5-6 ポスト

 背中の汗がつう、と流れた。

 俺は「そんなわけないだろ」と、軽くあしらう。

「そうよね、免許ないんだし」

 母さんはそう言って、また外を眺める。

「俺は自分の事は自分でするし、母さんも今まで通り、自分の事だけ考えてればいいんだよ」

 カルボナーラが運ばれてきて、もくもくと食べる。

 母さんはそれから何も聞いてこなくなった。食べ終わり、店を出てからも無言のまま。

 結局、家に着いてからも何も話さなかった。

 母さんは、何かに気付いたのかもしれない。でもきっと、気付いていても何も出来やしないだろう。

 犯罪者の母親というレッテルを母さ

んが受け入れられるはずがない。



 二回目の箱庭の日、学校からそのまま病院へ向かった。

 病院に着くとカウンセリングの時間まで少し時間があったから、まさきの病状を聞きに行こうとエレベーターの方へ足を向ける。

 エレベーターが開き、人がまばらに出てきた。その中に、おじさんと井原刑事と野口刑事もいた。

 おじさんは疲れ切った表情でぼんやりしていて、俺に気付かず、ロビーの方へ向かっていた。

 刑事たちは俺を横目で見たように感じたけど、すれ違うだけで何も言ってこなかった。

 まさきの病室の前で、俺は立ち止まる。俺が見舞いに来たからといってまさきが目を覚ますわけじゃない。

 俺は病室に背を向け、階段を駆け下りた。

 受付のロビーにあるテレビが台風上陸を知らせていた。

 診察室の前まで行くと、すぐに名前を呼ばれた。

 椅子のそばまで行き、座るかどうか悩む。

「今日はすっきりした顔をしてるね。いいことあったのかな?」

 住田先生は言った。

 いいことがあったわけではない。吹っ切れてきたのは確かだ。

 でも、それは言えない。

「特にないです。そういえば、母に電話したんですね」

「やっぱり、お母さんにも話しておかないといけないだろうと思ってね。本当は高瀬君から話してもらいたかったけど。でも、保護者として知っておかないといけないだろう?」

「保護者というのは紙切れ上のことだけで、保護者らしいことは何も」

 母親らしいことなんてしてもらったことがない。この言葉が、思春期の子のたわごとだと思われるのも癪に障る。

「お母さんは心配していたよ。お母さんは本当に高瀬君に対して無関心なのかな?」

 住田先生は、俺の表情が曇るのを多分見逃していない。

「関心があるように装っているだけで、実際は俺のことより父さんの事しか」

 ふと、久しぶりの外食で母さんの様子がおかしかったのを思い出す。

「憎いと思ったり嫌いと思ったりするのは、関心があるからだよ。お母さんが高瀬君に対して無関心だというのは、違うように思うよ。電話があったことをちゃんと高瀬君に話してる。無関心だったら、そのことすら話さない。違うかな?」

 俺が部屋に鍵をかけたことも、電話があるまで気付いてなかった。

 都合が良すぎる。電話があったから、保護者面してるというだけじゃないか。

「この話はこれくらいにして、あれから調子はどうだったかな?」

 先生は質問を変えた。

 その方がありがたかった。

「前よりは多分、眠れてるように思います」

「一度のカウンセリングで劇的によくなることはないものだよ。少しでも変化があれば、いい兆しだね。じゃあ、安田先生のところに移動しようか」

 先生は立ち上がり、隣の部屋に向かう。俺もそれに続いた。

 安田先生は俺を見ると、にこやかに笑った。

「こんにちは、前よりも晴れやかな表情してるわね」

 そんなに前と違うんだろうか。

「じゃあ、安田先生、よろしくお願いします」

 住田先生は部屋を出て行った。

「すぐに箱庭作ってみる? それとも少しお話する?」

 俺はきょろきょろして、たくさんあるおもちゃを見回した。たくさんあるおもちゃの中で、俺の目を引いたのは赤いポストだった。

「箱庭を作る方がいいみたいね」

住田先生はそう言い、椅子に座る。

 俺はポストを手にする。

 ポストを中央に置いた。その周りに溝を作り、ポストがある島を作ってみた。

 ポストの横に二本の木を置いた。島の周りを海に見立てみる。海には一艘の船。船にはうさぎを乗せてみた。

 一回目は少し考えて配置してしまったけど、今回は説明のときにうまく言えばいいと思ったから、目に付いたものを配置してみた。

「できました」

 俺の声がいつもよりも大きな声になったので、我ながら驚いた。

 安田先生も、少し驚いたのか動きが止まった。

「今日はとてもやる気があるのね。まず、写真撮らせてね」

 安田先生は、全体が入るようにカメラを構えて撮影しはじめた。次に、角度を変えて、細かいところもわかりやすく見えるようにいろいろと撮影していた。

「できたわ。今日の高瀬君の箱庭のテーマは何かな?」

「手紙、です」

「真ん中にポストがあるわね。これを真ん中に置いた意味はある?」

「このポストは俺なんです。周りに口出しされたくないから、俺しかいない島で手紙を待ってるところです」

「ポストの横にある木は何かな?」

「これは、父と慎二だと思ってます。母は俺の中にはいないようなものですから」

「じゃ、島から離れた船の上にいるうさぎは?」

「これは彼女です」

「彼女と高瀬君の距離、これはどう感じる?」

 ……距離?

「うん。つきあって長いと聞いているけど、高瀬君は島の上にいる。でも彼女は海の上。どうしてなんだろうね」

「俺に会いに来てるるんです。穏やかな海だから、香奈が会いに来るのは難しいことじゃないんです」

 安田先生はそこでメモを取っている。どういう風に解釈するだろうか。

「彼女はどこから高瀬君に会いに来てる? 遠くから、それとも隣の島?」

「少し離れてるかもしれません。でも、会いたくなったらすぐに会います。毎日一緒にいたいですけど、さすがに高校生で同棲とかはまずいだろうし、俺も香奈もそういうのは望んでないというか。大人になったら考えたいことです」

 これは本音だった。

 これからもずっと香奈いられるのはわかっている。遠い未来はずっと一緒にいられるように、一緒に暮らしてみたいと思う。

 それまでに香奈のことをもっと知っておかないといけないような気がした。いつか、きちんと話してくれるだろう。

「このポストの中に手紙は何枚入っていると思う? それとも彼女が手紙を持ってくるのかな?」

「手紙は俺が持ってる。きちんと、言葉にした俺の気持ちを書いた手紙です。いつか、渡したいです」

 安田先生は、にこやかな表情で俺を見る。

「この木は邪魔にならないかしら? 二人きりがいいのに、この木は、お父さんと親友の慎二君だよね。それは何も思わない?」

「大事な二人、ですから」

「そう……。素敵なお父様と親友なのね。見つかるといいわね」

 そこで、しんみりとした空気が流れる。

「おもちゃが沢山ある中で、最初にこの赤いポストを見てたよね。これは自分だとすぐに感じた?」

 俺は箱庭の中のポストを見る。

 おもちゃがある中で、これがすぐに目に付いた。多分、これが俺の潜在意識のかけらみたいなものなんだろう。

 安田先生は慎二を殺したのが俺だなんて、慎二を山に埋めたなんて思いもしないだろう。

 そこで、土砂降りになって窓を叩くようになり、雷もごろごろと鳴り始めた。

「忘れてた。台風が来てるのよ。今日はこれくらいにして帰らないと大変。大型台風みたいだから」

「でも、まだ最後まで話せてません」

「じゃ、レポート。作文書いてきて。次のカウンセリングまでに、今日の箱庭の物語を作ってきてね」

 安田先生は、俺に箱庭のおもちゃを元の場所においておくように指示をして、住田先生のところへ行った。

 俺はポストを手にとった。これが目に付いた本当の理由はなんだろう。考えながら、おもちゃを片付けた。

 そこで先生が戻ってきた。

「じゃあ、今日はこれくらいで。ごめんなさいね、短くなってしまって。警報が出てからじゃ大変だから、いまのうちに家に帰りましょう」

「ありがとうございました」

「また来週ね」

 安田先生はパソコンの電源を落しながら、俺を振り返り微笑む。

 住田先生がいる部屋に戻る。

「台風が近付いてるね。家の戸締りして、気を付けて。お母さんは仕事から帰ってるかな?」

 住田先生は、腕時計を見ながらそう言った。

「今日、仕事かどうかわからないので……」と、俺は濁した。



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