第八話 ~それぞれの想い~

《第八話 ~それぞれの想い~》


 雨は嫌いだ。全て終わったあの日―――それを思い出してしまうから―――。





 ギルドでの仕事終わり、不意の雨に憂鬱になりながら着替えを済ませ外に出ると、酔狂な子供を見掛けた。


 雨に打たれるのが好きなのだろうか。傘も差さず外套も纏わず、よろよろと歩いている。


 そんな訳が無いのは分かっている。あれは最近よく頑張っているがんばり屋さんの子供冒険者だ。


 子供の冒険者は貴重だ。だからこそギルドも、熟練の冒険者達も、力を合わせて見守るようにしている。


 危なくないように、ちゃんと経験が積めるように、路頭に迷わないように配慮をするのもギルド職員としての腕の見せ所なのだ。


 私はあまり会話が上手くない。


 裏方を希望していたのに、どういう訳か受付担当にされてしまった。


 推薦をしてくれた同僚はもう居ないが彼女の意志を尊重したいと思い、今は少しでも好きになるよう努力の日々だ。


「なに、してるの?」


 これ以上濡れないように傘を差し出すが、少年は俯いたまま動かない。

 どうしたのだろうか、元気が無いのは一目で分かる。


 この子は不思議な子供だ。見た目は子供なのに、半人族のようなのに、時折見せるその瞳が……妙に大人びてると感じるのだ。


 体に流れる森人族の血がそうさせるのだろうか。しかし今は―――。


 こちらを見上げる少年。その眼は何時もの落ち着き払ったあの眼では無く、弱々しく、何かに怯える者の眼だった。


 顔をくしゃくしゃにし、一目散に走り去ってしまう。予想以上に早い。


 毎朝走り込んでいるというのは、ミーアや他の冒険者達から聞いていた。効果はあるようだが―――


「駆けっこは……一番得意」


 傘を投げ捨て、一瞬で追い付く。少しの間の後、背後で傘の落ちる音がした。


 腕の中で暴れる少年。声が出せない事は知っている。虚空に向かって吼える様は離せと叫んでいるのか、力はそれなりに強かった。


「本当に、どうしたの?」


 強引に振り返らせ、肩を掴む。そこには普段と違う、年相応の泣き顔が有った。


「落ち着きなさい!」


 久しぶりに大きな声を出してしまった。喉が痛む。


 その声に驚いたのか、少年は一瞬肩を竦ませ硬直する。


「……何が有ったか、教えてくれる?」


 まるで小さい子をあやすように、再び俯いてしまった顔を覗き込む。握った手に先程のような力は入っていない。


 諦めたのだろうか。そうしてくれるとこちらも助かる。


 手を引きながら少し戻り、傘を拾い上げる。逆さまになった赤い傘には水が溜まり、雨の激しさを物語っていた。


 傘を差し、暫く道で佇みどうしようかと考える。


 通りに人の影は無く、有ったとしてもどこかの店へ避難するくらいのもので、外灯に照らされて影が二つ。


 離してくれ。握った手にそう書かれる。以前から彼とやり取りする際の方法だ。


 何時もと変わらない少し遠慮した、相手を思いやるような優しい書き方。


 一文字一文字、頭の中で組み立てていくこの時間が好きだった。


「ちゃんと、帰れる?」


 その問いに少年は頷き、それならばとゆっくり離しその場を後にする。


 背後から駆け出す音が聞こえ、再び傘を投げ捨てると一息で追い付いて見せる。


「駆けっこは……負けない」


 ギルド内……いやリアモ一かもしれない俊足は、今のところ無敗記録を伸ばし続けている。


 再び少年は腕の中で暴れ、それを抑え付け、膝を折り、背後から抱き締める。


 泣いているのだろうか、規則的に上下する肩が聞こえない筈の声を伝えて来る。

 今日が雨で良かった。


 暫くして泣き止んだ後「行こう」とだけ呟き、手を引き歩く。途中で傘を拾い上げるとそのままの足で帰路へついた。


 職員用の宿舎に到着し、誰かに見られていないかと注意しながら入ったが……この雨だ、外出する奇特な人物は少ないのだろう。


 犯罪を犯している訳では無い……だが、こんな気持ちで扉を開けたのは初めてだった。


「入って……?」


 自室の扉を開けて促すと、おぼつかない足取りながらゆっくりと入室してくれる。


 玄関で立ち尽くす訳にもいかず、濡れた衣服を脱ぎ捨て部屋へと走る。


 すると玄関から少年が出ていく音がしたので、大きめのタオルを二枚引っ掴み、大急ぎで追い掛ける。


 少年を玄関へ引き込み、今度はきちんと錠を掛ける。他に気を取られ失念していた。


「これ、使って」


 少年は玄関の方を向いたまま動かず、こちらを見ないようにしてくれているのか微動だにしない。


 一通り体を拭いた後、部屋に戻り普段着に着替える。

 ちょくちょく玄関を見るが、もう逃げる気は無さそうだった。


「風邪引くよ……?」


 頭に掛かったままのタオルに手を伸ばし、髪を拭いてあげる。何度か触った事は有ったが、今はしっとりと濡れていた。


「自分でやらないと、脱がしちゃうよ?」


 そう言うと少年はもぞもぞと動き始め、自分で手を動かすようになる。やはり男の子だ、脱がされるのは恥ずかしいらしい。


 しかしその動作も暫くすると止まり、仕様がないので抱えて浴室に入れてしまう。

 浴槽は無くシャワーが有るだけだが、造りは広いので二人で入っても問題は無い。


 少年は未だ向こうを向いたまま顔を上げず、両腕もだらんとだらしなく垂れたままだ。


 一体何が有ったと言うのか……たしかに一ヶ月前はミーアを失い、街全体が悲しみに包まれていた。溌剌とした彼女に助けられた冒険者は山程いる。


 上着を脱がしに掛かった所で少年の顔に髪が当たってしまう。


 一瞬怯み、それを見つめ、震え、戦慄き―――少年が吐いた。


 床に落ちる吐瀉物。浴室で良かったと思う。掃除は楽だ。


 服には掛かっていないようでそれを流し、全てを脱がし終えると濡れた服を持って外へ出る。


 目の前の洗濯機に衣服を入れ、自分の物と一緒に洗ってしまう。家電の勇者様に感謝する瞬間だ。


 木製の四角い箱の中で回る衣類を見つめ、そっと蓋を閉じる。


 後見人となっている最果ての隊長に連絡を取るべきだろうか、彼等ならば何か知っているかも知れない。


 この少年は身元が曖昧で、それでも冒険者として登録したのには彼等の後ろ盾が有ったからに他ならない。


 最初は他国の工作員かもと疑ったものだが、普段の働きぶりや朗らかな性格を見て何時しかそういう考えは無くなっていた。


 何より、魔剣を携えていた頃の彼はとても楽しそうだった。


 二つの物を同時に失い、本当に少しずつだが元通りになってきたというのに……。


 浴室から水音は聞こえず、扉を開けると少年が佇んでいた。使い方が分からなかっただろうか、それとも無気力なだけだろうか……そろそろ体も冷えて来た。


 下着を脱いで洗濯機の中に入れると、そのまま浴室へと入る。


「遅いから……もう入るよ? こっち向いちゃ、ダメ」


 それだけ言い、シャワーからお湯を出す。


 温かい湯は瞬く間に浴室内を湯気で満たし、これならば多少見られたとしても恥ずかしくは無い。


 一通り洗い終えると体を拭き、先に浴室から出る。

 洗濯機上のタオルを取り、体を拭き、着替えを済ませる。


 少し大きめの部屋着はミーアと一緒に買いに行った物だ。そして気付くのだ、少年用の着替えなど持っていない事に。


(どうしよう……)


 思案するが名案が降りてくる事は無く、大きめの上下を渡してこれで許してもらおうと思う。


 多少風通しは良いかも知れないが、無いよりはマシだろう。


 少年はやはり動いておらず、拭く為のタオルを渡していないと思い出し慌てて手渡す。


「外に着替え、置いておくからね?」

 それだけ伝えて扉を閉めた。


 玄関に置き去りにしたベルトを見るとそわそわしてしまい、手入れ用の布で少しだけ水滴を拭って吊るしておく。


 靴も拭いた方が良いかと思ったが、それは自分の分だけにしておいた。どうやら良い靴を選んでいたみたいだ。


 飲み物を二人分用意し、扉一枚隔てた自室兼寝室へ戻る。

 浴室から動く気配が有り、あのまま廊下に居たら鉢合わせしてしまっただろう。


 素足で歩く絨毯の上は気持ち良く、飲み物をテーブルに置き、ドライヤーで髪を乾かす。

 美容と家電の勇者様の合作に感謝する瞬間だ。


 暫くすると白い部屋着を着た少年が現れる。顔はほんのり紅潮していたが、それでもまだ元気が無い。


 靴を脱いで部屋に上がる事に戸惑っているのだろうか、冒険者用の宿は基本的に靴を脱がずそのままの所が多い。


「こっち、おいで?」


 手招くと素直に従い、どうやら逃げる気は完全に無くなったようだ。


 首元に掛かったままの布で髪を拭き、ドライヤーを当てる。

 櫛を使う迄もなく、瞬く間にさらさらと後ろに流れていく様はとても綺麗だった。


「おしまい」


 完了した事を伝えると立ち上がり、ふらふらと幽鬼のように移動する少年。


 テーブルを挟んで座り、身を守る様に膝を抱えている。


 眼は虚ろに虚空を捉え、顔は憔悴している。

 何かを呟いているのか口の動きが小さく、何時もより読み取り辛い。


 自分の一挙手一投足に怯えており、飲み物を取ろうとしただけで身を竦ませる程だ。


「温まる、よ?」


 微笑んで見せるとおずおずと手を伸ばし、漸く口を付けてくれるのを見て安心する。


 静寂の中、降り続く雨音が聞こえる。少年も最初の一口を飲んだだけで、その後は手を付けていない。


「お腹、空いた?」

 首を振られる。


「何が有ったか、教えて?」

 首を振られる。


「迎え、来てもらう?」

 首を振られる。


 雨音だけが部屋に響く。


「元気、出して!」

 むんっと両手で拳を作り、胸の前で留める。


 あの時と同じ仕草に少年は目を丸くすると、少し困ったように申し訳無さそうに笑った。やはり優しい子だ。


「おいで?」


 背中のベッドに寄り掛かり、隣をとんとんと叩く。

 指示には従ってくれるのだ、最初からこうすれば良かったと閃く。


 声の出せない少年は立ち上がり、静かに腰を下ろす。


 真っ白い髪に色素の薄い肌。前よりも少し日に焼けただろうか、横顔が少しだけ冒険者らしくなっていた。


「まだ、話せない?」


 その問いに首を振る事は無く、そっと手の平を差し出す。


(この子の……リュカと、リュカの親を殺した……)


 初めて聞く名だった。そのような名前の冒険者はリアモには居ない。


 少年の知り合いだろうか、疑問は後回しにして頷く。


(この世界に来たせいで、こんな世界に来なければ……)

「世界?」


 初めて疑問を口にした。


(俺は―――異世界人だから)


 衝撃の告白だった……が、それならばと納得出来る部分も多かった。


 不思議な雰囲気の正体はそれが原因だったのかと得心する。


 しゃくり上がる肩を背中を叩いて落ち着かせ、飲み物を口元まで持って行く。

 飲み物は既にぬるくなっていたが、少しでも落ち着かせる効果があればと願う。


 異世界人だとしても先に述べたように美容の勇者や家電の勇者、はたまたどれくらい前だったか、魔王に挑む勇者も居るくらいなのだ……忌むべき対象では無い。


 亜人種への迫害にしてもそういう人間は、ミーアの為にあそこまで激昂する事は無いだろう……何を以てして、彼をここまで壊してしまったのだろうか。


 あの襲撃事件のあと、まるで自身の命をなげうつように彼の生活は荒んでいった。


 日に日に増していく苛烈さに業を煮やし、最果ての隊長に相談をしたのは記憶に新しい。


 少し落ち着いた所で会話を再開させる。


 前世では家族を残して早くに亡くなった事。

 自分の意識がリュカ少年に宿った事。

 その両親が何者かに襲撃された事。

 森狼の母子の事。


 自分が居た事で周りの人間が死んで―――


「それは、違う」


 その言葉に突然顔を上げられ睨まれてしまう。負けじと睨み返し、ふっと笑顔を作る。


「言葉には、力が有る。私を育ててくれた人は、そう言ってた。言われたら……そう思っちゃう」


 考えが纏まらないまま、どうにか組み立てて話すものの我ながら拙いと思ってしまう。


「言われると信じちゃう……そのせいで、自分を苦しめちゃうの……分かる?」


 表情から険しさが消え、ゆっくりと頷く少年。


「リュカ君のお父さんとお母さんも、リュカ君も、森狼のお母さんも、託したの」

(何を……)


 手の平に疑問が投げられる。


「願いを」


 そう、これは願いの連鎖だ。


 自分達が成し得なかった遥か彼方の場所に、叶わなかった願いを、みんなの思いを、紡ぐ為の希望という名の願い。


「キミは、自分だけの力でここまで来た?」


 その問いに首を振る少年。


「ミーアもそう。あの子は託した……キミと、キミの魔剣に。助けてあげて、って」


 結果的にミーアはこの世を去った。しかし彼女の顔が、穏やかな表情が、これで良いと全てを物語っていた。


 少年は再び泣き出し、膝を抱えてうずくまる。


 本当に、何が有ったというのか……その問いにだけは、決して答えてくれなかった。


 新品の歯磨き道具を用意し、二人並んで歯を磨く。


 夕飯は摂っていないが、浴室での一件を考えると今は食べられないだろう……自分だけ食べるのも気が引ける。


 一食抜くぐらい苦では無い。昔はよくあった事だ。


 ベッドに入り隙間を空けると少し困ったように笑い、首を振って断るのでひょいと抱えて運んでしまう。


 二人並んで横になり、部屋の照明を落とす。


 枕は一つしかないので自分の腕を枕代わりに置いておく。小さい体だ……頭の重さもそれほど感じない。


 差し出した腕に書かれるありがとうの文字が少しくすぐったかった。


「何に対して?」


 ふとした疑問を口にする。薄明かりの中、雨音が少しだけ弱くなった気がした。


(今日のこと……これは、罰なのに……)

「罰?」


 少年の頭が微かに頷く。


(俺だけが生きて……楽しくやって来た罰……。だけど、少し軽くなった)

「それは、違う」


 小さな背中を抱き締める。


「さっきも言った。みんな託したの」


 それはきっと、ささいな切っ掛けだったのだろう。


 今まで押し込め、どうにか前に進もうと奮起していた物が見事に壊され、溢れ出た罪の意識に苦しめられ続けている。


 冒険者パーティでも良く有る事だ。生き残ってしまった冒険者は必ず二つに分かれる。


 それらを乗り越え強くなるか、はたまた―――心を壊して辞めてしまうか、だ。


 どうすれば良いのだろうか。どうすれば腕の中で震える小さな少年を、もう一度奮い立たせる事が出来るのだろうか。


 考えていても纏まらず、自分なりの方法を模索するしかないと覚悟する。


「ミーアとは、同じ時期にギルドに入った同期」

 少年が頷く。


「一番仲が良かった」

 少年が頷く。


「最初は裏方の希望を出していたのに、何時の間にかミーアが推薦していた」

 少年が頷く。


「今は……まだちょっと苦手だけど、お仕事は好き」

 少年が頷く。


「ミーアが居なくなっても、私は毎日楽しくなるように今も生きてる」

 少年が頷く。


「薄情?」

 少年が首を振る。


 それに気付き頭を優しく撫でた。


「ミーアから貰った物、みんなから貰った物……無駄に出来ないね?」


 肩を震わせながら袖を掴まれる。何度目かの慟哭を感じ、再び少年を抱き締める。


 暫くして小さな嗚咽になると、再び手の平に礼を書かれる。


「元気、出た?」


 その問いに(少し)と書かれてしまい、悪戯心が芽生えだす。


「少しだと、悲しい」


 そう言うと一瞬肩を竦ませ(ごめん)と謝罪が書かれた。よく謝る子だ。


 黙っていると仏頂面で、目付きが鋭く、最初は少し怖かったが話すと礼儀正しくて……時折見せる笑顔との対比を、憎からず思っているのは薄々感じていた。


 それが今はどうだろうか。


 顔を突き合わせるとそこに何時ものような力強さは無く……弱々しく……今にも折れそうになっているその顔が、自分の中の母性と嗜虐心の両方を刺激するのだ。


 思い切り抱き締めた後に頭を離し、片腕で少年の身を振り向かせる。


 申し訳無さそうに俯く少年がおずおずと顔を上げ、その弱々しい様に、表情に、仕草に、自分の中の感情が昂ぶっていくのを感じる。


 気付けば額に口付けをし、徐々に下へ。


 未だ涙の残る瞳、頬、そして唇。

 重ねる度に響く、水音が耳に残る。


 雨音はもう、聞こえない―――。





 夕方。


 ジーナに呼ばれて一階に降りると、ギルドの職員と名乗る女が立っていた。

 険しく責めるような顔付きを見て、瞬時にあの少年の事だと悟った。


「ちょっと、良い?」


 幸い混むのはこれから先の時間だ、店の脇の路地……隣の店舗との細い道へ場所を移す。


「貴女が、リズさん?」


 独特な喋り方をする人だった。髪型も個性的で、片目が常に隠れるほど前髪が長い。


 自分と似た髪の色をしているが、向こうの方が少し落ち着いた色だ。


 彼女の問いに無言のまま頷くと


「私はルカ。冒険者ギルドの受付をしています」


 練習でもして来たのだろうか、先程のたどたどしい喋り方は微塵も感じられず、流暢な自己紹介を始める。


 制服でないところを見ると、今日は休日なのだろうか。


「貴女に、お話が有って来ました」


 何かを決意した眼―――こちらの考えを探るような、嫌な眼をした女だった。


「もうすぐ―――」

「はいはい、分かってるよ……あの子がこの街から出てくんだっけ?」


 言葉を遮りぶっきら棒に言い放つ。


 なんでここに受付嬢が居るのか、そんなものは当然分かっているつもりだ。


「だったら―――」

「見送りにでも行けって? 冗談じゃない……あの子とはもう会わない。話がそれだけなら戻るよ」


 すれ違い、店に戻ろうとすると


「あの子……泣いてた」

 背後からの声に足を止める。


「あの雨の日、ずっと雨に打たれて……泣いてた」

 無言のまま聞き続ける。


「あの子は、最後まで教えてくれなかった。だけど、串焼き屋さんが見ていたと、ある冒険者から聞いた……」


 あそこはあの少年の贔屓の店だ……前に教えて貰った事が有る。祖国の味に似ていると、嬉しそうに話していた。


「内容は知らない。でも、酷い事を言ったのは分かる!」


 大きく溜息を吐き、振り返ると今にも泣き出しそうなルカと名乗る受付嬢が、肩を震わせ立ち尽くしていた。


「で、どうして欲しいワケ?」

「……謝って」

「はァ?」

「あの子に謝って!」


 ルカの目から見る間に涙が溢れる。


 唇を噛み締め、何かを我慢するように表情を曇らせて行く。


「貴女が何を思って何を言ったのか私は知らない……でも、あの子が元気に旅立てる様に……この先で何が有っても乗り越えられる様に……楽しく生きられるように!」


 一息で言い切ったせいか、ルカの肩が上下している。


 見た目からは想像出来ない大きな声に驚き、それだけで彼女の本気が窺い知れる。


「あの子、ずっと泣いてた……自分が生き残った事が罪で、今は罰を受けているって……」


 あの日の事だろう。

 自分がやった事だ。

 自分が、自分で、望んで―――


「泣いて、吐いて、苦しんで、責めて……何を言っても、私じゃ駄目かも知れない……」


「それで? アンタのその身体で慰めてやったってワケ?」


 一瞬の躊躇いの後、頷くルカ。


「はっ、なら良いじゃないか! 私はこれで御役御免だろ? 何が問題なのさ?」

「まだ、聞いてないから……」

「何を?」


 ああ、この人は全て分かっている―――そう感じた。


 その理由も、その意味も……だって、同じ悲しみを知っている者の眼だったから。


「ちゃんと、話してあげて」

「話す事なんか無いよ……」


「あの子は、分かってくれる」

「何を今更……私の事なんてすぐに忘れる」


「このままだと、後悔する」

「私はしない」


「それは、嘘。だって―――」


 ルカが指差した先……その瞳から一滴、また一滴と涙が流れる。


「あ、あれ……なんで、こんな―――」


 信じられない物を見るかのように、狼狽しながらそれを拭うリズ。


「だって、それじゃ……うっ、うぅっ―――」


 懺悔するように漏らし、止め処なく溢れる涙が次々に頬を濡らしていく。


「あの子は子供だけど……そうじゃないから、ちゃんと話せば分かってくれる……理解の無い子供とは違う。ちゃんと男として、見てあげてほしい……それが、私の願い」


 ルカはそれだけ言うと、そっとリズを抱き締める。


「まだ、話せる内に……生きている内に―――」


 ルカの言葉に過去の出来事が脳裏に蘇る。

 一瞬の閃光のように光り、そしてまた消えて行く。


 嗚咽の中に懺悔の言葉が混じる。


「不器用……でも、私も同じ……」


 そう言ってルカは、泣き止むまでそっとリズを抱き締め続けた。





 出発を数日後に控えた最終調整日。


 ここ一ヶ月は更に訓練の内容が強化され、日々生傷が増えては治療するような状況だったが、順調に仕上がっていると思っていた。


 そんな矢先―――


「テメェ……ふざけてんのか!」


 リックがゼロを殴り付け、場が騒然とする。


 模擬戦と称して北門の平原で自分との試合中に、突然観戦していた筈のリックが飛び出したのだ。


 模擬戦はここ最近の成果を見てもらおうと、兼ねてからこちらが提案していた物だった。


「何が有ったか知らねぇがな、そんなんで何を任せられるってんだ! 言ってみろ!」


 殴られたゼロが地面に倒れ込んだまま動かず、心配になったルピナが駆け寄ると


「ルー!」

 と、それを咎められてしまう。


 昨日の雨の影響で泥濘が酷く、ゼロは既に泥塗れだ。


「……チッ! 出発までにその湿気たツラが治らねぇなら、この話はナシだ! ……他を当たらせてもらう!」


 リックはそれだけ言うと北門へ歩いて行く。


「何が……有ったんですか?」


 体を起こし尋ねる。


 口数の少ないゼロでも、問い掛ければ何かしらの返事をしてくれると思ったのだ。


 しかし今日は丸っ切りその返事が無い。


 初めて出会った頃のような覇気は感じられず、虚ろな瞳は空を捉えたまま動かない。


(後悔と……自責……?)


 呼吸の度にゼロの意識が流れ込んで来る。

 あの時のような温かさは無く、冷たい雨の様な感情だけが―――


「ルカさんと……リズさん?」


 ギルドの受付嬢と見知らぬ女性の名に反応を示し、一瞬だけ身を竦ませる。


(……隠し事は、難しそうだ)


 自虐的な笑みを浮かべ、ゆっくりと立ち上がるゼロ。


 左半身が土色に染まり、まるでそこだけ泥をかけられたようになっている。


(出発迄には整えておく……)


 一体何が有ったと言うのか、よろよろと歩くゼロを金熊亭まで送りそのままの足でギルドへ向かった。


(ルカさんは……)


 美人受付嬢として人気のルカさんは今日も元気に営業中だ。


 少し眠そうな瞳と濡れたような濃紺の髪が印象的で、同性の私でも思わず見惚れてしまう程、その美貌は憧れの対象でも有る。


 最初に話した時は少し驚いたが、実は熱さを秘めた母性溢れる人物だというのを知っているのは、もしかしたら私だけの特権かも知れない。


 先月に同僚のミーアさんを亡くし、その表情に翳りが落ちたとき野卑な冒険者の邪な思いに鉄拳をお見舞いしておいたのも、今となっては良い思い出だ。


「舐めたヤツァどんどんやってやれ」


 リックからのお墨付きも貰っている。

 冒険者はそのくらいで良いのだと―――。


「ルカさん!」


 慌てて駆け込んできたルピナに視線を向けるルカ。


 その顔は何時も通りだが、普段の水面のような雰囲気とは違い、今日は少しだけ波紋を立てていた。


「あの、あの……」

「お水、飲む?」


 慌てて言葉が出ないルピナに普段通りの口調で水を勧めるルカ。


 しかしそれに首を振り


「ゼロさんについて、何か知らないですか!?」


 ゼロの名を出すと少しだけ眉が上がり、眉間に皺を寄せる。


「何か……有ったの?」


 今日の一部始終をルカに説明すると


「……分かった。任せて」


 暫しの逡巡の後、何かを決意した様に力強くそう言った。


 一先ずその言葉を信じ、ギルドを後にする。

 この体質で困った事も多かったが、今日ほど有って良かったと思う事は無い。


 金熊亭に戻るとゼロの部屋に向かう。今日は走ってばかりだ。

 しかしここ半年の訓練のおかげか、息が切れるという事は全く無い。


 成果は何時しか身を助けるのだと、リック達から教わった事でも有る。


「ゼロさん、私です、ルピナです。入っても大丈夫ですか?」


 返事は無い。思考も流れては来ない。


 眠っているのだろうか、ゆっくり扉を開けるとそこには可愛いお尻が―――着替え中だった。


「ご、ごめんなさい!」


 慌てて扉を閉め、許可が出るまで待つ。後ろ姿で助かった……が、お尻をバッチリと見てしまった。


 ゼロさんは酷い人だ。こういう体質で困っているというのに、確認の為だけにあんな事やこんな事の想像図を送り付けて来た事が有る。


 今日で前も後ろも見てしまった訳だが、本当に気を付けようと思う。


 そんな事を考えていると扉が開き、中からゼロが出てくる。


 先程までとは違い吹っ切れたのか……まだ少し翳りが見えるものの、何時もと変わらない眼をしていた。


(心配掛けてすまない。下に行こう……これからの事を話したい)


 その言葉に頷き、一階の食堂へ向かう。


 カウンターでお絵描きをしていた少女が駆け寄って来る。

 先程ゼロを尋ねて来た旨を伝えると、心底心配したように思いを発していた。


「ゼロー!」


 そう言いながらゼロに抱き付き、ぐりぐりとお腹に顔を埋めている。

 ゼロはしゃがみ込み、少女の手の平に何かを書いている。


 これから……大事な話をする……だろうか。


 この体質は思考盗聴のような確実な物では無い。


 どうやっているのか、どうなっているのか、不思議と見聞き出来るとしか説明出来ないものなのだ。


 使用不使用くらいの操作は出来るが、基本的に流れっぱなしなので今はもう気にも留めなくなってきたが、それでも記憶の無い自分にとっては悩みの種の一つになっていた。


「リナ、良い子に出来るよ!」


 リナリーの言葉を聞き、ゆっくりと頷いたゼロが立ち上がる。


(好き!!!)


 子供は直線的で思いに裏表が無い。


 流れ込んで来る思考が無かったとしても、その表情を見れば一目瞭然だ。


 先程の汚れ物は現在洗濯中だという事を女将さんに告げられ、その際に飲み物を二つ注文する。


 壁際の二人掛けの席へと腰を降ろし、顔を突き合わせ到着を待つ。


(それで話なんだけど……先程は済まなかった。明日もう一度、時間を作って貰えないだろうか?)


 見た目の割りに大人っぽい喋り方をするゼロ。


 謝罪と要求を承諾し、明日同じ時間にもう一度という事で約束をする。


(数日で色々な事が有りすぎて、正直なところ頭が追い付かなかった……日を改めて貰う事も考えたけど、結果はあの様だった……)


 再度頭を下げ、ふとした疑問を尋ねる。


「何か……有ったんですか?」


 ゼロから思考が流れ込んで来る。誰かの部屋。寝ている? 腕? 振り向かされるゼロ。胸元が見える、そして―――。


(本当に、隠し事は難しいな……)


 顔を赤くして俯いた自分を見てゼロが呟く。


(とある事が有って、凄く辛かったけど……ある人に励まされた。そんな感じで頭がぐちゃぐちゃで、そのままの状態で行っちまった……本当にすまない)


 ゼロの言葉に首を振る。


(リックから殴られて目が覚めた。俺の前の世界っていうのは平和で、誰かに殴られるなんて事も、ほとんどやられた事が無かった)


 自虐的な笑みがゼロから溢れる。


(だからかな……この世界に来てからも、今思えばあいつには……グラムには大事にされていたと思う。とても、過保護に育てられてた)


 訥々と語られる内容に、どれほどの信頼を寄せていたかも同時に流れ込んで来る。

 本当に信頼していたのだ―――あの人の事を。


 その信頼していた師のような存在。親しくしていた者を失う悲しさ。そして突き放される寂しさ……だろうか。


 そんな感情が一気に襲い掛かり今日のような事になったのだろうと、自分なりに飲み込む事にした。


(凄く不安にさせたと思う。だけど……出来るならもう一度、機会を貰えたらと思う)


 三度目のお辞儀に

「顔を上げてください」

 と告げた。


 恐る恐るという言葉がぴったりな程、ゆっくり顔を上げるゼロがおかしくてついつい笑みを零してしまう。


「私がゼロさんにお願いしたのは腕っぷしが強いとか、魔剣を持ってるからとかじゃなくて……あの日、私を助けてくれた時、同じくらいの背丈なのに……大蛇に果敢に挑む姿が格好良く見えたからなんです」


(それは……グラムのおかげだよ)


 照れたように言うゼロの言葉に首を振る。


「それでも貴方は……怯えながらでもどうにか勇気を奮わせ、あの場を収めてくれました。だからゼロさんは、私の憧れなんです!」


(うん……ありが、とう……?)


 ゼロの顔も真っ赤だが、自分の顔も真っ赤になっているだろうと思う。


 こんな事を言うのは少し照れくさいが、少しでも励ます為の一助になればと思ったのだ。


「見て下さい!」


 そう言って両手を差し出す。


 その手には傷の治療痕が多く、手だけでは無く腕や脚にも同様に細かい傷が多い。


「この一ヶ月はそれはもう、思い出したくない程頑張りましたから! それに……」


 そう言ってゼロの手を取り、一心不乱に念じ始める。


『……すか……聞こえますか?』


 伝わったのか、ゼロの目が見開かれる。


(驚いた……グラムみたいだ……)


 その反応に満足気に微笑む。


「まだ触れてないと出来ないですけどね。グラムさんのように、あんなに離れた場所で双方向に思考を飛ばしたりは出来ません」


 そう、あの思考のやり取りは凄いのだ。


 難無くやっているように見えたが、いざ自分がやってみるとなるとこれほど難しい事は無い。


 仕組みも原理も、そもそも魔法なのかすら見当が付かない。


「だから、一人で悩まないで下さい! 一緒に旅に出る以上私も仲間なんですから!」

(あっ……)


 胸を張って良い所だと思ったが、ゼロの反応は予想外の物だった。


 天を仰ぎ、片手で顔を覆っている。


 見れば厨房の女将も同じように表情を曇らせていた。そして―――


「ゼロ、どこか行っちゃうの……?」


 椅子から立ち上がり、リナリーが歩いて来る。

 その顔は今にも泣き出しそうで、唇を戦慄かせていた。


 観念したのかゼロはリナリーに向き直ると座ったまま、その手の平に文字を書き出す。


「いや!」


 その手を払い除け、拒絶するリナリー。

 困ったような表情を浮かべ、ゼロが頭を下げる。


「ゼロは行かない! ゼロはずっと一緒だもん!」


 そう言って目に涙を浮かべ、下膨れの頬をもっと膨らませるリナリー。


 淡い恋心に暗雲が立ち込め、次第にそれが嵐へと変わって行く。


(ごめんな……)


 それだけ呟きゼロがリナリーの頭を撫でる。しかしそれを再び拒絶し


「きらい! ……ゼロなんかだいっきらい!」


 そう言い残し走り去ってしまう。


 厨房の女将も肩を竦め、困ったという表情を浮かべている。

 完全に自分の失態だ。深く反省する。


(気にしないでくれ。後でちゃんと謝っておく……)


 表情を見て察したのか、ゼロからの言葉に感謝すると共に話をする空気では無くなってしまったため、今日は一旦お開きという事になった。


(それじゃ、出発は明後日に)

「はい。明日の模擬戦、楽しみにしてますね!」


 金熊亭を後にして拠点へと戻り、リックの部屋を訪ねる。


 お屋敷のような拠点内は広く、廊下も高価な調度品や絨毯が敷かれており、つくづく自分には不釣り合いな気がしてならない。


「おう、なんだルーか……どうした?」


 リックはそうだけ言うと自室に招き入れ、片手で座るよう促す。


 室内は簡素なもので、どこか冒険者用の宿を想起させる物で溢れていた。


 苛々や不安、それらを忘れるためにお酒を飲んでいたようで、元の席に乱暴に腰を下ろすリック。


 ゼロの様子や明日の模擬戦の旨を伝えると


「けっ……なら初めから気合い入れろってんだ……」


 そう悪態をついてお酒の入ったグラスを呷る。


「明日の内容次第で考えてやる……」


 模擬戦には最果ての三人やリックの部下三人も同席する事で、最終的な判断を下すとの事だ。


 これまでの成果をぶつけるのだ、不甲斐ない物には出来ない。


 自室へ戻りベッドに倒れ込む。

 今日は色々な事が有り、少し疲れてしまった。


 色々な人の思い……辛く、苦しい思い。


 それでも人は前に進まなければならない。


 その道がどれだけ険しく、絶望に満ちていても、その身が血に塗れたとしても―――


(それは、私の言葉……?)


 頭の奥で鈴が鳴る。


 肯定するように、悲痛な音色が何度も鳴り響く。


 あの日、宵闇の皆に救われてから絶えず鳴り響く、弱々しい何者かの意志。


 前世、宿る意志、意識だけの存在、それらの話を聞いた時、少しだけ動揺してしまった。


 自分の中に眠るこの明確な意志を持った存在は、それと同じなのだろうか―――と。


 再び鳴り響く鈴の音。

 肯定だろうか、否定も少し混じっているような気がする。


 半年が過ぎある程度は分かるようになってきたが、それでもまだ完璧には遠く音色はか細い意志を伝えるままだ。


 この旅で何か分かるだろうか、それとも何も分からないだろうか……願わくばこの旅の果てで、皆が笑顔で居られますように。


 そう願うと、鈴の音は一層と弱々しく鳴り響いた。

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