5-3 心理療法

「箱庭療法は、私の担当じゃないんだ。カウンセリングはできるけど、私は精神科医だからね」

 砂の感覚が気持ちをフラットにさせる。心を、からっぽにしてくれるような。

「もし、箱庭に興味があるのなら来週からこっちをしてみる?」

 箱庭は、どんなふうに心理状態が出るのか想像がつかない。でも、砂を触ってみたいと思った。

 俺が悩んでいるのを察したのか「今すぐに返事しなくていい。心理テストの結果もすぐには出ないからね。一週間後、またきてくれるかな」と先生は言った。

「それまでにどうするか、考えてきます」

「そうだね。そのときに、絵の結果を詳しく話すことにしよう。そういえば高瀬君は部屋でお香を焚いてるのかな?」

「よく焚いてます」

「そうか。部屋でリラックスしているようだね。落ち着く匂いがあるなら、それはいいことだと思うよ。薬は状況に応じて、今後処方するかもしれないけど、今は必要ないと思う。今日のところはこれくらいにしておこうか」

「え? もう、終わりですか?」

「人間関係は、急にいい関係を構築できるわけじゃないだろう? 初回から長い時間かけてもうまくいくとは限らない。今日はこれでじゅうぶんだと思ってるよ」

 先生にそう言われ、砂をさわるのをやめた。

「小さい頃、砂場で遊ぶのが楽しかったんだね」

 先生はそう言いながら、部屋の隅っこで手を洗うように促した。

 手を洗うついでに顔も洗っておく。涙はとまっていたようだ。

 慎二と遊ぶ時間は、市販のおもちゃでは味わえないものがあった。金では買えないもの、有意義で大切なものだったんだ。

「じゃあ、来週。予約しておいて」

 診察室を出てすぐに、待合室のソファーに座り頭を抱えた。

 手に残った砂の感覚。慎二と父さんの笑顔。いろんな記憶が頭の中によぎっていく。

 手に残った砂の感覚が、罪悪感に変わっていきそうだった。

 揺らぐ。揺らいでしまう。でも、いつまでも揺らいだままではだめなんだ。

 頭を抱えていると吐き気がした。

 トイレに駆け込み嘔吐する。ふら

つきながら手を洗い、鏡にうつった自分の顔を見た。そこにうつる顔は俺じゃなく、慎二だった。

「そんなに辛いなら自首すればいい。良太は悪人には、なれないよ」

 俺は鏡に向かって水をおもいきりかけた。鏡の中の慎二は消えた。

 それからふらつきながら、会計のあるフロアーに移動した。支払いを済ませ、香奈が待っているアキさんの店に行く。

 香奈に早く会いたい。

 そう思っていると、病院の敷地から出てすぐのところに井原刑事と野口刑事がいるのを見つけた。

 俺を待っていたのだろうか。

「カウンセリングはどうでした?」

 井原刑事が話しかけてくる。

 一言一言が不快にまとわりつく。隣の野口刑事は、にこやかに笑みを浮かべて俺を見ている。

 対照的な二人だ。

「こんな口調だけど、心配してるんだよ。口が悪いから誤解されやすいんだ。悪く思わないでほしい」

 野口刑事が、申し訳なさそうな顔で言った。

 井原刑事が野口刑事を睨みつけているのが横目に見えた。

 俺は二人に声をかけることなく素通りした。

 歩みを進めても、手に残る砂の感覚が消えそうにない。初めて砂場で遊んだときの感覚とどこか重なり、息苦しくなる。

 慎二と砂場で山を作りトンネルを掘って、トンネルの奥で手を繋いだことを思い出す。

 違う砂なのに似ていると感じるのはどうしてなんだろう。

 足を止めたらもうアキさんの店の前に立っていた。

 店の中に入るとアキさんが俺をちらっと見て手を振り、奥を指さしながらにこやかに笑った。

 俺は店の奥に向かう。いつもの席に香奈がいた。

「香奈!」と、力強く呼んだ。

 俺の漠然とした不安がそうさせたように思う。すると香奈は、カップをテーブルに置いて俺を見た。

 優しい笑顔を作っているようだけど、目はおどおどとしているように感じる。

 香奈も不安だったのだろうか。

「お疲れ様」と言う香奈の声を聞いてほっとした。

 俺はすぐに席に座る。

 ようやく体の緊張が解けてきた。

 アキさんが来たので「アイスティーお願いします」と伝える。

 アキさんは店内が混雑しているため笑顔で頷き、ほかの客のところに行った。

「どうだった?」

 香奈が心配そうに俺を見つめる。

 香奈の目を見ているだけで落ち着いてきた。

「心理テストを二つしてきた。実のある木を描いて、そこから何かがわかるらしいんだ。あと箱庭療法だね。香奈は聞いたことある?」

 香奈は首を横に振る。

「大きな青い箱があってね。その中に砂が敷き詰められているんだ。そこにいろんなおもちゃを好きなように置いていった。それで何がわかるのかな」

「それで良太君の気持ちが穏やかになるということだよね。そうなれば私も嬉しいな」

「香奈に心配させてばかりで辛いな」

と、俺は苦笑いをする。

「心の中を丸裸にされているようで、不思議な気分になるんだ。すこしだけ怖かった。自分の知らない気持ちまで見透かされるみたいでね」

「あまりいい気分じゃないのなら、無理にしなくてもいいと思うよ」

 香奈は、俺が苦笑いしているのを不安そうに見つめてくる。

 香奈とずっといるために、カウンセリングを受けたほうがいいと思ったことは言えない。香奈に弱い自分ばかり見せたくないんだ。

「箱庭は、一度やってみてから決めるよ。具合が悪くなるようならやめると思う」

 俺はテーブルの上のお冷やを手にする。

「箱庭療法なら、俺、聞いたことあるよ」

 アキさんがアイスティーをテーブルに置きながら言った。

「知り合いがカウンセリングに通ってたことがあってね。心理療法って、その人にあったものじゃないと意味ないのかな、と俺は思ったよ。でも、試してみないとわからないからね」

「そっか。向き不向きがあるんだね」

 香奈が不安そうな顔をする。

「やっぱり一度受けてみるよ」

 香奈が不安そうではあったけれど、アキさんの言葉でやってみようと思えた。

「うまくいくように応援する」

 香奈は、俺の言葉で少し表情を曇らせながら言った。

 携帯の時計を見ると、八時を過ぎていた。

「もう八時過ぎてる。駅まで送るよ」

 店を出て、駅まで早足で向かった。

 香奈が改札を通り抜けていくのを見届けて、駅から離れる。

 一人の時は、人ごみが落ち着かない。香奈がいると香奈だけを見ていればいいから何も感じないのに。いつも誰かに見られているように思える。刑事達を意識しているからなんだろうか。

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