6-3 松原家
「慎二は、養子なんだ」
おじさんの告白に、思わず「え?」と聞き返した。
「家内は、体が出産に耐えられないと言われていた。でもどうしても私たちは、子どもが欲しかった。だから、施設の子供を養子に迎えようという話になったんだよ」
「慎二は、知ってたんですか?」
「知ってるよ」
「いつから?」
「小さい頃から知っていたよ」
「知ってたんですか?」
「覚えてると、言っていたよ。施設に預けられた日と、私たちと出会った日を」
意外過ぎる真実に、俺は戸惑う。
「最初、なかなかなついてくれなかったんだ」
おじさんは、しみじみとした口調で言う。
「慎二は実の親に虐待されてたんだ。体の傷よりも心の傷の方が酷くてね」
おじさんは窓の外を眺めている。慎二と出会った日のことを、思い出しているのかもしれない。
「慎二は、いつか良太君に話したいと言っていた」
「自分が養子だということを?」
と、訊ねるとおじさんはうなずいた。
この話をもっと早く聞いていたら、俺は慎二を殺したりしなかったんだろうか。
「虐待って、そんなに酷いものだったんですか?」
俺が慎二を殴りつけたとき、慎二は抵抗しなかった。勢いで殴っていたから鮮明に覚えている訳ではないけど、無抵抗だったと思う。
それは、その頃の記憶があるからなのかもしれない。暴力に対する恐怖が、そうさせたんだろう。
「慎二の体には、いろんな傷跡があったよ。初めて一緒にお風呂に入ろうとしたとき、それを見たんだ。憤りを感じたよ」
おじさんは、その感情を捨てるのが大変だったと呟いた。
そういえば、慎二の背中に痣があったのを見たことがある。どうしたのかと聞いたら、事故の痕だと言ってたのに。
「眠りの浅い子だった。いつも何かに怯えているように見えた」
遠い目をするおじさん。
幼い慎二が怯えている様子は、俺には想像できなかった。
「慎二が安心して眠るまで、毎晩家内が添い寝していたんだよ。体にさわるから代わると言っても、自分が慎二の心を解きほぐすんだと言って、無理ばかりしていた」
おじさんは涙を堪えながら、俺にいろいろ話してくれた。
それまで、ご飯も満足に食べさせてもらえてなかったからか、発育も悪く小柄だったということも。
「慎二は、高校生になっても身長があまり伸びないままだった。それをとても気にしていてね」
慎二が、身長にコンプレックスを抱いていたなんて、俺は知らない。慎二には、劣等感なんてないと思っていた。
「家内と私は、慎二を心から愛した。慎二の目に光を取り戻したくてね。良太君は慎二がいつも笑っているところしか知らないだろう? よく笑うようになってとても嬉しかったよ」
それは、おじさんとおばさんの愛情が伝わったからだ。
俺が慎二と出会った時、慎二は二人からの愛情をたくさん貰っていて、それがとても羨ましく感じていた。
「俺が母さんを悪く言ったら、慎二に何度も怒られました」
俺がそう言うと、おじさんは苦笑いを浮かべて言った。
「家内が慎二を諌めていたよ。良太君も良太君のお母さんも悪くない、責めるような事を言うものじゃないってね。誰かのせいにしちゃいけない。いろんな視点に立って物事を見つめないと誰かを傷つけるだろう?」
おじさんとおばさんの考え方に、慎二は影響受けている。誰かを悪く言うところを、聞いたことがない。
「それでもおじさんは慎二を殺した奴に復讐したいと思わないんですか?」
「そう思わないと言ったら、嘘になる。でも、悲しいんだよ。人の行動には理由があると思うんだ。もしかしたら、慎二に何か落ち度があったのかもしれない。そうは思いたくないんだけど」
「殺されるだけのことをしたと?」
「もしそうだとしても、殺人を許してはいけない。もちろん私は、犯人を許せないよ。でも私が犯人に復讐して殺してしまったら? 私が罪を犯すと家内は一人になってしまうし、慎二もそんなことは望んでいないと思う。だからね、法律に委ねるしかないんだよ」
苦笑いをするおじさん。憎くてたまらないけど、押し殺すしかない。行き場のない感情をそこまで考えて、抑えられている。おじさんは、すごい。
「家内にどう話そうかそればかり考えてるよ。でもいずれ、話さないといけない。慎二がいないことも辛いけど、家内にそれを話すのは、もっと辛い」
おばさんは、耐えられるだろうか。心も体も壊れたりしないだろうか。
「良太君も、私たちの息子のように思ってるんだ。家内は入院中だし、慎二もいない。こうやって、これからも時間がある時に夕飯を一緒に食べてもらえたら……嬉しいかな」
おじさんの優しさが、痛い。
「犯人が凄く憎いのに、誰かを憎いと思う自分も嫌なんだ。この憎しみが普通だと言われても」
慎二は、俺を騙したわけじゃなかったんだろうか。あの日慎二が何か言おうとしていたのを、聞く耳持たず俺は殴りつけていた。ちゃんと聞いていたら、こんな事にはならなかったのだろうか。
「おじさん、話してくれてありがとう」
そういうしかない。本当は苦しい。
俺は、真実を受け入れないといけない。
「ありがとう。良太君がいてくれて良かった」
そう言われても、俺にはその言葉をもらう資格がないんだ。目の前にいる俺が、慎二を殺した犯人なんだ。
「いろいろ聞かせてしまって」
おじさんは、深く頭を下げる。
「申し訳ない」という声は、震えている。
これから俺はどうすればいいんだろう。正しい事がなんなのか、見えなくなってきた。
「おじさん、ごちそうさまでした。と言っても残してしまったけど」
「いや、いいんだよ。良太君に話を聞いてもらって、落ち着いたからね」
「また、ご飯食べに来ていいですか?」
「良太君は息子のように思ってると言っただろう? いつでも歓迎するよ」
おじさんはそう言って、さっきより明るい笑顔を俺に向けた。
惣菜の空きパックを片付けた後、俺は松原の家を後にした。
誰もいない家に戻る。
電気も点けず、手探りで部屋に入りベッドに横たわった。藍色の天井が、夜のせいで黒にしか見えない。
香奈が嘘をついている。
慎二は俺を騙していなかった。そんな奴じゃないことをわかっていたはずなのに。
慎二を殺してしまったことで、全ての歯車が狂ってしまった。俺がそうしなかったら、母さんは死ななくても良かったのに。
部屋の隅にある、青い薔薇のドライフラワーが目についた。
神からの祝福。罪を犯した俺には、最初からそんなものはなかった。
香奈との未来も祝福されるものではない。
安田先生に箱庭を見てもらいたい。おばさんにどこか似ている、優しい表情。先生の前なら、もう嘘をつかなくてもいいような気がする。
青い薔薇を買おう。
俺に祝福される未来なんてないけれど。
前に注文したネットショップで、この部屋いっぱいになるくらいの青い薔薇を注文した。
神頼みしかないのかと、ため息をつく。
マサキのゲージの傍に行き、ひまわりの種を差し出した。
頭の中が混乱してくる。でも、混乱から逃げちゃいけない。罪は消えないんだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます