7-3 青い薔薇
「あんた、死にたくないでしょ。お父さんに会いたいだろうし、正樹が元気になったら一緒に遊んであげたいでしょ? 死んでいいのは、上野だよ。あの男は慎二君と
あんたのお母さんを苦しめた二人の刑事、どうしてしまう? うざかったよねー。あの二人のせいで、お母さんは自殺しちゃったじゃん? 警察クビにしちゃう?
アキも悪者にしちゃおうか。あんたはあたしと一緒にいられるようにしてあげる。見た目はイヤだけど、あんた頭はいいでしょ。前科ないから、アキよりも便利だし!」
香奈は一人で機関銃のように喋り続けた。俺にべったりくっついて、嬉しそうに楽しそうに、そこまで喋り終わった香奈は、俺の顔をじっと見つめている。
「これからも仲良くしていこうね、良太君」
香奈が急に声色を変え、上目遣いで俺を見る。
「香奈は、自分がやったこと、わかってんのか?」
「あたし、何もしてないじゃん?」
また、素の香奈の口調に戻る。
そうだった。周りにいる人間が、勝手に香奈のシナリオ通りに動いただけなんだ。
「香奈は、アキさんといなきゃいけないと思う。いるべきだ」
アキさんの想いの深さを考えると、俺よりずっといいように思える。
「アキは、あんたの父親を監禁した罪を償ってもらうんだよー?」
「だめだ。それはだめだ! アキさんは」
アキさんが、女を使って父さんを騙していたのは事実。
でも、どうしてだろう。俺は、アキさんを憎めない。
「あんたって呆れるくらい頭が固いよね。あたしのこと好きなんでしょ? だから慎二君を殺しちゃったんじゃないの?」
「香奈は、慎二を好きだったんじゃないのか? 小さい頃からずっと好きだったんだよな?」
「そんなの、昔の話だし?」
冷ややかな香奈の言葉が、俺の迷いを消し去っていた。
気が付いたら俺は、香奈の頬を思い切り殴ってしまっていた。
香奈は呆然としている。
「おじさんとおばさんは、慎二だけじゃなくて、俺のことも息子のように接してくれた。そんな二人を苦しめた」
香奈を殴っても、慎二は生き返らない。慎二を殺したのは俺だ。
償いなんてできるわけがない。
俺は、クローゼットに準備していたものを取り出す。ビニールテープとガムテープ。それと、灯油缶。
「それは、何?」
香奈は怯えた顔でそれを見つめる。
「俺は、香奈とここで死ぬ」
「何言ってんの?」
香奈はベッドから起き上がり、部屋から出ていこうとした。
俺は香奈の行く手を阻むように、ドアの前に立ちふさがった。
「俺じゃ、香奈を変えられない」
「あたりまえじゃん。あんたなんかにあたしの人生を変えられたくない。死んだら終わりだよ?」
「そうだよ。死んだら終わりだ。俺は、慎二や母さんの人生を終わらせてしまった。おじさんとおばさんの大事な人を殺してしまった。じいちゃんとばあちゃんの大事な人を自殺に追い込んでしまった。香奈は、それを仕組んだ。香奈は直接手を下してないにしても」
「なんで、あたしがここで死ななきゃいけないわけ? それもあんたなんかと心中? 冗談やめてよ」
香奈は俺の顔を睨みつけ、
「心中なら慎二君とがよかった。最期の瞬間までその顔見てなきゃいけないなんて、サイアク!」
と言い放った。
俺は香奈を羽交い絞めにして、手にしていたガムテープを香奈の口に貼り付けた。
「こんな事したくなかったけど……」
香奈は暴れていた。でも、俺はその後すぐに香奈の手をビニールテープで縛りつける。
「そろそろ力が入らなくなるだろう」
アイスティーに、母さんがかつて飲んでいた薬を入れてある。
香奈は抵抗を諦めたのか、それとも薬が効いてきたのか、床に座り込む。
香奈の目は、うるんでいた。恐怖でうるんでいるのか、演技なのかわからない。
座り込んだ香奈の足を縛り、ベッドに寝かせた。
「これでずっと一緒にいられる」
俺は、灯油を部屋の隅にまいていく。香奈の顔を時折見ながら、灯油缶がからっぽになるまで。
香奈の顔が真っ青になっていく。俺が本気だとわかったようだ。
恐怖で顔をゆがめる香奈の顔がきれいだと思った。
俺は、香奈の周りに青い薔薇を並べる。
「きれいだよ、香奈。香奈は誰も殺してない。神様から祝福されながら逝けるはずだ」
俺は香奈の横に寝そべり、香奈の顔を見つめた。香奈の目から涙があふれている。
「最期に香奈とキスくらいはしておきたい。いいよね。香奈は俺のこと、好きでいてくれたはずだ」
俺は、香奈の口をふさいでいたガムテープをはがす。おれの指が香奈の唇に触れた。
「あんたなんかとキスするくらいなら死んだ方がマシよ」
香奈はそう言って俺の指を噛んだ。
指からじわっと、血がにじみ出てくる。
「痛いな……」
にじみ出てくる血は、生きている証。人殺しの俺が生きている事が間違いで、そう仕向けた香奈も間違い。
俺ではやっぱり香奈を支えきれないのだろう。
おじさんやおばさんのような深い愛で、笑わなかった慎二がいつも笑顔になったように、俺は、香奈の間違った考えを改める事ができるのだろうか。
「気持ち悪い。離れてよ!」
香奈は、体を壁の方に向けた。
俺に背を向けた香奈を、俺は背後か
ら抱きしめる。
「やめてよ!」
香奈は、俺から離れようともがいている。でも、俺の力の方が強い。
「俺が慎二みたいな見た目なら、俺を好きになってくれた?」
愚問だと思ったけれど、俺はそう訊ねた。
「外見がよくても、あんたに惚れるなんてありえない」
香奈は暴れるのをやめた。
「あんたって、性格も最悪だし」
俺は香奈に馬乗りになって、香奈の頬を叩いた。
「結局、あんたも慎二君のホントの親みたいに暴力で従わせちゃうんだ。いいよ、やりたいなら好きなようにすれば? 薬で、力入んないし。大好きな香奈ちゃんなんでしょ?」
香奈の言葉で、俺の中の何かが、はじけた。
怒りのままに欲望のままに、俺は香奈を犯していたんだと、思う。冷静になったのは、床に転がっていた携帯がバイブでガタガタと震えていたからだった。
横たわる香奈が、俺を蔑んだ目でみている。
そのとき、一階でガラスが割れる音がした。そのあと、誰かが階段を駆け上がってくる音もきこえてきた。
ドアを激しく叩いている。
俺は、香奈に「ごめん」と謝り、はだけた洋服の上から、俺の上着を着せた。
「良太、香奈、そこにいるんだろ。開けてくれ! 良太のお父さん、見つかった。今、警察に保護されて病院に行ってる!」
アキさんが、ドアを叩き続ける。香奈が、「アキ!助けて!」と叫んだ。
「良太? 何やってんだよ! 油のにおいがするぞ!」
父さん、見つかった?
「良太、開けろ!」
俺はベッドから降りて香奈から離れ着衣を整えた。
ベッドの周りに飾られた青い薔薇の花びらそこら中に散っていて、すべてが終わったかのように見えた。
部屋には、マサキがひまわりの種を無心に食べている音が響いていた。マサキまで殺しちゃいけない。
俺は香奈の手を縛っていたテープをはがし、ケージを香奈に差し出した。
「このこ、マサキっていうんだ。こいつは悪くないから、ころさないで」
香奈はケージを受取りながら、俺を冷ややかに見ている。
俺は香奈の背中を押し、ドアの鍵を開けた。香奈とマサキを部屋の外に出し、すぐに再び鍵をかける。
「おい、良太。おまえは出てこないのか?」
アキさんの声がドア越しに聞こえる。
「アキさん。俺、慎二を殺したのに、正樹の父親に罪をなすりつけてまで生きていこうなんて思えない。おじさんとおばさんに合わせる顔がない」
俺は、ライターの火を点けた。
部屋のあちこちには灯油がばらまか
れている。ライターを床に投げつけると、瞬く間に炎が上がった。
「おい! 良太! やめろ!」
アキさんがドアを蹴り破ろうとしているのがわかった。
「ごめん、アキさん」
俺は花びらが散りばめられたベッドに横たわった。
「アキさん! 香奈とマサキをお願いします」
そう叫ぶと、アキさんはドアを叩くのをやめた。そして、足音が遠ざかって行く。
炎の赤と手のひらの中の青。
目の前の天井の藍色が、にじんでいく。涙の色は何色なんだろう。
「……慎二、ごめんな」
俺がそうつぶやくと、しばらく見なくなっていた慎二の姿が浮かび上がった。
「慎二、俺はおまえと同じところにはいけないな。父さん、さいごに会いたかった……」
俺の思い込みでみんなの人生を狂わせた。俺が死んでも、何も変わらないのはわかってる。
でも、これで終わりにしないといけないと、思った。
母さんが遺したお金。
カードと暗証番号を書いた手紙と遺書は、じいちゃんちに郵送した。
父さんは、アキさんが助けてくれると信じていたから、アキさんのカフェ宛てに、アキさんと父さん宛ての手紙を郵送している。
遺書になるとは、思っていた。
自信はなかった、最初から。
俺は、香奈にとっての海になれない。香奈はアキさんのそばにいるほうが、幸せだ。
「母さん、この家を守れなくてごめん。もうすぐ会えるから……」
(第七章 おわり)
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