5-2 青い箱
眠れない夜を過ごし、朝を迎えた。
学校では、香奈が心配そうにときどき俺を見る。
昼休みに病院に電話し、医者に電話を取り次いでもらい、放課後簡単な心理テストをすることになった。
心理テストは精神科の診察室で行うらしい。心理テストはどんなものなんだろう。
正直に書いて大丈夫なんだろうか。
授業は上の空だった。
放課後になり帰ろうとしたら、香奈からメールが届いた。
アキさんのカフェで待ち合わせしたいということだった。
病院へ行くことを知らせると『待ってるから話を聞かせてね』と返信が届く。
病院に着いて受付を済ませたあと、案内表示を頼りに精神科の前に立つ。
緊張しながら廊下に立ち尽くしていると、看護師が「高瀬君?」と話しかけてきた。
俺は戸惑いながら頷く。
「もう中に入っていいわよ、住田先生が準備してるわ」と言うので、診察室のドアを開けた。
手が少し震えている。
診察室に入ると壁の隅におかれたテーブルが目に入った。
椅子は向き合う形ではなくL字に配置されていた。
部屋には柑橘系の落ち着く香りが漂っている。
医者の名前は、住田というらしい。
名札を見ていると「こんにちは。今日は具合はどう?」と言った。
「緊張したのか眠れなくて……」
「怖くないよ。最近軽いテイストの心理テストが流行ってるだろう。そういうのだと思って答えてくれたらいいんだ。テストの前に家族構成を教えてくれるかな」
「家族構成ですか? それはカウンセリングに関係あるんですか?」
「どんな環境で育ってきたのか、それを重要視する人もいれば参考程度にする人もいるようだね。高瀬君は自分の性格が育ってきた家庭環境に大きく影響受けたと思ってるかな?」
「家庭環境、うちは平凡とは言えないものです。母のことはどうでもいいです。父しか見えてない人ですから」
俺がそう言うと住田先生はカルテに家族相関図を書いていた。
「おじいさんやおばあさんはご健在かな?」
「祖父母は母方が近所です。父方の祖父母も市内にいます。父が失踪してから気まずいからあまり会いに来ません。母と折り合い悪いみたいです」
それから慎二の話をした。
引っ越してきてすぐに仲良くなったこと、父さんと慎二との三人でよく出かけていたことなど。慎二の親が母さんの機嫌を損なわないように配慮してくれていたことも話した。
公園で出会ったまさきとみやびの話や、ペットを飼い始めたことも。
「松原君とは兄弟同然に仲が良かったわけだね。今、高瀬君が苦しむのは当然のことだと思う。ペットを飼い始めたことで気分が和らいでるようだね。今から心理テストの問題を渡すからこっちの解答用紙に自分が感じたまま書いてほしい。考え過ぎず、思うままでね」
この結果で、どこまで俺がどういう状態なのか判断するのかわからないけど、ところどころ適当に回答しておいた。
「終わりました」
そう言って解答用紙を渡す。
「結果はいますぐわからない。次の診察までにわかるからね。もう一つ、心理テストがあるんだ。絵を描いてもらうよ」
先生は、A4サイズの用紙を差し出してきた。
「何の絵でしょうか?」
「実のある木だよ」
住田先生の口調は穏やかだ。
俺の言葉を聞きもらさないように、そして俺の様子をちゃんと見ている。
何を言っても受け入れてくれるような、そんな雰囲気がある。
「色鉛筆もクレヨンもある。好きなようにそこに描くだけだ」
そう促されて俺は、一般的だと思う絵を描くことにした。考えて描いていると気付かれないように、俺は俺の思う木を描いてみる。
母さんの友達が俺の誕生祝いにプレゼントしてくれた絵本にあったりんごの木。多分これが、俺の思う一般的な木だ。
鮮やかな緑は、葉っぱに塗る。りんごの実を四つくらい適当に散りばめておいた。木の幹は太すぎず細すぎず、根は大地にどっしりと根付いているように。鳥が枝で休憩しているように。
「へえ、うまいね」
住田先生が意外そうに言った。
俺は少しむっとしてしまった。その表情を読み取ったのか、先生は申し訳なさそうに俺を見た。
「これを描いているとき、高瀬君は楽しかったかな」
「え?」
「いや、色は明るいものばかりで鳥もいる。楽しそうな絵なのに高瀬君はそれを描いているとき、楽しそうに見えなかったんだよ。楽しくなかったかな?」
絵を描けばいいものだと思っていた。過程も見られているとは思わなかった。俺は俯く。
「無難な絵を描こうとしてもね、人は完全に嘘をつけない。絵には顕著に出るんだ。見てきたもの、経験してきたこと、どういう心境であるのか。高瀬君は感情を表に出さないタイプだから、周りはそれに気づかないことが多いんだろうけど」
先生はそこで絵を俺に見せる。
「鳥がとまっている枝だけほかの枝から離れているね。そして他の枝より太く描いている。これはどうして?」
「鳥がとまりやすいようにと思っただけです」
「なるほど。枝が離れていて鳥もとまりやすそうだね」
誘導されていると感じた。
俺の精神状態を読み取ろうとしているのだろうか。そこから俺の言葉をどう解釈するのかわからない。
「そんなに身構えなくていいんだよ。この結果だけで高瀬君の人となりを決めつけたりしないから。高瀬君と話すのはこれが二回目だよ。たった二回ですべてわかるはずがない。心理テストはその人の心の氷山の一角に過ぎないんだ」
「氷山の一角?」
「自覚していない感情。無意識というやつかな」
「無意識、ですか……」
「でも高瀬君は慎重そうだ。無意識の部分。それをさらに無意識に蓋をしているのかもしれない。でも、私はそれが悪いことだとは思わないよ」
ずかずかと心に入ってくる先生の言葉が、体を硬直させる。俺の心に入ってきていいのは香奈だけだ。
俺は唇を噛みしめる。
「ああ、そうだ。高瀬君は小さい頃、公園で遊ぶとき何をしてたかな?」
「公園?」
「遊具で遊ぶとか、友達と追いかけっこをするとか、いろいろあるよね。何が好きだった?」
俺は慎二を思い出した。
砂場で話しかけてきた幼い慎二の姿が頭の中に蘇る。
「砂場です。そこで、慎二とよく遊んでいました」
弱々しい声が出てしまった。
手が震えている。俺は隠しきれない動揺を表情で読み取られたくなくて顔を上げないでいた。
「ちょっとこっちに」と言いながら、先生は立ち上がった。
診察室の隣の部屋に案内される。
部屋の真ん中に、四角の青い箱が置いてあった。その周りには小さなおもちゃがある。動物、植物、乗り物、いろんな建物……。
「これは?」
「箱庭療法、聞いたことあるかな?」
「箱庭?」
「その箱の中に砂があるだろう」
俺は箱に近づきそこの中の砂を手にする。初めて公園で砂遊びをしたときの映像がリアルに頭に思い浮かぶ。
優しい父さんの笑顔。話しかけてきた慎二の笑顔。初めてできた俺の大事な親友……。
箱の中の砂を、掌になじませてみたり、ゆっくり箱の中で巻き交ぜてみたりしているうちに、俺は自然に涙が出ていることに気付く。
どうして泣いてる?
「慎二とよく砂場でトンネルを……」
そこから先は声にならなかった。
慎二と出会い、俺は救われたんだ
った。
あの日慎二が俺に話しかけてこなかったら、俺は父さん以外に心を開くことはなかったと思う。
冷たいはずの砂にぬくもりを感じた。
「箱庭療法というのはね、その箱のなかにそこのおもちゃを好きなようにおいていって、そこからカウンセラーと話しながら心をみていくものなんだ」
「これも心理療法になるんですか?」
震える声で俺は訊ねた。
先生は頷いた。
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