5-7 台風

「そう。じゃあ、また来週ね」

 住田先生は、母さんに対しての俺の言葉に特に顔色を変えることなく言った。

 俺は軽く頭を下げて、部屋を出る。 

 雨音が、病院の外で激しさを増していることを教えてくれる。稲光も凄い。強風で何か転っている音が、台風の襲来をリアルに感じさせる。

 病院のロビーまで歩いていくと、野口刑事がいた。野口刑事は俺に気付いて近寄ってくる。

「まさき君の具合をちょうど見てきたところなんだ。容態は落ち着いてきてるようだよ。よかったね」

 野口刑事は、俺の表情を読み取るかのように、優しい口調で言った。

 俺は、心の奥の靄が少し晴れたような気がした。

 野口刑事は、俺を疑ってないんだろうか。警察側は、慎二の失踪に俺が関わっていると疑っているように感じるけど。

「今、井原は別件で、別行動なんだ。高瀬君は井原が苦手だろう?」

 野口刑事は、俺をじっと見つめてくる。

 俺は俯く。

 野口刑事は俺のその様子に、俺の肩をポンポンと軽くたたく。

「井原は少年課にいたくせに子供の扱いが慣れてないし堅物だもんね。そういや車で来ているんだけど、途中まで送ろうか?」

「いえ、悪いですから……」

「カウンセリングの話、聞かせて貰いたいし」

「言いたくないです」

 井原刑事のような嫌味な口調ではないけど、今日の野口刑事はいつもより嫌な感じがした。

「まぁ、その話はともかく、送るからここで待っててよ」

 ロビーから外に出ると、叩きつけるような雨が道を川のようにしていた。

 暫くすると、野口刑事の車が横付けされた。

「どうぞ」

 ひどい雨だったので、俺は仕方なく後部座席に乗ることにした。

「実はね、台風のおかげであるものが発見されたんだよ」

「あるもの?」

 そこで野口刑事は車を発進させた。

 ゆっくり動き出したとき、稲光のすぐ後に地割れのような音が響いた。

 近くに落ちたんだろうか?

「うん、T山の所有者から電話があったんだ。台風が来るから、久しぶりに様子を見に行ったらしい」

 その山は慎二を埋めた山だ。

「死体を発見したようだね」

 心臓が跳ね上がる。息が止まる。

 かすかに手が震えるけれど、それに気づかれないように俺は両手を組んで俯いた。

 ルームミラー越しに野口刑事が見ている気がする。

「死体出てきたって怖いですね。まさか、それが慎二だとか。そんなことはないですよね」

俺はうなだれたまま、その言葉を口にした。

「まだ見てないから、俺からはなんとも言えない。井原が鑑識と一緒に見に行っているよ」

 俺は野口刑事の言葉のあと、はっとした。死体が慎二だなんて、安易な発言をしてしまったんじゃないか、と。

 そっと顔を上げて、野口刑事の様子を伺う。ルームミラーに映る野口刑事の表情は、まったく変化がない。

 職業柄、鈍感すぎることはないと思う。

 井原刑事だったらすぐに突っ込んできそうなところを、野口刑事はそれをしない。

 慎二じゃないかと持ち出したことに違和感を覚えないのだろうか?

「松原君、殺されてると思う?」

 ルームミラー越しに、野口刑事と目が合う。今まで見たこともない、鋭い目つきだった。

「最悪の事態を考えてしまいました」

そう言い返すしかなかった。

「高瀬君は、今、動揺を隠そうとしてるね。今日、ここに来たのが井原じゃなくてよかったと思ってるかもしれない。井原だったらすぐに突っ込むところだっただろう。刑事を舐めないでほしいな」

 野口刑事は、そこで車をコンビニに停めた。

「ちょっと晩御飯買ってくる。何かいる?」

 さっきまでの鋭い目つきと口調がそこにはなく、いつも通りの野口刑事の笑顔があった。俺は首を横に振る。

「そっか。じゃ、ちょっと待ってて」

 野口刑事は、車を降りて小走りでコンビニに駆け込んでいった。

 店内の野口刑事は、飲み物をすぐ手にすると弁当コーナーに行き、迷わず手に取りレジに向かっていた。

 俺は冷静さが欠けていたのか。そんなはずはない。、言ってないはずだ。

 そう思っているところに野口刑事が戻ってきた。

「何もいらないとか言ってたけど、いろいろ喋らせて喉乾いてると思ってね。コーヒー買ってきたよ。好きなんだよね? よくカフェに行っているようだし」

 野口刑事は、アキさんのカフェのことまで知っているようだ。

「それにしても台風は嫌だね。こんな雨の中、山から遺体を運ぶのも大変だろうなあ」

 表情は変えないけど、口調がだんだん鋭くなってきている野口刑事。

 俺は少しずつ心拍数が上がる。

 野口刑事は、ペットボトルの蓋を開けた。

「職業柄、いろんなタイプの人間を見てきたよ。なんとなく感じるんだけど、高瀬君は悪人になりきれないタイプなんだよね」

 そう言った後、野口刑事は麦茶をぐいっと飲む。ごくっと喉が鳴る音が聞こえた。

「井原は最初から高瀬君を疑ってた。でも信じてみたかったよ。幼馴染を殺す理由がわからないし、わかりたくもない。確証もなかったし。でも、高瀬君は巧妙に嘘をつこうとしながら、無意識にボロを出してるんだよ。初めて会ったときは、そういうのを出さない子だと思ってた。今は、そうは思ってない。君は本当はとても臆病だ」

「俺が臆病だと?」

「高瀬君に猟奇的なところがあるとはとても思えない。もしも何かやっていたとしても、それは発作的な犯行だったと思ってる。これは、井原にも話してない。僕の直感だ。井原は君のことを、緻密な計画を立てた容疑者だと読んでいるようだけど」

 こんなに手の内明かしていいものなんだろうかと、俺は思い始めた。

 意図があるんだろうか。

「T山で見つかった死体という僕の言葉に動じなかったのは、高瀬君だよ。おかしいだろう? 心の奥で親友が殺されてるかもしれないって最悪の事態を考えていたとしたら、死体が親友かもと思ったら、普通はかなり動揺するだろう。違うかな?」

 井原刑事には慎重に発言しようと思っていた。

 俺は間違っていた。野口刑事の方がキレ者だった。井原刑事が暴走しやすいタイプだから、一見温厚そうな野口刑事がブレーキになって、こうやって鋭い視点で犯人を追い込む。

 刑事ドラマみたいだけど、そういうのがあるのかもしれない、そう感じ始めた。

 俺にとっては、よくない状況になってきている。

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