第四十九話 ~帝立魔法学園~

《第四十九話 ~帝立魔法学園~》


(ふざけんな! 俺達は―――)


 今にも飛び掛かろうとする獣を前に短い煙管が行く手を阻む。


「ふざけてなどおらぬ。面倒な基礎を我が手ずから丁寧に教える暇も無い。であればここは幸いにも学徒の集う学び舎……勉強には丁度良かろ?」


 挑発するような視線を向けられても尚、自分の心の中にわだかまりが有るのが事実だ。


 ここで学ぶと言う事は何故だかビオラに申し訳が立たない気がしてしまう。


「無詠唱と実詠唱の違いか……確かにそれも間違いでは無い。魔法の強度は如何に詠唱を紡げるか、それに懸かっておる。だがの、我が言っておるのはそれ以前の問題……基礎も基礎、そういった類の話よ」


(基礎……?)

 訝しむ声にゆっくりと頷くウェル。


「魔法を実体化し、発動させるには詠唱によって制御する必要が有る。大気中に漂う魔素を己が体内に取り込み魔力へと変え、詠唱を以て命令を与える―――」


 ここまでは理解しているかとの視線に黙ったまま頷く。

 かつてビオラが教えてくれたものと同じ内容だ。


「故にこの世に魔法使いはおらぬ。漂う魔素に直接命令を下し、発現、行使出来たのは後にも先にもミリィ様お一人だけ―――」


 以前カルーアが言っていた言葉を思い出し、どこか悲しそうに呟いた意味が漸く理解る。


「我らが使うのは魔術……便宜上魔法と呼んではおるが、それも憧憬から来る虚しき呼称よのぉ……」


 無限の魔力みたいな話だろうか……次第に脱線していく話に頭が混乱しそうになる。


「すまんすまん、話が逸れたのぉ。先の戦闘で分かった事は二つ……一つは練度の低さ。大方魔法が使えたと喜び、基礎を疎かにしていた者の典型的な例だのぉ」


 言い返したくなる気持ちを抑えぐっと堪える。


 魔法の訓練などグラムから聞いてはおらず、身体強化と二段ジャンプ、各種便利魔法くらいなもので、それを強くしよう等と考えた事は無かった。


「二つ目は決定力不足。砕月は確かに絶魔の名に相応しい威力であり、彼の魔王にさえも通用する物だが……所詮は借り物。お主独自の物が必要だろう?」


 それはバルムンクを媒介にしても同じだと言うのだろうか。


 ここに来てからというもの沈黙を続けたままの魔剣が少し不気味だった。


「大方心を読まれまいと閉ざしておるのだ。形は違えど吸魔の魔剣か……随分と懐かしいものだ」


 そう言って立て掛けられた大剣に目を向けるウェル。その瞳は昔を懐かしむように、少しだけ憂いを帯びていた。


「以上二つの問題点を解決する方法が、史上最高の天才にしてこの学園の名誉教授である我には有る! が、準備に時間が掛かる故、それまでは大人しく勉強でもしておれば良い」


 偉そうな態度を極限まで高めて言い放ち、ウェルは再び挑発するような笑みを向けて来る。


(本当に大丈夫なのかな……)


 途端に不安になる気持ちを殴り飛ばすように、カルーアが制服一式を手渡して来る。


「不安に思っても仕方ないでしょ。それよりもほら、さっさと着替えちゃいなさい。あんたはあんたで、私は私。やる事がつかえてるのよ」


 そう促され渋々と制服に袖を通す。


 衆人環視のなか着替えを済ませると、久方ぶりの学生服にどうしても違和感が拭えない。


「あーっはっはっは! あんた、絶望的に似合わないわね!!」


 学ラン風の制服に橙色のローブを羽織れば忽ちカルーアが爆笑を始めた。


 殴りたくなる気持ちを必至に抑え、凝った意匠を隈なく観察する。

 詰め襟から肩の部分は白く、袖口や裾は青く縁取られている。


 ローブは一般的な物と大差無く、フード付きのそれは左胸に制服と同じ校章と学年を示す文字が縫われていた。


 自身の記憶にある制服とは大分勝手が違っているのだが、無駄にひらひらとした馬鹿みたいなデザインでは無かったので胸を撫で下ろす。


 その間にもカルーアは笑い続けており、流石にしつこいなと思った瞬間それを諌めたのは龍一だった。


「カルーア殿」


 静かな声だったが目には力が入っており、そうして窘める姿を見るのは初めてだったし何より、それに素直に従うカルーアにも驚いてしまう。


「なによ、そんなに怒らなくても良いじゃない……」


 いじけたように口を尖らせるカルーアに直ぐさま態度を変え、取り繕うように謝罪をすればやっぱり何時もの感じかと安心した。


「初めは初等部にでも放り込んでやろうかと思ったものだが、その様子ならもう少し上でも問題無かろう……イザベル君、後は頼んだ」


 ウェルがそう言うと今まで蚊帳の外だったお団子頭の女性がついと前に一歩歩み出て、恭しく頭を垂れると静かな口調で自己紹介を始めた。


「当学園の講師を務めるイザベルと申します。専門は主に攻撃魔法全般と、中等部B組の担任をしております」


 穏やかで澄んだ声が室内に響く。


「ウェル教授のお客様とお聞きしておりますが、当学園にご入学なされるのでしたらこちらに署名を―――」


 そう言って取り出された羊皮紙のような紙には幾つかの文言が書かれていた。



 一、当学園の方針を理解、遵守し、他者を害する全てを禁ずる。

 ニ、敷地内では移動に用いる魔法以外の全てを禁ずる。

 三、他者を尊重し、博愛の精神を以て接する事。

 四、天災含め、如何なる事態で落命せしめたとしても、当学園に一切の責任は無いものとする。



 書面の題は特別転入生規約書―――色々と書かれてはいるが要は問題を起こすな、無闇に魔法を使うな、死んでも文句を言うなという事か……。


 細々した部分は学園の方針とやらに書かれているのだろうが、そんなものをちまちまと読む手間が省けて結構だと思う。


「その紙に強制力は無い。安心したまえ」


 本当だろうかと疑うものの、龍一も一緒なら大丈夫かと名を記す。


「これにて入学の手続きは終了となります。では行きましょう―――」


 そう言うとイザベルは歩き始め、ウェルと共にカルーアが見送りに立つ。


 てっきり一緒に行くものだと思っていたばかりにその光景を不思議がっていると


「この学園にエルフはおらぬ。エルフ独自の魔法はエルフェリアにしか無いからの」


 と言った。


「そういう事よ。しっかり勉強してきなさい。あんたの大剣は私が見といてあげる」


 視線を送れば短く一鳴きし、それ以降はやはり殻に閉じ籠もるかの如く沈黙してしまった。


「そうそう、これは単なる世間話だが―――」


 もったいぶった前置きをしてウェルが言葉を吐く。


「人は神と獣、どちらかのぉ?」


 室内の全員から視線を送られ、そんな訳の分からない与太話に答えろと言わんばかりに場が静まり返る。


(神か獣―――)


 そんなもの今まで一度も考えた事は無く、何らかの意図が隠された質問に頭を悩ませるが―――


(生憎とそんな事は知らん。人は人だ、神でも獣でもない。そういう小難しい話はもっと頭の良い奴にするんだな―――俺にとってはどうでも良い。必要なら神にも獣にもなるんだろ?)


 そう言い放ち、逆にお前はどうなんだと挑発するように睨み付ける。


「なるほど……確かにそうやも知れぬな。っと、来客のようだ……行って良いぞ」


 そう言うとウェルは満足気に椅子へ腰を下ろし、にこやかな笑顔のまま三人を送り出した。


(なんだってんだ……)


 意味の分からない質問をされ、意味の分からないまま送り出されればそう思うのも当然だった。


「深い問答でござったな」

(なにが?)


 昇降する台座に乗り、長い廊下を歩きながら小腹が減ったので出してもらったパンを頬張っていると、感慨深そうにそう呟く龍一。


「先程の質問でござるよ。人は神か獣か、はたまた別のものか―――考えさせられる質問にござる」


 うんうんと両手を組んで頷き、思慮深く頷く龍一を前に話を始める。


(明確な答えが無い質問は他人を理解する為……俺が自問自答するのは自分の為だが、他人の……ましてや興味本位の問い掛けに態々頭を使ってやるつもりは無い)


 と、ばっさり切り捨てた。


「本当にお二人は馬が合わないでござるな……」


(合わない訳じゃない。合わせるつもりの無い相手に、こちらから歩み寄るのも面倒なだけだ)


 口調が粗くなり僅かに語気を荒げる。


 前世にもそういう無駄を好んで悦に浸る馬鹿が多かったが、救いなのはその有象無象の馬鹿共と違いまともな地位を有している所か―――。


(ああいう手合いは真面目に相手をすると痛い目を見る。どうでも良い事は考えない事にしてるんだ)


 自分の中で答えが出ているなら尚更だろう。隠した気になっているようだが、英雄一行の話はうんざりするほど知っている。


「それにしても次から次にイベントが終わらないでござるな。流石は物語の主人公にござるよ」


 龍一の言葉に首を傾げれば、それを見届け満足そうに頷かれる。


「初めてゼロ殿をお見掛けした時、その不思議な雰囲気に目を奪われたでござるよ。それと同時に、漸くこの世界が動き出した……そう強く思ったのでござる」


(なんだそりゃ……)


 龍一の言葉に呆れ返し、これが予め決められた運命なのだとしたらやはりやる事は一つなのだと今更ながらに強く心に刻む。


 そんな他愛も無い話をしていれば教室に到着したようで、前を行くイザベルが大きな扉の前で立ち止まるとくるりと向き直る。


 廊下もやはり最初の大広間と同じような装飾が施されており、中世の宮殿を思わせる大理石風の床には赤い絨毯が延々と敷かれていた。


 天井は豪奢に飾られ壁は一面が白く、所々に木の温もりは感じられるもののどこか機械的に感じられる。


「この扉の向こうは私が担任をしているC組となっております。貴方達は今日から当学園の生徒と同様に扱うようにと、ウェル教授から厳しく承っております……これまでのように丁寧な対応は期待されない方が宜しいかと……」


 言い終わるとイザベルは恭しく頭を垂れ、再び上げた顔には凛とした厳しさが宿っていた。


(ああ、それで問題無い)

「拙者も、よろしく頼むでござるよ」


 その返答に満足したのか、僅かに口角が上がったように見えたがきっと気のせいだろう。


 中等部B組と書かれた教室札の下に有る、やたらと豪華な扉を開けイザベルが中へと進む。


 三年だったら良かったのになという冗談は龍一に伝わる事は無く、世代の壁を前に少し悲しくなったのは内緒だ。


 当然のように後を付いて行き教室を見渡せば、そこには講堂のような空間が広がっていた。


 階段状に長机が三列ほど並べられ、一つの机に二、三人が座っている。


 後ろの方は空席が目立つが道すがら雑談の合間に聞いていた説明とも一致しており、一組の生徒数は二十人程らしい。


「あっ!」


 突然上がった声に目をやれば、どうやら女生徒の一人が声を上げたようだ。


 皆の視線が集まるとバツが悪そうに再び着席し、恥ずかしそうに少し俯いていた。


 教壇に立っていた男と目が合うとイザベルと会釈を交わし、ゆっくりと教室から立ち去って行った。


 生徒達にも混乱は見られず、どうやら諸々の連絡は速やかに行われていたようだ。


「それでは授業―――の前に、今日からこのB組に加わる二人を紹介します」


 そう言うと巨大な黒板に筆記が行われる。


 書いているのはイザベルなのだろうが白いチョークには手を触れず、独りでに宙を舞って二名の名が書き記された。


「ゼロさんは冒険者として、リュウさんは商人としてこの街に来られました。マクスウェル教授のお知り合いという事で臨時ですが、この組への編入手続きを先程取られました。これから皆さんと同じこの学園の生徒となりますので、くれぐれも仲良くするように……良いですね?」


 自分の声が出せない事を最後に付け加え、それと共に生徒達から間延びした返事を貰う。


 念押しするような言葉は特定の誰かに向けた物なのだろうか、少し強まった口調に不安を覚える。


 そんな思いを掻き消すように拍手が送られれば、一先ず頭を下げておく事にした。こういうのは第一印象が大事なのだ。


 しかし―――


(見事に子供ばっかだな……)


 魔法学園には冒険者の等級と同じでAからFまでの組分けがなされており、大まかに三つの学年が存在する。


 九で入学し成人する頃に卒業……と同時に、それぞれの望む分野へと進むらしい。


 飛び級の類も有るらしく、それは特に優秀だと認められた生徒にしか与えられないとの事らしかった。


「席はそうですね……」

 イザベルが迷ったように教室を見渡せば


「はいはーい! エリーゼさんの隣が良いと思いまーす!」


 と、左端に座っていた女生徒が叫ぶ。


 つい最近似たような名を聞いた気もするがそれとは関係無いようで、反対側の窓際に座っていた女生徒と目が合う。


「はぁ……それで良いかしら?」


 どうやらそれがエリーゼだったらしく、イザベルが短い溜め息を吐いて双方に確認を取り始める。


 良いも何も分からないのでそのまま頷けば、目的地を目指して机の間を進んで行く。


 不意に投げ出された足に気が付き歩みを止めれば、それを差し出している男子生徒はにやにやと薄ら笑いを浮かべていた。


「ゼロ殿……」

(わーかってるよ)


 直ぐさま背後から諌めるような龍一の声が届けば心の中でそう返し、フル装備のままこの足に乗ったりしたら千切れ飛ぶんじゃないかと余計な事を考える。


 大仰な規約の事も有り初日くらいは大人しくしていようと決めていたので、速度を落とさずそのまま跨いで通る。


 無視された事が面白くなかったのか短い舌打ちが耳に届き、続く龍一は派手に転んでしまっていた。


 見れば自分の時とは違い足を上げられたようで、照れ笑いを浮かべる龍一に嘲笑を浴びせる生徒を見て―――何も出来なかった。


 一瞬で振り切れそうになる怒りを龍一の瞳が窘め、何もするなと言われれば大人しくしている事を余儀なくされる。


「お止しなさい。その様な行為、学園の生徒として恥ずかしいですわよ!」

 頭に二つのドリルを付けた金髪の女生徒が叫ぶ。


 どうやら全員が全員こういった手合いでは無いらしく、金持ちや貴族が多いと聞いていたがそういう連中の中にもまともなのが居るのだなと感心した。


 目的の席に着けば窓際に黒髪の女生徒が座っており、その落ち着いた佇まいに多少の大人っぽさを感じる。


「良かったわね委員長。だーい好きな男の人が隣で!」


 どこからか飛んできた声が教室の中に笑いを起こすと、それが侮蔑に依るものだと言うのは何となく分かった。


 しかし件の女生徒はそれに狼狽える様子も無く、こちらに向き直ると人差し指と親指で輪っかを作り


「……して欲しいの?」


 そう言って小さく開いた口元から舌を覗かせる。


 見た目は地味で眼鏡を掛けており、委員長と呼ばれるのも納得の風貌であればその仕草は酷く不似合いに見え、一連の所作を眺めていた生徒達から更に笑いが起きればやれやれと言った具合いに再び前へ向き直った。


「大変な所でござるな……」

(だな。面倒な事この上ない)


 着席し、ローブをしまうと声を潜めた龍一の言葉に辟易して返す。


「それでは授業を始めます―――」


 そうしてイザベルの号令の元、巨大な黒板に図形や文字が描かれていった。


 初めて受けるこの世界の授業とやらは読み聞かせが大半で、教科書やノートと言った慣れ親しんだものは不要らしい。


 考えてみればそれも当然で、そういったものは魔術書が有る訳だし何よりも危険だろう。


「最後に、皆さんには今の内容を実践してもらいます」


 毎回授業の終わりにはこうして担任が自ら生徒達の習熟度を把握し、どこまで出来るかを記録するらしい。


 その上で問題点や改善点を提案し、次の授業までに練習する……というのが一連の流れのようだ。


 正直授業の内容は難しい言い回しも多く、半分くらいしか理解出来ていなかったのだが龍一の


「闇でござるよ。闇魔法」


 という声で漸くそれが闇魔法を扱う物だったと把握する。


 次々と生徒が壇上へ向かい、教卓に置かれた補助魔法陣の上で成功させる中ついに自分の番になると


「頑張るでござるよ」

 と、背中を押される。


(闇……闇かぁ……)


 今まで一度も発現させた事は無く、想像力だけで何とかしてきた身としては不安でしかない。


(闇はアンロー、だったかな……)


 初めはビオラだった。次はルピナ、キビ、コモドにも診てもらった。


 ここに来て漸く自分の中の魔力回路とやらが正常になったのだ、今までとは違う桁違いの魔法が使える、思いのままに扱える筈だと……どこか楽観的に考えていたのは事実だ。


 魔法陣の上で両手を翳し、魔力を込めようとした瞬間……不意に頭を過ったのは全力で失敗するような事があれば一体どうなるのか―――そんな不安だった。


 纏まらない気持ちのまま事に望めば成功するには程遠く、出て来たのは濡れたような漆黒と夜の帳を綯い交ぜにしたような―――水だった。


 噴水のように一瞬だけ湧き上がったそれは小指の先ほどの量で、ぽとりと教卓を汚せば慌ててイザベルへ視線を送る。


 無言のまま呆れたように首を振られ、その途端教室は笑いに包まれた。


「おい見たかよ、なんだあの魔法!」

「おいおい、おいおいおいおいおいおい!」

「今は闇魔法のお時間でちゅよー!」


 と、散々馬鹿にされては肩を落として席へ戻る。


 憤慨する気など微塵も起きず、これは駄目だったと自分でも納得の出来だった。


 意気消沈している間にも実践は続き、龍一や隣の女生徒も難なくクリアしているのを見て、勉強とは本当に大事なものだと改めて実感する。


「それでは授業を終わります」


 イザベルの礼に合わせて同様に頭を下げ、チャイムのような鐘の音が聞こえると休み時間となった。


(……龍一は全部分かったのか?)


 先程の授業について聞いてみると勿論との声に、これ程までに龍一が頼もしく見えたのはあの対決以来だった。


 最初は目付役なんぞ必要無い。人が寝ている間に勝手に決めるなと憤ったものだが、今となってはそんな過去の自分を助走を付けて殴ってやりたい。


(しっかしこんなんで本当に魔法が上手くなるのか?)


 机に頭を乗せたまま右手を閉じたり開いたりしてみては、怪訝な表情のまま龍一に尋ねる。


「それは……魔法は日々の努力が大事にござる。拙者、戦闘は不得手でござったが練習だけは欠かさなかったでござる」


 来たるべき日の為に、と付け加える龍一。


 それがカルーアと出会った日なのだという事は理解しているが、常に備えを怠らない気概は素直に尊敬できる。


「照れるでござるよ」


 そう言って誤魔化す龍一だったが来るかどうかも分からないその日の為に、努力を続けるというのは並大抵の事じゃない。


 それだけの想いがあればカルーアのあの態度も納得か―――そんな事を考えていると


「ねえ」

 と、隣の女生徒から声を掛けられる。


 項垂れたまま頭だけを声の方に向ければ読んでいた本を閉じ、責めるような表情を浮かべるエリーゼが居た。


「あなた、本当に魔法を学ぶ気が有るの? それとも女漁り?」


 先程までの雰囲気とは違い、その口調に静かな怒りを感じた。


 まだ年端も行かない割に妙に大人ぶった内容は好んでそうしているのか、はたまた先程のあれが原因か―――兎にも角にも気に入られて無いのは明白で、一先ず誤解を解く為にペンを取り出し筆談を開始する。


(生憎そういうのは間に合ってる。ふざけてもいない。気分を害したなら謝罪する)


 すまん。そう口を動かして上体を起こすと頭を下げた。


「別に怒ってるわけじゃなくて―――」


 エリーゼがそう言い掛けた瞬間、視線が背後に送られたのでそちらを見ると


「ほーっほっほっほ! 奇遇ですわね!」


 と、高笑いを繰り出す一人の女生徒が居た。


 金髪のドリルを左右にぶら下げ、高圧的な笑いを続ける女生徒。


 先程の態度は見上げたものだが奇遇との言葉に覚えは無く、眉を寄せては怪訝な表情を浮かべるので精一杯だった。


「覚えておりませんの? ほら、子供達が追い掛けて―――」


 そこまで言われて漸く思い出し、誘拐犯だと勘違いして蹴っ飛ばした相手だと得心する。


「そんな事をしたのでござるか……?」


 じとりと責めるような龍一の視線に、あれは仕方が無かったと言い訳がましく弁明した。


「貴方もこの学園に魔法を学びにいらしたのですね。ですが、それには少々お早いんではありませんこと?」


 言い回しの妙はここでも有るのだが恐らく合っているだろう。


 言われた内容については自分もそう思っていたところで、これなら本当に初等部にぶち込んでもらっても良いんじゃないかと思っていた。


「それよりもエリーゼさん! 先程のあれは何ですの!?」

「……あれ?」


「どうして言い返さないんですの!? 笑い者にされたままなんて悔しくありませんの!?」


 両手を机に叩き付け、まるで自分の事のように怒りをあらわにするアリーゼ。


「別に……どうでも良いから」


「いーえ、良くありませんわ! 今日という今日は言わせてもらいます! 私の宿敵がこんな扱いを受けるなんて、怒りを通り越して超怒ってしまいますことよ!!」


 そう叫んで何度も机を叩くアリーゼ。


 ばんばんと鳴らす度に龍一の耳にダメージが入っていそうだと余計な心配をしてしまうが、痺れたような表情にあながち間違いでは無いのかと思ってしまう。


「おっと、それは僕に向かって言ってるのかい?」


 再び声の方に視線を向ければ、そこには身を乗り出してこちらの様子を伺う先程の男子生徒が居た。


 上体だけ向けていた姿勢を止めて立ち上がると、取り巻きらしき男子生徒と共にこちらへ歩いて来る。


「三大貴族の面汚しが、随分と舐めた口を利くじゃないか……んん?」


 そう言ってアリーゼの顔を態とらしく覗き込む。


 どうやらこのクワガタのような髪型の男子生徒も貴族のようで、その口振りから結構なお偉いさんなのだと把握する。


「万年B組の落ち零れが、あまりふざけた事を言うなよ?」


 そう言って取り巻きと共に蔑んだ笑みを浮かべる。


 ふざけてるのはお前の髪型だろ等と思えば途端に龍一が噴き出してしまい、これでは友人が白い目で見られてしまうので気を付けようと心に誓う。


(それはお前も同じだろ)

 そう紙に一筆したためると


「僕は現役だ! そこの愚図と一緒にするな!」

 と、凄い剣幕で怒られてしまった。


 聞けば組の切り替えは一月に行われるらしく、年齢もバラバラな為に事態の把握が難しい。


 厄介な事に初等部、中等部、高等部に加えてそれぞれ六組も有るのでは、事細かに考えるのは時間の無駄かとも思う。


「それよりも、だ……貴様、冒険者と言ったな。等級は幾つなんだ? 僕は先日、D等級へと上がったぞ?」


 値踏みするように言われては今こそ出すべきかと腰の魔法鞄に手を掛けるが、龍一が無言のまま首を振るので途端にしょぼくれる。


(だとするならそうだな―――)


 龍一を避けて通路へ出るとクワガタ男と対峙する。


 中等部なだけあってリュカよりは年上なのか、龍一と同じくらいの背丈の相手へ冒険者証を提示する……フリをして鉄球を落とした。


 それは激しい音を立てて落ちたかと思えば床を破壊し、怒りを具現化したように少し埋まってしまった。


(あ、間違えた)

 そう嘯いて照れ笑いを浮かべる。


「あ、あ、あ、危ないじゃないか! 気を付けろ!!」

(すまん、態とじゃないんだ)


 平然と嘘を書き記し提示すると、それなら仕方ないと意外と物分りの良い態度に驚く。足元では取り巻き達が鉄球を持ち上げようと奮戦していた。


(等級はEだ。あんたの方が強い)


「はっ! 通りで……あんな粗末な魔法を使う輩だ、せいぜいこの学園に居る間は大人しくしているんだな。行くぞ!」


 そう言って頭にクワガタを乗せた男子生徒は取り巻きと共に元の席へ戻ってしまい、後には床に埋まった鉄球が残されてしまう。


「それはどうしたんでござるか?」


(獣王国の氾濫で使ってた大砲の弾だ。何かに使えるかと拾っておいたが、まさかの場面で役に立ったな)


 使用用途が違うとのツッコミには耳を貸さず、鉄球を拾い上げて再び魔法鞄へと収納しておいた。


「貴方、意外と力持ちなんですのね」


 アリーゼの言葉に首を傾げると、魔法でそういった物を持ち上げたり動かしたりするのはとても大変なのだと言う。


「魔力にも魔法と同じで強さが有るのでござるよ。筋肉と同じで使い続ければ強くなるのでござる」


 だとすれば毎日筋トレをして身体強化魔法を使用している身としては、これ以上無いほど魔力強度とやらは上がっている筈だ。


「一つの魔法を使い続けても上昇率は下がって行く一方にござるよ。大事なのは満遍なく使用し、毎日の鍛錬が重要にござれば……それと、ゼロ殿の身体強化魔法は不完全にござる。そもそも無属性魔法に分類される物でござるから―――」


 次第に説明に熱が入り、つらつらと新しい情報が追加される度に右から左へ抜けて行ってしまう。


「以上がウェル殿の言った課題……でござろうな」

「……あら、もう降参ですこと?」


 龍一の詠唱のような長時間の説明に、口から魂が抜け出てしまいそうになる。


「それにしても貴方、リュウ……だったかしら? 随分と魔法にお詳しいようですわね?」

「あ、あはは……受け売りにござれば、偶々でござるよ」


 当たり前だが出自を開示したりはせず、自分と同じように愛想笑いでどうにか追求を躱す龍一。


 話の終わりを察知してか読んでいた本をぱたんと閉じ、徐ろにエリーゼが別の本を取り出した。


「これ、初等部の時の物。多少は分かりやすい筈だから、これでも読んでなさい」


 そう言って自身が使っていたであろう参考書を机に並べると、一冊目はこれ、二冊目はこれと丁寧に教えてくれる。


(おい、何だか滅茶苦茶良い奴っぽいぞ)

「……でござるな。これはカルーア殿に報告するべきでござろうか……」


 戸惑う声にそう茶化す龍一。


(助かる。ありがとう)

 そう書き記せば


「別に……自分の為だから」


 と、返事は外見通り簡素で素っ気ない物だった。


(自分の為……?)


 当然その疑問に答えてくれる訳は無く、休み時間の終わりを告げる鐘が鳴り響く。


「あら、そろそろ授業の時間ですわね……楽しかったですわ、特別に今後もお話してあげてもよろしくってよ!」


 アリーゼはそう言うと高笑いを繰り出し、そのままの状態で自分の席へと戻って行った。


(……随分と話が弾んだな。これはカルーアに報告しておくべきか?)


 貸してもらった本に目を通しながら、先程のお返しとばかりにそう呟く。


「酷いでござるよ……」


 先に仕掛けたのは龍一なので、お互いに内緒にしておくという方向で話が纏まった。


 この学園は一日に四時間ほどの授業が通常らしく、午前と午後で半々に分かれているらしい。


 自分達は午後からの授業だったので、残った地獄の一時間をどうにか乗り切るとやっとの思いで放課後へと辿り着く。


 やはり終了間際の実践は散々な結果で、氷を生み出す所までは出来たとしてもそこに思い通りの形を作る事など出来る訳が無かった。


「それ、貸してあげる。ちゃんと読んで」


 帰り際にそれだけ言うとエリーゼは足早に教室を出て行ってしまい、取り残された三冊を丁寧に魔法鞄へとしまい込む。


 ほとんどの生徒が居なくなった教室で教壇に佇むイザベルが手招きをしており、龍一と共に向かうと再びウェルの部屋へと案内された。


「おお、終わったか。大変だったようだのぉ」


 やはり授業の成果は筒抜けだったらしく、目を細めて愉快そうに笑うウェル。


(大変なんてもんじゃない! 本当にあれで大丈夫なんだろうな!?)


 そう詰め寄る自分に一頻り笑い終えた後、ウェルは満足そうに頷いた。


「無論だ。手は打ってある……が、大事なのは日々の研鑽。愚者も賢人となる学び舎だが、怠け者に付ける薬は無い」


 つまりは勉強しろという事か……どうやらエリーゼに借りた本が自分の生命線なのだと悟る。


「エリーゼ?」

 初めて聞くであろう名前に反応を示すカルーア。


「そうでござった。今日知り合った女生徒なのでござるが―――おっと」


 そう言い掛けては慌てた様子で口を覆う龍一。


(おまっ……それを言うなら龍一だって―――おっと)


 危うく口を滑らせ掛けて同様の仕草で急ブレーキを掛ける。


「なんなのよ……まあいいわ、それじゃ行くわよ」

(どこに?)


 聞けば資金難のパーティを見兼ねてウェルが冒険者用の宿を取ってくれているらしい。


「大事な孫弟子だからの……この街に居る間くらいは面倒を見てやろう」

 と言った。


 遠方からの学生や職員も多いため寮や宿舎も在るらしいが、そこにも規則はしっかりと存在するらしいので二つ返事で厚意に甘える。


「夜遊びも程々にの」


 そう言って送り出されれば不具合が解消された今、そういった店に赴く事も無いだろうと頷くと背中から抗議の声が送られて来る。


(そこだけは譲らないのかよ……)


 と呆れてしまい、どうやら本当に程々だが夜は多少出掛けた方が良いらしい。


「自分のお金で遊ぶ分には文句無いわよ。でもね、あんたに想いを寄せてる子が居るって事を忘れんじゃないわよ?」


 そう言って詰め寄るカルーアにそんな事は百も承知だと胸を張る。


「くれぐれも本気にならない事……良いわね?」


 その言葉に頷けば到着したのは本日の宿、街の南側に位置する『野生☆楽園:ワイルド☆パラダイス』だった。


 どこか既視感のある名前に首を傾げると宿の扉を最初に潜ったのは龍一で、向き直るなり大袈裟な仕草で自己紹介を始める。


「ある時は謎の商人! ある時は謎の常連さん! そしてある時は落ちこぼれ勇者……しかーし、その正体は―――」


(マジかよ……)


「ここ、ワンニャン姉妹店! 野生☆楽園のオーナーにござる!」


 入り口に誰も居なかったから良いものの、内緒なのでは無かったのかとこちらが冷や冷やしてしまう。


「はいはい、行くわよー」


 そんな龍一を一瞥もせず、カルーアは受付けへと進んで行く。


 カウンターに置かれたベルを鳴らせば横の扉から亜人獣の女性が現れ、今日予約をしていた旨を告げる。


「はい、承っております。カルーア様、リュウ様、ゼロ様ですね?」


 手際の良い対応に頷くと、どうやらこれも寝ている間に決めていた事なのだと察する。


「なによ、不満?」

(不満って訳じゃないけど……)


 勝手に決められるとそれはそれで少し淋しいものだ。


「もしも不手際が御座いましたら遠慮なくお申し付け下さい。今年度の王者、ゼロ様には是非こちらをご利用頂ければと、誠心誠意おもてなしさせていただきますので―――」


 王者の部分で危うく吹き出しそうになってしまい、鼻っ柱をへし折られた今はその響きさえもどこか虚しく感じてしまう。


(気を悪くさせたなら済まなかった。不満は無い。特別扱いも不要だ。暫く世話になる)


 そう言った事を書いて見せると、一際良い声の返事を貰う。


 渡された鍵に従って三階へ上がり、割り当てられた部屋へ入ると今までの宿より少し広かった。


(浴槽だ……)


 と、今まで無かった妙な部分に感動してしまい、広いベッドも嬉しかったりする。


「なに遊んでるのよ……」


 気付けば部屋に龍一とカルーアが入って来ており、その視線は出会った頃のキビを彷彿とさせるものだった。


 多少は気恥ずかしそうにベッドから降りれば、何事も無かったかのように用件を尋ねる。


「今後の事よ……あんたはどう思ってるの?」


 勝手に椅子に座り、勝手に水差しから飲み物を注いではそれを配るカルーア。


 コップの中の果実水はサービスなのか良く冷えていて美味しかった。


(どうって……なるべく早く出発したいのは変わってないな)


 強くなるのも大事だが、それとこれとは話が別だ。修行でも勉強でも、グラムを奪還してから行えば良い。ジャックやウェルのような化け物クラスはそうそう出てこないだろう。


 そんな考えを見透かすように溜め息を吐き、暗い表情のままカルーアが言葉を紡ぐ。


「現勇聖教の最高責任者は……英雄パーティの一員だった者よ……」

(は?)


 突然の告白に間の抜けた声が出てしまう。


(どういう事だ? 英雄一行ってのは昔、異世界の勇者達とやり合ってたんじゃなかったのか?)


 今もそれなりに名残は有るものの、それでもこの数年はその手の被害が少なくなったとグラムも、街の人々も言っていた筈だ。


「理由は分からない。けど、ウェル様が自分の弟子だって……そう言ってたの……」


 驚いていない所を見ると龍一も既知の事実であったのか。


 どうやら眠っている間に本当に色々と話していたようで、これ以上の隠し事は無いだろうかと邪推してしまう。


 今の話が事実だとすれば、このまま無策に突っ込むのは愚の骨頂……グラムだけかと思っていた弟子がもう一人湧いて出てきてしまったのなら、今の自分にはお手上げだと言わざるを得ない。


 ましてやあのウェルの弟子なのだ……今、自分が持てる全てを出し切ったとしても勝てる見込みは限りなく薄い。


「勇聖教には常に拙者と同じ様な勇者がおりますからな……各地に出向いている者も多かったでござるが、それでも十名以上は必ず残っていたでござるよ」


 龍一やトールのような戦闘員が十人以上と聞いただけでも兵力に圧倒的な差が有るのは火を見るよりも明らかだ。


(どれくらいで行けるようになる?)


 逸る気持ちを抑え付け頭を切り替えれば、どれだけの修行が必要なのかをカルーアに尋ねる。


 すっと差し出された人差し指を見て一週間か一月か……意外にも短い期間に喜ぶ。


「一年よ」


 危うく飲んでいた物を吹き出しそうになり、ふざけるなといきり立つ。


「ふざけてなんかないわよ! 一年……それも最低でも、よ!」

 負けじと叫ぶカルーアと額が付くほどの距離で睨み合う。


 冗談では無い。一年も悠長に修行など出来る訳が無い。


 幾ら物覚えが悪い自分だとて、必死にやればそんなものひっくり返してみせる……いや、やるしかないのだ。


「やる気が有るのは結構よ。でもね、今のあんたに勇者十人を相手にして、その先に待つジャック様やウェル様と同等の敵を相手に勝てる見込みが有るって言うの!?」


(それは……)

 当然だがそんなものは無い。


 有るのならば体が治った今、ここに居る意味はとっくに無いのだ。


 今直ぐにでも勇聖教へ乗り込んで勇者を全員倒し、ウェルの弟子だという人物も倒してグラムを奪還。一発殴ってはいおしまい―――と、そうしている所だ。


「計画も出来ず、代案も用意出来ない……そんなあんたに他人を責める資格が有るの!? 言ってみなさいよ!!」


 普段ならばここで更に喰って掛かるのだが……それは久しぶりに見るカルーアの涙で消沈してしまう。


(……だから、泣くのは反則だろ……)

「泣いてない!」


 そう言うとカルーアは例の如く袖口で滴る物を拭い、どうなんだと詰問するように濡れた瞳で睨んで来る。


 どうなんだと言われても先に指摘されてしまったように代案は無い。だとすれば他に方法は無いかと正攻法とは違う可能性を模索する必要が有るのだが……相変わらずバルムンクは黙ったままだし、こちらは三人……一人一殺を実行したとしても人数差があまりにも大きい。だとすれば治った体でどこまで全力が出せるのかを把握するのが先決だろう……バルムンクと砕月の可能性も見ておきたい。しかし言ってみればそれも借り物であって、自分自身の力と呼ぶには―――


「待つでござる待つでござる。一旦落ち着くでござるよ」


 夢中になって考えれば龍一の声によって中断させられてしまい、今まで考えていた物が弾けるように霧散する。


「ウェル殿はこうも言っておられた……その為の秘策が有ると。であれば一先ず拙者達に出来るのは、明日も元気に勉強するだけにござる。頑張り次第ではそれが半年にも一月にもなると……全ては―――」


(自分の頑張り次第、か……)


 言葉を継いでそう言えば、龍一は満足そうに頷いた。


(……分かった。ならやる事は決まりだな)


 そう言って今日借りた本を取り出しテーブルへ並べると、椅子に腰を下ろして頁を捲る。


(とっとと覚えてあいつの鼻を明かしてやるのも面白そうだ)


 そう言って悪い笑みを浮かべる。


「そうね、その通りよ……私も頑張るんだから!!」


 途端にやる気を見せたカルーアが張り切って両手を胸の前で握り締めると


(ん? なんかやっぱり……)

「なによ……」


 鼻をひくつかせ、ウェルの部屋を出てからと言うものどこか懐かしい匂いの正体がカルーアからだと判明する。


 無心になって嗅いでいると張り倒されてしまい


「あんたは乙女の身体をなんだと思ってるのよ!!」

 と、言われてしまう。


 流石に直接的過ぎただろうか……しかしそれは今にも消えてしまいそうな程に儚く、それが何だったのか既の所で掻き消えてしまった。


「なるほど、そういう事でござれば拙者も一肌―――」


 と、言い掛けた言葉は同様の攻撃で断ち切られてしまい、床に仲良く寝転ぶ羽目になってしまう。


「好い加減にしなさい! 馬鹿!!」


 恥ずかしさを隠すように叫ぶとカルーアは部屋を出て行ってしまい、視界から消える寸前に自身の匂いを気にしていた素振りを見せるので悪い事をしたなと反省する。


「ゼロ殿だけずるいでござるぅ……」


 そう言って落涙する龍一だが、それの意味する所を悟られまいと心を強く持つ。


「お、早速今日の成果が出てきたのではござらんか?」


 そう言って茶化す龍一だったが、そんな直ぐに効果は現れないだろうと軽口を叩き返す。


(飯の時間になったら教えてくれ。それまでは勉強しておく)


 立ち上がりそう宣言すれば先程と同じように続きを読み始める。


「分かり申した。拙者も今日の部分の復習、明日の予習など頑張ってみるでござるよ」


 そう言い残し静かになった部屋に一人取り残されれば、ふとした瞬間に鼻を突く香りにハッとさせられる。


(まさかな……)


 今まで順調だと思えていた旅の中で、日に二度も失態を見せれば気弱にもなるかと鼻を鳴らしては大人しく読書を続けた。

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