第七話 ~雨と化物~

《第七話 ~雨と化物~》


 目を開ける前に意識を覚醒すると、夢を見ていたのだと感じた。


 何か、凄く大事な事を言われたような気がするが……思い出せない夢というのは歯痒く、考えれば考えるだけ靄々が残る。


 体を起こすとそこは金熊亭で、ベッドの傍らにリナリーが寝息を立てて眠っていた。


 その頭をそっと撫でると


「ん、んん……」


 眠そうに目を擦りながら起き上がる。


「あ!」


 驚いたように声を発し、部屋から出ていくリナリー。


 暫くすると騒々しい足音が聞こえ、部屋にラウル、クリス、ビオラの三人が駆け込んで来る。


「良かった……」


 安堵したようにラウルが漏らすとクリスとビオラが抱き着いて来た。


 再びベッドに押し倒され、二人がわんわんと泣き出すので身動きが取れない。


 首を動かしラウルを見ると、その様子を優しく見守っていた。


 泣き止むのを待って話を聞くと、ラウル達は昨日の夜にはリアモに着いていたと言う。


「大丈夫そうだって聞いてたけど、起きるまで安心出来なくてね」


 その説明に頷く。


 どうやらぐっすりと眠っていたようで、事の顛末を教えてもらう事にした。


 襲撃後はそれほど大きな混乱も無く、無事に残党を街から排除。領主も無事で、今は戦後処理に追われているそうだ。


 冒険者ギルドもそれに合わせ、今回の襲撃で使用されたとされる魔道具について勇聖教に対し抗議文を送っている。


「返事次第では一波乱あるだろうけど……リチャードさんは優秀だからね」


 リアモが属する国は【自由国家:ホクト】であり、その中のリアモだから……ホクト国リアモ県みたいな感じだろうか。


 国境が無い国で生まれ育った、ある種の弊害が思考の邪魔をする。


 トール達のパーティは神聖国のものだと言っていたが、勇聖教の本部が神聖国に有る為ラウルが懸念しているのはその事なのだろう。


 自由国家ホクトは名前の通り自由を重んじている国で、亜人種に対して抵抗が有る人間は少ない。


 それは他種族が多い魔法帝国にも同じ事が言えるらしいが、神聖国と軍事国は亜人種への差別が他国の比にならないらしい。


 仲良く平和にやっている所に土足で入り込み、自分達の教えに従わなければ今回のように事件を起こす……というのが奴等のやり口らしい。本当に気が狂ってるとしか思えなかった。


 他国に比べ歴史の浅い神聖国がここまで大きくなったのは、偏に召喚された者達の功績に依る所が大きいと前に書物で読んだ覚えが有る。


 現在みたいな気狂い国家であるとすればここまで大きくならない筈だと思うので、恐らく大昔の異世界人はまともだったのだろう。


 すると―――


「おーい、起きてっかー?」

 と言いながら、リックが部屋の扉を開ける。


「って、うおっ! 何でこんなに居んだよ!」

 姿は見えないがどうやら驚いているようだ。


 リックはぶつぶつ言いながら部屋に入って来ると、ベッドの上に硬貨の入った袋を置く。


「昨日の働き分と、水薬の分だ。全部で金貨十五枚……ま、妥当だな」


 どうやらギルドから報酬が支払われたようで、それを律儀に届けに来てくれたようだ。


「アンタ、ちょろまかして無いわよね?」

「んなコトするか!」


 最初の印象と随分違い、クリスとじゃれ合うリック。


「金もそうだけど、客を連れて来たんだよ……昨日の事、聞きてーかと思ってな」


 リックの呼び掛けに応え、部屋に現れたのは何時ぞや大蛇に追い掛けられていた一人の冒険者だった。


「あ、あの……本当にごめんなさい!」


 暗い、深紅のローブがばさりと揺れる。


 突然の謝罪とお辞儀に困惑の表情を浮かべていると


「おい、いきなり言われても分かんねえだろ……」


 フードローブの冒険者は再びすいませんと連呼し、低頭を繰り返している。


「よし、とりあえず下の食堂に行こう! ……流石にここでこの人数は、ちょっと狭くない?」


 四畳程の空間に立っているとは言え、大人五人がすし詰め状態なのだ。

 心なしか室温も上がっている気がする。


 ラウルの提案でぞろぞろと出ていく一同。『全く騒がしい奴等だ』と、グラムの呆れ声が聞こえた気がした。


 一緒に居た頃は窮屈に感じたものだが、どうやら喪失感はそれなりに大きいらしい。


 何時もより眺めが良い自室に戸惑いながら、その扉をそっと閉める。


 するとビオラが扉の陰から現れ、思わず驚き後退りしてしまう。

 その面持ちは暗く、何かを思い悩んでいるようだった。


 そこまで慎重に閉めていなかった筈だがまだ気付いていないようで、下から顔を覗き込んで漸くこちらに気付いたのか


「あ、ごめんね……ちょっと考え事」


 そう言った。


 表情は少しも晴れてはいないが、とりあえず行こうと親指で後方を指し示し、踵を返して歩こうとした瞬間


「本当に……ごめんね」


 後ろから抱き締められ、耳元で囁かれる。


 理由が分からなければ何に対しての謝罪なのかも分からず、首に回された腕に手を置く。


 恐らく今回の事―――全ての出来事に対して、全ての人に対して、ビオラは胸の内を吐露するように吐き出しているのだろう。


 腕を解いてから振り返り、頬を伝う涙を拭ってやる。


 笑顔は作れなかったが、それでも何とか微笑んで見せると少し納得したように頷いてくれた。


 再び茶化すグラムの幻聴が聞こえる。

 そんな行動がさらっと出来るのは見た目の良い奴だけだ……と、軽くなった背中に言葉を返した。


 食堂に着くと既に四人は席に座っており、一同は二人の到着を待っていた。


 食堂隅の大人数用テーブルには人数分の飲み物が用意されており、四人掛けの長椅子にはそれぞれリックとフードローブの冒険者、向かいにクリスとゼロとビオラ。


 ラウルは一人用の椅子に腰を下ろしている。


「集まったね。それじゃ、話を聞かせてもらおうかな」

「は、はい。その前に……」


 フードローブの冒険者はそう言って被っていた部分を下ろすと、中から現れたのは予想よりも数段幼い顔立ちの女性だった。


 声の感じや喋り方、フード越しにも分かる体格で女性だと思ってはいたが、大人と呼ぶにはあまりにも幼い……少女と言っても過言では無い顔付きは、およそ冒険者らしからぬ物だった。


「私【ルピナ】って言います。半年前に、宵闇の剣に入隊しました」


「半年前って言うと……」

「ほら、ほとんど全員で南に遠征した……」


 リックの補足に合点が行ったのか、思い出した顔をするラウル。それに頷き話を続けるルピナ。


「私の村は、ここより南の亜人領に在った……らしいんです」

「記憶喪失なんだよ、コイツ」


 再度リックが補足する。


「大将もお人好しだからな……亜人狩りが多い地域の調査依頼に行ってみたら、そこに居た奴隷商達と戦闘になったって訳よ」


 苦虫を噛み潰したような顔でリックが吐き捨てる。


 あまり思い出したくない内容なのだろう、その顔を見るに碌でもない事なのは間違い無い。


「原因はその奴隷商隊だろうって事で一応終わったんだが―――」


「その、私だけ捕まる前の記憶が無くって……宵闇の皆さんにお世話になってるんです」


 ガルフ達宵闇の一行が見付けた時、既に数台の荷馬車は亜人達で埋め尽くされていたと言う。


 その全てを解放し、故郷へと送り返した……筈だったのだが、ルピナだけは自分の名前や年齢、能力だけしか覚えていなかったとの事だ。


「私、半人族なんです……」


 言うなりルピナの体は小さくなって行き、見る間に子供……リナリーと同じくらいの大きさに変わる。


 着ていたローブはぶかぶかと、両方の袖はだらしなく途中で垂れている。


 顔付きも先程より更に幼く、同じなのは桃色の髪とボブっぽい髪型くらいだ。


 そうして再び元の大きさに戻ると


「話がそれてごめんなさい……この後の相談の為に、自己紹介が必要だと思ったので……」


 と、言った。


「昨日ゼロさんと別れた後、私達のパーティはグラムさんの方……教会へ行きました」


 そこまで聞くとゼロは

(敬称は要らない)

 と、テーブルに書きながら言う。


 冒険者はそういうものだとグラムは言っていたが、もっと戦略的な理由が有るらしい。


 躊躇うルピナに皆も頷く。


「えっと、それじゃ失礼して……」


 そうしてルピナは一部始終をゆっくりと話し始めた。





 教会に着くと既に怪物はここまでの道程と同様に焼かれ、潰され、冒険者ギルドの受付嬢ミーアと魔剣グラムの活躍によって平穏を取り戻していた。


「よし! 急いで逃げるニャ!」


 孤児達と修道女を誘導し、逃げようとした瞬間


「あはッ! 見ぃ付けたァ!」


 狂気に震える声とともに、上空から襲い掛かる女武闘家サクラ。


『猫娘!』


 グラムが叫び既の所で飛び退くが、放たれた攻撃は大地を割り、破片がミーアの頭部に当たる。


「んニャッ!」


 その衝撃で受け身が取れず、滑り込む形でミーアが倒れ込むとすかさず追撃の構えを取るサクラ。


 それをさせまいとグラムが斬り掛かる。


 主が不在の魔剣は宙を駆り、大きな弧を描いて斬撃を繰り出す。


 躱されるのが想定内とでも言わんばかりに、身を翻したサクラの頭上から次々に炎弾が降り注いだ。


『立てるな?』

 グラムの声に頷くミーア。


 立ち上がり、魔法が止むとグラムとミーアは互いに距離を取り、三人それぞれが機を伺う。


 先に仕掛けたのはグラムだ。


 自身の周囲に数個の水球を展開させると、その全てが獲物を見定めて襲い掛かる。


 細く、靭やかに、まるで蛇のようにうねりながら動く様はさながら水の鞭と言ったところだろうか。


「くっ!」


 上空へ逃げるサクラだが水鞭は尚も追撃を止めず、抉った地面の中から追いつくなり瞬時にその身柄を拘束する。


『やれやれ、空中での回避手段も無いのか……意味が分からんな。もういい、後は任せたぞ』


 侮蔑するようなグラムの言葉に続きミーアが駆け出す。


 落下予測地点で腰を深く落とし、勝敗はあっけなく決まった……そう思った時だった


「はい、ダメー」


 もう一人の異世界勇者、トールが現れたのだ。


 ミーアの拳をいとも簡単に受け止め、落下してきたサクラを事もなげに確保する。


 ミーアも弱い訳では無い。冒険者ギルドの受付という花形は、見た目や事務能力の高さもさる事ながら、何よりも戦闘力が重視されるのだ。


 どういう絡繰りなのか受け流した衝撃が背後に突風となって巻き起こり、トールは無傷のまま静かに佇んでいた。


 ミーアは瞬時に距離を取り、相手の様子を窺っている。


『良い判断だ。普通は呆けるものだが……誰かさんにも見習わせたいものだな』


 身のこなしは素早く、自分の目から見てもその洗練された動きは日々の努力を容易に想像させる。


 二対二……形勢は互角になったと思ったが、それは間違いだった。トールがサクラの拘束を解いていると


「ミーちゃ……」


 トールの影から現れた女魔術士が、一人の少女を盾に連れ歩く。


『貴様等……一体どこまで堕ちれば気が済むんだ!!』


 頭の中に痛いほどの怒号が響く。


 先程までの無機質な声では無く、怒りに塗れた青年のような声だ。


「状況は飲み込めたかな? いやなに、僕達の目的はそこの魔剣だけなんだ……大人しくしてくれれば誰も傷付かないし、傷付けないと約束するよ……我が神に誓って、ね」


『糞共らしい誓いだな……』


 何か因縁でもあるというのか、吐き捨てられた言葉に無数の憎悪が詰まっている。


 依然として少女の首元には短剣が当てられ、その顔は恐怖に引き攣っている。


 それを見たミーアは何かを悟ったように小さく微笑んだ後、戦闘態勢を解き


「分かったニャ。そちらの要求を呑む代わりに、その子を離してあげて欲しい……」

「はァ!? アンタが交渉できる立場だと―――」


 激昂するサクラの言葉を片手で制し、トールが前へ出る。


「それは困る。この子を解放した瞬間、その魔剣がどこかへ行ってしまうかも知れないじゃないか……前のように、誰にも触れない結界を張ったりとか……ね?」


『おい、何をする気だ……』

(後は任せるニャ……)


 ミーアはグラムを一瞥し、一歩進み宣言する。


「それなら代わりにミーが人質になるニャ……だから、どうかその子を離してあげて欲しい」


『やめろ! そいつ等が約束を守ると思ってるのか!』


 毅然とした態度で宣言するミーア。両者の間には未だ距離がある。


「おい、ルー。チャンスが有れば奪い返してずらかるぞ。後ろのガキ共はあいつ等に頼んである」


 背後に視線を送ると、馴染みの面子が緊張した面持ちで小さく頷く。


 一歩、また一歩と進む度にミーアの思いが流れ込んで来る。


「ダメ……ダメだよ!」


 気付けば叫んでいた。叫ばずには居られなかった。


 これから起こる事が、悲劇が、あの三人の残忍な思考からその全容を容易に想像させてしまったからだ。


 トールの前で歩みを止め、ミーアはサクラによって後ろ手に拘束される。

 少女は解放され、おずおずと歩きミーアを心配そうに見詰める。


「大丈夫ニャ……みんなの所に行くニャ……」


 そう言って笑顔を作るミーアだが、僅かに声が震えている。


 これから自分の身に起こる事、その全てを悟り魔剣へと語り掛けた。


(勝手に約束して悪かったニャ……でも、これで心配は無くなったから……だから、あとは全力で、ミー達の街をめちゃくちゃにしたこいつ等を……倒して欲しいニャ)


『何を勝手に諦めてる! 待ってろ、今―――』

(止めるニャ!)


 ミーアがグラムの言葉を遮る。


(手の内はそこの魔術士のせいでバレてるんニャ……思考盗聴なんて珍しい魔法、持ってるって事はギルドマスターから聞いてるニャ……)


 自分と同じ体質……魔法だろうか、どうやらあの三角帽子の魔術士も思考を読める事が判明する。


 件の魔術士が魔剣に歩み寄り、その柄に手を掛ける。


 慣れた手付きで呪符のような物を貼り付けるのを見届け、トールはサクラに顎で合図する。


(後は頼むニャ。どうかこの街を、みんなを―――)


 ミーアは一筋の涙を流し、サクラに突き飛ばされる。


 目を瞑り、これから起こる運命を受け入れたように、その表情は優しく穏やかであった。


 ぴん、と鞘から引き抜かれた長剣は瞬く間に虚空を走り、元の鞘へと戻る。


「……ッ! 走れ!!」

『貴ッ様ァァァアアア!!』


 リックとグラムが叫ぶ。


 背後から足音が遠ざかり、魔剣の周囲に魔力の嵐が吹き荒れる。


「解放してあげたんだよ……亜人如きが普通の顔をして生きる、その罪からさァ……」


『ロァ・シル・イェルム・イム・コスプ……光り輝け、禍津の星よ。その身を以て我が仇敵に必定の―――』


 五節以上の長文詠唱はこれから起こる上級魔法の予兆を示していた。


 光、物質と生成、それと……死。初めて聞く言葉も有ったが詠唱は尚も紡がれ続ける。


 前節、後節と上級を通り越し災害級の魔法を予感させるそれは、この場に居るだけで魔力の奔流に全身が痺れてしまう。


「させないよ」


 何時の間にか背後に用意していた槍を魔剣へと投げ付けるトール。


 射出された白銀の槍はグラムに衝突した瞬間、まるでせめぎ合うように閃光を生み出す。


 激しく迸る電撃にも似た光は暫く続き、それが収まると辺りは再び静寂に包まれた。


「へぇ、本当に使えるじゃん……ただの骨董品だと思って、半信半疑だったけど」

『それ、に……触るんじゃねえクソアマ……それはお前如きが持って良いしろも、じゃ―――』


 グラムの声は途切れ、サクラはミーアの頭部を槍でいじくっている。


「やめろ!」


 今にも飛び掛かりそうなリックが叫ぶ。冷静さを保とうと唇を噛み締め、勇者の一行を睨み付けた。


「なら止めればぁ? ま、もう用は済んだしぃ……後はあのクソガキの悔しがる顔でも見てから帰るとしようかなァ」


 どこまで醜悪なのだろうか。


 死者を弄ぶようにその頭部に槍を突き刺し、まるで聖者のように誇らしく、意気揚々に高々と掲げる。


「なんでもいいさ。行こう……雑魚に用は無い」


 トールがそう吐き捨て三人が去る直前、グラムから言葉を託されるルピナ。


(えっ―――)


 聞いていた事に気付いていたのか、その内容は突拍子も無いものだったがそれでも、その悲痛な願いを無視する事は出来なかった。


 姿が見えなくなった今も、連綿と託される続ける言葉達。


(……分かりました! 私が絶対に届けます!)


 力強く返答すると、グラムは満足そうに小さく笑った。





「以上が、あの時教会で起こった全てです……その後、リックがあの三人を追い掛け、私はミーアさんを教会へ運んだ後、避難経路を見回り南へ向かいました」


 リックの言葉で何となくだが、薄っすらとゼロには分かっていた。


 グラムやリック、ミーアがそう簡単にやられる訳が無いとは思っていた……が、ルピナの話を聞いて漸く納得が出来た。


 重い沈黙……その場の誰もが言葉を発さずに、暫くの間それぞれの方法で話を無理やり呑み込んで居るように見えた。


 そんな重苦しい空気を最初に破ったのはクリスの罵倒だ。


「……それで死んでちゃ世話無いわよねー。ほーんと、バカ」

「てめぇ! それ本気で―――」


 その言葉にリックが怒号と共に立ち上がるが、再び腰を下ろしそれ以上は誰も何も言わなかった。


「本当に、バカなのよ……」


 俯くクリスにビオラがハンカチを渡し、恨み言のように呟き続けるクリス。


 重苦しい空気の中、ルピナが頭を下げた。


「ごめんなさい……私があの時―――」


 クリスがそれを片手で止めさせる。


「謝らないで」

「でも……」


 その表情は先程までと違い、精悍な冒険者のものに替わっている。


「ミーアは自分の考えでそれを実行した……貴女が謝るという事は、その決意を否定する事になる」


 ラウルとビオラ、リックも同様に目を瞑り深く頷く。


「それにな、俺達が謝った所で生き返る訳じゃない……その場に居られなかった奴が、余計に責任を感じるだけだ……って言ってんのに、謝るって聞かねえからよ」


 リックがそう言い、その言葉にも頷く三人。


「だから謝らないで……ありがとう、ね。ミーアを教会に置いといてくれて」


 クリスの意外すぎる対応に驚く。


 今すぐにでも殺しに向かいそうなくらいブチ切れるかと思ったが、そこは流石にB等級の冒険者……潜って来た場数が違うのだろう。


 ラウルが手を挙げると直ぐさま人数分の飲み物が用意される。


 先程の木製のジョッキとは違い、片手程の大きさの物に葡萄酒が入っていた。


「ミーアの勇気に」

 ラウルの号令で木製の杯を掲げる。


 その行いを讃えるように、悲しみを払拭するように、全員がそれを一息で飲み干した。


 勇気がある者を指して勇者と呼ぶならば、ミーアの最後はそう呼ぶに相応しいだろう。


 血の繋がらない家族の為に、果たして自分に同じ事が出来るかと問われれば……自信が無かった。


「そんな事……!」


 ルピナが突然立ち上がり叫ぶ。と同時にしまったと思うのだ。


(そうか、考えが……読めるのか)


 つい何時もの調子で口を動かしてしまい、頷くルピナを見て動揺が走る。


「最後にグラムさんからのお話をしたいんですが―――」


 チラリと視線を配るルピナを見て


(大丈夫だ。話してくれ)

 と、頷く。


 事前にそういう魔剣だと言う事は皆知っている。どんな内容であれ、ここに居る面子に聞かれて困る事は無いだろう。


「しくじってすまない。我を取り返そうと思うな。今まで楽しかったぞ―――です」


 なんとも簡素な内容で、身構えた自分が阿呆らしくなって来る。


 それと同時にグラムらしい勝手な言い草に、自然と笑みが溢れた。


(……よし、殴りに行こう)

 間髪入れずにそう決意した。


 加えてもしかしてもしなくても、同郷の人間の仕業かも知れないのだ……けじめは付けるべきだろう。


「殴っちゃ駄目ですよ? ……もしも追って来る事になったなら、亜人領から魔法帝国に入国するように……とも聞いています」


 魔法帝国……前にグラムと雑談した時の事だろうか。確かそこには調整用の―――


 そこまで思い出してハッとさせられる。

 グラムの居ない今、自分は時限爆弾を抱えているような危険人物なのだという事を―――。


 目覚めてからそこまで異変を感じては居ないが、このまま行けばきっと爆発四散するに違い無い。偉い事だ、どうしたら良いのだろうか。


 テーブルに肘を突き頭を抱えた。


 時間は大丈夫なのか。何故わざわざ遠回りさせるのか。そもそもそこで誰に何を聞けば良いのか……一瞬にして頭の中を疑問が埋め尽くす。


「落ち着いて下さい!」


 ルピナの声に我に返るゼロ。


 二人の様子を見ていた面々が心配を口にすると、ルピナが一通りの説明をする。


「要は調整でしょ? 何がそんなに難しいのかしら?」


 疑問顔のビオラが呟く。


 確かに言われてみれば魔術士なら、魔術士で無くとも誰もがやっている事だ。


 特別難しい訳でも無さそうだと思うが、自分の中に根付く三つの魂がそうさせるのかも知れないと補足する。


「三つ?」

 クリスの言葉に頷く。


(……俺も、あいつ等と同じ……異世界人だから)

 前世の事、リュカの事、森狼の事、それら全てを簡単に説明し、声が出せない理由や少年神にそれを望んだ事も掻い摘んで説明する。


(年齢も詳しく分かっていない……十歳かも知れないし、二十歳かも知れないし……)

「いやいや二十って事は無いでしょー」


 リュカの体に備わっていた下半身を見つめ、大人っぽい部分……等と考えるとルピナが飲み物を吹き出してしまう。


 気を付けようと思った。


「はー、なんか凄ぇ話だなぁ」


 リックの言葉に頷き


(今まで黙っていてすまない)

 と、頭を下げる。


「なるほどね。お酒が好きな理由も漸く分かったよ」


 ラウルは溜め息混じりに納得してくれたようだ。


「お酒? あんたまた飲みに行ったの……?」


 クリスの追求に苦笑いを浮かべるラウル。


 パーティの長は皆に内緒にするのが通例なのか、前に支払いの礼をガルフに言おうとした時も慌てて隠されたのを思い出す。


「中身が大人ならお姉さんと……」

 ビオラの眼が妖しく光る。


 丁重に断ると頬を膨らませて不満を口にするので


(三人とも、兄と姉だと思っている)

 と、手に書いて伝える。


 その言葉に何かが刺激されたのか、思い切り抱き締められた。


 何とかそれを引き剥がし、ルピナに向かって続きを教えてくれと頼む。


「魔法帝国に在る学園で、そこの教授さんに会って欲しいそうです」


 漸く話が見えてきて安心した。


 そこまでの道のりは大丈夫と言う事だろう……しかしルピナは首を振り


「爆発します」

(えぇっ!?)


 上げてから落とす……何ともグラムらしいやり口だと感じた。


 天を仰ぎ、短い二度目だったなと悲観していると


「大丈夫です、私が教えてもらいましたので……そこでお願いなんですが、私を亜人領に連れて行って欲しいんです」


 グラムと同じ処置をルピナが出来ると言うのか。


 ルピナの提案に二の足を踏むゼロを見て


「凄いですね、グラムさんって……まるでこの状況が分かっていたみたいです」


 未だ何かあると言うのか、ルピナは一通の封筒を取り出す。


「この中に必要な情報を全て書いておきました。断られたらこれを交渉の材料にしろと言われて……」


 それを見てラウルが笑い出す。


「あっはっは、伊達に魔剣じゃないね。僕達よりもよっぽどゼロの事を理解している」

「ほんと……ちょっと凄いわね」

「お姉さん妬けちゃうわ……」


 感嘆なのか唖然なのか、各々が感想を口にする。


「俺からも頼む。さっきの話の通りコイツは亜人領で生活してたんだ……お前が一緒に行ってくれるなら、安心して送り出せる」


 見た目からは想像出来ない過保護っぷりを発揮するリック。


 なら付いて来てくれとも思うのだが、クリスを見てそれは無理な頼みだと気付かされた。


「絶対にお役に立ちます!」

 鼻息荒くルピナが押し売りして来る。


 グラムの言葉はルピナの事だったのか、腕を組み大蛇事件の事を思い返すと正直言って不安でしか無い。


「あの時はその……まだ未熟でしたので……」


 申し訳無さそうに呟くルピナ。


「結論はまた今度でも良いんじゃない?」


 そんなラウルの言葉に頷く。


 確かに時間はまだ有る……作られたと言うべきなのか、魔法帝国を目指すにしても、亜人領を目指すにしても、準備期間は必要だと思った。


 一通り話を終えた一行は金熊亭を後にする。


 その足で向かった先は教会で、そこに先程までの和やかな笑顔は無く、沈痛な面持ちのまま足を踏み入れた。


「今回の襲撃事件で怪我人は出たけどミー子の頑張りなのかな、死亡者は一名だけだった―――」


 クリスの言葉に続きは無い。

 祭壇の前には棺が置かれており、そこにミーアが横たわっていた。


 白いワンピースのような死装束を身に纏い、同じ色の花で棺内が埋め尽くされている。


 首には白い布が巻かれ、痛々しい傷痕が見える事は無い。


(……ミーアの勇気、少し貰って行く。後は任せて安らかに眠ってくれ)


 相棒の不始末は片割れの自分が担うべきだろう。自分の不始末も有る。

 託された思いを胸に刻み、顔を上げる。


 両手を広げ、少し俯いた姿で佇む少年神バイユの像―――その顔から何かを読み取る事は出来ない。


 ただ、これが仕組まれた運命的なものでは無い事を祈るばかりだ。


 沸々と怒りが湧き出し、教会内から出てもそれは収まらなかった―――が


「それじゃ、僕達はちょっと行ってくるから」

(どこに―――)


 そう問い掛けようとした瞬間その目的地も、彼等の怒りも、これから何が行われるのかも、その全てを理解した。


 大人だ、場数だ、慣れているんだ等と勘違いも甚だしい……只々必死に押さえ付けて居ただけなのだ。


 ここまでは我慢しよう。ここまでは冷静で居よう。

 皆の前で暴れて取り乱し、不安にさせないよう努めていたのだろう。


 穏やかな気持ちのままでミーアを送り出した後、ラウル達は衛兵の詰め所へと向かって行った。


「俺ですらああだったんだ、ミーアはここの出身……一緒に育ったあいつ等がああなってもおかしくはねえよな。敵ながら同情するぜ」


 三人を見送りながら、リックが呟く。


「それじゃ俺等も一旦帰るぜ。出発するにしても、当分先の事なんだろ?」


 リックの言葉に頷く。


 教会の前で二人と別れ、空を見上げる。

 二つの喪失感と無力感が去来するのを感じ、胸の辺りを締め付ける。


 このまま何もせずに引き籠もりたかった……が、自分の中に強く根付いた怒りがそれを是としない。


 一先ず今日は挨拶を済ませ、無事を報告したら宿でゆっくりしよう。串焼き屋の無事も確かめたい。


 ルカにやるべき事を教えてくれた礼も言いたい。

 リズの安否も確認したい。

 新しい武器も買わなくちゃだし、やる事は沢山有った。


 迷った時、助言をしてくれる魔剣はもう居ない。


 返事の無い背中が少し淋しかった。


 そうして迷宮の氾濫から数日後―――朝食を摂っているとラウル達がやって来た。


 魔剣の無くなった自分を心配して、また旅立つ事を計画していると知って武具の新調と修行を提案してくれたのだ。


 三人の申し出を快諾し、件の武器屋に顔を出す。


 どんな武器が良いか、防具はどうすべきか、外套や頭部の保護など、今まで自分がどれだけグラムに頼っていたかが分かる瞬間だった。


 次に冒険者ギルドに行くと、等級は先の襲撃事件の際に尽力した事、以前から迷宮産の魔石を納品していた事などが評価され、D等級への昇格を果たす。


 昇級費用の支払いをして、余った金貨は冒険者証に入金する。


「漸く半人前ね」


 新米、駆け出し、半人前……Cで一人前だっただろうか。グラムの居ない自分にとってD等級というのは、なんとも皮肉が効いていて笑ってしまう。


 心なしか、ルカも微笑んでいるように見えた。


 貴族街にある宵闇の剣の拠点へ行くと、予想以上の豪邸で驚く。


 門から庭から映画で見た事のある宮殿のようで、どこもかしこも物凄く広く、芝生に剪定してある植木……果ては噴水まで完備している。


「宵闇は在籍人数が多いからね」


 門の前に立つとリックが歩いて来る。


 拠点内に案内され応接室へ通されると、暫くしてルピナが現れた。


 室内はやはり豪華で、華美なシャンデリアや装飾に凝った柱、白い壁、高そうな調度品等など……応接室という事も有るのだろうが全体的に目に眩しい。


「それでは施術しますね。両手を出して下さい」


 言われるままに従い、ルピナが手をかざすとぼんやりと光りだす。


 しかしそれもすぐに収まり、これで終了だと言うのだから拍子抜けである。


「これで七日くらいは大丈夫ですから、安心して下さいね」


 事もなげに言ってのけるルピナ。


 魔法も扱えるとなれば確かに有能なのかも知れない……変身する魔法? も使っているので当然と言えば当然なのだが、最初の印象よりも随分としっかりした感じがした。


「一ヶ月ね……良いんじゃねえか? それまでに俺等も、コイツを鍛えておかねえとだしな」


 施術が終わり、中庭に見送りに出てきたリックがぶっきらぼうに言い放つ。


 ルピナは相変わらずもじもじとしており、申し訳無さそうに背を丸め俯いている。


(……一緒に旅をするならしゃんとしてくれ)


 その言葉に従い背筋を正し、きりりと歩く姿は素直で好ましいものだった。


 少し不安では有るのだが、今はリックの手腕に任せるしか無い。


 そして―――


「お待ちかね、修行の時間ね!」

 北門の平原で対峙するゼロとクリス。


 剣で打ち合うのかと思いきや、最初は本当の手合わせ……単純な力比べから始まる。


 互いに両手を鷲掴みにし、両足で踏ん張りながら押し合う。


「全力で来なさいよ? でないと……!」


 それなりに力を入れていたつもりだったが、力任せに空へぶん投げられる。


 数秒後にはクリスの腕の中へすっぽりと収まっており


「こうなっちゃうわよ?」

 と、涼しい顔で言われてしまった。


「クリスちゃん腕力だけはオーガ並だから……」


 ビオラの言葉に頷くラウル。クリスが二人を追い掛け始めていた。


 一通りの測定後クリスに勝っているのは瞬発力くらいなもので、筋力も持久力も戦闘技術も圧倒的に負けていた。


「その歳でそれだけ出来れば十分よ」


 そう慰めてはくれたが、課題が増えたことは否めない。


 続いては剣術―――というか武器術についてだが、剣術の才能は丸切り無いと宣言される。


「あげたものだから良いんだけどね……こんなにぼろぼろになるとは……」


 長剣を見せクリスが嘆いた。


 使っていた魔剣が魔剣だけに、その点も踏まえて武具を注文するべきだと教えてもらう。


「それじゃあ次は私の番ねー」

 ビオラは魔法担当らしい。


 クリスはラウルと一緒に教会内の拠点へと戻り、残った二人は平原の岩に腰を下ろし、準備を進める。


「生活魔法は大事よ? それに単語独自の効果がそう呼ばれているだけであって、生活魔法とは全ての基礎にして基本なの!」


 薄々感じていた事だが、クリスが守銭奴ならビオラは魔法狂なのだろう。


 先程もルピナと何やら話していたみたいだが、未知の魔法というのはそれだけで価値が有るようだ。


 しかし発声が出来ない自分に練習する事が出来るのだろうか……その疑問を払拭するように、ビオラは魔法鞄から一枚の紙を取り出す。


 小首を傾げていると声を発さずに火を灯すビオラ。


 紙には魔法陣が描かれており、小さな灯火はその上でゆらゆらと揺れている。


「これが生活魔法……正確には一節魔法ね。初級魔法と呼ばれるものがニ節魔法で、二つ三つと増えていく毎に中級、上級と上がっていくわ」


(その上は?)


 ビオラはゆっくりと頷き説明を続ける。


「上級の上……災害級魔法は八節以上に加え、独自の法則が必要になるわ。中級以上の魔法は、ちゃんと魔力が調整出来るようになってからにしましょう……でないと」


 ビオラの持っていた紙が炎に包まれる。


「こんな風になっちゃう」


 にこやかに言ってはいるが一歩間違えると大惨事になるのだろう……不安が募る。


 無詠唱魔法は使えるかとの質問には少し困ったように、何かを悩み思案顔のビオラ。


「見てもらった方が早いわね」


 そう言うと片手をかざし、水球を生み出し射出する。


 真っ直ぐに飛んだ水球は十歩程直進し、推進力が無くなると地面へ落下し破裂する。


「今のが無詠唱ね? そしてこれが―――」


 再び片手をかざし、呪文を詠唱するビオラ。


「イム・ワト……水球:ウォーターボール」


 先程よりも大きな水球が勢い良く発射される。

 

 そしてそれは先程よりも直進し、破裂する規模も一回り大きい。


「違いは分かったかしら?」

 ビオラの問いに頷く。


 詠唱魔法の方が威力が高いという事なのだろう。それをそのまま伝えると


「そう。詠唱魔法の方が威力が高い……治癒魔法や補助魔法の効果も高くなるわ。無詠唱魔法は一見すると便利なように見えるけど、同じ魔法なら詠唱魔法に軍配が上がるわね」


 細かい解説にどこか誇らしげな表情のビオラ。


「それでも無詠唱魔法の方が最近は主流だから、あまり杖を持って……という古典的な方法を取る人は少ないの」


 少し寂しそうにビオラが呟く。


「無詠唱魔法は確かに発動が早いし相手に気取られる事も無いわ。でもね、無詠唱魔法では上級以上の魔法は扱えない……色々と理由が有るんだけど、歴史上でもこれが出来たのは、たった一人だけしか居ないわね」


 そんな難関を無理に進む必要も無いので、しっかり練習しようと気を引き締める。


 初日は一節だけで意味のある単語を完璧に覚えるべく、その復唱に専念する。


 魔法は想像力も大事だとビオラが言うので、試しにライターを想像してみたところ呆気なく出来てしまったのには驚いた。


 水、風、光と順調に作り出せたのだが、毒や土はどう足掻いても発動する事は無かった。


「四つ出来ただけでも大したものよ! 凄いわ!」


 この世界に来て初めてまともに褒められた気がした。


 無論前世の記憶があればこそなのだろうが、電化製品達には感謝しかない。


 これだけ簡単に出来るのなら迷宮探索の時にでも試せば良かったと思うのだが、グラムの事だ……きっと何か理由が有ったに違い無い。そう思う事にした。


 そして修行は三日に一回の頻度で行われ、空いた時間は恒例の薬草採取であったり迷宮探索であったり、資金繰りに奔走していた。


 武具の注文は予想以上に見積りが高くなってしまい、無茶苦茶な注文のせいだと分かっているので納得する。


 魔道具屋でも無茶苦茶な注文をして、特注の装飾品を制作してもらっている。


 魔法鞄用に貯めていた貯金はこれで底を尽きそうだった。


 そうして一ヶ月が経とうとしていたとある夜―――リズとはあれから会えず終いだった。


 無事だと言うことは聞いている。店に行った時もリズは出勤しておらず、空振りに終わる日々が続いた。


 武具製作の進捗を確認しに行った日、あと少しで出来上がるというのでとぼとぼと帰り道を歩いていると、何時ぞやと同じ様に東門大通りを歩くリズの姿を見付ける。


 対岸の歩道を歩いており「おーい」と呼び掛けようにも声は出ないので急いで駆け寄る。


 進行方向を遮るように先回りし、片手を挙げて呼び掛ける。


 向こうも気付いたようだが、何か様子がおかしい……ハッとしたように目を見開くが、すぐに真顔へ戻りそのまま横を通り過ぎて行くのだ。


 すれ違い際の表情は嫌悪感を露わにしており、何かしてしまったのかと必死に思い返す。


 あの事件の翌日には安否の確認に向かったし、その翌々日には洗ったハンカチを返しにも行った……一ヶ月後にグラムを殴りに旅へ出る事も手紙にしたため、それと共にジーナに託してある。


 確かに事後報告にはなってしまったが、それでもあんな表情をする理由が分からなかった。


 後ろ姿を見送っていると急に小さくなるリズ。


 再度駆け寄ると足元に果物が転がっており、前と違うのは紙袋がそこまで破れていない事だろう。状況把握は大事なのだ。


 リズはてきぱきと果物を拾っており、最後の一つを拾って手渡そうとすると勢い良く奪い取られてしまう。


(……なんでそんな怒ってるのさ?)


 考えても分からない事は考えない……ならば直接尋ねるしか無いだろう。


 背中の相談役は現在留守にしている。


「なに……?」


 心底嫌そうに、リズが短く言葉を発する。


 何をしてここまで彼女を怒らせてしまったのか皆目見当が付かない。


(いや、なんか怒ってるから……)


 この身に宿る年齢が上だった事だろうか、それとも自分が異世界人だった事が原因だろうか……いやいや、あれはラウル達にしか話していない。どこからか漏れるとも思えない。


 例えそれが漏れたとしても、そこまで怒る理由になるだろうか……人によってはそうかも知れない等と一瞬で考えるものの、それが的外れだと言うのは直ぐに分かる事となる。


「何回か寝ただけで彼氏気取り? あのさ、あんたと私はただの客と店員。そんなんじゃないの……分かってる?」


(そりゃそうだけど……)


 呆れたような表情から徐々に嫌悪感を露わにするリズ。

 しかし彼女の言い分も尤もだと思い(確かに)と頷く。


「……親殺しの化物が。気持ち悪い」


 暫しの逡巡の後、そう吐き捨てられた。


 全て理解した。あの時のサクラの言葉……それをあの場に居た全員が聞いて居たのだ。


 であれば確かに、今のリズの目の前には子供の姿をした親殺しの化物が、しつこく根掘り葉掘りと聞いて来る状況なのだ……気持ち悪いを通り越して、吐き気を催しても仕方がない。


 夜空から水滴が一つ、また一つと地面に染みを広げていく。


 次第にそれは土砂降りとなり、取り残され、まばらな足音が無くなると雨音だけが耳に響く。


 最近は色々な事があって悲しい事も多かったけど、嬉しかったり楽しかったりした事の方が多かった……だからこそ忘れていたのかも知れない。


 原点とも言うべき、自分の犯した罪。

 今までの自分はそこから目を背け、蓋をしていただけだ。


(親殺しの化物、か……)

 確かにそうかも知れない。


 前世でも全てから逃げ出し、今世でも逃げて逃げて逃げて、挙句の果てにリュカとリュカの両親も、森狼の母親も……ミーアも……そして―――。


 本当に自分はそうなのかも知れない。


 居るだけで周りを不幸にする存在……そんな化物が居るとすれば、それはこんな姿をした子供の化物なのだろう。

 

 我ながら上手い言い回しに笑みが漏れ、口角が上がってしまう。


「なに、してるの?」


 不意に雨が止み、目の前に傘を差し出すルカが居た。


 気付けばギルドの近くまで歩いていたのか、私服姿のルカは心配そうな顔を浮かべている。


 しかしその眼の奥に潜む物に怯え、戸惑い、気付けば走り出していた。


 思い出したのだ。ルカもあの時、あの場所に―――礼など言っている場合では無かった。


 すぐにこの場から逃げなければ―――そうしないと―――またあの眼が―――。


 降り続く雨……走り去る少年を見つめて何かを感じ取り、傘を投げ捨てたルカが駆け出した。

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