第三十九話 ~武闘祭本戦 其の三~

《第三十九話 ~武闘祭本戦 其の三~》


「ふむ、目が覚めたかの」


 美味そうな匂いに目を覚ませば眼前にコモドの顔が現れ慌てて飛び起きる。


 状況を確認すればそこはカルーア達の居た観客席で、皆は落ち着いた様子で食事を摂っていた。


(俺は……大会はどうなった?)


 その言葉に料理を頬張っていたカルーアが口を動かしながら歩み寄って来ると、無言のまま拳骨を落とされた。


 痛みで涙目になっている自分を余所に尚も口を動かし、漸くそれを飲み込んでから説教が始まる。


「んっく。あんたねえええ、どうなったじゃないでしょうが! 無茶をするなとあれほど言ったでしょ!!」


 物凄い剣幕のカルーアにたじろぐものの、それはこちらの台詞だと反撃をする。


「そうですよお姉様。仮にも相手は一国の王……その方に対し弓を引くなど……」

「それはその……悪かったと思ってるけど……」

 トウに叱られ口を尖らせるカルーア。


「まあまあ。カルーア殿もゼロ殿の事が心配でござったのでしょう」

(……過保護な事だな)


 そう言って笑みを溢せば再びカルーアの怒りに火が灯り、更なる猛攻が始まるのだが―――


「体の調子はどうかの?」

 そんな喧騒を余所にコモドが語り掛けて来る。


 言われて各箇所を動かして確認してみるものの、特別に何かを感じる事は無い。それどころか試合前よりも体が軽いくらいに感じていた。


「しかしお主も人が悪いのぅ……こんなに沢山の美人に囲まれていながらそれを黙っているとは……」


 そう言うとコモドは再び石段へと着席し、両側に座っていたバーバラやトウを眺めて締まりの無い口元を見せる。女好きなのは一目瞭然だ。


「今回は嬢ちゃん達の頼みじゃ……特別にタダにしておくが、早いとこ何とかした方がええぞい」


 そう言って何時の間にか用意されていたグラスを呷る。しゃくり上げる所を見るに中身が酒なのは疑う余地も無い。


「老師、この度は本当にありがとうございました」

「なに、大した事はしとらんわい」

「またまたご謙遜を……」


 ミルクとの話し振りからどうやらこういう事に長けているらしく、自身の体に秘められた事を言い当てる辺り腕は確かなのだろう。


 しかしそんな思いとは裏腹にこれまで幾度も助けられてきたのも事実……全てを失くすには惜しいと思ってしまうのが正直な所だ。


「そういう悩みはあの小僧とは正反対じゃの。なんぞ似ておると思うとったが……意外に真面目なんじゃのぅ」


 そう言っては少し残念がる素振りを見せ、元々の性格なのだからこればかりは仕方が無い。


 真面目だという認識には誤りが有るのだが、それを態々訂正するのも面倒だ。


(心配を掛けて済まなかった……それで、大会はどうなったんだ?)


 呑気に食事を進めている所を見ると未だ終わっていないようだが、自分はどれほど眠っていたのだろうか……。


「あんたが意識を失ってたのはほんの数十分ってとこ。試合はさっき終わって、あの黒衣の男……シンが勝ったわよ」


 内容を聞けば意外にも接戦だったようで、お互い似たような体術を使用していたとカルーアは言う。


「流派が同じなのは珍しい事じゃないわよ。人と獣人でも、戦闘技術を誰から学んだかに依るからね」


 どうせだったら見てみたかったと思う反面、その楽しみは後に取っておくのも一興かと思う。


 食事の件に関してはどうやら昼休憩らしく、観客席の至る所で食事をする光景が見られ、それぞれが思い思いにそれを楽しんでいた。


 試しに一口食べてみると……不思議と懐かしいような味が口の中に広がった。


「どう、美味しい?」


 そう尋ねるカルーアに頷けば難しい顔をされてしまい、返答が気に入らなかったのか腕を組み思い悩むような顔を見せる。


(なんだよ……)

「べっつにー」


 そう言ってはぐらかす様子は何かを隠しているのか……どうせ些細な事だろうと思い箸を進めた。


 そうして昼食を終えれば腹も満たされ、今度こそ外を走ってこようかと思っていた矢先、遣いに出ていたキビが戻って来る。


「お姉様、申し受けの件……完了致しました」

「ん。ありがと」


 戻ってきても尚口を動かし食事を続けるカルーア。キビに対して一見ぶっきら棒に見えるやり取りも、彼女達の信頼関係が有ってこそだろう。


「そしてゼロ様……あまり無理はなさらないで下さいね」


 目元の布で表情は分からないがきっと心配している事だろう……優しい言葉に無言のまま頭を下げた。


 そうして皆に再度謝罪を述べれば首輪が震え、いよいよ決勝戦……黒衣の男、シンとの試合が開始される。


(……行って来る。みんな、ありがとう)

 その言葉にカルーアは驚いたように目を丸くし


「あんた、お礼が言えたのね……」

 そう言った。


(茶化すなよ。これでも感謝はしている)


 指摘されると急に恥ずかしくなり、外套で口元を隠す。思えば心の内に留めているだけで、面と向かって告げるのはそんなにも少なかっただろうか……。


 観客席から立ち去る間際にモカがおずおずと手を伸ばしかけるのを見て首を傾げるが、少し困ったようにはにかんでいたので無言のまま頷いておいた。


 言葉で説明するのが難しい以上、この先も行動で示すしか無いのだ。


「さあー、武闘祭もいよいよ決勝戦! みんな、昼食は済んだかなー? まだの人は空腹の代わりに、最後の試合で心を満たしましょーう!!」


 意識の戻らない自分を慮っての事かと思いきや、決勝戦前に昼食を挟むのは恒例らしい。


 過去に何度か長時間の試合が有り、それからこうなったと言うのだが……一進一退を続けるような試合なら目が離せないのも納得で、こうして妙な慣例が根付いてしまったと言っていた。


「決勝戦進出者一人目は二連覇のガロウ選手を打ち破って見事勝ち取った異国の剣士シン選手ー! それに対するはここまでほぼほぼ一撃で試合に勝利してきた、爆発力抜群のゼロ選手だー! 体の調子は大丈夫かー? お姉さんは心配したぞー!!」


 実況にまで体の心配をされてしまい、その巫山戯た内容に観客席から笑い声が起こる。


 せいぜい気を付ける事にしようと思いながら装備を外し舞台に上がると、先に呼ばれた筈の対戦相手は何処にも見当たらなかった。


「え……ええっ!? そんな、どうす―――」


 既視感が有る声の途切れ方にまたしてもトラブルが有ったのか……今度はどんな嫌がらせをされるのかと身構えていると、場内に再び実況者の声が響き渡った。


「えー、皆様にお知らせ致します……シン選手棄権の為、決勝戦は不戦勝……です……」


 その言葉に慌てて実況席に目をやれば、思い切り肩を落として小さくなっている女性の姿が有った。


「ええー!?」

「そんなぁ……それってあの子の勝ちって事?」

「つまんなーい」


 観客席からは忽ち不満の声が溢れ、それは次第にブーイングとなって場内を埋め尽くして行く。


(やってくれたな……)


 そう呟いてはこの事態をどう収めるべきか、舞台上で腕を組みながら考えていると


「待てい!」

 そう怒号が飛んだかと思えば目の前に獣王が降り立つ。


 初めて目にした時よりも威圧感が有り、何よりその体躯が鍛え抜かれた物だという事は一目で分かった。


 加えて随所に古傷が走っており、その一つ一つに獣王となるまでの苦難が垣間見えるようだった。


「不戦勝でも勝ちは勝ち……勝者には褒美を授けるのもこの祭りの決まり事よ。少年、貴様はこの獣王に何を望む?」


 値踏みするように態とらしく顎に手を置き、覗き込むような仕草で顔を近付けて来る獣王国の王、ジャック。


 多少段取りが早まった訳だがこちらにとっては好都合だ。この契機を逃すまいと魔法鞄から紙とペンを取り出し一筆認める。


(更なる強者との戦いを)


 それだけを書いて見せれば咆哮にも似た大きな声で獣王は高らかに笑い、一頻りそれが済めば


「聞けい皆の者! この小さき少年は我に挑むと言っておるぞ!!」

 一瞬の静寂の後、大地が割れんばかりの歓声が上がる。


 地響きに似た歓声の中、大仰に手を広げていた獣王が向き直ると


「我に挑むという事は国を治めるという事……うぬの望みはこの国か?」


 終わらない歓声の中でも通るその声に首を振り、全身から怒りを発露させて戦闘の準備を始める。


「ふっ……我も耄碌したものよ。戦いの前に言葉は無粋か……」


 そう言うと獣王は自身の装備を外し、古の拳闘士が身に付けていたような軽装へと変容していく。


「おおーっと! これは前代未聞、まさかまさかの獣王への挑戦だー! 長い歴史の中で獣王挑戦権なんて使ったのは、彼の好色英雄レイジ様だけ! 一体全体どうなってるんだー!!」


 物凄い異名が聞こえた気がしたが、今は戦闘に集中するべきだろう。


 心の中で語り掛ければ頭の中には異音が響き、どんな手を使ってでも良いからこの試合は確実に勝たなくてはならない。


「急遽決まった特別試合。挑戦者は少年剣士ゼロ選手ー! その可愛らしい姿からは想像出来ない凄まじい力を見せ付け伸し上がり、今正にその全てが問われようとしております!!」


 一段と熱の入った実況に臆する事なく、舞台上で入念に体を解しては集中を切らさない。


「対するは王の中の王。我らが獣王ジャック=ビースト様だー! 王座を奪還してから幾星霜……かつてはレイジ様と共に旅をした、文字通り英雄の一人……この試合ではどんな戦いを見せてくれるのか、みんな! もっと盛り上がって行くぞー!!」


 実況の声も相まって観客達の興奮が最高潮に達した時、改めて対峙する今回の対戦相手……獣王。


 一国の主でありながら英雄の一人だと言うその姿は正に荘厳で偉大。ただ正面に立っているだけだというのに不思議な威圧感が有り、それが自身の動きを制限している気さえしてしまう。


 この場所に立つまでに一体どれほど自分は努力してきただろうか……その圧倒的な練磨の差に臆する心を感情で塗り潰し、目の前の標的を睨み付ける。


「ふっ……血の気が多いな。それも若さ故か……。うぬにはそれなりに手助けをしてやったつもりだが、我はそれほど恨まれるような事をしたか?」


 殺意の篭った瞳にそう問われれば緩みそうになる気持ちを引き締める。


「まあ良い……存分に語り合うとするか……」


 少し寂しげに呟けば両手を顔と胸の近くで構え、今にも掴みかかりそうな迫力を前に同様の構えを取る。


「両者ともよろしいですね……それでは―――始めッ!!」

 審判の声を合図に一斉に飛び出すと、舞台の中央から重い音が発せられる。


 それは紛れもなく両選手がぶつかりあった轟音で、両者は互いに手を合わせ力比べを行っていた。


 体格差の違いで手を組む事は叶わないが、終始上から押さえ付けられていたゼロが獣王を上空へと投げ飛ばした。


「これは凄いぞゼロ選手! あの獣王を投げ飛ばしたー! と思ったらそのまま追撃だー!!」


 上空へ飛び出したゼロを獣王の咆哮が迎え撃ち、その衝撃で全身が硬直する。


 そんな一瞬の隙を見逃してくれる筈も無く、巨大な拳がゼロを返り討ちにすると舞台上へそのまま叩き付けた。


 硬い無機質な石材はまるで柔軟な素材のように少年の体を跳ね上げ、そこへ上空から飛来した獣王が迫る。


「ぬぅうん!!」


 渾身の一撃がゼロの体に深々と突き刺されば、その背後にあった舞台に大規模な亀裂が走る。


 絶体絶命か……そう思われたのも束の間。一瞬早く獣王がその場を離脱すると、ゼロの蹴撃が空を切る。


「やるな……大口を叩くだけの事はある」


 深々と埋まった舞台の中からゼロが這い出ると、その姿は見違える程ぼろぼろになっていた。


 たった数合の撃ち合いでここまで疲弊させられるものなのかと思いたくもなるが、自身との力量を考えれば当然だとゼロは思っていた。


(実力……戦闘経験が段違いだな……)


 雰囲気に乗せられたのもそうだがその後の流れや咄嗟の判断。状況理解や相手の得意をさせない嫌らしさ等……どれをとっても自分に勝ち目が無い事は分かっていた。


 拳で語り合う―――そんな馬鹿な現象が有ってたまるかと常々思っていたのだが、これほど雄弁に見せ付けられてしまえば否が応にも呑み込まざるを得ない。


(もっと……もっとだ……)

 大剣から流れ込む魔力をその身に受け、その全てを糧へと変える。


 強く念じ、その全てを否定する為に自分はここに立っているのだと改めて認識する。


 再び果敢に挑みかかれば獣王もそれに応じ、それから両者の激しい撃ち合いが始まった。


 顔、肩、胸、腰、腿、足……その全てに互いの打撃が繰り出され、躱し、捌き、受け、守り、時には互いの拳がぶつかり合い、その激しい破裂音に似た衝撃が舞台上に響いた。


 少年の頬は腫れ、血を流し、鈍い痺れに似た痛みはそれ以上の快楽で塗り潰される。


 思えばこんなに殴り合ったのは何時振りだろうか……初めてグラムに出会った時、言われるがままにリアモの外へ出て石塊と殴り合って以来か……。


 あの頃は訳も分からず心のままに暴れ狂い、解消していたが……そう思えば自分はどれほど長い間我慢というものをしてきたのだろうか……そんな事を考えていた。


 耐える事や待つ事は苦では無い。それは生前から培って来たものだし、この世界に来てからも散々やって来た事だ。


 しかしそれが今はどうだ……目の前の相手は自分がどれほど全力を出した所で怯む事など無く、それ以上の力で捻じ伏せようとしてくるではないか。


 なんと楽しい事だろうか。なんと嬉しい事だろうか。なんと喜ばしい事だろうか。


 自身の心が歓喜に震えるのを自覚し、これまで意識的でも無意識でも加減をしなくて良いこの状況に心から感謝をした。


 そうして尚も撃ち合いは続けられ、気付けば両者の体に戦いの痕が刻まれる……。


 全身に夥しい数の打ち身や痣、打撃の痕が見受けられ、その光景に観客達も水を打ったように静まり返っていた。


「強情な奴だ……そんな所まで彼奴にそっくりだな……」

 肩で息をしながら獣王がそう呟く。


(英雄様か……生憎と面識は無いな)


 同様に息を切らしながら返事をすれば唇が読めるのか、驚いたように目を丸くする獣王。


「えっ? そりゃあ無理が有るだろ……あいつの弟子とかじゃないなら、お前の使ってた技……ありゃあ砕月だろ? なんで使えるんだよ?」


 先程までの威厳を取っ払った砕けた口調に驚きつつも、その説明には自分自身不可能なので沈黙を貫いた。


「まあ良い……それが本物かどうか、試してやるとするか―――」


 そう言うと気合いと共に右手に魔力を集中させ、凶暴な手の平に更に凶悪な魔力が凝縮されていく。


「この技はあの馬鹿と共に編み出した奥義……名を『獣王羅刹掌』と言う。うぬが身にこの一撃耐えられるか、その力、その身を以て示すが良い!!」


 次が最後の攻防になるだろうか……そう思えば自然と右手に魔力が集まり、まるで対抗しろと言わんばかりに、半自動的に準備が進められる。


 そして事件は起こった―――

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