4-2  疑念

 井原刑事が去ると、再び耳に独特な騒音が響いてくる。音を忘れさせるだけの存在感が、あの刑事にはある。


 家に着いた。靴を脱ごうとしたとき、足が震えていることに気付く。

 井原刑事が、俺を疑う理由はわからない。証拠はないんだから、あしらっていればいい。

 そう思っていても、あの人の威圧感、確信しているような目。それらにびびってしまいそうになっている。

 部屋に行き、ベッドに横たわった。藍色の空間に浮かぶ白い煙を眺め、気分を落ち着かせることにしよう。

 慎二が欠席した理由を学校側は、母親の体調が悪く予断を許さない状態だからだと伝えてある。生徒に動揺させないためなのだろう。

 刑事たちは、学校の生徒の誰にも話を聞いていないのだろうか。

 不思議なことに、誰も慎二の失踪を噂していない。他の生徒に聞き込みをせず、どうして俺を疑っているんだろう?

 俺以外に学校で慎二の失踪について知っているのは香奈だけだ。刑事達が俺のところに来たとき、香奈も一緒にいたから。

 クラスメートは、慎二の欠席に違和感がないようだ。おばさんの体が弱いのはみんな知ってるからなんだろう。



 放課後、いつものように正門まで向かっていた。そこで俺は辺りを見回す。刑事たちがいるんじゃないかと思ったから。

 待てよ? 刑事の存在を気にするのは逆効果だろう。今まで通りじゃなきゃ、おかしい。カフェに着くまで、いつも通りにしていよう。


 カフェに着いた。俺は忙しそうにしているアキさんに軽く頭を下げ、いつもの席へ向かう。

 香奈が先に来ていた。俺が席に座ると香奈が話を切り出した。

「慎二君のこと、お休みってことにしてるんだね」

「動揺させるからじゃないかな」

「そうだよね。捜索願が出てるだけだもんね」

「事件性がないと思っているから大げさにしたくないのもあるんだろうし」

「でも、もしも慎二君が帰ってこなかったら、帰れない状況だったら……」

 香奈は俯いた。

「慎二がいないと香奈は辛いのか?」

 俺はふいに口に出た言葉に、はっとする。責めるような口調だった。

 香奈は俯いていた顔をゆっくりと俺に向けた。目が潤んでいる。

「こっちの中学に転校して、うまく馴染めなかった私に最初に話しかけてくれたのは慎二君だけなんだよ。慎二君のおかげで良太君とこうしていられるの。悲しいよ。それが、だめなの? 悲しんじゃ、だめなの?」

 香奈の目から涙がこぼれていく。

 ひどいことを言ってしまった。俺はかける言葉が見当たらなくてうろたえてしまう。

「どうした、何かあったのか?」

と、おしぼりを持ってきたアキさんが言った。

「ごめん、ちょっと、顔……洗ってくるね」

 香奈はそう言って席を立ち、アキさんを見ることもなくトイレに向かってしまった。

 アキさんはその後ろ姿を見た後、俺の方を見た。

「何があったんだ?」

 アキさんの優しい口調の問いかけに慎二のことを説明した。

「なるほどね」と相槌を打ち、アキさんは腕を組む。

「傷つけたと思うなら誠意を持って謝ればいい。それだけのことさ。一度口に出してしまったもんは取り消せない。だからこそ、そのフォローは大事なんだよ」

 アキさんはおしぼりをテーブルに置いた。

「誰かと自分を比べて自分の中で優劣つけてるとしんどいだけだろ。香奈ちゃんはこの町で最初に慎二君と仲良くなったかもしれない。でも、そのあとこうして良太とつきあってるんだからさ、香奈ちゃんには良太のいいところがわかってんだよ。俺も良太の良さわかってる。理解してくれる人がいるというのは心強いだろ」

 そう言っていると香奈が戻ってきた。目が少し赤い。

 俺とアキさんを見て「急に泣いてごめんなさい」と言った。

 アキさんは香奈の頭を小さな子供をあやすように撫でた後、笑顔を向けただけで何も言わず厨房に戻っていく。

 香奈は席に座り「ごめんね」ともう一度言った。

 俺は慌てて首を横に振る。

「学校側が慎二君の事を伏せるなら、警察に任せるしかないよ。私たちが動くと危ないかもしれない。だから事実がわかるまで何もしないでいようよ。良太君が慎二君を心配する気持ちはわかるけどね」

「そうだよな。香奈の言う通りだ」

 俺は慎二の遺体を埋めたときのことを思い出した。

 本当に隠し通せるのかのかと不安になってきた。あの場所なら暫く見つかることはない。それに俺がやったという証拠は残してないはずなんだ。

「顔色悪いよ。大丈夫?」

 香奈の心配そうな顔を見て、俺はどうにか気持ちを切り替える。少し胃の辺りが痛み始めた。

「注文聞き忘れてたんだけど、どうする?」

「えっと、俺は……アイスカフェオレがいい。香奈はアイスコーヒーでいい?」

「良太がカフェオレ? 調子悪いのか?」

「そうじゃないよ。大丈夫」と言ってみたけれどやはり胃の辺りがおかしい。

「無理すんなよ。顔色悪いぞ? ジュースくらいにしておいた方がいんじゃないか」

 アキさんの気遣いが嬉しかった。

「じゃあ、オレンジジュースで」と返事した。アキさんは「了解」と言って他の客のところに行った。

「大丈夫なの?」と、香奈が心配そうに俺を見る。俺は苦笑いしかできなかった。

「溜めこまないでね。聞くだけしか出来ないけど、話せばすっきりすることもあると思う。だから、話せるようになったら話してほしい」

「ありがとう。香奈のその言葉だけで十分だよ」

 香奈は俺の言葉に照れたように笑った。

 それからはあまり会話は弾まなかったけど、香奈が目の前にいるというだけで俺は安心出来た。

 カフェを出て駅に向かう。

 胃の痛みが激しくなると同時に目眩で地面が歪んでくる。

「良太、逃げるな」

 また慎二の声が聞こえてきた。

 俺は立ち止まり、耳を塞ぐ。

「逃げるのか? 今のままうまく逃げ切れると思うのか?」

 慎二の姿が目の前に現れる。

 「うるさい!」

 俺の怒声に、慎二が悲しそうな表情で俺を見る。

 憐れむな。

 慎二は恵まれてきたから、俺の気持ちなんかわかるわけがない。優しい両親がいて周りから好かれて、そしてソツなくこなせる慎二には、わからないんだ。

「良太は自分のことしか見えてない。良太は、自分の母親がそうだと思ってるみたいだけど、良太だってそうじゃないのか?」

「おまえに何がわかるんだよ!」

 目の前の慎二を追い払うように手を振り回す。

 慎二の姿はうっすらと次第に消えていった。

「良太君、どうしたの?」

 気が付くと、香奈が俺の腕を掴んでいた。

 俺は我に返り、その場に座り込む。香奈と一緒にいることを忘れるなんて。

「おい、大丈夫か?」と、通りすがりの人が話しかけてくる。

 俺は「なんでもないです」と言い、香奈の手を引き駅に向かった。

「良太君、どうしたの? 大丈夫?」

 香奈の心配そうな声が、より息苦しくさせる。いつもなら香奈の声で落ち

着けるのに。

 駅まで俺は香奈の問いかけに答えることなく、早足で香奈を引っ張っていく。

 駅に着いて俺はようやく足を止め、香奈を見た。

「ごめん、自分でもなにがなんだかわからないんだ」

 こんなこと言って香奈を不安にさせたくなかった。

 慎二の幻覚が見えたなんて言えない。そんなことを言ったら慎二の失踪の理由を知ってるのかと勘繰られてしまう。

「大丈夫だよ。私は良太君が話せるようになるまで待ってるから」

 香奈の優しい笑顔に救われた。

 俺はそんな香奈を抱きしめたいとい

う衝動に駆られたけれど気持ちを抑えた。

「じゃ、また明日ね」と香奈は手を振って改札口に向かう。俺はその背中を見送る。

 

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