第四十一話 ~武闘祭本戦 其の後~

《第四十一話 ~武闘祭本戦 其の後~》


 翌朝。


 陽の光と共に目が覚めれば清々しい気持ちで朝を迎え、自室として使っている砂跳鼠の隠れ家に温かい日差しが降り注ぐ。


 薄いレース状のカーテンから漏れる光が部屋に落ち、その先には眠っているキビが居た。


 机の前にあった椅子をベッド脇に移動させ、その上に座っているのだが……高さが合っていないので体が痛そうだと要らぬ心配をしてしまう。


 可愛らしい小さな寝息を立てている様は子供っぽく、何時もの事務的な印象は微塵も感じられない。


 思えば何時からかそんな無機質な表情もあまり見受けられなくなったのだが、それもこれも慣れてきた証なのだろうか……。


 頬にそっと触れると短く言葉を発し、幾分寝惚けた目を擦りながら起き上がるキビ。


(起こしたか……すまない)

 そう告げれば見る見る内にキビの表情は変化して行き、涙目になると無言のまま抱き着かれる。


「ゼロ様……本当に良かった……」


 どうやら相当に心配を掛けてしまったようで、あの大人しかった無感情のキビからは想像も出来ない程の声音が聞こえて来る。


 宥め、落ち着かせようかと思っていると頭に回された両腕は直ぐさま外され、何かに気付いたように慌てて部屋を出て行った。


(大袈裟だなぁ……)


 呆れたように傍観しているとベッド脇のサイドテーブルには水薬の空き瓶などが転がっており、その中には見慣れない粉薬や錠剤なども幾つか有った。


 朧気な記憶を辿れば確かに寝ている最中、こんな物を飲んだ気もするのだが……起き上がり覚醒した今となっては夢のように霧散してしまう。


 そんな風に暫く部屋を眺めていると騒がしい足音が聞こえ、何時ぞやの思い出に塗り潰される形となった。


 開けっ放しになっていた部屋のドアからカルーアがトウとキビを引き連れ現れると、驚いたような表情でこちらを眺めていた。


(よう。おはよう)

 そう言って右手を上げると微かな痛みに顔を歪める。


 その様子を逐一見守っていたカルーアは無言のままつかつかと歩み寄り、口よりも早く手を出して来る。


「おはようじゃないでしょ! 全くあんたは……どれだけ心配させれば気が済むの!」


 右手よりも更に激しい痛みに悶絶すれば、それを癒やすようにゆっくりと腕が回される。


「全くもう……無茶ばっかりして……」


 自分としてはそこまで無茶苦茶をしているつもりは無いのだが、この時ばかりは押し黙っておくのが賢明だろう……キビと違って額が痛い事も同様だ。


 目が覚めれば腹も減るもので、食堂に移動して注文を済ませると眠ってからの報告をしてもらう。


 翌朝だと思っていたのだが当日翌日と眠っていたようで、そういえば何度か起きた時に夜だったりしたかと思いだそうとするものの、はっきりとは思い出せないので依然として記憶は曖昧なままだ。


 診断はコモドの爺さんがしてくれたようで、すっからかんになった魔力の回復はそこまででは無かったにせよ、問題はこの右手の方だと言った。


「かの英雄レイジ様が得意とした魔法『砕月』……それは愛用していた大剣を媒介として撃ち出される物だったと言われました。自身の拳に込めて撃ち出す事も可能と言っておられましたが、それでも日に二度は使わなかったそうです」


 神妙な面持ちのままキビがそう教えてくれた。


 だとすればこの右手の痛みも納得のもので、それくらいで済んでいるのだから儲け物だろう。


「馬鹿言ってんじゃないわよ! あんたがそうやって無茶をして、どれだけの人が心配すると思ってんの!!」


 そんな事を考えて右手を動かしていれば瞬時に見透かされてしまい、怒号と共に釘を刺される。


 その剣幕に押されて渋々と納得すれば小言は続き、それをトウが宥めている何時もの光景に笑みが溢れる。


(さて……腹も膨れたし走ってくるか)

 程々に膨れた腹を叩いて呟けば、再びカルーアの猛攻が始まる。


「あーんーたーねー……私の話を聞いてたの!? 目が覚めて直ぐそんなの許可する訳ないでしょ!! 今日一日は絶対安静!!」


 詰め寄るカルーアの顔を両手で防ぐようにすると、苦笑いを浮かべて了承する。


「それにあいつ……リュウも心配してたわよ。 顔ぐらい出して来れば良いんじゃない?」


 そう言えばそうだったと思い出し、薄情な自分を戒めると共にせめて応援に来ていた人達には、一言くらい挨拶するのが筋というものだろう。


「それに、今のあんたがぷらぷらしてみなさい……ここの連中はまだ大人しい方だけど、一瞬で揉みくちゃにされるわよ?」

(え……?)


 言われて食堂を見渡せばそこに居た客達から一斉に視線を外され、妙に何処かそわそわと忙しない空気を感じ取る。


「それだけ武闘祭というものはこの国の国民に注目されておりますから、決勝は不戦勝でしたがその後の試合であれだけの好勝負を見せられれば街の噂になるのは必死かと……」


 トウの言葉に頷き、どうやらそういうものらしいと理解した。


(……そういう事ならそうさせてもらおう。引き続き、よろしく頼む)

 次第に何時もの調子を取り戻し、吐き捨てるようにそう言うと食堂を後にした。


 武闘祭が終わったとは言えまだやる事は多く、その全てが自身の発案とは言え頼らざるを得ないのは理解していた。


 発案者の自分が何も出来ないのはもどかしい反面、今となってはこんなにも頼れる仲間が増えたというのは幸運の一言に尽きる。


(落とし所、か……)

 此度の戦いで己の力量は常人のそれを遥かに超え、それこそ気に入らないモノ全てを破壊し尽くす事すら然程の労力も要さないだろう。


 しかしそれは蛮行以外の何物でも無く、かと言って野放しにするのは有り得ない。だとすればその折衷案として水薬本に書かれていた珍奇な一品は、与えられた人物からすれば単純な死よりも長く苦しむ事になるかも知れないのだ……自然と口元が緩んでしまう。


 そんな邪悪な雰囲気を纏って街を歩けば道行く人から好意的な視線を向けられており、ある者は手を。ある者は言葉を。またある者は仕草で最大限の経緯を払って接してくれた。


 娼館の前に立っていた綺麗な獣人の女性の誘惑を最後に、こういう事かと納得しては上空へ退避する。


 目指すワンニャンは上から見ればすぐそこで、落下に角度と勢いを付けて飛翔した。


「いらっしゃー……って、ゼロさん! 体は大丈夫なんですか!?」

 驚き声のミルクに頷くと、暫く待っててと言われたのでそれに従う。


 入り口に立っていればなるほど……街中と同じような反応を店員や客からも浴びせられ、武闘祭効果というのは本当に凄いのだなと実感する。


 暫くすると龍一が外からやってきて、開口一番ミルクと同じように体調の心配をされてしまう。


(体調は問題無い……が、今日一日は安静にしていろとカルーアに殴られた)


 コブが出来ていないかと頂点部分を見せ、大丈夫だと返事を貰えば漸く安心する。


 人の頭だと思ってぽんぽん殴ってくれやがってと悪態を吐けば


「心配だったんでござるよ……安静は拙者も賛成にござる」

 だとしても言葉だけで言い付けくらいは守れるのだ……多分。


 程なくして席に案内されればそこにはカーラ、パル、バーバラの三人も揃っており、朝っぱらだと言うのにカーラは酒を飲んでいた。


 パルを見れば先日の一件で気不味そうにしており、その格好は何時もの見慣れた亜人獣姿だった。


 着席前に武闘祭の応援の事。心配を掛けた事。その他にも色々と感謝を述べてから着席する。


「おー、気にすんな気にすんな! お互い様ってやつ……だろ?」


 試すような表情に何時ぞやの礼とばかりにそう言われてしまい、小さく笑みを溢せばそうだったなと頷く。


 カーラとバーバラの様子を見てみれば普段との違いは感じられず、パルの事については知っていたのだろう……同じパーティという事であればそれも納得だ。


「ゼロさん……」

 申し訳無さそうにおずおずと、弁明しようとするパルに首を振る。


(……気にするな。お互い様って事らしい)


 自分自身もパルに秘密にしている事は有る。先に言われたように、ここはカーラの言葉を借りるのが適切だろう。


 その言葉に安心したのか、そうですねと呟けば互いに微笑み合う。


「待つでござる待つでござる。そうでは無いでござる!!」


 そんな癒やしの一時に水を差したかと思えば、龍一は慌てた様子で両手をばたつかせ始めた。


「夏でござる! 海でござる! 水着回でござる!!」

(水着……回?)

 夏でも海でも無かったのだが、鼻息荒く詰め寄る龍一に疑問を返す。


 聞けば王都から西側に巨大な湖が有り、そこには迷宮を利用したレジャー施設が在るのだと言う。


(迷宮って……物騒な話だな)


 街中に迷宮が在る国も在るのだから珍しくも無いのだろうが、迷宮の存在まで活用しようと言うのは最早感心を通り越して恐怖すら感じてしまう。


「拙者、武闘祭の時からこの日をどれほど待ち侘びていたか……当然ゼロ殿の分も水着を用意しているでござる。早速行くでござるよ!!」


 逸る龍一を宥め、行くのは構わないが皆の反応はどうなのかと横目で見れば


「おー、久しぶりに行くかー!」

「良いわよぉ」

「みんなでお出掛けですね」

 と、そういう事らしい。


 ミルクはモカを呼んで来てくれるらしいので、自分と龍一がカルーア達に声を掛ける事となった。


 必要な物などはカーラ達が用意してくれるらしいので、言われるがままにワンニャンを後にする二人。


(随分と手際が良いんだな……)

「それはそうでござる。拙者、この日の為に生きていたと言っても過言では無いでござるよ!!」


 皮肉のつもりで言ったのだが龍一は決してブレず、その瞳には雄々しい決意の炎が宿っていた。


 聞けばカルーア達にも既に話は通しているようなので、そういう事であれば今朝の促すような言葉にも頷けるというものだろうか……。


(入るぞー)

 ノックの後にカルーア達の利用している部屋の扉を開けると、床に座り込んだカルーアが何かを投げて来る。


 それをひょいと避ければ後ろの龍一に当たってしまい、振り返ればしゃがみ込んで悶絶していた。


「勝手に入って来るんじゃないわよ!!」


 一変して不機嫌極まりない様子のカルーアを不思議そうに眺めていれば


「申し訳御座いません。先程からお姉様の御召し物を選んでいるのですがこの有様で……」


 床にはそこかしこに色とりどりの水着が散乱しており、どういった状況なのかは一目瞭然だった。


「お姉様、これなんてどうです? 今獣王国で流行りの水着らしいですよ?」


 そう言って手渡された物を摘み広げれば、ほとんど紐のような物体を前に涙目で赤面し、ぷるぷると震えるカルーアが居た。


「こんなの着れる訳ないでしょ!!」


 喧しく叫べば怯えるような仕草をしておどけるトウ……どうやら二人の玩具になっているようで、水着はどうでも良いから早く準備をしてくれと急かす。


「どうでも良いですって……? あんたは! 女の子の水着を! なんだと思ってるの!?」

 なんとも思っていなかっただけに物凄い剣幕で詰め寄られる。


 ここまで切り替えが早いと本当に心配をしていたのかと疑いたくもなるのだが……このくらい余裕は必要かと一人ごちる。


 そうして水着は道中で選ぶ事となり、宿から出ると入り口には既に馬車が停められていた。


 幌付きの馬車は荷台の部分に先程の面子が乗っており、モカはこちらの姿を認めるなり力の限り抱き着いて来る。


「本当に……心配したんだから……」

 キビと同じような反応に困ってしまい、ゆっくりと引き離せば丁寧に謝罪した。


 そんな一幕を繰り広げていればカルーアが頓狂な声を上げており、パルの同行に難色を示していた。


「ちょ、ちょっと……王女様も連れて行って大丈夫なの……?」

「えっ……確かに問題は有るかも知れぬでござるが、仲間外れは可哀想でござるよ……」


 皆の視線がパルに集まると忽ち萎縮してしまい、それを見兼ねて大きく柏手を打つ。


(折角準備までしてくれたんだ、さっさと行くぞ……。それとも、カルーアはそんなにあの水着が着たいのか?)

「着ないわよ! 置いてきたわよ!!」


 恥ずかしさから声を上げるカルーアにそっと水着を差し出すと、無言のままそれを奪い取って明後日の方向へ投げてしまう。


「なんであんたが持ってんのよ!!」

(いや、着るのかと思って……)


 是が非でも着せたいらしいトウから受け取っていたのだが、即刻捨てられてしまいそれを颯爽と拾い直し戻って来る首謀者。


「お姉様、酷いです……」

「うっ……そんな顔しても駄目よ! 絶対に着ないからね!!」

 頑として譲らないカルーアと落ち込むトウ。


 確かにあんな水着を装着したカルーアは色々と絵面が問題なので危険だろう。


 普通の水着も用意してあるとキビがこっそり教えてくれたので、湖とやらに到着する迄には解決していると願いたい。


 そんな茶番をしていればパルの緊張も取れたようで、皆のやり取りを眺めては小さく笑みを溢していた。


 多少引っ込み思案な嫌いは有るにせよ、柔らかな物腰や落ち着いた言動、人を安心させるような声色は血筋に因るものだったのかと納得した……と同時に、無礼を働かなくて何よりだと安堵する。


「さ、出発でござるよー!」

 御者を買って出た龍一の号令の元、西の湖へ向けて出発する一同。


 借りてきた馬車は通常のものよりも脚が速いらしく、荷台を引く馬もどこか精悍な顔付きをしていた。


 まじまじと見れば通常の馬とは違い各所に馬具が取り付けられ、魔道具らしき魔力の流れを感じる。


 御者の魔力で早さが変わるらしいのだが……そこは曲がりなりにも勇者らしく、流れていく景色とは裏腹に車内の揺れは少なく、快適そのものだと言えた。


「こほん。ゼロ君……武闘祭優勝おめでとう。その功績と先の取引きに関して、君は約束を覚えているかな?」

 咳払いをしたバーバラが畏まって尋ねる。


 約束と言われても何かをした覚えも無く、何か有っただろうかと頭を悩ませる。


「それは……じゃーん! こちらでーす!」


 もったいぶって取り出したのは一つの鞄で、中心に刻まれた魔法陣を見て漸く思い出す。


「昨日やっと完成したのよ? ……今付けている魔法鞄を貸してもらえるかしら?」


 言われて手渡すと両方の鞄を持ち、何やら覗き込むように数度頷くバーバラ。


「随分と収納してるのね……だとしたら、この子は重宝すると思うわよ?」


 言われる迄も無く使い倒しているのだ……今ではそれが無い生活など考えられない。


「はいどうぞ。この子も同じくらい、可愛がってあげてね?」


 そう言われて受け取り、少し大きくなった魔法鞄を眺める。


「取付部分はパル。仕上げはカーラ。そして空間魔法は私……大切にしてくれなきゃ嫌よ?」


 無駄に悩まし気な声色で念押しされ、礼を述べると直ぐに装着する。


 試しに手を突っ込んでみれば驚きの余り短く唸ってしまった。


 これまでの魔法鞄は取り出しの際に頭の中で思い浮かべる手間が有ったのだが、今回の物は瞬時に何がどれくらい入っているのか浮かんで来るのだ。


 直感的な操作が可能になったのは喜ばしい事で、容量も家一軒分は余裕だと言っていたのでこれくらいの機能は無いと不安で仕方が無い。


 加えて今までのように覚えてさえいれば咄嗟の出し入れは可能なようで、痒い所に手が届く逸品は購入した場合どれ程の値が付くのだろうか……。


「お代は気にしなくて良いわ……もう十分に貰ってるんだから。魔石も、水薬も……ね?」


 水薬の件はバーバラに話しただろうかと思い出すが、この面子なら特段気に病む必要も無いかと思い直す。


 そうこうしていれば馬車はあっという間に目的地へと到着し、事前の情報通り大きな湖の周りを様々な建物郡がぐるりと囲んでいた。


 その様子はさながら砂漠の中のオアシスのようで、中心に有る巨大な黒い球体が無ければ地球のどこかでも見られた光景かも知れない。


 湖の周りには飲食店や宿泊施設などが建ち並んでおり、海の家を彷彿とさせる屋台からホテルや旅館風の建物まで乱雑に建てられていた。


 小さな町のようになっているそこは『静かな湖畔に森は無い:ハルーナ』と入り口に書かれていたアーチが特徴的で、このネーミングセンスは地球由来の物なのかなと思ってしまう。


 入場すると程なくして係員のような獣人男性が現れ、馬車を預かると丁寧に乗って行ってしまった。


「訪れる人数が多いですからな……ああして駐車場のように管理しているのでござるよ」


 見れば龍一の手には模様の入った木札が持たれており、それが駐車券代わりなのだろう。


(本当に観光地なんだな……)


 湖だと言うからもっと野趣溢れる趣を想像していたのだが、湖の周りには白い砂浜が在り、更にその周りを柔らかそうな背の短い植物が群生している。


「こちらの施設もレイジ様……取り分けミリィ様が大変気に入っていたそうで、整地や湖の奥深くに在った迷宮の封印等をされたそうです」


 他にも波を起こさせる為のあの巨大な球体や、迷宮からの魔力で半永久的に浄化、稼働する仕組みなど挙げればキリが無いらしい。


(それだけ好んでいたって事か……)


 ぱっと見ればどこにそこまで惹かれる要素が有るのか分からなかったが、それは彼女とその仲間達だけの物なのだろう。


「さささ、お話も結構でござるが折角来たのでござる……早速着替えに向かうでござるよ!!」

 龍一の言葉に促され更衣室へと向かう。


 カルーアは案の定まだ決め兼ねていたようだが、トウとキビの二人に押しやられる形で連れて行かれた。


「ゼロ殿にはこれを」


 短パンタイプの水着は前世で良く見たデザインで、装着すると意外にしっくり来てしまうのに驚く。


「うんうん。似合ってるでござるな」


 龍一の水着も同じ物なのだがデザインが若干異なっており、水色をベースにした派手な花柄の物となっていた。


「あまり見られると恥ずかしいでござる……」


 そう言って巫山戯る辺り自覚しているのだろうが、立派な腹が揺れているのを見てダイエットの手伝いもした方が良いかと悩んでしまう。


 装備の一式を新型魔法鞄へとしまい、大剣を肩に担ぐ。こいつだけはどうしても魔法鞄の中へ入る事を拒み、やはり生物なのかなと訝しんでしまう。


 更衣室へ置いておこうかと考えたのだがその瞬間に喧しい程の抗議が起こったのは言うまでも無い……本当にどうしようも無い奴だと肩を落とした。


「このくらいで良いでござるかな」


 そんな馬鹿な事を考えていたとしても龍一の手際は見事で、砂浜の一角に数本のパラソルとデッキチェアを設置していた。


 ここだけ見ると本当に異世界なのか疑わしく、呆気に取られている自分を余所に龍一の準備は尚も続けられていた。


 大きめのパラソルは更に増え、その下には上等そうな布が敷かれている。

 樽の中には氷水が張られており、その中には様々な酒瓶が一足先に泳いでいた。


 その布の上で大の字に伸びている龍一が居るのだが、それを見ればこの日に賭ける情熱が如何ほどなのか窺い知る事が出来た。


 水着に着替えたせいかも知れないが、装備を外してからの少し汗ばむような気温……これも賢者様とやらの仕業なのだろうか。


 迷宮を封印し、尚且つ利用するような滅茶苦茶をやるような人物だ……考えられない話では無い。


 春のような暖かな柔らかい日差しは姿を消し、この湖の周りだけはじりじりと肌を焼くような暑さが少しだけ懐かしい。


 そんな風に感慨に耽っていれば、後方から威勢の良い声が聞こえて来る。


「おーい、お待たせー!」

 今の今まで寝そべっていた龍一が飛び起きるのを見て振り返れば、そこには言葉を失う程の光景が飛び込んで来る。


 身に纏う様々な水着は女性陣の魅力を更に引き出し、前世では考えられない程の美人が更にその破壊力を増している。


 胸、尻、顔……そのどれを取っても―――


(……おい)

 耳元で勝手なナレーションを入れている龍一に釘を刺せば、慌てたように離れて頭を掻いていた。


「悪いわね、準備までしてもらっちゃって」

 言葉とは裏腹にあまり悪びれていないカルーアがそう呟く。


 彼女達の水着は実に個性的で、それぞれが自身に合っている物を選択していた。その中でも特にカルーアの水着は……


「なによ?」

 今朝の物とは違い、どこか学生を彷彿とさせる真っ白い物だった。


「お姉様、結局着ては下さらないのですね……」

「残念でなりません……」


 そう言って泣き真似をするトウとキビは自身の髪色と同じビキニタイプの水着を着用しており、自身の強みという物を確りと理解しているようで何よりだ。


「あっ、カーラさんまた! お酒は泳いでからにしましょうって言ったのに!!」


 カーラとバーバラも同じような水着を着用しているが、一口に水着と言っても様々な種類が有るのだと感心した。


 形状もそうだが一見無意味に思えるひらひらとしたレースやリボン、フリルだっただろうか……そういった物が細部に取り付けられ、彼女達の華やかさを際立たせている。


 カルーアの戯言だろうと高を括っていただけに、百聞は一見に如かずだと改めて実感した。


「ゼロさん、ジロジロ見過ぎです……」

 言われて気付いたように慌てて顔を離し、パルは少し恥ずかしそうに胸を隠していた。


 上半身は上着で隠れていたが下半身は露出されており、足の先から太腿部分までさらさらとした毛並みが綺麗に流れている。


「あ、うぅ……」

 モカは短く唸ると何かを言いたげに俯いてしまい、それを契機に観察を続ける。


 モカの水着もトウやキビと同じ形状のもので、違いと言えば色と細かいデザインくらいだろう。


 真っ黒な水着は胸元や腰の紐部分に、モカの瞳と同じ色の玉が取り付けられている。


 試しに引っ張ってみると短い悲鳴を上げて飛び上がり、一瞬にして距離を取られてしまう。


「ななな、何を……!?」


 怯えたように尋ねるモカに短く謝罪を述べると、どうやらそれで水着が外れてしまう事を知った。


「いきなり脱がそうとしてんじゃないわよ」

 言うより早くカルーアに拳骨を落とされてしまい、痛みの余り頭を抱える。


「ささ、拙者この日の為に色々と用意したでござる。今日は存分に楽しんでほしいでござるよ」


 そう言って大仰に両手を広げ、自身が設営した場所を自慢するように胸を張る龍一。


「誤魔化そうとしたって駄目よ。私は騙されないんだから」

「あ、あはは……」


 出された助け舟は見事に撃沈し、疑いの眼差しを向けられ弱った素振りを見せる龍一。


 しかしどこか嬉しそうに見えてしまうのは気のせいだろうか……密着しそうな互いの距離や、突き出た腹を叩かれては恍惚の表情を浮かべていた。


 そんなこんなで観光地で休暇を満喫し、波打ち際で遊んだり露店で食べ物を購入したりと思い付くまま気の向くままに……初めは不機嫌そうだったカルーアも、今では龍一やトウとキビの四人でバナナボートのようなアトラクションを楽しんでいる。


 自力でそれ以上の事が出来るというのにどうやら楽しいらしく、日陰で休んでいる自分に向かって大きく手を振っていた。


「泳がないんですか?」


 湖から上がってきたパルはそう言うと、その身を震わせ水気を飛ばす。そういう所は少しだけ犬っぽかった。


(水は……あまり良い思い出が無い)


 前世も含めて泳ぎが得意で無い事も有り、浅瀬で遊んでいるくらいが今の自分には丁度良いだろう。


「なんだ、もしかして泳ぐの苦手か?」


 カーラの言葉に頷けば驚かれたような表情をされてしまい、それについてすかさずバーバラが言及する。


「意外ね……あれだけの戦いをした猛者でも、苦手な事は有るのね」


 そう言われてしまっては返す言葉も無く、ここの迷宮を封印したという賢者様には感謝しかない。


「だとしたら、この企画は失敗だったかもなぁ……」

 そう言って申し訳無さそうな顔を浮かべては、それを取り繕うように酒瓶を呷るカーラ。


(そんな事は無い。十分に楽しんでるさ)

 泳ぐのは苦手だが、それ以上に皆の気持ちが嬉しかった。


 そんな会話をしていれば昼飯時となり、各々が露店で購入したものを持ち寄る。


 並べられた料理はどこか既視感が有り、やはり海の家を彷彿とさせる数々の品に舌鼓を打つ。


 中でも一際気に入ったのは焼きそばっぽい料理で、その見た目は馴染みが無いので良くなかったが味は別……と言っても、やはりどこか惜しい感じに少しだけ肩を落とす。


 ふとした時にモカと目が合えば逸らされてしまい、先程の事が原因だろうか少しだけ気不味かった。


 昼食が終わればカルーア達は再びボートに乗って来ると言うので、自分の事は気にせず遊んで来いと送り出す。


 人数が増えれば迫力も増すらしく、自分一人を残して全員で向かって行った。


 モカは終始もじもじと何かを言いたそうにしていたが、交代してくれたミルクの為にも遊ぶのは大事だと諭しておいた。


 しかし一人になればどこかうずうずとしてしまい、体を動かそうとするものの後が怖いので踏み止まる。


 砂浜に刺された剣は相変わらず静かで、その大人しさが逆に不気味だった。


 唯一の返答が有ったのは水質について考えていた時で、海とは違って大人しい波の音に一瞬だけ異音が響いた。


 何についての事なのか皆目見当が付かず、気分直しに露店でも見て回るかと立ち上がる。


 大事な物は各人が保管しているので荷物番などは必要無く、言い訳以外の何物でも無い。


 気になっていた焼きそば店の前に来るとやはり前世と同じく大きな鉄板で焼いており、獣人の店主から一皿買うと並々と注がれるソースに絶句する。


 作り方の妙も有るのだろうが味付けが濃すぎると言う事は無く、これはこれで良い塩梅なのだ。


(なんか惜しいんだよなぁ……)

 香りや食感、味も勿論似ているのだが、あと一押しの何かが足りない気がしていた。


 食べ物の好みなどそれこそ星の数ほど有るので一概には言えないが、試しにパンを取り出して割ると、その中に焼きそばを詰めて各種調味料も入れる。


(これだ!)

 多過ぎるソースをパンが適度に吸い取り、追加した調味料も良い仕事をしていた。


「はー、流石武闘祭の王者ともなると、面白い食べ方するもんだなぁ……どれ、俺にも一口食わせてくれよ」


 言われて喉を詰まらせそうになると、食べかけも申し訳ないので新しいパンを取り出し手渡す。


「あー、これは確かに……でも、それだったら―――」

 そこからは店主と共に焼きそばパンの改良に没頭し、作っては食べを繰り返していると次第に人集りが出来てしまう。


 完成した頃には衆人環視の元で実食を行い、一口食べて笑みと共に親指を立てる。


 それを見るや否や拍手が起こり、妙な雰囲気のまま店主にこれを新商品として追加して良いかと打診される。


 使用料や考案料について説明を受けるもそれを丁寧に辞退し、礼とばかりに出来たての新商品を大量に貰いそれを鞄へと収納しその場を後にした。


「ねぇねぇ、そこのキミ……ちょっと待ってぇ」


 妙に艶めかしい声に振り返れば見知らぬ女性が二人立っており、水着だと言うのにどこか派手な格好をしていた。


 頭や顔にきらきらと光る装飾具を着けており、色彩豊かな水着には溢れそうな柔肌が詰まっている。


 額の上にはサングラスらしき暗い色の眼鏡が乗っており、値踏みするようなからかうような表情に思わず眉を寄せてしまう。


「キミ、武闘祭に出てた子でしょ?」


 金色の髪をした人族の女性がそう尋ねて来るので頷くと、似た風貌の隣の女性とはしゃぎ立てる。


「やっぱり……ねぇ、良かったらお姉さんと遊ばない?」


 艶っぽい声色は無駄に間延びした言葉のせいか……最後のパンを口に押し込んでそんな事をぼんやり考えていた。


 そうしたいのは山々だがこんな所を誰かに見られたりでもしたら、それこそ何を言われるか分かった物では無い……今日は健全な休息日なのだ。


「ダメ!」

 途端に浴びせられた声に振り返ればそこにはモカが立っており、意を決した様子の彼女は肩を震わせて少し涙目になっていた。


「あらぁ、なにアンタ? ……この子の彼女ぉ?」


 その言葉に首を振れば二人の女声は大声で笑い、嘲笑する声に負ける事なくモカが近付いて来る。


「なら良いじゃない。アタシ達が先に目を付けたんだから、邪魔はしないでよ……ね?」


 言われて後ろから抱きかかえられ、後頭部から柔らかな感触が伝わる。


「大体獣人なんか趣味じゃないでしょ? 人族は人族同士……それが普通だって分からないの?」


 それを言うなら一応亜人種なのだが、それを知ったら彼女達はどう思うのだろうか……。


「それでも……ダメ!」

 そう言って引き剥がすように手を取り引っ張ると、今度はモカの感触が額に伝わる。


「あれもダメ、これもダメって……アンタに何の権利が有るのぉ?」


 そう言われて俯くモカの目には涙が溜まっており、漸く谷間から抜け出した自分と目が合う。


 女性が自分を取り合うなど、昔の自分が見たらなんて言うだろうか……そんな馬鹿な考えを一瞬で振り払うと、鞄から水薬を取り出し周りにそれを振り撒いた。


 液体は忽ち煙へと姿を変え、四人の視界を奪うとモカを抱えて上空へ飛び出す。


 突然の事で驚いたのかモカは言葉を失っており、落ち着かせる為にゆっくり頷くと着地に良い場所なのだろうかある地点を指し示される。


 指示通りの場所に降り立つとそこは建物郡の路地裏で、砂浜周辺よりかは人通りが少なく薄暗い。加えて日陰のせいなのか少しだけひんやりとしており、抱きかかえたままのモカが少し温かく感じられた。


「ありがとう。もう大丈夫だから……ごめん……」

 そっと降ろすと謝られ、その事について首を傾げる。


「邪魔だったかなって……」

 そういう事かと思い首を振る。


(問題無い。どう断ろうか悩んでいた所だ)


 武闘祭の弊害がこんな所にまで及んでいるとは思わず、これは明日から顔を隠して生きていくしか無いなと冗談交じりに伝える。


「ふふっ。そんなの勿体ないよ……折角優勝したのにさ……本当に、凄かった……」


 呟くような言葉に再び首を振り、あれはそんなんじゃないと返す。


(決勝は不戦勝だし、何よりコモドも獣王も本気じゃなかったさ)

「そんな事―――」

(戦ったからこそ分かる事も有る……今回の試合は、反省する事ばかりだ)


 モカの言葉を遮るように返し、色々と改善の余地は有ると続けた。


 如何に魔力が有ろうともそれは標的に当たらなければ何の脅威でも無く、何だかんだと付き合ってくれた二人には感謝しか無い。


「それなら、なんで……」

 武闘祭に身を投じたのか。そう問い掛ける瞳にゆっくりと頷いた。


(俺にはモカが言った質問の明確な答えは持っていない。だからこそああして、この身で示すしか無いと……そう思ったんだ)


 その言葉に呆れたのか、一瞬呆けたような表情をしたかと思えば怒号が飛ぶ。


「バッ……バカじゃないの!? あんな……私のたった一言で、獣王様に挑むなんて無茶よ!! 死んじゃってもおかしくないのよ!?」


 無論それだけでは無いのだが、少しくらい秘密が有ったとしても罰は当たらないだろう。


(死ぬ気は無い。現に死んでいない)


 現状を正しく捉えるなら『死にかけ』が適切な表現だろう。微かな歪みでも積み重なればそれはそれで辛いのだ。


「本当に……バカよ……」


 泣かれてしまうとどうする事も出来ず、大人しく待つかと思っていると一瞬の内に抱き締められては唇を奪われる。


(―――っ!!)

 不意打ちに反応する事も出来ず、これまでに無い力強さで引き寄せられては宙吊りのような状態で時が過ぎる。


 漸く顔を離したかと思えばモカの瞳は発情しているのか色っぽく、発せられる吐息に甘さを感じてしまう。


「もうダメ……我慢できない……」

 このまま襲われるのだろうか……そう身の危険を感じていると


「こりゃ! 人の店の裏で何を盛っとる!」


 と、道の真ん中に腰の曲がった老婆が立っていた。


「何やら騒がしいと思えばまったく……近頃の若い者は慎みってもんが無い……」


 これだからと続けて悪態を吐けば、途端に一つの提案をする老婆。


「儂の店はこの塀の向こう。そういう色事はせめて人目に付かないようにするのが―――」


 言い終わらない内に鞄から金貨を取り出し一枚投げ渡す。

 とても老人とは思えない俊敏な動きでそれを受け取ると


「もう一枚じゃ」

 と返され、再度金貨を投げ渡した。


 同じように鍵付きの札を渡されればそれを受け取り、突いていた杖で指し示された場所へモカが自分を抱えて飛び出した。


「こりゃー! ちゃんと入り口から行かんかー!!」


 そんな怒りの声も今のモカには届かないようで、荒い吐息に危険な気配がひしひしと伝わって来る。


 日本庭園のような庭を抜けて順路を無視し、旅館風の建物の中に侵入すると入り口へと辿り着く。


 無言のまま先程の鍵を受付に提示すると一通りの説明を受け、部屋までの道順を確認しているモカ。


 水着姿のままなので心配していたがどうやらそれは杞憂だったようで、利用客にも同様の格好をした人物が散見された。


 全ての説明を宙ぶらりんのまま受け、それが終わると一瞬で体に重力が掛かる。


 まるで疾風のような移動速度に誰かが歩いていれば事故は免れないだろう……無傷のまま部屋に辿り着けたのは幸運以外の何物でも無い。


 引き戸を開けて部屋に滑り込めばあの老婆の手回しだろうか……一組の布団が既に用意されており、内装や雰囲気を楽しむ間もなく押し倒された。


(モ、モカ……大丈夫……なのか?)


 元から聞こえていない声は今のモカに届く事も無く、上に乗られては促されるまま胸元の紐を引っ張る。


 手を取られ続け様に腰の紐も同様にすると、生まれたままの姿のモカが襲い掛かって来るのだった―――。

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