第四十八話 ~特別名誉教授~

《第四十八話 ~特別名誉教授~》


「止まれ。何用だ」


 学園を囲む水堀に掛けられた橋を渡り切ると、警備の者と思しき男に声を掛けられる。


 トレムに入場する際に居た衛兵と違い、その姿は簡素なローブ姿で荒々しさは感じないが……何処か厭な気配を感じてしまう。


 思えば獣王国を出てからと言うものそう言った視線は度々気になっていた所で、そう言えばカルーアの種族はあまり歓迎されていなかったかと思い出す。


 これまではトウとキビが先陣を切ってそうした物から遠ざけていたようだが、これからは自分達がその役目を担うかと思えば中々に前途多難だった。


 そんな考えを見透かすように男と話していたカルーアだったが、一瞬だけ鋭い視線を寄越しては睨み付けて来る。


 先日のやり取りを思い出し両手を上げて悪かったと謝罪すれば、以降は慎重に考え事をしようと固く心に誓った。


「ん」

 先程の事でへそを曲げたか、短い言葉と共に手の平が差し出される。


 話を全て聞いたわけでは無いが恐らくは水薬の事だろう……大人しくそれを差し出すと交渉の結果を待った。


 水薬の製作はカルーアの言った通り宿場町にて材料が揃い、それもこれも足りない物を龍一が用立ててくれたのだから感謝する他ない。


「商人でござるからな」


 そう言った龍一の顔は得意で、二つ名を冠するなら商人勇者となるようだが能力的にそれでは些か大雑把過ぎだろう。


 不安だった水薬の製作は龍一の鑑定によって無事完了しているとお墨付きを貰っているのだが、その効果については名誉の為と口外しなかった部分は好感が持てるものだ。


「お会いになられるそうです。どうぞこちらへ」


 耳元に手を当て何かを話していた男がそう言い、開けっ放しの門を潜ればエルフェリアの時と同様に奇妙な感覚を覚える。


 ぬるりと纏わりつくような何かを抜ければそこは魔法学園……なのだが、自分が小さくなってしまったのかと錯覚するほど建物が大きく、先程までとは見える規模が違う。


「魔法帝国首都の最大にして最高の建造物であるここ、トレム魔法学園にも現在では再現不可能と呼ばれる神話時代の技術も使われております。加えて生徒数も市民の数に匹敵する事から、こういった空間魔法の応用は不可欠なのですよ」


 目が馬鹿になったかと擦っていた自分に丁寧な説明をしてくれる。


 聞けばこの学園の職員のようで、その数も多い事から敷地内にはありとあらゆる施設が揃っているらしい。


 外から見た時はリアモを一回り大きくしたくらいかと高を括っていた訳だが、なるほどそういう絡繰りだったかと漸く得心する。


 視界が慣れてきた所で見渡せば尖塔は外から見るよりも遥かに高く、両側に伸びる敷地は地平線が見えそうなほど続いている。


(案内が無かったら迷って死にそうだな)

「各地の名称を覚えるのも基本中の基本にござるよ」


 経験者の龍一と違い生憎こちらは初体験中なのだ。どう考えても一朝一夕で覚えられる物では無い。


 そうこうしていると広い中庭を抜け、幾つか有る出入り口から漸く建物の中へと入る。


 外観からある程度の予想はしていたのだが、学園の中もそれなりに華美な造りとなっていた。


 まるで高級ホテルを思わせる内装はこの世界の職人に依るものだろうか……中央ホールのような場所には華美な照明と赤い絨毯が敷かれ、落ち着いた色合いの壁面が全体との調和を保っている。


 調度品の類もそれなりに多く、額縁に飾られた写真や格言のような文章が掛けられているかと思えば、変な壺やゲームに良く有る甲冑一式が展示されたりもしている。


「この国を治める魔法帝もここの最上階におわします。ですのでこうした場所は、どうしても明るく華やかな雰囲気になってしまうのですよ」


 興味深げに辺りを見回し、吹き抜けとなっている頭上を見上げれば中央に向かって幾つもの通路らしき回廊が伸びていた。


「こちらへどうぞ」


 そう言って招かれた台座に乗るとローブの男が何かを唱え始める。


 すると途端に台座が音も無く浮き上がり、それと同時に周囲には落下防止用の柵が出現し上昇を始めた。


「こちらの昇降台は来賓専用の物となっております。マクスウェル教授からは、くれぐれも丁重にとの事ですので……」


 なるほど通りで先程までの威圧感が無くなったと思えば、そういう経緯であったかと得心する。


 加えて今まですっかり名前だとばかり思っていたものは、縮めた仇名であったのだとこのとき漸く判明した。


「こちらです」


 馴染みの到着音も無く台座が上昇を止めると、天井はもう随分と近くなっていた。


 眼下に広がる数多の通路に目を奪われ、これでは通学するのも一苦労だなと余計な事を考える。


 台座に向かって伸びていた通路を進むと奥に両開きの扉が有り、そこを数回ノックして男が来訪を告げると中から「開いてるぞー」と返事が聞こえた。


「失礼します」


 先に男が部屋に入り促すのを見て入室を果たすと、最初に目に飛び込んできたのはうず高く積み上げられた本の山だった。


 至る所に出来上がった山脈はこの部屋の主すら隠しており、かろうじて出来た細い道は部屋の奥まで続いている。


「お客様をお連れ致しました! こちらで宜しいのですか!?」

「わーかったわかった。そう急かすで無い」


 随分と年寄り臭い喋り方をするものだと写真の姿を思い返すが、今現在でもそこまでの年齢では無かった筈だ。


 何かの作業をしているのか先程の返答から暫くしても部屋にはペンの走る音だけが響き、加えてこれは香だろうか……充満している甘ったるい匂いが鼻を突く。


 埒が明かないと思ったのか男は一礼すると早々に部屋から退散してしまい、取り残された三人はどうしようかと頭を悩ませる。


「ちょ、ちょっとどうすんのよ……」

「この細い道の先に居るんでござろうか……であれば拙者が―――」

「馬鹿言ってんじゃないわよ! あんたのその腹で通り抜けられる訳無いでしょ!?」

「なるほど! ならばカルーア殿が―――」


 声を潜めて相談をしていたかと思えばその声を最後に龍一の顔に拳がめり込む。


「どこ見て言ってんのよ!!」

「痛いでござるぅ……」


 そんな二人の茶番を見届けると徐ろに拳に魔力を集め始める。


(決まってる。道が無いなら―――)

「それは困る。ここには大事な本が多いからの……」


 考えを見透かすように声が響いた瞬間、部屋に溢れていた本が突如として舞い上がった。


 室内に本の渦が出現したかと思えばそれ等は規則正しく動き、今まで隠れて見えなかった本棚へとすっかり収まってしまった。


 紙の羽ばたきが鳴り止んだ室内には静寂が訪れ、背後の窓から後光を差して少年が佇んでいた。


「待たせて済まなかった。我が帝立トレム魔法学園特別名誉教授、ダルウィニー=マクスウェルだ」


 視線を戻せば整然となった部屋の奥にそう宣言した人物……紛れもないあの写真で見たままのマクスウェル教授が姿を表す。


 綺麗になってみれば部屋の中はギルドの応接室と造りが似ており、奥の大きな机の前には応接セットのテーブルやソファーが並べられている。


 全ての本は片付けられたかと思っていたが机には分厚い本が未だ積まれており、幾つかの頁の隙間から付箋が飛び出していた。


 マクスウェル教授―――ウェルはその机の前に佇み両手を腰に当て、胸を張ると高圧的な態度でこちらに視線を投げ掛ける。


「何やら懐かしい名が聞こえた気がしたが―――」


 その言葉にカルーアが一歩前に進み、先程と同様の封筒を広げる。


 どうやら何時の間にか用意された物らしく、それ等を見るのは初めての事だった。


「最長老様とジャック様からの物よ。感謝しなさい」


 そう説明されるや否や封筒は独りでにカルーアの手から離れ、ふわふわと室内を漂いウェルの元へと収まる。


 慣れた手付きで封筒を開け、またまた何処からか漂ってきた短く細長い煙管を咥えれば火皿……だっただろうか、そこへ自動的に火が灯った。


「なるほど……ああ、掛けてくれたまえ」


 そう言ってウェルは手紙から目を離さず、丸眼鏡を中指でついと上げれば片手で促す。


 その言葉に従い各種装備を魔法鞄へとしまい、バルムンクをソファーに立て掛けると腰を下ろし読み終わるのを待つ。


 カルーアと龍一もそれに倣いソファーに腰を下ろし、暫く待っていると何時の間にかテーブルには温かいお茶とお菓子が用意されていた。


 先程までは明らかな魔力の気配が有ったにも関わらず、この突然の光景にしばし絶句してしまう。


 どうやら英雄パーティの一員というのは伊達では無く、こうして力の差を見せ付ける事で漸く武装を解除しなくても良い理由が分かった。


「昨日今日魔法を覚えたひよっ子どもに遅れを取るつもりは無いわ」


 そう言って再び考えを見透かすように言葉を吐いたかと思えば、テーブルに置かれた紅茶を美味そうに啜るウェル。


 どうやら見た目どおりの子供という訳では無く、その実力はジャックと同等かはたまた―――。


「ふむ。なるほどの……事情は分かった。して、我に何を望む?」


 読み終えた紙束をテーブルの上に置き、値踏みするように尋ねるウェル。

 高圧的な態度は変わること無く、不遜な物の言い方が鼻に付く。


「この子の……身体を元に戻してほしいんです!」


 久しぶりに見るカルーアの余所行きモードに目を丸くし、不安そうな声色に少々驚いてしまう。


「ふむ。いまいち要領を得ないのぉ……仕方ない―――」


 そう言うとウェルは持っていた煙管をくるくると回し、何やら詠唱を始める。


 大人しく見守っていると目の前に淡く輝く球体が現れ、それがウェルの元へと漂って行った。


 光球はカルーアや龍一の体からも出現しており、その行く末を黙ったまま見届ける。


「これは彼の大賢者様が最も得意とされた魔法……暴れるだけの暴君を諌め、先手を打つ為に開発された正真正銘の魔法よ」


 そう言うとウェルは光球を手中に収め自身の中へと取り込む。


 目を瞑ったまま俯いたかと思えばかっと目を見開き

「そうか、そういう事であったか―――」


 と、僅かに口角が上がった。


「そこの二人は異世界人で、もう一人はシア……リティシアの縁者か……」


 突如として言い当てられる出自に驚き、先程の球はそう言った類の魔法だったのかと推測する。


 その考えを肯定するようにウェルはゆっくりと頷き、そして―――


「カインとシアは逝ったか……」

 そう呟いた。


 部屋の中に重苦しい空気が充満し、自身の罪の重さに押し潰されそうになる。


 しかしここまで来て押し黙っている訳にも行かず、あの夜の一部始終を訥々と語り始めた。


(最初から意味が分からなかった。自分がどうしてこの身体……リュカの中に居るのかも、その両親が狙われていたのかも。今でも全てを理解しては居ない。だが、それでもやれる事が有るのだとしたら……少しでも希望が有るのなら、それに賭けてみようと思った)


 ずっと前にグラムから言われた蘇生魔法の事をウェルに伝え、魔族領にはそういった魔法が存在するのかと尋ねる。


「蘇生魔法か……人類の夢だのぉ」


 遠くを眺めるように呟き、甘ったるい煙を吐き出すウェル。


「確かに、魔族領まで行けばそれも叶うやも知れんな……」


 その言葉に立ち上がれば落ち着けと片手で制され、渋々と再び腰を下ろす。


「はてさてどこまで話して良いものやら……見ればそのグラムとやら、肝心の部分は話しておらんようだったからの」


 あの短時間でどこまで把握していると言うのか、久しぶりに聞く相棒の名前に懐かしさを感じてしまう。


(グラムってのは……一体何なんだ?)


 自身の中で半ば答えが出ている疑問をぶつけてみる。


「その質問に答える前に……我が英雄パーティと呼ばれる一員で有った事は知っておろうな?」


 ウェルの言葉に頷く三人。随分と昔に撮ったと思われるものだが、そこには紛れもなく英雄レイジ、賢者ミリィ、現ギルド長の二人、それと……リュカの両親に目の前のウェルが写っていた。


「随分と懐かしい物だ……あれからもう十年以上は経つか―――」


 幾ら気張っていても軽々しく思考を読んで来るこの無遠慮さも、今の自分にはどこか腹に据えかねる物が有った。


「そう怒るでない。話が早くて良かろう……さて、その魔剣グラムとやらの正体だったか―――」


 落ち着き払った態度で上品に紅茶を飲み、カップを置くと真剣な面持ちでこう言った。


「俄に信じ難い事ではあるが……恐らくは馬鹿弟子、レイジなのであろうな」

 と―――。


 一つの疑問が氷解し、それと同時に新たな疑問が生まれる。


 だとしたらグラムは自分に何をさせようとしていたのか。

 どうして魔王を倒しに言ったはずの英雄が剣に閉じ込められているのか。


 共に戦った仲間は?

 魔王は?

 蘇生魔法は?


 そして、賢者ミリィは何処へ行ったと言うのか―――。


「待て待て、少し落ち着かんか。先ずはそうだの……巷で噂になっとる英雄譚を知っておるな?」


 ウェルの言葉に頷く。

 それはここに来るまでに各国で度々聞かされた英雄一行の冒険譚だ。


「うむ。彼奴は勇者と呼ばれる事を頑なに嫌っておってな……自らを称する時も必ず、自分は英雄なのだとほざいておった」


 各地で呼び名が違うのにはそういう経緯だったかと知る。


「自分勝手で女好きで……その度にミリィ様に怒られていたのをよく覚えておる」


 どうやらその部分に食い違いは無いようで、グラムと通ずる部分も有ればすんなり受け入れられた。


「話が逸れたか……諸々は省くが、魔族領に潜入したのは我とレイジとミリィ様の三名のみ。他の者は旅の途中やその寸前で別れたのだが……理由は分かるな?」


 そうでなければお前はここに居ない。そう諭す視線に黙って頷いた。


「結果として魔王と相対し打ち倒したが……結末はそうだのぉ、本人にでも聞くとよかろう」


 肝心な部分で話を打ち切られ、肩透かしを喰らった格好になる。


 だがそれでも構わなかった。重要なのはそこでは無く、今の自分がここを訪れた理由それは―――


「魔力回路の正常化……と言った具合いかの? どれ、少し見てみるとしよう―――」


 ウェルが立ち上がると前へ立つようにと促され、それに従いテーブルを避けて対峙する。


 目の前に立った少年は自分と同じか僅かに低いか……この場の誰よりも小さかったが不遜な態度が変わる事は無い。


「実際に偉いのだ、勘違いするでない」


 そう言うと片手を翳しつぶさに観察を始めるウェル。


 時折短い相槌を打つと手を下ろし

「なるほどのぉ……」

 と呟いたかと思えば、声を殺して笑い始める。


「無様な封印術は馬鹿弟子の仕業か……魔術が苦手だった彼奴らしい」


 そう悪様に罵った。


「加えてそこに精霊術……これはティアーユ殿か? ……なるほど、相性は最悪のようだ」


 今日ここに至る迄、実に様々な人の手に依って自分は生かされてきた。


 時に知恵を。時に力を。時に自身の身を投げ売ってまで、そうした人の助けに依ってここに立つ事が出来た。


 返し切れない多大な恩は無遠慮なその一言で比例する怒りへと姿を変え、嵐のような魔力の奔流が噴出する。


「ちょ、ちょっと! 何やってんのよ!?」


 慌てふためくカルーアの言葉に耳を貸さず、湧き上がる怒りと魔力は尚も激しさを増して行く。


「怒り……か。粗暴にして安直な力だ。ふむ、随分と短気だのぉ……彼奴とはまるで正反対ではあるが、直情的な所は似ておるのやも知れぬ―――」


 そう言うとウェルはパチンと指を鳴らし、一瞬にして周囲の景色を変貌させる。


 本に囲まれた部屋が瞬く間に消えたかと思うと、次の瞬間目に飛び込んだのは武闘祭のような正方形の武舞台だった。


 これも魔法だと言うのか……部屋が消えてしまったせいで今まで腰を下ろしていた二人は尻餅をつき、立て掛けてあったバルムンクが音を立てて倒れた。


「この学園内限定の魔術だが、思い上がった馬鹿者を排除するのに丁度良い」


 舞台の周りは高い塀に囲まれており、獣王国のような観客席も設けられている。


 規模こそ小さいものの、ここも学園の中だと言うのか……しかしこちらとしては好都合。これで遠慮なく殴る事が出来る。


「それが届けば―――だがの」

(うるせぇ!)


 勇み、叫んだ一撃はウェルの顔面目掛けて一直線に放たれた。


 手甲に依って固められた拳は魔力を纏い、並の防御では無に帰すほど溢れ出す力を可能な限り凝縮していた。


 横っ面に入れられる筈だった拳は激しい金属音を放ち、ウェルの頬へあと数センチの場所で停まっている。


「無様な攻撃だの……避ける迄も無い」


 受け止めた玩具のような煙管の先には小さな魔法陣が展開されており、それはかつて勇者達との闘いで見たものと酷似していた。


「貴様のこれまでは単に運が良かっただけ……真の強者と対峙せず、逃げ続けただけの末路と知れ!」


 厳しい目を向けたかと思えばウェルは途端に飛び上がり、上空へその身を移すとローブの中から紙束を放り投げる。


 周囲に散り、はらはらと舞う紙の群れは次第に意志を持つかの如く飛び始め、ウェルの周りを規則的に動き始める。


「これは我が絶魔―――名を【魔導決殺陣】と言う。絶魔とは彼の大陸で呼ばれていたその者の最も得意とする魔法……相手を絶対に殺す魔法との事だ」


 講釈を垂れるウェルだが、その間にも攻撃は自動的に行われていた。


 上空から飛来する炎、氷、土塊、岩、電撃に光線と間断なく続く攻撃は容赦が無い。


「魔力の少ない我にとってミリィ様との出会いは僥倖であった。そんな止事無きお方と創り上げた魔法……とくと味わうが良い」


 弾き、躱し、いなしては居るが一撃の重さはあの獣王にすら匹敵する。


 とてもじゃないが無詠唱とは思えない威力の魔法は確実に自身の体力を削り、防御に専念していた両手もあと数分で使い物にならなくなるだろう。


 あまり心配してはいないが自分だけを狙うと言うなら好都合だ。カルーアの側には龍一が付いている……打って出るなら今しか無いだろう。


「良い判断だ」

 ウェルの元まで一息で飛び上がれば間髪入れずに魔法で迎撃される。


 それを気合いを入れた拳で弾き、殴り掛かろうとした直前


「甘い」

 と、先程までとは桁違いの危うさを感じる。


 ウェルの周囲に展開していた一枚の紙の中から放たれた何の変哲も無い火球は、出現した瞬間に濃密な死の匂いを予感させた。


 手を伸ばし切る直前でなんとかそれを引っ込めると、慌てて足場を作り上空へ逃げる。


 眼下では火球がスローモーションのように動いており、紙から完全にその姿を現すと一直線に伸びて外壁を貫く。


「感知に関しては及第点かの……いや、それも獣の特性か―――」


 言い終わる前にウェルの頭上から大岩が射出され、無理な回避行動の代償は反撃の糸口すら掴ませない。


(ぐッ―――)


 大岩の直撃によって防御こそ間に合ったものの、その身を悠々と上空へ押し上げられる。


「どうしたー、さっき迄の威勢は口だけかー?」


 分かりやすい挑発に乗せられこの身に掛かる重圧を両手両足で弾き飛ばす。


 眼下に見据える相手を最早人として捉えず、頭の中には怨嗟の声が響き渡っていた。


「砕月か……本当に魔力だけは出鱈目だのぉ。しかし妙な話でもある……どういう絡繰りなのか、それを解き明かすのもまた一興―――」


 そう呟くなりウェルは煙管を左手に持ち、右手へ紙束を集めると収縮し纏め上げる。


(こ、の……くたばれクソがぁ!!)


 数々の苛立ちと怒りを内包し、英雄の得意とした魔法が放たれる。


 それは巨大にして凶悪な程の魔力を有し、明確な殺意を宿して一直線に放たれた。


「■■、■■」


 ウェルが口を開いたかと思えば耳を劈くような金属音に似た何かが響き、高くも有り低くも有るそれが重複した声だと判明するのはもっと後の事だった。


 たった数語で詠唱を完了し、右手に全く同じ魔法を再現すると目前に迫ったそれに放つウェル。


 直撃必死のそれは互いにぶつかり合うと拮抗を始め、数瞬の後に激しい爆発と共に消えた。


「ここまで来ると怪獣大決戦のようでござるな……」

「なによそれ……こらー、もう好い加減にしなさーい!!」


 爆発後の噴煙が晴れると目の前で起こった出来事が上手く呑み込めず、力無く地上へと落ちると龍一が優しく受け止めてくれる。


「大丈夫でござるか!?」

(……ただの、魔力切れだ。心配無い)


 後先考えずに全ての魔力をぶつけた訳だがそれすらもあの子供のような姿のウェルには通用しなかった。


「久しぶりに体を動かしたが意外と覚えておるもんだのぉ……お陰で処置が容易になったわ」


 地上に降り立ったウェルはそう言って何枚かの紙を取り出すと額、胸、腹、足と次々に貼り付けていく。


「無骨で無様でちぐはぐで……如何にも彼奴がやりそうな事だが、それ故にどれほど入れ込んでいたかが手に取るように分かる」


 そう吐き捨てるように呟いてはてきぱきと手を動かし処置とやらを進めている。


「来た時の状態で始めようものなら忽ち爆発四散していたやも知れぬ……我はまだ死にとう無い」


 どうやらあの時の言葉は冗談等では無く、本当にそうだったのかと背筋が凍る。


「とは言えそれで生かされて来たのも事実……あの性悪神の考えそうな事よ」


 会った事が有るのか―――そういった視線を感じ取るとウェルはゆっくりと頷く。


「一度だけだがのぉ……そら、もう寝とれ。お主達は別室で―――」


 額に最後の一枚が貼られると急激な睡魔に襲われる。


 薄れゆく意識の中、抵抗も虚しく次第に皆の声が遠ざかって行った。


(あの神が……この世界に?)

 考えてみれば当然の話で、招いた張本人である以上そこに疑う余地は無い。


 これまでに何度かその姿を見ては居るが、それはどこか自分だけの特別な物だとそう思い込んでいた。


(だとしたら何故……?)


 非現実的な空間にしか現れないという先入観はウェルの言葉であっさりと覆り、そうであるならと見える希望も出て来ると言うものだ。


 もしかしたら……そんな考えが不意に頭をよぎった瞬間、へばりついていた睡魔が頂点を迎え瞼がすとんと落ちた。



「―――起きたか」


 目が覚めれば翌朝……なんて事も無く、ウェルの言葉に体を起こせばそこは元の部屋だった。


 ウェルはそう言うと再び机の上の本へと目を戻し、煙管を咥えて書き物に勤しんでいる。


「具合いはどうでござるか?」


 対面のソファーに座っていた龍一が心配そうに尋ねるので軽く動かしてみるが、特別に痛む箇所などは見受けられなかった。


「当然だ。我が診たのだ……万が一にも失敗など有り得ぬ」


 不遜な態度は相変わらずで、退屈そうに呟き煙と共に吐き捨てる。


 身を捩り、腕を回し、各関節や頭を振って確認しているとカルーアが歩み寄って来る。


(なんだ?)

 そう尋ねた瞬間頭上に拳骨が落ち、目の前に星がちらつく。


(なにすんだよ!!)

「なにじゃないわよ! あんたはもう、毎回毎回滅茶苦茶過ぎよ! 治してもらう相手に喧嘩売ってんじゃないわよ!!」


 物凄い剣幕のカルーアに喰って掛かるようにソファーから立ち上がると、おろおろと心配する龍一を余所にウェルは肩を揺すり笑っていた。


「そう怒ってやるな。先も話したように、あれは必要な事だったからのぉ……其奴の性格を考えれば、ああなるのは当然よ」


 そうだろう? と、問われるような視線に不快感を示し全ては掌の上だったかと理解すれば仏頂面のまま腰を下ろす。


「流石はシアの縁者と言うべきか……言動は似るものだのぉ」


 そう言って懐かしむ素振りを見せるウェルだが、そんな風に感情任せの粗暴な一面は記憶に無い。


「ほぅ、それは興味深い。子を産み母と成った事で、少しは淑やかさが身についたか……そうかそうか―――」


 口振りから冒険者だった頃は相当なお転婆だったと推測するが、自分の中の記憶ではそんな部分を僅かにでも感じた事は無い。


 文字通り傍から見ていても、仲睦まじい理想的な夫婦だったと記憶している。


「理想的……そうかも知れぬな。初めてエルフェリアを訪れた際にカインはシアに一目惚れをし、殺されかけても求婚しておったからの」


 初めて知る衝撃の事実だった。


「丁度、そこの小僧のように……」


 途端に白羽の矢が立ち、自身に人差し指を向けて呆ける龍一。


「せせせ、拙者はそんな―――」

「求婚しておいて何を慌てる……シアと言いそこのカルーアと言ったか? 森人の女は慎ましいと聞いていたが、一度突っ撥ねるのは―――」

「ウェル様!!」


 話をぶった切るようにカルーアが叫び、その声の大きさに目を丸くするウェル。


「……まあいい。昔話はこのくらいにしておくとしよう……身体はどうだ?」


 立ち上がり、何の変化も見られないかと思っていたのだが心無しか体が軽く感じる。


「そうであろう。封印術と言えば聞こえは良いが、あれでは自身の魔力で重りを付けているような物……今まで動けていたのは奇跡に近い」


 その言葉に呼応するかのようにそれは次第に明瞭となり、今の今まで混然となっていた流れをはっきりと認識する。


「それが正常なのだ……普通ならとっくに消し飛んでおる」


 そう言ってちらりと送った視線の先には疼痛の無くなった右腕が有った。


 思い切り握り締めてもこれといった違和感は感じられず、それどころか以前よりも格段に操りやすい体に世界の景色さえも変わってしまったようだと戸惑う。


「そんな状態でジャックと良い勝負をしておったのは信じられぬが……無鉄砲なのは師匠譲りかの」


 グラムの教えではそれを許さない方針だったと思うのだが昔は違ったのだろうか。


 無鉄砲なのも無茶をやれるのも、偏に仲間が居ればこそなのかも知れないと勝手に納得する事にした。


「調子の良い話ね」


 そう言って呆れるカルーアの言葉に少々の反省をしつつも、これこそが本来の力なのだとしたらきっと―――


「それは無理な話よのぉ」


 と、考えを見透かすようにウェルが呟いた。


「魔力の流れが正常化した今なら獣王にも勝てる、我にも勝てる……そう思ったのだろう? だがそれは無理な話だ。そもそもの根底が違う」

(根底?)


 投げ掛ける疑問に左様と頷くウェル。


「先程の戦闘でそれが分かった。本来ならば対人技術はもっと後に教えるつもりだったのであろうが……残された時間は短かったようだ」


 あの日、グラムが奪われた事を言っているのだろうか。一段上の高みから蔑んだ眼差しを向けるウェル。


「今まで死ななかったのは運が良かった、この言葉を撤回するつもりも無い。多大な魔力にあかせた殴り合いなど、児戯のそれと同義よ」


 言い回しの癖が強すぎて頭の中が少し混乱する。


 それでも嘲笑されている事は感じ取れるものの、負けた今となってはその言葉に憤慨する気も無い。


「獣や魔獣、怪物といった人間以外の相手ならそれも良いだろう……しかし一度それが人間相手となれば躱し、去なし、実に様々な方法で無効化する事であろう」


 その言葉にこれまでの戦闘を思い出し、今しがた呈された苦言を無理やり呑み込む。


「何度も言うが運が良かった……これは肝に命じておけ。でなければジャックの阿呆が撃った技で、貴様は今頃この世におらぬわ」


 その言葉を聞いて肩を落とすよりも先に、やはりなと納得する気持ちの方が大きかった。


 止めに入ったパルの口振りでは本当にヤバそうだという事くらいしか分からず、我慢出来たのは砕月で威力が減ったのかとも思ったのだが……何てことは無い、単に手加減をされていただけに過ぎなかったのだ。


「それでも十分ではあるが……悔しくとも憤ろうとも、敗者に振う弁は無い」


 それを圧倒的な強者が言えばそれこそ反論する余地は微塵も無い。


(なら―――)

「お断りだ。もう弟子は懲り懲り……何より我には未だやる事が有る」


 先読みで門前払いを喰らい、ぴしゃりと言い渡される。すると―――


「あ!」

 と、龍一が叫んだ。


 当の本人はしまったというような顔を浮かべており、心を読ませまいと両手で口を隠していた。


 その光景にウェルは暫く龍一を見詰めていたが、何事も無かったかのようにまたペンを走らせる。


 固まったままかと思われた龍一だが途端に決意を固めた表情になると


「そう言えばゼロ殿は錬金術……特に水薬に関して秀でておりましてな」


 ウェルの元へ歩み寄ったかと思えば何やら思わせ振りな口調で話し始める。


「獣王国でもその手腕によって沢山の人々が助けられたのでござる―――」


 途端に話を振られ、差し出される片手に意図を察して水薬を渡す。


「それは―――!!」


 一目で見抜いたというのか、今まで何事にも動じなかったウェルが両手を突いて立ち上がる。


「お察しの通りにござる。ウェル殿専用特別水薬……品質は拙者のお墨付きでござるよ」


 そう言って自身の目を指し、勇者のみが持ち得る技能は万能とばかりに誇る龍一。


 大凡の事は把握したと言っていたが本当に大雑把なのだろう……驚き方を見てもそれは明らかであったし、何よりあの短時間では細かい所までは知られていないらしい。


 そうであれば自身の色恋沙汰についても未だ知られていないという事だろうか……その点は自分以外の人間も関わって来る話なので、出来れば遠慮してもらいたいものだ。


「安心せい、他人の情事などあの馬鹿と旅をして見飽きとるわ」


 そう言われればそうなのだろうと納得せざるを得ないが、それでも良い気分はしないのが本音だった。


「ふむ、しかしな……」


 そう言うとウェルは再び黙り込んでしまい、腕を組んで紫煙をくゆらせ悩み始めてしまう。


「何もこれを材料に交渉しようと言う訳ではござらん。拙者達の目的はグラム殿の奪還にござれば、あの勇者達に対抗する手段をお聞きしたいのでござる」


 漸く本来の目的を思い出せばハッとし、龍一を見ればそうだろうとばかりに片目を瞑り同意を得るような仕草で微笑まれる。


 治療が済んだという事なら話は簡単だ。神聖国に行きグラムを奪い返……せれば良いのだが、敵陣ど真ん中となれば激戦は必至。必ず行く手を阻まれるだろう。


 返事が来る前にウェルの前に水薬瓶を置き、差し上げるとばかりに両手で示す龍一。


 本当に交渉する気が無いのかと疑ってしまうが何て事は無い、自分があの少年神にやった事と同様の駆け引きを行っているのだ。


「喰えない奴だの……腹芸は商人の技能か?」


 ウェルの言葉に照れ臭そうに後頭部を掻く龍一。


「私からもお願いします。そんな方法が有るなら、是非―――!!」


 そう言って頭を下げるカルーア。


 あのじゃじゃ馬が随分と従順になったものだと感心していると、さっさと頭を下げろとばかりに睨み付けられる。どうやら気のせいだったようだ。


「そこまで言われては仕方が無い……やるだけやってみるとしようかの―――」


 その言葉に顔を上げ笑顔を作り出すも瞬時にそれを諌めるウェル。


「だが喜ぶのは早計……ゼロ、と言ったな。死ぬ覚悟は有るか?」


 突然の質問だったが当然のように首を振る。


(死ぬ気でやれって言うならそうしよう。生憎とこの体は持ち主に返すと決めている。それに―――)

「それに?」


(色々と先約が詰まっている)


 そう言って脳裏に浮かぶ各人の顔……勝手に死ぬ事は許されない。


「くっくっく……なるほどのぉ。どうやら女好きは師匠譲りのようだ」


 そう言って愉快そうに笑うウェルの言葉に、本当にどうすれば抵抗出来るのかを早く教えてもらいたかった。


「そう急く必要もあるまい。基本を学べばそこの二人と同じくらいにはなるからの」


 そうだったのかと二人を見れば、無言のまま小さく頷かれる。


「お主の魔法は基本を知らずに応用を使っているようなもの……きちんと基礎さえ学べば今以上に強くなれると思うておる……多分のぉ」

(多分……)


 妙なところでグラムと似たところが有り、今まで明瞭としていた返答に僅かな翳りが見える。


「仕方なかろう。こういった手合いは初めて……でも無いが、彼奴はほんっとうに物覚えが悪かったからの」


 それは馬鹿弟子と罵ったグラムの事を指しているのだろうか。


 だとすれば自分からしたら信じられない話で、あの時に見せてくれた魔法の数々は何だったと言うのか。


「それは我にも分からん。長い年月の間に学んだか、或いは別の何かが有ったか……」


 必要に迫られれば厭でも覚えるのは身を以て知っている。


 だとすればウェルの疑問を解決できるのは本人以外に居ないのだろう。


「そうだの……時にゼロよ、ジャックと我の二戦の中で、お主は自身の欠点について自覚しておるか?」


 そう問われて頷けばウェルは一瞬驚いたような表情を見せた。


(魔法の凝縮なのか貫通力なのか、或いはその二つなのか……攻撃にムラが有りすぎるってところか?)


 眠りに落ちる前、カルーアの大技について言及していたのを覚えていれば誰でも分かる。


 それにその問題は兼ねてから自分の中に有ったもので、悔しいがウェルに言われた事は全て的を得ている。


「図星だったんじゃない……」

(うるせえな)


 落胆するような瞳に悪態を吐くと、ウェルは満足そうに頷いていた。


「目は良いようだのぉ……頭の回転も悪くない。だとすればそうだの―――」


 そう言って懐から時計を取り出し確認すると、机の上のベルを鳴らした。


 部屋に上品な鐘の音が響いたかと思えば、暫くして現れたのはお団子頭の女性だった。


「お呼びでしょうか?」


 長い黒髪を上部に纏め、ウェルとは違い厳しそうな印象の眼鏡が丸い目元と打ち消し合っている。


 厚い唇が艶かしく、野暮ったいローブの上からでも体付きが分かってしまうほどその隆起は女性らしさに富んでいた。


「呼び立てて済まないのぉ。此奴と此奴を、この学園に入れてやってくれ」


 そう言い放ったウェルの顔は真剣で、それが冗談の類では無い事は一目で分かった。


 戸惑う素振りも見せずに頷く女性の顔に、どこか初対面の頃のキビを思い出してしまい、自分の預かり知らぬ所で何かが始まろうとしていた。


『奇縁に恵まれているのだ、誇ると良い』


 何時だったかそう言ったグラムの言葉が思い起こされ、粛々と取り出される制服を前にウェルへ向かって抗議を始めた。

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