第三章 ~少年と亜人~

第二十五話 ~猫人族~

《第二十五話 ~猫人族~》


 宿場町から南下し、多少荒れ地では有ったものの順調に街道へ出ると、その道を真っ直ぐ西へと進む。


 会敵した怪物達はトウとキビが瞬殺するので自分が体を動かすのは解体だけ……かと思いきや、それすらも見事な手際でほとんど出る幕が無い。


「どうかお気になさらず」

「御二人はどうかそのままで……」


 そう言われても何もしないのは手持ち無沙汰で、適当に運動しようにも安全の確保がされていない場所ではそういう訳にはいかない。


「せっかちねぇ……任せておけるんだから休んでおきなさいよ」

 そう諭されるも到底納得出来ず、せめて見て覚えようと二人の所作を模倣する。


 まるで見えているかのような淀みない刃筋は流れるように美しく、一切の動作に無駄が無い。


「……ゼロ様、これを切り分けていただけますか?」

 そんな少年を見兼ねてか、キビが肉の塊を手渡して来る。


 大きな岩の上にそれを乗せると、長剣で慎重に分け始めた。


 骨や筋、刃の入れ方等を丁寧に教わると一仕事終える迄、カルーアは退屈そうにごろごろと寝返りを打っていた。


 時折蝶や小鳥を指に乗せては何かを話す仕草が幻想的に映り、木々の隙間から落ちる木漏れ日と相まって一枚の絵画の如く―――


「お腹すいたー」

 ……とはならないのがカルーアの長所だと思った。


 倒した獲物をそのまま料理へと昇華させ、舌を唸らせる二人の料理に舌を巻く。


「お姉様には及びません」

「喜んで頂けたなら幸いです」


 食材が違うので比べる事は無粋だが、それでも二人の料理も中々の物だと思っていた。


 そうして大樹の類が少なくなった頃、街道脇の林の中に小川を見付ける。


 魔法で出せるのだから水場の近くという必要は無いのだが、野営の痕跡が見られたので本日の寝床を決める。


 カルーアと二人きりの時は木の根に体を預け、外套に包まり眠るだけの簡単な野宿だったが今回は違う……トウとキビの二人はやる気を漲らせていた。


 砂利や石の多い川岸に三角形のテントを張ると瞬く間に寝床を完成させ、かまどの作成に周囲の罠と、本当に勉強する所は多かった。


 テントの中は外見よりも随分と広く四、五人が寝てもまだ余裕が有りそうな作りに、これも歴とした魔道具なのだと教えてもらう。


「魔法鞄と同じ原理だと聞いています……」

「防御性能も高く、上級迄の魔法でしたら問題有りません……」


 その言葉を信用するならば見張りなど不要に思うのだが、二人は頑としてそれを譲ら無い。


 流石にここでも何もしないのは気が引けてしまうので、自身の訓練の為にもキビと共に火の番に当たる。


 途中で交代する予定のカルーア達は先にテントの中で休息を取っていた。


 音を立てて爆ぜる焚き火の中に、キビが時折何かを投げ入れる。

 独特な香りのするそれは獣避けだと言い、全ての生物にある程度の効果が有ると言う。


「古い習わしです……エルフの郷にはそういう物が多いですから……」


 そう言ってどこか遠くを見詰め、何かに思いを馳せている……そんな風にキビが吐き捨てるのを見て、どこか棘が有るように感じてしまった。


 ゆらゆらと揺らめく炎を見詰めていると、これまでの出来事が走馬灯のように流れて行く。


 それはこの世界に降り立つ前の事であり、この世界に降り立ってからの事であり、それらが無秩序に流れて行くのだ。


(ああ、そういえばリュカの誕生日は何時だったっけ……)

 そんな答えの無い思考を微睡みながら考えていると、首筋に一瞬だけ痛みが走る。


「ゼロ様」

 キビの言葉よりも早く立ち上がり、長剣に手を掛けて周囲を警戒する。


 自身の背後……痛みの発生源からは獣の嘶きが聞こえ、再び森に静寂が訪れる。


(ふぅ……)

 安堵の溜め息を漏らし倒木に腰を下ろすと、キビから飲み物を差し出される。


「どうぞ。落ち着きますよ」

 相変わらず言葉数が少なく、抑揚の無い声ではあったが僅かに微笑んでいる……そんな気がした。


 木製のカップに入ったココアのような飲み物は温かく、味や甘さも自分の知っているそれとよく似ていた。


「私は私の技術に自信を持っています」

 飲み物の甘さに心を休ませていると、独り言のようにキビが呟く。


「自身の魔力量では広範囲を守る事は不可能……せいぜいが見える範囲だけなのです」

 焚き火から目を離し、貴方はどうですかとばかりに視線だけで訴えて来る。


 カルーアに指摘された無駄の多さ、気の張り過ぎはここでも発揮されていたようでやんわりと指摘される。


(……そういう事なら、罠の設置にも付き合うべきだったかな)

 納得したように頷くキビを見て、己の未熟さに顔どころか全身から発火しそうだ。


「簡単な物を幾つか……きっと役に立ちます」

 そう言って紙とペンを取り出すとキビが隣に腰掛ける。


 純然たる善意からの行動だろうが、昨夜の行為を思い出して少しだけ緊張してしまう。


「約束ですから無理やりはしません……そんなに警戒されると、少し悲しいです」


 しおらしく発するキビの言葉に申し訳なさが顔に出るが、そもそもそんな奴は寝込みなど襲わないのだ……騙されないぞと心を強く持つ事にした。


 話しながらもキビは筆を走らせ、一枚の紙に複雑な紋様を描く。


「陣とは円……円とは環であり世界の理。この魔法陣は中央に電撃魔法と、その周りに制作者への通知を記しています」


 三重丸の真ん中へ六芒星が描かれた魔法陣は、かつてリアモで見たものよりも図形が多く、その全てが円で締め括られている。


 書かれている文字は呪文の詠唱だろうか……普段使うものよりも崩し、続け様に描かれたそれは判読が付かない程に達筆だ。


「中央の主陣と別に、細かい指定を副陣にて行います」

 単純に魔法を発動するだけで無く、そういった繊細な制御も可能なのだとキビは言う。


 確かにこれならば発声の出来ない自分でも扱えるだろう……が、その習得には途轍も無い時間と頭の良さが必要そうだと思った。


「誰でも最初は稚児……進む者だけが戦士に成り得るのです」

 キビらしい物の言い方に気を気を引き締め、苦戦しながらも最初の一歩を踏み出す。


 制作に没頭すると余計な考えは頭に浮かばず、今が哨戒中という事すら忘れてしまいそうになる。


 水薬作りは材料と魔力さえ有れば無限に出来てしまう現状で、魔法陣の作成というのは良い手慰みになりそうだと思った。


 そうして幾つかの魔法陣を習いながら夜が明けると、カルーア達と交代でテントに入る。


 数時間の仮眠後に出発するらしく、その間に準備を整えておくとカルーアは言った。

 睡眠への導入はすんなりと行われ、先程どちらかが使用していた寝具は寝心地が抜群だ。


(……煙いな)

 長く火に当たり過ぎたか、香草のような残り香と共に静かに目を閉じた。


 そうして野営地を後にして行軍し、陽が高くなって来た頃

(おお……)

 漸く馴染み深い街道へ出ると、視界いっぱいに草原が広がっていた。


 左右は森の境目の如く二つの地形が地平線まで続いており、森の中に草原を嵌め込んだような光景に言葉を無くしてしまう。


 リアモで見た森と似ているのだが、規模はこちらの方が圧倒的に上だろう。


「もう少しで国境ね……でも、その様子だと一泊くらいどこかに泊まりましょうか?」


 挑発するように笑みを湛え、カルーアが一瞥して来る。疲労が顔に出ていただろうか……その提案は飲まざるを得ない。


 地図を広げて確認し、亜人領の真ん中に険しい山脈が有る。その山脈を境にエルフと獣人達の国は二つに分かれており、北と南に関所が存在していた。


 山脈の東西は草原地帯で、そこから先に進むと互いの特色……エルフであれば森。獣人であれば荒野と言った具合に変化が見られるらしい。


 身勝手な侵入を阻む為の山脈は、遠くの方に薄っすらと確認出来る。


「最近は国境付近にて、中立に重きを置く種族が多いようです」

「その数は数十……やはり先の大戦が原因かと……」

 二人の解説に神妙な面持ちで唸るカルーア。


 どうやら国境付近はそういう事らしく、エルフ領とでも言うべき領内にはそういった方針の種族も居るらしい。


「猫人族、ね……関係は?」

「至って良好……と迄は行きませんが、あくまで中立―――」

「交易等も有りませんが、一晩の宿程度なら問題無いかと思われます」

 短い質問に対しテキパキと応えるトウとキビ。


 優秀な補佐官といった応答はそれだけで有り難く、それ程の危険は無いだろうが安心するに余り有る情報だ。


「それで良いかしら?」

 途端に話を振られ、三人の視線が返事を待つ。


 特に反対する理由も無いので頷くと、揚々とした足取りでカルーアが歩き始めた。


 耳に届いた猫人族……もしかしたらミーアの故郷なのだろうか。孤児だと聞いては居るが、もしかするとルーツはそこに有るのかも知れない。


 穏やかな風が吹く草原を、時折現れる小型の怪物等を倒しながら一同は進んで行く。進路を任せていたカルーアが街道から逸れ、斜面の急な藪へと入りそれに続く。


 良く見れば薄っすらと道らしき物が確認出来るのだが、何の合図も無ければ先ず気付け無いだろう。


「その辺は勘よ」

 そう言って鼻を鳴らし、得意気になるのは何時もの事だ。


 長年冒険をしていれば可能になるのだろうか……三人のレベルに到達するのは中々に骨が折れそうだと思う。


 そうして先頭を歩き特別何かが有る訳でも無いまま、視界が開けた場所へと辿り着く。


 あの母子狼と出会ったような森は自分達以外の気配が乏しく、有るとすれば目の前の子供くらいの物だろう。


 森の中の広場には大きな丸い岩がぽつんと置かれ、その傍らで子供が一人しゃがみ込んでいる。


 耳を澄ませば何かを歌っているようで、どうやら採取中らしかった。


「ナオリ草はみどりー。ズナナ草もみどりー。ベラベラもみどりー」

 野草系の素材は大体緑なので合っているが、その歌に何か意味が有るのだろうか……。


 こちらの存在には気付いておらず、上機嫌なのを髪色と同じ灰色の尻尾が表していた。


 歌を聞こうと近付き過ぎたのが良くなかったか、頭上の耳がぴくりと動くと勢い良く振り返られる。


「ぴ……ぴぃーーー!!」


 こちらの存在を認めた途端、けたたましい叫び声を上げ一目散に逃げる子供。

 音も無く近付いたのが良くなかったか、どうやら驚かせてしまったようだ。


「行っちゃったわね……」

(ああ、驚かせちまったな……)

 外見的には猫族というだけ有って猫っぽかったのだが、叫び声はひよこのようだった。


 気を取り直して逃げた方角へと歩を進め、再び森の中を歩いていると


「ねえ、あれ―――」

 カルーアの指し示す方向へ目を差し向けると木陰から先程の子供が顔を覗かせていた。


 その光景に少し驚いてしまい、てっきり驚き逃げて行ったとばかり思っていたのだが……その顔は好奇心に満ちていた。


「……だれ?」

 猜疑心と好奇心が折り重なったような眼差しは、ハの字のような口元にも良く表れていた。


 木陰に隠れ、その身を預けるように片手を幹に這わせているのを見てどうしても悪戯心が頭をもたげる。


 少女の質問に返事をする前に、外套から両手を出すと目一杯掲げて威嚇する。


「ぴよーーー!!」

 先程と同じような叫び声を上げ、大慌てで去って行く後ろ姿を見て爆笑していると頭上に拳骨が落ちた。


(痛ってぇ……)

「なに馬鹿やってんの……印象悪くなるわよ?」


 呆れ顔のカルーアがそこに居た。

 トウとキビも同様の表情を浮かべており自らの行いを反省する。


 しかしあそこまで良い反応をされるとそれはそれでやり甲斐すら感じてしまい、これが俗に言う可愛さ余ってという物かと、独りごちた。


 森を抜けるとそこは小さな町で、きっと思い切り跳べば全貌を掴む事が出来るだろう。


 周囲に柵は張り巡らされているがとても簡素な造りで、侵入を阻むといった性能は皆無に等しい。


「止まれ!」

 入り口らしき柵の切れ間に猫耳を付けた青年が一人立っており、険しい顔付きで静止を促してくる。


「ほら言ったじゃない……」

(……すまん)

 全くと溜め息を吐き、青年の言葉を無視して歩み寄るカルーア。


 その光景に緊張した面持ちで持っていた槍と盾を構えると―――

「怪しいもんじゃないわよ」

 そう言って冒険者証を取り出す。


 恐る恐る警戒を解き、両面をじっくりと観察すると即座に返却され

「……誤解されるような真似は慎むように」

 そう厳しく咎められた。


「犯人はこっち。ほら、何か言う事は?」

(ごめんなさい)


 そう言って口を動かし深々と頭を下げると納得してくれたのか、大きく頷かれ漸く入場を許可された。


「意外と子供っぽい所がお有りなのですね……」

 無表情のまま言われるとカルーアとは一味違う棘が有り、ドMの悪友ならば泣いて喜んだ事だろう。


「子供に決まってるでしょー? 戦闘も行動も、子供そのものじゃない!」


 カルーアに言われると妙に腹が立つのはどうしてなのか……しかし今は反省中なので言い返したりはしない。そう、自分は大人なのだから―――。


 そう一人腕を組んで不敵な笑みを作っていると

「んん……? って、今度はやるんじゃないわよ?」

(……はい)

 再び猫少女が顔を覗かせていた。


 民家の脇に隠れ……ては居ないのだが半身を覗かせ、先程よりも警戒心は薄れているのか両眼を輝かせては今か今かと待ち構えている。


 そんな表情を見せ付けられてはうずうずとしてしまい、それを察知したキビが肩を押さえ付けて来る。


「駄目ですよ?」

 短く咎められ少し治まると、漸く猫少女が話し掛けて来た。


「……冒険者なの?」

 衛兵とのやり取りを見ていたのか、そう質問する少女に頷くカルーア。


「ほんとに? すごいすごい!」

 そう言って嬉しそうに飛び跳ね、両手でぱちぱちと拍手をする少女を見ているとこういった場所では冒険者も珍しいのかと頷く。


「ここに泊まるんでしょ? おうちきて! こっち!」

「えっ、ちょっと!?」


 カルーアの手を取りぐいぐいと引っ張る猫少女。

 初めの頃の内気な雰囲気はどこへやら……お構い無しに何度も繰り返している。


「ちょっとおおおぉぉぉ……」


 意外と力持ちのようで流石は獣人……カルーアが身軽だと言う事も有るのだろうが、道にはくっきりと二本の線が引かれていた。


(……とりあえず付いて行くか)

「はい」

「はい」

 そういう事になった。


 二本線の終着点は一件の民家で、外観は二階建てのログハウスのようだった。


 大きさから見て家族と住んでいるのだろう……煙突からは白煙が立ち昇っている。


「良いからちょっと待ちなさいっての! 急に来たりしたらおうちの人も困るでしょ!?」

「いいもん! へーきだもん!」

 家の前で手を振り解くと、玄関の扉が開かれる。


「おや、おかえり。お友達かい?」

「うんっ!」

 母親らしき女性に元気良く答える少女。


 自分とカルーアは分かるにせよ、後ろの二人はどう見ても同世代には見えないだろう。


「冒険者さんなの! お泊りさせてほしいんだって!」

 そうなのかと一瞥をくれるので、違う違うと一様に首を振って答える。


「良いから離してあげな。ほら、お姉さん達が困ってるじゃないか」


 そう言うと猫少女をひょいと持ち上げ、手足をバタつかせられながらもカルーアから引き剥がす母猫人。


「いーやー! とまるのー!」

「珍しい事も有るもんだね……すまなかったね、あんた達も」

 聞き分けの無い我が子を前に困った様子で謝罪を述べる母猫。


「だけど困ったねぇ……ここは小さい町だから、宿屋なんてのも無いし……」

「それについては心配無用です。空き地に野営の許可でも貰えれば―――」


 珍しく軽快に喋るカルーアを見て、やれば出来るじゃないかと驚く。


「びえええええ!!」

 先程まで暴れていた猫少女はカルーアの言葉を聞くなり泣き始め、自分の願いが叶わないと知った瞬間から大声で叫び始める。


「どうしたんだい?」

 そんな喧騒の中、家の中から一人の人物が現れる。


 口元に立派な髭を蓄え、かと思えば細身の眼鏡が気弱そうな印象を与える猫族の男性……この家の主人と思われる父親が登場すると、母親が先程までの経緯を説明する。


「なるほど……事情は分かりました。我が家で良ければどうぞ」

 こちらに向き直るなり、にこやかな笑顔で承諾する父親。


 本当に大丈夫なのだろうかと困惑していると、母親が肘で脇腹を突いて勝手な提案を責めていた。


 家へ招いた張本人は父親の足元で飛び跳ねており、先程まで泣いていた烏がもう笑っている。


 リナリーよりも幾らか年上だろうか……見た目とは裏腹に中々のふてぶてしさを感じる。


 中へ入ると外観から予想通りの落ち着いた雰囲気で迎えられ、本日泊まる部屋へと案内される。


 同じ木造建築でもエルフェリアとはまた違った趣で、比較対象が最長老とカルーアの部屋しか無いのだから当然だが、冒険者然だったり高級そうな調度品が置いてあったり等はしない。


 年越しの準備のせいか干物や保存食が多いようで、部屋のあちこちから香辛料の類が鼻を突く。


「獣人国……正式には『獣王国:ビーストキングダム』では、主に香辛料を使用した料理が盛んだと聞いています」


 国境付近ではそういう交易も増えると言う事だろうか……美味しそうな匂いがするという子供染みた質問に、懇切丁寧に答えるキビ。


 通された部屋は階段脇の空き部屋で、隣には同じ作りの猫少女の部屋が有るそうだ。


「少し埃っぽいけど、急いで掃除するからね」

「あ、手伝います。トウ、キビ」

「はい」

「はい」


 長年使われていなかったのか、人が歩き回るだけで舞い上がる綿埃を見て相当数の年月が経っている事は容易に想像出来た。


「はいはい。どいたどいた」

「ちょっと邪魔よ!」

「ゼロ様、こちらに……」

「ゼロ様、こちらに……」


 完全に戦場と化した部屋の扉をそっと閉めると、邪魔にならないように大人しくしていようと一人頷く。


「じーっ……」

 何時の間にか現れていた猫少女が熱視線を口に出しこちらの顔を覗き込んで来る。


 その光景に驚き再び身を震わせると、面白かったのかくすくすと小さく笑い出す。

 猫族特有の技能なのか、はたまた無邪気さ故のものなのか……完全に油断していた。


「あそぼっ!」

 言うなり手を引かれ、勢い付いたまま階段を駆け下りる少女。


 この力で握られれば振り解く事は困難で、何とか転落しないように後を付いて行く。


 リビングに座っていた父親に声を掛け外に飛び出すと、やれどこが誰の家だとか、この家の人は怖いだとか、そういった住人の情報をつぶさに教えて来る。


 広さの割に住人が少ないように思い質問するが、それについての返事は無かった。


 小さな町だと思っていたが少女にとっては世界の全てで、そういった事も踏まえて観光案内は続けられた。


「ミニャはミニャだよ」

 そう言えば自己紹介もしていなかったなと思い、手の平に文字を書き尋ねると返事が来る。


 猫っぽい名前にやはり故人を思い出し、納得するように頷くと気持ちと共に視線を落とす。


「あっ!」

 何かを発見し繋いでいた手を離すと、町を取り囲む柵の付近に駆け寄りしゃがみ込むミニャ。


 風を取り込み膨らむスカートが、地に落ちると緑の中に鮮やかな色の花が咲く。


 日本であれば学校に行っているような年端の行かぬ少女でも、この世界においては貴重な稼ぎ頭……散策中でも抜け目のない採取活動は、見ていて胸が苦しくなった。


 今この瞬間だけは遊び相手になってやるのも悪くないか……そんな事を思っていた―――そう、大人として。


(……何か見付けたのか?)

 満面の笑みで戻って来る少女に対しそう投げ掛ける。


 右の手はぎゅっと握られ、目の前でそれが開かれる前に物凄く……そう、物凄く畏怖すべき対象のような嫌悪感が直感となって襲い掛かる。


「うんちっ!」

 目の前で開かれた手は緑色に染まっており、強烈な悪臭と共に開示される。


 今直ぐ鼻をもぎ取りたくなるほど酷い臭いのそれは、正真正銘モノホンのそれでは無く獣避け等に使われる素材の一つだ。


 あまりの悪臭に摘んだだけのそれを嗅いだ時、それを使用する一切の水薬を作らないと誓った程だ……そんな物を磨り潰した器具で作った薬を、自身で使用するには厳しすぎる。


 顔を背けると直ぐ様後方へ飛び退き、相手の出方を窺う為に腰を落とす。


 その様子に守りに入ったなと言わんばかりに、ミニャの態勢も狩猟形態へと変貌して行った。


 同じような中腰の体勢……獲物を狙うその瞳は嫌がらせと悪戯心に満たされている。


 振り向き、一目散に逃げ出すと

「まてまてー!」

 と、後ろから悪魔が追い掛けて来た。


 絶対に触られる訳にはいかない……もし少しでも触られてしまったなら、きっとその臭いは旅の最中も自分を苦しめる事になるだろう。


 町の入口まで追いかけっこを続け、永遠に終わらない悪夢に終止符を打つべく振り返ると―――


(……風よ)

 頭の中で唱え、右手を銃に構えて風弾を放つ。


 脳内で引かれた引き金は指先から突風を生み出し、ミニャの足元で炸裂する。


「わわっ!」

 短く叫ぶとその場で転び、何が起こったか分からないといった表情で不思議そうに辺りを確認するミニャ。


 エルフェリアで過ごしてからと言うもの、魔法に関しては本当に扱いが楽になったように思う。


 発動手順等はそれほど変えていなくとも、自分の思い通りの魔法が実行出来るようになっていた。


 それでも実践レベルには遠く及ばず、せいぜいが便利になった程度の物しか扱えないが……出来ると出来ないでは雲泥の差だ。


(十年早い……)

 見えない銃口をふっと吹き、見えないホルスターへ回しながら入れる。

 西部劇も割りと好きだった。


「こら!」

 悦に入っていると頭の上に拳骨が落ちる。


(痛ってぇ……)

 振り返れば先程の衛兵が立っており、やはり険しい顔付きでこちらを睨み付けて来る。


「小さい子をいじめちゃ駄目だろう。それと、危ない魔法は使用禁止だ」

 それは全く以てその通りなのだが、こちらにも言い分は山程有る。


 しかしここでムキになって反論したりはしない……そう、自分は大人なのだから。


(ごめんなさい)

「うむ。分かれば宜しい」

 満足そうに頷く衛兵。


「まてー!」

 背後から再び悪魔の声が聞こえ、笑顔のミニャが駆け寄って来る。衛兵を盾にして隠れ、ついでなので叱ってもらおうと画策する。


「ほら、ミーナも……嫌がってる相手にそんな事をしたら駄目だろう? って、またその草を握り潰したのか……!」


 ミニャの呼び名が気になる所では有ったが、落胆した衛兵の顔を見るにどうやらこれが初犯では無いらしい。


 素材だけでもその効果が有るのだろう……柵の低い理由が少し分かった気がした。


「とにかく二人とも、仲良くしなくちゃ駄目だぞ?」

「はーい……」

 怒られている事は理解したのか、しょぼくれた表情で口を尖らせると俯くミニャ。


 去って行く衛兵の後ろ姿を眺め

(帰るか……)

 と、手を差し伸べる。


「うん!」

 差し出された手を嬉しそうに握り、ゆったりとした足取りで帰路に就く。


 まるで弟妹をあやしていた時のような優しい時間に、帰ったら念入りに手を洗おうと……そう固く心に誓うのだった―――。

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