第二十四話 ~これから~
《第二十四話 ~これから~》
(なあ……)
「ん?」
テーブルを挟み徐ろに尋ねる。
(どうしてこうなったんだ?)
両脇に座ったトウとキビが、これでもかとばかりに中央のカルーアを撫で回していた。
こういう事は日常茶飯事だとでも言うのか、微塵も反応せずにカルーアは夕食を食べ進める。
エルフェリアで見た時とは違い二人の顔には視線を遮る薄布が掛けられている。
一つ目の意匠をあしらった純白の布は、その両脇に不思議な紋様が刺繍されており、外側からは見えないが内側からは問題無く周囲を見渡せると言った。
あの日、野営を済ませてから再び歩き通し、流石に二日続けての野宿は厳しいと音を上げたのは自分だ。
想像以上に消耗が激しく、まともな休息も取らないまま半ば逃げ出したような状態で飛び出したのだから当然なのだが、この日はぐっすりと眠りに就きたかったのが正直な所だった。
日も暮れかけていた所で何とか宿場町に到着すると、そこに待ち構えていたトウとキビは駆け寄って来るなり当然のように跪く。
同行の許可を下さい―――と。
「お姉様の恩人は私達の恩人も同然」
「不肖の身なれど、御自由に御使い下さい」
あれほど真剣な面持ちで言われては断る事も出来ず、亜人領を出る迄という期限付きで許可を出した……のはカルーアだ。
「普通に心配だったんでしょ? まあ良いじゃない。美女は多い方が、あんたも嬉しいでしょ?」
(美女、ねえ……)
傍目から見れば確かにそうなのだろうが、関係性を知った今では起きるモノも起きないだろう。
「何よその目は」
呆れた表情に気付いたのか、相変わらずな声のせいで面白く聞こえてしまう。
(別に……それならそれで、せいぜい働きに期待するさ)
その言葉にトウとキビは撫でる手を止め、力強く頷いた。どうやら意思の疎通も問題無いらしい。
亜人領の宿屋という事で少し心配していたが、特に大きな問題も無くすんなり泊めてもらう事が出来た。
人族に対して何か思う所が有るのだろう、最初の一歩は店内を緊張させたが続け様にカルーアが入るとそれも緩和されたかのように思う。
カルーアのようなエルフが居るのだからこの姿で居ても何かを咎められる事は無く、リアモやホクトで向けられた奇異の視線は全く感じない。
亜人という特殊な種族が多いせいだろうが、ルピナのような半人族も居る世界なのだ……体格の大小は然程気にしていないようだ。
「ルピナ様は無事にご両親と再開されました」
「今頃は無事、半人族の住む地域に到着しているかと思われます」
食事を済ませ茶を啜っていると、トウとキビがそう教えてくれる。カルーアは未だ食事を続けていた。
(ん……? って事は、最長老は大丈夫なのか?)
側近の二人が最長老を残してここに居るという事は、一人きりになってしまっているのでは無いのかと要らぬ心配をしてしまう。
「あのねぇ……最長老様の側仕えが二人だけな訳無いでしょ? 長老様に仕える事は最高の花形職……それこそ希望者なんて、掃いて捨てるほど居るわよ」
と、頬に米粒を付けたカルーアが得意気に言い放つ。
ふふんと鼻を鳴らし、留めている前髪がふわりと揺れた。
だとすれば目の前の二人はとんでも無いエリートという事になるのか……そのエリートがそういった職務を放棄してまでここに来たという事は、生半可な覚悟で無いというのは他種族の自分でも容易に分かる。
間髪入れずに追い付けたのも頷ける話だ。
「翌日からはとてもお元気になられました」
「重ねて御礼申し上げます」
どうやら水薬の効果はそれなりに有ったようで、あまり想像出来ないのだが元気と言うならそれで良い。
「ふう……それじゃ、今後の目標を話し合いましょうか」
漸く食事を終えたカルーアの言葉に頷き、当面の目標を定める事にする。
「先ずは獣人領ね。ミリィ様……もとい、ルピナが言った西の意味はそこを指している可能性が高い」
あの夜、ルピナの体を乗っ取って顕現した賢者ミリィ。
写真で見た限りでは気の弱そうな華奢な少女だったが、言葉を聞いた感じではもっと年上の印象を受けていた。
最後に呟いた言葉の意味や、あの夜に出張った理由等もそこに行けば分かると言うのだろうか……。
「獣人領へは南側からにする? どうせなら色々と見て回りたいでしょ?」
本来であればそんなのんびりとしていられないと突っ撥ねる所なのだが、首都の位置的にどうしても少し折り返す事になるのだ……こればかりはどうしようも無い。
横向きの長方形のような大陸の南に、大河を挟んで更に細く長い長方形が亜人達の領土となっている。
北上して人族の領土に戻るには二つの橋しか無いらしいが、先日の一件を考えると本当だろうかと疑ってしまう。
「それについては現在調査中……ま、なるようになるでしょ」
カルーアの楽観的な発言に閉口するが、確かに自分が気を揉んだ所でどうする事も出来ないだろう。
そうして本日の宿泊部屋へと戻り、魔法鞄から着替えを取り出す。
武器さえ収納しなければ食料や日用品等は問題無く入り、更には不要となった調合器具等はカルーアの家に置いてある。
要らなければ捨てるだろうと思い色々と置いてきたが、足りなければ買い足せば良いとも思っていた。幸いにして未だ、路銀には幾らかの余裕が有る。
一悶着ありながらも相変わらずの行水を終え、部屋へ戻ると入れ替わりで三人が浴室へと消えて行った。
「洗って貰わなくて良かったの?」
とはカルーアの談だ。
生憎だが風呂は一人派で、今は色々と考える事も多い。
からかう意味合いの方が強かったのだろうが、その冗談に乗る事はとても出来なかった。
四人部屋の内装はかつてラウル達と泊まった場所の物と良く似ており、四隅にベッドが置いてある。
その脇に各々のタンス、間にローテーブルのチェストと、いかにも冒険者御用達と言った趣で懐かしさが込み上げてくる。
(ふぅ……)
首に掛けていたタオルで頭を拭きながら、窓側の一つに腰を下ろすと中央のテーブルに置かれていた水差しから水を汲んでそれを飲み干す。
ルピナが用意してくれた物のような味はしないし、味気無く感じるのは只の水だからというだけでは無いのだろう……別れてたったの数日で、その存在がどれほど自分を助けてくれていたかその有り難さを知る羽目になる。
「でたわよー……って、まーた暗い顔してんのね?」
部屋着姿のカルーアはそう言うと、呆れたように言葉を漏らす。
見ればトウとキビの二人も何時もとは違う身軽な装いで、戦闘時の緊迫した雰囲気とは程遠い、ラフな服装に目が慣れない。
他人の目が無いからか、不思議な紋様のアイマスクは外されている。
「言わなくても大体分かるけどね……大方、置いてきたルピナの事でも考えてたんでしょ?」
これには驚いてしまい目を丸くする。
確かに魔力を読む事に長けているエルフと言えども、他人の心情迄も読む事は不可能だった筈だ。
まるでルピナのような芸当に再び視線を落とすと、懐かしさを込めて鼻で笑ってしまう。
「あのねぇ、何度も言ってるけどあんたが思い詰めても仕方が無いの。生き急いで大した力も付けないまま、単身乗り込んで目的は達成できませんでしたーなんて、それこそ無駄死にじゃない」
早口でそう捲し立てると水を飲み、一息吐くと椅子に腰を下ろすカルーア。
そこにすかさずトウとキビが立ち、上げ膳据え膳の待遇を受けて身形を整えられている。
こういう事には慣れている……どうやらその言葉に嘘は無いようで、ドライヤーを当てられ、髪を梳かされ、顔に化粧品的な物を塗られている間カルーアは微動だにしなかった。
「あんたの境遇には同情する。やってきた事についても賛同する。だけどね、曲がりなりにもお姉様の子供なら、びしっとしなさい! ……って、きっとそう言うんじゃない?」
声を張り、人差し指を伸ばしてそう告げるカルーア。
(……俺の印象とは、随分違うんだな)
リュカと過ごしていた頃、父も母も語気を荒らげた事は一度足りとも無い。最初で最後はあの夜だけだ。
「あら、そうなの?」
返事に納得がいかないのか、カルーアは驚くなり視線を落とすと顎に手をやり考え込んでしまう。
ぶつぶつと呟く言葉の中に男勝りや型破り等の不穏なキーワードが聞き取れたが、それについては深く言及しない方が賢明なのだろう。
「とにかく、旅程が決められている以上はもう少し心に余裕を持つべきなの! 一体全体、何をそんなに焦ってるって言うの?」
これ迄の全てを知っていると言うのなら急ぐ理由も自ずと分かりそうな物だが、ルピナからは聞かされていなかったのか……いや、今この時どう考えているのかという事を知りたいという事か……。
旅の目的や急ぐ理由、その事を掻い摘んでカルーア達に話す。
「それこそ無理ね。よしんば魔剣を奪還したとして、魔族領で生き残るのは迷宮も踏破していない私達じゃ、足を踏み入れただけで死ぬわよ」
そういうものなのかと返すゼロに、当たり前でしょと鼻を鳴らすカルーア。
「誰が考えたか知らないけど、本当に迷宮ってのは良く出来てるのよ……ま、これはこの先分かる事だから今は良いでしょ。端折るけど、魔族領に行くならBの迷宮は攻略必須。覚えておきなさい」
かつてカルーアが挑み、呪いを受けたとされるB等級の迷宮……だとすればカルーア自身も魔族領を目指していたという事になるのだが、あれだけリュカの母に心酔している所を見るとその理由は何となく察しが付いた。
「幸いもう少しで新年だし、年末年始は獣人国で過ごすのも悪く無いかしらね。あんたも獣人種は嫌いじゃないんでしょ?」
も、という事はここに居る三人もという事なのだろうか。六つの澄んだ瞳に見詰められ、カルーアの問いに頷く。
(獣人に限った話じゃない……敵じゃなければそれで良い)
敵など居ない。祖父にそう告げられた時、強くなればその言葉の意味も分かる気がした。今はほんの少しだけ……理解が出来る。
「全く……まあ辛気臭いのも嫌いじゃないけど、ずっと張り詰めてたらいざって時に力が出せないわよ?」
そう言って溜め息を吐くと、カルーアはごそごそと鞄を漁り始める。
あれでも無い、これでも無いと言って探すのを見兼ねてか、赤髪のトウがすすすと近付き大きな瓶を手渡す。
「性分はなかなか変えられないわよね……気持ちは分かるわ。それでも前に進むと決めた以上、全てを飲み込んで力に変えなさい」
そう言ってテーブルに瓶を叩き付けるように置き、陶器製の小さな杯を手に微笑む。嬉々としてそれを配り、注がれた透明な液体を前に体が震えた。
(日本酒だ……)
「知ってるの? って、異世界の人間だから当然か……こっちでは清酒って呼ばれてるのよ」
米が有る時点で気付きそうなものだが、それすら頭が回らないほど凝り固まっていたという事だろうか……本当に、言われた通りだと反省する。
「他国のお酒も嫌いじゃないんだけどね……やっぱりこれでしょ」
そう言って瓶に頬擦りをして、愛おしそうに眺めるカルーア。絵面的に中々の危機感を感じるが、そうなってしまうのも無理は無いだろう。
全員が席に着くと酒の注がれたぐい呑みを片手に持ち、それを掲げてカルーアが宣誓する。
「私達のこれからの旅路と、多くの英霊達に―――」
一息で飲み干すとトウとキビも両手で丁寧に抱え、控えめな所作でそれを飲み干す。
英霊……先の戦死者達への献杯も兼ねているという事か。あの明るい声を思い出し、少し微笑んでから酒を流し込む。
大丈夫だよ。そんな声が不意に聞こえ、隅々に行き渡る酒の味が電流のように暴れ回る。
舌に馴染んだ酒とは違い、文字通り魂に刻まれた物なのだと実感した。
(……美味いな)
気付けば瞳を濡らしていたようで、それに気付いた青髪のキビがそっと拭ってくれる。
「良い事も嫌な事も悲しい事も、文字通り全部飲み干すの! それが私達、生き残った者の定めなんだから!」
そう言って間髪入れずに二杯目を空にするカルーア。
ペースの早さに気を揉むが、トウによって結われた前髪を見て吹き出しそうになる。
「やめんか!」
そう叫んで取り外そうと掴んだ所で、動きをぴたりと止めるカルーア。
「……って言いたいとこだけど、リリリも気に入ってた事だし今日だけはこのままで良いわ」
諦めたようにふっと笑みを零し、静かに着席すると三杯目に口を付ける。
リリリは皆の目を欺いた咎人だったが、それを知るのはあの場の数名だけだ。トウとキビの話によればその魂は英霊達と同じく、手厚く送られたのだと言う。
(送られた?)
「はい。我等は森の民……生きとし生けるものは森から生まれ、森に還ります」
「動植物に限らず人もまた同じ……全ては環となり巡るとされています」
食物連鎖的な、輪廻転生的な話だろうか……その手の話は苦手だった。
(ん……?)
二杯目を空にした所で違和感を覚え、目の前の視界が回り始めると急激な睡魔に襲われる。
また薬でも盛られたか―――不意によぎる邪推は三人の表情で掻き消え、そう言えばリアモを出てから酒を飲むのは久しぶりだと思い出す。
「あらら……意外と弱いのね」
心配そうなカルーアの声に反論すら出来ず、力無く机に突っ伏す。
睡眠不足に加えてグラムの補助も無く、ましてや苦手な日本酒とくればこうなるのも当然だ。
(日本酒は……やっぱり無茶だったか……)
酒精で比べれば圧倒的に茶色い酒の方が高いのだが、そもそも匂いだけで酔ってしまうのだから本当に怖い酒だと痛感する。
「その様子だと随分と解れたみたいね……だとしたら上々だわ」
その言葉に続いてキビがベッドへと運び、そっと横たわらせると元の位置へと戻る。
「良いから寝ちゃいなさい。私達ももう少ししたら寝るから」
(ああ、そうさせてもらう……)
見えていないだろうがそう呟き、両眼を片腕で覆うと心地良い浮遊感に身を委ねる。
真っ暗闇の中にカルーア達の楽しげな声が子守唄となり、何の心配も無く眠りに落ちて行くのも久しぶりだと思った。
そうして夜が更けて行き、町の灯りが少なくなった頃……未だ目眩のする中で意識を覚醒させる。
そうせざるを得なかったのは寝具の違和感を感じた為で、暗闇の中で動く人影に体が反応する。
「起こしてしまいましたか」
「申し訳御座いません」
余程距離が近いのか、月明かりすら届かない室内では二人の表情さえ確認する事は出来ない。
一つ分かるのは随分と時間が経っているという事だろう。二人からそれほど酒の匂いがせず、カルーアはイビキをかいて寝ているようだ。
(……何をしている?)
触れた肌に文字を書き、どういう事かと尋ねる。
質問の返事が来るかと思いきや、突然口を塞がれ液体を流し込まれた。闇夜に残る柔らかい感触にあの日の影が脳裏を過る。
「ゼロ様はお酒に弱いご様子……」
「少々手荒ですが、処置の為には御容赦を……」
そう告げられするすると脱がされる衣服達。
(処置?)
再び文字を書きそう尋ねると、暗闇の中微かに頷くのが見えた。
「最長老様より受けた命は二つ……」
「一つは旅の安全を……もう一つは、ゼロ様の御体についてです」
先日の強引なやり口と言い、エルフの中ではこういうのが流行りなのだろうか。
説明も無いまま弄くられるのは、例えリュカの肉親だとしても良い気はしない。
「先日行われた儀式は魂の分割……魔力路の補完……」
「予想以上に結び付きは強く、完遂と迄は行きませんでした」
あの不思議な夢はそういう事かと思い出し、母狼の顔を思い出す。
「調整の為には肌を重ねる事が必要不可欠……」
「御不満かも知れませんが、どうか御心配無く……」
そう告げられ再び酒を流し込まれる。
(っ! 一々口移しで飲ませなくて良い……それとも、それも必要な事なのか?)
大人しくさせるのが目的なら普通に飲ませてくれとも思う。が、こんなに気が張っていればそんなものはすぐに醒めるのだ。
「どうやらご不満なご様子……」
「どうしたら御満足いただけますか……?」
満足もクソも無い状況でこれ以上どうしろと言うのか。暗闇とは言え怒気が伝わり何よりだと思う。
(何でも良いから戻ってくれ。自分の体の事は自分が一番分かってる)
そう吐き捨て二人の体をぐいと押し退ける。
渋々と言った様子でベッドの両脇に降り立つと、薄闇の中で二つの影がこちらを見下ろしていた。
あの儀式以降、確かに体の不調は無くなっていた。代わりに今まで感じていた自身の魔力は全身に巡らされ、初級の魔法ですら威力が向上したように思う。
単純に容量が増えただけでは無く、出力の部分も改善されたのは実体験によって感じていた。
「あの日、ゼロ様のお相手は本来私達の役目でした……」
「ですが、ルピナ様たっての希望によって交代と相成りました」
(ん……?)
二人の口からとんでもない台詞がさらっと出たように思う。突然の事に頭を混乱させていると、再び口に日本酒が流し込まれた。
四肢は既に自由が利かず、平衡感覚の乱れが加速して行く。
「きちんと頼めば納得してくれるとおっしゃっていたのですが―――」
「御無理な御様子でしたので強硬手段に移らせていただきます」
一体どういう説明をしたと言うのか。淡々と紡がれる言葉達に更に思考が鈍化していく―――
「始めましょう、キビ」
「分かりました。トウ」
そうして更に夜が深まって行った―――。
朝。
小鳥たちの囀りによって目を覚まし、両脇に横たわる二人のエルフを認めて盛大な舌打ちをする。
酷く官能的な夢を見ていた気がするが、それは昨夜に行われた情事の残像なのだろう……ルピナにはやはりもう一度会うべきだと、固く決意した瞬間だった。
起こさぬようにベッドから這い出ると体に違和感は感じられず、脱がされた衣服も元通りとなっている。
日課の訓練へ出向く為に着替えていると
「御出掛けですか?」
と、青髪のキビが背後から尋ねて来る。
(ああ、何時もの―――)
そう呟いて振り向いた瞬間、素っ裸のエルフが一人……澄んだ瞳でこちらを見詰めていた。
(……恥ずかしくないのか?)
その問いに小首を傾げ、どういう事かと逆に問われてしまう。
(……まあいい、日課の運動に出掛けて来る。朝食迄には戻る)
流石はエリートと言うべきなのか、カルーアと同じく唇の動きだけで把握すると恭しく送り出してくれる。
宿の外で軽く体を動かしてみるが然程の違いは感じられず、エルフェリアで行った儀式ほどの効果は見受けられなかった。
走り出してからもそれは同様で、体に掛かる負荷は何時ものそれと同じだ。
ルピナと旅をしていた頃は任せっきりだったが、これからはそういう事も視野に入れて学ぶべきなのか……そういう時期が来たという事だろうか……。
(腕立て腕立て……)
そう念じて負荷の上昇を確認すると、地べたに手を付き筋トレを開始する。
(ぐぎぎ……)
歯を食いしばり、額に血管を浮かせ、全身は既に汗ばみながらも一連の運動を終わらせる。
ある意味で全力を出せるのはこの時間しか無く、周りの影響を考えずに動けるのは貴重とも言える。
日に日に増していく自身の力に疑問を浮かべるものの、世の中上には上が居る……あの夜に垣間見た出鱈目な魔法には遠く及ばない。
試しに心で念じて思い描いても再現する事は叶わず、その兆しすらも見せる事は無かった。
あれはあの日だけの特別なものだったのだと今では理解している。
「あ、いたいた」
手の平に落としていた視線を戻せばそこにはカルーアと痴女が二人。溌剌なカルーアとは違い、トウとキビは淑やかに両脇に控えていた。
「その様子だと終わったのかしら? 良かったら模擬戦でもやらない?」
そう言って木剣を片手に笑みを浮かべるカルーア。
「違和感だらけの剣術の正体が漸く分かったわ……その剣筋は異世界の物だったのね」
呟くように言い、トウとキビへ木剣を手渡す。
「出来るだけ手加減してあげるから、二人の体に一撃当ててみなさいよ」
その言葉を合図に着込んでいたローブを脱ぎ、戦闘の準備を始めるトウとキビ。
ローブの下は互いの髪色と同じ軽装の戦闘服で、エルフの伝統なのかカルーアの物と良く似ていた。
渡された木剣を二、三回振ると、カルーア同様ハミングのような歌声が響き渡る。
先日のカルーアから見ても大きな声で発する必要は無いのだろうが、これから戦うぞという相手への宣誓のような意志が感じ取れた。
自身の髪色と同じ薄い膜が身体の周囲を覆うと、戦闘の準備が完了する。
(昨日の事で少なからずムカついてんだ……手加減は期待するなよ)
言いながら立ち上がり、迫り来る来訪者と対峙するゼロ。
その言葉に怪訝な表情を浮かべ、小声で二人に何の事かと確認するカルーア。変わらない表情を見るに、詳細は伏せているようだ。
「何の事か分からないけど、やる気になってくれたのなら幸いね」
開始の合図を片手に持ち、それを親指で弾くと空高く舞い上がらせる。
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
一言一句同じ言葉で試合前の礼をし、それが終わると口中でぶつぶつと何かを唱え続けるトウとキビ。
呪文の詠唱かと思いきや自己暗示の類なのだろうか、眼の前に居るのはカルーアの敵だと唱え続けている。
弾かれたコインが地面へ落ちると両眼を見開き、一足飛びで距離を詰める二人。同時に襲い掛かる木剣を跳んで躱せば宙空に足場を作り急降下するゼロ。
二人の顔の間で捻りを加え、回るように攻撃すると軽々と木剣で防がれてしまい距離を取る。出力は既に最大に到達している。
「うんうん、相変わらずの魔力で安心するわ。それはきっとあんたの強みなんでしょうけど、使い方が雑だから無駄が多過ぎるのよ」
戦闘の最中、カルーアが見たままを告げる。
「目的が定まって無いから発揮出来ていない……どっちつかずの状態は、とても好ましい物では無いわね」
そんな筈は無い。今こうしているこの状況は、目の前の二人を打ち倒すべく行使されている物だ。
「魔力にも意志が有る……そう提唱した奴も居たけど、今までの事を考えるとそれもあながち間違いじゃ無かったのかもね」
まるで自身の考えを改めるかのようにカルーアは呟き頷く。
「だからこそ方向性が定まった時、それは物凄い力を生み出す―――」
カルーアの分析は尚も続き、紡がれた言葉によってキビの蹴撃が綺麗に横顔へ入る。
「―――あんた、本当は誰も殺したく無いんじゃない?」
受けた攻撃によって地面を滑るように転がり、口の端から漏れる血を拭うとカルーアを睨み付ける。
(そんな訳―――)
「そんな訳あるでしょ? 暴走する魔力を制御出来ずに、只々衝動に身を任せているだけじゃない。それを自分の力だと錯覚するなんて、思い違いも甚だしいわ」
互いに睨み合い、呆然とするゼロにカルーアは尚も言葉を続ける。
「腕力も魔力も人並み以上……それこそ英雄並みに有っても、心がてんで未熟なのよ。それは仕方の無い事だけど、そのままだとおちおち夜も眠れないわ」
そう言って茶化すカルーア。
自身が考えていた事と全く同じ事を言われ憤慨する訳でも無く、狼狽える訳でも無く、只々呆然と今までの事を反芻する。
思い返し、眺め、考えてみた所で出る結論は何時も同じだ。自分の敵を只管に倒す事だけを考え、誰にも悲しい思いをさせたくないと……ただそれだけを願っていた。
「案外あの二人も良い歯止めになっていたのかもね……それこそ、あんたが気付かない所でさ」
だとしたらこれまでの決断は全て無意味だったと言う事なのか……そう落胆するゼロに、カルーアは再度言葉を掛ける。
「全くこれだからお子様は……戦闘になったら相手をぶち殺すつもりで行け。俺が全力を出す相手だ、大体は即死しねえ。って、東大陸のあいつならそう言うんじゃない?」
それがあの写真に写っていた少年の言葉だと言うのか。およそ英雄らしからぬ言葉に、不思議と心が軽くなる。
「勿論それは仲間の助けが有ってこそなんだけど……それでもあいつは、本当に楽しそうに戦ってたわ」
遠い昔を懐かしむように、視線を空へ投げるカルーア。
少し大人びた横顔に、憂いを帯びた表情が新鮮に映る。
「この旅で、あんたの心が少しでも成長出来ると良いわね」
取れる選択肢を増やす……かつてルピナに告げた言葉が、そのまま自身に還って来る事になるとは思わず―――未だ弱いままの自分が悔しかった。
「ゼロ様」
身支度を整え宿に戻る途中、前を歩いていたカルーア達から離れ振り返ったキビが神妙な面持ちで声を発する。
片方だけが喋るのは初めてで、声色はトウよりも少しだけ落ち着いている。
「ゼロ様が最長老様……ティアーユ様の御令孫というのは―――」
言いにくそうに口篭らせ、何とか言葉を発するキビ。
孫かどうかと言う事だろうか……聞き慣れない言い回しに脳内の翻訳が追い付かず、先程までカルーア達と話していた状況を鑑みて頷く。
思えばこれが漸く表情らしい表情かもと思い、今までの無機質で機械的な物と違いその顔は大層驚きに満ちていた。
そして―――
(なっ!?)
キビは一本の短刀を腰から抜き取ると、それを両手でしっかりと握り込む。
「申し訳御座いませんでした。此度の不始末は自らの愚脚を以て御詫びとさせていただきます―――」
言い終わらない内に高々と上げた両手を押さえ込み、振り下ろそうとする刃を必死に止める。
(うおおおお!)
その騒ぎを聞き付け、カルーアとトウも必死にキビを押さえ付けた。
「離して下さい! 私は最長老様の御孫様を足蹴に……!!」
「落ち着きなさいって! 訓練なんだから当然でしょ! それに蹴ったり殴ったりだったら私だって―――」
カルーアの言葉をそこまで聞くと、途端にぐりんと首を回すキビ。
「お姉様が先にゼロ様を……だとしたらお姉様も……」
その瞳に先程迄の輝きは無く、黒い感情で塗り潰されたような影が落ちていた。
(……ルピナ達よりもよっぽどヤベーな……)
短刀を握り込み、じりじりとにじり寄るキビ。後ろから羽交い締めにしているトウ諸共、引き摺るようにしてカルーアとの距離を詰める。
「や、止めなさい! あれは訓練だったから……って、あんたも早く何とかしなさいよ!」
途端に求められた救援要請にこのままでは不味いと思い、飛び上がるとそのままキビの横っ面を軽く叩く。
小さな破裂音を鳴らし、ほとんどダメージも無い攻撃に目を丸くするキビ。
(少し落ち着け。そんなに斬りたければこの腕から先にやってくれ)
ルピナが居たら締まらなかった事だろう。内心では本当にやられるかもと思い冷や冷やしていた。
その言葉が効いたのか定かでは無いが、徐々に落ち着きを取り戻し力無く短刀を落とすキビを見て胸を撫で下ろす。
「……出来ません」
その言葉が出た所で漸く安堵し、差し出した腕をぎこちなく戻す。
やっと見られたキビの人間らしい一面がこんな事なのは残念だが、同時にその表情を見て安心する。
(カルーア達から聞かされてなかったか……。知っても知らなくても構わないが、この体は借りてるだけだ。二人が敬う対象とは違う……別人と言っても良い)
落とした短刀を拾い上げキビに返す。
大人しくローブの中にしまい込むのを見て、再び歩き始める一同。
「そういう訳にも参りません……御容赦いただけるのなら、どうか今まで通りで……」
体だけはリュカの物なので頷ける話だが、畏まって接されるのはどうにも居心地が悪いと感じていた。
昨夜の事と言い、どこか打算的な意味合いも有るのかと思ったが純粋に命令や使命感、義務感や責任感からの行動だったのだろう。
それはエリート故の、エリートならではの物なのだろうが……そういった女と夜を共にするのは好ましく無い。
(昨夜の事、カルーアは気付いて無いのか?)
「はい。お姉様は清酒を召し上がられるとよく御眠りになられます」
首尾良く酒が出て来たのもその為か……昨夜の事は本当に、二人の間で決定事項だったのだろう。
(それだけ信頼してるって事か……)
呟く言葉に頷き返すキビ。青い瞳がじっとこちらを見詰めていた。
(一つだけ頼みたいんだが―――)
そう言って顔を向けると緊張した面持ちで頷くのを見て、片手を振って大層な物じゃないと前置きをする。
(昨夜みたいなのは無しだ。何の説明も無しに無理やりってのは反感を買うだけだ……それと―――)
前を歩くカルーア達の行く手を阻み、くるりと振り返ると頭を下げる。
(ありがとう。感謝する)
短く述べられた感謝に不思議顔のカルーア。
「こちらも事を急ぎ過ぎました。深く謝罪致します」
「これからの旅路、どうぞ宜しく御願い致します」
そう言って頭を垂れる。
「なんなの? なんなのよー!」
一人、置いてけぼりを喰らう格好となったカルーアが叫ぶ。
そんなカルーアを見て三人は共に笑い、漸く宿場町を出発する運びとなった。
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