6-8 駅

「先生は何か、知っているんですか?」

 先生は、箱庭にうつしだされる俺の深層心理だけでなく、他の何かを見ようとしているんじゃないか。

「私が知っているのは、高瀬君の心の中の一部だけよ」

「一部?」

 安田先生の言葉に引っかかりを感じて、思わずそう聞き返してしまった。

「心の中の、事実の一部ね。全部さらけ出してはいないと思うから」

 ああ、そういうことか。

 過剰反応していた自分に、ブレーキをかける。

 どこまで話していいのか、頭の中でいろいろ考えてしまう。

 川の流れに、香奈とアキさんの気持ちが含まれている。それがどういう事なのか、俺にはわからなかった。

「この川は海に続いているのよね。その海は、高瀬君のお母さんを象徴している。お母さんは、すべてを受け止めてくれるものだと気付いた。うさぎや鳥の気持ちも、海のような広い心で受け止めてくれる存在を欲してるのかもしれない。漠然と高瀬君はそう思っているのかと思ったの」

 先生はそこまで言うと、箱庭から俺の方へ視線を移す。

「違うかしら?」と、まっすぐに俺を見ながら。

 海のように広い心。香奈とアキさんにはそういう母親のような存在がいなかった。

 だけどアキさんは、香奈の事を大事に思っていて、間違っているとわかっていても、自分なりに支えていこうとしている。

「それはあるかもしれません」

 母さんも間違っていた。俺の罪を隠すために死を選んだのだから。

 香奈の間違った感情が発端になり、みんなの人生を変えてしまっている。

 いや、香奈のせいだけじゃない。俺だって香奈しか見てなかった。慎二の話をちゃんと聞こうとしなかった。

 誰よりも俺を理解してくれていたはずの慎二のことを、俺が信じていなかった。

 俺と香奈は、自分のことしか見えていない。俺と香奈はどこか似ている。

「高瀬君、大丈夫?」

 俺が急に黙ってしまったから、先生は心配そうに俺を見ていた。

「……大丈夫です。でも、今日はこれで終わりでいいですか?」

 俺が、香奈に出来る事。

 それがなんとなく見えてきたような気がした。

「今日はこれでいいのね。次の予約しておく?」

「いえ、予約は改めて電話でします。それでいいですか?」

「いろいろ都合もあるだろうし、カウンセリングに向いていない状態の時もあるからね。高瀬君に合わせる。何かに気付いたようなすっきりした顔をしてるから、しばらく大丈夫そうね」

「そんな顔してますか?」

「途中で泣いてたから心配したけど、今はいい顔してるわよ」

 先生はそう言って優しく微笑む。

 この穏やかな微笑みは、俺を安心

させる。この決断でいいんだと言ってくれるような、そんな気がする。

「これ、片付けますね」

 箱庭の中のおもちゃを手に取ろうとした時、先生は言った。

「自分の間違いに気付いた時、他人の間違いを諭せるし、そこに説得力があれば人は変わるかもしれないわね」

 先生はどこまで知っているのだろう。全部知っているんじゃないかと思うような口ぶりで、どきっとした。

「今のは独り言よ」

 先生はそう言うと、箱庭の中のおもちゃを片付け始めた。

 片付けられていくおもちゃが、自分の未来の姿に見えた。香奈にとって、俺はそんな風にいらないものとされてしまうのだろうか。

 たとえそう思われたとしても、香奈にはアキさんがいる。

 アキさんのやり方は間違っているとしても、アキさんの思いは深い。俺だって負けないくらいだと思っている。

 俺は、心の中にある決断に迷いが出ないように、箱庭の中の温かく感じる砂に触れた。

 砂の柔らかい温かさは、慎二を思い出させる。父さんの事も。

そして、慎二の大事な両親の事も。

「箱庭の砂を気に入ってるのね」

 先生は、俺がずっと砂を触っているのを見ていたようだ。

「いいのよ。落ち着くのなら好きなだけ触ってて」

 その言葉で、砂を触るのをやめた。それから箱庭から離れて、ふう、と、深呼吸をする。

「人の心を変えるのは、難しいですよね」

「そうね。頑なな人であれば簡単ではないけど。どんなことでも受け止める覚悟がないと難しいかな。中途半端な態度や言葉では、難しい」

「信じてるという言葉だけでは、難しいですか?」

「カウンセリングだと、クライアントが変わろうとしてる言葉を信じなきゃいけない。信頼関係あってこそのものだから。日常の人間関係とカウンセラーとクライアントの関係に当てはめていいのかわからないけど、一方通行では距離感は変わらないわよね」

 俺は一方的に香奈の表面だけを見ていた。いい関係だと思い込んでいた。

「距離感を変えるにはどうすればいいと思いますか?」

「目に見えるものも見えない部分も全部受け止める。高瀬君が箱庭の外に作った海のように、流れてくるすべてのものを受け止める深い海の愛。母性のようなもの。それが伝われば変わるんじゃないかな」

 ふと、おじさんとおばさんを思い出した。二人は、慎二だけじゃなく俺の事も実の息子のように接してくれていた。

 俺が求めている海というのは、あの二人が理想なのかもしれない。

 やり方は間違っていても母さんにも同じようなものを感じた。アキさんにも。

「ありがとうございます。なんだかすっきりしました」

「よかったわ」

 先生が最後の一つを棚に置いたとき、俺はお辞儀をして部屋から出た。

 


 病院を出たあと、携帯で青い薔薇をあちこちのネットショップで買いあさった。時間指定の着払い。

 明後日の午後に届く。

 その日俺は、香奈を部屋に呼ぼうと思った。香奈から真実を聞くために。





(第六章 おわり)

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