第二十三話 ~空白の彼方~

《第二十三話 ~空白の彼方~》


 ぱらぱらと音を立て、かつてリリリだった物が破片となって落ちて行く。呆けた頭で能天気に見ている事が出来たのは、寸前で張られた防御魔法のお陰だろう。


 爆発から免れた部分が地に転がり、今際の際まで助けを求めた手がそこに有った。


 これが儀式とやらの成果なのか。以前の自分ならば怒りに身を任せ、暴れ狂い、今すぐにでも目の前の敵へ襲い掛かっていただろう。だがそれで良い、それで良かった。受け止めきれない現実は確実に心を蝕むのだから―――。


 そう思うと腹の底から沸々と湧いていた怒りが瞬間的に頂点へ達し、内に秘めた魔力が嵐のように吹き荒れる。


 毛は逆立ち、牙を剥き出しにして殺意が溢れる。仇敵への怒りが頭の中を埋め尽くし、それを体現するように全身が剥き身の刃の如く前傾の姿勢を取らせた。


「ふっ、ふはっ、はっはっは! 素晴らしい。素晴らしい魔力だ! かつての英雄に匹敵する程の魔力、実に素晴らしいぞ!」


 何を笑っている。何をはしゃいでいる。ヒロタカの一挙手一投足に怨嗟を募らせ、次第に頭の中は一つの目的で満たされる。


 殺す―――その目、その耳、その臓腑、千に千切り散らした所で到底怒りは収まらぬ。嗚呼、全てが憎い……憎い憎い憎い憎い憎い憎い―――。


 段々と意識が切り替わり、容易く体を明け渡す。必死に抑え付けていた四肢をゆっくりと解放し、怒りのままに身を委ね……足元が爆ぜた。


 巨大な咆哮はそのまま魔力の塊となって放たれ、かつて頭部だった紫色の巨大な怪物へとぶつかる。


 態勢を崩した怪物へそのまま大剣を振るい、その頭部へ一撃を加えるとその巨躯を足場にして上空へ飛び上がる。


「ふっ……」

 周囲のヒロタカ達が指を鳴らし、その音と共に夥しい数の増援を背後へ召喚する。


 先の怪物同様に醜悪な瘴気を辺りに充満させながら、飛び上がったゼロへ一斉に襲い掛かった。


 四方八方から延びる触手は容易くゼロを捕らえ、その身を雁字搦めに拘束するとそれを力技で無理やり引き千切っては切り飛ばす。

 攻撃はカルーアにも平等に行われ、身を翻しては切り結び矢を放つ。


「ちょっと、いつまでそうしてんのよ!」

 そう言って喝を入れるべく触れようとした瞬間、伸ばした手は何かに弾かれルピナの異変に気付く。


「何よこれ……」

 触手の攻撃は尚も止まず、思考する事すら許されない状況に歯噛みする。


 攻撃は無論ルピナへも行われていたがカルーアの手と同様、周囲に張られた結界によって侵入を拒まれている。


 口元を見れば何かを唱え続けており、確認しようとする行動を触手の群れが阻害する。


「くっ!」

 自身の周囲に精霊術を展開させると、そのまま上空へ飛び上がり追撃を躱す。


 何かに取り憑かれているのかルピナは動かず、その姿勢のまま動く事は無かった。


(流石にこのままじゃ不味いわね……)

 そう頭では分かっていてもこの状況を覆す方法は未だ思いつかない。


(でも、弱音なんて吐いていられないわよね……リリリ……)

 初めて出来た異世界の友人を胸に、再び奮い立つカルーア。


 忌まわしいこの肌を見て、嫌な顔一つせず無遠慮なまでに距離を詰める人間だと思っていた。


 無論それはリリリに限らずこれまで自分が関わりを持った者全てに言える事なのだが、ゼロ程では無いにしろその胸中には少なくない悲しみが有る。


(必ず仇は取ってあげる……でも―――)

 猛攻を前に次第に魔力の残量が減って行き、それが焦りとなって攻撃を受ける回数が増えて行く。


 致命傷には至らない程だがこのまま続けばどうなるか……それは火を見るよりも明らかだ。


 何か無いだろうか。どこかに弱点は。付け入る隙は。ほんのささいな綻びでも構わない……契機が訪れさえすれば、この命に代えてもこじ開けようと画策していた。


 しかしそんなカルーアの思いも虚しく、時間は只管に過ぎて行く。絶対催眠などという馬鹿げた能力が、ここまで厄介な物だとは思わなかった。


 今自分が切り付けたのは本当に敵なのか。弾いたのは、撃ち落としたのは、逃げて弾いて蹴り飛ばし、防戦一方の状況は好転する兆しすら見えない。


(なんでも良い。誰か、お願い―――)

 自身の周囲に展開していた精霊術が霧散すると、忽ち触手に絡め取られた。


(邪魔だ……邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ。邪魔をするな!!)

 襲い来る触手達を駆けて躱し、ヒロタカの一人へと斬り掛かるゼロ。


 幻影は音も無く消え去り、その背後から別の触手がゼロ目掛けて飛び出した。


(―――!!)

 片手で掴み、引き千切り、次々と襲い掛かる触手を斬り伏せる。


 片手には大剣。片手には戦斧。二つの武器は極限まで行使され、自身の体同様限界は疾うに超えていた。


(嗚呼、口惜しい―――)

 魔力が尽きかけた事で次第に自我を取り戻し、曖昧な状態になっている事を自覚する。


 それでもリリリを殺した敵の顔ははっきりと認識出来ており、その四肢を八つ裂きに出来ない事への憤りに更に怒りを募らせる。


「どうした。そんなものか? まだ出来るのだろう、出し惜しみは無しだ!」

 何をそんなに笑っている。何がそんなに楽しいと言うのだ。何が……何が何が何が何が何が―――。


 再び思考は中断され、更に強力な魔力が放出される。出し惜しみ等するつもりは毛頭無い。だがこの状況を打開するならば、今まで通りでは駄目なのだ。


 もうどうでも良い。どうでも良いからあの薄ら笑いを浮かべた面に、どうにかして一撃を叩き込む……それだけを考えて最後の枷が外された。


「なんだ……なんだお前は!?」

 怯えたように声を上げ恐れ慄くヒロタカ。


 それはゼロに向けられた言葉では無くその背後……青白い光を発して浮かぶ、ルピナに向けられたものだった。


 同様の光を湛えた白銀の槍がルピナの周囲を華麗に舞うと、触手の群れは次々に爆散する。

 そして―――


「こーら」

 白銀の槍がゼロの頭部を軽く叩くとこれまでに無い程の暴風が吹き荒れ、その体に充満していた荒々しさは見る影も無くなり消し飛ばされる。


 突然の覚醒に驚き辺りを見回せば、その視線の先にはルピナが浮かんでいた。


「なんだ……なんだと言う―――」

「黙りなさい」


 驚嘆の声を上げるヒロタカの口を、まるで言葉一つで縫い付けたかのように途切れさせるルピナ。


 その体は尚も青白い光を発し、その周囲を一振りの槍が泳ぐ。


「時間が無いわ……一撃で仕留めなさい」

 両の目は閉じられたまま、何かを抱き留めるような姿で喋るルピナ。

 その声色は普段の物と違い落ち着いており、ほんの少しだけ低く感じられる。


 突然の事に頭が追い付かず、それを正すように凝縮された情報が頭に流れ込んで来る。

 武器を捨て、限界まで屈み飛び上がるゼロを見て頷く。


『詠唱は希望、呪文は願い。唱えなさい……大丈夫、きっと出来るわ』

 上昇を続けるゼロの頭に再び声が響く。

 発声の出来ないこの体でも、不思議と不安に思う事は無かった。


 精霊樹の天辺まで昇るとぴたりと体が何かに支えられ、押し込まれた言葉を力の限り叫ぶ。


(……光り輝け、禍津の星よ! その身を以て我が仇敵に必定の一撃を―――)

 右手を掲げ詠唱を始めると、晴れた夜空に暗雲が立ち込める。それは雷鳴を轟かせ、中心へと誘われるように渦を作り出す。


「なによこれ……なんなのよその馬鹿げた魔力は……」

『それはかつて、魔王を討ち倒せし一撃……彼の英雄が最も得意とした絶対の魔法……』


 荒れ狂う魔力を補助するように、言葉の一つ一つがゼロの背中を押す。

 雷雲は球体へと凝縮され、ゆっくりと手の中へ落ちて行く。


(其は光、其は闇。地水火風……この世全ての万物、我が手中に収め―――)

 掌に収めた魔法を取り込む瞬間、それを拒絶するかの如く反発が起きる。


 その衝撃で容易く皮膚は裂け、金属が擦り合うような高音を立てて激しくせめぎ合う。


 やはり無理があったか……そう思った次の瞬間、ゼロが叫ぶ。


(ああああ!! ごちゃごちゃうるせえ!! 大人しく……しろってんだよ!!)

 力技で球体をねじ伏せると握り潰し、一連の動作を完了させる。


 呪文も詠唱も全てを破棄し、それでも無理やり形にするのを見てくすりと笑みを零すルピナ。


「そして―――」


 それが合図だったかのように白銀の槍が激しく輝くと、この場の幻影を全て掻き消す……何時の間にか見開かれた両眼には、奇妙な魔法陣が浮かんでいた。


『魔法の名は砕月……空に浮かぶあの月さえも、壊してみせると言った幼き頃の夢―――』


「ひッ……ひィィィッ!」

 精霊樹から飛び出す一つの影。


 それは今まで見たどの人間とも合致せず、ローブの背に刻まれた勇聖教の紋章だけがその目に映っていた。


『叫びなさい、その心で。祈りなさい、自身の全てに。さすれば―――』

(ッから、ごちゃごちゃうるせえんだよ!! 人の体使って、勝手言ってんじゃねえ!!)


 ばらばらになりそうな四肢を必死に引き止め、頭の中の声に怒号を飛ばすゼロ。

 その怒りに目を丸くし、再び笑みを零すルピナ。


『本当、よく似てるわ……でも良いの? 怒る相手が違うんじゃない?』

 醜く声を上げながら、尚も勇聖教の男は手足をばたつかせ遁走する。


 それを上空から眺めていたゼロは呼吸を整え、目標を見据えると暴れる右手を左手で力任せに押さえ付け大きく引き絞る。


(覚えてろよ。その澄ました面、絶対に殴り飛ばしてやる―――)

『……ええ。楽しみにしてるわ』

 その声にちらりと横目で確認すれば、地上のルピナはにこりと微笑んでいた。


 それが酷く不快に思え、その怒りも乗せて拳を振るう。

 最早魔法名など必要無い……頭の中に有るのは唯一つの言葉だけなのだから。


(く、た―――ばれ!!)

 そう願い託して拳を振り抜くと、魔法は巨大な拳気を象り男に襲い掛かる。


 周囲の精霊樹を削り、薙ぎ払い、粉砕を続けて尚、その威力が衰える事は無い。

 眼前に迫り来る死を前に、男は恐怖に顔を引きつらせたまま巨大な拳に押し潰された。


 噴煙が晴れ、抉り取られた大地の中に男の死体が無惨に現れると、その姿は一つの魔法陣へと吸い込まれる。

 それは小さなガラス玉へと変貌を遂げ、地面に落ちると微かな音を立てて割れた。


 一連の戦闘を終了させたゼロが地上へ戻ると、ゆっくりとした足取りでルピナの元へ向かう。


『お疲れ様。初めてにしては上出来だったわね……威力はまあ、その体なら仕方ないか』

(……黙れ。お前は何者だ)


 したり顔で話すルピナを殴り付ける訳にも行かず、ぎゅっと拳を握り締めて言葉を絞り出すゼロ。


「ミリィ様……ミリィ様なのですか!?」

 まるで懇願するように問い掛けるカルーアを見て、再び視線をルピナへと戻す。


 一体何が起こっているというのか、目の前のルピナはどこか遠くを見詰めるようにその眼は焦点が定まっておらず、瞳に見た事も無い魔法陣を浮かび上がらせている。


 白銀の槍は相変わらずくるくると周囲を巡り、その身に帯びていた光が次第に薄く、弱くなって行くと


「西へ―――」

 そう呟いて言葉が途切れる。


 青白い発光もふわふわと漂う浮遊も終わり、槍が乾いた音を立てて地面に落ちる。


(っと……)

 前のめりに倒れるルピナを優しく抱き留め、気絶しているルピナの心音を体に感じる。


 何が何だか分からないまま二人分の武器を回収すると、踵を返してその場を後にする。

 考え込むのは全ての戦闘を終わらせてからだろう……そう思った。


(どうした?)

「ううん、なんでもないわ……行きましょう」

 カルーアが振り返った広場に月明かりだけが優しく降り注いでいた。


 城門まで戻ると同じタイミングでトウとキビの二人も合流する。

 先程からカルーアがぶつぶつと呟いていたのは、恐らくこの二人と連絡を取り合っていたのだろう。


 二人の衣服は所々が切れたり焦げていたりと、その戦闘の凄まじさを物語っていた。線対称に頬にも煤を付けている。


「二人はルピナを置いてきたら戦線に復帰。目印を辿って来なさい」

「了解しました」

「ご武運を」

 トウとキビの言葉に頷き、二人はルピナと槍を持ち城内へと消えて行く。


「あんたはまだ動けるんでしょ?」

 カルーアの言葉に頷き、腰のポーチから水薬を取り出し飲み干す。あれだけ暴れ回ってこの程度の消費なのだ……本当に感謝しか無い。


 再び夜の森を駆け抜け、戦闘音が続く場所へと向かう。ヒロタカの撃破によって怪物の数は幾らか減ったものの、勇聖教信者の攻勢は未だ衰えていないと言う。


「何が狙いかは……心当たりが多過ぎるわね」

 考えられるとすれば最長老の容態。ルピナの槍。日頃から疎ましく思っている亜人への見せしめ等だろうか。


 最長老に関してはそんなに弱っていたようにも思えないので偶然だろうが、槍に至っては奴等が勝手に置いていった物だ……それ程重要には思えない。


 だとすれば見せしめなのだろうか……それも何だか説得力に欠ける気がした。


「ルピナが居ない今、連携が取りにくくなるのは理解してるわね? 無理しない程度に互いが互いを補助出来る距離を意識する事」


 何時の間にか名前を呼んでいる事に気付き、カルーアなりに認めているという事だろうか……その提案に頷き返し、押し寄せる人波の奥へ飛び込む。


(っの馬鹿!)

 陣形のど真ん中に戦斧が突き刺さり、その衝撃でぽっかりと出来た穴に降り立つゼロ。


 周囲を一瞥して大剣を抜刀すると、力任せにそれを振るう。


「何をしている……撃て! 撃てえええ!!」

 馬上から叫ぶ指揮官らしき男を捉えると、敵兵の頭を踏み付けて飛び出す。


 命令によって放たれた魔法はそこかしこから飛来し、その全てを弾き、躱し、叩き落しては器用に空中を跳ね回り、確実に相手との距離を詰めて行く。


「ひィィィィィ―――」

 先のヒロタカ同様に、その顔を恐怖に引きつらせて男が叫ぶ。

 独楽のように体を回し、切れ味の悪い大剣でも馬ごと斬れるようにと勢いを付ける。


(すまない―――)

 馬の腹から逆袈裟に男を両断しようとする刹那、何の罪も無い馬への謝罪は防御魔法によって無意味に終わる。


 旧ヒロタカとの戦闘で見た結界のような魔法……先の戦闘でもカルーアによって行使されたそれは、全力の一撃をいとも容易く弾き返す。


「早く逃げろ。この場は俺が引き受ける……」

「おお、お主は―――」

 人垣の中から現れるローブ姿の男を確認すると、後方へ翻り態勢を立て直す。


 周囲の敵兵は皆一様にたじろぎ、遠巻きに見守っているばかりでこの戦闘を邪魔する気は無さそうだと感じた。


 原因は男の言葉に因るものだろう……絶対の信頼は、それを裏付ける力を兼ね備えている事を意味している。


「後は頼んだぞ」

 馬を反転させ逃げようとする素振りに追撃を試みるも、駆け出した瞬間目の前に飛来した攻撃によって阻まれた。


 大剣で防ぎ落とした投げナイフは黒く塗られており、男のローブもまた同様に黒一色に染まっていた。


「ん? お前は……」

 何かを思い出したような男の声に一層警戒を強め、柄を強く握り締める。


「いや、まさかな……そんな偶然が有る筈も無い……」

 そう吐き捨てたかと思うと男は一瞬で間合いを詰め、隠し持っていた剣で斬り掛かる。


 大小二振りのそれは思いの外やり辛く、長剣での一撃狙いと見せ掛けて本命は短剣での削りが目的か……相当の手練だと思った。


 三度目の打ち合いの最中、頭上から放たれた矢によって間合いを広げると隣にカルーアが降り立つ。


「仲間か……これ以上は分が悪いみたいだな。楽しかったぞ小僧」

 余裕の有る言葉は力量の差故か……剣を背後に納刀すると、マスクで隠れた口元が少し笑っているように見えた。


「何言ってんの……逃がす訳無いでしょ?」

 厳しく睨み付けるカルーアに、男は手の平サイズの球体を見せ付ける。


「俺の目的はあいつの護衛……首尾良く逃した時点で、俺の勝ち―――」


 男の言葉が言い終わらない内にカルーアは矢を放ち、風に乗せて何かを呟く。

 周囲の喧騒の奥の奥で、微かに馬の嘶きが聞こえた。


「……どうやら私の勝ちみたいね。何度も言ってるけど、逃がす訳無いって……言ってんのよ!」

 語気を強めて矢を番え、続け様に矢を放つカルーア。


 しかしそれは同様に放たれた矢によって撃ち落とされ、気付けば同じような気配が周囲に点在していた。


 男は片手を上げたままそれを静止すると

「これ以上は時間の無駄だな―――」

 そう言って球体を地面に叩き付ける。


 球体によって勢い良く放出された煙が辺りに充満すると、外套で口元を覆い隠す。

 カルーアも同様の所作で煙を防ぎ、躱すように飛び退くと吸い込まないよう注意を払う。


 煙の中から上空に向かって光弾が飛び立ち、一頻り上空まで昇ると輝き弾けた。


「撤退、撤退ー!!」

 赤い光弾は暫くの間発光し、それを見た敵兵がそぞろに声を上げる。


 残党狩りはしない主義なのか、それとも逃げ惑う敵兵を後ろから討つ事への非情さからか……エルフ達と共にそれを見送る。


(ふぅ……)

 大剣を納刀し溜め息を落とすと、不意に頭上への攻撃が加えられる。


「あーんーたーねー……勝手に飛び出すんじゃないわよ!!」

 見れば隣で握りこぶしを戦慄かせ、額に青筋を浮かべたカルーアが立っていた。


「馬鹿なの? 馬鹿なんでしょ? いーや、馬鹿ね! とにかくもう、二度とこんな無茶するんじゃないわよ! いいわね!」


 早口で捲し立てられ、しゃがみ込んだまま頭を擦ると小さく頷いた。

 心配はとても有り難いのだが、それを見せる事はこの先訪れ無いだろう。


 暫くすると暗闇の中からトウとキビの二人が現れ、その間には捕縛された男が持たれていた。

 眠らされているのかぐったりとしており、それを駆け寄ってきた別のエルフへと引き渡す。


「結果は上々だったみたいね」

 上機嫌なカルーアの声に頷く二人。


「お姉様のお陰です」

 そうハモると徐ろにゼロの前へと跪く。


「こちらをどうぞ」

「ご所望の品です」

 差し出された素材を見て、恐らくそれが水薬の為の物なのだろう。グロテスクな乾燥した何かに見た事も無い花……真偽を確かめる目はもう無い。


 盗って来てくれた物を水球の中に入れ、目を瞑り念じる……これだけで出来てしまうのだから、本当にとんでも無い能力だと笑ってしまう。


 まばゆい光を放つ光球が縮まって行くと、最後には小瓶の形へと変化し地面に落ちる。

 それを拾い上げて大事にしまうと、二人に礼を述べる。


「最長老様は私達にとっても大事なお方……」

「お姉様を救って下さったゼロ様もまた、同じように大事なお方なのです」

 だから礼は不要という事だろうか。


 だからと言ってかしずかれる理由にはならず、そういうのは止めてくれと注意する。


「はい。かしこまりました」

 あまり抑揚の無い口調は尚も変わらず、どうやら聞き入れて貰えそうに無いなと諦めた。


 城門を潜り城壁内へと帰還すると、こちらの姿を認めた最長老が駆け寄って来る。

 未だ体調が良くないのか魔法は使わず、心配そうな表情のまま辿り着くとその場に膝を突き、強く抱き締められた。


「ああ、良かった……本当に……」

 隣を見ればカルーアも同様に捕獲されており、その表情は照れたような申し訳無さそうな……少しだけ曇った表情を浮かべている。


「怪我は無いですね?」

 その言葉に頷き返し、水薬を取り出し手渡す。


「これは……?」

(特級の水薬だ。体に良い物らしい)

 ぶっきら棒な説明に目を丸くし、まじまじと見詰めた後それを一息に飲み干す最長老。


「最長老様!?」

 一連の行動を眺めていた衛兵の一人が叫び、心配する声を上げる。


 この行動には自身も戸惑ってしまい、もしも毒だったらどうするのかと大胆な行動に焦ってしまう。


「ふふっ、大丈夫ですよ。そんな眼を見せられては、どうして疑う事など出来ましょう……」

 そう言って優しく微笑み頭を撫でられる。


 こうして一連の襲撃事件は幕を閉じ、この夜は再びカルーアの家で一晩を過ごす事になった。


 ルピナは未だ目覚めていないらしく、それも気掛かりだったが自分が行った所で何も出来る事は無いだろう。


 だとすればそれを可能にする人物の回復を願うのは当然で有り、あの水薬はある種そういった打算的な側面も兼ね備えているのだ。


(善意だけじゃ無いさ……)

 そう呟いても何時もの言葉は無く、独り言は暗闇に吸い込まれるように消えて行く。

 何度目かの寝返りの後、漸く目を瞑ると少しだけ睡眠を取る事にした。


 この国に来てからも様々な出来事が有りすぎて、どれから何を考えれば良いのか迷ってしまう。

 リュカの祖母。カルーアとの関係。ルピナの両親。神聖国や勇聖教。英雄と賢者。そして……リリリの事。


 瞳を閉じれば何時だって悲しい事しか浮かばず、その全てを思い返す度に涙が溢れそうになってしまう。


 しかし泣いている暇などは無い……その悲しみすらも踏み越え、その全てを無駄にしない為にも前に進むしか無いのだ。


『体調を万全に保つのも必要な事だ……出来なければその先に待つのは―――』

 そうならない為にも休息は大事だろう。


 そうして数時間ほど眠り、夜も明け切らない内からベッドを這い出る。家の中に居る筈のカルーアの気配は感じられず、好都合とばかりに身支度を調えるとその場を後にした。


 戦闘後の高揚感はすっかり無くなっており、幾分すっきりとした面持ちで螺旋階段を降りて行く。


「疫病神……」

「厄災の王……」

「惨禍の種……」


 途中で出会ったエルフ達はこちらを見るなり口々に唱えており、その全てが見事な迄に敵意を表していた。


 視線や気配だけでもそれは十分に伝わって来たのだが、こういう時に五感が鋭すぎるのは少し考えものだと思う。


 彼等の怒りは尤もだろう。あれだけ擁護してもらったにも関わらず、実は手引していましたでは話にならない。

 直接的な攻撃等は無かったが、ルピナの事が少しだけ心配だった。


(ま、そこまで弱くも無いか……)

 外に出ると振り返り、どこかに居るルピナへと思いを馳せる。


 宵闇や数日の旅で少しは強くなったと思いたい……自分とは違う所で考えれば、ルピナは自分なんかよりもよほど強いのだと信じて居る―――だからこそ旅立てる。


 城門を潜ると西へ向かい、精霊樹と呼ばれた巨木が少なくなると不思議な感覚が纏わりつく。


 それは見えない薄布のような奇妙な感触で、そこを通り抜けた際に振り返ると延々と同じ景色が続いていた。


 別れの言葉を口だけで呟き、足早にその場を立ち去る。気付けば駆け出しており、夜の森を只管に走る。


 どれくらいそうしていただろうか……纏わり悩ませる何かを振り解くように走り続け、気付けば辺りは普通の森へと様相を変えていた。


 亜人領の樹木は皆巨大な物なのか、リアモとは違う森の姿に自分が小人になったような錯覚に陥る。


 そんな中ぽっかりと口を開けた広場が目に映り、月明かりが煌々と照らしていた。

 それは先の戦闘で辿り着いたものよりは幾らか小さく、その神秘的な光景がリリリの影を見せる。


 一歩、また一歩と近付く度に思い出が甦ると過去の光景も重なり、終いには頬を伝う涙が一滴―――。


 あいつは幸せだっただろうか。自分達と共に行き、少しでも救いを感じられただろうか。いっそ裏切られた方がまだマシだった……なんて思うのは卑怯だろうか。


 どれほど考えた所で答えなど出る筈も無く、声が出ないのを良い事に盛大に鼻をすする。そして―――


(……カルーア?)

 暗闇の奥から現れた一人のダークエルフ……真剣な面持ちでゆっくりと歩み寄り、広場の中央で相対する二人。


 その顔はこれまで見たどの表情よりも真剣味を帯びており、それに応える為にも放置していた涙を拭う。


「行くの?」

 短く発したカルーアの声に頷く。


「さっきルピナが目を覚まして、そこであんたの事を聞いたわ……大層心配して、似た者同士なのよね」

 どうやら無事に目を覚ましたようで、ほっと胸を撫で下ろす。


「あんたがお姉様……リティシア様の子供というのは本当?」

 その問いにも頷き、それを確認すると「そう……」と小さく呟くカルーア。


 黙っていた事を咎められるかと思いきやそうでは無いようで、俯くとそのまま黙り込んでしまう。


 どうしたものか……会話を切り上げる切っ掛けが分からず、無言の時間が流れるとそれを先に打ち破ったのはカルーアだった。


「御身がリティシア様の御令息というのであれば、元リティシア様の従者である私を供に加えていただきたく、これまでの非礼を正式に謝罪―――」

 突然畏まり、整然と発する願いを片手で制すゼロ。


(そういうのは良い。何時も通りで頼む……この体は借りてるだけで、俺の物って訳じゃない)

 頭を垂れるカルーアを元に戻しそう告げると


「あらそう? それじゃ遠慮無く―――」

 その言葉に笑顔を取り戻し、固く握られた拳をゼロの頭へと振り下ろす。

 予想外の攻撃は避ける事も出来ず、大きな衝撃は少し遅れて響き全身を貫く。


(―――っ!)

 あまりの痛さに頭を押さえ、うずくまるなりカルーアは


「立ちなさい」

 と、冷酷に言い放つ。


 その声に涙目のまま立ち上がると胸倉を掴まれ、ぐいと引き寄せられては顔を突き合わせる。


「黙っていた事は良い。あんたが体を借りてるってのも責めたりしない。だけどね……そんな面で、リリリの死を無駄にする事だけは許さない!!」


 見ればカルーアの目にも薄っすらと涙が浮かんでおり、自分と同じようにその死を受け入れ悲しんでいる。


(自分だって、泣いてるじゃないか……)

「うるさい! 泣いてない!」

 胸倉を掴んだまま涙を拭い、再び睨み付けるものの同じように涙が浮かんでしまう。


 それを再び拭い、掴んでいた手を離すと後ろを向き大きく深呼吸を繰り返すカルーア。


「とにかく、あんたがお姉様の子供だって言うのなら私はなんとしてでも付いて行く。あんたが無事に成長する事が、私に出来るせめてもの恩返しなんだから」

 再びこちらを向いたカルーアは平静を取り戻すと、快活にそう宣言する。


「それに……」

(ん?)


「あんたの目的と私の目的は、きっと一緒でしょ?」

(……多分な)


 そう問い掛けられて頷く。ルピナに聞いたと言うのであれば、それは先の話に他ならないだろう。


 どうする事が最善なのか……それは誰にも分からない。しかし過去の選択を踏まえても、後悔だけはしないようにと強く思う。


 月明かりの下、少女と二人夜の森を歩く。


 揚々と軽い足取りは心の表れか……半ば諦める形で同行を許し、願わくばこの選択に幸が多い事を祈る。


「何してるの。さっさと野営地まで行くわよ」

 どうやらこの辺の地理には明るいようで、急かす声にはいはいと返事をする。


(これも縁か……)

 独り言に返す言葉はもう無い。その静寂に少し寂しさを感じ、随分と助けられていたのだと実感する。


(―――ありがとう)

 感謝の言葉と共に、エルフの国を後にした。

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