかないのだ。


 しかし、そうなると問題は二人のエルフで……


「二人一緒……?」

「随分と舐められたものです……」


 自分と模擬戦を行った時など比にならないくらいの怒りが、これだけ離れていたとしても分かってしまう。


(……本当に大丈夫か?)


 手に持っている武器が木製と言えどその殺気は凄まじく、かつてこれほど迄の感情をまともに見た事が無い。


(あんまり焚き付けるなよ……)


 戻って来たカルーアに文句を言えば、これくらい乗り越えられなくてどうするのかと逆に説教をされてしまう。


 試合場に目を戻せば二人のエルフは歌うように詠唱を始め、手を取り合い魔法を発動させている。


 互いの体に纏う闘気のような膜が全身を包むと準備は万端……龍一も杖と盾を構えて初撃に備えていた。


「それじゃ行くわよー! ……始めッ!!」


 最初は互いに様子見から入るのかと思いきや、先に仕掛けたのはトウとキビだ。


 その怒りを具現化させたような魔法は二人から一直線に龍一へ向かい、爆炎と共にあの苦渋を舐めた防御魔法によって防がれる。


 どうやら二人から聞いていたように龍一の戦闘方法は魔法が主体らしく、今のは勇者固有の技能だろうが基本的には相手と距離を取って……というものらしい。


 現に今も二人の魔法を防ぎ続け、死角からの攻撃には別の魔法を放って相殺している。


(おお、凄いな……)


 左右、背後、上空、地中と、次々に襲い掛かる容赦の無い攻撃に怯む事なく、あの気弱で優しそうな青年がこんなにも鮮やかに相手の攻撃を捌くとは思ってもいなかった。


「お終いです」

 徐々に詰めていた距離を一気に無くし、トウがそう呟くと龍一の懐へ潜り込む。


 すかさず発動した風魔法だろうか……杖を地面に向けると爆風を生み出し再び距離を離す……が


「甘いです」

 そこを背後に現れたキビによって狙われ、木剣の一撃が綺麗に決まってしまう。


(あちゃー……)


 双子ならではの見事なコンビネーションに魔法発動後の硬直を狙われ、龍一の体は無惨にも地面に転がる。


 追い打ちにも本当に容赦が無く、戻って来たトウがその顔を蹴り上げた。


 そこは流石に勇者とでも言うべきなのか、寸前での防御はかろうじて間に合っているようだがあの威力だ……少なくないダメージが立ち上がった龍一の口元から見える。


「勝負ありましたね……」

「まだ御続けになりますか……?」


 たった一合で龍一の衣服は砂まみれになり、顔や髪にもその攻撃の凄まじさが残っている。


「当然でござる。まだまだやれるでござるよ……」


 そう言って袖口で血を拭う姿は弱者のものでは無く、必死に喰らいつく戦士の物だった。


 龍一の言葉を皮切りに先ほどと同じ光景が展開され、今まで息を呑んでいた子供達も声援を送る。


 当然ミルクやモカも同じように、また自身も同じように応援をするもののやはり力の差は歴然……取り分け戦闘経験の差が、一合……また一合と切り結ぶ度に如実に現れていた。


「あぁー……」

 もう何度目かのぶつかり合いの後、一人の子供がそう漏らした。


 よろよろと立ち上がる龍一の姿に先程までの面影は無く、頬には傷、左目に至っては見えていないのでは無いかと思うくらいの、腫れた瞼が出来上がっていた。


 杖を頼りに何とかその場で静止し、開始前と同様に盾を構える。


 それほど直接的な攻撃を貰う事が少なくなって来たとは言え、距離を詰められるとどうしても弱い部分が有り……ましてや二人掛かりだ、並の相手ならそれも良いが今回ばかりは相手が悪過ぎる。


「リュウちゃん……」


 頑張ってと応援を続けていた子供達も次第に言葉を無くし、これ以上の試合は不可能かと諦めたような雰囲気が漂っていた。


「まだ御続けになりますか?」


 それを意に介さない無慈悲な言葉に、最早声を出すことさえ辛いのか無言のまま頷く龍一。


「何やってんのよ!! さっさと決めなさい!!」

 カルーアの言葉に驚き肩を竦ませる。


 これまで二人を叱る事は有ったが、これ程までに怒気を孕んだ言葉を聞いた事が無かった為だ。


 叫んだ本人は苛ついたように親指の爪を噛んでおり、三人の様子を苦々しい表情で睨んでいた。


「キビ、次で決めるわ」

「うん。分かった……」


 二人としてもそれは望む所で、これ以上の戦闘は互いに不利益しか生まないだろう。


 決め切りたい気持ちは山々なのだが、最後の最後に拘束されようかという寸前で毎回上手いこと立ち回る龍一に攻めあぐねているのも事実で、それは次の撃ち合いで最後となった。


 前回、前々回、前々々回、前々……と何度目かの内容が繰り返され、転がされた所を捕獲されてしまう龍一。


 地にうつ伏せの状態で押し付けられ、背中には両手を捕らえたトウが乗っている。


 眼前にはキビが立ち塞がり、試合前よりも一層険しい顔付きをしていた。


(ここまでか……)

 試合の終了を感じ取り、下ろしていた腰をゆっくりと上げる。


「諦めなさい、もう勝負は着きました!」

「降参すれば終わるのです……いい加減に負けを―――」


 促すような慈悲の言葉を柏手一つで打ち消すと、悠然に歩を進め三人の元へ歩み寄る。


「ゼロ様……?」


 怪訝な表情のキビを前に頷くとしゃがみ込み、龍一に向けて言葉を吐く。


(どうして攻撃しないんだ?)

 と―――。


 今の今まで善戦していたように見せ掛けていたのは、何かしらの意図が有っての事かと思っていたがどうやら違ったようで、その真意を龍一の口から聞いてみたかったのだ。


「拙者に女性は、殴れないでござるよ……」


 そう言って何時もの調子で困ったような笑いを浮かべると、その言葉を聞いて大いに笑ってしまう。


 音の無い笑い声でも上下に揺する動作は皆にも伝わり、一頻り吐き出した後トウとキビに拘束を解くよう頼む。


「如何にゼロ様と言えど、決闘に割り込むなど無作法にも程が有ります」

(そう言うなって……このままじゃ龍一は一生降参なんかしないさ)


 なあ。そう問い掛けるように視線を向ければ真剣な面持ちで頷かれる。


 防御魔法の他に補助魔法や攻撃魔法も使っていたようだが、それらは全て相手の攻撃を防ぐもの……トウとキビに向けて放たれた物は一つとして無い。


(腕を折られようが腹を斬られようが言わないだろ……引き分けで良いよな?)


 そう言ってカルーアを確認すれば、それこそ苦虫を噛み潰したような表情で悔しそうに睨んで来る。


(元々俺は反対してないんだ……付いて来るのも来ないのも、自由にしたら良いさ)


 あの時とは状況が違うとは言え、そんな一言にカルーアの表情が増々曇って行く。


(とは言え結果は引き分け……勝敗はきっちり付けなくちゃな)


 そう言って外套を脱ぎ、バルムンクを地面に突き刺すと装備一式を魔法鞄へしまう。


(俺が相手になる。それなら気兼ねなくやれるだろ?)


 カルーアが出張ったところで結果は同じ……だとすればこうするのが最善だと思った迄だ。


「―――分かったわよ! でもその代わり、手ぇ抜いたらぶっ飛ばすわよ!!」


 許可が出た所で龍一へ水薬を手渡し、それを飲み干してもらう。


「おお……」


 忽ち体の至る箇所から光の粒が立ち昇り、それは見る見る内に龍一の傷を修復して行く。


「武器はー?」


 カルーアの声に首を振り、仮でも武闘祭優勝者なのだ……それは無粋と言うものだろう。


 対峙する龍一との間に一陣の風が吹き、乾いた風が頬を撫でると開始の合図が告げられる。


 その途端、眼前に迫る光を何とか躱すと続け様に二発、三発と同様の攻撃が襲い掛かる。


 その全てを紙一重で躱し龍一を見れば、今まで盾を構えていた筈の左手から放たれた物だと認識する。


 どうやら遠慮なくやれそうだと口元に笑みを浮かべ、続く四発目を片手で弾くと一瞬で距離を詰める。


 懐に潜り込んだらこっちのもの……そう思って詰めた距離を逆手に取られ、死角からの攻撃に再び距離を離す。


「ゼロ殿には初めて見せるでござるな……これは遅延魔法。VRMMOアズワルドにて、拙者が最も得意としていた戦法の一つにござる」


 そう言って龍一は次々と詠唱を紡ぎ、杖、宙空、自身へと魔法を発動させて行く。


 口元に置いた特殊な手の形の中で詠唱は続き、尚も魔法は発動され続ける。


 目に見えて効果が分からないだけに迂闊に飛び込む事は敗北を意味する……と、普通なら考えるだろう。


(おらあああ!!)

「なっ―――」


 全身をありったけの魔力で覆い、待ち構えていた魔法の尽くをその体で破壊して行く。


「出鱈目に―――ござるな!!」


 襲い掛かる拳の一撃を盾で受け止めると、その衝撃は大地へ伝わり龍一の体が少し沈む。


 ただの盾なら鋼鉄であろうとも叩き割れるのだが、どうやら強化魔法の練度は龍一に軍配が上がるようだ。


 トウを弾いた風魔法によって体が押し戻されると、そこから先は先程と同様に我慢比べが始まる。


 どちらが先に根を上げるのか……そんな事を思いながら闇雲に突っ込んでいたと思う。


 途中で龍一の武具を弾いてからは肉弾戦へともつれ込み、お互いの拳は何度も両者の顔面を捉えた。


 そんなこんなで郊外で暴れていれば次第に観客も増え始めてしまい、子供達の更に後ろには沢山の人集りが出来ている。


(これ以上は……厳しそうだな)

「そう……で、ござるな……」


 流石に連戦はきつかっただろうか、龍一の表情や足に疲労が見て取れる。


 次が最後だ。そう告げれば龍一の瞳に再び力強い決意の火が宿り、両手を前に詠唱を始める。


 その手を腰に置いて準備が完了したところで自身もまた、上空高く飛び上がった。


(日に一発は大丈夫って事だよな……?)


 絶賛不調中だった右手のせいなのか、戦闘の出だしではその兆候すらも見られなかった砕月だが、ここに来て漸く右手に力が宿るのを感じる。


 空に立ち込める暗雲と共に、手中に渦巻く魔力の嵐。その全てを余す事なく纏め上げ、稀代の英雄が得意とした一撃を完成させる。


(行っけえええ!!)


 放たれた魔力の塊は巨大な球状となって龍一へ襲い掛かり、その全てを受け止めるべく両手を前に防御の姿勢を取る。


「ばッ―――何やってんのよ! 避けなさい!!」


 心配声のカルーアを余所に龍一は怯む事無く防御魔法を複数展開させ、砕月の威力を一枚……また一枚と破壊される度に減少させて行く。


 まるで硝子が割れるように粉砕されて行くのを眺め、最後は半分程になった砕月をそのまま殴り飛ばす龍一。


 自分も滅茶苦茶だと思っていたが、曲がりなりにも勇者……龍一も相当な物だと思ってしまう。


「良い攻撃でござった……事前に知る事が出来ねば、対処は難しかったでござろう」


 そうは言ってもある意味で必殺技のように思っていただけに、難なく防がれてしまった事に少し気を落とす。


(ま、良いか……これでカルーアも少しは大人しくなるだろう。自分の望みを捨ててまで矜持を破らないのは好感が持てるんだが、一緒に行くならそれで死ぬ事は許さないからな)


 その言葉に力強く頷く龍一。


(それと……いい加減これは無しだ)


 そう言って腕に嵌められた輪っかを奪い取り、どうして複数個有る事を失念していたのか過去の自分に歯噛みする。


「あ、あははは……」


 思えば何時からか妙に物分かりの良い龍一に読唇術なんて勉強熱心なんだなと、一瞬でも思った自分を殴ってやりたい。


「凄かったぞー!!」

「いよっ! 流石優勝者!!」


 観客達からの声に手を上げて応え、龍一と共に手を振る。


「ゼロ様」


 その声に振り返ればキビが外套を手に立っており、手渡されたそれを丁寧に着込む。


「素晴らしい戦いに御座いました」


 人前だからなのかやけに丁寧な物言いに戸惑いつつ、目隠し布から覗く表情でそれが嘘では無いと分かりほっとする。


(すまないな……ただ、真剣にやった結果だから……同行を許してもらえると嬉しい)


 子供達に取り囲まれ、一層の称賛を受けている龍一を見てこれで良かったのだと納得する。


「じーっ……」


 そんな中で訝しげな表情を浮かべ、じとりと湿り気の有る視線を送って来るカルーア。


(なんだよ?)

「べっつにー……ま、そういう事なら私も文句無いわよ。せいぜい仲良くやってやるわ」


 あれだけ心配していたと言うのに最後の最後に強がりを見せ、長い髪を靡かせトウの元へと戻るカルーア。


(本当になんなんだよ……)


 そんな風に呆れているとお次はモカが現れ、隣のキビと同様に先程の戦闘を労ってくれる。


「凄かったよ……格好良かった」


 面と向かって言われるとそれはそれで恥ずかしくも有り嬉しくも有る……が、それでも自分への課題は未だ山積みで、一瞬でも弱気になった自分を殴り飛ばしたくなってしまう。


(龍一もな……俺には、あんな真似は出来やしない)


 たった一人の、それも好かれているかさえ怪しい者の為に自分を貫き通すなんて芸当は、真似したくとも叶わない尊さのような物を感じていた。


「えっ……それ、本気で言ってるの?」


 驚いたような怒ったような表情を見せ、モカが覗き込むように尋ねて来る。


「呆れた……何にも分かってないみたいだね」


 そう言うや否や、キビと顔を見合わせ互いに頷くと両側に立たれしっかりと片腕ずつ拘束される。


「ゼロ様、参りましょう」

「今日という今日は、ちゃんとその身に教えてあげなくちゃね」


 口数少なく示し合わされ、半ば宙吊りのような状態で人混みを抜ける事となる。


 龍一達の方をちらりと確認すればカルーアに詰め寄られており、大方文句の一つも言われている事だろう……去り際の横顔はどこか嬉しそうで、その想いが少しでも龍一に伝われば……そんな風に願わずには居られなかった。 


 そうして辿り着いた先は何時ぞやのごてごてとした建物で、なるほどここは娼館というよりも連れ込み宿の類であったかと合点した。


 受け付けはこちらを見るなり特に取り乱したりもせず、淡々と説明をして部屋の鍵を渡して来る。


(おお、流石にプロだな……)


 もうここまで来てしまえば腹も括れるというもので、部屋に押し込まれるまでの間に覚悟を決めた。


 頭上で交わされる会話の内容から数日で随分と仲良くなったようで、それは大変喜ばしいのだがこういう事態は想定外だった。


「男同士で楽しそうにしちゃってさ……ずるいよ」


 そう言われてしまえばそれ以上何を言う事も出来ず、観念したとばかりに両手を挙げて降参の姿勢を見せる。


「こちらでは随分と早く負けを御認めになられるのですね」


 先程までのスイッチが未だ入ったままなのか、そう言って久しく見ていなかった冷たい視線を送られる。


(勘弁してくれ……悪かったよ)


 口先だけの謝罪では何の効果も成さず、二人が何に対して怒っているのか見当も付かない。


「大丈夫ですよ、出発まで時間はたっぷりと有りますから」


 そう言って妖しく光る瞳を前に、早急に答えを見付けなければ身が保たないなと深い溜め息を吐いた。

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