3-8 おじさん
『良太君、どこにいるの? なにかあった? 大丈夫?』
と、まくし立てるように香奈が言った。
こんなに焦っている香奈は初めてだった。
「熱出てしまって、医者に診てもらってた。連絡遅くなってごめん。まだ店にいるかな?」
俺はかすれた声で言った。
『診察? 事故に遭ったわけじゃないんだよね』
「俺もよく覚えてないんだ。電話切った後、屋上でぼんやりしてたみたいで」
『そんな弱ってる良太君を一人には出来ないよ。ずっと待ってるから。力になれるかわからないけど……。アキさんも心配してる。アキさんが話したいみたいだから代わるね』
電話を代わったアキさんが言った。
『状況がよくわかってないから知ったふうなことは言いたくないけど、一人で思い詰めるのだけはやめろよ。香奈ちゃんだって俺だって心配してる。店に来たらうまいもん食わせてやるから、絶対来いよ』
電話を切ったあと会計をすませ、処方箋を薬局に提出した。待合室で薬が出来るのを待っていると、俺を見付けたおじさんが血相を変えて走ってきた。
「良太君、よかった。突然いなくなるから、どうしたのかと思って家に電話したけど留守だし、何かあったらどうしようかと……」
おじさんは、汗をかいたのか雨に打たれたのかわからないけど、ひどく濡れていた。俺はまた胸が苦しくなった。
「屋上行って、ぼんやりしていたら雨降ってきちゃって。濡れたままいたから、熱っぽくなったので診察受けてたんです。すみません。何も言わず飛び出したりして」
素直な言葉がすらすらと出てきた。おじさんやおばさんの前では調子が狂う。
「そっか。家まで送ろうか?」
と、おじさんは俺の恰好を上から下ま
で眺めてそう言った。
「いいですよ。大丈夫です。おばさんについていてあげてください」
「体調は大丈夫? 家内が元気になったら前みたいにいつでも晩御飯食べにきていいんだからね」
どういうふうに育つとこんなに純粋になれるんだろう。この人たちに育てられたから、慎二もまっすぐな人間になったんだと、ずっと思っていた。
なのに慎二は……。
「慎二が行きそうなところ、探してみます。おじさんも無理しないでください」
俺はそう言うのが精一杯だった。
これはついてもいい嘘なのかどうなのか。何が正しいのか自分でもわからなくなっていた。
薬を受け取りおじさんに挨拶をして俺は病院から出て、タクシーに乗り家まで向かう。
いろいろ迷ったけど、今は香奈とアキさんが待ってるカフェに行くことを優先したい。あの二人に会えば、決心が固まるはずだから。
家に着いてから、濡れた服を洗濯機の横のカゴに放り込み、鏡で自分の顔を見る。
ひどい顔だ。冷たい水でばしゃばしゃと顔を洗う。
部屋に入り一息つく。
薄暗い空間が妙に落ち着かせる。
マサキが、カリカリとひまわりの種を食べている。シンジは、じっとしたまま動いてなかった。水や餌がなくなっていないか確認した後、俺は着替えてすぐに家を出た。
香奈にメールで家を出たことを連絡しておいた。
相変わらず雨は土砂降りだった。カフェの前に着いて傘をたたむ。
店内に入ると、アキさんはすぐ俺に気付いてくれた。アキさんのそばまで早足で行くと、「香奈ちゃん、かなり心配してるから。ちゃんとフォローしてやれよ」と耳元で囁いた。
香奈はいつもの席で待っていてくれた。俺の姿を見ると勢いよく立ち上がり、椅子が床に倒れる。慌てた香奈は椅子を戻そうとして、バランスを崩して倒れそうになっていた。
俺は焦って香奈の体を支える。
「なかなか来ないからもしかしてもう会えないのかもとか、いろいろ考えちゃったじゃない」
香奈は、俺の顔を見ようとしない。
俺にもたれかかったまま。香奈の体が震えている。
もしかして、泣いてる?
「ごめん。俺、動揺してて自分のことしか考えてなかった」
俺の言葉に香奈は俯いたまま涙を拭く仕草をしたあと、俺からそっと離れて椅子を戻した。
「お父さんも慎二君もいなくなったから良太君も消えちゃうのかもって、本当に心配したんだよ」
椅子に座りながら目を潤ませている香奈を見ていると、俺には香奈が必要だと強く感じた。
「良太も座ったら?」
と、アキさんが背後から話しかけてきた。
「大事な彼女を泣かせるんなら、俺がとっちゃおうかな」と、にやにやしながら言われてしまった。
俺は椅子に座り、おしぼりを受け取る。
「冗談はおいといて、なんもなくてよかったよ。ホットコーヒー? それとも何か食べる? 今日は俺の奢りだからなんでも頼んでいいよ」
「奢りなんてだめですよ。心配かけたのは俺なのに」
「新メニューを考え中で、それの試食だだったら食べてくれる?」
アキさんは俺の表情を読み取ったのか明るく言った。
「じゃ、アキさんに任せる」
俺は出来る限りの笑顔を作る。
香奈は相変わらず俯いたままだった。
心配してくれたことが嬉しかったけど、悲しませたことは苦しい。
香奈には出来るだけ笑顔でいてもらいたい。
優しく穏やかな声、澄んだ瞳、それだけじゃなく香奈のすべてが自分だけに向けられるのなら、後はどうなってもいいと思える。
アキさんは厨房に戻っていった。
「香奈、ほんとにごめん。香奈を呼び出したのは俺なのに……」
「良太君が私に会いたいという気持ちを言葉にしてくれたのが嬉しかった。でも、このまま会えなくなるんじゃないかと思ったら、どうしたらいいかわからなくなって、怖くなったよ」
香奈は俯いたまま、顔を覆う。
「ごめん、もう心配かけたりしないから」
「いなくならないでね」と、震える声で香奈は言う。
香奈はバッグの中からハンカチを取り出し、涙を拭いた。
「泣いてごめんね。良太君のほうが私よりも辛いはずなのに」
目の前にいる香奈、この優しい香奈が、ほんとうの香奈だ。あの日見た、慎二と一緒にいた香奈は、香奈だったけど、うその香奈だろう。慎二の前だけ、あんなふうに装っていた。
俺は香奈を信じてる。
「大丈夫だよ。もう待たせたりしないし、今日みたいなことはしないから」
「うん、わかった」
香奈はいつものように微笑んだ。
「香奈に相談があるんだけど。慎二を一緒に探してくれないかな?」
親友の行方を心配しているように装えているのか自信がなかったけど、俺は香奈をみつめながらそう言った。
「良太君の大事な友達だし、私も友達だから、勿論心配してるよ。心当たりはあるの?」
「慎二は、正義感あるしお人好しだから、事件に巻き込まれてるんじゃないかと思ってる。それで、どこかに拉致されてる、……とか。そんな危険な状態なら香奈を付き合わせるわけにはいかないんだけど、一人でうろうろするのも怪しいかと思って」
咄嗟に出てきた言葉に自分でも驚いた。
「うん、わかった。一緒に探そうね」
香奈はその言葉に違和感がなかったようにうなずきながら言った。
「人探し? それなら俺も手伝えるかも。一応、このあたりでは顔がきくからね」
アキさんが割って入ってきた。手にしたお盆には出来立てのオムライスがあった。
「昔はね、ちょっとばかりこの辺りで、いろいろやっててさ。裏の世界もわかるんだ。今は更生してこの通りただの店長だけどね」
一見怖そうにも見えるアキさんの言葉は妙に説得力があった。アキさんはテーブルにオムライスを二つ置いた。
「その友達の写真ある? あれば俺も時間あるとき探すよ」
アキさんの言葉に俺は携帯のデータフォルダの中にある慎二の画像を見せた。ギターを弾いている慎二だった。
「それを俺の携帯に送ってよ」
アキさんの携帯にデータを送り、「よろしくお願いします」と言った。
「力になれるといいけど。とりあえず、冷めないうちにどうぞ」
俺と香奈は「いただきます」と言って、新メニュー予定のオムライスを食べてみた。
「どうかな?」と、アキさんは少し不安げに言った。
「美味しい!」
香奈が一口食べた瞬間にそう言った。俺も頷く。
「そっか、よかった。じゃ、食後にコーヒー持ってくるから、ごゆっくりどうぞ」
アキさんは別の客の接客をし始めた。
それからは、香奈が苦手な数学の問題を教えたり、新メニューのオムライスについて語ったりして過ごした。
夕方になり、「そろそろ帰らなきゃ」という香奈の声に俺は少し寂し
くなりながらも「そうだね」と言った。
アキさんに挨拶をして香奈をいつものように駅まで送り届けた。
家の前まで辿り着くと母さんの車があった。顔を合わせるのが憂鬱だと感じながら家に入った。
(第三章 おわり)
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