第二章 ~少年と少女~

第十話 ~王都~

《第十話 ~王都~》


「お金が足りません」

 出発した日の夜、宿場町迄順調に進み宿を取り、有無を言わさず二人部屋を選んだルピナが険しい顔でそう言った。


(金なら……)

 ハッとして思い出す。自分が今日までどれほど散財してきたかと言う事を……。


「新装備に日用品、野営の道具、旅費、万が一の為の水薬や携帯食料、ロープ、布、解体用ナイフ、挙げればキリが有りません!」

 その全てを収納しているというのか、本当にルピナには頭が下がりっぱなしだ。


「大体夜はどうするつもりだったんですか?」

(どうするって……)

 確かにその辺に関しては無策だったと言っても過言では無い。当分先の事になる筈だったので、グラムとも全く話をしていなかった。


 それに一人だと考えていたので野宿も厭わなかったのだが、ルピナと二人旅の今そういう訳にもいかなくなってしまった。


「ゼロさんが私への配慮をしてくれるのは嬉しいですけど、居なかったらどうするつもりだったんですか?」

 ベッドの上で武具の手入れをしていると、ルピナがぐいと顔を近付け詰問する。


 何時ものにこやかな表情とは違い、半目で疑うような眼差しを向けてくる。

 どうやら昼間の事をまだ根に持っているらしい。


 グラムから託された内容を書き記した封筒を取り出してもらい、一瞬の隙を突いて奪ってみるとそこには何も書かれていなかった。


「グラムさんはこうも言ってました……あいつの事だ、自分一人で行こうと考えるやも知れん。警戒は二重三重にしておいてくれ……と」

 声色を真似するのは何か理由が有るのだろうか。


 要するに必要な情報は全て頭の中に入っており、それを人質に取られている状態という事が判明した。

 そしてルピナの機嫌を損ねる事にも、見事に成功してしまったようだ。


「聞いてるんですか?」

 ルピナの言葉にたじろぎながらも頷くゼロ。


(資金については冒険者なんだ……王都のギルドで仕事が有るようなら、それを足掛かりに少し増やしておこうと思う。成功報酬は山分け。協同で使うものは都度相談……で、良いかな?)

 道中で考えていた事を提案すると渋々承諾し、自分のベッドへと腰を下ろすルピナ。


「それなら良いんですけど……」

 幸いまだ一週間程度は無理なく暮らせる余裕は有る……と思ったのだが、それは一人分の試算だったと思い出す。

 明日か明後日には王都に入りたいので、朝早く出発しようという提案をルピナは快諾してくれた。


 確かに以前立ち寄ったこの宿場町から王都行きの馬車が有るそうだが、寄りたい所もあったので徒歩で向かう事にした。節約にもなるし、今日の足取りを見ても問題無いだろう。

 ルピナ自身の資金はまだ少しだけ余裕が有るというので心配はしていないが、それでも稼いでおくに越した事は無いだろう。


 翌朝。何時もと同じように日の出と共に起き、ルピナを起こさないようにそっと自室から抜け出す。

 起きたら隣にルピナが寝ていたとかそういった事は無く、日課の運動へと出掛けた。


 流石に半年も続けていると体を動かすのが当たり前になっており、やらないと少しだけ体調が悪くなる気がした。

 グラムの居ない今、細かい調整をしてもらっているが負荷不足を感じ、今日は鎧と武器も装着している。


 身体強化魔法の反動か、意識して使用していなくとも以前より体力や筋力が向上している……と思う。しかし、それを更に強く意識したのは五感に関してだろう。

 視覚や聴覚は言わずもがな、嗅覚や味覚まで鋭く鋭敏になっている。


 その原因が強化魔法なのか装備なのか、自身の能力によるものなのか本当の所は分からないが、その分索敵や毒物の発見、罠の解除や製薬の効果上昇などに恩恵が有ればと願う。


 不明な事と言えばルピナの容姿に関してもそうだ。小さくなれるから半人族と言っていたが、今の大きさになるのに特別な魔法は使用していないらしい。

 種族に関しては間違い無いと同席の際、ルカやリチャードが言っていたのでそうなのだろう。では、容姿はどちらが本当の姿なのか……それはルピナ自身にも分からないのだと言う。


 不便が無ければそれで良いのだが、自分のような人間にはそういう細かい事がどうしても気になってしまう……考え過ぎは毒だと思うが、性分というのはそうそう変えられるものでは無い。


 宿に戻り装備を外し、シャワーを浴びる。

 石鹸で頭と体を一遍に洗い流し、用意しておいたタオルで水気を拭き取る。


「おはようございます……」

 浴室から出るとルピナが起きており、未だ眠そうな目を擦っている。


(起きたか。朝食を摂ったら出発するぞ)

「ふぁい……」

 ほぼ裸の自分に出会しても驚かない所を見ると、本当に朝が弱いのだなと思う。

 顔を洗いに行ってる間に装備を整え、一人食堂へと向かった。


「その、先程は申し訳ありませんでした……」

 宿に併設された食堂でルピナがしょげながら謝る。朝だったとは言え、迂闊だったと謝罪をしてきたのだ。


(いちいち謝らなくて良い。一緒に旅をする中でそういう事もあるだろう。それにこの体はリュカの物だ……こんな事を言ったら怒られそうだが、恥ずかしさはあまり無い)

 そう言ったのだがまだ肩を落としており、それを払拭する為に続けて話す。

 仮に素っ裸で戦闘が始まったとしたら、ルピナはずっとその状態なのか? と……。

 そこで目が覚めたのか両手で頬を叩き、精悍さを湛えて顔を上げる。


(それで良い、俺も気にしない。驚嘆しても引き摺るな……グラムだったらきっと、そう言うんじゃないか?)

 この言葉で正解だったのだろうか、ルピナは満足気に頷く。


 そして宿の朝食だが、なんというか……その……

「薄い、ですよね?」

 声を潜めてルピナが言う。


 聞けば宵闇での食事も中々に美味かったらしく、昨日の金熊亭の弁当と比べてみても、ここの宿の食事は少し薄い気がした。

 これで金熊亭と同じ宿泊料金なのだから、やはりあそこはすごい宿だったのだと今更ながらに感服してしまう。王都では飯の美味い宿にしようと固く決意する瞬間だった。


 宿場町を出て順調に街道を南下して行く。

 半年前に一度通ったきりだったが道に大きな変化は感じられず、時折細い分岐路は有るものの基本的には一本道のままだ。


 歩きながらルピナと沢山の事を話した。

 今後の事は勿論、自分の事が分かったら何をしたいか、何処に行ってみたいか、興味が有る事や学んでみたい事など、話題は尽きなかった。


「ゼロさんはどうするんですか?」

 ルピナの質問に暫く考え込んでしまう。


 グラムを取り戻し、リュカを蘇生する為に魔族領へ……襲撃事件の事も有るし、それこそやる事は多そうだと思う。


 そんな風に唸っていると脇道から近付く一つの気配に

「ゼロさん!」

 腰を落として柄に手を掛けるがふっと力を抜き、再びその場に佇む。


(ああ、こいつは大丈夫だ……)

 茂みから現れた森狼がそのまま飛び付いてくる。


「ウォウ!」

 あの時よりも更に大きく、馬乗りになり顔中をべろべろと舐め回される。

 傍目から見れば襲われていると誤解されるほど、その体格差はあの頃よりも広がっていた。


(久しぶり……)

 ふさふさの体を撫でている間も執拗に舐め回され、それはもういいと片手で制する。


「おっきい……ですね……」

 小型の馬車くらいの大きさになった子狼はくるりと身を翻し、再び獣道へ入っていく。

 そして直ぐ様招くように短く吠えるので、立ち上がるとその後を付いて行く事にした。


(大丈夫か?)

「はい。問題ありません」

 雑木林の中は獣道しか無く、子狼が先導してくれているとはいえ少し歩きにくい。


「ウォフ」

 だらしないとでも言っているのか、それとも早く来いと急かしているのか、歩くこと数分……少し開けた場所に出ると母狼の墓なのだろうか、隆起した場所に枯れ木が十字に組まれていた。


(花でも摘んでくれば良かったな……)

 そう呟き近況を報告する。

 リアモでの出来事、形見として貰った牙を身に着けている事、旅に出る事、全てを報告し終えると二人の姿は無く、背後で楽しそうにじゃれ合っていた。


(悪い、待たせた)

 そう言うと再び子狼が飛び掛かろうとするが、瞬時に臨戦態勢を取り備える。


 辺りは静寂に包まれ、物音一つしない筈だが少しだけ生き物の気配を感じ取る……そう思った次の瞬間、茂みから巨大な猪が飛び出した。

 東の森で見たものより、子狼よりも大きい猪は立派な牙が二本生えており、全てを粉砕する勢いのまま突っ込んで来る。


 全員それを難無く躱し、猪はそのまま直進すると巨躯を反転し、後ろ足で地面を蹴り上げ感触を確かめている。


「魔獣ですね。額に魔石を確認……牙から見て、ファングボアだと思います!」

 ルピナの声に頷く。


 魔素の結晶が魔石であり、それに乗っ取られた個体を魔獣と称するのだとグラムは言っていた。

 迷宮の怪物も魔獣に分類されるのかと言うとそういう訳では無く、素体の有無で名称が違うとも言っていた……気がする。


「来ます!」

 思考を読めるというのは攻撃のタイミングも計れるという事だ。ルピナが叫ぶと再び猛然と駆け出す牙猪。

 二人に指示を出し、まずはそのまま自分が受け止める事にした。


 牙を掴み、勢いを殺すとそのまま力任せに上空へぶん投げる。クリス直伝の力技だ。

 落ちてきた所に子狼が体当りし、奥の巨木目掛けて弾き飛ばす。ルピナが魔法を発動させ、その頭蓋骨を巨岩で押し潰した。


(えげつない魔法だ……)

「仕方ないじゃないですか。やるからにはしっかりと、ですよ?」

 宵闇の教えなのか、言ってる事は尤もだが可愛い顔して凶悪だとも思う。


「か、可愛いですか……えへへ……」

 会話の内容にズレが有るようだが、訂正はせずに解体に取り掛かる。この場所を血だらけにしておくのは、何と言うか少々忍びない。


 血抜きや解体用の魔法などがどこかに存在するらしいが、今回は全て人力だ。

 初めて行う解体作業は想像以上に難しく、腕力だけは自信が有るのでその点については問題無いのだが、それ以上に繊細な作業を求められる事が多く、悪戦苦闘しながら初の解体作業を終える。


 今回はルピナに解体の経験が有ったので何とかなったが、自分一人では到底成し得なかっただろう。可食部も大分駄目にしてしまった。


「ウォウ!」

 その部分は食ってやると言わんばかりに子狼が短く吠え、急に遠吠えを上げる。すると周囲に狼の群れが続々と現れ、従うように少し離れてこちらに視線を送って来る。


(……そうか、群れの長になったのか)

 見ればあの時のような本当の子狼も沢山おり母親だろうか……優しい目をした狼の傍らで無邪気にじゃれ合っている。


(ルピナ、あの……)

「はい。お肉はあげちゃいましょう!」

 提案する前に読まれてしまい、笑顔で承諾するルピナ。皮と牙と額の魔石を貰い、残りをその場に置いて行く事にする。


 見送りはその場で済ませて街道へ戻ると、今は長となった子狼の声が森の中から微かに聞こえた。


「会えて良かったですね」

 ルピナの言葉に頷くゼロ。懸念していた森での生活はそんなものお構い無しに、あの子狼は逞しく生き延びていた……それが何より嬉しかった。


 街道は平和で天気は快晴。昼食は歩きながら干し肉とパンを食べ、魔法で作り出した水で喉を潤す。

 無詠唱魔法を見るとルピナは驚いていたが、使えるのは今の所一節魔法だけだと伝える。


「それでも凄いですよ。きっと大変な苦労が有ったと思うんです」

 と、勝手に納得してしまったので何も言えなくなる。


 あれからビオラと色々試してみたが、やはりニ節以上の魔法は発動する気配すら無かった。

 適当な記憶だけで一節魔法が使えるだけでも儲け物なのだ。多くを望めば罰が当たる……が、それでもやはり憧れは捨てきれなかった。


 そうして順調に王都へ向かい南下していると、街道の脇に幌付き馬車を見掛ける。故障しているのだろうか、後輪が外れており車体が大きく傾いていた。


(……助けたいのか?)

 ゼロの言葉に頷くルピナ。暫し逡巡し、辺りに気配が無いと分かると許可を出す。


(何が有るか分からないから、十分に気を付けてな)

「了解です!」

 元気な言葉を残して幌馬車に駆け寄り、右往左往していた人物と話し始めるルピナ。周囲に気を配りながら近付き、今のところ危険は無いだろうと判断してほっと胸を撫で下ろす。


「ゼロさん、これ持ち上げられますか?」

 ルピナが馬車を指差してそう言うので頷く。


「いやいや、手伝ってくれるのは有難いですが、それは幾ら何でも……」

 身形の良い小太りの男性が言い終える前に、沈んでいた部分を両手で持ち上げる。

「無理……では……」

 遅れて男が言葉を漏らし、そういえば何時まで持っていれば良いのか聞いていない。


「ちょっと修理しちゃいますね」

 ルピナはそう言うと呪文の詠唱を始める。この馬車の軸だろうか、長い棒に対して手を翳す。


(物質、強化、癒し……かな?)

「正解です。修理:リペア」

 真っ二つに折れていた棒が元に戻り、背中の鞄から取り出したように装った水薬を振り掛ける。物質強化の水薬だろうか、応急処置としてはこれ以上無いだろう。

 その後男性の指示に従い軸に車体や車輪を通し、一先ずの修理が完了する。


「いやー、本当に助かりました! 王都まで後少しでしたが、今日はここに泊まる事も覚悟してました!」


 男性の言葉に頷き、片手を上げて別れを告げようとすると

「ちょ、ちょっと待ってください! 見たところ王都へ行くのでは? 良ければ馬車で送りましょう。お礼もまだですし、このまま帰したのでは申し訳無さ過ぎる!」


 慌てたように両手両足をバタバタと動かす様を見て

(礼が欲しくてやった訳じゃない)

 と、簡潔に伝える。


「良いんですか? ご飯の美味しいお店とか教えて貰えそうですけど……」

 ルピナにそう言われてしまい二の句を詰まらせる。仮に王都の住人ならば、情報は沢山持っているのかも知れない……か。


「決まりですね。行ってきます!」

 ルピナと男性が暫く話し込み、そのままを伝えたのか大いに爆笑を勝ち取っている。手招きされたので馬車の元へ戻り、荷台に乗ってくれとの事なので指示に従う。


「謝礼よりも美味い飯とは……ふふふ、やはり若者は良いですな」

 男性はそう言うと手綱を握り、ゆっくりと馬車を走らせる。


「私の名前はエバンズ、王都で商会を営んでおります。今日は数日掛けた仕入れの帰りでしてな……少し狭いですが、辛抱してもらえると助かります」

 荷台部分は確かに狭く、積み荷がこれでもかとひしめき合っている。

 幸い積み方に工夫がされているので状態は良さそうだが、木箱の上に腰を下ろしているので少し心配になる。


「お二人は冒険者のようですが、王都の迷宮に挑戦ですかな?」

(迷宮? ……ああ、リズが言っていたやつかな?)

 ルピナが頷く。

 聞けば王都は迷宮から始まったと言っても過言では無い程、その資源を最大限に活用している都市なのだと言う。


 王都の別名は迷宮都市。都市内に四つの迷宮が有り、また不測の事態に備えて建設された場所でもあるらしい。

 確かに一国のトップが地雷原に居座るようなものなのだ……肝が据わっているというか、余程の自信が無ければ不可能だと思う。


「そら、見えて来ましたぞ」

 遥か彼方の地平線に、強固な城郭を備えた都市が見えた。もっと時間が掛かるかと思っていたが、揺れが少ない割にそれなりの速度が出ていたようだ。


 驚いたのはそれだけでは無い。その城郭には入り口が無く、どこから入るのかと懸念していたがそこは王宮らしく、他の場所に出入り用の門が有るらしい……が、とにかく大きい。

 同様に驚いているルピナも王都に入るのは初めてだと言う。


 城郭だと思っていた壁は都市を護るための外壁で、その高さはリアモの倍は有るだろうか。

 都市の広さは馬鹿でかく、エバンズに聞いたところおおよそリアモの五倍ほどの広さだそうだ。


 都市に近付くにつれて東門へ徐々に進路を変え、門の大きさこそリアモと同じだが通り抜けるまでの距離が長そうだと感じた。


「こちらはゼロさんと、ルピナさん。私の馬車が故障していた所、たまたま通り掛かられたリアモの冒険者さんです」

 衛兵に説明するエバンズに続き、冒険者証を提示する。街への入場は速やかに行われ、馬車に乗りながら説明を受ける。


「さて、この街の情報でしたな……北側には王宮や衛兵の詰め所、貴族街、お目当ての迷宮は四つ角に在りますよ。今通っているここ、大通りを抜ければ広場に出ます」

 リアモと違い路面店のような店は少なく、どこもかしこも屋台などで賑わっている。


「冒険者の多い街ですからな、商人達もどうにか一山当てようと必死なのです」

 まるで自身がそうだったかのように、感慨深くうんうんと頷くエバンズ。


「さて、着きましたよ」

 噴水と石像の在る広場はどこかリアモの娼館街を想起させるものの、小綺麗でさっぱりとしており、地面には白を基調とした石畳が規則的な模様を描いている。


 エバンズの言葉に続いて荷台から降りると、目の前には大きな建物が聳えていた。

「王都ホクトの冒険者ギルドです」

 外観は同じなのだが規模がでかい。

 王都の街もそうだが、ギルドもそれに比例して大きくなるのだろうか……考えていても仕方が無いので、後は自分の目で確かめようと思う。


「それと、宿の情報でしたな……」

 懐から一枚の名刺を取り出すエバンズ。


「私からのお礼も兼ねてありますので、何日滞在して下さっても構いませんぞ」

 名刺の裏にさらさらとペンで一筆したため、ずんぐりむっくりとした手から渡される。鉱人や半人の血でも入っているのだろうか、片目をつぶる仕草は中々に愛嬌が有った。


「ありがとうございます。助かります!」

「いやいやこちらこそ。何か有りましたら商会にお越し下さい。それでは……」

 エバンズはそれだけ言うと御者席に乗り込み、威勢の良い掛け声と共に行ってしまった。


「ゼロさん、口が開いてますよ」

 上ばかり見ていたせいかルピナに指摘されるまで気付かず、慌てて閉じ結ぶ。

「すごいですねー」

 ルピナの言葉に頷く。外観が同じおかげで迷うことは無いだろうが、ここまで大きいと威圧感すら漂ってきそうだ。


 しかし周囲を見渡せば同じように商人ギルド、魔法協会、道具屋や日用品……雑貨屋だろうか、それら全ての店舗がどれも一様に広く造られている。

 加えて人の数もリアモのそれとは比べ物にならず、どこぞのテーマパークのように人で溢れかえっていた。


 とりあえず名刺をポーチにしまい、冒険者ギルドの中へ入ると規模こそ大きいものの内装が同じで人心地つきそうになる。

 外観は四階建てのようだが、三階以上は職員専用なのか……そこもリアモと同じだなと思い、周囲を見回しながら歩を進める。


 入り口左には各種テーブルと椅子が置かれ、その奥に依頼書の壁が在る。右側には受付が在る筈なのだが……人集りが出来ており確認すら出来ない。

 夕暮れには少し早い時間、恐らく皆が報告に来ているのだろう……ある程度人が捌けるのを待つ間に、王都の依頼書を確認する事にした。


「いっぱい有りますねー」

 先程から終始感嘆の言葉しか発さないルピナ。しかしそれは自分も同じだと思い、気持ちは分かると頷く。


 ルピナの等級も同じだった筈なので、D等級の依頼を確認する。やはりというか魔石関連の依頼が多く、商魂逞しい文章が狂喜乱舞していた。


「あ、これ!」

 ルピナが指差した先に【牙猪討伐依頼】と書かれた紙が貼られていた。

 受ける前に倒しても証明さえ出来れば問題無いとは言っていたが、ここでもそれは通用するのか疑問だった。


「きっと大丈夫ですよ! それにほら……」

 報酬の欄に書かれていた大銀貨三枚の文字。大きさの割に少ないと思うが、基本的に素材の買い取りが高いので仕方ないとも思う。


(あれでC等級の依頼だったのか……随分楽だったな)

「ゼロさんの力があればこそですよ!」

 確かに腕力だけならクリスと互角……には及ばないが、善戦出来るくらいにはなっていたのだ。単純な力比べなら負ける気はしない。


 ルピナに依頼書を剥がして貰いそれを受け取る。振り返れど、相変わらず受付はごった返していた。


(ん……?)

 順番待ちの筈の受付は一列だけがぽっかりと空いており、カウンターには男性職員が一名。勤務中だと言うのに何かを飲み、赤ら顔で呆けている。


「駄目ですってゼロさん! リックさんに聞きましたよ、ゼロさんはすぐに問題を起こすって!」

 どういう説明を受けたのか甚だ心外だったが、あながち間違いでも無いので反論はしない。

 しかし空いているのだからさっさと換金して、紹介された宿で休みたいと思うのも事実なのだ。


「他の列にしましょうよおおお」

 外套の裾を捕まれ引っ張られるが、お構い無しにずんずんと突き進む。

 両脇の列に並んでいた冒険者達の視線がこちらに向き、突き刺さるような物ではあったが敵意は無く、何かを心配しているのかひそひそと声を潜めて話し始めている。


「ん?」

 きのこみたいな髪型をした職員はカウンターの上に置かれた紙に視線を落とすと


「ここは休みだ、他を当たれ」

 と、取り付く島も無く片手であしらわれる。その言葉に小首を傾げつつ、ルピナに素材を出すよう催促する。


「もうっ……どうなっても知りませんよ?」

 ルピナはそう言うと背負っていた鞄を降ろし、中から取り出した風に牙猪の皮、牙、魔石を出現させる。


 丸太のように丸めた皮をカウンターに乗せる際、目印のきのこ目掛けて振り下ろす。打ち込んだ衝撃で椅子から転げ落ちでもしたのか、派手な音を立てて姿が見えなくなってしまった。


 そこへ牙を二本とも投げ込み、最後に魔石を置く。カウンターに置いてあったメモ帳とペンを拝借し『換金を頼む』とだけ書いて、今はもう見えなくなった職員の元へと落とした。


 後方のルピナは片手で顔を覆い、大きな溜息を吐いていた。

(舐めたヤツはやってやれ……だろ?)

 宵闇の教えをゼロが忠実に実行し、この後の問題は確実だとルピナは思った。


「き、貴様……僕が誰だか知っているのか!?」

 震える腕でカウンターを掴み、這い上がるようにして再び顔を出す職員。金髪のキノコは怒りでだろうか、顔を紅潮させていた。

 その質問にぷるぷると首を振り、さっさとしろと口だけで伝える。


「僕はルペニ家嫡男、アルフレッド=ルペニ伯爵だぞ! こんな事をして只で済むと思っているのか!」

 その言葉に再び首を傾げる。


 名字が有るのが貴族以上の階級だとリュカが読んでいた本で見たが……たしか、その身は清廉にして潔白。己が責務を全うし、民の規範たる者……とあったので、目の前の金髪キノコ豚はきっと偽物なのだろうと思った。


「大体高貴なこの僕が! ぬゎぜ愚民どもと同じ事をしなくてはならないのだ! おまけに亜人と同じ空気を吸うなど、吐き気すら覚える!」


(……)

「ゼロさん。我慢ですよ、我慢!」

 豚は無言の圧に気付きもしないのか、察知したルピナがそれを宥める。

 確かに短気は良くない……それはリックとの出会いで学んだ事だ。


「大方この素材も、どこかから盗んで来たんだろ? お前みたいなガキが、牙猪を討伐出来る筈がない……それとも何か? 後ろの姉ちゃんに色仕掛けでもさせたか? それなら買ってやる。一晩金貨十枚だ」


 我慢我慢。自分の事は良い、ルピナの事を言われた瞬間ここぞとばかりに飛び出す……筈だったのだが、それよりも早くルピナの拳が豚男を殴り飛ばしてしまった。


 しんと静まり返るギルド内。

 綺麗な右ストレートの硬直からゆっくり拳を戻すと

「ゼロさんを悪く言う人は嫌いです」

 と、ルピナもまた宵闇の教えを忠実に守っていた。


「仲間を舐めたヤツはやってやれ、です!」

 にっこりと微笑むルピナだが、いざ自分以外の誰かがやると途端に冷静になるものなのだと実感した。


「ゆ、ゆるさないぞ……貴様等、ぬゎにをしている! そいつは貴族に手を上げたんだぞ! さっさと捕えないか!」

 人垣が動き、一瞬で間合いを取られる。


 ここに並ぶは王都の冒険者……こんな豚に従う腑抜けなら多少の反撃は許されるだろうと思い、ゆっくりと柄に手を掛ける。すると―――

「何をしている!」

 入り口から怒号が聞こえ、群衆が割れる。


 つかつかと靴音を慣らしながら、このギルドの長だろうか、窺うような周囲の反応からしても間違い無いだろう。

 タイトなスカート姿に胸元が大きく開いたシャツ。お団子の髪に金色の櫛を刺し、黒縁の眼鏡の奥に水色の瞳が怒りを灯している……そしてその耳は、リュカの母と同じ形をしていた。


「この騒ぎの発端は……貴様か?」

 ゼロの前に歩み寄ると見下ろし、短く詰問する。その問いに首を振り、ルピナを指差した。


「えええ、私ですか!?」

 慌てふためくルピナを見て一頻り笑い、向き直ると今度は素直に頷いた。

 すると女性は首根っこを掴み軽々と容疑者を持ち上げ顔を突き合わせる。


 怪力なのは何もクリスに限った話ではない……が、流石は王都のギルド長。どうやら一筋縄ではいかないようだ。


「弁明する機会をやる。何が有ったか教えろ」

 真っ直ぐな瞳でそう問われ、口を動かして一部始終を説明する。


「ん? なんだ、声が出せないのか?」

 その問いにも頷き、今度はゆっくりと口を動かす。


(換金を頼んだら拒否された。亜人や他の冒険者を侮辱した。俺の仲間も侮辱した。だから殴った……あいつが)

 そう言って再びルピナを指差す。


「えええ、また私ですか!?」

 嘘は言っていない。だがそれだけだと可哀相なので

(あいつが殴らなければ俺が殴っていた。だから悪いのは……俺だろうな)

 と、観念したように説明を終える。すると―――


「ふふっ……あっはっはっは!」

 と、ギルドマスターは大いに盛り上がり一人で爆笑している。


「お前みたいな冒険者は久しぶりだよ。最近はどいつもこいつもお行儀の良い冒険者ばかりだ……それで、暴れん坊の名は何と言う?」

 ゆっくりと下ろされ、先程とは違い優しく問われる。


(ゼロだよ。最果ての街、リアモのゼロ)

 名字を持たない平民は自己紹介の際、自分の出身地を付けてするのが習わしらしいのでそれに従う。


「最果ての……そうか、リチャードの所の冒険者か」

 そこに何か思う所が有ったのか、久しぶりに聞く似合わない名前を発した後、王都のギルドマスターは何かを考え込む仕草をする。


「まあいい、とりあえずはこの場の収拾だな……」

 ギルドマスターはそう言うとアルフレッドを指差し、人差し指を数回曲げて近くに来いと合図する。


「アルフレッド、お前の苦情は山のように聞いている。私の居ない間に好き勝手してくれたそうじゃないか……本日限りでクビだ。出て行け」

 再びカウンターに現れた豚に対し、無慈悲にそう言い放つ。


「なんで、そんな……!」

「聞こえなかったのか? ……さっさと出て行け!」

 入り口からでもあの声量だ。近くで聞くと鼓膜が破れそうなほどの怒号に、その怒りの大きさが窺い知れる。

 金髪豚野郎は脱兎の如く逃げ出し、場が再び静まり返る。


「蛮勇も冒険者には必要な事だが……私が来なかったらどうするつもりだったんだ?」

 しゃがみ込み、諭すように問い掛けるギルドマスター。


(多少の怪我は覚悟してもらってどうにか逃げるさ。あいつが―――)

「私は暴れません!」

 流石に三度目は無かったか、ルピナに先手を打たれてしまう。

 しかし先程も殴ったのはルピナだ。嘘は言っていない。


「ふふっ、まるで狂犬のようだな……懐かしい」

 頭に手を置き満足そうに撫でると立ち上がり

「さあ、これで騒ぎは終わりだ。皆、通常の業務に戻るように!」

 一際大きい柏手を打つと、再びギルド内に活気が戻る。


「お前達は私の部屋に来い。換金もそこでやってやろう」

「どうぞ、こちらです……」

 二階に続く階段の脇に、建物奥への通路が在った。そこは職員専用なのでリアモのギルドでも入った事は無い。


「なんだか凄い事になっちゃいましたね……」

(だな。まあ結果良ければ全て良いって言うじゃないか)

 何か間違っている気がしたがとりあえず換金してもらえそうなので安堵する。


 一番奥の扉を開けるとそこがギルドマスターの部屋なのか、室内には応接セットの背の低いテーブルと、ソファーが二つ。

 壁には本棚が幾つも並べられており、奥には大きな机と背もたれの高い社長椅子が鎮座していた。


 案内してくれた職員は亜人……というよりも獣に近く、艶々とした黒い体毛がふさふさしている。

 顔付きもミーアに比べると猫に近く、何時だか教わった亜獣人と亜人獣の授業を思い出す。


(どっちがどっちだっけ……?)

 どちらでも然程困らないのでそのままにしておいたが、前世でも似たような呼び名を言い間違っている事が多々あり、こういう所は直すべき悪習だと反省する。


『人に近い容姿だと亜獣人種。獣に近い容姿だと亜人獣種です』

 何時の間にか肩に手が置かれ、ルピナがこっそりと教えてくれる。


(獣っぽい人と、人っぽい獣って事か……)

『ただ、この名称を嫌う方も居らっしゃるそうなのであまり公に出すものでは有りませんね』

 と、ルピナが補足する。なるほど気を付けようと思った。


「さ、掛けてくれ」

 ギルドマスターの言葉に外套を脱ぎ、背中の戦斧と大剣を壁に立て掛ける。外套はその上に乗せておき、ルピナも背負鞄を傍らに置く。


 職員の女性も中々の力持ちなのか、両手に抱えていた牙猪の素材を床に並べる。それが終わると深々と礼をし

「ありがとうございました」

 と、まだ換金も終わってないのに礼を言われる。


 怪訝そうな顔を浮かべるゼロに対し、ギルドマスターが

「先のことだろう。ああして怒ってくれた事に対する彼女達の礼だよ」

 そう教えてくれた。


「さて、自己紹介がまだだったな。私の名前は【シェール=マクガイア】。ここの長であり、リチャードの姉だ」

 そう言って片手を差し出して来る。衝撃の事実に驚きつつも、とりあえず握手を交わす。


 あのリチャードの姉というのもそうだが、家名……名字が有るという事はこの人も、リチャードも、お貴族様だったのかと驚いたのだ。

 しかし先の迷宮氾濫の折に陣頭指揮を取っていた姿を見れば、それも納得出来るという物だ……風貌は完全な山男なのだが。


「ふふっ、察しの通り私とあの馬鹿者は異母姉弟でな。私は半森人……奴は純粋な人族だった筈だが、オーガか何かが混じってるやも知れぬ」

 とんだブラックジョークをかましてくる辺り姉弟仲は良好なのだろう。


「さて、換金だったな……冒険者証を見せてもらえるか」

 二人分の冒険者証を眺めるとシェールは表面裏面とも入念に確認し、もしかしたら自分達の知らない専用の機能で何かを調べている……そんな風につぶさに観察していた。


「牙猪だったな。状態も良いし、解体も済んでいる。金貨で十枚出そう。先の件の詫びも兼ねて更に十枚、それでどうかな?」

 もう一声と言ったら出してくれそうだったが、声が出ないのでそのままの金額で了承する。今日は何か色々ありすぎてしまったので、早く宿に行きたかった。


「そう疲れた顔をするな、すぐに終わる。暫くは王都に居るんだろう?」

 言うなりシェールは一枚のカードを取り出し、それをこちらの冒険者証に翳す。シェール自身の冒険者証だろうか、入金はすぐに完了し返却された。

 王都へ立ち寄ったのは迷宮の探索と当面の資金繰り、それと美味い飯が目的だとルピナが説明する。


「それならば帰り際に冊子を貰っておくと良い。この街の地図もそこに載っている」

 その言葉に頷き立ち上がる。


 装備を整え、部屋から出る際に頭を下げると

(世話になった)

「ありがとうございました」

 そう告げて退室した。


 シェールは終始笑顔で見送ってくれ、受付に戻ると先の喧騒は微塵も感じられず、言われた通りに冊子を貰うルピナ。


 職員や冒険者達が遠巻きに窺っているのは感じていたが、皆一様にこちらに視線を送り、ひそひそと何かを話している。

 その中には先程の職員のような亜人獣のパーティも含まれており、その真意は興味か敵意か……明確に推し量る術は無い。


「ゼロさん、黙ってると眉間に皺……寄ってますよ?」

(む、そうか……?)

 色々な事が有りすぎたせいか、どうやら目付きが悪くなっているらしい。両手で揉み込み必死に治す。

 リュカの顔に愛くるしさが無くなってしまうのは絶対に避けなければならない事だ。


「今は大丈夫ですけどね」

(そうか。ならいい……)

 そんなやり取りを経てエバンズに紹介された宿へと辿り着く。


 外観は前世の高級ホテルのような佇まいで、入り口まで続く石段は大理石っぽいマーブル模様をしていた。

 ロビーも同様の内装をしており、受付に立っていたスーツ姿の男性に名刺を渡す。

 自分達の名をルピナが告げると即座に部屋へと案内された。


 この世界にもエレベーターが有るようで、耳に馴染みの有るベル音を聞くと少し安心した。


『凄いですねゼロさん!』

 ルピナは終始浮かれ気分で、こういう場所に泊まるのは初めてなのか……記憶喪失なのだから当たり前かと思いつつ、最上階の部屋へ到着すると絶句した。


「うわぁ……」

 部屋に入ると目に飛び込んで来る天蓋付きのベッド、シャンデリア、ソファーに長いテーブル、高そうな絵画、壺。


 テーブルには既に飲み物と果物が用意されており、スーツ姿の男性は「どうぞごゆるりと」と言い残して部屋を後にする。


 一頻り全ての扉を開け、クローゼット、第ニ寝室、トイレ、浴室、またクローゼット等など……一通りの確認を終え、出ようと決心する。


(落ち着かねえ……)

「ちょ、ちょっとどこ行くんですか!」

 部屋から出ようとするゼロを必死に引き止めるルピナ。


「ゼロさんが他に行くなら私も行きますよおおお……!」

 その言葉に観念し、とりあえずエバンズの面子の為にも一泊だけ厄介になるかと腹を決める。

 八畳程の第ニ寝室に武器を置き、備え付けの脇のテーブルに防具達を置く。


「ゼロさんこっちの部屋で寝るんですか?」

(ああ。向こうはルピナが使えば良い)

 その言葉にルピナははしゃぎ、どさりと荷物を置く音が聞こえる。歓声が途端に小さくなるところを見ると、ベッドに飛び込みでもしたのだろうか……。


 宵闇の拠点も似たようなものだと思うのだが、それとこれとは違うのか……はしゃぐさまを見て笑みを溢す。

 ひとまず手入れ用の布を出してもらい、ローブや鎧や鞘を拭いていると次第に睡魔に襲われる。


(やっぱり、普段の訓練とは違うよな……)

 思いの外張り詰めていたものがここまで自分を疲労させるとは思わず、半分の余力を残す教えなどとうに破っていた事を自覚する。


(本当、難しいもんだ―――)

 そしてそのままベッドへ倒れ込むゼロ。

 遠くでルピナが何かを喋っているようだが、今日も今日とて色々な事があり疲れてしまった。


 心地良い疲労感の中、ゼロはまどろみに包まれ急速に意識を落とした。

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